すると敵は驚き気圧され

2017年08月21日 18:38

6 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2017/08/21(月) 16:59:46.80 ID:uGfwiSOk
立花道雪が筑後にての合戦で、敵が山上の道雪の軍に敗退し、道雪軍はこれを追撃した。

敵がすでに下山した時、道雪は味方に下知して進軍を止め、先に斥候を出した所、
案の定敵は山の下に降り立ち、それぞれに備えを固め道雪の軍を待ち構えていた。

そこで道雪は合図を定め、静かに備えを山下に下ろし、ゆっくりと敵に接近した。
そして槍が届くほどの間近と成った時、合図とともに一斉に鬨の声を発し槍をばっと持ち上げた。

すると敵は驚き気圧され、容易く敗北したという。

(士談)


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ある戦陣での戸次道雪と朽網宗暦・宗策のやりとり

2016年10月10日 10:09

229 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2016/10/09(日) 16:57:25.24 ID:t9v3aFpB
ある戦陣での戸次道雪と朽網宗暦・宗策のやりとり

豊後朽網山野城主・朽網宗暦(鑑康)は息子の宗策(鎮則)ともどもキリスト教贔屓で知られた人物である
1553年には朽網地方に宣教師や修道士が訪れキリスト教の布教が始まりやがてキリスト教日本八大布教地にまで発展していく
翌1554年には豊後で初の教会を建てルイス・フロイス「日本史」にその教会の美しさを絶賛する様子が書かれている

それはさておき、ある戦陣で朽網宗暦・宗策親子が総指揮官・戸次道雪の元へ訪問する際のこと

宗暦「そなたも知るように道雪殿はキリシタンを好まれぬので(胸にかけた)そのロザリオを御目に触れないように隠しておけ」
宗策「……」

最初は父の言に従ってた宗策だが道雪の前にくるや父の言を翻しこれみよがしにロザリオを取り出しはじめた
宗暦はこれを見て慌てて(ちなみに宗暦は以前耳川の件で志賀道輝(親守)共々戦いぶりを道雪に糾弾されたことがあった)

宗暦「この倅は馬鹿者でござる。ここに罷り出るに先立って貴殿はロザリオをお好み遊ばさぬ故に取り外すように注意しておきましたるに取り外すどころかこのようにわざと出してみせる始末」
道雪「ご懸念無用。何となれば優れた兵士は初志を貫徹すべきで後退してはなりますまい」

こう言って宗策の行為をやり過ごし宗暦を安堵させたという

ちなみにこのやりとりをフロイスは
「このことから言い得るのは日本人がいかに理性的で答弁にあたっていかに分別があるか、ということである」と評した

キリスト教嫌いな人物には基本ミソカス(例:ラスボス・爆弾正・信玄・宗麟正室奈多夫人)なフロイスから珍しく褒められた道雪の分別



230 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2016/10/09(日) 21:35:49.12 ID:f8T0paXC
フロイス「戸次鑑連はロザリオおkだから許す」
道雪「武士なら初志貫徹すべき」

価値観が交わってないけど利害は一致してるだけのような

231 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2016/10/09(日) 21:54:13.67 ID:Oau9qfpR
豪胆な人が好きなだけでしょ
優男なら罵倒してた

立花道雪足疵

2016年06月19日 15:59

750 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2016/06/18(土) 14:43:24.11 ID:t7BOj0bT
立花道雪足疵

 立花宗茂の父は〔名は忘れた。道雪斎か〕は足の病で馬上におれず、
歩行も不自由なので、出陣のときは台に乗り士卒数人で担がせていた。
戦場に及ぶと、持っている青竹〔これは采配の代わりである〕で台のふちを叩きたてて、
台ながら敵中に持ち込んで、投げこめなげこめと下知したという。

 また上杉謙信の采配も三尺ばかりの青竹で、臨戦のときは鞍の前輪を叩きたてて下知したそうだ。

 神祖も御戦に及ばれるときは、采配を御鞍に打たれて士衆を下知されて、
御指の血が、御鞍に染みたという。

 家法印殿(松浦鎮信)の采配の柄も竹であったが、戦陣では士卒を下知されるとき、
常にらちがあかないと、鞍を打ち口にくわえなさったので、
采配の柄は歯痕で見苦しいほどに傷ついていたそうだ。
(甲子夜話)

行儀が悪い話



751 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2016/06/18(土) 21:12:25.78 ID:Yw8Kk2C+
爪を噛むよりええやん

“雷切”

2015年12月18日 17:01

780 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2015/12/18(金) 02:20:05.09 ID:DWiYqAIF
豊後国南部藤北の鎧ケ岳の城主・戸次伯耆守鑑連入道道雪は、元来大友の類葉で、
親秀の次男・戸次左衛門尉重秀の末孫である。

累代武勇を励んだが、中でも鑑連は大友家にあって肩を並べる者がいないばかりか、
隣国にも類少なき士大将であり、智謀と驍捷を兼ねて達し、堅を砕いて利を破り、
奇正応変にして過ちはなく、

ある時は韓信が旗幟を変えて趙城を落とした計略を追い抜き、ある時は薛仁貴が三箭を
発して天山を定めた勇に続いたので、攻め取る戦の功は優れていて数え切れない。

ある時、鑑連が庭の木の陰で涼んでおられると、にわかに空は掻き曇り、黒雲白雨を
帯びて降り来る。雷霆はしきりに轟き、雷火がたちまち落下して、庭中を奔走した。

鑑連は側にあった“千鳥”という刀を取って飛び掛かり、抜き打ちに雷火を丁と切って
飛び去った。それからはこの刀を“雷切”と改名した。

しかしながら、鑑連も雷の余炎に当てられて身体のあちこちを負傷し、片輪者になって
しまった。そのため、出陣の時も乗り物に乗って軍士を下知なされた。

(原注:『岩屋物語』には“雷が左足に落ち掛かるところを、すかさず備前長光2尺5寸の
刀をもって抜き打ちに切りなさり、雷光は2つに切り割られて左右に飛び去った”とある)

――『筑後将士軍談(陰徳太平記)』




781 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2015/12/18(金) 11:06:56.17 ID:Iqvf/N9q
鑑連は雷火を切って飛び去った・・・!?!?

道雪の墓守

2014年05月07日 18:45

897 名前:人間七七四年[] 投稿日:2014/05/07(水) 01:54:43.27 ID:6sn+TDjP
道雪の墓守

立花山麓にある曹洞宗の古刹梅岳寺
立花道雪の墓所である
中央に母養孝院の墓所、右に道雪、そして何故か左に一回り小さな異名の墓石

主君から恩賞として死後も使えることを許され同じ墓所に葬られた
名を菰野増時という

898 名前:人間七七四年[] 投稿日:2014/05/07(水) 02:12:41.79 ID:6sn+TDjP
ミス 薦野だ
福岡県の現在地名だと新宮あたり
柳川立花藩改易後黒田に使えた理由の一つだとも
地味だけど忠誠が高い九州武将の典型だと思う




フロイス「日本史」より、立花道雪の話

2013年11月26日 19:01

710 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/11/26(火) 16:14:42.98 ID:/L3nXWsc
立花道雪の話

二万近い兵士を擁する豊後勢は、先に筑後国で叛旗したクロギ(黒木)という城を包囲するために出動した。
(豊後勢は)優れた指揮官を欠き、隊列も整わず、十分な協議もせずに襲撃したところ、
城中の兵士は猛烈果敢に応戦して、豊後勢に三百名の死者と七百名ほどの負傷者を出さしめたので、
残りの者は意気阻喪し、怖気づいて、我先に豊後へと敗走し始めた。
だが豊後にいた他の諸城の指揮官たちは、退却してくる彼らを襲って全滅させるように打ち合わせていたので、
彼らは前進することも後方へ退くこともできなくなった。(※)

この事態はタチバナ城の城主に伝えられた。
七十歳をいくつか越えたこの老いた城主は、人々が語るところによれば、
ただちに豊後随一の優れた槍の鞘を払い、
「(某の)鎧に封印をせよ。かの城、および他の城を占領するまで、某はこの鎧を体から外さぬ」と言ったということである。
そして六、七千名の有能な兵を率い、筑後の国内を通過し、途中、通行を妨げる幾人かの敵と戦い、
難なく彼らを制圧し、四、五日の旅の末、ついに不安におののいている豊後勢がいる場所に着いた。
豊後の軍勢は、差し迫ったこの危機から自分たちの救出に駆けつけてくれた彼を見て、この上もなく喜んだ。
老人は、ただちに軍勢の指揮官たちを招集し、一同を厳しく叱責した後、激怒しながら言った。
「お前たちは。
 もし女なら、なぜ逃げぬのか。
 またもし男なら、卑しくも兵士と言われながら、なぜ戦わぬのか。
 よいか、合戦において卑怯な態度を見せたり、『豊後へ帰りたい』などと言いだす輩は、
 某が自ら殺してしまうから、よく覚えておくがよい」と。

(彼は)時を移さず、幾日もの旅の疲れを物ともせず、自ら先頭に立って、
地の利といい籠城している兵士の勇敢さといい難攻不落と思われた城に対し、果敢な襲撃を試みた。
最初の攻撃で彼らは城内に突入し、城内にいた敵の大部分を殺害した。
この間、味方が被った損失はごくわずかに留まった。
彼はこの勝利を得ると、気力を失い臆病風にとりつかれていた豊後の兵士たちを感奮させようと、
さらに他の二城を彼らと一緒に攻撃した。
それらの城はいずれも彼の武威に屈した。

711 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/11/26(火) 16:15:48.91 ID:/L3nXWsc
この老人は深い思慮を備え、戦においては著名な指揮官であったが、異教に凝り固まっていたのでデウスのことを嫌悪していた。
その頃、豊後の殿の一人を父に持つ若者が(キリシタンの)説教を聴いていたが、突如出陣することになったので、
さしあたっては洗礼を受けることができなかった。
彼は自らの慰めとして、コンタツを首にかけて出陣した。
陣営では、朽網殿と称する異教徒である彼の父が、老いた総指揮官を訪問しようと思って息子を同伴した。
その際、父親は息子に、
「そなたも知るように、タチバナドノはキリシタンをあまり好まれぬので、そのコンタツを目に触れないように隠しておけ」と注意した。
若者はそのように見せかけたが、父と一緒に総指揮官のいるところに入ると、これ見よがしにわざとコンタツを表にとりだした。
父親は息子の仕業に赤面して言った。
「この倅は馬鹿者です。
 ここに罷り出るに先立って、貴殿はコンタツをお好み遊ばされぬゆえ、取り外すよう注意しておきましたが、
 このように出して見せる始末です」と。
老人が答えて言うには、
「貴殿、御懸念には及ばぬ。
 なぜならば、優れた兵士は初志を貫徹すべきで、後退してはなりますまい」と。

このことから言い得るのは、日本人がいかに理性的で、答弁にあたっていかに分別があるか、ということである。

(フロイス日本史より)
※の行の内容については、なぜ豊後の城主たちが豊後勢を攻撃しようとするのか、訳者いわく「事情を理解しがたい」とのことですが
 そのまま書きました。




712 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/11/26(火) 17:37:25.05 ID:gYfr5t4H
異教だってだけでクソミソなフロイスさんが武勇や思慮を称えるとか道雪さんとこは色々ぶれねぇなぁ・・・

立花道雪は嘆いて曰く

2012年10月15日 20:12

868 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/10/15(月) 18:16:55.99 ID:pi3BwCFp

立花道雪は瀬高口の陣を引き払い、嘆いて曰く、

「天晴れ、鍋島は智仁勇の大将だ。わしは多年、肺肝を砕いて
謀ってきたが、彼は謀られなかった。運を天に任せて時を待とうとしても、
鍋島は若く健全であるのに比べ、この道雪は年老いたうえに病身だ。
口惜しき仕合だよ」と首を垂れて悔やんだ。

その苦労は日々積もり、道雪は高良山の陣中で死去した。
鍋島直茂はそれを聞いて落涙して惜しんだということだ。

――『名将言行録』




869 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/10/15(月) 18:39:42.16 ID:x0Hbw+K8
>接触地雷
火種が火薬に落ちて爆発みたいな装置かな?

870 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/10/15(月) 22:08:01.15 ID:2zrkV/YM
直茂さんはみんなから褒められるな

871 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/10/16(火) 09:30:26.73 ID:uMDhT37n
性格は悪いけどな…

872 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/10/16(火) 10:53:28.71 ID:PPMG4kC8
悪いっけ?

873 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/10/16(火) 13:45:05.15 ID:5/7HctCV
クマさんと間違えてないか

874 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/10/16(火) 14:56:35.08 ID:wzzjPIjZ
遺族マ「そーだそーだ直茂性格わるいぞー」
鍋島(…おまえらもっと動けよ…)

875 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/10/16(火) 15:10:31.48 ID:3X4XDR/b
直茂の竜造寺引継ぎは貧乏くじ引いたようなものだからなぁ

それが戸次道雪という武人

2012年08月22日 20:51

174 名前:名無しさん@お腹いっぱい[sage] 投稿日:2012/08/22(水) 08:06:12.10 ID:P4yn8byU
秋月種実の大胆不敵な行動、あくまでも騙し討ちを嫌う戸次道雪

ある時秋月種実は僧に変装して博多に歌舞伎見物に出向くことにした。しかし博多はあの戸次道雪の勢力圏内にある。
種実からすれば道雪は父兄の仇だが道雪から見ても種実は弟や一族の仇である。種実の行動は大胆不敵ではあるが、
同時に危険極まりない行動である。この行動が戸次家中に気づかれないわけもなく戸次家中は色めきたった。
家臣の一人は道雪に「私めにお命じくだされば(種実を)討ち取って見せます」と囁いた。
すると道雪は怒ってその献策を退け、秋月城に急使を差し向けた。
「お忍びで博多へ出向かれるのを、わが家臣で狙う者がいるやもしれませぬ。ご用心なされよ」
例え相手が弟たちの仇であっても騙し討ちは嫌い相手に注意を促す、それが戸次道雪という武人。
(歴史群像シリーズ『戦国九州軍記』に載ってた話)




道雪とはなんと、武士冥加の強い侍なのだろうか

2012年08月18日 20:51

114 名前:1/2[sage] 投稿日:2012/08/17(金) 19:18:05.85 ID:BGjsCREX
戸次道雪が立花城に移って以来、方々での働きにおいて手柄忠節の多さにより、豊後の大友家より
感悦の使者が送られた。しかし筑後路も敵領であり、通路がないので、豊前より船で海路をもって
遣わされた。

さて使いより道雪には、第一の褒美として旗竿を遣わすとの旨が伝えられた。これはとりわけ道雪のため、
吉日を選びこの使者が帰国して報告を次第、船にて送り遣わすとの事であった。
道雪はこれを承り悦び申すこと限りなく

「さて旗竿の事、家の面目、一代の名誉、老後の本望、いったい何事がこれに匹敵するでしょうか。
出来る事なら御本国へ伺候して頂戴したいのですが、方々の敵が隙を伺っている状況です。
そこで、幸いにもご舎弟の田原殿(大友義統の弟・大友親家)が、御代官として筑後黒木城に
御座なされております。ですので旗竿を黒木まで届けて頂ければ、この老体が彼の地まで罷り越し、
田原殿の御前において頂戴仕ります。私は大きすぎる冥加は恐ろしいと考えています。御使者によって
ここに直接に送られるのはどうか御免なされるようにお願いいたします。」

この様にたって申し上げた。
使者が豊後府内に帰ってこの旨を伝えると、大友義統の周りは困惑した。

「道雪が恐縮するのはともかく、立花城から黒木城まで行くのに、筑後までの七里余りは大敵秋月の領分であり、
特に城下一里余りの所を通り、また筑後の問註所氏(一族の一部が寝返っていた)の領内を四里ばかり、
これも城下半里ほどの場所を通ると牛島という巨大な坂があり、これはいかなる鬼神でも通れないような
場所である。

道雪め、自分の手柄の程を人に知らせんがため、広量な御請を申し上げたのだろう。
そんなふうに言ってもどうせ、まさか黒木に送るとは思っていないだろう。」

その様に言って、再び使者を添えて、船にて立花城に直接送った。
この時の道雪への批判は、府内にも多くの道雪贔屓の人々が居たので、彼らから道雪へと伝えられた。


115 名前:2/2[sage] 投稿日:2012/08/17(金) 19:18:40.73 ID:BGjsCREX
さて、立花城にて道雪は旗竿を受け取り、その祝宴も終わり使者が船で帰っていったその翌夜半、
道雪は立花城の館を出て、翌日は高橋紹運の領地である三笠郡に逗留、下々の足を休めると、また
夜半に打ち立ち、秋月領である長者町と言う所で夜が明けた。そこかた甘木という町を通り筑後川を越えた。
甘木は秋月城から一里半ばかりの場所であったが、秋月城からこの道雪の一行に向かって
軍勢が駆けつけることはなかった。これは、その頃侍たちは何れも知行地に召し置かれており、
普段は百姓をやっており、軍陣やその他、人の要る時だけ呼び出し召し使うという時代であった。

そのため道雪の一行の直接に見、あるいは聞きつけた者たちだけが在々より集まり、「道雪は
少人数で通るのなら、これを討ち取るべし!」と前後から攻めてきた。

さて道雪はあらかじめ「大勢を引き連れていくのはかえって良くない」と、精鋭を300人ほど、
何れも徒歩にて召し連れ、きっと手負いも出るだろうと馬も少々引き連れ、自身は例の手輿に乗り
先手と手廻りの二手に分け、先を塞ぐ者たちは先手が追い払い、後ろからくる敵には自身がとって返し
蹴散らし、道雪に向かって来るもの達は打ち捨てにした。

この様にして秋月領内を難なく通りぬけ、筑後に入り問註所の城下半里ばかりの所を踏みつけ通り、牛島という
大坂を越えて、何事も無く黒木までたどり着いた。即座に大友親家に面談し、

「御旗竿をお預け頂き、これによる家の面目、弓箭を取るほどの者ならば皆望む程のものです。
老後の本望を遂げ、忝く存じ奉ります。
本来ならば御国元に参上して御礼申し上げるべきなのでしょうが、それがしが今他へ行ってしまえば
方々の敵たちが力を得てしまうと考え、ここまで罷り越しました。
貴方様は御屋形様の御代官であり、特に御兄弟でありますから、御屋形様を拝み奉るのと同じ事です。」

この様に御礼を懇ろに申し上げると、次の日早朝に黒木の城を出立する折、黒木城の軍勢は
問註所の城のある妙見獄を攻めることが決まっていた。
道雪一行は諸勢に先立ち妙見獄を通り過ぎ、問註所の領内を静々と通ったが、問註所の方では
防衛のため城に集結していたため在々に人はなく、心静かに秋月領まで進んだ。

秋月領内の者たちは、普段道雪に手ひどくやられているため、藪の中に隠れながら道雪一行を
監視する、といった有様であった。これによって道雪は何事も無く立花城に帰り着いた。

黒木において、大友親家に付き従っていた豊後の者たちは
「大軍勢で合戦をし、敵を蹴散らせばようやく通れるような場所であるのに、
わずか300人ほどの人数で、敵領12,3里の間を心静かに通り、道すがら遭遇した敵も打ち捨て、
しかも味方に負傷者もなかった。道雪とはなんと、武士冥加の強い侍なのだろうか。
あの人には軍神が乗り移っているのではないだろうか。」

そう、感嘆したそうである。
(古郷物語)




116 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/08/17(金) 20:09:07.80 ID:1W5Q48/b
鬼武蔵に思慮があればこんなふうになれるのかな?

戸次道雪が常々言っていた事に

2012年08月15日 20:53

79 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/08/15(水) 09:06:30.60 ID:/k4Ik1zx
戸次道雪が常々言っていた事に

「侍に臆病な者はいないと確信している。もしそういう者が居たら、それはその当人の科ではなく、その主人の
使い方が悪いためである。悪しき主人を頼んだばかりに、惜しいかな侍を捨ててしまったのだ。
どうしてそんな事が言えるのかといえば、私に従ってくれている者たち(申合わせ候衆)は、侍身分は申すに及ばず、
中間・小者に至るまで度々手柄を立てない、という事は無いからなのだ。
他家において臆病の名高き者たちよ、かわいそうに、私のもとに参るが良い。私のもとで指導してみたいものだ。
仮に一度目は悪くても、二度目には必ず手柄を立てさせるだろう。」

実際に道雪のこの広言に違わず、道雪の配下に度々手柄を立てないような者はいなかった。

道雪がある時、とある若き者が初陣の合戦で遅れを取ったという悪口を言われている、と聞くと、彼を近くに召し寄せ

「其の方は昨日の合戦で些か遅れを取ったようだが、武辺の事は、そういう事が有るものなのだ。それは
全く以て臆病だからではない。出来・不出来・明・塞があるのが武辺なのだ。
特に其方が臆病でないことは、私は老巧でな、能く解っている。

さあ、明日にもまた合戦がある。其方、人に煽られて粗忽の働きをして、討ち死にしてはいかんぞ!
それはこの道雪に対し、最大の不忠である!
身を全うして敵を討つ分別こそ肝要なのだ。お前のような者たちが従ってくれるからこそ、この老いぼれも
口をきけるのだよ。偏に頼み入るぞ。」

その様なことをいかにも親しく、懇ろに申し聞かし、酒など飲ませ、自身の喉輪か脇引きといった小具足を取らせた。

次に合戦のあった時、この若者は火の散るほどの働きをした。そこで道雪は彼を大勢の前に呼び出し

「この者を見よ!お前たち、この道雪が見損じることはなかったぞ!
困ったことには、この者は逸り過ぎて討ち死にしてしまうのではないかと、片面では悔やんでいたのだ。
この者は今、牙に血をつけ面白く嬉しく、また思ったよりも武功を立てるのは簡単だと思っているだろう。
こういった若者が、これから次第に経験も重なり、この道雪の家において5人7人を争う武者になることも多いのだぞ。」

と、褒め称えた。

また道雪が平時に侍を召し使っている時、客人が訪問して、その侍に大いなる仕損じがあった。
普通の主人ならばしたたかに叱りつけるか、又は追放するほどの不調法をした時、道雪は打ち笑って

「御覧になって下さい、私に従ってくれている者たちはいずれも無調法にてなんとも困ったものなのですが、
こういう事になった時には、いつでも火花が散るのですよ。」

そう言って槍を繰り出す真似をした。客はこれを見て、「侍にとってそれより他に、何が必要でしょうか?」と
深く感じ入った。
無調法をした侍は、これによって当座の恥をすすぎ、かたじけなく思い涙を流した。
(古郷物語)

戸次道雪の人使いについての逸話である。






関連
立花道雪と家臣の使い方・いい話
http://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-245.html
立花道雪の主従・いい話
http://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-107.html

80 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/08/15(水) 11:50:10.49 ID:8nFl45AV
>>79
その逸話 イイネと!君は言ったけど
三つまとめて 既出記念日

「すわ、例の音頭が出たぞ!懸かれ!」

2012年08月15日 20:53

81 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/08/15(水) 12:16:24.57 ID:/k4Ik1zx

戸次道雪は若いころ雷にあたったため、歩行することが出来なかった。
そのため常に手輿に乗り、二尺七寸ばかりの高田打の刀、種子島の鉄砲一挺、三尺ばかりの手棒に腕貫をつけて
いつも手奥に入れ、また長刀だけを持った若侍を、定衆と名付け、これを100人、徒歩にて召し連れていた。

合戦が始まると道雪はこの定衆に手輿を担がせ、敵との距離が近くなれば、手棒にて乗り物の縁を叩き、
自身で

「えいとう!えいとう!」

と声高に音頭を取った。この拍子に合わせて

「輿を担ぎ、あの敵の真ん中に担ぎ入れて、そこに捨てよ!」

と、いきり立った。
手棒の拍子より少し遅いと思えば後先の担ぎ手を手棒にて打ち、打たれたものは敵の面前で
逃げたかのように互いに笑われたので、彼らは面も振らずに輿を担ぎ入れた。

輿を担がないものは長刀を抜き先に進んで攻めかかった。
先手の者たちは道雪の拍子が聞こえてくると、「すわ、例の音頭が出たぞ!懸かれ!」と、
優れた勇士たちが斬りかかるので、いかなる堅陣と言えども、駆け破られない、ということはなかった。

しかし戦の習い、道雪の戦において先手が追い立てられることも度々あった。それでも旗本が堅く踏みとどまるため
幾度も追い返し、最後に勝利しない、ということはなかった。
この様であったので道雪の家来には合戦のたびに、今日は幾度も槍を突いた、と言うものが大変に多かった。
(古郷物語)

戸次道雪の戦ぶりについての逸話である






82 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/08/15(水) 12:55:08.40 ID:KpQmkjq1
>>81

無粋でスマンです、戸次音頭の逸話もまとめサイトにあった(ただし別の逸話の中のお話だけど
ttp://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-3445.html

でもどちらの逸話もより詳しく描かれていてGJですよ
古郷物語って黒官のお話ばかりだと思ってたけど道雪の逸話もあるのか
読み応え十分じゃないか

83 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/08/15(水) 13:05:55.34 ID:GYCJKnb3
道雪の本拠地が黒田領になってるから旧臣とかも多かったろうし
いろいろ話残ってたんだろうね

道雪は板輿に乗ったまま口を開いた

2012年08月14日 20:51

71 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/08/13(月) 21:36:00.63 ID:MZsX/QvQ
天正12年(1584)、「龍造寺隆信、沖田畷に死す」の報を受けた大友宗麟は、次男親家・三男親盛へ龍造寺氏に
奪われた筑後の平定を命じた。二人は筑後の各城を攻略していったが7月、猫尾城を攻めるに及んで戦線は膠着。
数十日経っても好転しない事態に、宗麟は立花道雪高橋紹運の両将に援軍を要請した。

8月18日、猫尾城への急行・奇襲を目指し居城を発った立花・高橋勢が夜を迎えたところで、
高橋家の家臣が紹運に申し上げた。

「もはや夜半を過ぎ、月も傾きました。このまま進めば、筑後川辺りで夜が明けまする。明るい日差しのもと、
見通しの良い河原端を敵中行軍するのは、いかがなものでしょうか?」
「ならばその事、道雪殿に相談して参れ。」

紹運よりの使者・萩尾大学が口上を述べ終わると、道雪は板輿に乗ったまま口を開いた。

「ああ、早く夜が明けぬものか?!我らを見つけて寄せる者、みな撫で斬りにしてくれようぞ!!」

興奮した道雪は板輿の縁を叩き出し、あわてて自軍に戻った萩尾は、
「つまらぬ使者をして、恥をかいたではないか。」とグチをこぼした。(常山紀談より)


結局、両将は強行軍を敢行。途中、本当に筑後川の河原で城方の物見に会ったり、秋月勢と交戦したりするも
これを蹴散らして猫尾城に到着。9月1日には城を落としてしまったという。

まあ、これを見た親家・親盛が「ツマンネ。あとは二人でよろしく」とグレて帰ってしまい、老体をおして
筑後国を転戦せにゃならなくなったベッキーは翌年死んじゃうのですが・・・




72 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/08/13(月) 21:43:48.89 ID:P5RY1qih
http://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-6453.html
ツマンネといった親家・親盛にベッキーがあきれた話
(まとめスレの関連リンク用に)

(管理人:ありがとうございますm(_ _)m)
73 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/08/13(月) 21:59:17.34 ID:pO2U2TVn
カミナリ様の心意気を示すいい話なんだろうがソーリンの倅どもは本当に…

74 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/08/13(月) 22:00:29.42 ID:UaTtOTGh
まあホントに、信長の所以上におもいっきりダメ息子だらけだよねw

75 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/08/13(月) 22:42:39.94 ID:94udm6dJ
息子が全員常真様みたいな言い方しちゃイヤン

76 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/08/13(月) 22:47:30.69 ID:z2gHxsM2
>>71
いい話?

立花道雪「豊後もここまで…」

2012年05月28日 21:00

567 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/05/28(月) 00:38:13.62 ID:p2y0Ubt2
耳川の戦いの後、筑後の国人たちは大友を見限り竜造寺・秋月勢に寝返るものが続出した。
そんな中、数少ない大友方に残っていた問註所統景より一族の問註所鑑景との戦いにさいし大友家に援軍要請が入る。

筑後回復の機は今とばかり宗麟次男・三男の田原親家・親盛を大将副将に約7千の軍勢で筑後になだれ込んだ。
が、初戦の猫尾城攻略から苦戦、黒木氏の猫尾城には竜造寺からの鉄砲隊が援軍として入場しており、城方の反撃悩まされていた。
豊後勢は耳川で歴戦の武将の多くが戦死しており、若い武将ばかりなのも苦戦に拍車をかけていたのだった。

城攻め1ヶ月で業を煮やした大友軍は立花道雪高橋紹運に出陣を要請、形勢は一気に逆転する。
両将は筑前より一直線に猫尾城へ進軍、立ちふさがる竜造寺・秋月連合軍を片っ端から蹴散らすのであった。
竜造寺からの増援軍も激戦の末に破り(この激戦で道雪の弟戸次次右衛門など戦死)、即猫尾城攻略に取りかかる。
そしてこの猫尾城もすぐに落城。城主黒木家永は13歳の娘に介錯され自害している。
その後も山下・谷川・辺春・兼松・鷹尾などいくつもの城を攻略。
そんな中、竜造寺もさらなる援軍を繰り出し柳川城で戦線は膠着するのだった。

そんな柳川での対陣中、いきなり田原親家・親盛兄弟が撤退してしまう。その理由は
「自分たちがどんだけ頑張っても手柄は道雪・紹運コンビのものになってしまうのでツマラナイ」
と言うものであった。そのまま豊後まで引き上げる田原勢。
さすがの道雪も
「豊後もここまで落ちぶれたか・・・」
と嘆くのであった。




568 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/05/28(月) 00:48:02.49 ID:Ll6xSbPx
加藤清正「大友のボンボンどもはわかっていない。戦で名を上げるには目立ってなんぼよ!」

569 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/05/28(月) 01:11:16.55 ID:Wd1uPV5f
>13歳の娘に介錯

これも凄いな。つか当時は山城ばっかで家族は城内に居ないと思ってたよ

570 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/05/28(月) 01:19:26.09 ID:4lp7fMbE
真面目な人って他人にも真面目を強いることが多いからね

571 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/05/28(月) 01:42:39.32 ID:aRqkqxJd
無理せず初めから立花さん呼び寄せとけよ

573 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/05/28(月) 04:41:16.04 ID:cvjlR2ei
宗麟は1人くらい息子を道雪に預けて鍛えて貰えば良かったのに。

多分遠慮なく鍛えてくれる気がする。

574 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/05/28(月) 12:11:14.36 ID:Nv1mXfCM
鬼のしごきに耐えられるならいいけど

575 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/05/28(月) 13:39:20.40 ID:qkqExfqv
>>574
なぜか完成したのは全部、量産型立花闇千代で温厚な宗茂がまさかのブチ切れ

576 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/05/28(月) 13:55:54.50 ID:wyP/LwPV
でなぜか女癖がそーりんと同じだったりw

605 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/05/29(火) 22:28:37.11 ID:TOr99TMh
>>588
周りに敵抱えまくってる時の武将って一体いつ寝てるんだろう・・・
仕事は戦闘だけじゃないはずなのに
[ 続きを読む ]

立花道雪・矢音について

2012年04月01日 21:31

514 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/04/01(日) 14:12:53.25 ID:ZV3FBf7J
四月一日なので、こんなお話を。あ、内容は実際にあるものねw


戸次鑑連(立花道雪)の家臣はみな弓法の心得が深かったが、中でも
四月一日(わたぬき)長蔵、佐藤十三郎、藤村小十郎がその上手とされた。
ある時この三人がうち寄って、矢を当てた時のことについて語り合っていた。

四月一日(わたぬき)長蔵が言うには、「私は26・7間(約50メートル)離れた鳩を、さし矢でもって
『ひゃうふっ』と射殺したぞ!」

次に佐藤十三郎が言うには「私は昨日、屋根にいた雀を、18間(約33メートル)離れた場所から
ふくら矢をもって『ひゃうっは』と射殺したるぞ!」

最期に藤村小十郎は「それがしも、桜馬場にて四寸角(の杭)を、18間離れた場所から剣先の鏃の矢でもって、
矢七筋のうち六つを『ひし』と当てました。そのうち五つは角に当てましたぞ!」

戸次鑑連はこの会話を物ごしに聞いていて、それぞれの矢音の表現がまるで違うことを面白く思い、広間に出ると、
主君が出てきたことに三人はその座を下がって畏まった。
鑑連は彼らにこんな話を始めた

「お前たちが弓の上手であり、細密に命中させる技術を磨いていること、大変良いことである。今後もいよいよ
稽古をして欲しい。ところで先ほどのお前たちの話の中で、矢音の表現が三人とも違っていたな。
しかし、人の聞いている所でそのように間違った事を言っていては恥となる。平家物語などの表現を、
きちんと使って言うべきである。お前たちは記憶力がよく一度聞いたことは忘れない者たちだ。
このついでに習いなさい。

矢音の事は、剣先の鏃の矢で物を射て命中したときは『ひゃうっは』と表現する。射抜いた場合も同様である。
外れたときは『ひゃうする』という音を発したと言う。

狩又の鏃の矢で物を射て当たった場合は『ひゃうふっ』という。射切った場合も同様である。
外れた場合は『ひゃうすか』と言う。

鏑矢にて物を射た時は『ひゃうふっ』と言う。外れた時は『ひすつと言わずして』と言う。

矢頭にて当たった時は『ひゃうし』と射たと言い、外した時は『ひゃうすか』と言う。
矢頭に挟み物をして射た時は『ひゃふはた』と射たと言う。外れた時は『ひすっ』と言う。

四目の鏃にて物を射当てたのは『ひしと射て』と言う。外れは『ひすっと外して』と言う。

匹目の鏃で物を射て当てた場合は『とき射て』と言う。笠懸の矢音、『へし』と射て、と言う。小的の矢音は
『ふしと射て』と言う。三つ的も同様である。大的の矢音は『はたと射て』と言うのだ。

この様な事も、専ら侍の知るべきことである。よくよく覚えておくように。」

これに三人は、殿がこのように親しく座に来てお教えいただき、本当に忝い事だと大いに喜んだという。
(大友興廃記)

しかし矢音だけでこんなに種類があるのですね。こんなの覚えなきゃいけないというのも、
お侍も大変だw


関連
立花道雪、弓を教える
http://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-5521.html


515 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/04/01(日) 14:23:10.29 ID:bSnAl1rL
外れをスカという語源かな

519 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/04/01(日) 16:33:12.72 ID:MJ/ZJQnF
http://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-5521.html
こっちでは四月一日の名前はないけど

522 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/04/01(日) 19:24:10.11 ID:Yhiv/g4y
元弓道部だが矢音にこれだけの種類が有ったとは知らなかった・・・

523 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/04/01(日) 19:42:44.84 ID:hZbxTPZh
>>514
当たった!


 *     +    巛 ヽ
            〒 !   +    。     +    。     *     。
      +    。  |  |
   *     +   / /   ひゃぅふぅぅぅううぅううっ!
       ∧_∧ / /
      (´∀` / / +    。     +    。   *     。
      ,-     f
      / ュヘ    | *     +    。     +   。 +
     〈_} )   |
        /    ! +    。     +    +     *
       ./  ,ヘ  |
 ガタン ||| j  / |  | |||

524 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/04/01(日) 21:18:37.42 ID:6RCFa9yw
信玄公『ひゃうっは』

525 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/04/01(日) 21:27:50.55 ID:fj+OnCsL
鳩「ぎゃーーー」

戸次道雪と白い鷹

2012年03月15日 21:50

324 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/03/15(木) 14:21:34.87 ID:cN5Nyd1E
戸次道雪が亡くなるしばらく前の出来事である。

ある日高橋紹運が戦評定のため戸次道雪の陣営に趣き、評議が終わって酒宴となったころ、どこからとも無く
真っ白なる鷹が飛んできて、庭前の松の梢に止まった。

近習の若侍たちはこれを見て「何としてもあれを捕えよう!」と立ち騒いだが、どうにも方法が見つからず
手を出しかねていた。これを見ていた道雪は

「誰か、鷹の事に心得のあるものはいないのか?」

と尋ねると、早良善内という老人が立ち上がり、厨房の方に走っていくと鳥の肉を一片ばかり取って帰ってきた。
そして庭上に降り立ち、肉を振って静かに鷹を呼ぶ。

と、鷹は肉をめがけて飛び降りてきた。善内、これを巧みに捕らえ拳に据えて、そのまま道雪の御前に出て、

「これは天晴、逸品の鷹でございます!そのうえ白鷹といえば、別して賞翫される特別なもの。
これがただいま、庭の松に止まったというのは、目出度き瑞祥に違いありません!」

そう、大声を響かせた。

道雪はこれを大いに喜び、善内に褒美を与え、そのままその鷹の管理を任せた。


ところが、である。この鷹はそれから2,3日過ぎて、何の病気も怪我もなかったというのに死んでしまった。
後になって人々は、『あれは道雪の卒去の前兆であったのだ』と、噂し合ったそうである。

(伝習館文庫柳河藩政資料)





325 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/03/15(木) 16:49:06.51 ID:I0JRFr+S
神獣捕まえたからバチ当たって死んだんじゃ....

326 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/03/15(木) 20:56:41.59 ID:FoO5VTzK
>>324
いわゆるアルビノは虚弱だもんな

戸次道雪の葬儀

2012年03月14日 21:46

291 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/03/14(水) 15:57:09.93 ID:RP6pLKuv
大友家の重臣で、あの武田信玄に『一度会ってみたい』とまで言わせた勇将・戸次道雪は、
柳川状攻めの最中に病死する。時に天正13年(1585)9月11日であった。

さて、その遺言に言う

『我が死体は、立花城にて葬るべし。
五具足を着せ、長刀を添えて、立ったままの形にするべし。』

死してもなお大友家を守らん、との気概であろう。
よって道雪の遺骸は、僅か一千名ほどで筑前の国立花の城に送られた。

その道中には、大友家に対して異心を持つ、野心の武士も多くあったが、彼らもこの葬列は
『あの道雪の開陣である』と心得、葬列に対し矢の一本すら射られることはなかった。

さらに葬儀の時になると、日頃から敵対していいた城主すら。あるいは自ら馬を飛ばし、あるいは遠方のものは
弔いの使者を遣わし、立花城において等しく道雪の死を悼んだ。

この事に人々は、『道雪の死後にいたって、それまで敵対していた人々が、和睦の心を通ぜようとしている。
これは尋常のことではない。』

と、一様に深く感じ入ったとの事である。

”雷神”戸次道雪の、その死後現れた、人々の彼に対する畏敬、についての記録である。
(大友家三代侍附并代々法号)




292 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/03/14(水) 16:01:08.45 ID:MqJ/7Fxf
坂上田村麻呂も立ったまま葬られたらしいけど、
この遺言は実行されたんだろうか

293 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/03/14(水) 18:57:32.01 ID:39a3JtoF
>>292
まとめにあるよ
http://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-3445.html

立花道雪、弓を教える

2011年06月20日 00:00

703 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/06/19(日) 14:51:01.74 ID:MUPlNzuc
立花道雪の小姓三人が、武芸の稽古の合い間に、弓について雑談をした。

「わしなら、あの庭先の鳩なども、二十六~七間先にいようが、ヒューッと射殺せるわ!」
「なんの。俺とて昨日、十八間先の屋根に止まったスズメを、膨ら弓を以ってヒューッと射殺したわ。」
「拙者も、馬場にて十八間先の的に、七筋射れば六つはシュッと当たる。そのうち五つは、真ん中を射る。」

座敷でおかしく思いながら聞いていた道雪は、たまらず出てきて三人に告げた。

「お主らの弓の腕前、まことに結構。さらに稽古に励め。が、矢音のこと、間違いばかりだ。
人前でそんな事を言っては恥になるぞ。一度しか教えぬゆえ、良く聞け。お主らならば一度で覚えるだろう。

征矢・剣先矢で射て、当たった時は“ヒュバッ”と射た、と言う。射抜いた、とも言う。
外れた時は、“ヒュウスカッ”と表現する。
雁俣矢で射て、当たった時は“ヒューッ”と表現する。射切った、とも言う。外れは“ヒュウスカッ”と表現する。
鏑矢で射て、当たった時も“ヒューッ”と言う。外れた時は“ヒュッ”とも言わない、と表現する。
(中略)
こういう事も、まずは侍として良く覚えておけ。」

(原文:
そやけんさきにて、物を射て中たる時は“ひやうつば”と射てと言ふ。射ぬきて、とも言ふ。
はづれたる時は“ひやうすか”とはづしてと言ふなり。

雁俣にて物を射てあたるをば“ひやうふつ”といふ。いきりて、共いふ。はづれをば“ひやうすか”と言ふ。
かぶら矢にて物を射て当りたる時は“ひやうふつ”と言ふ。はづれたる時は、“ひす”といはづしてと言ふ。
(略)
かようの事も、専ら侍の知るべき事なり。よくよく覚えよ。)



問1、「大友興廃記」(大分県史料 戦記編収録)を呼んで雷神様がミスター脳だと知った>>703の驚きを、
五十字以内で擬音を交えて表せ(5点)




704 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/06/19(日) 15:00:25.26 ID:UH2hQ3fv
表現の仕方の問題で、ミスター関係ないだろ

705 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/06/19(日) 15:51:01.35 ID:5xTnPYFn
平家物語の那須与一が扇射た時なんかもそんな感じの表現だったよな
軍記物なんかでの表現様式の解説ってとこかね。

706 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/06/19(日) 16:16:00.33 ID:YaR/5ZjH
確かにミスターっぽいなw
ちゃんと本も読んで勉強しろってことなのかね

707 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/06/19(日) 16:56:41.46 ID:AVTWE66B
こんな事も当時の教養の範囲なのかよ・・・

708 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/06/19(日) 17:04:58.31 ID:xwjfiywu
氏素性のはっきりしてる古い家だからこういう教養があっただけじゃないの

709 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/06/19(日) 18:01:32.91 ID:AVTWE66B
いや、矢音の表現の仕方なんてどうでも良いだろっていう・・・

710 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/06/19(日) 18:14:12.44 ID:5xTnPYFn
まあ様式美って奴だ、突き詰めればそりゃ意味は無いがw

711 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/06/19(日) 19:21:52.43 ID:MM2gi0ua
教養のない奴使ってんな、pgrされたくなかったんじゃね
名家の陪臣だし下らないことであげつらわれるとかの心配あったのかもしらん

712 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/06/19(日) 20:09:31.79 ID:D7MmESaL
何気ない雑談でも知的な表現を心がけると上司の評価が変わってくるって事か

713 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/06/19(日) 20:57:53.42 ID:5xTnPYFn
ギャップ萌えの一種かもしれんな

714 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/06/19(日) 23:53:45.31 ID:XNf8RfYJ
モノマネとかうまそうだな 道雪さん

715 名前:人間七七四年[age] 投稿日:2011/06/20(月) 02:24:10.90 ID:8h05fy97
平家物語にも「ひょうふ」という表現があったな。那須与一のところだったかな。

716 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/06/20(月) 02:31:15.38 ID:oisJgxDX
こう言うのってやっぱり小笠原流とか伊勢流などの武家故実に纏められているのかな?

でもミスターみたいにフリ○ンで雷切の素振りしている鬼道雪はいやだなw

717 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/06/20(月) 16:02:57.82 ID:ErNDm2BD
「太腿に摩羅がバチーンと当たるのが刀の良い振り方」
とか言い出すのか…

雷おじいちゃん「そんな卑怯な振る舞いはできぬ」

2010年06月06日 00:00

562 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/06/05(土) 20:55:16 ID:AaHQbu9p

スレ汚しのお詫びに一つ雷おじいちゃんのお話

立花山城の城主として博多並びに筑前の要として周辺の敵対勢力に睨みを利かせていた時の事
当時博多は商いのために人が行き交う先進の国際都市
そのためか見世物小屋なんかもあり盛況であったという
その見世物小屋にお忍びで訪れたのが秋月種実
そう道雪にとっては毛利と組み、筑前を中心に反大友として蠢動する敵勢力の首魁である

お忍びで訪れているため当然種実は少人数が随行するばかり
これを聞きつけた立花家家臣の一人が道雪に種実を襲撃を注進する
しかし、道雪は「そんな卑怯な振る舞いはできぬ」と拒絶するのだが、これでは信用できないのか、黙って
立ち去らすのもなんだと思ったのか分からないが種実に

「なんか部下に襲ったらって言われたけど、気が進まないから止めました。
 でも、その部下が勝手に襲っちゃうかもしれないから警護をつけるからヨロシクね」
と一隊を派遣し警護をして無事に種実をその領地まで送り届けるのである

雷じいちゃんの正々堂々としたいい話
だけどこの時の秋月種実にしてみれば正直、護衛にいつ襲われるかって言う恐怖もあったんだろうな…

ちなみに元ネタは名将言行録の上うろ覚えで乱文雑文、失礼しました




565 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/06/05(土) 21:32:11 ID:Te7tWz/3
堺と同じで、博多はアジールだったから、領主間の争いは持ち込めない。
もし無視して秋月を殺してたら、博多での立花家の立場はかなり微妙なものとなっただろうな。
そこら辺も計算の上での行動だろうね。

戸次(立花)道雪「私は貝になりたい」

2010年05月09日 00:05

769 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/05/08(土) 11:24:35 ID:L385cJE4
私は貝になりたい

ある日、戸次(立花)道雪が家臣たちを呼び寄せた。
「おーい、お前たちも来て見ろ、珍しいものが届いたぞ!」
臼杵の浜から、海産物が大量に届いたのだ。鎧ヶ嶽の山城で暮らす戸次家の人々は、海の幸の到来を喜んだ。

道雪はさまざまな海産物のうち、ハマグリが盛られた台に目を止めた。
「おお、『耳白』があるな。」「?『みみしろ』、でございますか?」問いかける家臣に、道雪は答えた。

「そうだ。ハマグリの中でも形が整い、真珠のように白いものを『耳白』と言う。同じハマグリでもな、この『耳白』は
女子の遊びの貝合わせに用いるので、殻まで売り物になり、容れ物の桶でさえ結構な値がするものよ。
『耳白』でなくては役に立たず、他の殻はゴミとして捨てられ割られ、土に帰るのみ。

人も同じで、『耳白』を探すように見ていれば、才覚の一端が伺える者が必ずいるし、そうして取り上げられた者は
『耳白』が高値で扱われるごとく、良き働きをするものだ。

ただし、人は貝にあらず。『耳白』のように殻、すなわち上辺を磨くのではなく、心を磨くことが肝要だ。
一度武に志した者は、常に「こうであろう」と心を配り磨いてこそ、メシの種となるものよ。
今まで手柄の機会に恵まれずとも、事に慣れた者の武辺話など良く聞き、実践すれば、「利口者」と呼ばれても
非難されることはあるまい。それもまた、正当な立身の道である。」




770 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/05/08(土) 11:28:07 ID:Sp2NLOgJ
>>769
>女子の遊びの貝合わせ
実際は神経衰弱的な遊びだということを理解していても
反応してしまう

773 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/05/08(土) 12:37:24 ID:oFR1Ig8q
>>769
嫁入り道具だと漆や金箔でゴテゴテに塗りたくられた上に
絵を描かれたようだし、白くなくとも形が良ければおkだったかもw

嫁といえばプロポーズが「名前を教えろ」だったんだよな大昔は
名前つか真名?

774 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/05/08(土) 13:25:35 ID:HWAbs+JD
女には名前は一つしかないんじゃね?
名を名乗る事=支配下に入る事なんだろうね

775 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/05/08(土) 13:56:43 ID:O07T2+xb
この前の合コンで、誰も名前を教えてくれなかったのはそのせいか

776 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/05/08(土) 15:17:46 ID:QGo6TV9h
>>775
それはお前が…いやなんでもない

戸次道雪の諫言状

2010年03月01日 00:01

882 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/02/28(日) 20:18:12 ID:PKi4YTnt
大友宗麟といえば戦国期の代表的なキリシタン大名であり、その信仰により他の宗教を弾圧したことも
また有名である。
重臣、戸次道雪はこれを憂い、宗麟を諌める書状を送った

『今の豊後の有様は、殿が無道のみをなされた結果、天罰をうけ近年では戦に勝利出来ず、
評判は地に落ち窮地に陥っております。
殿のなさりようは他国からも批判を受け、犬を打って遊んでいるような童までこれを嘲っているとのこと。

筑前の秋月氏の領内では大友の「無道」を十ヶ条に書き上げ、領内のみならず隣国にまで触れ回っているそうです。
それを殿はご覧になったでしょうか?
そこには、大友領内の老若男女がキリシタンとなって寺社を破壊し、仏神を川に流し、また薪にし、
寺社の所領を没収して他の人間へ給与しているなどと書かれていると承っております。

口幅ったいようですが、日本の武士は源平以来、仏神の加護を祈って正義に基づき戦ってきたとされていますし、
神社仏寺を尊ぶことを専らにせよとも教えられてきました。

日本は一般に神国といいます。ご存知でしょうがこの「神国」とは、すべての神仏を尊重する国、ということです。
どうか、善悪についても、君臣の関係においても、そしてご信心においても、排他的な考えを持って
道理と天道に背かれるようなことをなさらないように。それこそが大切な事のです。』

道雪の思いがにじみ出た、諫言状である。




883 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/02/28(日) 20:36:12 ID:0T5uYgAL
>ご存知でしょうがこの「神国」とは、すべての神仏を尊重する国、ということです。

今も昔もこんな感じだよな。
日本が無宗教とか言ってる奴はこの辺分かってないんだよな。
日本は宗教ごっちゃにっつーか色んな神様がいておk、という国なだけ。

まぁあえていうなら土着神、精霊信仰(八百万神)が深く根付いてるけど。

920 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/03/01(月) 10:07:50 ID:tN9/PYx0
>>882
日本戦国版「出師の表」か…これ見て泣かざるは男子にあらず。