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宇喜多滅亡の端

2013年06月21日 19:50

903 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/06/20(木) 20:59:56.66 ID:CjYL87PR
文禄4年(1595)の夏、宇喜多秀家の妻(豪姫)が病に伏せた。その病状は物の怪に取り憑かれたようであり、
医者ではどうすることも出来なかった。そのため秀家は祈祷するようにと日蓮宗の僧徒に申し付け、
彼らは皆丹精して数日祈ったがその験無く、その後山伏が加持して平伏した。

秀家は日蓮宗に対して大いに怒り、「今後家中の者達は日蓮宗から改宗し、他の宗派になるように!」
と申し付けた。

この時、明石掃部頭(全登)はキリシタン宗を勧め、伴天連を呼び下したため、我も我もと
この宗派に傾かない者はないほどの状況となった。
しかし戸川肥後守(達安)は殊更に日蓮宗への尊崇が厚かったため、秀家に断りを入れて
そのまま日蓮宗を信仰した。その他、浮田左京充、岡越前守、花房志摩守、花房助兵衛、以下、
家中の半ばは戸川達安の一党と成った。

一方の長船紀伊守方には、中村次郎兵衛、浮田太郎左衛門、延原土佐といった者達が一味した。

明石掃部頭はこの宗門を広めただけで、両派いずれにも加わらなかった。

この様に宇喜多家中は和することが無くなり、常に騒動する状況となり、
そして遂にはこれが、宇喜多滅亡の端となったのである。
(戸川記)




904 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/06/20(木) 21:19:33.40 ID:AzboqeYI
浮田左京亮はキリシタンだよなぁ

宇喜多騒動に至る混乱の始まり

2013年06月19日 19:50

890 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/06/18(火) 20:24:14.97 ID:XgG5EsJu
宇喜多秀家の下で、中村次郎兵衛と言う出頭人が有ったが、これは秀家の妻の実家である
加賀前田利家の下より来たものである。また浮田太郎左衛門という先代からの用人があったが、
これも秀家の下で出頭した。

この両人は重臣の一人である長船紀伊守(綱直)と入魂の間柄となり、様々に密談して
伏見に登り、御内々を伺い、文禄4年(1595)春、家中に対して不意に『倹約のためである』と号して
宇喜多の分国悉く検地を入れ、かつ譜代の拝領した地では、良い土地は取り上げ所替りが申し付けられた。
これは皆、中村次郎兵衛の仕業であり、故に家中の者達は皆次郎兵衛を憎んだ。

さらに中村次郎兵衛達は、自分に親しいものを推挙し、疎い者達はほんの少しの事で閉門や遠慮が
申し付けられ、あるいは身上を滅ぼす者さえ有った。

家中の者達は薄氷を踏むような心持ちであったが、これらは皆、国元に居ない秀家からの上意として
命ぜられていたために、如何ともすることが出来なかった。
(戸川記)

家中騒動の原因で一番大きいのはやはり検地による所領問題なのだなと感じさせる、
後の宇喜多騒動に至る混乱の始まりについての逸話である。




891 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/06/18(火) 21:22:14.65 ID:CNn15Bhn
検地を使っての大名権力強化はリスクも高いな。

大名自身の移封が伴うならマシだけど、同じ封土の中での所替は
一所懸命の地を奪われる国人や家臣団の反発が大きくなる。

島津、宇喜多は典型的な失敗例だろうなぁ。
佐竹のような成功例は意外に少ない。

892 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/06/18(火) 21:37:04.31 ID:itwpMhOP
佐竹は豪族年始に託けて集めて皆殺しにしたからな

893 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/06/18(火) 21:44:27.95 ID:CNn15Bhn
南方三十三館なら検地よりだいぶ前だけど、他にもあったっけ?

戸川達安、朝鮮人を殺さず

2013年06月17日 19:56

870 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/06/16(日) 19:35:04.01 ID:AHliUhZn
宇喜多秀家の重臣である戸川肥後守達安は、朝鮮の役にも秀家に従従軍したのであるが、
達安はここで朝鮮の人を、自身で一人も斬ることはなかった。それにはこのような理由がある。

達安が朝鮮に渡って、刀で初めて朝鮮人を斬ろうとした所、その者は手を合わせ、声を上げて泣き叫んで
命乞いをした。その有様は日本の婦人や童にも劣るみっともなさであった。

彼はこの有様に驚いて、「これは武人の斬るものに非ず。」と思い、その後敵を追い討ちするような時も、
自身は刀を持つことはなかったと云う。

この戸川達安は、普段は大変な驍勇(強く勇ましい)の人であり、家来を手討ちにするときや、
罪人を処刑するときも自ら行なっていたほどであったのに、それとは異なり、異邦においては
一人も人を殺さなかったのである。
(戸川記)

戸川達安、朝鮮人を殺さず、というお話




871 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/06/16(日) 20:34:46.86 ID:KhzSoy2o
あっちは文治の国だからねぇ

872 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/06/16(日) 21:04:31.30 ID:+MsBt9f5
自ら殺す価値が無いと言ってるだけで文治とか無関係じゃないか

873 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/06/16(日) 21:57:12.89 ID:E1i6Xco3
軍人の地位が低いからその分軍人が持つプライドも低いんじゃないかってことでないの

上に立つものが見苦しく命乞いするのはどうかと思うけど
下っ端も下っ端ならそりゃそうでしょって感じだし

874 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/06/16(日) 22:39:47.51 ID:iXOxPba9
>>870
すごくイメージどおりの朝鮮人なのがなんとも言えんな

875 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/06/17(月) 02:21:55.65 ID:4K12nAzm
太平洋戦争の時でも朝鮮兵は同様だったから、それが国民性ってこったね

876 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/06/17(月) 07:16:24.97 ID:YbkXtjY1
武人の斬る者でないならまとめて押し込めて火掛けりゃいいって第六天魔王さんがゆってた

宇喜多直家、家老の子を

2013年06月16日 19:15

853 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/06/15(土) 20:38:03.29 ID:57YiH2sk
織田信長の部将として、羽柴秀吉が播州に進出する頃までは、宇喜多直家も毛利に属していたのであるが、
隣国であるゆえに、直家は数年の間、別所と秀吉の弓矢の体を研究して、
家老である戸川秀安に密かにこう言った

「信長、秀吉の鉾先は、我々の及ぶものではない。その上彼らは賞を重くし爵を軽んじている。
それ故に人はこれに懐いている。
我々がこれに属することをせず、後で後悔しては何にもならない。

私は急ぎ秀吉を頼りに信長に属したいと考えている。そなたはこれをどう考えるか?」

戸川秀安はこれを聞いて

「仰ることはご尤も、言われる通りだと思います。そのお考えを、急ぎ実行すべきです。
このような事は延引きしては、その功を立てるのが難しくなります。」

と申し上げたが、直家は

「それも去る事ではあるが、そなたの二男である孫六が、毛利への人質として備後に置かれている。
私はこれを捨て殺しにするのが忍びないのだ。」

と、自分の思いを伝えた。しかし秀安

「御家の大事と、幼稚のもの一人ばかりを取り替えることが出来ましょうか?
その事を気にかける必要はありません。」

そう言って、絶って信長へ属することを勧めた。これには直家も大いに感心し、

「それならば、孫六の事は後日に手立てをし、とにかく直ぐに秀吉を頼もう。」

と、その工作を整え、天正7年より信長に従い、播州での秀吉の合戦にも加勢を出し、
毛利家には手切れの使者を遣わし、『そういうわけなので人質を返してほしい』と伝えたが、
勿論毛利がそのような事を承知するはずもなかった。

このような中、直家は毛利の外交僧である安国寺恵瓊が、所用が有って上京するという情報を
察知した。「これこそ絶好の機会だ!」と、京の安国寺の許に使者を立て、

『ご帰国の時、備前に立ち寄ってください。内々のご相談をしたいことがあります。』

と申し送った。これにより安国寺が帰国の際に備前に立ち寄った所を押さえて監禁し、
安芸に使いを送り

『戸川平右衛門(秀安)の子・孫六をお返し頂きたい。さもなくば
安国寺恵瓊をこのままこちらに留め置きます。』

と申し渡した。この事態に毛利家でも様々に議論されたが、『それでも安国寺は捨てがたい』と、
人質との交換に同意すると決まった。

そして備中何邉川を隔て、互いに人数を出して川中で行き違い様に双方を引き換え、
終に孫六を連れ帰ることに成功した。

戸川秀安は直家が自分の子を取り返してくれたことに篤く感謝をした。
この孫六は後に助左衛門を名乗り、宇喜多家に仕えたそうである。
(戸川記)

宇喜多直家、毛利への人質を取り返す、というお話。




854 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/06/15(土) 20:55:33.13 ID:qbbrMiMl
どこ辺で暗殺されるのかとビクビクしたが
すごくイイ話な件(´・ω・`)

856 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/06/15(土) 21:06:03.57 ID:Z0/rxtu5
人質返してくれとかストレートに言いすぎだろ
どれだけ相手を信用してるんだ?

857 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/06/16(日) 00:33:52.53 ID:E1i6Xco3
まあダメ元で一応言ってみたって感じなんだろう

858 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/06/16(日) 07:33:16.23 ID:TanzOudz
愛され坊主安国寺

859 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/06/16(日) 08:50:26.39 ID:VSlMgNCv
>>856
意外にそういうこともあるんじゃないの?
小牧長久手のときも秀吉方の池田に織田信雄が人質返してるしな

860 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/06/16(日) 11:02:06.53 ID:tBHH/roo
>>856
普通に考えれば宇喜多直家が律儀な正直者ってだけだろ

861 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/06/16(日) 11:10:59.97 ID:UVJmsyTD
すっげー違和感があるけどな

862 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/06/16(日) 12:06:42.81 ID:da24ZRSI
だが待ってほしい
直家の悪行のほとんどは軍記物がソースではなかったか
ゆえに悪行はなかったということもありうる!

863 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/06/16(日) 12:35:42.72 ID:ZR3LCTMl
>>862
最近本出てたからそれ読んだ方が早いよ

864 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/06/16(日) 12:37:01.28 ID:qi2OIALG
>>863
kwsk

865 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/06/16(日) 12:45:49.78 ID:lspbdD/+
妙な申し入れしたら勘繰られるの目に見えてるし裏で動いてると警戒されたら後で坊主ふんじばるのも難しくなるじゃないですかー

正々堂々手切れしといて相談が・・・ってやったら外交上の問題か、で寄ってくれる可能性はあるけどさ。

866 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/06/16(日) 12:47:12.90 ID:ZR3LCTMl
宇喜多直家・秀家って本

867 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/06/16(日) 12:48:41.64 ID:qi2OIALG


敵となり味方となるのも、前因後果の報いなのだ

2013年06月12日 19:51

451 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/06/11(火) 20:25:35.22 ID:7kCSsO88
備前瀧口城といえば、宇喜多直家が美少年の岡剛介を使い、乞食の老婆を母と偽るなどして
城主である松田氏家臣・サイ所元常を騙して暗殺し、城を奪い取った事で有名だが、この瀧口城は備中の
三村家親による備前侵攻の時に奪われた。

そこで永禄七年(1564)、直家は松田氏などと和解した上で同盟し、瀧口城を攻め、7月9日に、
ついに城の奪還に成功した。

さて、同月11日、宇喜多直家から瀧口城で三村方として戦った、備中幸山城主・石川源左衛門久式に
使いが送られた。

『今回は国人達が不意に合戦に及んでしまい、我々は呉越を隔てることになりましたが、
これは全く私の本意ではありません。

瀧口城の傍にある福輪寺から、討ち死にされた方の死骸を集め置きました。
雑兵の死骸は、福輪寺にて葬礼をいたします。』

直家はこのように申し寄越した。
石川久式はこれを聞いて、直家の懇情に感じ入り、返答を送った。

そして脇田村で討ち死にした石川方の将・小田小太郎の死骸は、彼の郎党である
名越修理と有岡右京が行って福輪寺の山の峰で葬礼をして墓所を築き、印塔を立てた。
また討ち死にした兵429人は、同所の峰に3つの塚を作りそこに取り納め、それは
福輪寺の首塚と呼ばれるようになった。

この後、備中と備前との交通が絶たれたため、備中の諸士でこの合戦で討ち死にした者の
子孫や親族は、2月、7月、8月の彼岸に、代理の僧を福輪寺に立てて墓所に火を灯し
墓に水をかけた。

宇喜多直家が毛利家に従い幕下に入ってからは、直家はこの地の郷民に申し付け、
墓所に石塔を建て、7月13・14日には脇田村、湯廻村、四之御神村の峰々に数万の火を燈し、
討ち死にの子孫、士農工商旧功の恩を思い出し、酒菓を供えて供養した。

宇喜多直家はこのように言った
「敵となり味方となるのも、前因後果の報いなのだ。仇であっても善の心で報いる事が、
義士道というものである。」

これを聞いた、ある古い武士は、こう感想を洩らした
「直家は計略の謀の手腕を持ち、毛利家の威を借りて、まさしく家を興す人物であろう。」

【中國兵亂記】

宇喜多直家の、備中の国人懐柔策の一端が見えるような逸話である。

表面的にはいい話なんだけど、そのとおり受け取っていいのかどうかちょっと迷うのは
直家の人徳なのだろうなw




452 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/06/11(火) 22:02:19.19 ID:NnZK3DSB
直家が生前に周囲から警戒されたのは本当に晩年になってからの小早川隆景と伊賀氏からくらいだからね。

一度浦上宗景に反旗を翻しても許されて味方増やしてるくらいだし。
真の謀略家とは人徳があって信頼される人物でないとなれないんだろう。

453 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/06/11(火) 22:32:09.22 ID:qgKBMWpr
忠家「…お、おう」

454 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/06/11(火) 22:44:27.52 ID:K+2XHs9B
逆にそこまで身内だと怖さがわかっていても、
もうちょい距離のある人には自分だけは大丈夫と思わせる何かがあるのかな

455 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/06/12(水) 00:02:25.27 ID:Vc+Sdv0A
戦で人がたくさん死ぬのが嫌っていういう健気な人だから
守ってあげたい感じになったのかも

456 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/06/12(水) 00:03:16.33 ID:OJeB81yf
>>455
直家のことだと理解するのに時間がかかった

457 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/06/12(水) 00:06:00.19 ID:/qj52nhH
時間がかかった、て
一分もレスまでに経ってないやん

458 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/06/12(水) 08:40:35.68 ID:eNWMgWw/
誠実な人物だと思わせていないと人を騙せないからな

459 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/06/12(水) 10:07:39.79 ID:+e/Yj0vr
あんなに敵対してた
島津と立花が関ヶ原では同じ西軍だったり
直家の逸話も素直に感心する俺みたいな奴は
暗殺されるのだろうな

猪口佐治兵衛、手柄なる死に様

2013年05月10日 19:52

584 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/05/10(金) 07:35:31.39 ID:PxVdPn1x
備州宰相宇喜多秀家殿の家中に猪口佐治兵衛という侍が有った。
剛強の士であり、筑紫陣(九州征伐)、四国陣にても度々の誉れ有る侍であったが、
些かの事があって、秀家より、山村、有岡、片瀬、一原といった歴々の侍に、彼を討つよう
命ぜられた。

この四人、猪口は屈強手柄の者であるので、計略によらねば彼を討つことは出来ないと考え、
互いに相談した上で、次の日の早朝、四人揃って猪口の家を尋ねた。

早朝のため猪口は未だ起きていなかったが、先に起きていた猪口の女房がこれを見て、
「歴々の方々がおいでになりました」と猪口を起こして、下女に献茶を沸かせた。

そうしているうちに猪口も起きてきて、大脇差をキッツと反らせて差し、
「あなた方は早々に御出でになられて、どうしたのか?まあとにかくお上がり下さい。」
と、四人を家に上げた。彼ら、座して言うには

「実は今日は暇になりまして、あなたを驚かせようと早朝に出てきたのですが、
あまりに早くなりすぎました。そんな事なので特にお尋ねするようなことも無く
こちらに罷り越したのです。」

ここに女房が「どうぞごゆっくり。御茶を沸かしましたので、ぜひ一服して行って下さい。」
と四人を留めて座敷を自ら片付けている所に、猪口の脇差も取って勝手に置き、それから
茶を出した。

四人はこれを飲みつつ雑談などして時刻も過ぎる。この間猪口の隙を伺っていたが、
用心厳しく、討つべき隙を見出すことは出来なかった。
とにかくこれは首尾が悪い、今回は無理だと考え、
「ではそろそろ帰ります。明日またお目にかかりましょう。」
と、おいおいに立ち上がると、猪口は
「早々のお帰り、名残惜しいことです」と彼らを見送りに庭へと出、四人に向かって礼をした所、

「!」

有岡、刀を即座に引きぬいて打ち付ける!猪口、頭から肩にかけて骨まで達する傷を受ける

「心得たり!」

猪口そう叫ぶと刀引き抜き、弓手(左)の肩を斬り下げ、二の太刀にて無二無三に斬って懸ると
有岡は深手を負って退いた。残る三人、門の外で刀を抜き猪口に掛かろうとする。

猪口は女房に「この傷を結わえよ!ふらめいて悪しきぞ!」と、家の中で手ぬぐいで傷を結わえさせると、
二尺七寸の太刀を引きぬいて出、三人を相手に散々に斬り合う。

ここで女房は、火を炊いたばかりの熱い灰をかき集め、夫と斬り合っている三人に向かって浴びせかけた!
灰は彼らの胸に入り目を潰し、方角を見失った所に猪口踏み込み、死狂いに斬りまくり、終に刺客の四人全てを斬り伏せた。

宇喜多秀家は猪口を仕損じたことを聞くと、百人ばかりの勢を出して猪口の家を弓鑓にて八重に取り囲む。
猪口はここで「今は思いつく敵は尽く討ち取った!もはや思い残すことはない。」と、腹を掻っ切って死んだ。
これを見聞きした人々、「このような手柄なる死に様はない」と言って、褒めぬ人は居なかった。

その後猪口の女房は召し捕られたが、
『こんな女もあるものか。彼女はあの事態の中少しも取り乱さず、亭主を却って取り回し、
置き灰を浴びせかけ歴々の者を討たせた。男であっても中々出来る事ではない。急ぎ家財を返還し
故郷に戻すべし』とされて、親元へと送られた。

これも大変名誉のことであると、褒めぬものは居なかった。
(義殘後覺)





585 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/05/10(金) 10:49:16.49 ID:aRwiAAEQ
直家「下手じゃのう」

586 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/05/10(金) 10:55:57.85 ID:+w/xDqSI
義輝「猪口とやらには共感を覚える」

589 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/05/10(金) 14:57:54.03 ID:D/MFbD91
>>584
>些かの事があって
省略される程度の事柄で討ってしまうには惜しい侍だな・・・

590 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/05/10(金) 18:42:15.84 ID:8RwOjXbu
歴々、なんて書かれる以上彼等も手練れだろうに、行き当たりばったり感満載で、四人に全く歴々感がないな……

宇喜多直家の事

2013年04月04日 19:51

148 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/04/04(木) 00:16:11.30 ID:In+/la0l
浦上は赤松の家老であったがやがて備前国の主となり、天正2年までその地位を堅固に
守っていたが、家老に直家(宇喜多直家)と申す人が有り、この直家の一門隆盛して
浦上を追い出し、備前一国を進退した。

彼は主君の妻女も捕らえ自分の妻にせんと企んだが、彼女が常に端刀を離さず覚悟を決めて
おられたので、終に諦め播磨の親のもとに送ったと聞いている。
これは天正2,3年頃のことであった。

直家は天正の年号に相果てた。その子息の中納言(秀家)は、慶長5年(関ヶ原)の事で
八丈島に流された。これは全く、父親の悪行の報いである。
(三好記)




149 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/04/04(木) 00:29:11.27 ID:62GD+v6o
暗殺しまくったことには触れてない…

主君に対しての反逆は悪行だけど、親戚や同僚も含めて殺しまくったことは
悪じゃないのかね?

150 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/04/04(木) 08:24:31.24 ID:5Tg4IDsV
その親戚や同僚が悪事を働こうとしていたのです(棒

151 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/04/04(木) 08:39:37.78 ID:8qz0nNUC
暗殺だなんて人聞きの悪い。少し早めに身を守っただけだよ(棒

152 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/04/04(木) 11:04:16.14 ID:Sqhyb1II
親の報いと言う割には栄達重ねてるのはどうなのか

153 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/04/04(木) 11:17:29.84 ID:nqUW/6K2
流れる血は1000人より1人がいい

人を愛する武将うっきーくんカコイイ(棒

秀安は忠家の気質をよく知っていたので

2013年01月30日 19:50

222 名前:人間七七四年[] 投稿日:2013/01/30(水) 07:46:43.69 ID:ro4mP+NL
ある時、宇喜多忠家は直家の家老・小野田四郎右衛門を討ち、これに直家は激怒した。
忠家は怖れて居城・富山城(とみやまじょう)に引き籠り、直家の呼び出しにも応じないため
もはや叛意は確実と見られた。
ここで岡家利・長船貞親らは日頃忠家と仲が悪く、これ幸いと直家に討ち果たすべしと讒言した。
戸川秀安は忠家の乳母の子だったのでこれを嘆き、某にお任せくだされと願い出て
富山城へと向かった。

富山城に着いた秀安だが、説得など一言もせず城攻めの用意を始め、
仕寄を設け井楼を用意し、これでもかと城攻めの気勢を見せつけたところ、
忠家はこの勢いに恐れをなし、起請文を出して降参してしまった。
これを秀安がうまく取り繕ったので和睦となったのである。

秀安は忠家の日頃臆病な気質をよく知っていたので、こんな方法を取ったそうだ。

(戸川記)


戸川秀安、無言の脅迫で乳兄弟を救ったいい話。





224 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/01/30(水) 08:58:32.27 ID:7XZCZzFN
・・・で直家に詫び入れるときは鎖帷子を着込んで登場ってわけですね

227 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/01/30(水) 21:43:21.71 ID:4c/Ysv3g
戸川△

宇喜多直家と殉死

2012年11月19日 19:53

460 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/11/18(日) 20:53:32.97 ID:RAK6Tl5l
宇喜多直家と殉死

宇喜多直家と殉死の話はまとめスレにもあったけどこのパターンは無かったので

宇喜多直家が危篤状態に陥った時、左右に居並ぶ家臣達に
「わしが死んだら、誰が殉死してくれるだろうか」
と言った。家臣達は内心慌てたがただ口を閉ざしたままであった。しかし、ある家臣が一人
直家の近くに膝を進め
「殿、よくお聞きください。ここに居る家臣は皆賢臣、忠臣です。
将来世継ぎの秀家様を支えていく者達です。
そのような家臣をあの世につれていって無駄にして良いものでしょうか。
どうせあの世に連れていくならば坊主を連れていくべきです。」
と言った。直家もそれ以降殉死を口に出さなかったそうな。
「閑際筆記」

確かに次世代の事考えると殉死はアレだからいい話っぽいんだが、ただこの家臣が花房某って
記録されてるんだよなぁ

花房氏は結構宇喜多騒動で出て行っちゃってるから場合によっては悪い話かもしれない




478 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/11/19(月) 22:46:35.24 ID:9Ngaa4lD
>>460
大体どのバージョンも宇喜多騒動で居なくなった家の人間が言ってなかったっけ

明石レジナの事

2012年09月28日 20:59

650 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/09/27(木) 21:50:03.28 ID:NErhFr3o
明石掃部(全登)といえばキリシタン武将として、大阪の陣で活躍したこと、有名である。
その明石掃部にはレジナと言う娘があった。
彼女は大変聡明な女性であり、父からも子供の中で最も愛され、大阪城にも父とともに入城した。
城内では淀殿から大変可愛がられ、ゆくゆくは一廉の領主と結婚させよう、と言われるほどであった。

慶長20年(1615)5月7日、大阪城陥落。
幕府方の兵が乱入し、レジナを見つけると暴行を働こうとした。レジナはこれに、命がけで激しく抵抗した。
そうしているうちに幕府方の兵の中から

「お前は何者か」
と聞かれ

「私は明石掃部の娘である!私を大御所様(家康)のもとに連れていきなさい!」
そう答えた。

兵士たちは彼女の要求を聞きとどけ、家康の元へと届けた。

レジナの事を聞いた家康は彼女と対面した。
家康はレジナの気高い態度にすっかり感心し、それを大いに褒め称えた。
彼女のことは異教徒の間でも評判となり、彼らはキリシタンを賞賛した。
そして家康は彼女の身柄を、家康の側室の一人である”オカモ”という女性に預けた。
その側室や周りの人々も彼女の態度、振る舞いに感心し、丁重に扱った。

大阪の陣の戦後処理にめどが付き、家康が駿府に帰るという時に、家康は再びレジナと対面した。
家康は彼女に、その父で戦後行方不明となった明石掃部の行方について尋ねた。
彼女は「時分は屋敷の中に居たので解らない」と答えた。
また自分の兄弟は5人いるが、そのうち一人はキリスト教の修道士になった、ということも答えた。

彼女は家康の前でも落ち着き、誠実に答えたので、その姿は家康の側近たちも賞賛するほどであった。

質問を終えると家康はレジナに、
「そなたは今後も、キリスト教への信仰を持ち続け、父である明石掃部の霊魂のため祈りを捧げるように。」

と言って小袖一枚と銀子を与えた。その上でさらに

「そなたが自由に、どこにでも行く事を許可しよう。もし北政所の所に留まりたいと思うのなら、私がその斡旋をしよう。」

とまで言った。しかしレジナはこれに

「私は恵まれない環境に身を投じることこそ、キリシタンとして神への純潔を守ることが出来るのだと考えています。」
と答え、その申し出を断ったのだという。

キリシタンの記録に見える、明石掃部の娘、レジナについての逸話である。
(シュッテ「1614-15大阪の陣と日本の教会」)




651 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/09/27(木) 21:58:22.94 ID:pml4fx5k
Reginaだと女王という意味だが
さすがに大層な名前ではないだろうし

653 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/09/27(木) 22:04:27.16 ID:vYIjAbG1
この頃って禁教令が出てるよなぁ

657 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/09/28(金) 01:33:25.63 ID:m7NvOGZk
「連れていけ~」って言えば家康の所に連れてってくれるのねw

富田知信改易顛末

2012年05月10日 21:00

101 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/05/10(木) 11:32:59.96 ID:vSBf0zO7
ある時、坂崎直盛は近くで召し使っていた小童を罪があったとして処断した。
その小童と知音のあった浮田左門は仇を討とうと決意し、童に手を下した者を
殺害して坂崎家を出奔した。

直盛の父・安心入道は左門が殺されるであろうことを哀れんで富田知信に文を送り、
左門を匿ってくれないかと頼んだ。知信の妻は直盛の姉であった。
知信の妻もこの事態を嘆き、結局知信は左門を匿った。直盛は知信を追及したが
知信は「今は逐電して家にはいない」と白を切った。

頭にきた直盛は直接安濃津城へと赴いて捜索したが、見つからなかったようで
今度は伏見にいた知信と一戦交えようとさえした。さすがにそれは不味いと
周囲に戒められた直盛は家康に訴えでたところ、家康は
「天下のことは将軍に譲った。江戸にて上裁を仰ぐことだ」
と答えた。そこで秀忠に訴えたところ「証拠がない」と突っぱねられたため
直盛の憤怒は相当なものであったという。

それから数年の歳月を経ても、直盛は執念深かった。
直盛は突如として、知信が左門と繋がっている証拠を幕府に提出したのである。
その頃、左門は知信と親しかった高橋元種のもとに潜伏先を移していた。
実は左門と一緒に逃げていた侍が裏切り、坂崎家に帰参するために、
知信の妻が左門に宛てた文を直盛に渡してしまったのである。

狂喜した直盛は証拠をつきつけ、知信と元種は言葉に詰まり、ついに改易された。
一方、左門も捕縛された。左門は土井利勝らの警固で輸送される途中、縄を解き、
警固の刀を奪って暴れまわったが、土井の家臣・藤左衛門に組み伏せられ、
最後には誅せられたという。




102 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/05/10(木) 13:07:39.25 ID:wrAZjjBi
知信=信高でその妻ってのは安濃津城戦でピンチの旦那を助けに出撃した例の人でいいんだよね?
なんか釈然としない巻き込まれ方して改易食らってたんだなあ、そして安定のマジキチ坂崎

103 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/05/10(木) 13:40:01.00 ID:kiMsfJNv
こんな改易のされ方って有りかよ・・・
超がつくほど後味が悪い

104 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/05/10(木) 13:54:02.15 ID:CBZogoyl
一族郎党皆殺しにされた某せっしょう関白よりマシ

105 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/05/10(木) 13:59:44.84 ID:4ogxsfHj
殺生なことするよな

106 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/05/10(木) 14:26:05.10 ID:w/K8TT8E
なぜ伯父のような用意周到さと父のような用心深さを身に付けなかったのか残念でならぬわ < 坂崎

107 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/05/10(木) 16:01:03.31 ID:QxmBCIxX
犯罪人をかくまったんだろ?現代でも罪になるよ

108 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/05/10(木) 16:45:23.01 ID:XaNNPDHV
左門も処刑人を殺害するんじゃなくて直接坂崎を仇討ちすればいいものを
坊主を殺すかわりに袈裟を切ったんじゃ、なんだかなぁ

109 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/05/10(木) 17:55:48.79 ID:L+liZV1+
道雪を宿敵とする秋月種実の実子で、紹運に家督を奪われた高橋鑑種の養子である
高橋元種が、この改易後に棚倉の立花宗茂の預かりになって面倒見てもらったっていうのも
元種としては辛かっただろうな

110 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/05/10(木) 20:49:44.40 ID:CC6EiYze
>>109
http://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-4732.html

これのことかな?

111 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/05/10(木) 22:14:25.93 ID:9AcK8kMs
秋月種実って立花・高橋コンビ相手に毎回負けてるのに何故か負けるたびに所領が増えてるイメージ。
1度大友に滅ぼされてから復興して島津侵攻前には30万石以上を領する北部九州1の大勢力だったし。

114 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/05/11(金) 09:12:29.25 ID:C3wWIHI3
>>108
この左門て人は直盛の甥らしいよ。
て事は多分忠家の孫。
血縁だから余計に色々な事情があったんじゃないの?

115 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/05/11(金) 11:54:34.55 ID:44V+1Lhw
>>106
伯父の執念深さを見習い父の臆病な保身を反面教師にしました!

って勢い

116 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/05/11(金) 16:30:33.74 ID:Wog8g69N
泳ぎの達人はどうしてあんなんになったんだろうな~
一族の洋な部分を集めたような性格だよね

009のガンダールさんを思い出すわ~

117 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/05/11(金) 16:33:07.62 ID:FpwYnF0T
秀吉「八郎はわしが育てた。」

118 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/05/11(金) 17:32:22.75 ID:Wog8g69N
ラスボスさんの洋の部分までも…ってことですか?

119 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/05/11(金) 21:26:20.00 ID:bOlIM1Vz
その後
>>118とその家族を見たものは居なかった。

120 名前:人間七七四年[] 投稿日:2012/05/11(金) 21:29:27.59 ID:ZeoJTVo/
>>119
え?川原に転がってたのを見かけましたよ?

鼻だけね・・・・・

その後のスケベエさん

2012年02月25日 21:52

69 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/02/25(土) 14:53:38.68 ID:Ro53h6Zl
その後のスケベエさん

関が原の戦いの際、佐竹家の動向を徳川家康に問われた花房助兵衛職之(職秀)は、「佐竹は動かない」という
見解を示したが、『見解について起請文を書け』との要求を断って「あやつは気が利かぬ」と
家康の不興を買ってしまい
大名への出世の機会を逃した。(http://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-214.html


十数年の歳月が過ぎた大阪冬の陣。
茶臼山に本陣を構えた大御所・家康は、輿に乗って配下を叱咤する老人の姿を眼に止めた。

「あの老武者を見よ!もはや足が萎え果て、馬にも乗れぬゆえ輿に乗っているのであろうに、あの姿勢、声の張りは
ヘタな若武者どもをしのぐわい。いったい何者だ?」
「ああ、あれは助兵衛殿ですな。」
「助兵衛?助兵衛・・・すけのひょうえ・・・花房助兵衛か!まだ健在であったか!!」

関が原の戦いの後、八千石を給され、備中高松に陣屋を構えた花房家は今回、池田忠継の寄騎として
参加を命じられたが、齢六十も半ばを過ぎんとする助兵衛は、嫡男に任せず自ら出陣して来たのだ。

「さすが助兵衛。日々武辺を心がけた者は、あの齢で出陣しても見事な武者ぶりよ。大剛の者と言うべし。」

将としては評価できなかったものの、老いてなお盛んな助兵衛に感心した家康は、池上本門寺の僧になっていた
助兵衛の次男を還俗させ、徳川四天王・榊原家の養子として榊原飛騨守職直と名乗らせ、将軍秀忠の直属に置いた。
(忠士清談・徳川実紀他)

助兵衛は大坂夏の陣後に世を去っていますが、その後、長崎奉行等を歴任した職直は知行二千五百石の
大身旗本に出世しています。これに本家の知行を合わせると一万五百石。
万石を目指した助兵衛の悲願は死後に達成された、というのは言い過ぎでしょうか。

・・・え?「島原の乱」?「抜け駆け」?な、何のことやら拙者にはさっぱり・・・・・・





71 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/02/25(土) 15:38:01.32 ID:FU7Yeoyp
いい話かと思ったら、余計な最後の一行がw

花房助兵衛職之、友人への書状

2011年12月18日 22:01

67 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/12/18(日) 15:53:40.71 ID:2PhTy4Yv
主君、宇喜多秀家の怒りをかって殺されそうになった花房助兵衛職之は、
家康の仲裁でお預けとなった佐竹義宣の領地から、友人に手紙を送った。

「このあいだ御状をいただきましたが、片便につきお知らせが遅くなってしまいました。
 拙者は思いがけずこちら(常陸)に罷り下り、遠国に住むことになりました。
 罷り退くことになった事の次第はきっとお聞き及びでしょう。
 これ以上生きても仕方のない身ではありますが、是非もありません。
 しかしながら、上様が御慈悲で少々堪忍料を仰せ付けられ、かたじけなき次第です。
 
 ああ、今一度お目にかかりたい!(哀々今一度懸御目度念願迄候)
 御事が親しい仲と思し召されてご連絡をくださったのは本当にありがたい。
 できたら、隆景様にお取り成しをお頼みしたいと思っております。
 
 道三(曲直瀬玄朔、秀次事件で連座して佐竹に預けられた)もこちらに逗留しています。
 拙者が居住しているのはいかにも人通りの絶えた山中ですので、
 折につけ道三と行き来して、寂しく語り合っています。どうかお察しください。
 せがれ(職則)も連れてきており、一緒にいます。ご承知おきを。
 それではまた。恐惶謹言
 
  広家様へ      花房助兵衛尉入道 道恵より」(吉川家文書)

秀吉に悪態をつき、秀家に果敢に諫言し、後には家康にも噛み付いた助兵衛さんだって
虚しかったり人恋しかったり友への懐かしさに胸震わせることもあるんだね。

68 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/12/18(日) 16:24:06.14 ID:2PhTy4Yv
>>67の余談ですが。
助兵衛さんは黒田長政とも仲が良かったようで、
同文書を見る限りでも、長政から広家宛の自筆書状に
「花助兵と談合します。私のところでは人が多いから、夜に助兵のところに来てください」
てな感じで登場している。時期が不明なのが惜しい。
このメンツでいったい何の密談をしてたのか激しく気になる。
豊臣政権下で築かれた武将同士の横のつながりって面白そうだ。




69 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/12/18(日) 16:48:56.73 ID:23WqZsF8
>67
また「広家様」か
名前を書くのさして珍しくないのか
それとも広家だけの現象なのか、どっちだ

70 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/12/18(日) 16:55:18.81 ID:PyQIR91i
>>69
珍しくないよ
口に出して呼ぶのは憚られるが
書状ならOKって感覚なのかな

71 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/12/18(日) 18:52:12.47 ID:7NMiqQFQ
諱って文書や書類用の呼び名なん?

72 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/12/18(日) 19:50:43.33 ID:xGSQNhVv
書状に諱を使うのは、現代でいう欧米でファーストネームを呼ぶような、親しみを込めた表現。
当然ある程度以上親しい人でないと、使うのははばかられるし、逆にある程度以上親しいのに
諱を使わないのは、ちょっと空々しいと取られる。

書状も出す人それぞれで、色々と空気を読んだ表現を使わないといけないのだ。


73 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/12/18(日) 20:16:03.81 ID:8efod3Ub
広家って吉川広家の事か
>>68は助兵衛がまだ上方にいる時期って事だろうから1595年以前かな?
文禄と慶長の間くらい?

雑談・「秀家は“イケメン”で毎日~」

2011年10月10日 22:02

26 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/10/10(月) 01:04:09.69 ID:FEtpyh3C
【岡山】戦国の貴公子・宇喜多秀家フェス-秋のおかやま桃太郎まつり
http://raicho.2ch.net/test/read.cgi/newsplus/1318170215/
http://www.sanyo.oni.co.jp/news_s/news/d/2011100914061382/

>開会式には、関ケ原の戦いに敗れ、秀家が身を寄せた現在の鹿児島県垂水市から尾脇雅弥市長が招かれ、
>「秀家は2年3カ月を垂水で過ごした。“イケメン”で毎日100人ほどの女性が会いに来たと伝わる」と紹介した。

イケメン過ぎて吹いたw




27 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/10/10(月) 12:41:00.81 ID:e88ZHWgL
ハーレムというか種馬あつかいだったんじゃねw

28 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/10/10(月) 12:45:08.58 ID:pAe/LEC5
名家の血が欲しいてきなノリだろうね

29 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/10/10(月) 17:01:19.51 ID:SuUpNvQq
宇喜多はさほどの名門じゃないんだがなぁ

30 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/10/10(月) 17:09:52.12 ID:rGjYpr2Y
どこから貴公子なんてイメージがついたんだろう
肖像画はすっきりしたイケメンて感じだけどさ
もしかして性格イケメンてことか

31 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/10/10(月) 17:28:44.85 ID:TtMC7Kev
血筋というより
・備前岡山57万石の太守で
・秀吉の猶子にして養女婿で
・五大老の一人
っていう地位のブランドかねえ

32 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/10/10(月) 17:31:02.82 ID:rGjYpr2Y
あと五大老で一番若い ってのもあるのかな

33 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/10/10(月) 17:31:30.34 ID:pAe/LEC5
確かに名家っていうよりは有名人的な感じか

34 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/10/10(月) 17:35:54.14 ID:ZPuOiCQZ
>>31
それに加え西軍の主力として戦ったという点。
ちょっと前以来、女(歴)オタというと西軍びいきと相場は決まっているしね

35 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/10/10(月) 17:39:18.90 ID:1pidI2ut
悪久「秀家Jr大量生産の暁には徳川軍などあっという間だ」

36 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/10/10(月) 18:31:42.78 ID:CyP1LWUJ
海から江戸を直撃できるな

37 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/10/10(月) 18:44:17.81 ID:6hEMia+Q
>>29
自称だが百済王家の末裔

わしが離島に流されておる世に、蜂須賀の家はなぜ

2011年08月29日 22:43

582 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/08/29(月) 19:56:56.85 ID:J74Cp+SV
ある時、八丈島に江戸への廻船が漂着した。さっそく宇喜多秀家がやって来て、船頭に本土の事を聞いた。

「ほほう、江戸へ荷を運ぶ舟か!して、どこからの荷を運ぶのだね?」
「はい、阿波からの荷を運んでおります。」
「阿波か……今、阿波のご領主は、どなたかな?」
「松平阿波守様でございますね。」

秀家は、小首をかしげた。
「……?聞いた事のない家だ。徳川殿のご親戚か?」
「おや、ご存じない。なァに、蜂須賀様のことですよ。公方様から、松平姓を下賜されておいでです。」

ますます秀家は、首をひねった。
「わしが離島に流されておる世に、蜂須賀の家はなぜ今も存続している……?」(想古録より)


一方その頃、蜂須賀家政は伊達政宗に『阿波の古狸』と呼ばれていた。




583 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/08/29(月) 20:13:16.48 ID:N3FqdAgo
>ある時、八丈島に江戸への廻船が漂着した。さっそく宇喜多秀家がやって来て

また酒をせびりに行ったのかと思ったよw

584 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/08/29(月) 20:29:52.40 ID:G7S70noy
>>582
蜂須賀家と宇喜多家って何か確執あったっけ?

585 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/08/29(月) 20:30:31.28 ID:q5Apfb6S
漂着した船に最初に近づくのは宇喜多秀家と決まっていたと想像させるなw

587 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/08/29(月) 20:36:02.04 ID:EzRAhmuq
何も無くて暇なんだろうな…

588 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/08/29(月) 20:36:37.99 ID:HzqxeYRg
>>584
「えっ、あのおっさん西軍やったやん?」くらいじゃねーかな?

589 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/08/29(月) 20:55:35.78 ID:eG7S93P8
関ヶ原時は家政は高野山にひきこもり、息子の至鎮は東軍についたから
西軍じゃなくないか

590 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/08/29(月) 20:56:32.12 ID:YhD5zXjH
>>582
そういや秀家が知ってるのは「湯漬け三杯食ったと思ったらいきなり領地返上して高野山に引きこもった」ところまでだったな。

591 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/08/29(月) 20:58:32.01 ID:EzRAhmuq
>>589
西軍に攻められてあっさり城明け渡したから
事情詳しくない人には加担したと見られてもおかしくないかも

592 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/08/29(月) 22:07:47.30 ID:CSlBG1Vt
しかも至鎮が率いていたのは、十数人程度の小勢じゃなかったっけ?

593 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/08/29(月) 22:22:08.48 ID:e96XCm4/
阿波国内は毛利氏の家臣団が占拠された上、家政自身は逼塞を余儀なくされたみたいだし、
蜂須賀家政が西軍という認識は秀家にはなかったと思うけど、おそらくは蜂須賀といえば正勝以来の
豊臣家にゆかりの深い家だっただけに、「あれ、取り潰されてないんだ」という違和感を持ったって話かな

594 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/08/29(月) 22:35:12.20 ID:YhD5zXjH
蜂須賀黒田浅野といえば、ちょっとでも胡散臭い大名には無理やり羽柴姓を名乗らせた秀吉から羽柴姓を押し付けられなかった譜代中の譜代だからな。
一方で揃って松平姓押し付けられてるけどw

595 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/08/29(月) 22:46:34.91 ID:N6m879jK
秀家が流刑になったの1606年だから知ってるでしょうよ

596 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/08/29(月) 22:48:24.16 ID:eG7S93P8
福島正則の改易前なら、同じく家康の養女をもらっている
蜂須賀が取り潰されと思うのは変な気も
改易後なら・・・酒をせびる相手がいなくなったから、新しい標的にしようと思ったんだろうか

597 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/08/29(月) 22:50:28.97 ID:q5Apfb6S
秀家「あれ?酒は?」  って話じゃないの?

598 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/08/30(火) 01:49:45.84 ID:oJQXviBU
羽柴姓受領と豊臣を名乗ることは
この時期どの位の価値があったのかよくわからん
豊臣朝臣清正って名乗ってなんで怒られたの?

599 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/08/30(火) 02:20:33.82 ID:tHRXCUMQ
>>598
朝鮮役の頃は豊臣姓授与が武功への一種の褒美として与えられていたようで(だから陪臣でも
豊臣姓がやたら居る)勝手に豊臣姓を名乗るというのはその褒賞秩序も破壊する行為に成る。

関ヶ原、黒田長政と明石全登

2011年07月29日 23:01

907 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/07/29(金) 13:48:21.08 ID:uTik07+G
関ヶ原についての記事

『内府様(家康)の軍勢を荒らせし者で、明石掃部(Acasicamon)と薩摩の如く甚だしい者は
無かった。

その中でも明石掃部は退却せずして敵中に突入し、自害するよりも敵の手にかかることを望み、
しだいに敵に追い詰められもはや逃れるすべのない事を知ると、甲斐守(黒田長政)の軍隊に
乱入して最後の血戦を試みんとした。

甲斐守は乱入してきたのが、その挙動、及び軍装によって掃部であることを知り、声高に下知を伝えた

「おまえたち、彼を助けよ!殺してはならない!私が彼を生け捕りにする!」

この叫びに黒田軍は皆動きを止め、甲斐守は自ら明石の方に進み近づくと、その頭に手をかけて
抱擁し、涙を流して語りかけた

「我が友よ!我ら互いに敵となってここに見参することの苦しさよ。
勝ち誇る我軍によって敗れたと言っても、あなたの名誉は隠れ無いものである。」

これに明石は
「あなたが真の友ならば、その刀で今すぐに私を斬ってくれ!」

と答えたが、甲斐守はその言葉に従わず、それどころか自分の馬を明石に与え、
それに騎らしめて戦場を脱出させ、敵の命を救った。』
(モンタヌス日本誌)

日本の記録では見たこともない、関ケ原における黒田長政明石全登のエピソードである。




908 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/07/29(金) 19:35:31.71 ID:ZzTF9sjv
明石は関ヶ原の後黒田に保護されたんだっか。

909 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/07/29(金) 20:13:21.79 ID:xsW++Brm
同じキリシュタンだからな
確かに可能性はあるなw

918 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/07/30(土) 00:34:28.41 ID:kRyBlpXj
>>908
しばらくは黒田親子の下で厚遇されてたはず
長政としては自分で優秀な人間をスカウトしたい時期だったし
血の繋がりがある明石全登はうってつけだったんだけど
領内でのクリスチャンへのあたりが強くなった時に放置してたら
出奔されて又兵衛と一緒に大阪方に付かれるハメに

雑談・蒸し暑い夜には、スカッと爽やかに直家公

2011年07月16日 23:10

19 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/07/16(土) 19:27:49.42 ID:N/5tXDqe
こう蒸し暑い夜をスカッと爽やかに過ごせる悪い話は無いかね

20 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/07/16(土) 19:36:43.41 ID:f/wwxMmH
>>19
そういう時はやっぱり直家さんだな

http://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-1764.html
http://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-640.html
http://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-430.html

直家さんの暗殺謀殺話は酷いというよりもはや感心する域に達しているのがすごいw

21 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/07/16(土) 20:50:00.92 ID:UuZl0C3E
ああ解る解る、なんかもう暗殺芸術的な何かになってるよな
どこかの探偵物のライバルみたいな人だわ

22 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/07/16(土) 20:50:43.08 ID:TzUyqRWo
でもなんか直家さんの場合はスカっとするのとはまた違うような……

23 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/07/16(土) 21:34:24.37 ID:d2nX3xIn
流石直家さんだ、そこに痺れるry 的な感覚を覚えるのは否定しないw

24 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/07/16(土) 21:52:41.32 ID:Q4gjw6EX
>>22
なーに、スカッと首を獲ってるじゃないか

25 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/07/17(日) 11:06:25.63 ID:WbTfnz/u
直家さんそのまま放浪して尾張で仕官していたら…

才能年齢的に秀吉抜いて中国軍団長とかになってたろうか?
配下に 秀吉 如水を抱える



26 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/07/17(日) 11:52:16.37 ID:Lwujg6ar
秀吉が誑し込んで直家が毒殺する……
恐ろしいコンボだ、回避できる気がしない

27 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/07/17(日) 11:56:57.33 ID:J2P+idiO
でも、信長さんに突如さよなら~されそうな気もする・・・

28 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/07/17(日) 12:48:47.51 ID:12+4XvrS
久秀「うむ、やつは信用できん」
村重「ですね」

29 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/07/17(日) 13:11:24.92 ID:1J2aF1RY
松永も直家も未来では新たな資料が見つかって評価が変わってるかもしれん

30 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/07/17(日) 14:06:33.37 ID:12+4XvrS
直家は特にソースのほとんどが軍記物だからね

宇喜多次郎九郎等、千人切と称し

2011年05月09日 00:00

96 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/05/08(日) 21:22:24.10 ID:sSdH1ro8
多聞院日記と顕如上人貝塚御座所日記の記載より
天正14年3月3日
是より先、宇喜多次郎九郎等、千人切と称し、大坂に於て、人を要殺す、是日、秀吉、之を捕へ自殺せしむ

どうも大名衆の息子4,5人が千人斬り目指して、大阪で人を殺しまわっていて、すでに5,60人も死者が出てから
捕まったみたい。
多聞院日記の同年2月21日に大谷紀之介が、悪瘡を治すために千人斬りをして、殺した人の血を啜っているらしい、
と書いてあるけど、この記述のあとに大谷紀之介のことはただの噂だったね、とあるんで疑いは晴れたようです。
宇喜多次郎九郎がどういう人物なのか不明だけど、そうある姓じゃないんで秀家の親戚だろうね。



97 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/05/08(日) 21:27:22.89 ID:iz42pG+B
尋常じゃないな、この話。宇喜田の血族にはなんか呪いでもかかってるのかね

98 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/05/08(日) 21:36:01.84 ID:h0W2Azpy
娘たちの恨み

99 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/05/08(日) 21:37:08.96 ID:VboUssdr
前後三代分の良心が忠家と秀家に集中配分されたんじゃね?

101 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/05/08(日) 21:59:01.27 ID:eAI+U6WX
宇喜多って血族少ないイメージあるけどそんな親戚いたんだろうか
そうとう前の分家かなあ

宇喜多騒動への庶民の反応

2011年04月25日 00:00

865 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/04/24(日) 15:59:36.58 ID:PzyMXXmf
慶長4年(1599)、大阪での市街戦にまで発展しかけた宇喜多騒動。
これにより宇喜多家から宇喜多詮家(坂崎直盛)、戸川達安、岡越前守、花房正成といった
多くの有力家臣が出奔。宇喜多の威勢は大きく減退したという。

さてその頃、京大阪ではこのような狂歌が広まったそうだ。曰く

『 われて後 つがれぬ物は備前鉢 つかふものにも用心をせよ 』

つまり、「一旦関係が悪くなればもはや修復できないのが備前を領有している宇喜多家である。
宇喜多の武士は自分たちを使っている宇喜多秀家に用心をせよ。」と言う意味を込めている。

そんな、宇喜多騒動への庶民の反応である。




866 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/04/24(日) 16:57:35.51 ID:xvelVM71
直家時代を考えると本当に悲しくなるな


867 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/04/24(日) 18:13:36.90 ID:4ai3Vkfb
直家の時の恐怖政治の反動が出たんじゃね
あんな恐ろしい主君に仕えた後じゃ、穏和な秀家をなめきってもおかしくない

868 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/04/24(日) 18:18:37.52 ID:l6fjEoYG
領主としての秀家は割と残念

869 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/04/24(日) 18:55:03.01 ID:xDvUGg8V
>>867
直家は主家や同僚に対してはえげつないが
家臣に対しては普通にいい殿様だぞ

離反した家臣は直家が苦しい時代を支えたいわゆる譜代格が多いから
家臣は国元を顧みない秀家がはがゆく、秀家はうるさく諫言してくる国元家臣がうとましい
それが積もり積もって爆発したのが宇喜多騒動

870 名前: 忍法帖【Lv=12,xxxPT】 [sage] 投稿日:2011/04/24(日) 19:18:37.95 ID:OrbDoNVM
中央集権化を進めようとした藩は多かれ少かれ家臣団と対立してるからね。
宇喜多の場合はそのための官僚団を前田家から来た連中中心に上方で組織しようとしたり、
キリスト教問題が絡んだりしたので、対立の落としどころが無くなって爆発したんでしょう。

仙台伊達藩なんて江戸時代になっても中央集権化できなくて、やろうとしたら伊達騒動で
挫折。結局、幕末まで寄り合い所帯で、意思決定が不十分なまま戊辰でグダグダになる。

871 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/04/24(日) 21:09:01.56 ID:Q3nTHzMJ
>>869
策謀に使った家臣を外聞気にして使い捨てたりしないで功績に応じて厚く報いるあたり家臣にはいい殿だよな

弟者のあれは娘婿たちの扱い見てればある意味当然の警戒だしw

872 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/04/24(日) 23:25:04.68 ID:iSxkNBar
つーか「いい殿様」じゃないと生き残れないのが戦国

873 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/04/24(日) 23:27:03.85 ID:MCS/5IRz
>>872
鬼武蔵「喧嘩売ってるのか?」

874 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/04/24(日) 23:32:52.87 ID:CbktiT65
武蔵さんも家臣と仲良くやっていた印象がある
上司とも上手くやっていたし

宇喜多詮家(坂崎直盛)と戸川達安、大垣の宇喜多秀家に

2011年04月24日 00:01

848 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/04/23(土) 18:50:56.49 ID:QTs71zTs
宇喜多騒動で主君宇喜多秀家と袂を分った宇喜多詮家(坂崎直盛)と戸川達安
彼らは関ヶ原戦役が勃発すると、東軍に属し美濃にまで駆け上った。
と、ここで、旧主秀家が大垣まで出てきている、ということを知り、二人はすぐに
秀家のもとに使者を派遣した。
使者は二人の言葉を伝える

「御家の大事は今この時です。どうか内府公のお味方をしてください!
そう決意してくだされば我々はすぐに江戸までそのことを伝えるでしょう。」

これに秀家は激怒し、使者に言い放つ

「あの両名にこう伝えよ!私に降参しろと言うのは、お前たちに似合いの分別である!
たとえお前たち二人が我が陣に来て首を並べて諫言したとしても、
私は決して思い通りにはならない!
また、重ねて使者をよこすことも無用である!もしまたよこせば、不憫ではあるは
その使者の首を斬って捨てる!」

使者は急ぎ陣へと帰り、宇喜多詮家、戸川達安にこの事を報告した。
秀家の伝言を聞いた二人はしばし考え、そして使者の男に向かって

「すまないがその方、今回の合戦で天晴な討死をすると思って、再び秀家様の陣に
行ってほしい。そしてこう伝えるのだ

『秀家様の仰せには一理あるかと思います。ですが佞人である石田に従われて
御家を滅ぼされるのは、近来になく不本意なことです。
どうか、只々我ら両人に、その御身上をお任せください。』

これをお聴きいただけるまで、再三申し上げるのだ。」

使者は覚悟を決め、再び秀家の陣を訪れ、秀家のこの事を伝えた。

ところが秀家、今度は少しも怒ること無く、この使者を近くまで寄せ語りかける

「両人が昔のよしみから、二度も異見を言って来てくれることは嬉しい。
だが、八幡大菩薩もご照覧あれ、私が内府に属することはない。
この事をよくよく申し聞かせ、二人に承知させよ。
…これは汝に与える。」

と、この使者に刀を与え帰させた。

帰ってきた使者からこれを聞いた宇喜多詮家、戸川達安は、「この上は力及ばず」と、
秀家を説得することを諦めた、と言う。

この話は宇喜多秀家の領地であった備前の国人、吉村氏が語った事だそうだ。
(関ヶ原軍記大成)




849 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/04/23(土) 19:14:51.73 ID:Zki/sycl
内府もこの時点で秀家に寝返られても迷惑だろうな
東軍の諸将に分け与える領地が減ってしまうから
ヘタすると合戦終了後毛利のように因縁つけられて改易食らうかもしれん

851 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/04/23(土) 20:14:29.23 ID:d+RVSjSu
848>>
それ、ちょっといい話じゃね?


852 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/04/23(土) 20:30:33.80 ID:X0H5tkue
秀家の聞き分けが悪い話?

853 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/04/23(土) 20:36:21.24 ID:7OqboPtY
どんなグロイ処刑されるかと思ってたのに普通にいい話だった・・・

854 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/04/23(土) 20:41:52.13 ID:cSwhQj+y
このあと、宇喜多詮家、戸川達安は二人とも宇喜多家を見限って出奔するんだっけか
主君も主君なら家臣も家臣で剛情だのう

855 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/04/23(土) 21:10:50.92 ID:KjvW7OM3
関ヶ原前だから既に出ていってるんじゃないの?


856 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/04/23(土) 21:13:04.33 ID:JFEwaJzc
まあ、泳ごうぜ!

857 名前: 忍法帖【Lv=11,xxxPT】 [sage] 投稿日:2011/04/23(土) 21:39:18.31 ID:CD2zk5HC
>>854
見限ってというか、喧嘩別れして出奔したけど、お家の大事を思えば放っておけなかった二人のいい話と、
武門の意地にかけて寝返りなどできなかったが、二人の赤心はちゃんと受け止めた秀家のいい話だな。

宇喜多氏って、坂崎とか滅んでるけど、旗本で残った家とかあるの?

858 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/04/24(日) 00:07:47.15 ID:R33w7FLf
坂崎さんが、後に千姫強奪事件を起こすとはこの時誰も知らないのであった・・・

859 名前:人間七七四年[] 投稿日:2011/04/24(日) 09:02:25.58 ID:Wfvtl/9r
>>857
戸川家、花房家、角南家等は存続してる
まあ肝心の御大将が流罪で生存してるから
元家臣団も他家に仕官なりして存続してる方が
多いんじゃないかな