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上野隆徳の滅亡

2019年12月31日 15:17

706 名前:1/2[sage] 投稿日:2019/12/31(火) 04:11:37.52 ID:v8mFCew0
天正三年六月四日、備中成羽城(鶴首城)には毛利の諸軍勢が集まり、常山表へ攻撃のため陣を移した。
この時、常山城主である三村上野介高徳(上野隆徳)は城内の者達に
「私は多年に渡り芸州に対して鬱憤があった故、三村元親に謀反をさせた張本人の第一は私である。
そうした所に元親が無下に生害に及んだ以上、私は生きて何の面目が有るだろうか。一日も早く死地に
赴く事を思っている。」と語り、少しも騒ぐ気色もなかった。

家の子郎党からは次々と、「一先ず阿波讃岐へ渡海されるべきです!」と諌めの言葉が上ったが、
「阿讃の沙汰は無益である。私は累年細川真之を頼り、既に今度は人質として実子を差し渡し加勢を請うたが、
その甲斐も無く、弓矢の頼りも尽き果てた。」

郎党たちはこれを聞いて、思い思いに欠落する者もあり、或いは弓の弦を弛め降参する者もあり、或いは
小舟に取り乗って逃げようと、櫓よ舵よと言っている間に、これを追いかけ討ち果たす者もあり、このように
家中は散々なる有様であった。

六月六日の晩景、小早川重臣である浦ノ兵部丞宗勝(乃美宗勝)が岸根に旗を上げ、先陣の兵数千人が二ノ丸へ
攻め入り、太刀を閃かせ靭鼓鋏を叩き、鬨の声をどっと上げた。しかし高徳は少しも騒がず、
「命を助かろうとする武者ならば鬨の声にも驚くだろう。明日、辰の刻(御前八時頃)に大櫓に出て一類腹を切り、
名を後代に留まらしむべし。」と、静まり返っていた。

敵陣では猶も悪口し「小舟に乗って島へ逃げるか、泳いで逃げるか!」と、攻め口の油断に成るだろうと、
逆茂木をかなぐり捨ててわめき叫んだ。これに三村高徳は「耐え難い奴原め、いざ高徳の最期の働きを
見せてやろう。」と言うままに、鉄砲を取り広縁に躍り出て隙間なく放ち懸った。嫡子源五郎高秀は、普段は
強弓を好んでいたが、彼も兵とともに鉄砲を放った。高徳の舎弟である小七郎は弓を打ち捨て敵に切り掛り、
互いに声を合わせて戦った。死傷者十四、五騎片時の間に見えたため、すぐにその日の陣を引き上げた。

明けて七日の暁、城内には酒宴の声聞こえ、その多くは女性の声であった。
互いに分れの盃を指し、同日辰の刻、敵陣に向けて「一類自害」の旨を告げた所で、城内の人々は、我こそ
先に自害すると言い合った。

高徳の継母はこの時五十七歳、彼女が先ず一番に自害した。
「我が世に留まって、このような憂き目を見る事も、前世の因業浅からぬ故なのだろう。高徳が芸州に遺恨を含み、
入道したことも世に物憂く思ったのに、それが腹を切る所を見てしまっては、目もくらみ心も悶えるだろう。
少しでも高徳の跡に残るより、先立って自害すべし。」
そう言うと、縁の柱に刀の柄を巻きつけて、そのままそこに向かって貫かれた所を、高徳が走り懸って
「五逆の罪は恐ろしく思いますが」と、その御頸を打ち落とした。

高徳の嫡子高秀は十五歳。父高徳の介錯をしたいとも思ったが、跡に残れば少年故に未練を仕ってしまえば
心残りに成ると、「逆ではありますが、先に腹を切ります。」と言うと、これを高徳聞いて「愚息ながらも
神妙である。」と、扇を開いて彼を仰ぎながら、その紅顔をつくづくと見て、
「水の泡草守る露と成さんこと、後世の障りともなるべし」と、暫く袖を涙に濡らした。
高秀も溢れ出る涙を押し留め、そのまま雪の肌を押し脱ぎ腹十文字に掻き切って伏した所を、高徳がその頸を
打ち落とした。
その舎弟、八歳になる者は、傍に引き寄せ、肝のたばね(内臓の急所、心臓)を二つ刺し貫いて退いた。

高徳の妹に、十六になる姫があった。芸州鼻高山の大将は高徳の弟であったので、この姫には「鼻高山へ
退くように」と進めたが、「それは思いもよらぬことです。」と、老母の体を貫いた刀を手に取って
乳のあたりを突き貫き、これも同時に自害した。

次に高徳の女房(鶴姫)は、修理進(三村)元親の妹で、普段から男子を越えた勇力があり、
「我、女性の身であっても武士の妻であり、子です。最期に敵の一騎も討たずして、悶々と自害するのは
返す返すも口惜しい!況や三好修理太夫(義継カ)従弟として反逆の一族であり(況ヤ三好修理太夫反逆ノ一族トイヒ)
女人の身であっても、一軍をしなくては叶いません。」

707 名前:2/2[sage] 投稿日:2019/12/31(火) 04:13:05.45 ID:v8mFCew0
そう言うと鎧を着て上帯を締め太刀を帯き、長い黒髪を解いて颯と乱し、三枚兜の緒を締め、紅の薄衣を着て
裾を引き上げ腰にて結い、白柄の長刀を小脇に挟んで広庭に躍り出た所、春の局秋の局、その他青女房端下に
至るまで三十余人が
「これは如何なる御所存ですか?ただでさえ女人は嫉妬妄執の罪深く、成仏を得ないと言われています。
であるのに、さらに修羅道の罪業まで成すべきではありません。どうか思いとどまって、心静かに自害をなさって下さい。」
そう鎧の袖を掴んで訴えた。しかしこの女房は打ち笑い

「あなたたちは女性の身であるのだから、敵も強いて害しようとはしないでしょう。どこの国へでも先ずは
忍んで行きなさい。もし自害するのであっても、念仏を能く申すので、後世を助かることでしょう。
私は邪正一如と願を立て、この戦場を西方浄土とし、修羅の苦患をも極楽と成していますから、どうして悔やむ
事があるでしょうか。」

そういって袖を引き放ち城から出ようとすると
「さては私達を捨てられるおつもりでしょうか!?どうせ散る花であれば、同じ嵐にて散り、死出三途の御供を
仕ります。」と、髪をかき乱し額に鉢巻を巻き、ここかしこに立て置かれている長柄の鑓を取り、この三十余人の
女性たちが集まり出ると、累年芳恩の家僕たちもこれを見て我もと集まり、八十三騎が死を一挙として集まり出た。

寄せ手はこの集団を見て、敵はたった今、妻子を先に立てて降人に出したのだと思っていた所、小早川の
重臣である浦兵部丞宗勝(乃美宗勝)の七百余騎の軍勢の真ん中に喚き懸ってきた。宗勝はこれを見て、
「敵が女人の装束で寄せて来るのは奇っ怪である。これは処女の如くして脱兎の功を作る(はじめは弱々しく
見せかけ敵を油断させ、後で一気に素早く攻撃する事)の謀である。孫氏が秘する所の『虚はこれ実』と言うのも
このような謀を言うのであろう。欺かれて不覚を取るな者共よ!」と、陣を固めて防御したため、これを
破ることは出来なかったが、彼女に従った勇士たちは死を軽んじて突き立てたため、寄せ手の面々は
足を乱し傷を蒙り死を致す者百余騎も有り、この周章狼狽の様子に乗じて、高徳女房は腰より銀の采配を
抜き出して、「突撃せよ者共!」と大勢の中に割って入った。

そして宗勝の兵たちは流石に武勇を嗜んでおり、女人に向かおうという者は無く、勇士が互いに鑓を合わせて
いる所に、女性が傍から潜んでこれを突いたため、これによって負傷したものも若干多かった。
暫く戦っている間に、寄せ手の毛利勢が大勢馳せ寄り彼女らを攻め討った。高徳女房は宗勝の馬前に
出て大音にて罵った

「いかに宗勝!御辺は西国にて勇士の名を得られていると聞く。我女人の身と雖も一勝負仕らん。
そこを引き給うな浦殿よ!」
そう叫び長刀を水車に廻して馳せ寄せた。しかし宗勝は四、五間ばかり後ずさりに退いた。
「いやいや、御辺は鬼であったとしても女である。武士の相手には成りがたし!」と自身は引き、
傍にあった兵五十余騎ばかりにて懸らせた。彼女は長刀で七騎ばかりを薙ぎ伏せたが薄手を負った。
そこでまた大音で叫んだ
「女の頸を取り逃すな人々よ!」
そして腰より三尺七寸の太刀を抜き

「これは我家重代の國平が作の太刀である。一度は先父家親に参らせ、家親の秘蔵として他に異なる宝としたが、
我家の重代の太刀であることを聞き及ばれ返還された物だ。そのような太刀であれば、父家親に副え奉ると思い、
身から離さずに持って来た。この太刀、我が死後は宗勝に進ずる。後世これを以て弔い給え!」

そう言い捨てると城中に駆け入った。その姿はただただ、刀八毘沙門が喜見城を守られた時、吉祥天女諸共
修羅を攻め討たれた事に違わぬと、見る人舌を巻かぬという言うこと無かった。

こうして彼女は西に向かって手を合わせ、「我は西方十万億土の弥陀に頼るのではない。既に身の弥陀、
唯心の浄土は、今ここに現れている。仏も露の如く、また雷の如しと言われる。誠に夢の世に、幻の身の
影を留めて露に宿を借り、雷のように早く立ち帰る元の道である。南無阿弥陀仏。」
そう念仏し、太刀を口に含んで貫き臥したのは、例少き事である。

そして高徳も西に向かい、「南無西方教主の如来、今日三途の苦しみを離れる。先に行った元親、久式、元範、
実親よ、同じ蓮台に迎え給え!」と念仏を唱える声の中に腹掻っ切ると、舎弟の小七郎が介錯し、その身も
自害して高徳の死骸に寄り懸かり、同じ枕に伏せた。見る人聞く人、皆涙を促した。

そして数多の頸が備後鞆に送られ、こうして備中国は平均し、各々に賞功が行われた。

(備中兵亂記)



708 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2019/12/31(火) 10:09:15.60 ID:euneZmXJ
高徳が逃亡すれば范蠡のような家臣と協力して
会稽の恥を雪ぐことができたのだろうか

709 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2019/12/31(火) 11:09:21.12 ID:OOCajN32
>>707
激しくて悲しい…

710 名前:人間七七四年[] 投稿日:2019/12/31(火) 11:42:14.52 ID:z7AJ6j9T
           |
            |  彡⌒ミ
           \ (´・ω・`)
             (|   |)::::
              (γ /:::::::
               し \:::
                  \


711 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2019/12/31(火) 19:15:41.34 ID:X3Fx3h7v
「これは我家重代の國平が作の太刀である。一度は先父家親に参らせ、家親の秘蔵として他に異なる宝としたが、
我家の重代の太刀であることを聞き及ばれ返還された物だ。そのような太刀であれば、父家親に副え奉ると思い、
身から離さずに持って来た。この太刀、我が死後は宗勝に進ずる。後世これを以て弔い給え!」

これ実際に声を出して言ってみたが結構時間かかったわ

随分とのんびりした戦場だな

712 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2020/01/01(水) 02:11:30.84 ID:ERYVtzyf
>>711
言い終わるまで待つのも武士の心得かも

714 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2020/01/01(水) 08:37:42.40 ID:f5F7Zkfa
>>707
>宗勝の兵たちは流石に武勇を嗜んでおり、女人に向かおうという者は無く
ある程度の身分があると女性に手をかけるのは憚られたのかな。
寄せ手の毛利勢が大勢で女を討ったってのは雑兵だから?

715 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2020/01/01(水) 08:52:27.09 ID:7Aktj8/K
弱い者いじめや卑怯な振る舞いは好まれなかった

716 名前:人間七七四年[] 投稿日:2020/01/01(水) 14:32:13.84 ID:yQmgkNIm
>>712
ビー○たけしだったらうるせぇ馬鹿野郎っつって途中でぶった斬ってそうだな

717 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2020/01/01(水) 15:16:47.87 ID:KFA/VQwB
>>714
>>715
あと根本的な問題として、「女首は手柄として認められない」ってのがある

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扶け置けば争いの種子となる

2019年12月30日 18:44

700 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2019/12/30(月) 04:46:08.44 ID:W5RrwIWi
三村元親が滅びた後、その子息である勝法師丸と。元親の重臣であった石川久式の子息は、
備前国の住人、伊賀左衛門尉久隆が生け捕り、毛利の本陣へと渡した。
久式の子息は当国井山に送られた。

勝法師丸はこの時八歳であったが、容貌甚だ優れ、手跡は他を超え、これまでは風光雪月、詩歌の会などで
心を慰め、誠に栄華に生を送っていたが、今は敵の陣屋に身をやつしている。
古の後醍醐の王子・八歳宮( 恒良親王)の愛別離苦とそれは変わらないであろう。

 つくづくと 思ひ暮して入相の 鐘を聞にも君そ恋しき

と詠まれた言葉の意味も今こそ思い知れるのである。

伊賀久隆が彼を本陣に送った時、総金の扇に古歌を書いて勝法師丸に渡した。勝法師丸がこれを開くと

 夢の世に 幻の身に生れ来て 露に宿かる宵の電

と詠まれていた。これを見て「さては本陣に行けば殺されること必定である。脇差を今まで持っていたなら
自害したものを。」と後悔し、その姿は人々に感涙を促した。そして「彼を助けて出家にでも成すべきではないか」
とそれぞれに議していた時、彼は自分の番をする衆にこのように語った

「私は伊賀久隆よりこちらに送られた時、道にて元々の三村家の家人にも行き遭った。しかし彼らは
騎馬のまま乗打をし、君臣の礼儀も失っていた。
私は背かれるような主人であるのだから、このように申すのも恥辱である。しかし前後に歴々の人々が有れば、
これを乗打するのは無礼と成る。各々、いかが思われる。」

これを聞いた者達はみな感嘆し、これを小早川隆景に報告した。隆景は「八歳の子がそれほどの口を実際に
きいたのだろうか」と疑い、また別人に私的に尋ねたが、その通りに語った。

これに隆景は「彼は扶け置けば争いの種子となる事疑いない。」と、誅殺することに決した。
一家滅亡の時節到来なれば、実に哀れに聞こえた。人生が識る事が憂患の始まりと言うが、これは勝法師丸の
事であろう。
石川久式、三村大庭、吉良常陸、同七郎、布施、以下まで死期の働きは目を驚かせるものであった。
或いは組み討ち、或いは刺し違え、二十六日、一同に朝の露と消え失せた。
三村右京進政親父子三人は、作州路より因州へ忍び行ったと聞こえた。

(備中兵亂記)



701 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2019/12/30(月) 08:16:22.94 ID:NZQUCl55
優秀な若者は手懐けて配下に加える秀吉には勝てないよな

702 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2019/12/30(月) 11:29:48.75 ID:8SrBYOVW
状況が違うのでは?

705 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2019/12/30(月) 22:11:43.63 ID:GYSQozTm
三村は好きな大名

甫一検校

2019年12月29日 17:16

699 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2019/12/29(日) 16:30:42.38 ID:xFGavMfM
ここに遠都という座頭が在った。彼は元々都の者で、平家物語を語る事、当時無双の名を得ており、また
敷島の道(和歌)にも通じていた。ところがある年、京都に騒動が有り、十八歳の時にこの備中へと下向し、
偏に三村元親を頼った。元親は仁愛厚い人であったので、憐れを加え、官位を勾当に進め、天正二年の秋頃には
検校にまで進め、甫一検校と号した。

この甫一も元親に深恩を感じ、備中兵乱が起こり、三村元親が備中松山城籠城した事を聞くと、遠路波濤を凌ぎ
天正三年中春の頃、当国に下向した。しかしこの時は国中戦場の様相であり、甫一は夜となく昼となく、
山川険路を憚らず、ようやくに松山城へと忍び入った。

元親は彼と対面すると
「盲人のここ迄の志、誠に山雲海月の馴染みであっても愁眉を開き積情を傾けるであろう。しかしこのように
急なる時節であるから、何の口であっても通行できる所より帰洛あるべし。」と進めた。
しかし流石に名残惜しく、一日二日と相延し、落城まで留まった。

そして落城の前日、五月二十一日の暮れ方、馬酔木より送り出した。ところが悪党どもがこれを見つけ、
「いざ、彼を謀って衣装を剥ぎ取ろう。」と相語らい、跡をつけた。甫一検校は渓路に下る麓にて、
悪党たちが呼び止める声を聞いた。甫一は状況を察知し、「すわ、時刻の到来したか。」と心得、
「暫し待て。」と左手を上げ、辞世の句として「都にも…」と最初の五文字を唱えたその時、只一討ちに
首を刎ねられたのである。

また、中村右衛門尉家好という、三村元親に随身していた乱舞の藝者も、甫一と一緒に馬酔木より下ったので
あるが、甫一検校の有様を見て、「もはや遁れられない」と思ったか、悪党たちに走り懸かり、日名の源九郎
という者の細首を丁と打ち落とした。しかし「痴れ者が居るわ。」と、悪党たち数十人が彼に向かい、即座に
切り伏せられた。

彼らは誠に一藝に名のある者達であったので、これを惜しまぬ人は居なかった。

(備中兵亂記)



703 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2019/12/30(月) 15:13:56.55 ID:kTlrfzQC
>>699
>辞世の句として「都にも…」と最初の五文字を唱えた

正純「して、中の句と下の句はなんと?」

704 名前:人間七七四年[] 投稿日:2019/12/30(月) 15:55:37.15 ID:h24BMLXx
正信「…と最初の五文字を唱えたその時、只一討ちに 首を刎ねられたっつってるだろうがー!」(バチコーン!)
  _, ,_ ∩))
(*`皿´)彡  パンパンパンパン
  ((⊂彡☆∩)) _, ,_  _, ,_
  ((⊂((⌒⌒ ((Д´≡`Д)) うああぁぁぁ ――――― !!!
      `ヽ_つ ⊂ノ >>703正純

三村家謀反

2019年12月28日 16:24

696 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2019/12/28(土) 12:32:23.90 ID:MegngOMD
ここに源家の末葉、備中守護、松山の住人である三村修理進元親が、先父・家親の亡魂を休めんがために
よしなき謀反を企てた。その発端は、将軍・足利義昭が既に西国に御下向あって、中国は悉くその武名に
傾き、御帰洛の謀がしきりと聞こえてきたため、京の平(織田)信長は驚き、謀を廻らして、当国の
元親に密使を立て、自身に味方すれば備後備中両国を宛行うと伝えた。

これに三村元親の一族が馳せ集まり「これぞ願う所の幸いである。何故なら父・三村備中守家親は累年
宇喜多(直家)に遺恨を含み、数回に渡って戦ったが、宇喜多の一族である河内守(遠藤秀清)が備前の
徳良城に在って、家親を暗殺し、剰え当国佐井田庄に攻め入り嫡子・少輔元祐も討ち果たした。
その二代の怨敵を追討する時を待っていた所に、信長より一味を求める使いを得た。急ぎ微運の大樹(足利義昭
を攻め討ち、忠を尽くし功を立て、信長の助力を以て宇喜多一族を攻め滅ぼし、一家鬱憤の眸を開くべきである。」
そう躍り上がって一議した。

ところがこの中で、同国成羽城主・三村孫兵衛尉親成、同男子孫太郎親宣はこれに同意しなかった
「父の怨敵を討つのにどうして他の力を借りるのか。凡そ武士は忠に止みて仁義を宗とする。たとえ君が
無道であったとしても臣は臣たるべきを道とする。信長の虎狼の謀に従って一家不義の逆臣と成ることも
口惜しい。今信長は不義に誇っているが、これでどうして世が治められるのか。剰え逆心に翻る志は、
人の為す行跡ではない。このような不仁の大将に頼みを掛けて一体どんな益があるというのか。」

このように、義を専らに誠を尽くして諫言したが、良薬口に苦く忠言耳に逆らう習いであれば、一族は
この諫言を憎み、既に彼らを誅殺しようとした。これに親成父子は驚き、天正二年十一月七日の夜、急ぎ
将軍義昭の在る鞆の津へと馳せた。

この事態に元親の家臣が集まり、親成を引き返らせ一族和睦すべきだと議したが、元親の舎弟である宮内少輔元範、
上田孫次郎実親を初めとして「その儀は叶わない事だ。既に神詞を固めており、和睦の余地はない。」と言った。

こうして三村親成父子は鞆の津に到着し、一族謀反の事を訴えた。これに将軍義昭は驚き給い
「私は遠く(織田信長)を慮っていたが、近く足元に敵が在るとは思わなかった。この事いかがすべきか。」
と、早速三原に御使いを立てた。三原の小早川左衛門佐隆景はこれを聞いて「当家の大事これに過ぎず、
誅伐のために時をうつすべきではない。」と、即座に山陰山陽四国西海道に早馬を立て、将軍の御内書に隆景の
廻文を添状として、『時を延べず備中鞆に馳せ上がるべし』と触れた。

霜月八日、小早川左衛門佐隆景、江羽、福原、宍戸、熊谷といった歴々馳せ集まり、毛利輝元も出陣して、程なく
笠岡の浦に至った。その他追々に諸卒馳せ加わり、その勢は八万余騎と記録されている。

(備中兵亂記)

『備中兵乱』の始まりとされる三村元親の毛利氏からの離反について。



697 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2019/12/28(土) 17:34:46.59 ID:25b58Vzd
義昭さんやっぱり殺しとくべくだったのかしら

三村紀伊守と妖婦

2014年08月07日 18:52

879 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/08/07(木) 01:59:57.59 ID:0e3+1740
三村紀伊守(親成)は備中半国を保って成岩(成羽)に在城した。物事のついでに
紀伊守は容色艶麗な富民の娘をひとたび見て、その姿が目の前にあるかのようで、少しも
忘れられず「文を通わせる伝手でもあればなあ、この心を知らせたいものだ」と思い煩った。

そんなところに、どのような手引きであろうか、人が静まった深夜に前述の女が初めて
参り、それからの紀伊守は日暮れを待ち、夜が明けるのを恨んで、稀に逢瀬が途絶える
ことも無かった。

そんな中、紀伊守の精神は気が抜けてぼんやりした状態となり、この頃気鬱している
ということで城外に出て遊んだ。日暮れ過ぎになって、遥か山上を見ると、鞠の大きさの
光物が飛んで来て、城中に入り、家屋の間に隠れた。

家老は怪しんで近侍の士に詰問した。近侍の士は密通のことを告げて「あの女の来る所も、
帰る所もわかりません」と言った。家老は(紀伊守のいる部屋に)入って諌めようとしたが、
近侍の士は、

「この事は深く秘密になされましたが、相談のために申し上げました。まずは小臣が
諌め申し上げます。それでも御承諾なされなくば、その時はよろしく御計らいください」
と言ったので、家老は「もっともだ」と同意した。

近侍の士が紀伊守の前に出て、「昨暮、山上の光物が飛んで来て、御城に入りましたのを
御覧になられましたか? この頃の御病苦は魑魅の祟りがあるのか、色々と訝しい諸事が
ございます。古えにもそのような例が無いわけではありません。御気をつけてくださいませ」
と申し上げると、紀伊守は「心得た」と言った。

880 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/08/07(木) 02:01:42.65 ID:0e3+1740
その夜、紀伊守ははさみを使って、こっそりと女の髪を少しばかり切って懐中に入れておき、
次の日、取り出して見ると、髪は銀針のようであった。紀伊守はたいへん驚いて近侍の士を
呼び、その髪を示した。近侍の士は「これは猶予してはなりません。小臣が今夜、寝室の外で
待ち、女を捕らえて刺し殺します」と言ったが、紀伊守は、

「それはよくない。あの女は寝床に就く前に気が緩んだりはしないだろう。万一仕損じれば、
悔いてもどうにもならない。前夜に髪を切られたことについて女に覚えがあるなら、必ず
疑う心があるはずだ。私がものやわらかな言葉でその感情を解き、その後でお前にも知らせ
ようぞ。お前は早まってはならない」と、制止した。

夜半を過ぎた頃、寝室で俄に騒動があった。近侍や宿衛の者たちは同時に起きて、
戸を押し破って入り見れば、紀伊守は気絶していた。しばらくして紀伊守は目を見開き、

「私が気絶したことは無念である。しかしながら、あの女はよもや生きてはいまい。
女が戸外に立って『今宵は心が普通ではないので、これから帰ります』と言ったのを、
私はなだめて呼び入れた。

いつもより懇意に語らい、女が少し眠るのを待って直ちに胸に乗り掛かり、三刀まで刺した。
すると、あの女は私を脇に挟んで天井に飛び上がった。私は固く捉えて手を離さなかった。
天井から落ちてしまったが、(どうして落ちたのかは)夢のようで記憶していない」

と、語った。天井は破れ、そこから血が流れて避ける所が無かった。夜が明けて光物の
来た所の山に人を遣わし、血を印しに女を捜索させたところ、三里余りの深山に入り、
血痕が巌穴の入り口に到り止まっているのを発見した。恐れて中に入る者はいなかったが、

一人の壮力の士が腰に縄を付けて二、三十間這い入ると、中が暗いために何なのかは
わからないが、死んだ様子のものがあった。その足に縄を付け、出てからこれを引き出した。
それを見ると、身長六尺余りの老女だった。白髪の長さは一丈ほどで、面背(表側と裏側)
を覆っていた。胸には大きな傷が三つあって死んでいた。その後、紀伊守の病気は癒えた。

――『武将感状記』




881 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/08/07(木) 02:50:12.89 ID:Ls+TpjCi
六尺もの長身な上に美しい娘に化けられる老女か…

882 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/08/07(木) 03:05:04.24 ID:yxi26cir
山姥だろ

883 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/08/07(木) 03:28:30.46 ID:lDwTBDoc
お前のようなデカいババアがいるか

884 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/08/07(木) 15:26:42.66 ID:6GG21SAs
>>879
>三村紀伊守(親成)は備中半国を保って成岩(成羽)に在城した。物事のついでに
>紀伊守は容色艶麗な富民の娘をひとたび見て、その姿が目の前にあるかのようで、少しも

出だしの段階だと宇喜多さんの娘かと思った

885 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/08/07(木) 17:49:04.31 ID:5RLxnS35
(中略)…女が生んだ娘は、後年水野勝成の妻となったのである

というオチになるのかと思ったぜ

887 名前:人間七七四年[] 投稿日:2014/08/07(木) 20:10:35.52 ID:+S/R0Uo0
お茶飲んで幻覚見ただけ。
備中ではよくあること。

888 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/08/07(木) 23:10:19.42 ID:yxi26cir
だ、誰が淹れたんだろう

889 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/08/07(木) 23:23:25.09 ID:iT1TS5YI
きっと島村は貫阿弥ですぞ

890 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/08/08(金) 15:49:47.43 ID:XM906JXL
うっきーの茶は飲みたくないぞw

三村元親、明禅寺崩れ

2009年12月11日 00:11

33 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/12/10(木) 19:17:16 ID:scC/yPxF
やっとカキコできた記念に
みんな大好きウキウキさんの合戦話。拙い文章ですが・・・
暗殺とかばっかり有名ですが、ちゃんと合戦もできるんです。

直家は三村家親を史上初の銃で狙撃という手段で暗殺したのは有名な話。

その後、三村五郎兵衛の玉砕は以前語られている通り。


「今こそ父の敵を討つぞ!」

家親の死の一年後、跡を継いだ三村元親は備前へ侵攻し、
明禅寺城に夜襲をかけ陥落させた。

この城は当時直家の本拠だった沼城の防衛用に築いた城だった。
当然、その城を奪われると言うことは喉元に刃を突きつけられるに等しい事だった。

直家は奪われた明禅寺城を取り返す為、5000の兵で城を包囲、
それを知った元親は、20000大軍で備前迎撃を行い、直家の目論見を打ち破らんとした。
そして軍を3隊に分け、2隊を明禅寺城へ、元親本隊は直家の本城沼城を目指した。
その報告を聞いた直家、総攻撃を命じて自ら明禅寺城下に突き入り、
先陣が明禅寺城へ到着する前に落城させた。

驚いたのは三村軍の先陣を率いていた庄元祐である。

落城を知り浮き足立った先陣は城を落とした宇喜多忠家らの猛攻を受け、
庄元祐は討ち死にして敗走する事になった。

中軍は敗走する先陣の兵に遭遇し、動揺しているところを
またもや宇喜多勢に襲われ、これも敗走する事になった。

別働隊2隊の敗走は元親の軍にも動揺を与えた。
元々備中の国人衆を寄せ集めた元親の軍は、
次々に勝手に退却、残った元親の軍は覚悟を決めて
直家の本隊に襲い掛かったが、先陣を攻撃していた忠家らの軍も合流し、
ついには三村軍本隊も敗走する事になった。
この合戦を人々は明禅寺崩れと呼んだ。

金光宗高「先陣の道案内は俺がしたんだよねー♪当然内応済みっす。」
中島大炊介「本隊の道案内は拙者が。上に同じく」
直家「計画通り。わざと城をくれてやったら見事に誘いに応じてくれたわ」

この二人のその後を書くと悪い話になってしまうので割愛。

ちなみにこの時戦場となった備前平野では、
その死者を直家が手厚く埋葬したといわれている。
その首塚は、現在もいくつかは現存しています。




34 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/12/10(木) 19:59:02 ID:mXPFHNjz
中島大炊介って備中の人で、清水宗治の部下で、中国兵乱記を書いた人だっけ。
面白そうなので悪い話スレで楽しみにしてます。

117 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/12/14(月) 16:19:50 ID:0OMNbPok
>>30
悲しいけどいい話やね。新たにやって来た大名(出羽なら佐竹や酒井とか)に仕えたり、
帰農して庄屋・名主で家名を残したり(加賀守護の富樫一族とか)、戦国武将の末裔も様々だねい。

三村五郎兵衛の弔い合戦・悪い話?

2009年06月11日 00:03

183 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/06/10(水) 12:59:17 ID:BjrBxrYA
宇喜多直家による三村家親の暗殺。この、日本で初めての銃による暗殺事件の、その後の
話である。

家親の葬儀もすんだ後、三村家の重臣達が集まり、今後の方針を協議した。
この時。三村五郎兵衛が進み出て、弔い合戦を主張した。

「宇喜多の為に先君の命を奪われた事!その無念、憤り、骨髄を貫くほどです。
当家の恥辱である事は、言うに及ばず!一日も早く軍を出し、先君の敵宇喜多を討って、
その頸を手向けになさるべきです!」

これに、故家親の弟、三村親成は

「確かに五郎兵衛の言う事は一理ある。が、今怒りに任せて戦えば、味方も多く損じ、
戦の勝利もおぼつかないであろう。再び負けては、もはや我らに後は無い。
しばらく時を待ち、家親様のご子息である元親、実親の両君を我らで守り育て、成長の上
これを大将として一戦を遂げることこそ忠義である。」

集まった一族郎党の多くは、この親成の意見に同意し、その方針を採ることに決定した。

が、五郎兵衛は同意できなかった。

「皆様が親成殿の、遠い思慮に同意し、家中皆生き延びて若君を守り立て忠義を成せば、
この先、危ういことは無いでしょう。

しかし、この五郎兵衛は愚昧であります。命永らえても、主君を助けるような才を身に着けては
おりません。ですから、

私は、一人でも敵に向かい、弔い合戦をし、討ち死にをして君恩に命を奉ります。
それより他に、やりようがないのです。」

そう言って座を立った。すると一族、若党のうち50人あまりが続々と立ち上がり、
五郎兵衛に続いた。さらに家親に厚恩を受けた士数人もそれに合流し、都合70人あまり、
彼らは禅寺に集まり、それぞれ自分の法名を過去帳に記し、焼香して出陣をした。
皆、一途に討ち死にを決めていた。

永禄九年四月、この事、宇喜多直家の耳にも入る。三村より、100にも満たない弔い合戦の勢が、
二手に分かれて、一手は五郎兵衛が大将となり釣の渡りより南へ、もう一手は
矢津越より直家の本拠沼城に、それぞれ向かってくるとの事。
直家は弟忠家、戸川、岡、長船、小原らに、3000余りの兵を与えこれに備えた。

三村五郎兵衛勢、宇喜多の備えを見ると先ず、弓鉄砲を放射、そして一斉に突撃した。

死を決めた兵たちである、その勢いは凄まじく、一段の長岡の構えはたちまち崩され、
二段目の、岡の構えも今にも崩れるかに見えた。ここに宇喜多忠家の勢が横から槍をいれ突き崩すが、
三村勢は一歩も引かず、そのまま乱戦となり、大将、五郎兵衛が宇喜多の多くの兵たちを道連れに
討ち死にすると、ようやくその勢いを止めた。

もう一方の矢津越の部隊も、備えの戸川勢を打ち破るなど奮戦したが、やはり数に押され、全滅。

三村勢70余人、ことごとく討ち死にして果てた。

一方宇喜多勢は47人が討ち死に、負傷者は百人を越えたと言う。

しかし五郎兵衛をはじめとしたこの七十余人は、命を君恩に報じた者たちであると、
後々まで称えられた、とのことである。


悪い話とも言い切れないが、だからと言っていい話でも無いので、こっちに投稿して見る。





184 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/06/10(水) 13:30:06 ID:ZP/HW8Ke
>>183
その後の三村家の顛末を見るとここで五郎兵衛にのっかった方が良かったような・・・。

192 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/06/10(水) 23:15:18 ID:vmIhYouE
>184這いつくばって家を残すのも、
意地を通して(死してなお)名を残すのも
武士の考え方としては一理あんだよね。

193 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/06/10(水) 23:19:42 ID:UEY6vqEh
一方、宇喜多さんちの忠家さんは兄にいつか殺されるのではと不安のあまり普段から鎧を着て歩いていた

194 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/06/10(水) 23:54:04 ID:SARvkVb4
>>193
鎧じゃない。鎖帷子。

195 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/06/11(木) 00:16:22 ID:RlhovSPt
>>193
前門の暗殺、後門の毒殺ですね