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三引の下に山の字を加ふときは、さんざんの唱

2017年04月16日 17:56

825 名前:人間七七四年[] 投稿日:2017/04/16(日) 15:54:11.51 ID:cYLpXntL
山名豊国の話

「豊国大坂御陣の供奉にありしとき、旗の紋三引なりしを、三浦とわかたんがため、
山の字をくはふ。
 東照宮これを台覧あり、三引の下に山の字を加ふときは、さんざんの唱あれば旗の紋
をあらたむべきむね仰により、二引両に山の字を用ふ。
これよりして家紋も二引両にあらたむ。」
「出典 寛政重修諸家譜」


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武田国信の滅亡

2014年11月19日 18:51

838 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/11/18(火) 18:39:16.55 ID:bm2j5plX
因幡武田家は天翔記でも登場した武田高信が有名である。
高信の父・国信は主君・山名久通(旧名・誠通)の命により久松山城(のちの鳥取城)の改築城を命じられた。
武田国信は若狭武田家の出身であり、若狭武田家3代当主の国信とは別人である。
彼は若狭武田の更に庶流にあたるという。

国信は自分も1国の主を目指すんだという思いがあったのか、若狭を離れて因幡に到着。
そして、この鳥取城の普請の命を受け、完成したら鳥取城を足場と考えた。
結果、鳥取城はかなり堅固な城として完成した。
1545年のことであった。

しかし、この策謀を主君・山名久通が見逃すはずもない。
不審に思った久通はすぐに国信を殺してしまった。

両者の子供たちと鳥取城がどうなったかはまた別のお話。

1人の野心が現代におけるかつ江さん誕生に繋がるとはつい最近まで誰も知らなかったであろう。




「例ではなく時」

2014年03月28日 19:08

828 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/03/27(木) 20:26:18.22 ID:l7W8CKTH
山名金吾入道宗全は、かつての大乱(応仁の乱)の頃、ある大臣家に参り、現在は乱世であるので
諸人はこれに苦しんでいる、などと様々に物語していた時に、この大臣は古くからの例を引いて、
様々にいかにも賢く話をした。

山名宗全は猛々しく勇る者であったので、これに臆する気配もなく、言った

「あなたが仰ることは一応は理解できますが、そのために過去の例を引くのは、宜しくありません。
およそ、例という言葉を、今後は時という文字に変えて心得られるべきです。

世の中の一切のことは昔の例に任せて、何かを決行するのだ、ということはこの宗全も少しは知っております。
雲の上の御沙汰も、伏して考えますに、勿論そのようになっているでしょう。

しかし、この日本国が神代の時代から、天位相続いたことを貴いとするならば、朝廷が分裂した
建武元年からは、みな法を正し改めなければなりません。

憚りながら、あなたがもし、朝廷の礼節の儀式を勤められる時、いにしえ、大極殿のそこそこで
何々の法令有りという例を用いた場合、後代、その殿が滅びてしまえば、是非無く別の殿で行わなければ
ならなくなります。またその別殿も時代を経るうちに後年亡失してしまえば、その時に作った例も
無駄になってしまうでしょう。

おおよそ例というものは、その時の例でしかありません。
大法不易と言い、政道は過去の例を引いて行うべきですが、その他のことは、些かも例を引くべきだとは
思えません。
一般に、公家の人々は例に馴染んで時を知らないために、あるいは衰微して家門乏しくなり、あるいは官位だけを
望み競って、その智節を言わず、そのようにして終に武家に辱められ、天下を奪われ、もはや武家に媚をなす
始末です。

もし今、古来の例を適応するのなら、この宗全のごとき匹夫は、あなたに対してこのように、同輩として
会話することが出来るでしょうか?このような状況は、一体いつの時代の例を引いたのでしょうか?
これは例ではありません、時というものです。

私が今言ったのはは恐れ多いことです。ですがこれより後世に、私よりもさらに悪しき者達が
出てこないとも限りません。その時の状況次第では、その者にも過分の媚をなされる事でしょう。
今より後は、夢々以って、心なき戎に向かって、自分たちの例を語るべきではありません。

もし時を知っておられるのなら、我が身は不肖では有りますが、この宗全が働きを以って、
尊主君公を扶持し奉るでしょう。」

このように苦々しく言い放ったので、かの大臣も閉口し、初めは興のある物語であったのに、
いま徒になってしまったと、後で伝え聞いたところである。

さて、この話は是であろうか、否であろうか。
(塵塚物語)

有名な山名宗全の、「例ではなく時」の逸話の全文である。





山名政豊の播磨攻め

2012年03月22日 21:40

401 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/03/21(水) 23:20:03.39 ID:P6cgc9cP
文明15年、播磨に侵攻した山名政豊は、これを手中に収めたかと思われた。
しかし同17年になると追い落とされていた赤松政則が復活し、蔭木城が陥落するなど山名方は
次第に劣勢に立たされていった。

そんな山名方を窮地に追い込んだのは吉川経基の活躍だった。
「初代鬼吉川」「俎吉川」の異名を持つ稀代の猛将が、赤松方の援軍として参陣したのだ。
赤松政則は、吉川家が梶原景時追討の功で得ていた播磨国福井荘、山名に脅かされていたこの荘園の代官職を
戦費としてあてがうことでその援護を得ていたのである。

文明19年正月、追い詰められた山名政豊は強く願った。
「わしも援軍が欲しい!絶対に欲しい!」と。

政豊はまず、甥である細川政元を通じて将軍家を動かそうと考え、家臣・垣屋越中守と村上左京亮を
京に派遣した。
垣屋・村上の両名は「山名・赤松の戦いを私闘と見なして介入しないという将軍家の方針を改めること」
「山名方に援軍を出すこと」を細川家臣・安富ら3人に対し連日連夜、切々と訴え続けた。
が、細川政元の赤松方への肩入れもあって、色よい返事が返ってくることはなかった。

そこで二人は、公正なことで知られる政所執事・伊勢貞宗邸に赴いて、貞宗に訴えてることを考えた。
自分たちの言い分が将軍の耳に達するよう、貞宗の使者と、その口添えを得ようというのだ。

「垣屋らが到着する前に貞宗を説得せよ。山名に同調させてはならぬ。」
細川政元は、安富らを伊勢邸に急行させた。
安富らは「赤松家の忠節ぶり、誰がそのことを知らざるや」と説いて貞宗の心をつかみ、政元の期待に
応えたのである。

さて、垣屋・村上がやってきた。
貞宗は安富らを先に部屋に招き入れ、垣屋らを門の外に待たせておいて、安富らと酒宴をはじめてしまった。
山名家の二人がようやく召されたのは、その酒宴もたけなわとなった頃である。
その場はもはや訴訟なんぞできる状態ではなく、二人は大酒宴に酔っ払ってただ帰るほかなかった。

402 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/03/21(水) 23:22:25.73 ID:P6cgc9cP
「むぅ、正攻法では無理か・・・。ならばわしの華麗な策略で援軍を出させてやろう!」

その頃、備中に勢力を張る細川家の家臣・庄春資の甥の朋輩で、山名家にも近しい山田という男がいた。
山名政豊は彼に目を付けると、あろうことか細川政元の使者に仕立て上げて庄春資の屋敷に下し、密かに
「京兆(政元)は山名への合力のため、備中の庄の軍勢を播州へ呼び寄せることにした。」と言わせたのだ。
すると庄春資は、一族の庄伊豆守に山名政豊救援を厳命し、その軍勢を播州へ進発させたのである。
「してやったり!」ほくそ笑む政豊であった。

とはいえ、策が策である。
某SLGじゃあるまいし、まさかこんなのが成功するとは思えない。
案の定、庄春資と一緒にいた、とある武将に計略を見抜かれてしまった。

「政元様は山田という男を知らず、顔も見たことが無いはずだ!彼の軍勢呼び寄せの密談、
信用するに足らぬのではないか?」
疑念を抱いた彼は政元に仔細を尋ねてみたところ、
「かようなこと夢にも知らぬことである!それに山田いう者はいったい誰であるのか!!」
はたして、推量どおりの言葉が返ってきたのである。
彼の建白を受けた庄春資は、播州に向かっていた軍勢を撤兵させた。
(蔭涼軒日録)

援兵を得られなかった山名勢はますます劣勢となっていった。
そして長享2年、山名政豊は夜陰に紛れて書写坂本城を脱出、赤松政則の追撃で多数の死者を出しながら、
辛うじて但馬に撤退することになる。
かくして7年に及ぶ政豊の播磨攻めは完全な失敗に帰したのである。




403 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/03/22(木) 12:36:29.16 ID:Kyp00Ij6
とある武将が実は若き日の○○だった、というオチだと思ったら違った

山名政豊の苦難

2011年06月22日 23:34

726 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/06/22(水) 00:16:38.32 ID:w0d/BnPG
文明11年、山名政豊の分国・因幡で騒乱が起こった。
私部(きさいべ)郷の地頭・毛利次郎(森二郎)が叛乱し、たちまち因幡一国を
ほぼ手中に収めるまでに勢力を拡大したのである。

とても捨て置けるような状況ではない。
この時在京していた政豊は一刻も早く但馬に帰国し、乱の鎮圧に向かおうとした。

だが・・・
政豊のもとに、次から次へと引止めの使者がやってくるのである。
細川政元の母(政豊の伯母)、政所執事・伊勢貞宗、
ついには日野富子までが政豊の屋敷を訪れ、知行地を与えるとまで言って
その帰国を慰留しようとした。

すべて、仇敵・赤松政則の策謀であった。
毛利次郎を調略し、強力に援助したのも、帰国引き止めの工作も、すべて。

山名政豊はどうにか慰留を振り切って但馬に帰国すると、伊勢貞宗に使者を送って
将軍家の態度を非難するとともに、兵を整えて因幡へ出兵。
苦戦をしながらも、やっとのことで毛利次郎を放逐することに成功したのである。

727 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/06/22(水) 00:19:58.97 ID:w0d/BnPG
毛利次郎の乱を平定した山名政豊は、赤松政則が伯耆守護として押し立てた
山名元之を美作へ追い払い、そして文明15年、政豊の逆襲が開始された。

8月、政豊は本拠・但馬此隅山城を出陣、播磨・備前・美作へ侵攻したのである。
(聞、赤松分国三ヶ国山名打入云々)

しかし・・・。

ガラガラ!ゴォォーン!

出陣の翌日のことであった。此隅山城下は突如大音声に包まれたのは。
城に隣接する但馬一宮・出石神社の鳥居の横木が突然落下したのだ。
(但馬一宮鳥居、去月横木落云々、件日、山名播州出陣門出之翌日也云々)
何という不吉であろう・・・。

三条西実隆の耳にまで達し、その日記に書き残された縁起の悪い話。

播磨に攻め込んだ政豊は一時は政則を大いに破るも、長い戦いの末に惨敗を喫し、
結局何も得るところなく帰国することになるんですよね。




728 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/06/22(水) 03:32:08.67 ID:YJ1UTNgV
赤松と山名って無茶苦茶仲が悪いよね

山名豊国の歌

2011年03月15日 00:00

309 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/03/14(月) 00:37:04.43 ID:U24G159V
山名豊国は武将としての能力は二流以下だったが
教養人としての能力は一流だった
自分の過去の栄光とそこから転落した現実とを対比させる歌が残っている

名ばかりは沈みもはてぬうたかたの あはれながとの春のうらなみ


出典は江戸時代の「続英雄百人一首」ですがこの本伊達政宗や高橋紹運といった英雄として名を残した人や
織田信雄や松永某など現代では英雄と呼べるかどうか怪しい人が大勢載ってますw




310 名前:人間七七四年[] 投稿日:2011/03/14(月) 02:26:58.95 ID:pJrDrzFa
似たような歌で今川氏真の、

なかなかに世をも人をも恨むまじ
時にあはぬを身の科にして

があるけど、オレは氏真さんのこの歌は、
性根の良さが伝わってきて好き

山名豊国天下人に皮肉られる

2009年07月13日 00:07

327 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/07/12(日) 13:18:28 ID:bsW47eJ+
山名豊国天下人に皮肉られる

時は江戸時代初期、駿府城内で大御所徳川家康と御伽衆山名豊国が話していた。

家康「そちは朽木元綱を粗相人(そそっかしい人)だと称しているらしいが、
そちの方が元綱よりよほど粗相人だろう。」

豊国「なぜでしょうか?」

家康「元綱は殿中での振舞いに祖粗があったとしても、先祖伝来の
朽木谷を守っている。だがそちは゛6分の一殿″と称される程の
先祖を持ちながら、領地を全て失った。これ以上の粗相人はあるまい。」

豊国「まったくおっしゃる通りでございます。せめて先祖の
十分の一の領地を持つ身になりとうございます。」

家康は豊国の最後の一言を苦笑しながら聞いていたという。






山名宗全、”例”を、”時”に・いい話

2009年05月28日 00:05

12 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/05/27(水) 14:01:28 ID:+liEFnnL
応仁の乱において、西軍の大将となった山名宗全。

ある時彼が、とある大臣家の公家と話をしていた時、この公家が『先例』という事に
強く拘るのを聞いて、このように言った

「公家の方々は何かと言えば、先例、先例とおっしゃる。
しかしこれからは、”例”を、”時”と言う文字に置き換えてみてはいかがでしょうか?

世の中が安定し、法が不変の時代ならば、先例を引くのはよいでしょう。
しかしそうで無い時代では、それは全く通用いたしません。
あなた達公家は先例に拘るあまり、時代の変化を理解できませんでした。
そのため武家に天下を奪われたのです。

もし古来の『先例』を当てはめるなら、何故このように、宗全のような卑しい者が身分尊きあなたと、
今対等に会話をしているのでしょうか?

このような事、古来いずれの時代の”例”にも無かった事です。
すなわち、これこそが”時”なのです。」


先例の通じる時代では無いのだ、過去よりも今の現実を見つめよう。
この後の、長い混乱を作り出した一方の当事者の、時代認識である。






14 名前:人間七七四年[] 投稿日:2009/05/27(水) 18:12:26 ID:SRU8aMvQ
>>12
その後、山名家が没落していって豊国が腐れ禿鼠のような卑しい身分出身に
隷属するようになったこととあわせるといろいろと考えさせられるが…

宗全の時代認識は正しいな


15 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/05/27(水) 20:39:32 ID:XAZIPYxt
山名家ってなんだかんだいって戦国時代でも頑張ってたよな。


山名豊国の人の良さ・いい話

2009年04月20日 00:09

839 名前:人間七七四年[] 投稿日:2009/04/19(日) 13:53:22 ID:bYFcNoqd
山名豊国の人の良さ
・対立した武将の息子を召抱える
・対立した一門と和解
・山中を本丸に自分を二の丸に据える
・大坂の陣で豊臣方だった従兄弟の子供を旗本にさせるよう取り成す
・徳川幕府の時代になっても足利幕府の古い恩義を忘れない

姓名判断によると真面目で人に恵まれるらしい




849 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/04/19(日) 21:54:50 ID:EjtZxIjU
>>839
乱世に生まれず治世に生まれていればいい殿様だったろうにな


山名豊国、山中鹿之助に・いい話

2009年04月01日 00:12

336 名前:人間七七四年[] 投稿日:2009/03/31(火) 14:04:46 ID:9gJo0GDv
山名豊国と山中鹿之助

山陰指折りの謀将武田高信に城を追放された後、豊国は流浪の日々を送っていた。
但馬の惣領山名祐豊を頼ったこともあったが、それでもやはり流浪の日々であった。
後に一人の剛勇と出会う。尼子再興を夢見て毛利を倒さんとした山中鹿之助幸盛である。
豊国は鹿之助と結託し鳥取城に篭る高信を追放、謀殺した。
新しく鳥取城主になった豊国であったが、自らは二の丸に、鹿之助を本丸に据えたのである。
本来ならば因幡守護の豊国を本丸に、鹿之助を二の丸に据えるべきであった。

無能さに定評があるが人の良さなら戦国一かもしれない豊国であった。




337 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/03/31(火) 14:27:27 ID:QIiZ0rm0
豊国「何かあったらあいつに責任取らせよう……」
なんてことはないだろうか?w

338 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/03/31(火) 14:33:14 ID:ZQNc0x+O
       ____
     / 豊国 \
   /  _ノ  ヽ、_  \
  / o゚((●)) ((●))゚o \  もう追い出されるのはいやなんだお…
  |     (__人__)'    |
  \     `⌒´     /

       ____
     / 豊国  \
   /  _ノ  ヽ、_  \
  /  o゚⌒   ⌒゚o  \  でも城主やってるときっとまたなんか仕掛けられるお…
  |     (__人__)    |   
  \     ` ⌒´     /

       ____
     /⌒ 豊⌒\
   /( ●)  (●)\
  /::::::⌒(__人__)⌒::::: \   そうだ、あいつを本丸に入れればいいお!
  |     |r┬-|     |   
  \      `ー'´     /

339 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/03/31(火) 14:50:01 ID:yQvQVYmo
中国地方はやる夫思考の産地。

341 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/03/31(火) 15:20:48 ID:c1wGwmKC

     ___
   /  輝元  \
  /   ノ :::::: \ \      
/   (●)::::::(●) \  >>339   
|     u (__人__)u   |  そんな奴と一緒にするんじゃないんだお!   
\    u. ` ⌒´  u /     
/    u      u \
  
343 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/03/31(火) 15:27:11 ID:0r4fu+hH
>>339
直家、経久、元就「ちょっと、飯でも食わないか?」

344 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/03/31(火) 15:38:46 ID:2No1+ehZ
>>339
義降「ちょっと遊びにおいで」

345 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/03/31(火) 15:55:44 ID:l1UkbTCY
稀代の謀将たちとやる夫たちとアッー将が織り成す絢爛豪華な戦国絵巻、それが中国地方

山名豊国、大阪冬の陣で・いい話?

2009年04月01日 00:11

342 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/03/31(火) 15:23:48 ID:wvYe8D7C
山名豊国と言えばこんな話が

大阪冬の陣の時の事、
茶臼山の家康は、いかにも教育好きの家康らしく、若い者達に老巧の考えを聞かせてやろうと、
老中に申しつけ老人を集め、若者との対談の会を催したことがあった。

家康はその模様を障子を隔てて聞いていると、上座の山名豊国が先ず、発言をした。

「この度の戦い、両御所様が仙波より出でて、備前島から大軍を持って一気に攻めかかれば、
大阪城は即座に落ちまする!」

と、そのように豊国流の大阪攻略戦術を述べたそうだ。

その後しばらくして家康、近習との四方山の話の中に

「えーっと、この間山名が言った戦略な、この中にまさか信じている人間はいないと思うが、
一応言っておくと、あれじゃどんな城でも落ちはせん。
山名の城攻めには、城の中に人間が籠っていると言う部分がすっぱり欠落しておる。」

そんな風に評したそうな。




346 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/03/31(火) 16:46:23 ID:3WgrGG4c
         ___
       /   豊 \
      /   \ , , /\
    /    (●)  (●) \
     |       (__人__)   |    この度の戦い、両御所様が仙波より出でて
      \      ` ⌒ ´  ,/    備前島から大軍を持って一気に攻めかかれば、
.      /⌒~" ̄, ̄ ̄〆⌒,ニつ     大阪城は即座に落ちまする!
      |  ,___゙___、rヾイソ⊃
     |            `l ̄
.      |          |




<クスクス・・・
            ___
       /豊     \
      /ノ  \   u. \ !?
    / (●)  (●)    \
    |   (__人__)    u.   |
     \ u.` ⌒´      /
    ノ           \
  /´               ヽ
 |    l              \
 ヽ    -一””””~~``’ー–、   -一”””’ー-、.
  ヽ ____(⌒)(⌒)⌒) )  (⌒_(⌒)⌒)⌒))

               ヒソヒソ・・・>
         ____
       /     豊\!??
      /  u   ノ  \
    /      u (●)  \
    |         (__人__)|
     \    u   .` ⌒/
    ノ           \
  /´               ヽ
 |    l              \
 ヽ    -一””””~~``’ー–、   -一”””’ー-、.
  ヽ ____(⌒)(⌒)⌒) )  (⌒_(⌒)⌒)⌒))

347 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/03/31(火) 16:46:49 ID:gMDW/Aba
俺の中で山名豊国株が急上昇しているんだが

348 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/03/31(火) 17:03:51 ID:2G2928nG
輝以上にやる夫が似合うじゃないかw

349 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/03/31(火) 18:46:35 ID:j7Bz8b3a
>>342
悪い話じゃんw

350 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/03/31(火) 19:08:37 ID:poKDZ+QL
       ____
     / 豊国  \
   /  _ノ  ヽ、_  \
  /  o゚⌒   ⌒゚o  \  両御所が一気に攻めてきたら城の中の人なんて
  |     (__人__)    |  我先に逃げ出すに決まってるお…
  \     ` ⌒´     /  自分ならそうするから提言したのに酷いお… 

351 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/03/31(火) 19:21:21 ID:DdoopimC
良いキャラだなw

352 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/03/31(火) 20:21:39 ID:i/s1oygL
>若い者達に老巧の考えを聞かせてやろうと
家康がどんなつもりで豊国を呼んだのか興味あるな。
反面教師のつもりで呼んだのか、それとも単なる人選ミスなのか…

353 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/03/31(火) 20:45:26 ID:AsJCECoN
大御所に目を付けられないように突拍子もないこと言ってるだけだったら凄いけどなー

まあ、無能だなんだと言われつつ家を残して居るんだから実はそれなりに能力あるんじゃね?
なんて思ってたのに結局伊達に齢を重ねてただけだった・・・と予想

豊国爺様なんかかわいいなw

354 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/03/31(火) 20:47:59 ID:RomhuhFP
で、本物の伊達爺様は料理に力を入れてましたっと

355 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/03/31(火) 21:15:13 ID:QtP7NNPj
>>352
少なくとも御伽衆だったから。

豊国爺様は79歳で天寿を全うしました。
三傑より長生き。長生きで知られる朝倉宗滴とおんなじぐらい生きてる。
実戦経験が少なそうな豊国だが実は関ヶ原の時に鬼作左の隊に寄合衆として従軍。
寄合衆の中には賎ヶ岳七本槍の平野長泰が居たという。

356 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/03/31(火) 21:18:01 ID:9p4TCKPN
この時に信之殿が生きていれば・・・

357 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/03/31(火) 21:53:53 ID:QtP7NNPj
山名豊国、第一次鳥取城攻めの感想
「ほぼイキかけました(予算負担的な意味で)」

織田方の武将に密会させようとしたら捕まってそれが原因で単身降伏だからなあ。
もし捕まってなかったら10万石ぐらいで大名やってたかも。

358 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/03/31(火) 22:14:45 ID:2G2928nG
異方に心引くなよ豊国の 鉄の弓末に世はなりぬとも

いや、なんとなく

361 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/03/31(火) 22:49:27 ID:cDCUEcoD
誰か「やる夫が豊国になるようです」書かねえかなw

360 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/03/31(火) 22:35:39 ID:i/s1oygL
>>358
お、ベッキーさんの辞世の区ではないか。

山名豊国と黒田官兵衛

2009年02月09日 04:49

654 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/02/07(土) 23:56:21 ID:kviky9Hh
豊国ネタを投下してる俺から新ネタ入荷したので投下します

山名豊国と黒田官兵衛のお話
時は関ヶ原。山名豊国はわずかな所領にわずかな手勢を率いて平八さんの近所に陣取るわけだが。
従兄弟を家臣にしたり娘を磔から側室にさせたりと豊臣家にいい思いをさせてもらってた豊国。
しかし人を見る目があったのかあるいは偽者ながら源氏一族でということなのか
東軍に与すことになった豊国。早速豊臣の御噺衆から徳川の御噺衆に切り替わったわけである。
諸国の情報収集をしてることでにわかに有名な御噺衆であり、この当時は京で黒田官兵衛の情報収集をすることとなった。
その情報収集の相手が豊国。実は鳥取城攻めのときに会っている為これが2度目といったところか。
豊国はこう言った
「京に浪人がいっぱい居ますけどね、あんた謀反の疑いかけられてまっせ、ちったあ中津に引っ込んでたら」
官兵衛はこう言った
「天下をとろうならもう取ってる。それをする気がないだけだ。」

豊国ちょっと(気分が)悪い話




666 名前:人間七七四年[] 投稿日:2009/02/08(日) 10:36:28 ID:KMjTJ8m0

>>654
さすが豊国_________

代わりの切腹・悪い話

2008年12月12日 04:09

273 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/12/11(木) 11:29:34 ID:HIajrCIQ
では、あまり手をつけられない戦国初期くらいの逸話でも


寛正三年(1462)八月の事

京の警察業務を担当する侍所の京極持清が長福寺の僧侶数名を逮捕、処刑した、と言う事があった。
これに激怒したのが、有名な有力大名、山名持豊(宗全)である。何故なら長福寺は、山名家の
菩提寺であったからである。

「わしに無断で、長福寺に踏み込んだこと、これは許されん!」

これはたちまち山名、京極両氏の対立となり、京には両家の軍勢が集結!
一触即発、戦乱前夜の様相を呈した。

これを見かねた室町殿、足利義政は両者を仲介。結果、京極側の長福寺捜索の責任者、
多賀新左衛門という者が、責任を取って切腹する、と言う事で決着となり、双方兵を引いた。





しばらくすると再び両家の間がきな臭くなってくる。何故か?
肝心の新左衛門が、いつまでたっても切腹しないからである。

「拙者のやったことは正当な警察業務として行ったこと!それを切腹など
全く納得でき申さず!」

そうこうしているうちに京には再び、両家の軍勢が集結し始めた。戦乱は避けられぬのか?
ところが


それから八日ほどして突然、事態は収拾された。新左衛門が切腹したわけではない。
なんと、新左衛門の変わりに、この事件には全くかかわりのない、新左衛門の弟、
多賀将監と言う者が、兄に代わって切腹したのだ。

この切腹で何故か双方は納得し、危機は避けられた。

山名と京極はそれぞれ室町御所に参上し、御太刀を献上し、自分達の不始末をわび
義政の仲裁に感謝したと言う。



274 名前:人間七七四年[] 投稿日:2008/12/11(木) 12:03:50 ID:OuhLynZQ
>>273
相手が福島正則だったらこうはいくまいw


275 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/12/11(木) 12:18:40 ID:9P4hoQ6b
で、兄貴の新左衛門さんその後どうしたの?

276 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/12/11(木) 12:38:25 ID:HIajrCIQ
>>275
記録にねえです

277 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/12/11(木) 13:00:16 ID:Y2ilVD1R
京極と山名は出雲、隠岐守護がらみで
もともと仲悪いからなぁ

山名豊国の家臣登用・いい話

2008年12月09日 00:00

152 名前:人間七七四年[] 投稿日:2008/12/08(月) 22:38:25 ID:B6zjKh55
山名豊国の家臣登用
山名豊国は失態かあるいは天性のものなのか家臣に見放された人生が多かった
豊国は若かりし日に自らを追った武田高信を謀殺した過去があった
しかし時は流れてかつて自らを追った高信の子供を登用した

「本人に非があっても子供に非はない」もしかしたらそう思ったかもしれない豊国であった



153 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/12/08(月) 23:41:30 ID:IIGpUyu2
>>152
豊国さんは逸話を読めば読むほど、大物なのか小物なのかさっぱりわからなくなるねw

山名豊国と側室の連携プレイ・いい話

2008年12月08日 00:27

138 名前:人間七七四年[] 投稿日:2008/12/07(日) 22:32:32 ID:fdHBQWh/
山名豊国と側室の連携プレイ
因幡入りした豊国は土豪との和睦を図るため長高連の娘を側室として娶った。
ある日自邸に賊が侵入、それを退治せんと奮闘するも人数面で劣る豊国。
そこに扉の影から側室が現れた!機転を利かしその辺にあった服を投げつけて
賊は戦闘不能になり退散したという。



140 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/12/07(日) 22:43:41 ID:bgYOYlvI
賊って、やっぱり物取りじゃなくて暗殺かな

141 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/12/07(日) 23:02:14 ID:8ofcghO7
長氏や遊佐宇治って独立大名じゃ聞かない名前なのに
やたらあちこちの大名の家老級にいるよ

142 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/12/07(日) 23:22:37 ID:U/H1FwlJ
>>138
あれ?そのまま怯んだ賊を豊国が突き殺したって話じゃ無かったか。

143 名前:人間七七四年[] 投稿日:2008/12/08(月) 06:22:12 ID:AjAyyCpZ
>>141
長は長谷部の末裔で全国にばら撒かれてるからなぁ
それなりに広がってる
能登長氏は加賀で33000石もらうほどの大身


144 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/12/08(月) 06:48:16 ID:0j58gAi+
>>141
遊佐氏は畠山氏の被官で家老みたいなもんだから、畠山が分家するたびにそれとともに広がったんじゃないの?

146 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/12/08(月) 11:08:39 ID:0nPj5bkz
>>144
そしてもれなく主君を害するのですね。わかります。

147 名前:人間七七四年[] 投稿日:2008/12/08(月) 15:01:49 ID:AjAyyCpZ
>>144
>>146
遊佐の忠誠心は能登も河内も関係ないw

二本松にも遊佐氏はあったのかな

148 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/12/08(月) 15:48:44 ID:glL7ylBo
>>138 餅をつまらせて苦しそうにしてたら豊国に
「おまいはとっても餅が好きなんだな」と
冷やかされた側室さんと同一?

151 名前:人間七七四年[] 投稿日:2008/12/08(月) 22:25:04 ID:B6zjKh55
>>143長や長谷部系統は山名家臣に結構多いですよ(特に伯耆)
但馬の長氏は派遣されて一揆を鎮圧した際に土着したそうで
あとは波多野の傍流、千葉氏(垣屋とか)、但馬に残った日下部氏(朝倉の親戚)とか

>>148
その通り

山名豊国と側室・悪い話

2008年12月08日 00:20

127 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/12/07(日) 22:14:05 ID:fdHBQWh/
山名豊国と側室
山名豊国には側室がいた。(ちなみに正室は祐豊の娘、すなわちいとこに当たる。)
元々流れ者(丹後で鹿之助と意気投合した話もあるほど)なので、
土豪との和睦を図る目的で長高連の娘を娶った。
ある日その側室は餅を苦しそうに食べていた。
それを見て一言「お前は餅が好きなんだなwwwww」
これ以降餅を食べなくなったといわれる

野田がアップを始めかねないちょっと(口の)悪い話であった



130 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/12/07(日) 23:38:52 ID:bgYOYlvI

>>127
野田がアップする、ってどういう意味?

131 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/12/07(日) 23:41:41 ID:U/H1FwlJ
野田の聖子ちゃんは食べ物が喉に詰まる事に敏感です。

133 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/12/07(日) 23:51:01 ID:bgYOYlvI
>>131

なるほど。
しかし

http://blog.livedoor.jp/dqnplus/archives/1182442.html
>こんにゃく入りゼリーはだめで、モチは規制しなくてもいいのか-という問題だ。
>
>実際、10日の調査会でも谷公一衆院議員が「モチは昔から死亡事故が多い」と
>指摘した。一方、野田聖子消費者行政担当相は10日の会見で
>「モチはのどに詰まるものだという常識を多くの人が共有している」と強調したが、

らしい。

山名豊国の鳥取篭城・悪い話

2008年11月11日 00:04

885 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/11/10(月) 19:42:37 ID:DcQIeeUo
山名豊国ちょっと(家臣に対して)悪い話
鳥取城攻めのとき、節操がないことで有名な豊国は依然毛利に与し続けた。
節操が無いと言えどなかなか降伏しないので秀吉は家臣の家族を磔にしていった。
そして自らの娘が磔にされるとき、降伏を決断したといわれている。
ちなみにその娘は生き永らえて秀吉の側室となったともいわれているが定かではない。



889 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/11/10(月) 20:29:59 ID:LkGoQkDU
>>885
戦国初期の猛将・宗全の子孫は飛んでもないバカ殿でした、って話だな
ちなみにむすめは「あかね」といって確かに秀吉の側室に献上されたらしいが、
その後どうなったか分からないみたい。

その話には補足があって
秀吉が鳥取城を攻撃する!…との情報に
毛利家は吉川経家を加勢に送り込んだ。
経家は長期の籠城戦を覚悟し、早速鳥取城の食料をチェックした

なんと蔵の中は空っぽであった

実は、攻撃前に秀吉が弟の秀長に命じて鳥取城周辺の農家から米を高値で買い占めていたのだが
鳥取城にいた山名家臣も目先の金ほしさに、兵糧米を全部売り払ってしまったのだという・・・

上も馬鹿なら下も馬鹿という悪い話でした。



892 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/11/10(月) 22:12:07 ID:5TrXeDKX
>>889
そのわりに頑張ってた方だな

894 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/11/10(月) 23:28:37 ID:FFfotb5E
>>892
蔵が空っぽで2ヶ月(1説には20日)で兵糧が尽きたのに7ヶ月あまり耐え忍んだ吉川経家は頑張ったよ

895 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/11/10(月) 23:53:48 ID:QcxJ40VP
>>894
7ヶ月間包囲したってのもスゴイな

山名豊国のうらぶれた羽織・いい話

2008年11月01日 00:02

42 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/10/31(金) 18:04:50 ID:fzei4Osl
まあ有名な話だと思いますが

徳川家康が将軍になった頃、山名豊国という老人が家康に目通りした。
ところが彼は、古く、うらびれて、ところどころ継はぎすらある羽織を着て現れた。
家康の家臣たちは「なんと無礼な」と、豊国に注意しようとしたが、家康はそれを止め

「その羽織は何か由来があるのか?」と聞いた。

すると豊国は
「我が山名家において、将軍様に拝謁する時は、この羽織を置いて他にありません。
これは、足利12代将軍、義稙様より拝領したものです。」

その旧恩を忘れぬ姿勢に家康もその左右の者達も、皆感心したとか。



43 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/10/31(金) 19:08:52 ID:QctsjLW7
>>42
>その旧恩を忘れぬ姿勢
捉えようによっては「俺ん家は由緒正しい家系でこの羽織だって物凄い価値のある古着なんだぜw」
って自慢してるようにも見えるよなw

44 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/10/31(金) 19:46:28 ID:WDq3X0BL
>>43
正則ならそう思っただろうな

45 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/10/31(金) 19:51:17 ID:Gp/RFVCp
旧恩は忘れなくても家臣の忠義はキレイさっぱり忘れた件
経家さんに謝れよ…

46 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/10/31(金) 20:38:49 ID:zV3tujK/
豊国って家臣に二度も城おんだされたのに
延命して>42を経て存続したんだよな。
案外すごい人なのかも。

47 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/10/31(金) 21:40:18 ID:7Zii7hWE
で、結局豊国は自分を追い出した旧臣たちもまた家臣に加えてるん
だよね確か

48 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/10/31(金) 22:14:07 ID:IheZ6e4P
>>42
でもやっぱり礼に反すると思うけど。
同じようなことを現代で天皇陛下相手にやろうと思っても宮内庁に追い出されるだろう。

49 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/10/31(金) 22:50:54 ID:hQrnQBdO
服装とかが乱れてるからと合格取り消された高校のニュース思い出したwww
身なりってのもときと場合によるが、人によって考え方は様々だよね。
戦国時代ならそれを誇りといってくれる人が今よりはいたのかなと考えさせられた。

50 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/11/01(土) 00:17:19 ID:wMjfCIt2
正則とか森兄弟なら『無礼な!帰れ、もしくは斬らせろ』になってるんだろうけど家康みたいに意味を聞いてくれる人間だからこその美談だな

52 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/11/01(土) 01:21:50 ID:AoD2RYXT
忠興だったら、普通に納得して室町幕府の話で盛り上がる
森兄弟だったら、足利将軍家?滅亡m9(^Д^)プギャーそしてKILL
正宗だったら、うちには奥州探題半万年の歴史を誇る甲冑があるニダ>突っ込まれてキレる
DQNな方の家久だったら、そんなことどうでもいいから酒飲もうぜ

53 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/11/01(土) 01:23:37 ID:8otsF4EK
ダークサイドオンリーの良い子悪い子普通の子みたいになってるなw

54 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/11/01(土) 01:34:06 ID:J1EDJFy1
家久が二重人格みたいな扱いで笑える

55 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/11/01(土) 01:38:47 ID:8otsF4EK
しかし、切れずに人の話をきちんと聞く程度の事で、家康が善人に見えてくるのが
戦国時代の恐ろしいところだなw

56 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/11/01(土) 01:41:22 ID:/iPXwuBn
そりゃ大小腰にぶら下げて、キレたらすぐ切っちゃう連中ばかりだしw

57 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/11/01(土) 01:56:49 ID:raKeuvp0
現代でも話をきちんと聞いてくれる人はそんなに多くないしな

61 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/11/01(土) 16:08:28 ID:OOKNxvJp
秀吉なら絶賛した上で俺がいいのをくれてやる!

って金ぴかの趣味が悪いの与える。

62 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/11/01(土) 17:30:32 ID:PSKTv4at
そして転売

63 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/11/01(土) 19:24:13 ID:Izq/dYx4
政宗だからしょうがない。

64 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/11/01(土) 21:33:13 ID:qLlFs+BC
>>63
政宗でてきてねーよw

65 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/11/01(土) 21:36:39 ID:vH8Zvr8D
正則だから仕方が無い

66 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/11/01(土) 21:50:24 ID:mPSko31Z
>>64

   {~タ-―=二、`ヾ、~l          なんという冷静で的確な突っ込みなんだ!!
 ,-r'"_,,........,__  ` -、 `i)                                           /|
 彡;:;:;:;:;/~__家久、_  `l、       ,.-=-.、.                           ,..ィ"~~~~~:::::ヽ
 7:;:;:;:;:/. `ー-ヲ t‐-、!`ヽi::r   ,:、 ,..ム.゚.,..゚..,.、l                         ,r'"::;;;_;;::::::::::__:::::::\
 ;:;:;:;:;/ /   ,.、 `!~|:::)::/   / :K"/ r:'" ,iii ~\         ,,...-,-、           /,.r''"     ヽ:::::::::::i!
 :;,;-〈 /  Fニニヽ | .|:::l:::ヽ   ラ-{ `"・ 正宗。 llL_/!      /-v"  `丶、       i" 忠興,.-。-ュ-.ヽ:::::::::;!
 '   fヽ  ヾ--"  l,/::/r'"  /`ー!: |~r-。、~`-、゚_  lソ     /  l      ` 、      i ,r・')、 |:`''''' " ヽヽ:::::::ヽ
   | ` 、___,..- '"|::::ゝ   /  l ノ i/`"'" ´゚-y' ./メ,      /  (鬼)`丶、    '''ヽ     l :~ ヽ! ,..-、  ヾ;:::::::::|
   ヽ   /    レ"`‐.、_./  .レ /:; r-ニ、 K ./ 「    r''  //~~`''ーヾ'ー、   ノ     l   f'" '"~ノ  l |::::::::L
 ヽ        _,.-‐-―`ー"ヽ_l ヾ `ー'",.! | |_/     |  /、,,..-i'''t=ニ;ラ",l|`ゝr'     ヽ   ヽ-‐"  //'"二
  `,.-―'''''''''''<.,_     i"   l  ヽ....,,-" く__/     `ヽy:|`T"~、.,,__  `,i|ヾ |       ヽ、 ,.:-‐-'',/,.r‐''"
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           |     `: 、_         ノ   ヽ    ヽ'、  l!;;;;;;;/  / /:::::::`t''''丶、


67 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/11/01(土) 21:51:15 ID:8otsF4EK
>>66
ついにこんなものまでwww

71 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/11/01(土) 23:39:06 ID:Onieiz9k
>>66
正宗は刀。