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蜂須賀正勝と錫杖の馬印

2010年11月18日 00:00

366 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/11/17(水) 17:06:05 ID:ia5QDJ/D
家紋とはちょっと違うが、馬印の話を。
ただいま、徳島では「蜂須賀三代 正勝・家政・至鎮~25万石の礎~」
http://www.city.tokushima.tokushima.jp/johaku/event/2010/201010/20101023_01.html
なる展覧会が開催中。
これといった出物はなかったんだけど、そこで紹介されてたちょっとした逸話より。

蜂須賀正勝公、桶狭間の合戦の際、縁起を担いで縁の寺にあった鉄製の地蔵像を戦場に持ち運ぼうとした。
しかし、さすがに重くて運べず(当たり前だ…)、錫杖だけを持っていくことにした。
その合戦で武功を挙げたことから、感謝の念を深くした正勝は錫杖を自らのトレードマークとし、以降、
蜂須賀家では代々、錫杖が馬印となった。

蜂須賀正勝が桶狭間に従軍してたとか、戦場に地蔵像(しかも鉄製)運ぼうとしたとか突っ込みどころが多いのは勘弁。
そう書いてるんだもの。




367 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/11/17(水) 17:15:10 ID:MzSPG0CF
新・陸戦型モンスター伝説HACHISUKA

鉄製の地蔵を振り回し当たるを幸いなぎ倒す

368 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/11/17(水) 18:03:43 ID:FFoV+e2P
錫杖が馬印とかカッケーな
家康のと違って軽くて持ち運び楽そうだしカッケーな

369 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/11/17(水) 19:58:59 ID:0cdywh9X
>>366
俺はその徳島城博物館の、太宗の香炉と呼ばれる香炉の
小堀遠州の筆と伝わる箱書きが縦書きで

   賀
蜂須家

ってなってるのが気になって気になってしょうがないんだよおおおおお
書き損じないで!そしてごまかさないで!
あと香炉のボディ真正面に 宗 太 って書いてあって
なるほど太宗の香炉ねって安易さも地味に気になる

370 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/11/17(水) 20:29:37 ID:R8fari4u
書道とかでもよくあるじゃん、文字の大きさ配分を間違ってしまうこと

371 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/11/17(水) 20:35:35 ID:GSxnIyEx
いや、達人はそうはやらんけどな

372 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/11/17(水) 21:59:26 ID:5HOHq1lI
達人とか言われてる人の字なんて一般人には何が書いてるのかわからんがな

373 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/11/17(水) 22:07:06 ID:o3nj+Z7H
んなことない。
8世紀の伝説的な書の達人である顔真卿の『顔勤礼碑』
現在でも書道のお手本に使われるほど。
http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/6/64/Yan_Qinli_Stele.jpg

大阪陣の人狩りと蜂須賀至鎮

2010年07月14日 00:00

842 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/07/13(火) 01:28:56 ID:3jGFqAC9
大阪夏の陣で、大阪城の落城後大規模な略奪、人狩りが起こったこと、これは有名である。

が、幕府は人狩りに関しては

『戦場となった地域で人を略奪するのは捕虜ということで仕方がないが、
戦場区域以外で略奪した人間に関しては、無条件に開放せよ!』

と言う命令を出した。

この人狩りに感しては、大坂の陣に参戦したほとんどの大名が行っていたが、
特に一人の大名が問題になっていた。
阿波国主、蜂須賀至鎮である。

蜂須賀家は夏の陣においてなんと、男女あわせて170人もの人間を略奪していたのだ。

『戦場から略奪したというだけでは、いくらなんでも多すぎる。
規定外の人間は直ぐに開放せよ!』

こう迫る幕府に、至鎮は一冊の書類を提出した
「これをご覧ください。」

「…これは!?」

何とその書類には、略奪した男女全員分の「住所」が書かれていた。
ご丁寧なことにみな、戦場区域内であった。

「これこのとおり、我ら蜂須賀家が略奪した男女は、全て合法でござる!」

その書類に書かれた「住所」が本当であるかどうかはかなり疑わしい。
が、至鎮は幕府がこの件で何か言ってきた時のため、予めこのような物を作っておいたのだ。

いかに幕府であっても、大名から直々に『証拠』を提出された以上、それ以上
詮索するのは難しい

「お疑いも晴れましたようですので、それでは。」

さすが、『阿波の狸』の子も狸である。
蜂須賀至鎮、人狩りへの申し開きのお話。




843 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/07/13(火) 07:58:15 ID:zeY/GIW1
170人で「多い」ってのがむしろ意外だ

845 名前:人間七七四年[] 投稿日:2010/07/13(火) 16:20:27 ID:0txyhuNn
>>842
そんなに狩ってどうするんだか。
親類が身代金出してくれるのを狙ってるのか、阿波に連れ帰るのか?

846 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/07/13(火) 16:49:02 ID:2QwmZTuH
このころは買戻し目当てよりも自領での労働力としての人獲りでしょ
冬の陣図屏風のほうだっけかな
三つ葉葵を付けた武士が幼女を連れた女性を引っ張っていくところが描かれてなかった?

847 名前:人間七七四年[] 投稿日:2010/07/13(火) 17:04:42 ID:0txyhuNn
>>846
都市部に住んでいた人に農業でもやらせるのか?
職能の人ならわかるけど。

848 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/07/13(火) 17:40:41 ID:WPdT+KzV
基本的には農業要員だろうけど、城下町作りほかの土木作業員とか、
労働力の使い道はたくさんある。
大名間で個別に取り決められた「人返し令」などは、
基本的に他領から人が流れてくるのはwelcom、
自分とこの農民などがよそへ逃げていくのはNGだから存在した。

蜂須賀家政「地の利を頼むより」

2010年04月09日 00:03

241 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/04/08(木) 18:33:21 ID:tLytfPMW
天正十三年(1585)、秀吉による四国征伐の結果、蜂須賀家政は阿波十七万五千石の太守となった。
そこで家政は先ず、要害堅固で知られた山城、一宮城(徳島市一宮町)に入ったのだが、ここを居城とせず
新たに平野部の吉野川河口に新城を造ることとした。
これを聞いた蜂須賀家重臣、武市信昆は諫言をする

「平地の城では一旦事が起こった場合、甚だ不利となってしまいます!」

蜂須賀家の防衛を考えた場合、当然の懸念であろう。
が、家政は笑って武市を諭した

「秀吉公の武威により、今から百年後までも世の中は泰平となり、武備の要という物も必要が無くなるだろう。
であれば地の利を頼むより、むしろ人の和を頼むべきではなかろうか?」

だからこそ平地に新たな城を造るのだ。
武市もこれに納得し、新城、徳島城の建設は始められた。その縄張りには築城家として有名な林道感と、
当の武市信昆が当たったと言う。


いち早く新たな時代の城を考えた、蜂須賀家政のお話。




242 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/04/08(木) 21:39:18 ID:hFOEBrz4
>>241
その城の落成記念で踊りだしたのが、阿波踊りの起源ってことになってる。

243 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/04/09(金) 00:47:10 ID:1DJJepGv
へええ、阿波踊りの起源なのかー

245 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/04/09(金) 01:00:12 ID:9N0nCcsm
>>243
あくまでも地元の伝承レベルの話だけどね。

その日も忠英は寝坊した

2010年04月02日 00:03

173 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/04/01(木) 07:35:37 ID:0gwEpzcR
ヒャッハー!新年度だアッー!寝坊する子はいねがぁぁぁ!!

阿波藩主、蜂須賀至鎮は三十台半ばの若さで世を去り、子の忠英は祖父の蓬庵(家政)が
後見することになった。早くに父を亡くした忠英は甘やかされて育ち素行が悪く、家臣の手を焼かせ
たびたび蓬庵からたしなめられた。( http://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-1938.html

その日も忠英は寝坊した。
「若様、若様、もう朝ですよ?起きて下さい。」「うーん、もう少しだけ…」
「何を仰せになりますか。早朝からお出かけだった蓬庵様など、とっくに戻られて、もう朝餉を
召し上がっておいでですよ?」「なに、お爺様が!」

さすがにマズイと気づいた忠英、あわてて飛び起き、蓬庵のいる徳島城西の丸へ駆けつけたが、
すでに朝餉に箸をつけた蓬庵の忠英を見る目は、冷たい。
「……………(怒)」
「え、えーとお爺様、こ、これは……」
「…今朝、竜王山の麓にな、こんな紙切れが落ちておった。書いてあることを読んでみよ。」

『 ものの名も 処によりて 変りけり そちの朝飯 こちの夕飯 』

「誰が詠んだ狂歌か知らんが、言い得て妙じゃの。いったい、何のことを言っとるのかのぉ?!」
「……………」
その後、蓬庵は忠英と歌について二言三言交わし、忠英の食べ終わるのを待たず退出した。

それからというもの、忠英は寝坊しないようになり、徐々に行状も改まったという。




実は蜂須賀家の血筋は・・・・・・・・

2010年03月15日 00:02

282 名前:人間七七四年[age] 投稿日:2010/03/14(日) 21:34:09 ID:E3OFFdzf
実は蜂須賀家の血筋は・・・・・・・・

時は明治時代、明治維新も終わり日本が富国強兵にばく進していた頃、
蜂須賀家14代目当主の蜂須賀茂韶侯爵は、歴史学者を呼びつけた。

蜂須賀侯爵「じつは、蜂須賀家が『夜盗ではない』と言うことを証明して欲しいのだ。」
歴史学者喜田貞吉「侯爵家の先祖は『たしかに夜盗』であった。しかし夜盗というものは、
         その時代には決して恥ずべき職業ではなかった、ということなら、
         歴史的に証明してみせます」
蜂須賀侯爵「カエレ!次!」
歴史学者渡辺世祐「証明しましょう。」
蜂須賀侯爵「よし!よろしく!」

ちなみに、蜂須賀茂韶侯爵はどんな人かというと、
学歴:オックスフォード大学卒業
経歴:第11代東京府知事(1890年 - 1891年)、第2代貴族院議長(1891年 - 1896年)、文部大臣と侍従経験
と、【ビックリする経歴】である。ちなみに俺もたまげた。

事の起こりは侯爵が明治天皇から「ちょっと来い。」なのか、「聞きたいことがある。」
なのか、詳しい事情は不明だがお呼ばれしてしまったので参内した時のことである。

蜂須賀侯爵「はて、陛下からのお呼ばれとは何だろうか?ん?」

侯爵は応接室で明治天皇の参上を待っていたところ目の前に
タバコがあるのが目に付いた。もちろんお客用でおいてあるもので、たくさんは言っている。
しかも菊の御紋章つきである。

蜂須賀侯爵「ほう。恩賜のタバコか。お客用なら・・・一つ頂こうかな。」

ガラ!←入り口の開く音

明治天皇「蜂須賀侯爵、またせたな。ん?」

侯爵が手を出したその時に、タイミングよく天皇が参上!見事に手を出しているところを見られてしまったのだ!
間が悪いと言ったら間が悪いが、見事に見られてしまったのだ。
天皇は笑いながら言った。

明治天皇「先祖の血は争えんな。はっはっは!」
蜂須賀侯爵「スミマセン(チクショウチクショウウチハヤトウナンカジャナイ!)」

そう、明治天皇は『太閤記』の蜂須賀正勝の記述を引き出して、
侯爵をからかったのだが、もちろん侯爵は頭に来た。
明治天皇をぶん殴りたい気分だったろうがそんなことはできはしない。
そこで歴史学者を呼んで、『蜂須賀家はと言うより蜂須賀小六は夜盗ではない』
と証明してもらうことを思いついたのだ。
だが・・・・よく考えて欲しい。蜂須賀小六正勝は夜盗ではない。あたりまえだ、
だったら、『川並衆』なんて名乗れませんよ。本職は国人という武士だもの。
でも、家系を調べたらそんなことが吹っ飛ぶような事実があるんですよ。

蜂須賀茂韶侯爵(被害者):徳川家斉の孫

明治天皇(加害者)
蜂須賀正勝━家政━至鎮━三保姫(池田光仲母)━
池田光仲━仲澄━仲央━仲庸━数計子━勧修寺婧子(仁孝天皇母)━
仁孝天皇━孝明天皇━明治天皇←注目!
     
あれ?『夜盗』の子孫は・・・・・・・今の天皇に続くと言うことですか?コレは・・・・




蜂須賀至鎮、畳をばた々々と

2010年02月22日 00:00

732 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/02/21(日) 21:30:27 ID:yyyEjSkL
阿波蜂須賀家で江崎隼人という士を召し抱えることになり、重臣の益田因幡守が江崎を
主君・蜂須賀至鎮に取り次いだ。

しばらくして後、江崎が激怒して出て来たので、驚いた益田は理由を尋ねた。
「ど、どうされた?なにか不満でも・・・」
「至鎮公は良将と聞き及んでおりましたが、とんだ礼儀不案内の大将ですな!?
早々に立ち退くべしと思いましたが、一度召し出されながらさっさと退去するのもナンですので
貴殿には言っておきましょう。
そもそも、多少は名の知られた拙者をご覧になるのに、袴も着けずに着流し一枚で、側近と

    〃〃∩  _, ,_
     ⊂⌒( `Д´) 
       `ヽ_つ ⊂ノ
              ジタバタ

こんな感じで碁を打っておられ(原文:碁盤ニあぎとを持せられ、腹這ニ成り御脚を延され、
畳をばた々々と御脚ニて御拍子を取遊ばし・・・)、拙者を見ても『江崎隼人か。』と言ったきり、
なんの御意もござらなんだ。も、もう・・・無礼を通り越して法外ですぞぉー!?」
「お・・・お怒りごもっとも。さりながら、一ヶ月!一ヶ月だけ待って、また登城して下され!」

益田の説得によってようやく事なきを得て、江崎は蜂須賀家に仕える事になったそうな。




733 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/02/21(日) 23:14:26 ID:OGdtEzVv
浪人のあふれた時代で、もうネームバリューによる推薦とかに飽々してたのかな

734 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/02/21(日) 23:17:46 ID:3gIeeR+a
おにゃのこがうつ伏せになってジタバタしながらワガママ言えば萌えるけど
いい年こいた阿波狸のセガレじゃなあ…w

735 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/02/21(日) 23:31:19 ID:3sMz+hRb
でも、至鎮くん15歳で藩主になってるから、まだ若い頃かもよ?

736 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/02/21(日) 23:52:13 ID:65bSVyA+
私が親でも叱るレベルの姿勢の大大名…現代人でもアゴ乗せはねーわアゴ乗せは

蜂須賀家政は甘いものが大好きだった

2009年11月12日 00:23

103 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/11/10(火) 23:17:04 ID:jU9medFe
蜂須賀家政は、朝晩の食後に菓子を食うぐらい甘いものが大好きだった。

ある日、家政の近習・内海十左衛門は主君に呼ばれ、「手を出せ。」と言われた。
言われた通り手を出すと、家政は皿に盛った豆餅を一個、楊枝に刺して内海に与えた。
内海が受け取って手を引っ込めると、家政は
「なんじゃ、若い者はまだ食うかと思ったのに遠慮しおって。あとはワシが食うとするか。」
と言って内海を下がらせた。

それからしばらくして、また内海は家政に呼ばれ、豆餅を一個もらった。今度は心得た
内海が手を出したままでいると、家政は言った。
「なんじゃ、意地汚い。残りはワシの分じゃ、やらんぞ!!」
「・・・・・・」


徳島藩士の記録より。えーと、名将言行録には
「家政は余った菓子を宿直の者に残らず与えた。足りない時は切り割り、不公平の
ないようにした」と書いてあるんですが・・・




104 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/11/10(火) 23:21:44 ID:aNx/1zDG
落語の住職さんと小坊主でこんなのありそうだな。
家政公は笑がわかっておられるw

105 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/11/11(水) 00:17:50 ID:NF2+W8AT
おそらく与える人間が内海一人だけじゃなくて何人もいたのだろう。
最初の時は豆餅が大量にあり余っていた。
次回の時には足りなかったので切り割って与えるつもりでいたけど
内海だけは前回欲張らなかったから特別に「一個」もあげたのに
更に催促してきたので「意地きたねー」と言った。

と、好意的に解釈してみるw

蜂須賀家政「よーしパパ大坂城に行っちゃうぞー」

2009年11月11日 00:17

302 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/11/10(火) 20:57:03 ID:ZB+TLXKr
大坂の陣が始まる少し前のこと。
関ヶ原の合戦の後、嫡子至鎮に家督を譲って隠居していた、蓬庵公こと
蜂須賀家政が突然謎の言動を見せ始めた。

蓬庵「よーしパパ太閤様の神社を建てちゃうぞー」
至鎮「こ、この徳川の時代に何をやり出すのですかお父様(((゚Д゚;)))」

1614年、豊臣家が風前の灯と言うときに阿波国中田に豊国神社建立。

至鎮「お、お父様このようなことをしては幕府に……」

とりあえず豊国神社建立を問責はされなかった大坂の陣前夜。豊臣恩顧(笑)の諸大名に
大坂方から合力の誘いが来る。

蓬庵「よーしパパ大坂城に行っちゃうぞー」
至鎮「ち、ちょ、それは本気で御家が潰れますから(((゚Д゚;)))」
蓬庵「大丈夫大丈夫、一人で行くからw」
至鎮「駄目ですってー(>_<)」

もちろんそんな話が徳川方に伝わったら大問題。改易されてもおかしくない。

至鎮「大坂に行ったらボク切腹しちゃいますからー!!(>_<)」
蓬庵「わかったわかった、じゃあ大坂やめて江戸までちょっと行って来るから」
至鎮「殺されにいくようなものじゃないですかー!!!」
蓬庵「もう決めたからw あと頑張ってねー」

1614年冬、大坂冬の陣勃発。蓬庵様は江戸にて留守居役と称して釘付け中。

至鎮「お前ら死ぬ気で戦え! 活躍しないと内通疑われて改易されるぞ!」
家臣「(((゚Д゚;)))」

かくして蜂須賀家は大坂冬の陣で家康、秀忠から七枚の感状をもらう大活躍を見せ、
戦後には淡路一国を与えられて阿波淡路25万石の大大名となったのである。

蓬庵(……計算通り( ̄ー ̄))

この男、伊達政宗から「阿波の古狸」と呼ばれたという。




303 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/11/10(火) 21:02:49 ID:5CTB59yb
>>302
一人ででも大坂城に入るって騒いだ後止められて
じゃあもういいよいっそ俺を人質にすればいいさ!って江戸行っちゃったんだよな
結果だけ見たら父親を人質に差し出すっていう無二の忠誠を示したわけで
しかも逆に世間から見たら豊臣の恩を忘れてないアピールにもなる
蓬庵様は本物の策士やでー

306 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/11/10(火) 22:30:40 ID:2RTuaMpW
阿波国中田に豊国神社は今もあるのかな?

307 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/11/10(火) 22:30:45 ID:xAJDWfbh
ああいうdqnは教育でどうこうできるものじゃないだろw
生まれつきだよ。


309 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/11/10(火) 22:51:17 ID:fBqqvo9a
>>306
ぐぐったら三代目の藩主のときに廃絶して、その後明治時代になってから再建されたそうな。

310 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/11/10(火) 22:53:33 ID:ZB+TLXKr
>>306
ttp://genbu.net/data/awa2/toyokuni_title.htm


蜂須賀至鎮の死についての伝説

2009年11月05日 00:03

956 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/11/04(水) 19:21:02 ID:JBsCIoeH
蜂須賀家政の嫡男、蜂須賀至鎮。
大阪冬の陣では木津川、博労淵の合戦で功績を上げ、夏の陣では長曾我部盛親を生け捕るなど、
武略に長けた君主であったという。
ところがこの至鎮、三十代の半ばで急死してしまう。
若くして死んだ英主を惜しんで毒殺説が流れるのも世の常。
さて、そこまではよくある話なのだが……

俗説一。
蜂須賀至鎮はかの有名な覇王項羽と同じ、一つの目に瞳が二つある異相の持ち主であった。
項羽のごとき異相に、天下を脅かす危険性を感じた幕府が毒を盛って殺したのである……

……いや、それ異相というより怪物……

俗説二。
毒を盛られた至鎮は、それでもなんとか徳島城まで帰還した。しかし、屋敷まで後少しと言うところで、
ついに力尽きてしまう。
そこは屋敷から目と鼻の先、自らが上田宗箇に作らせた名庭。
無念極まりない至鎮は、庭の石橋の上までたどり着くと、無念のあまり……
石橋を足で踏み割って、そのまま息絶えたという。

……いや、石橋を踏み割る力があれば屋敷まで帰れよ。

という、主君を思うあまり化け物にしてしまった贔屓の引き倒しの話。

957 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/11/04(水) 19:42:34 ID:JBsCIoeH
ちなみに、>>956の石橋というのは、もともと長さ10メートルの一枚岩の石橋……
死にかけの人間に割れるかいw




961 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/11/04(水) 20:21:37 ID:z3zV7Z9K
>>957
この橋ですか
http://blogimg.goo.ne.jp/user_image/6c/bf/f4f2b0119d5dacb1bbfb23fcc2cea549.jpg

こりゃあ無理だw

967 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/11/05(木) 00:15:32 ID:vGdmwcXU
>956
イケメンすぎる殿と美人過ぎる家康養女(だっけ)が……って悲恋みたいな話になってたっけ。

973 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/11/05(木) 08:58:27 ID:GC2jm/Qr
>>956>>961
戦国のすごい憤死ランキングつけたら、たぶん上位10人には入りそうだなw

家康養女氏姫、蜂須賀家に嫁ぐ

2009年09月18日 00:33

氏姫   
505 名前:utareyowaidesu[] 投稿日:2009/09/16(水) 22:20:18 ID:2XxdTIFp
ロム専でしたが 勇気振り絞って初投稿
某総本山監修の小説からの引用なのと その本 手許になくて
記憶をたよりに書き込みです ソースなど ご容赦を

慶長4年 家康が政略結婚をしたなかに 蜂須賀家がある
妻になるのは 小笠原秀政の娘で 名前は氏姫
彼女は法華宗の熱心な信者でした
家康の養女となって嫁ぐ時に 家康とお目見えがあり 彼女は こう言った
お養父さま お嫁入りの祝いに おねだりがあるの^-^ニコ」
「はて?嫁入り道具に欲しいものがあるのか?(金は出さんぞ)」
「嫁入り道具なんていりません。蜂須賀の家の宗旨は臨済宗だけど
 姫は法華宗に帰依してるの
 だから お嫁に行っても信仰を続けて良いという お許しが欲しいの」
氏姫 このとき まだ10歳前後
「ははは(それならタダだな)それは 結構なことだ いいよ~」
「お養父さま 姫は真剣なの 言葉だけじゃイヤ!一筆書いて!祐筆じゃイヤよ!直筆ね^-^」
「あ・・うん OK~( ̄∀ ̄*)Oo。(ハキハキして賢い~~4・5年すればストライクゾーン萌え)」
家康のハァトをつかみ お嫁いり 夫の至鎮にも 最初の挨拶で「自分の信仰は・・・」とやった
名君 至鎮は用意周到な氏姫に むしろ興を覚え 夫婦仲は睦まじく 子宝にも恵まれた
夫妻の触りといえば 時折 姫が法華信仰への改宗を勧めるくらいであったろう
が、幸せは長く続かず 元和6年(1620年)に 元々病弱だった 夫は35歳の若さで死去する
名君の若すぎる死は 家中で惜しまれ そのあまりだろうか 
あろうことか氏姫が幕府の意向で夫を暗殺したのではないかという 心無い中傷・ウワサがたった
嫁でありながら 蜂須賀の宗旨に逆らい 法華信仰を続ける彼女に対し「家康の養女」を
鼻にかけていると 反感を買われてもいたようだ
子供は まだ9歳 お家存続のピンチに 氏姫は 歎いてなどいられない
無事 子供が跡目を継げるように 土井利勝に会う決意をした

アポまで時間かかるかと思いきや 思いのほか早く会えた上に 利勝は こう言った
「貴女様のことは 神君から聞いております 真筆を渡したが齟齬があるといけないので 
良きように計らえとの お言葉でしたよ」
(ええ?お養父さまが?そういえば嫁いでからも 折々に手紙を出してた・・・私を
覚えてくださってたのね。゜゜(´□`。)°゜。)
引き続き土井が言った
「政治向きのことは 今すぐ お返事はしかねますが 神君のお言葉を違えるような事態には 
ならないと思いますれば ご安堵ください」

家康からの一筆(氏姫が嫁ぎ先「蜂須賀家」で信仰を続けていいよ)が 
どの程度の効力を発揮したかは 判らないが
とにかく 長男は無事 家督を継ぐの認められた

氏姫は 自ら積極的に動くことによって悪評を跳ね除けたのだ
彼女に感謝した蜂須賀家は 彼女の領地に建立された法華宗の寺院(正法寺)を
手厚く保護したそうだ


猛者ぞろいの このスレの住人には 物足りないと思いますが
氏姫が まだ出てなかったようなので やってみました(;;)




507 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/09/16(水) 22:34:27 ID:CbcOPe67
>>505
いやあ面白かった。養女も含めて、家康の娘さんたちは強いねえ。いかにも戦国の姫だ。
そういえば確か真田さんのところの小松姫も、家康の養女として真田家に入ったんだよね。


508 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/09/16(水) 22:36:51 ID:3zqzTm3y
養女とか含めたら家康ホントに子沢山だなあ


524 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/09/17(木) 00:26:44 ID:cKAZQ+ZI
>>505
蜂須賀氏はもともと三河門徒という説があって、浄土真宗寺院を三河→播州龍野
→阿波と連れて行ってるんだよな。
で、阿波に落ち着いた際に
「大名が門徒は拙くない?」
って理由で今の菩提寺(興源寺)を建立してる。


蜂須賀家政は冬になると家臣にある物を与えた

2009年07月18日 00:13

517 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/07/17(金) 01:26:14 ID:jU+QS9Pi
蜂須賀家政は冬になると家臣にある物を与えた。
「お前にこの足袋をやろう」
「はあ・・・(なんで片方だけ?)」
なぜか家政は片方の足袋しか与えなかった。しかし、それから数日経つと
突然足袋のことを問いただした。
「お前にやった足袋どうした?見せてみろ」
もし家臣が足袋を持ってきたならば、家政は
「おう偉いじゃないか。お前には褒美をやるよ」
と褒美をくれた。だが、
「片方だけ貰っても意味ないじゃん。捨てちまお」
と捨てた者はまさか捨てたとは言えず、失ったと言う。家政はそういう者には
「たく注意不足なやつだなお前は。そんなんじゃまた物をなくすぞ」
と叱ったのであった。




518 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/07/17(金) 01:30:11 ID:aM82EF8s
こうゆう話ってすぐ伝わって相手にバレると思うんだがなぁ
またあれか、ってみんな黙ってるんだとしたら面白いんだが

520 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/07/17(金) 09:02:16 ID:rZSsjhPL
後からくれる褒美って、もう片方の足袋だったりしないよな?w

521 名前:↓そんな訳ねー[sage] 投稿日:2009/07/17(金) 09:10:41 ID:uRE12reh
>>520
実は足袋の中にはプレゼントが…つまり蜂須賀家政はキリシタンだったんだよ!

522 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/07/17(金) 09:24:14 ID:LTcy+vUE
>>440
ところが日系人の中に薩摩の人が居たためその人を使って解読された・・・

523 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/07/17(金) 10:46:24 ID:mQUNH5xA
たびたび褒美をくれるんですね、わかります。

524 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/07/17(金) 11:45:33 ID:K4V4hCAh
足袋と度々をかけているんですね。
すごいな~
やるな~

525 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/07/17(金) 12:30:10 ID:OzRtZTpd
現在、富田長繁と鬼武蔵と切れた蒲生氏郷が>>523の所へ向かっています。

526 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/07/17(金) 12:41:52 ID:9ms2RC+C
森さんはこの前の試合で相手選手に暴力ふるって2試合出場停止です

527 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/07/17(金) 12:47:17 ID:3o9geMc+
>>521
確かに蜂須賀家政はキリシタンだったらしいがw

528 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/07/17(金) 12:55:39 ID:oKR67saO
>>527
阿波の殿さんは、ソックスハンターだったんだよ!!

535 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/07/17(金) 16:40:26 ID:XBnYAgp/
>>526
それはMQNこと川崎フロンターレのMF森勇介だだだ
鬼武蔵の血を引いてるんじゃないかと思えるぐらいDQNな逸話に事欠かない


蜂須賀家政「人間一寸先は闇だから」いい話

2009年06月02日 00:05

132 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/06/01(月) 00:36:28 ID:ucpZlkpY
ちょっと前に四国の武将が話題になったが、全然話題にならなかった
蜂須賀家政のお話。

家政公がある家来を加増したのだが、それから三、四日後に家政が
駕籠に乗っている時に、中からさらに加増の記帳をして家来に与えた。
ところが家来はまだ最初に加増された時のお礼をしていなかった。
おかしいなと思った家来は家老に

「某は加増されたばかりで、お礼の言上もしておりませぬ。
にも関わらず、本日加増されたのは何かの間違いなのでしょうか?」

と聞いた。そこで家老が家政にこの事を伝えたところ家政は

「実は最初は百五十石与えるつもりだったのだが、いろいろ考えて
一旦、百石だけ与えたのだ。だが駕籠の中で人間一寸先は闇だと
思ってな。今、残り五十石を与えないと、どこかで何かが起こって
わしの考えがそのままになるやもしれんと思い、急に記帳を書いたわけだ」

と述べたという。





133 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/06/01(月) 00:43:36 ID:/viHrcZ/
狸さんは計算しすぎだなw

134 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/06/01(月) 01:04:20 ID:RCEit5EI
>>132
蜂須賀一党も人間味あるっていうか、面白い逸話残すねぇ……

足利家の末裔たる平島公方を下級藩士みたいな禄で生干しにしてたのは
豊家恩顧の大名家だから徳川家に対してポーズとる必要があったのか、
小六正勝さん以来、足利将軍家や室町バクーフと機内政権に深刻な恨みでもあったんかしら。

135 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/06/01(月) 02:48:13 ID:m1DIgFai
義晴の系統が嫡流として残ってるんだから、政権争いにやぶれた平島を厚遇する必要もないでしょ

古河と小弓のほうは合体しちゃったんだっけか?

136 名前:人間七七四年[] 投稿日:2009/06/01(月) 02:52:35 ID:SwEwTieu
駕籠の中が暗くて一寸先は闇って…なわけないか。
それにしても後々のことを考えてるとは名君だったんだな


蜂須賀家政、孫を諭す・いい話

2009年04月29日 00:08

92 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/04/28(火) 01:34:15 ID:78epXXKV
蜂須賀家政の孫の忠英は幼年の頃やんちゃで、家来たちは非常に
手を焼いた。もうどうにもならんということで、家臣たちは家政に
忠英を戒めるよう頼んだ。しかし家政はすぐに忠政を戒めなかった。

しばらく経って、家政は忠英と食事しているところに、家臣に命じて
犬を連れてこさせたが、なぜかその犬は家政の顔を見ると怯えだし、
逃げ去ってしまった。犬が逃げると、家政は庭に粟をまいた。すると、
雀がまかれた粟に群がった。そして政はおもむろに忠英を抱えると

「いいかい忠英。さっきの犬はわしがいつも杖でひどく叩いたので、
わしを見て逃げ去ったのじゃ。対して雀はいつも可愛がっておるから
すぐに集まって逃げたりはしないのじゃ。主君と家臣の関係も同じで、
日頃愛をもって接していれば自然と家臣は主君を慕うのじゃ。だが、
権威で押さえつけるようなことをすれば、従わないだけでなく、犬の
ように逃げだすことじゃろう。今言ったことはよく心に留めるのじゃぞ。」

と諭したのだった。どうやらすぐに忠英を戒めなかったのは、犬の
仕込みと雀の飼い馴らしをしていたからのようだ。




97 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/04/28(火) 09:12:37 ID:i7AWNKbR
>>92
ずいぶんと回りくどいことをw
ってか結果息子はちゃんと心変わりしたんだろうか?

100 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/04/28(火) 10:48:36 ID:Uuks431N
>>97蜂須賀家政公て
なんか病で出仕を休んでて(なのに)往来で殿と出くわし、
錯乱した家臣の受け答えをサラッと流した寛容仁愛の人だね。<まとめスレにあったはず

きっと小六正勝さんも面白い人だったろうと期待してしまふ

家来想いな殿様蜂須賀家政・いい話

2009年04月23日 00:14

927 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/04/21(火) 23:57:57 ID:kXBEKX3M
蜂須賀家政は江戸に在勤している他の大名を訪ねるとき、
一緒に付き添った家来に「俺日暮れまでこちらにお邪魔するから
帰る時間までお前らはその辺で遊んでな。」
と言って小遣いを渡して自由時間を与えたそうな。また家政は
食後のデザートが大好きだったけれども、必ずその日の当直の
人数分、餅やあんを残し、それでも足りないと自分の分も残した
そうな。実に家来想いな殿様だ。




936 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/04/22(水) 09:58:05 ID:5D4VdaU6
>>927
地味だけど、こう言う気配りが結構くるものあるね。
もしかしたら、父親から学び取ったのかもしれないね。

937 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/04/22(水) 10:17:56 ID:FgurobbZ
いい話だけど地味過ぎて親戚のおっさん臭がする

940 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/04/22(水) 12:51:22 ID:kbuDtk56
名家だとまた違うのかもしれないけどこの時代の殿様親戚のおっさんみたいなの多いよな
実際若い近侍は重臣の子だったりして親戚みたいなものだったり本当に血が繋がってたりするし

傾!!武辺塾 蜂須賀正勝編・いい話

2009年01月24日 00:03

655 名前:傾!!武辺塾  第参話[sage] 投稿日:2009/01/23(金) 22:54:34 ID:Ipw2FxlP
天正11年(1583)、賤ヶ岳の戦いで敗れた柴田勝家は、越前・北ノ庄に退却して行った。

勝家は途中の山に殿を残し、秀吉軍の追撃を阻んだ。 これを見た秀吉は人を選び、
騎馬隊を編成して攻めさせたが、上から鉄砲を撃たれて、隊長が戦死するありさまだった。

山登りに成功しても、伏兵が待ち構えているかもしれない。 かと言って、目の前の敵を
放置するのは武門の恥だし、迂回して時間を無駄にすれば、勝家が再起するかもしれない。

蜂須賀正勝「どうやら、俺が出ねばならんようだな。」
虎之助 「こ、小六さん!!」 市松 「こ、こりゃあオレたちの出番はなさそうだな・・・」

秀吉の前に出た正勝は、
「伏兵が大勢なら、すぐ戻ります。少数なら、馬を輪にして走らせる。それを合図に、
全軍で登って来て下されや。」 と言い残し、騎馬隊を組んで、柴田軍のいる山に向かった。

正勝は敵の射程ギリギリまで近寄って留まり、敵の射撃がいったん収まるのを見計らって
射程内に一度だけ踏み込むと、すぐ後退した。

これを見た柴田軍は、正勝が逃げたと思いこみ、斉射を止めて全軍で追撃を開始した。
敵の実数を見切った正勝も後退を止め、騎馬隊を車懸りにして、敵を向かえ討った。

正勝の馬が輪乗りになったのを見た秀吉軍は、一斉に敵に向かって殺到した。
一気に距離を詰められた敵は、鉄砲の用意が間に合わず全滅し、秀吉は安心して
勝家の追撃を続行できた。
(太平不忘記より)

眠いし、ネタも切れたのでこれにて失礼。スレ汚し御免なれ・・・

名将言行録から人間慌てると何を言うかわからん話、蜂須賀家政家臣・いい話

2009年01月02日 00:04

731 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/01/01(木) 20:32:27 ID:obqaIR0A
名将言行録から人間慌てると何を言うかわからん話。

1.蜂須賀家政家臣
蜂須賀家政の家臣何某は病気になって休みをとっていた。
病気とはいえたまには運動せんと…とでも思ったか、ある日家の近くをゆっくり
歩きまわったりしていたところ、そこにちょうど家政の駕籠が通りかかった。
何某が頭を下げていると家政が駕籠から降りてきて、
「お前病気って話だったけどなんの病気?」
何某ははっとして、これは俺が出歩いてるのを見て、
こいつ仮病で休みやがってと思われてるんじゃないか!?
えーと…えーと外出してても問題なさそうな病気…
「つ、つんぼです!」
ヤッチマッター!
そんなわけねえ!そんなわけねえー!
しかし家政はこれを聞いて「よく養生しろよ」とだけ言って帰ってしまった。
何某がこの失態を責められるのではと家で恐れおののいていると、
家政から漢方薬と見舞いの言葉が送られてきた
「顔色も悪いし痩せこけてるからこりゃ肝臓かなと思って聞いてみただけだ」
ほっとした何某はやがて快癒して出仕もできるようになった。
これはとっさに嘘の病名を言ったことを気に病んで治るのが
遅くなってはいかんという家政の心遣いだったという。
家政は常々人に「武士は情あるを以て好しとす」と語っていたそうな。




733 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/01/01(木) 21:16:45 ID:QGmDuU5g
>>731-732いい殿様だなー

734 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/01/01(木) 21:49:37 ID:T1rJgfHG
家政いい人過ぎるw

738 名前:人間七七四年[] 投稿日:2009/01/02(金) 00:35:55 ID:CvsKKCVx
>>734
政宗は家政の事を阿波の古狸と言ってたな。

742 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/01/02(金) 11:40:11 ID:oTsJtmtY
>>734
足利義栄系統の平島公方は冷遇しまくりだったがなーw
食客扱いだが下級藩士並みの禄しか与えなかったとか。
まあ徳川が喜連川氏を保護してたから当然っちゃ当然だが。

743 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/01/02(金) 16:00:03 ID:H5CJ74No
喜連川は参勤交代は免除だし(だから最初は江戸に屋敷持ってなかった)
年賀挨拶の際などでの江戸城での席次が将軍、御三家の次だった時もあったくらいだからな