島津のこと、それがしに征伐を命じられれば

2017年06月28日 18:59

915 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2017/06/28(水) 18:13:45.68 ID:c8upfVr0
関ヶ原の時、島津は西軍に味方し、しかも国元まで引き上げた。そのため「島津征伐を行うべきではないか」
との議論があったが、この時黒田如水が言った

「島津のこと、それがしに征伐を命じられれば、島津領国を占領すること、上下の別なく心やすく思うであろう。
何故ならば、薩摩口は鍋島が先陣を仕る事になっているので、鍋島に先陣を仕るよう命じても、それを迷惑だ
などとは言わないであろう。必ず、先手を仕るだろう。

彼らの領国である肥前は大国であり、鍋島の軍勢は大軍であるから、必ず島津との間で開戦するだろう。


だが、彼らは弓矢の作法を知らず、戦の有り様に不案内な者達なので、島津と戦って必ず敗北するだろう。
これは証拠もないことを言っているのではない。かつて高麗において軍勢を動かしかね、致しようもなく
我が方へ頼みに来たため、蝶之介という我が方の足軽大将を遣わして、ようやく立ち直らせたほどなのだ。
鍋島の兵は至って弱兵であると理解すべきだ。

そしてそのあとを、加藤清正に任せる。清正は格別の器量の者であるから、島津が勝ち誇って来る所へ
一文字に掛かれば。何の仔細もなく必ず勝利するだろう。

その後に我々の備は、袴をつけたまま薩摩に入国するであろう。

(士談)



916 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2017/06/28(水) 18:20:56.68 ID:AGoXx4dW
これが出典なのか

917 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2017/06/28(水) 18:33:33.43 ID:JTWyAlyF
チョウノスケが気になる

918 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2017/06/28(水) 18:41:58.01 ID:biNEgbmZ
こえれは鍋島を餌にした誘引戦術

919 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2017/06/28(水) 19:57:31.67 ID:ZsT2vZR/
同じ役のことで清正が鍋島さんちを戦しやすくてよかったって褒めてんのはなんなんだろね
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谷太郎左衛門、戦での心得

2017年05月26日 12:39

798 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2017/05/25(木) 19:49:49.60 ID:JlazAfFn
黒田長政の配下に、谷太郎左衛門という、度々武功を上げた者があった。
長政は彼を援助し、牢人分として養い置いた。

そんな太郎左衛門が語ったことに、

「近江においての有る合戦で、城に乗り込むという時、鉄砲によって至近距離から肩を撃ち抜かれた。
しかしそれにも構わず、その鉄砲の筒口を掴んで屏の上に乗り上げたが、城中は屏の内に
杭を打って、むしろ、こもなどを引きはり置いていたので、中に未だ兵が居ると思って引き返した。
後で城方の捕虜がいたので城内の様子を尋ねたところ、『そのあたりに人は一人もいなかったが、
ただ手立ちにああ致していた。』と語った。

このように、物事を雑に決めつけては落ち度の有るもので、詳細に考えなければいけないものだ。」

またこの人は

「合戦の時、敵よりも味方に目をつけるべきだ。
例えば一人が先に出て敵と戦い踏みこたえている所に、後より二人三人と向かっているようなら、
それは初めの者が強いのだと知るべきで、その所へ行くべきではない。別の所へ一人で出て、
そこで自分も敵と戦い踏みこたえているべきだ。少しばかり耐えていれば、すぐにそこへ人が
集まるものだ。

また、日頃より主人のお気に入りや家中で出頭している人物にも、戦場で側に寄るべきではない。
一人で手柄を立てる了見が有るべきだ。何故なら手柄が調査される時、側に居た場合は、出頭人の手柄と
されがちだからである。」

とも語った。
もう一つこの人の語ったことに

「全ての侍にとって、弓鉄砲の上手と言われるのは悪しきことだ。
そのような評判を持つと。敵城へ火矢を打ち込んで敵を城から引き出したいというような時、足軽などは
射程まで進もうとしないから、人から名指しされてその役目をやらされることが有る。

しかし、射込むことに失敗すれば不快になるし、射込んでも当然のこととされ人から賞賛もされず、
またそういう場所では敵も堅く警戒しているので、全く意味のない討ち死にをすることも有る。
その上最近は、侍の手柄は鑓によるものより上は無い。故に要らぬことを上手になっても益がないのだ。

(士談)

かなり現実的な武功ノウハウのお話


黒田如水の大名論

2017年05月18日 21:16

910 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2017/05/18(木) 19:04:15.33 ID:/lkqHOXo
黒田如水の大名論

 今時の若い大名たちに、笑止千万な欠陥がある。
 それは、礼儀をやかましく法令を厳重に守らせようとするあまり猜疑心が強くなり、家臣たちにだまされまいなめられまいとして年寄りどもの言う事を聞かず、やたらに改革を好み新参の迎合者を近づける。
 老臣の功を忘れて遠ざける一方、新参の家老や奉行をつくるので、諸臣一般は納得しない。
 新参の迎合者は、邪欲が深いので、先輩を陥れようとする。
 徳の高い者が陥れられるので、諸臣の憎しみは主君の一身に集まる。
 大身の大名も小身の大名も、家の仇となるのはこのような新参者である。
 かつての功臣で部下の信望を集めている者を近づけその意見を尊重してやれば、家中は睦まじく諸士は安心して出仕する事ができる。
 このことは大名の心得として最も大切なことなので、いくら強調しても足りるということはない。

(古郷物語)

 なおこういう話を残した家で発生したお家騒動が三大御家騒動の一つに数えられる黒田騒動である。



911 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2017/05/18(木) 19:06:05.10 ID:kCwotbhR
栗山大膳に同情的だったのかな

914 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2017/05/19(金) 05:50:51.35 ID:1HPoejV7
>>910
秀吉を隠喩したのかもしれないw

915 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2017/05/19(金) 11:29:49.72 ID:3r0AizNy
いや愚息のことだろう

自身の大水牛の立物にも

2017年02月18日 10:20

656 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2017/02/18(土) 00:47:16.67 ID:whq5Nrg7
黒田長政が言った。
「立物、指物でも海老はねにして指すだけでは、
働く時や馬に乗り立てる時には抜け落ちる者である。
立物には穴をあけ、受筒にも穴をあけ、皮で結びつけるべきである。」

 したがって自身の大水牛の立物にも、ふすべ革で結びつけていたという。

(甲子夜話)


福岡侯の軍鐘を銅鑼に代る起り

2017年01月28日 09:19

546 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2017/01/28(土) 00:43:19.86 ID:fICDsbzp
福岡侯の軍鐘を銅鑼に代る起り

 黒田長政が朝鮮で明兵の銅鑼を分捕った。
銅鑼の音が行軍にはちょうどよく、
従来の鐘はわざわざ一人に持たせていたが銅鑼はその人自らが持つもののため、
持つ人、打つ人の二人を兼ね便利というので、
これから長政の軍はみな二器〔鐘鼓〕を鐘に代えた。
よって今でも福岡侯は軍用の二器にはすべて銅鑼を用いるという。

市川一学の話である。

(甲子夜話)

逆になぜ他では銅鑼が流行らなかったのだろう?



548 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2017/01/29(日) 21:54:09.34 ID:0gRhgwwT
>>546
ジャーンジャーンジャーン
三成「げぇっ内府!」

549 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2017/01/29(日) 22:21:07.78 ID:n0T35VGg
銅鑼と言えば朝鮮戦争で義勇軍という名の共産党軍は、
銅鑼鳴らしながら攻撃してきてアメリカ軍を恐れさせたとかw

三国志かよw

550 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2017/01/29(日) 23:26:14.26 ID:GDrmIVte
阿片戦争で女性用のおまる使って
砲弾の軌道をそらせようとした清軍よりはマシだな

551 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2017/01/29(日) 23:42:59.96 ID:1xKiVCOY
>>549
銅鑼に加えて死兵なら恐れるのは当然だな、天皇万歳w突撃を想起させる

552 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2017/01/30(月) 00:06:47.70 ID:E/grpkJH
しかし義勇軍とは、よく名乗ったものだ

日光一文字刀之拵注文

2017年01月13日 11:32

507 名前:人間七七四年[] 投稿日:2017/01/12(木) 23:27:05.87 ID:n7OaOJHp
 日光一文字刀之拵注文

一、はゝき(鎺)上下 印字   むく(無垢)上はゝき(鎺)柏のすか(透)し
一、せつは(切羽) 印字   こきさ(小刻)ミ
一、しととめ(下留) 印字
一、ふち(縁) 赤銅二めんふち(面縁)
一、さや(鞘) ちい(小)さめ
一、目貫 かうかい(笄)  小刀のつか(柄)・つは(鍔) 此方より遣ス
一、くりかた(栗形)かへ(返)り  つか(柄)頭 角
一、こしり(鐺)  しんちう(真鍮)  くさら(腐)かし
        以上
 右ハへし(圧)切之刀ニ少もちか(違)ひ不申様ニ可被仕候、以上、
   閏八月八日(元和九年)      忠之(黒印)
                      埋忠明寿(重吉)老
(黒田家文書)

黒田忠之が父である長政の死後(元和九年八月四日(1623年8月29日))すぐ、日光一文字の拵えを圧切長谷部と
瓜二つに作って欲しいと埋忠明寿に依頼した話。
(なぜ、そろいの拵えにしようとしたのかは不明)

・日光一文字は忠之誕生時に、如水から忠之に贈られている。
・圧切長谷部は長政の遺言で四男高政へ贈られている。
・日光一文字の拵えは19世紀頃には行方不明となり、圧切長谷部の現在の拵えは江戸末期の物
(安宅切とお揃いで、安宅切の拵えの方が先に出来ている。このため福岡市博物館のTwitterに「へし切長谷部と
ペアルック」と安宅切展示公開時に書かれる)

黒田家の刀の拵えはお揃いにしないといけないのだろうか・・・

国宝圧切長谷部一月五日から二月五日まで福岡市博物館で展示中なので
書いてみた。連日沢山の人がきているそうな。




旗奉行は武功の者を撰ぶ

2016年11月23日 14:05

339 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2016/11/22(火) 21:06:11.66 ID:90REVHuF
旗奉行は武功の者を撰ぶ


 旗奉行は武辺功者の人を選ぶものだという。
黒田長政の臣、竹森石見(次貞)という旗奉行が豊前紀伊谷という所の合戦で、
黒田の先手が乱れて逃げ帰るのを、石見自身が旗竿を横に持って士卒をせき留め、
『かかれ!、かかれ!』と言ったので、その軍も盛り返してついに勝利したという。
(甲子夜話)



341 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2016/11/23(水) 10:32:50.87 ID:TQklu1C2
>>339
実際は負け戦だったろ

黒田如水公式設定

2016年10月29日 12:31

256 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2016/10/28(金) 22:25:21.46 ID:hT+bzspg
黒田勘解由次官孝高は、黒田職隆の嫡子である。母は明石氏、天文15年孝高を播州姫路に産んだ。
この時雪が降って、その家を覆った、これは英雄の生まれる奇瑞であった。また家門繁栄の
前兆でもあったのだろう。

孝高は天性聡明、鋭敏にして才知たくましく、武芸も人に優れていた、彼ほど勇猛、英武な事も、
また世に少なかった。古の和漢の良将といえども、彼を越えることはないだろう。
まさしく天が下した英材であり、本朝においてこの右に立てる人は殆ど居ないと言える。

秀吉が播州に初めて来た時から、これを助け、遂に天下を平らげたのも、ひとえに孝高の功である。
黒田孝高を知る人は、孝高はよく秀吉を助け、天下を平らげたと思っている。
黒田孝高を知らない人は、秀吉が孝高を取り立てたと思っている。
例えれば、漢の張良が高祖を助け、明の劉基が太祖を補佐した事に似ているが、その功は
それらを越えているのだ。

(黒田家譜)

これが黒田家譜の、黒田如水公式設定である。



257 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2016/10/28(金) 22:50:02.34 ID:a0vwWu8v
黒田家譜だししゃーない

258 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2016/10/28(金) 23:03:20.81 ID:JnJrWcR6
作者はキリシタンなんだろうな

259 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2016/10/28(金) 23:15:53.53 ID:0wqTwghO
貝原益軒はキリシタンだったのかφ(..)メモメモ

260 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2016/10/29(土) 00:31:26.90 ID:qpXB4M5+
中国の王朝開祖のテンプレートみたい

我が先、朝鮮在陣の笑談

2016年10月29日 12:30

261 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2016/10/29(土) 00:42:43.87 ID:lvkvkyyI
我が先、朝鮮在陣の笑談

 雨の中聴く者は外に一人もいないまま、宗耕〔軍講者〕としばらくの間話をしていた中で
朝鮮攻めのことに及んだ。
 耕がその話を言い出した。
「御家にはさぞかしかの国の御獲物があるのでしょう。」
そこで予は言った。


「なるほど、いろいろな所にその時の物もあるでしょうが、
どうにも私の家には一品といえる物が無いといえます。
しかし法印(鎮信)がその役に用いた兜は伝わっているが、
甚だしく粗末な物でなかなか大将が着るべき物ではない。」


予の話を聞いて耕は以下の話をした。


「ごもっともだと承ります。
黒田家でかの役に〔長政であろう〕着られたという御具足を見ましたが、
胴着にしても、俗間に鳶や仕事師が裸に着ている腹懸というもののようで、
前後に革を合わせて首の所に襷にように何か黒く粗末な塗りをし、
破れた所には何か革でふせをして綴りつけていました。
しかし、父公の具足として御子の右衛門佐(忠之)の時に、
その内を金梨子地で塗られて、表は往時のままにされていました。」


 予は思うに、内を新しくしたのは惜しいことである。
それを聞いて、法印公の御兜は昔の時のままなので、
当時の有様を思い知ることができる。


(甲子夜話三篇)


当時はまだ実用品だったと思われるので、
忠之が後に文化財改悪といわれるようなことをしたのも致し方ないようにも思える



後藤又兵衛の陣羽織を拾ったのは

2016年10月14日 21:10

213 名前:人間七七四年[] 投稿日:2016/10/14(金) 18:04:55.82 ID:EfRVp88D
後藤又兵衛の陣羽織を拾ったのは

黒田長政が豊前の国人一揆で城井城を攻めた際、反撃を喰らって撤退した際に
殿軍を後藤又兵衛が務めたはずであった。
後に論功賞の際に後藤又兵衛は殿軍を務めたと主張するが
新参者である城戸乗之助が赤い陣羽織を持ち出して自分こそが殿軍であると主張した
その陣羽織は後藤又兵衛の陣羽織であった。
乗之助曰く「又兵衛殿が殿軍であれば自分が陣羽織を拾うはずがない、
陣羽織を拾った自分こそが殿軍である」と主張した。
その事により殿軍は城戸乗之助になった。
この件が原因で黒田長政後藤又兵衛の間に軋轢が出来て
後藤又兵衛の出奔の一因となった。
その後、城戸乗之助黒田長政と大坂に向かう途中で
備後福山付近で行方不明になった。
その後の彼の行方は不明である。



214 名前:人間七七四年[] 投稿日:2016/10/14(金) 18:33:38.06 ID:EfRVp88D
大事な事なので二度書きました

“亀の甲”

2016年09月29日 12:09

203 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2016/09/29(木) 03:06:32.46 ID:Dciix/Xf
晋州の城を攻める時、黒田長政の士大将・後藤又兵衛基次は“亀の甲”
という車を作り出した。

厚板の箱を拵えて、その中に丈夫な切梁を設けて、石を落とし掛けても
箱が砕けないように対策を講じた。

箱の中へは後藤が入り、棒の棹をさして車輪を箱に仕掛け、進退が自由
に廻るようにして城際へと押し迫り、石垣を崩して、城へと乗り入った。

――『常山紀談』



204 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2016/09/29(木) 09:04:47.74 ID:4uRgjnu6
なにそのダヴィンチ戦車

後藤基次は見殺しにされたという説がある

2016年08月09日 21:02

961 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2016/08/09(火) 17:52:04.92 ID:l6YB/CQe
大坂の陣、道明寺の戦いにおいて後藤基次が孤立し、討死しましたが
その原因は濃霧で後続の軍が遅れたからだけではなく、見殺しにされたという説があるみたいですね

・いくら霧が発生したとはいえ、半日近く経っても誰も到着しないのは不自然である
・基次は和睦派で主戦派の信繁らと折り合いが良くなかった
・後続隊は本当なら間に合うはずだったが、基次隊からの報告を受けて不利を悟り、穏健派の基次がいなくなるだけならと進軍をさらに遅らせた

以上の理由からだそうなんですがどうなんでしょう?
本当ならいつまで経っても大阪方の仲が悪い話になるかなと思い書き込みました




962 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2016/08/09(火) 19:46:39.51 ID:aCP8MmRj
それだと配属された将兵はたまったものではない

963 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2016/08/09(火) 23:43:04.22 ID:Zz8FXBR0
スレ的にはそういった逸話が欲しかった
単純にそういう話がしたいなら該当スレでええんじゃないかな

965 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2016/08/10(水) 01:12:47.60 ID:jGae0GlH
>>963
そちらで改めて聞いてみることにします。失礼しました

是非に及ばぬ沙汰の限りの分別違いである!

2016年07月18日 09:38

883 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2016/07/17(日) 23:10:12.50 ID:vJp+rgH5
栗山備後(利安)がある時、こんな話を聞いた

「何某が高い馬を買ったそうだよ。」

備後が「いか程で買ったのだ?」と尋ねると

「銀二十枚ばかりだそうだ。」

これを聞いた備後はたちまち不機嫌と成った
「それほどたわけた奴とは思わなかった!沙汰の限りだ!
馬というものは、どれだけ高値でも二匹の役はせぬものだ!ことに死にやすく、また怪我もしやすく、
少しのことで捨てることになるのが馬だ。
是非に及ばぬ沙汰の限りの分別違いである!」

そう罵ったので、言った者はなんとかその場を取り繕うとした
「いやいや、何某は身代も続き、とりわけ財産も多くあるので、たいていの損では痛みはないよ。」

「勿論あいつはそうだろう!しかし彼より知行の少ないものたちは、擦り切れ疲弊している。
そんな中そのような話を聞けば、少しの貯えであっても自分のために使い捨てるような事の出来ない
者達は気をくさし、事によっては、面目ない事態にもなるかもしれない。
彼のはらった馬の代金を、宜しき衆に分配してやりたいよ。
各肝入に売らせれば、銀2,3枚にて3年5年役を果たせる馬などいくらでもあるだろうに!」

そう語った。

(古郷物語)

栗山備後、高額の馬を買った同僚に憤る、というお話。



884 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2016/07/17(日) 23:30:13.68 ID:7EQPQjUy
優秀な牡馬なら種牡馬にして何頭もいい馬を得る事が出来る

目先の事しか分からない脳筋かっぺの浅はかさよ

885 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2016/07/18(月) 04:18:19.80 ID:B8ZnNnMP
競馬シミュレーションゲームっすか?w

886 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2016/07/18(月) 08:06:16.00 ID:fhWzRjtw
末端消費者がなぜか繁殖を試みると考える不思議脳だなる


888 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2016/07/18(月) 08:27:26.27 ID:smVtlRxu
>>883
現代に例えるなら、1000万円の高級車を旦那が買うのを、聞いた他人が憤って、
100万か150万の軽自動車をその奥さんや子供達に各自買ってやればいいのに!
というようなものか。ごもっともである。

基次最後の挨拶

2016年06月28日 15:23

893 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2016/06/27(月) 22:30:31.39 ID:xIwt/IjX
元和元年五月二日、後藤基次は大和口の大将としてまさに出立する時、『今度は生きて再び
帰ることが無いであろうから、秀頼公に最後のお暇を申し上げよう』と、御広間へ向かい、
速水出来丸(速水甲斐守息子・当時24歳)を通して斯くと言上すると、秀頼も早速に出御し、
「早や、出陣か」
と声をかけた。

基次は謹んで畏まり
「私は不肖の身ではありますが、去年召し出して頂き、直ぐに諸大夫に仰せ付けられ、殊に
大将の号を許された事、弓矢の面目死後の思い出、何事がこれに勝るでしょうか。
であるのに私は、尺寸もこの御恩に対して報いておらず、この事、返す返すも口惜しく思っていました。

この基次、今度は一番に東兵に相当たり、千変万化に戦って、これぞと思う敵と引き組み討ち死にし、
せめてもの忠を泉下に報い奉ろうと決心しています。然らば、今生において御尊顔を拝するのも
これが限りであり、一層名残惜しく存じます。」

さしもの猛き基次も、この時はしきりに涙を拭っていた。秀頼もまた涙を流しながら

「汝の忠貞は感ずるに余りある。私も宿運拙く、いまやこの体になってしまい、一日も安堵の思いなく、
遺恨余りある。しかしこれも、前世からの宿業なのであろう。

汝と真田を私は、我が両翼と思っている。例え討ち死にの覚悟であったとしても必ず、
再びこの城に帰って、私と死を共にするのだ。この事、必ず忘れてはならぬぞ。」

基次はこの上意の有り難さに感涙を流していたが、率然と叫んだ
「天晴!名君の仰せであるかな!今生の望みもこれにて満たされました。上意の趣、畏まり
奉ります。」

そう言って御前に在った傍輩たちにも皆、暇乞いをして広間を立った。
そして襖障子に一種の歌を書き付けた

『主命ぞ 親子も捨つる武士の道 辞ひとつの命もろとも』

これを見る者は皆感動し、世の口碑に刻まれたのである。

(慶元記)



894 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2016/06/27(月) 22:51:58.81 ID:KCWhgknx
>>893
このままドラマにできそうなクォリティだ…

932 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2016/07/14(木) 16:37:08.04 ID:gsTyxJTG
>>893 は実話かなあ?。秀頼の発言が詳しく載っているところをみると
創作だろうけど。

素より蝿虫だと思っていれば気にならぬ

2016年06月22日 17:18

760 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2016/06/22(水) 14:46:53.32 ID:cUFFAOL9
大阪夏の陣直前、後藤基次と大野治長の間で口論となり、一触即発という事態が起きた。
その後基次は真田の陣屋に行き、「今陣中にてかくかくの口論が有った」と伝えた。
真田はこれを聞くと、

「そういう事は人を選ぶべきだ。それを蒼蠅に向かって、後藤殿は大人げない。
蒼蠅という虫は、いかなる貴人高官の首にも上がるが、素より蝿虫だと思っていれば気にならぬ。
だからこそ昔の君子も、悪人を蒼蠅に例えたのだ。

近頃私は、あやつを蒼蠅だと思っているので、奴の行動に対して無念と思わなくなった。
後藤殿は生まれつき堪えられない性分であるから、闘論にも及んだのだろう。
今後はそのようにお心得あるといい。」

これに基次も笑い出し
「仰せ至極である。ただ、戦の出鼻をくじくような言動に腹が立って、若輩のようなことを
言ってしまったのだ。しかし、我々が討ち死にするのも間近なのだから、蝿に出会う機会も
もはや稀であろう。
ああそれにしても、あの蝿を払う唐国団扇があれば、千金を以ってしても求めるのになあ。」

「なあに、おっつけ落城の時は、どんな蒼蠅も駿河団扇によって払われるだろう。」

二人は大いに笑い、基次は宿所へと帰っていった。

(慶元記)



761 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2016/06/23(木) 10:10:37.15 ID:03GZzFDX
獄門に晒された首に蝿が止まりますがなw
やせ我慢するから九度山いくんだ

762 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2016/06/23(木) 11:12:23.18 ID:30ZeMVQb
しょせん後藤は陪臣出身、豊家の家老級から見ると見下す対象だったのだろう

763 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2016/06/23(木) 20:09:32.12 ID:MjtEezd7
大野治長佞臣説は悲しいなあ

764 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2016/06/24(金) 02:12:15.04 ID:dd6ReUWt
全くだな、本当の佞臣は落城前に逃亡するもんだ。

765 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2016/06/24(金) 08:15:17.70 ID:bKV/JtHm
片桐「んだんだ」

766 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2016/06/24(金) 09:55:06.45 ID:bB1GLsRN
>>764
織田宗家のワシを愚弄する気か!

後藤又兵衛は大志ある男である

2016年06月03日 19:48

788 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2016/06/02(木) 11:10:55.75 ID:bO2ktwaZ
 後藤又兵衛は大志ある男である。
初め黒田長政に仕えていたが、長政が筑前を賜って移封したときに、又兵衛が

「このような辺鄙に住んだら大業は成らない」

とのことで、黒田家を辞めて浪人となった。
その後大阪で浪人を集めると聞いて再び秀頼に仕え、
軍利なくてついに討ち死にし身果てた。大志の弊と言うべきか。

 また朝鮮へ初めて諸軍渡って上陸すると、辺民がことごとく逃散して、みな空き家となっていた。
兵卒がその家に入ってみると、壺瓶の類に、酒が満ち溢れていた。
時に誰かが言い出したのだろうか、
「これは毒酒で人を殺す計である。」との噂が流れた。
諸人は聞いて恐れ、飲む者はいなかった。
又兵衛は

「例え何であろうと渇きを凌ぐに十分だ。
もし毒があれば我が一番に飲んで死のう。」

と引き受け引き受け飲んで、

「言葉にできない美味だ」

と舌打ち居たので、諸卒これを視て、我先にと群飲して、益々鋭気を得たという。
世諺にいう毒の試とはこれから始まったという。
(甲子夜話)



今マ盃酒ヲ捨テ逃帰リ玉フハ如何

2015年12月24日 17:19

110 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2015/12/23(水) 22:20:43.15 ID:bLrOq9AT
黒田家の重臣吉田長利は官兵衛と長政を長利の家に招いて饗応するということが、時々あったらしい。
関ヶ原以降の豊前から筑前に移った際貰った知行の早良郡広瀬の別荘にも二人を呼んだりしたらしい。

ある時に長利が主君である長政を広瀬に招いて行った酒宴が数刻に渡って及び、長政は密かにその座を立って帰路についた。
それを聞いた長利は、瓢箪に酒をいれて杯を持って、馬に鞍もつけず乗り長政を追いかけた。

仙道川の辺りで追い付いたので、長利はふざけて

「あなたが昔戦場においても逃げ走るのを見たことがないというのに、今盃酒を捨てて逃げ帰るのはどういうことですか」と言った。

そう言われた長政は面白いと思ったらしく、そのまま河原でまた酒宴をしたらしい。

「或ル時 長政君広瀬ニテ御酒宴数刻二及ビ竊二其ノ座を立ッテ帰路二赴キ玉フ。長利是レヲ聞瓢二酒ヲ入レ杯ヲ持、肌背馬二乗ッテ御後ヲ慕、仙道川ノ辺リニテ追ヒ著キ奉リ、
 長利戯テ君昔シ戦場二於テ逃走玉フヲ見ズ。今マ盃酒ヲ捨テ逃帰リ玉フハ如何。長政君入興シ玉ヒ川原ニテ復御酒宴ヲ催サレシト」



こうして家臣の家に主君を招いて饗応する習慣この話を記述した吉田家五代目治年の頃にも続いており、
「家屋を飾り、饗応の美を尽くすことは古には勝っているが、その誠情の篤いことは古には及ばない。」と子孫に伝えられている。


(吉田家伝録)

111 名前:人間七七四年[] 投稿日:2015/12/23(水) 22:22:20.18 ID:bLrOq9AT
ちなみにこの吉田さん

http://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-3573.html
↑この逸話でも長政に突撃晩御飯かましてたりしてる人ですが

http://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-8643.html
http://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-5055.html
↑黒田家内で武功No.3のかなりの猛者です。



黒田長政の勧め

2015年11月04日 06:06

932 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2015/11/03(火) 21:05:31.92 ID:nVddd3NE
関ヶ原について記した一書に曰く、福島正則が小山会議で最初に「御見方せん!」と申したのは、
黒田長政の勧めに依ったのだという。

その内容は、上方に軍が起こった事、小山の御陣に注進があった。この時黒田や福島の先陣は
宇都宮にあった。まず家康は、黒田長政を召した。長政は家康からの使いの旨を察して、
小山に行かず、福島正則の陣に行って「上方に与するのか、または関東に従うのか?」と
問うた。正則は母と妻が大阪に人質としており、その心、定まっていなかった。
ここで長政は

「秀頼公は未だ幼い。それがどうして、内府殿を滅ぼすべしと命ぜられるでしょうか?
これが石田たちの計略であること、明らかです。
またあなたの子である形部少輔は小山の陣におられる。これを捨てて上方に参るのか?
母を捨てるのも子を捨てるのも、人質を捨てるのは一緒である。

また、今の勢いを見るに、内府殿の勢いは弱い、上方の勢いは強い。

であれば、正しきを捨てて邪に従い、強きに付いて弱きを避けるというのは、武士の本意ではないと
私は思う。あなたはどう考えるか!?」
このように言われ、正則の心は決した。

その後長政は小山に参り、この事を家康に伝えた。すると家康は
「そなたを召したのは余の儀に非ず、その事を計るためであった!何と素早く察したものか!」
そう大変に喜んだ。ここにおいて家康は諸大名を小山に集め、人々の心の程を尋ねた時、
福島正則は真っ先に味方する旨を宣言したという。

(藩翰譜)



母里太兵衛「富士は絶対に、福地よりも高く無い!」

2015年10月14日 10:51

476 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2015/10/13(火) 22:08:45.62 ID:yCbNHJnB
母里但馬の欠点といえば、何事であっても黒を白と言い出し、それが実際には黒であると解っているのに、
白だと一度言い出した以上、後から黒だと言うような奴は武士ではないと,事々に強情であった。

例えば、江戸に下る途中、浮島ヶ原で砂の上で朋輩多数と酒、茶などを飲みながら休息していたところ、
ある者が言った

「富士山は、遠国から聞いていたよりも高山ですね。最も名高き山ですが、初めて見て、
なおさら驚きました。」

これを聞いた但馬が言った
「いやいや、悪しく見ているぞ。私にはそれほど高山には見えない。
我らの居城の上にある、福地獄よりも低く見える!」

一座の者達さすがに呆れ
「それはお目違いです。福地獄を10重ねても富士ほどにはなりませんよ。」

この反応に母里但馬、激怒
「さては各々、この但馬を盲目のように思っているのか!?念も無いことだ。
富士は絶対に、福地よりも高く無い!私はこれに首をかけても良い!!」
そう苦々しく言い放った。

場の者たちは『この人と首をかけるなどとても出来ない』と思い、
「お、仰せのごとく、よくよく見てみればあまり高山ではありませんなあ~」
などと追従を言うと、但馬はそれを真実と信じ、その後一生、福地獄より富士は低いと
申し続けていた。
但馬はこのような作法の人間だったのである。

勿論後年になると、但馬も福地獄は低いのだと気がついていた。だが一度言ったことを
言い換えてはならないと、一筋に思い定めた故に、そう言い続けたのだ。

(古郷物語)



477 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2015/10/13(火) 22:39:16.83 ID:jii0V7Rn
福地獄って何かと思ってググったら福智山(標高900.6m)のことなんだな

478 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2015/10/13(火) 22:39:30.11 ID:WU7xlnZr
母里といい加藤家の森本儀太夫といいめんどくさい奴だな

479 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2015/10/14(水) 00:34:25.15 ID:75RVYpNh
「福・地獄」じゃなくて「福地・嶽(岳)」か、なるほど

480 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2015/10/14(水) 00:36:12.47 ID:4LAiKk4r
学がない奴って素直に負けを認めたがらないんだよね

481 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2015/10/14(水) 00:46:08.53 ID:K1ryeOoK
10重ねたらさすがに富士山超えるな
海抜基準かどうかはともかく

482 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2015/10/14(水) 01:03:17.34 ID:VVKAyTPU
鶴の一声って言いますし

483 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2015/10/14(水) 10:39:47.35 ID:GQyrZA7n
天邪鬼&強情....。

吝い上に汚いこと、世に稀である

2015年10月12日 18:34

451 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2015/10/11(日) 21:08:13.67 ID:O9Fntjyb
黒田如水に関して、瓜や茄子の皮を捨てずに漬物にするという話よりも、なお可笑しき事がある。

歳末の時期、折紙、箱、葛籠、革籠、百重張といったものを、細工人には申し付けず、
大小姓、児小姓、馬廻り、何者であっても、細工らしく張らせた。
そしてその時出た反古を食いさき、口の中にたまったものを、板に吹き付けさせ、
坊主どもに申し付けこれを念入りに乾かして、少しも散らさぬように取り集め、
白土のすさ(壁土にまぜて、ひび割れを防ぐつなぎとする材料)にさせていた。

如水は何であっても捨てることを嫌われ、普通は何とも思わないような細かなことに、
吝い上に汚いこと、世に稀であると思わせてくれる人であった。

(古郷物語)



456 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2015/10/11(日) 22:15:57.56 ID:a59pr6qI
>>451
如水ももしもの時の為にとっておくタイプなのか