\梅干し!梅干し!/ 

2015年06月08日 13:25

138 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2015/06/07(日) 17:21:06.42 ID:ecbDPL9G
天正14年(1586年)の事。
浜城城主・長与純一は兄の順平の死後その領地を押領し、親戚一同が諌めるにも関わらず
乱暴狼藉を働き、ついには主君である大村純忠に反乱を起こしました。
大村純忠は浜城に討伐軍を差し向けましたがその抵抗は激しく、また浜城は山城である為
攻め手は皆息を切らし、喉の渇きに苦しんでいました。
そんな中大村勢の中のある武者が \梅干し!梅干し!/ と大声で叫び出しました。
「梅干し」という言葉を聞いたため、兵士達は口の中に溜まった唾を飲みこみつつ奮戦し
無事浜城を攻め落とすことが出来ました。
こういう事があった為、浜城はこれ以降「唾飲城(つのみじょう)」と呼ばれるようになりました。

ちなみに\梅干し!梅干し!/と叫んだのは大村彦衛門という人物で
彼と彼の子孫は江戸時代には永代家老として長く大村藩に仕えたのだそうです。
(長崎県西彼杵郡の民話)



139 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2015/06/07(日) 18:01:58.25 ID:6W5fCB+Y
曹操「パクんな」

140 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2015/06/07(日) 18:13:18.11 ID:mDwpJFzN
梅林止渇の故事に倣ったら城を攻め落とせました

141 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2015/06/07(日) 18:29:58.63 ID:rLUE+A1a
梅干しと聞いた大村方の兵たちは
「このまま城を落とせなかったらこめかみを拳骨でグリグリされてしまう!」
と必死になったのであったとさ(大嘘

142 名前:人間七七四年[] 投稿日:2015/06/07(日) 23:05:43.45 ID:RARX4r5x
梅干し食べてスッパマン

143 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2015/06/07(日) 23:49:18.50 ID:/OfgG08C
梅干しを食べたら忍者になるの?

144 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2015/06/08(月) 00:35:42.57 ID:boPiY47B
止渇問題ですね

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在尾城の落城

2013年10月28日 19:47

609 名前:1/2[sage] 投稿日:2013/10/28(月) 01:42:47.42 ID:WcSP28Jl
大村家親は、大村家九代当主家徳の弟であった。
文明8(1476)年2月、小城の千葉介胤朝は家臣内田某をもって藤津郡に攻め入り、在尾城(現蟻尾山)を包囲した。
内田は在尾城に援軍のないことを知ると、城の水の手を立ち持久戦に持ち込んだ。
そのため家親は、千葉方に見える場所でにをつなぎ、精米で馬の背中を流し始めた。
馬を水で洗っているように見せかけたのである。
城の麓からその様を眺めていた内田は、場内にまだまだ水が豊富にあるのかと思い驚いた。
そこで内田は、在尾城が容易に落とせないと考え一計を案じる。
在尾山の北に位置する味島神社の方向にかがり火を焚き、今にも大勢が攻めてくるかのように見せかけたのである。
城方はこれに応じて表の城門に人を集めて警護を厳重にしたため、逆に南の警護は手薄になった。
こうして内田は兵を南に潜ませて手薄な裏門を一挙に突破したので、城内は大混乱に陥り在尾城は陥落したのであった。

611 名前:2/2[sage] 投稿日:2013/10/28(月) 01:46:38.75 ID:WcSP28Jl
この在尾城の落城に際して、鹿島にはいくつかの悲話が残されている。

家親の女である緑姫は、在尾城の北斜面の茨をかき分けて西牟田の黒川に落ち、敵の目を逃れるために池に潜み身を隠した。
しかし、池には蛭が棲みついていおり、緑姫はこの蛭に襲われ命を落としたという。

また、家親の幼子は乳母に抱かれて南方に逃れて、千葉兵から身を隠すため藪の中に潜んだが、
幼児が急に泣き出したため、千葉兵に見つかり殺されてしまった。
今この場所には石仏が祀られており、「啼きびす仏」と呼ばれ土地の人々が焼香を欠かさないという。
お参りすると、幼児の夜泣きに霊験があるとされている。

なお守将の家親については、在尾城が落城すると能古見の本城を目指して落ち延びたと伝えられるが、
家親のその後については誰も知る者がおらず、史料に再び家親の名が載ることは無かったという。


佐賀の戦国人名史、大村日向守家親の項を参考に千葉氏と大村氏の抗争にまつわる話を一つ。
城名については現在の地名では蟻尾山と呼ぶらしいけれども、書籍に書かれていた在尾山で統一させていただきました。




610 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/10/28(月) 01:46:32.08 ID:VdlvUD7V
なんか聞いたことある話だな…なんだっけ

612 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/10/28(月) 07:46:32.70 ID:GIcyzz/G
なんというか、よくある話を全部ぶち込んでみました的な

613 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/10/28(月) 08:46:11.33 ID:hwLe+/Br
ごくありふれた風景なんだろうね

てか、まだ下総に対抗意識を燃やして千葉介を名乗っていたのか

614 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/10/28(月) 12:37:05.85 ID:0PvVS5nz
直系なんだから当然だろ、下総のほうは宗家横領

大村純忠、小鳥を

2011年01月28日 00:01

429 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/01/26(水) 20:55:59 ID:Odb2kL0S
病に伏せる大村純忠は自分の死が近いことを感じていた。
そのせいか彼は捕虜200人を解放した。
そして自分が可愛がっていた小鳥も籠から放してやろうとした。

だがもう弱りきっていた純忠は、それを侍女に頼んだのである。
「すまぬが小鳥を放してやってくれんか・・・」
「かしこまりました」

ところが侍女の小鳥の扱いが雑だったようで
「ゴルァ!小鳥ちゃんをもっと大事に扱わぬかーっ!(゚Д゚#)」
純忠は激怒してしまったのである。

(はっ、いかん。怒ることはゼウス様の御意志に反するに違いない)
と我に返った純忠は
「怒ってすまなかった。しかし、小鳥はゼウス様が作られたのだ。
ゆえにわしは小鳥を可愛がっておる。ぜひ、お前もそうしてほしいのだ」
と言って侍女に立派な帯を与えた。死の前日のことだったという。




430 名前:人間七七四年[] 投稿日:2011/01/26(水) 21:18:25 ID:3kBGhh5W
立派なクリスチャンだな

大村純忠、弱小大名の窮余の策・悪い話

2009年04月20日 00:01

804 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/04/19(日) 19:51:06 ID:cvicAGXc

大村純忠
弱小大名の窮余の策

戦国大名といっても、この肥前辺境の地で私は無力です。
三城七籠をやんないと生きていけなかったくらいです。

とうとう最近宿敵、佐賀の龍造寺隆信の毒牙に抗しきれなくなってきたのです。
彼らは、わが領地もさることながら、私がこつこつと国際外交、
交易に力を尽くした成果である長崎の港を喉から手が出るほど
欲しがっているのです。
ポルトガルからのナウ船は1千tクラスはざらでしたから、
南蛮渡来の珍品、香木、毛皮、装飾品、それに火薬や大砲、
それに何よりも中国からの絹織物は莫大な利益を生み出しますもんね。

平戸の松浦法印は、仏教徒に気兼ねして耶蘇教を拒んだばかりに
ポルトガル商人との通訳、通商の交渉を担っていたイエズス会に去られ、
カトリック教徒である私のところにイエズス会士とともに
ポルトガル商人達も転がり込んできたのです。今も私を逆恨みとか。

ところでイエズス会からは金や火薬を随分とカンパして頂きましたが、
敵、龍造寺は10倍以上の戦力、まともにはとても敵いません。

で、思いついた妙案、長崎の港をイエズス会に寄進してしまうという離れ業なのです。
彼らに裁判権や港湾使用の利権は渡しますが、関税は取り立てるように
配慮しましたので益は上がりますし、全国から集まる夥しい商人達の落とす金も
相変わらず私のポッケに入ってまいります。

龍造寺、力づく無理やり長崎を占領すれば、イエズス会には去られ、
船は来なくなる、もともこうもなくなるというものです。

何せあちらさんはお寺の出ですからね。ww




805 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/04/19(日) 21:19:07 ID:Sb+m7kzz
まぁその龍造寺の傘下になっちゃうんだけどね


大村純忠、貧乏大名版七人の侍・いい話

2009年03月27日 00:15

242 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/03/26(木) 17:43:47 ID:oYCCnI4H

イエズス会とのからみで大村純忠。

大村家は肥前の貧乏な小大名だった。
当時の痩せた土地は、一族、眷属で細分化され、
彼の家臣に分け与える土地に絶えず窮していた。
また親戚筋でもあると同時に敵でもあった後藤家、有馬家、
更に松浦、西郷家とも抗争と和解を目まぐるしく繰り返す日々であった。

そういう彼を象徴するのが1572年の「三城七騎籠」である。
大村純忠とは縁戚にあたる後藤貴明は、かねがね純忠の領地を狙い侵してきた。
予てよりの申し合わせで松浦氏、西郷氏と共に、
大村純忠の居城の三城に1500の兵で攻め寄せた。
この時不意をつかれた純忠には、中間子者、女子まで含めても80数名しか人数はおらず、
武者は七名のみという有様であった。
家臣の多くは、主君の命運はこれまで、と自宅に籠り参ずる者もいなかった。

孤立した絶望的戦闘であったが、城壁をよじ登る敵には、
女子に砂や熱湯を浴びせさせ、男どもには石礫、木材を投げさせた。
更に怯む敵兵を七人の家臣が巧みに城壁から鉄砲で狙撃し防戦に勤めた。
城の掘り割りの巧みさもあり、松浦方、覇気無く攻めあぐねてしまった。
様子をうかがっていた家臣の中からも、敵の包囲を突破し馳せ参じる者が出始めた。
そして家臣が続々と城内に集まってきた。

ついには攻城を諦めた松浦勢は引き上げてしまった。

「七人の侍」のいわば貧乏大名版である。




248 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/03/26(木) 19:39:56 ID:eYCp60Zy
>>242
七人以外全員内応してたんじゃ…と思ってしまうんだがw

249 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/03/26(木) 19:52:29 ID:9dH0SqFf
たまにこういうことあるけどどういうことなの?
義弘の妻が守る加久藤城攻めた伊東も3000対60とかだったよな?
前線にそれしか詰めてないっておかしくね?

250 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/03/27(金) 00:24:29 ID:NJkhmyWB
>>249
ちょっと考えてみた。
このうちのどれかだと思う。

1.外交関係の問題で兵を張り付けるわけにはいかなかった。
2.城の規模の問題で多数の駐屯が難しく、あまり多くの駐屯は不必要な外交的緊張を招くので避けられた。
3.実はただの特別小さな支城の奮戦。
4.中立だったベネルクス三国を「舗装」して通り道にしてマジノ線を迂回したようなことが起こった。
5.敵の数が誇張されている。
6.昨今の不況のあおりで知行が払えなかった。
7.急に兵士が来たので。

多分7

251 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/03/27(金) 00:32:55 ID:34SJBAE6
加久藤城は義弘の釣り説があるらしい
にしたって援軍は300だが
勝ったけど

252 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/03/27(金) 00:50:46 ID:rBlbF0H9
兵農分離が進んでないところだと
収穫の時期に兵が田んぼに行っちゃうこともあるらしいしね。

253 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/03/27(金) 01:09:00 ID:jS6l8bKs
悪い話の方で行軍速度の話があったけど

かつての大名行列は宿場でも木賃に泊まり
戦での行軍と同じように各自が自炊して腰兵糧を作っていました。
ですが近頃では旅籠に泊まって飯を買うようになったいます。

という話を聞いた前田利常が「戦乱の世に旅籠はあるまいに」と言ったという話がある。
前田家ではその後も木賃に泊まり続けたので「前田家は武士の心がけを失っていない」と評判になった。

大村純忠、ローマに千々石政左衛門を派遣す

2009年01月13日 00:10

99 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/01/12(月) 20:36:39 ID:SFPqod9w
キリスト教と言えば、こんな話もあるね、


いち早くキリシタン大名になった者の一人、大村純忠が、キリスト教を学ばせるため、
ローマに千々石政左衛門と言う少年を留学させた。

やがて学問を究め、無事帰国した政左衛門は、キリシタンになっていない純忠の息子、善前に
密かにこういった

「耶蘇教は間違いなく邪教です。彼らの目的は日本にこの宗旨を広め、それによって
国を奪うことです。」

こんな事があったので、善前が大村家の家督を継ぐと、領内からすべてのバテレンを
追放したと言うことだ。




100 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/01/12(月) 20:53:46 ID:E3T3wDRs
鎖国して正解だったな

101 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/01/12(月) 20:57:02 ID:B4BnftS7
いつの時代でも見る目がある人間は本質を見抜けるわけだ

104 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/01/12(月) 21:37:18 ID:uKHbhrmT
イエズス会の戦略には、常に政治、軍事が絡み合って
布教してきたことはある意味事実である。

が、日本にやってきたイエズス会、ポルトガル人、イタリア人には、
ろくな経済的支柱がなかった。

フェリペ2世に何度も援助を要請したが、口約束
だけであったし布教に必要な費用は困窮していた。
日本が高度に武装化していて、とても生半可な派兵では
占領できないことがバリニアーノらの情報で知っていて
諦めていたし、イギリス、オランダ相手の戦争で余裕も無し。

大村純忠の許可で、長崎の港湾使用料をポルトガル、中国商人から
徴収できたが、関税はちゃっかりと純忠が自分のポケットに。

植民地の手先という誤解を生んだのは、準管区長コエリィオの
短慮、朝鮮侵攻を目論む秀吉への阿諛による大言壮語からである。

105 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/01/12(月) 22:35:00 ID:uKHbhrmT
99>

天正遣欧使節の千々石ミゲルが棄教した理由は、日本帰国後にマカオでの
キリスト宣教師養成特訓講座への派遣に、彼ひとり人選からもれた点が
大きい。

大村喜前は、千々石ミゲルが棄教した後も彼を嫌い家来を遣わした。
その家来に襲われ大けがをさせられ千々石ミゲルは、
命からがら故郷から逃げ出した後、消息不明、ときいたが。

鎖国の理由は複数だと思う。

家康は、天下を取ったのちもしばらくはスペイン、さらには
オランダ、イギリスとの交易を望んだ。

が、肥前の各領主らの行状もあったが、なによりも他の大名が
海外との交易で巨利を得れば幕府にとって脅威となると考え、
これを禁じ、幕府が交易を独占する方向を画するようになった。

大村筑前とお城の乞食・いい話

2008年10月16日 13:18

52 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/09/17(水) 00:26:31 ID:U49kr7lW
お城の乞食

肥前にある歌舞多城には、城の近くに乞食が住んでいた。家臣から、
「みっともないので追い出してしまえ」との声もあったが、
城主、大村筑前は、それもかわいそうだと、なんとなく許していた。

この歌舞多城が、後藤貴明の軍勢に攻められた。大村側は硬く城に篭り、
戦線は膠着した。
さて、この歌舞多城の城兵に、込屋玄蕃と言う男がいた。彼は大の博打好きで、
籠城の最中にもかかわらず、ちょくちょく城を抜け出し、後藤領にある博打場へ
双六を打ちに行っていたのだ。

ある夜、いつものように玄蕃が博打から帰ってきた。酷く負けが混んだらしく、
気が立っており、城へ続く道の側に寝ていた乞食を「失せろ!」と蹴飛ばした。
そこからしばらく歩いていると、何者かが近づいてきた。後藤方の者たちであった。彼らは
歌舞多城の城兵が博打に出入りしている事を知り、彼に接触してきたのだ。

「我らの合図と同時に、城門を開くのだ。そうすれば博打の借金も帳消しにし、
さらに褒美として、欲しいだけの銭もくれてやろう。」

玄蕃は、承知した。

約束の夜。後藤勢はひそかに歌舞多城の城門前に集まった。そして秘密の合図を送る。
するとかねてよりの約束どおり、城門が開いた。この城はもらった!そう思ったとき、
城の中から軍勢の前に、何かが投げ込まれた。込屋玄蕃の首であった。
城門が開ききると、そこには、完全に武装した、大村筑前をはじめとする大村勢が
待ち構えていた。

「おぬしらの企み、それを聞いた乞食が逐一我らに教えてくれた!
汚い者どもめ、討ち果たしてくれる!」

驚く暇こそあれ。大村勢は一斉に突撃をかけた。後藤勢は何も出来ず蹴散らされ。
壊乱した。

戦後、大村筑前は乞食に褒美を与えようとしたが、乞食は「殿様に頂いたご恩を、
少しお返ししただけでございます。」と、それを断ったという。




53 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/09/17(水) 00:34:30 ID:gcX4fEXP
いい話だなー

54 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/09/17(水) 00:57:00 ID:60SUalkn
いい乞食だなー

55 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/09/17(水) 11:32:23 ID:5Kds+6Dw
城兵が遊びに行ける程度の包囲網ってなんだ?
やる気なさすぎ・・・
そんなんじゃせん滅できないだろうに・・・

56 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/09/17(水) 12:44:04 ID:BbD0nK1p
おれもそんな乞食をめざすよ!

57 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/09/17(水) 14:05:17 ID:au/rQVs3
>>55
大坂のときも橙武者が遊びに行っていたじゃないか。

58 名前:人間七七四年[] 投稿日:2008/09/17(水) 14:54:22 ID:U49kr7lW
>>55
地方の小勢力の合戦で、そんな完全な包囲を求められてもw