獺野原(うそのばる)の戦

2011年08月21日 23:00

498 名前:sage[] 投稿日:2011/08/21(日) 10:54:02.85 ID:O54MV1ow
獺野原(うそのばる)の戦い~1

1559年人吉城詰衆の若侍、児玉・早田・深水の三人が、それぞれ人吉奉行である丸目頼美の屋敷に仕える
侍女たちに惚れた。
互いに相思相愛となり密かに逢瀬を重ねていたが、見つかったら処罰を受ける。
女は欲しい、だが処分は嫌だ、何とか惚れた女を連れ出したいと考えた児玉たち。
丸目屋敷を取り仕切るのは丸目の母親で相良家中から「徳深き人物とあり、侍女を多く抱えていた」とある。
徳が多いから侍女が多かったのか、侍女が多いから徳深いのか、そのへんは解らないが、とにかく
丸目の母がキッチリしてるので侍女を連れ出すなど到底無理。
困った三人は宗慶寺の僧組・智勝に相談した。

智勝「侍女らが仕える丸目と同役でライバルの東長兄を争わせ、その隙に侍女を連れ出せば良い」
三人は後先を考えず、その話に乗り手分けして実行に移した。

児玉が東長兄の元へ、早田と深水が丸目の元へ訪れ「○○が貴方様を陥れようとしています」とウソを吹き込んだ。
東と丸目の二人は同じ人吉奉行とはいえ元々不仲だったので、最初は半信半疑だったが相手の言動が
イチイチ気になり、本当にケンカになったしまう。
そして二人の不仲が主君である相良頼房(後の義陽)と、その生母・内城の耳に届くころには、
どちらも抜き差しならぬほど拗れてしまっていた。



499 名前:sage[] 投稿日:2011/08/21(日) 11:04:39.55 ID:O54MV1ow
獺野原(うそのばる)の戦い~2

主君の頼房は若干16歳、重臣同士のケンカを収める政治力は未だ無いため、
生母である内城が、丸目の縁戚である東直政(湯前城主)に仲裁を依頼した。

東直政は、どういうわけか「仲裁がダメなら丸目を討つということだな」と思い込んでいたらしく、
内城に「二人が元の鞘に収まれば、それで良いのです」と言われると、張り切っていた分、ガッカリ。

丸目の元へ出向くと「拙者は丸目殿へ味方致します!」と勝手な振る舞いをした。
仲裁役(のはず)東直政の言動は、丸目のケンカ相手である東長兄の耳に入った。
「このままではワシが不利」と危機感を覚えた東長兄は、相良頼房と内城に拝謁すると

東長兄「仲裁役が丸目の縁戚では、拙者を不忠者とするでしょう。このままでは某に残された道は
謀反しかありませぬ!」
と、泣き脅しをかけた。

500 名前:sage[] 投稿日:2011/08/21(日) 11:11:40.73 ID:O54MV1ow
その3

謀反をチラつかれては、目の前の東長兄の言葉に従うほかない。
相良頼房と生母・内城は言われるままに仮病を使う羽目になる。
東長兄が頼房と内城に仮病を使わせたのは、二人に他者が目通りするのを防ぐ為で、
内城は「気分が優れない」、頼房は「腹の調子が悪い」として、屋敷の奥に引っ込み続け、
そして夜中に東長兄の手配で人吉城を出た。
主君と生母が赤池城へつくと、赤池城から人吉城へ向け篝火を焚いて「二人の無事確保」の合図を送った。
篝火を確認すると東長兄家臣60余人が、丸目屋敷に火をかけて攻撃開始!

人吉城下・丸目屋敷で火の手が上がったのにビビったのが、侍女を連れ出そうとした三人の若侍だ。
「ちょっとした騒ぎが起きてくれれば・・・」のつもりが「リアル市街戦勃発」。
三人は自分たちのウソがバレルのを恐れて職場放棄(人吉城・詰衆)し遁走する。

501 名前:sage[] 投稿日:2011/08/21(日) 11:29:00.69 ID:O54MV1ow
その4
突然の攻撃に、何の準備もない丸目屋敷では抵抗できず、丸目頼美は一族・郎党を連れて、
縁戚で仲裁役で「味方します」宣言してた東直政の湯前城に逃げ込んだ。
(ちなみに騒動の元になった侍女たちも同行)
東直政は驚いた、迷ったが自身の後見役にも諭され「主君に弓引く籠城戦」を決意する。

なりゆきで籠城になったで兵糧が足りない。
そこで兵糧を運ぶために人夫と護衛兵を出した。
その情報を入手した相良頼房は、帰り新参の犬童頼安に攻撃を命じる。

犬童は謀反に加担して敗れて逃亡、日向など転々としていたが1556年に帰参を許された。
彼にとって罪を許した主君への恩義に報いる絶好の機会。
犬童は「奥野一度橋」で兵糧を運ぶ湯前城兵を迎え撃った。

話が籠城前に戻るが、目が屋敷を逃亡した時に、丸目のもう一人の同役・深水頼金の末っ子左近が従っていた。
深水左近は湯前城に行く前に、友人の佐牟田の屋敷に出向き、最期の暇と手拭いを形見の意味で交換した。
で、湯前城でこれを同僚らにシミジミ~と話すと、
同僚「敵として相まみえる可能性の者と形見の取り替えは聞いたことがない。むしろ差し違えるべきだったろう」と
笑われ、
確かにそうだったと深水は納得し、心中深く決意した。

湯前城から出兵した兵糧の護衛兵の中には、同僚に笑われた深水左近がいた。
奥野一度橋で戦闘が始まると、深水は友人佐牟田の前で手拭い放って「自分がいる」ことを知らせた。
二人は互いに槍を合わせ、双方ともに討死したそうだ。

502 名前:sage[] 投稿日:2011/08/21(日) 11:45:25.59 ID:O54MV1ow
その5「獺野原の戦い」の前哨戦である「奥野一度橋の戦い」は籠城側の勝利となった。
犬童頼安は敗れ手傷を負ってしまう。
犬童が怪我したのは、殿の中にいた宮原(謀反⇒逃亡⇒流浪⇒帰参を共に行動していた仲間)が
負傷し動けなくなったのを助けようとしたためだ。

兵糧は入手できたが、このままでは心許ない。
湯前城主・東直政は日向から那須氏を援軍に呼ぶ。
さらに東直政の元へ「人吉城から多良木城へ兵が入り、湯前城を総攻撃する」という情報(実は誤報)が入った。
東直政は攻撃される前に先手を打とうと、恒松蔵人を多良木城攻撃に向かわせた。

多良木城主は岩崎と言うのだが、実は甥が籠城する湯前城に入っていた。
岩崎の甥は「このまま不意打ちを受けたら叔父が討死するかもしれない」と心配し、
自身の侍女を城外へ出して「出兵情報」を多良木城へ漏洩してしまう。

内乱だから敵も味方も親戚・知人が入り乱れているので、何ともはや流れが悪い話。
多良木城側は、さっそく伏兵を配置したが、恒松蔵人は難なく撃破。
この勢いで多良木城を攻撃するが、落城までには至らず、已む無く獺野原に陣を布いた。

503 名前:sage[] 投稿日:2011/08/21(日) 11:58:14.08 ID:O54MV1ow
その6~1559年8月16日、獺野原で東直政・丸目頼美・恒松蔵人・日向の那須氏の連合軍と
犬童率いる人吉勢・深水(人吉奉行の深水とは別人)率いる多良木勢が激突する。

決戦前、犬童頼安は多良木城兵を率いた深水に「人吉衆が大軍に当たるので、多良木衆は横から攻めて欲しい」と
言った。
すると深水は「これまで籠城して我慢してきた。自分らに先陣を任せてくれなければ、これから
恥ずかしくて戦など出来ない」と反論する。
犬童は深水を説得しようとすると深水が逆切れした。
「なら勝手に攻め込んで討ち死にする!」犬童と険悪な状況になった。
だが犬童は帰り新参の上、奥野一度橋で敗退しているので、それ以上強く出ることが出来ず、
深水に先陣を譲ることとした。


ヤル気満々の深水は戻った自陣で「討ち死にする覚悟のある人間」を呼び出した。
その者らに酒を一杯ずつ振る舞って出陣、途中にある川を「三途の川」に準える張り切りぶり。

深水率いる多良木衆は、その「三途の?川」を渡って獺野原の敵陣に向かう坂を登る途中で交戦!
緒戦で壊滅した。
気分を盛り上げすぎて注意力散漫になったのか、初めから死ぬ気だったのか、将の深水も討死したでござる。

「なにやってんだアイツらは・・」と犬童が思ったかは知らないが、彼は彼で行動していた。


504 名前:sage[] 投稿日:2011/08/21(日) 12:09:54.38 ID:O54MV1ow
その7
犬童頼安、自軍を率いて密かに敵の背後にある坂を登らせ、背後から敵を攻撃。
タイミングはバッチリだったのだが、交戦し始めたら互いに見知った顔ばかり。
ついこの間まで、杯を交わしていた友人・親戚らの腹へ槍を突きだす気になれない。
本気が出ないので決着がつかず、だらだらと交戦状態が続いたが、
そうこうしているうちに、連戦の恒松兵に疲れが出て腰が引いて来た。
そこへ人吉勢が押し出し、一気に乱戦となる。

東直政の軍が壊滅し、東直政と恒松蔵人を含めた180余人が討死する。
丸目頼美は戦場を脱出し日向へ落ち延びると、伊東家へ仕えたが「木崎原の戦い」で戦死したそうだ。
留守を預かる湯前城代は、敗戦の知らせに城に火をかけ自害。
丸目の母、件の侍女も自害した。

505 名前:sage[] 投稿日:2011/08/21(日) 12:22:24.19 ID:O54MV1ow
その8
翌年の1560年、そもそもの発端である、児玉・早田・深水の三人と、
彼らに入れ知恵した宗慶寺の僧侶・智勝が捕えられた。

若侍たちは、惚れた女が自分達の浅はかな行動の巻き添えで自害したので、完全に自暴自棄だったそうだ。
4人は人吉城下を引き回しの上、斬首。首は罪人として晒された。
これで一件落着・・・・のはずが困った事が起きた。

宗慶寺へ向かう道に、斬首された智勝が、生首だけの姿で夜な夜な化けて出るようになったそうだ。
智勝は僧侶だが、よほどの強い未練が残っていたのか、調伏することができず、
宗慶寺では止む無く寺を移転する羽目になったそうだ。

ソースは八代日記ですが、ネットから拾ったので細かいとこは相違があるかもしれません。
長文にお付き合い感謝です。




506 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/08/21(日) 12:39:36.98 ID:gM7ZYZWJ
ファミリー台子

507 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/08/21(日) 13:30:27.48 ID:PDvgSchI
一時間半もかかるとは思わなかった

508 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/08/21(日) 13:49:20.49 ID:UZKhShry
長いよッ!!w

しかしまあ、あんな四方敵みたいな立地でこんなアホこの上ない理由で
同士討ちまでしでかしたってのに大名として生き残ったのは大したもんだな

509 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/08/21(日) 14:07:45.36 ID:y78mz2mD
わかりやすくて面白い文章だったけど長いな
いくつかのエピソードに分割して続き物にした方が読みやすいかもしれない

しかし助言の件といい化けて出る事といい、どんだけよこの腐れ坊主w

510 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/08/21(日) 17:51:42.11 ID:yBhJ4BtY
情報を全部説明しようとするから長くなるんだよな
肝心なのは嘘がこじれて合戦になったくだりだけ
あいだあいだの小エピソードは省いてよし

511 名前:sage[] 投稿日:2011/08/21(日) 18:22:15.29 ID:vxpql5QG
>>510殿、参考になり申した。

発端のウソが拗れたのが1559年の5月の話で、
合戦になったのが8月のことなんで、
どこで区切るか迷って、つい欲張って小ネタも全部入れてしまいました。
構成力が及ばなかったorz
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『徹斎、諸国における試合の覚え』

2011年07月13日 23:05

4 名前:人間七七四年[] 投稿日:2011/07/13(水) 18:14:26.34 ID:zXZRlqOA
『徹斎、諸国における試合の覚え』

 タイ捨流の開祖、丸目蔵人佐長恵(まるめくらんどのすけながよし)。晩年には徹斎と号し、齢九十の長寿を全うした
剣士の生涯を記録した文書が、「徹斎於諸国仕合之覚」として今も熊本県球磨郡の丸目家に現存する。

 この文書。表題の通りに摂州の「仮名田熊左衛門」との仕合から、真剣勝負を望む「豊後の鎌仕の名人」を
刀の棟で打ち倒すまでの戦歴が記載されている。
 
 中には、薩摩国菱刈郡大口の「快鏡」という大勢の弟子を抱える兵法仕(へいほうつかい)が、様々詫び言して
仕合を免れた不戦勝の記録まで網羅されている。

 そんな中、十条目にさりげなく、このような文章が。

「摂津の国において、上泉伊勢守の弟子になる時。

上泉門下に諸侯から参じていた弟子、およそ六十数名。徹老(若き日の蔵人助)は一度に七~八人ずつまとめて
打ち伏せ、小休憩してからまた複数を同時に打ち伏せ、対には兄弟子が全て新参の徹老に指南される事となった」

 実際。足利義輝の御前で伊勢守の打太刀役を(新参にも関わらず)つとめているので、蔵人助が強かったのは
事実でしょう。

 が、さりげなく「上泉伊勢守の弟子に成り居られ候時」と記述していますが、どうして弟子入りしたかは
スルーしている事に疑問を抱くのは、勘繰りすぎでしょうか?





『相良家の剣聖』

2010年08月16日 00:00

466 名前:人間七七四年[] 投稿日:2010/08/14(土) 22:37:44 ID:ukzFpy1u
九州ネタ来てるね!ここで九州のマイナー大名(大村とか相良とか秋月とか松浦とか)ネタを所望いたす。



473 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/08/15(日) 18:22:01 ID:SWGjrNTe
>>466
お望み通りマイナーな相良家のネタ
『相良家の剣聖』
相良家の家臣にタイ捨流の開祖である丸目蔵人という剣豪がいた
19の時より剣聖上泉伊勢守信綱の元で剣術を学び
新陰流の免許皆伝を授けられた
信綱が足利義輝の前で演武をした時も打太刀の役目をこなし
かの宝蔵院胤栄や柳生石舟斎とも親交があり
新陰流と自身のタイ捨流を九州中に広げ、立花宗茂も弟子入りしたという
さて時は太平の世に移りある日
江戸にて天下一を標榜する輩が出てきた
その名も柳生宗矩、元同門で将軍家指南役を務める男だ
指南役とはいえ自分を差し置いて天下一を掲げるとはおさまりが悪い
そこで蔵人は江戸に出向くと高札を掲げた
「御前試合にて柳生の新陰流と俺のタイ捨流、どっちが天下一かを決めようか」
これに焦ったのが柳生宗矩
まさか天下の新陰流に喧嘩を売る奴がいるとは思ってもなかった
しかも相手は新陰流にとって考え得る上で最悪な相手
しかも負けたらヤバい、新陰流の面目以前に殺害されかねない
ブルったは宗矩は
「東国一は柳生の新陰流、西国一は丸目のタイ捨流」と言い直し
事なきを得たのだが…


474 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/08/15(日) 18:32:04 ID:SWGjrNTe
しかし、それで納得する蔵人でも無い
( ̄ー ̄)「オマエんちの柳生忍軍だっけ、便利そうだよな?」
(・ω・)「(何が言いたいんで?)」
( ̄ー ̄)「今度、相良家でも忍軍つくりたいんだが協力しろ」
(〇ω○)「ダダ、ダメに決まってるでしょそんなの」
( ̄ー ̄)「そうか、じゃあ、天下一を賭けて御前試合やるか」
(○ω○)「俺の一存で決められる訳がないでしょ」
( ̄ー ̄)「仕方ないな、じゃあサクッと御前死合いを」
(・ω・)「うちの柳生忍軍の組織編成はですね…」
( ̄ー ̄)「じゃあ、それパクるわ、悪いね」
などのやりとりがあったのか
相良家でも柳生忍軍と同じタイプのタイ捨流による忍軍
相良忍軍をつくる許可を得る事に成功した
事なきを得た宗矩をよそに蔵人は
件の柳生への挑戦状ともいえる高札を記念に清水寺に奉納して飾っていた
しかしコレを知った宗矩は高札が残ってると柳生の名に傷がつくと
流石に憤り柳生忍軍を清水寺に派遣して
清 水 寺 ご と 燃 や し て し ま っ た
【↑ココちょっと悪い話ね】
なお、その後つつがなくに組織された相良忍軍は
某忍者軍団とかと死闘を演じるのだが
それは、また別の話…
※タイ捨流に伝わる伝承で根拠史料は微妙です




475 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/08/15(日) 20:28:25 ID:KO+ruH6q
卜伝「ワシも混ぜてくれ」

476 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/08/15(日) 21:38:16 ID:uqm7ND7p
家久(悪)「お、なんだか面白そうなことやってるな。重位、ちょっとお前も行ってこい」

477 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/08/15(日) 21:57:57 ID:Vf0htymN
死ぬことと見つけたりでタイ捨流名前出てたなあ
タイがカタカナなのは、タイの意味を特定しないようにだったっけ

湯山宗昌、盛誉の母とその猫

2009年07月17日 00:16

521 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/07/16(木) 16:11:12 ID:wp9bnFlZ
その1

相良家が島津家に降伏し義陽が戦死した後のこと、義陽の腹違いの弟である頼貞が
家督を簒奪すべく挙兵したことがあった。頼貞は島津義久を伴った深水長智らに
説得され兵を退くが、ことはそれだけで収まるものではなかった。

湯山地頭の湯山宗昌とその弟の普門寺5代院主・盛誉が、頼貞に呼応していたと
讒言されたのである。義陽の後を継いだ忠房は重臣である深水長智、犬童頼安と
相談の上、宗昌一族を誅滅するよう、米良の士卒に命じた。
しかし、当の宗昌、盛誉には全く身に覚えのない話であり、二人は妻子や従者と共に
普門寺にて謹慎する意志を表した。
一方の忠房も、宗昌らが無実であるとわかり犬童九介なる者に、軍勢を追わせたのである。

だがこの九介、無頼の酒好きである。
途中、知人の家に立ち寄った際、その近所にある馬療治の家に案内されるのであるが、
そこで酒を飲み過ぎてしまい、気付けば夕刻となってしまっていた。慌てて道を
急ぐも夜となり、酔いもあってかそのまま眠り込んでしまった。
そうとは知らぬ米良の士卒は予定通りに普門寺を襲撃、宗昌はなんとか日向へと
落ち伸びることができたが、弟の盛誉は弟子と共に読経中、黒木千右衛門により
一刀の元に殺害され、弟子らも師の仇と敵に飛び込むが結局討ち取られてしまった。
九介が目を覚まして駆け付けた時には既に後の祭り、全て終わっていた。
九介は責任を痛感し、その場で切腹して果てた。


522 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/07/16(木) 16:13:30 ID:wp9bnFlZ
その2

だが話はそれで終わらない。
その数日後、市房神社に籠り祈念する老女が現れた。その者、宗昌と盛誉の母である。
老女は愛猫の黒猫を連れこの神社にやってきたのであった。
老女はその日から断食を続け日に日に痩せ衰えていく。
そして断食も21日目となったある日、老女は突然自らの指を噛み切り、流れ出る血を
狛犬に塗り付け、更に愛猫にその血を吸わせたのである。
老女は愛猫に話しかける。「玉垂や、聞いておくれ。わたしの子は罪もないのに、
殿様に殺され、行くえ知れずとなった。殿様のなさる事とてあまりに酷い。あまりに
情けない。年老いた女の力では、仇討ちもできぬ。玉垂や、私の気持ちをわかっておくれ。」
老女は一晩中、猫に話しかけ続けという。
数日後、猫を抱いたその老女の死体が湯山の沢に浮いていた。

それからである。盛誉を切った黒木千右衛門が突如病気になった。黒木は猫に脅えるような
言動を繰り返し、やがて気狂いして息絶えた。
災いはそこのみに留まらず、犬童九介に酒を飲ませた馬療治の主人一族にも及んだ。
城ではあらゆる祈祷を行ったが効果は現れず、そしてあろうことか、討滅を命じた当主・
忠房も14歳という若さで急死してしまったのである。

その後、忠房の後を継いだ弟の頼房により普門寺の跡地に千光院生善院を建て、その東側に
老女と猫の墓をたてた。その命日には必ず当主が参詣し、人々にも必ず参るようにと命じ
ようやく呪いは収まったという。




523 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/07/16(木) 16:19:34 ID:Q8kyE5Y8
なんという酒癖の悪い話
そもそも急遽負っている時に知人の家に立ち寄って飲んでくってのが、
もう論外だろ・・・


525 名前:人間七七四年[] 投稿日:2009/07/16(木) 17:12:05 ID:QWD33VwO
高い酒だなまったく

526 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/07/16(木) 17:24:58 ID:wopmJUSF
>九介は責任を痛感し、その場で切腹して果てた。

これほど情けない切腹もないな

527 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/07/16(木) 17:25:03 ID:JInvIvNv
犬童九介って頼安さんと同姓だが親戚か? なんにせよお粗末な話だね...
湯山一族の無念はそれ以上だし祟るくらい当然かもしれん

528 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/07/16(木) 20:46:05 ID:MZyQOcK1
ひどいとしか言いようがない。
実に酷い話が続いてスレの趣旨的にはイイ流れだが・・

529 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/07/16(木) 21:19:28 ID:Wca2wwst
まあ、上からの命令は何を差し置いても真っ先に遂行しましょう、って事の良い事例だな。

530 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/07/16(木) 22:11:40 ID:tTGH9Psn
人選ミスと言ったらまあそれまでなのかも知れないけど、被害が甚大すぎるなぁ・・・

531 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/07/16(木) 22:51:40 ID:0TCv9LG+
「飲んだら乗るな。乗るなら飲むな。」か…


相良晴広の家臣、北崎与兵衛、首をすりかえる

2009年07月02日 00:12

947 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/07/01(水) 13:29:59 ID:H5O8nS3g
相良晴広の家臣に、北崎与兵衛という者がいた。

ある時、人吉の大畑郷に島津軍が侵入してきたのであるが、相良軍はこれを撃退、
多くの首級を獲るに至った。
この頃、与兵衛は歳にして十六、これが初陣であったこともあり首級を
獲るには至らなかったのである。
与兵衛、落胆しながら陣へと引き上げていると、何と路傍の戦死者の中に
肥大化した陰嚢(キャン玉袋)を持つ者を見つけた。与兵衛、何を思ったか
この陰嚢を切り取って包み、あたかも首級を挙げたかの如くに帰途につく。
その途上、知己である横嶺なる者に出くわした。
見ると横嶺、首級を一つ上げているではないか。
そこで与兵衛、横嶺に「首を担ぐのは重いゆえ、両方の首を一緒に担ごう」と提案。
横嶺はそれに応じ、共に担いで陣へと戻るのだが与兵衛、これをまんまとすり替えた。

陣へと戻ると、まずは与兵衛が晴広に首級を献じ、与兵衛はその功を賞せられる。
次に横嶺が献じるべく包みを開く。そこには、首級の大きさの不思議な肉塊が
入っているだけであった。
横嶺、大いに驚き思わず「途中で化けおったか!?」と言った。
満座の者らはこれに大いに笑ったという。
晴広はこれを与兵衛の悪戯と察したが、敢えてこれを咎めなかった。


その与兵衛であるがそれからは武勇の士となり、天正15年の九州征伐で
秀吉軍が八代で暴れた際、皆が秀吉軍を恐れ抗わなかった中ひとり気を吐き、
「吾が居城は君の賜る所、何ぞ関白の威を懼れて、彼の兵の横暴を許そうか!」
と、薙刀をふるって89名を斬ったが、最後は家に火を放ち、切腹して火中に
没したという。




948 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/07/01(水) 13:36:29 ID:G6PLVQFh
西郷隆盛や桐野利秋が罹患してた象皮症か>キャン玉袋

952 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/07/01(水) 13:54:35 ID:H5O8nS3g
>>948
おそらく、そうでしょうな。
世界にはこんな人もいるから不思議ではないのかも。

http://www.youtube.com/watch?v=4ZpPaauWsyw
↑ グロくはないけど、唖然としますので注意


954 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/07/01(水) 14:53:50 ID:Hxw3RBlm
>>947
横嶺さん心の広い人だったんだな
あるいはお人よしか

958 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/07/01(水) 18:36:55 ID:DVsaYIEg

大友の家臣だった吉田一祐も、死ぬ前に
月山の長刀でそのくらい斬ったって逸話が
あったな。

959 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/07/01(水) 18:49:06 ID:AczxU8fg
義輝さんはどれ位斬ったんだろ

966 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/07/01(水) 22:10:47 ID:uvlPN6Ji
>>947
> 晴広はこれを与兵衛の悪戯と察した
横嶺の後ろで必死に笑いをこらえてる与兵衛が目に浮かぶw


上村長種の怨霊

2009年06月26日 00:16

663 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/06/25(木) 01:32:44 ID:EXns0a1v
肥後国、水俣城に住まう上村長種は、相良義陽の実の祖父・上村頼興の弟である。
長種は、戦っては度々葦北方面の兵乱を鎮圧して武勲を重ね、書や連歌の才に
長けていた。特に連歌における名声は高く、高名な上人らが訪れるほどである。
また温和な性格であったため人望も厚く、その声望は高まる一方であった。

そのため誰ぞが長種を担ぎだし、現当主・相良義滋に叛くことを危惧した頼興は
重臣らと謀り、長種を殺害することに決する。
隔して、上からの御召しであるとして呼び出された長種は、頼興の命を受けた
蓑田長親により城中にて刺殺された。

ところが話はそこで終わらず、長種の怨霊が蓑田長親の子・源十郎を祟ったのである。
源十郎は言葉を発することができなくなったばかりか、手足も不自由となってしまった。
そこで修験者を呼び、霊を憑依させてその意志などを語らせる「口寄せ」を行ったところ、
長種の霊は 「時知らて 匂うや梅の花盛り」 と発句した。
それを聞き一同が 「白玉や 根こめに植し萩の露」 と返すと、霊は

「望みを達した! ♪~ヽ(゚∀゚)ノ(ノ゚∀゚)ノ(ノ゚∀)ノ(ノ゚)ヽ( )ノヽ(∀゚ヽ)ヽ(゚∀゚ヽ)ヽ(゚∀゚)ノ ヒャハハハ~♪」
とこれに大いに喜んだ。

それ以来、源十郎の病は治癒したという。





665 名前:人間七七四年[age] 投稿日:2009/06/25(木) 01:58:34 ID:SrdUcRQx
>>663
発句「時知らて 匂うや梅の花盛り」

返歌「白玉や 根こめに植し萩の露」

どうしてこれで、霊が望みを達したと喜んだのだろう?
 

666 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/06/25(木) 02:16:55 ID:EXns0a1v
「時間の経過がわからないんだけど、今は梅が盛りなのかな?」 と問うたら、
「いいえ、萩に露ができる夏(白玉の季語は夏)ですよ」。と返したので

「ああ、夏なんだ! スッキリした~ 」・・・ということなのかと自分なりに解釈

そんな単純じゃないかもね・・・

667 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/06/25(木) 02:17:23 ID:qEUShzWM
ネタ振ったのにヌルーされたら寂しいだろ


アソ氏バイバイ・相良義陽の史書伝説・悪い話?

2009年04月23日 00:07

847 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/04/21(火) 23:44:47 ID:BQp8uWKN
アソ氏バイバイ・相良義陽の史書伝説

皆さんは「求麻外史」という史書を御存知でしょうか?
これは延宝3年(1675年)までの人吉・相良氏の歴史を人吉藩家老・田代政輔が
記した文献のことです。
今日はその「求麻外史」に書かれていたこんなお話。

ときは天正9年9月23日、耳川で大友氏に大勝したばかりの島津軍により、
人吉の相良氏が逼迫を受けていた頃の事です。
このとき島津軍は、正に相良家臣・犬童頼安が護る水俣城を包囲していました。
この事態に当主・相良義陽は臣下の溝口半五郎という者を、水俣城への
使者として遣わします。
半五郎は夜陰に紛れて水俣の地に入り、島津の陣を抜けて城に入ろうと試みます。
しかし、そうはうまくいくはずもなく半五郎は島津の衛兵に捕らえられて
しまうのです。
ここで半五郎、咄嗟に言い訳をします。
「私は球磨の住人で、城中にいる身内の者を訪ねてやってきたものです」と。

下手な言い訳云々はさておき、衛兵はこれを信じません。結果、半五郎は
真意を問い質され拷問を受けてしまいます。
そこへ、水俣攻めを一任されていた新納忠元が現れます。
新納は、そなたが城に向かって『義陽様は、悪戯に兵を失わないよう速やかに
城から退去するよう頼安様に命じられました』と言えば、そなたの命を救って
やると言いました。
半五郎はこれを承知したので、城の下へと連れられて来ます。
ところが半五郎はこの約束を破り、城内に向けて「自分は八代からの使者です。
ここ数日にも義陽公は球磨、八代の兵を率いて救援に駆けつけます」。
と叫んだのです。

当然これに腹を立てた島津軍は、半五郎の首級を竿の先に刺し貫き、城内の者に
見える様に高々と掲げられました。
しかし半五郎のこの命を賭けた行いは甲斐もなく、相良氏は島津氏に事実上降伏、
新納の言わせようとした通り城は島津に明け渡されてしまうのです。

ですが、ここで不思議な事が一つあったのです。

これと同じような出来事が、なんと天正3年の長篠で起こっていたのです。
たった6年の間に日本の中央と西で起こった偶然、これを奇跡と言わずして
何と言いましょうか。正に神の悪戯と言うべき出来事です。
この事実は人吉藩家老・田代政輔に偶然にも伝わり、更に享保5年までの相良氏の
歴史を記した「南藤蔓綿録」へも受け継がれ、今日にまで語り継がれることが
出来ました。

以上、信じるか信じないかはあなた次第。




848 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/04/21(火) 23:48:12 ID:7xBQMDXP
東に忠臣あれば、西にも忠臣あり。

861 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/04/22(水) 13:58:32 ID:dn4P13Qk
>>847
ちなみにそれらの逸話と若干似た話が、中国の五代十国時代の南唐でも起こっている。

南唐の皇帝は快進撃を続ける後周軍と和睦するため、宰相の孫晟を後周の皇帝柴栄に遣わすと、
柴栄は和睦の交換条件として、寿州を割譲することを求めた。
寿州は柴栄、趙匡胤らが束になっても土をつけられなかった不敗の名将、劉仁贍の守る地である。
柴栄は寿州の開城のため、その使者として孫晟自身に説得するよう求めた。
後周軍の監視の中、孫晟は寿州城下から城壁上に立つ劉仁贍の姿を認めると、叫んだ。

「公が国から受けた厚恩を思うなら、決して門を開けて賊を入れてはならない!」

柴栄は孫晟の言葉を聞くと大いに怒り、これを斬ろうとすると、
孫晟は「臣は唐の宰相である。何故節度使を叛かせることができようか。」と言った。
忠心に感心した柴栄は、彼を許した。

以上、参考は『五代史平話』。
…史実では確か孫晟を殺してから悔やんでるってのは内緒。

870 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/04/22(水) 20:19:01 ID:4AuTd2kk
>>861
いやこれ、何かおかしくね?

軍を撤兵する交換条件で、土地割譲を出して、一国の使者である宰相はそれを呑んだわけでしょ?
それでいざ城の明け渡しの段になってから反故にするってのは、美談にもならないと思うんだが。
鳥居のエピのように、脅迫されて嘘を言わされようとしたってわけでもない、そもそも自分が約束
したことでしょうに。



相良義陽と甲斐宗運の友情・いい話

2009年02月04日 00:27

195 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/02/03(火) 00:38:58 ID:jTmDSBDf
こんな友情のお話もありますよ「命を賭して友情とお家を守り通した相良義陽のお話」 

南肥後の戦国大名相良義陽と阿蘇家の宿老甲斐宗運は大友方として父の代から親交を深めた盟友であり、阿蘇神社(阿蘇領)と
白木妙神社(相良領)にそれぞれ誓紙を収め不可侵の誓いあった親友であった。しかし耳川で島津が大友を破ったことで事態は
変化する。島津氏の猛攻で相良氏の水俣城は降伏。こんどは逆に島津方はとして相良氏は甲斐宗運と戦うことになったのである。

島津義久からの阿蘇領への出陣命令が下りついに決断を迫られる義陽。宗運と戦えば誓紙の誓いを破り信義・友誼に反する。
一方、義久に逆らえば相良氏の滅亡は避けられない。苦悩する義陽だが戦国大名としてまた、相良家当主として彼が選んだ
道は宗運に戦って彼に討たれることであった。

義陽は出陣にあたり白木妙神社に収めてあった宗運との不可侵の誓紙を焼き捨て詫びこう神官にこのような祝詞をあげさせている。
「今度の出陣は拠所なき儀にて、子孫長久の為に討ち死にをしにいくものである、どうか我が子孫が後世栄えるますように・・・」
そして阿蘇方の堅志田城、甲佐城を攻略し宗運との決戦におよぶのだった。

一方の甲斐宗運だが始めのうちは義陽出撃の報を信じなかった。しかし堅志田城よりの報告でこれが真実であることを知る。
「これまでは義陽が島津を防いでいたので阿蘇家は安泰だったが、もはや誓紙を破ること是非もない。
神罰により両家とも滅亡し、九州はやがて島津のものになるだろう。」と言って阿蘇神社の誓紙を神池に沈めさせて出陣する。

決戦の地、肥後響野へ着陣した義陽。この響野は四方が開けた守りにくい土地であり、はじめ宗運は義陽が響野に着陣したとの
報告を「それは義陽の陣法とは思えぬ」と言って信じなかった。やがてそれが真実と知り「さては相良の命運も尽きた。自ら」
死地を選んだとしか思われぬ」と義陽の心中を察し天を仰いだという。

戦いは事前の予想通り、宗運の圧勝に終わる。義陽は床几に腰掛け団扇を握りしめたまま、刀を抜くこと無く討ち死にしている。
また義陽に従い出陣した相良勢は1000名のうち400名が討ち死にするというありさまであった。しかしこの相良勢の壮絶な戦いは
島津義久の心を打ち、義陽の子忠房に家督を認め、人吉城を返し義陽戦死に対する感状をも与えている。

こうして鎌倉以来の名家相良家は幕末まで存続。一方、宗運は義陽戦死にあたり「相良を失い阿蘇家も3年うちに滅亡するだろう」
と言い義陽の命運を祈る。その後、宗運の言通り阿蘇家は島津氏の猛攻に合い、3年の後に滅亡するのであった。 




196 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/02/03(火) 03:21:53 ID:nzTiYOE5
>>195
この話か…
どっちもカッコヨス

義陽って意外と周囲からの高評価の逸話多いよな

197 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/02/03(火) 06:54:39 ID:cBiJ3DG8
確か、甲斐宗運が亡くなった後に阿蘇氏は滅亡してるんだよな。




関連
相良義陽と甲斐宗運の友情、宗運側の史料では
http://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-2330.html

相良家、深水長智の奔走・いい話

2009年02月04日 00:26

198 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/02/03(火) 08:52:18 ID:GSxGzsY3
相良家と言えば深水長智の奔走は欠かせん

義陽の戦死で家中取り潰しの危機→島津家と交渉し幼少の忠房を立て存続を認めさせる
数年後忠房病死、再び取り潰し危機→島津と交渉し弟の頼房を立てる
秀吉の九州征伐→いち早く島津から離れる事を進軍し、秀吉と交渉。所領安堵
肥後国人一揆→直ぐさま上京して秀吉に弁明、お咎め無し

この人がいなかったら相良はとっくに潰れていたはず
他にも連歌の才に優れた教養人で、秀吉からの信頼も厚く
相良家とは別に秀吉の直轄領の代官を任せられる程だった
それでも長智の相良への忠誠は終生変わらなかったけど

相良家って義陽や犬藤頼安、丸目蔵人とか、結構教養人が多いような




199 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/02/03(火) 09:41:32 ID:8jvuv7pw
ど田舎のマイナー大名なのに結構人材がいるもんだ

200 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/02/03(火) 09:55:28 ID:c6jleVFL
>>198
武将としては赤池長任もいるしな。
結構、多士済々。

201 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/02/03(火) 09:56:07 ID:M/u4ay0v
幕末まで家が残ったから家臣の逸話も多いんだろう。

宗運の義陽に対する態度は実の息子以上の愛情を感じる。
つか実の息子たちに対する態度が酷すぎるんだよな、宗運は。

202 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/02/03(火) 10:01:48 ID:c6jleVFL
>>201
主家>>>>>越えられない壁>>>>>>自家
だからなw

203 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/02/03(火) 10:05:33 ID:uGP59T+u
実の息子だからこそより厳しくしなくては示しが、と考えるタイプの真面目な人に
揃いも揃って状況の読みが甘い息子達だからねぇ

204 名前:人間七七四年[] 投稿日:2009/02/03(火) 10:35:29 ID:375pydaS
宗運は主家のために息子達を犠牲にし過ぎw
おかげで息子の嫁に毒殺され
阿蘇氏滅亡フラグたてちまった。

205 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/02/03(火) 10:50:54 ID:qJhSlWU7
でも優秀で個性的な家臣が多いせいか
内紛も多いんだよねぇ>相良
江戸時代にはそのせいで直系断絶の憂き目にあってるし

ああっ、これは悪い話しかも戦国時代じゃない sagesage

231 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/02/03(火) 19:29:40 ID:sH1pCkGL
>>198
>>200
深水や赤水、甲斐姓は今でも多いなあ<熊本南部
維新の子孫が栄えて目出たいということか

少ないけど犬童姓も耳にする

詩人犬童球渓(本名信蔵)
人吉、農家の次男で明治38年に音楽学校(東京芸大)進学ということは
よほど分限の農家。帰農武家かも。

幾年ふるさと来てみれば~故郷の廃家
更 け行く秋の夜旅の空の、 わびしき思いにひとりなやむ。
恋しやふるさとなつかし父母~旅愁



関連
新納忠元と犬童頼安の歌合せ・いい話
http://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-1219.html

戦国の結婚詐欺・悪い話

2009年02月04日 00:12

280 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/02/03(火) 12:43:26 ID:ZVcbMoua
結婚詐欺の禁止

いい話のほうで話題になっていた相良氏の分国法「相良氏法度」に
「後家を妻にすると言っておきながら、売り払ってはいけない」という条項がある。
当時も結婚詐欺が有ったらしい、という悪い話。




丸目蔵人佐、兵法者は戦下手・悪い話

2009年01月17日 00:03

432 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/01/16(金) 03:43:18 ID:PiCDnkZC
兵法者は戦下手
南国肥後相良の丸目蔵人佐(長恵)は、タイ捨流の祖で九州に新陰流を広めたお人だが戦は下手だったようだ。
この蔵人、19歳で上洛し上泉信綱に師事し新陰流を学ぶ。時の将軍足利義輝の御前で師の信綱と模擬戦を披露するよにまで名を上げた。
そして意気揚々と南肥後の人吉に帰国したところ、相良氏は薩摩島津との戦の準備の真っ最中。
戦の理由は相良と友好関係にあった薩摩菱刈氏の大口城近くに、島津配下の新納忠元が市山城を築き戦い避けられぬ状況になったため。
さて、都会で兵法者として名を上げた蔵人、意気揚々とこの大口城に後詰めとして入ったのだが、たいするは島津四兄弟の末弟島津家久(善)。
例によって島津お得意の釣り野伏せ、ごく少数のおとり部隊が大口城に攻撃を仕掛けてきた。

蔵人「島津の小童めあのような小勢で城攻めなど片腹痛いは!おらおら突撃だー!」

だが相良勢の中にも釣り野伏せを見破った人物がいる。赤池長任臣下の小田八郎右衛門である。
小田「ちょっとちょっと、あの家久(善)があんな小勢で攻めてくるわけないでしょ、あれ絶対囮ですよ!」

しかし都会帰りで意気揚々の蔵人は聞く耳をもたない。
蔵人「んなこたあ無いよ!将軍様お目見えの兵法者の俺を信じなよ!ほら突撃突撃!」

こうして蔵人の指揮の下、まんま城外へとにおびき出された相良勢は島津家久(善)の伏兵に取り囲まれ全滅の危機に瀕する。
そんな蔵人の危機を救ったのは釣り野伏せを見破った小田八郎右衛門。
敵軍に突撃し蔵人達が逃げる時間を稼ぐが、そこで討ち死にしてしまった。

こうして命からがら人吉に逃げ帰った蔵人だが戦は大敗。京仕込みの兵法者の効能もさすがに色あせ、相良義陽は蔵人に蟄居3年を命じるのであった。

兵法者に踊らされた者達にはちょっと悪い話でした。