高橋元種の改易

2016年08月31日 21:30

45 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2016/08/30(火) 20:11:06.04 ID:ec+RNKRo
高橋右近大夫種統(元種か)はもともと豊前国に所領を持っていたが、日向の懸にも土地を有していた。
大友家が滅亡した後、天正16年7月、豊前より日向に移り、松尾城に居住し、その後慶長8年、再び
懸城を築いて松尾城から移った。

元種は初めのうちは行状も正しく、領民たちも皆その政に懐いていたが、中頃より行状大いに乱れ、
酒宴にひたり女色に溺れ、無道の挙動多かった。

その頃、板坂出羽守(直盛)という大名の甥に、水間勘兵衛(宇喜多左門か)というあぶれ者が有った。
彼が故あって、直盛の厩預かりの侍を討ち果たして出奔した。直盛は大いに怒って将軍家に訴えたため、
将軍家はあまねく天下の諸侯にその捜索を命じた。

この水間勘兵衛は伊予国、飛田信濃守(富田信高)内室の従兄弟であったので、一旦は富田家を頼って
匿われていたが、富田信高も匿いきれないと考え、官兵衛に扶持を与えて、肥後の加藤家を頼って
遣わした。しかし加藤家でも匿いきれず、高橋家を頼り、高千穂の山奥に匿うことと成った。

ところがこの水間勘兵衛は、元来悪逆無道の者であったので、高千穂において召し使っていた人夫の一人を
手打ちにした。この時、元種の家老である花田備前守は元種に向かって
「あの水間勘兵衛を加藤家に返されるべきです!」
と諌めたが、元種はそれを承知しなかった。
しかし、勘兵衛に殺された人夫の父は、我が子が非命に死んだことを無念に思い、関東まで密かに上り、
板崎家に訴え出た。

こうして水間勘兵衛の匿われた場所が露見し、高橋元種も隠しきることは出来ず、勘兵衛を搦め捕えて
関東に差し出した。
時に慶長18年夏、駿府において富田、加藤、高橋の三家が召され裁判が行われた。

富田家は勘兵衛に扶持を与えた罪により改易を仰せ付けられた。
加藤家は申し訳が立って無罪。
高橋家は匿い置いた罪によって、元種ならびにその嫡男に、出羽山形への配流を命ぜられた。

(日向纂記)

高橋元種が、富田信高と坂崎直盛の対立に巻き込まれて改易と成ったお話。



46 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2016/08/30(火) 20:20:27.58 ID:8e77uKs8
>>45
>人夫の一人を手打ち
匿われてるのにクズすぎるだろw

47 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2016/08/31(水) 00:05:59.17 ID:L4DywtDZ
叔父がクズなら甥の坂崎もクズでその甥もクズという連鎖

48 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2016/08/31(水) 00:35:56.01 ID:udK35cdD
>>45
正確には元種一家は棚倉の立花家預かりだな
しばらくは宗茂が元種のために復権の活動してくれてたらしいけど

57 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2016/09/03(土) 19:54:56.38 ID:AJFlgTjl
>>45のレスを見て思ったけど坂崎出羽守って歩く爆弾みたいなものだな

・宇喜多秀家(宇喜多騒動で家臣激減。関ケ原敗北で八丈島配流。ある意味直盛による最大の被害者)
・中村九郎兵衛(加賀前田家出身。宇喜多家執政。大坂で直盛に襲撃されて加賀へ逃亡)
・宇喜多忠家(息子が起こした騒動のせいで宇喜多家を退転隠棲する羽目になる)
・富田信高(直盛甥隠匿事件で改易に追い込まれた人その1)
・佐野信吉(富田信高の弟。直盛甥隠匿事件で改易に追い込まれた人その2)
・高橋元種(秋月種実の子。直盛のせいで改易に追い込まれた人その3)

以上は坂崎直盛被害者の会と言っていいと思う

その他

・千姫(直盛の逆恨みで襲撃されそうになった人)
・本多忠刻(忠勝の孫。小松姫の甥。千姫の再婚相手。直盛のとばっちりを受けそうになった人)
・立花宗茂(西国無双。千姫奪取未遂事件時に直盛の乱鎮圧の計策をひねり出したのはこの人らしい)
・柳生宗矩(宗茂の計策を胸に直盛を説得し切腹に追い込み乱を鎮める。二枚笠紋を直盛から譲られる)
・小野寺義道(元・出羽横手城主。直盛に恩義を感じ直盛十三回忌時に墓を建立)
・明石全登(大坂城七将星。元・宇喜多家客分。キリシタンになったのは直盛の勧めという)

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芥田悪六兵衛

2015年03月31日 18:21

625 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2015/03/30(月) 21:36:15.85 ID:AwbfRslo
耳川の戦いで大友が敗北すると、筑前の秋月種実も、大友に対して反旗を翻した。
これを聞いた豊後の大友宗麟は、臼杵中務に三万騎余りをつけて秋月を攻めさせた。

豊後勢は秋月を十重二十重と取り巻き、日々夜々に攻め戦うこと数日に及ぶと、
秋月勢の勢いも次第に尽きていき、城に籠もる者はわずかに百騎にも足らなくなった。

種実は、これでは防ぐことはできないと、家の子郎党を集め様々の酒肴を調え、酒盛りをして
最期の名残を惜しんだ。

酒宴も半ばに種実は
「しかし数年の鬱憤を散じることが出来ず、明日は詰め腹を斬らねばならないこと、口惜しいものだ。」
そういって涙を流した。
この時、お酌をしていた芥田という少年、この時16歳であったが、彼は銚子を静かに置くと、
畏まって申し上げた

「明日、この芥田に采配を許してください。中務に近づき、組んで勝負を仕ろうと思います。」

種実これを聞くと
「出来もしないことを申す者かな。あれほどの大軍の中をどうやって分け入って中務と組み合うというのか。
詮無きことを申すものだ。」
そしてその言葉が笑壺に入ったか、大笑いした。

かくしてその夜も明けると、豊後勢は鯨波を作り押し寄せてきた。種実は今日を限りと考えていたので、
華やかな出で立ちで94人を前後左右に立て、臼杵中務の本陣を目掛け駆け出そうとした。

が、ここであの芥田少年が馬に取付き、「暫くお待ち下さい!仔細があります!」そう言い捨てると
真っ先に進んで、両陣の矢の口を留めて叫んだ

「大将、臼杵中務殿に申すべき事あって、人数ならぬ童が罷り向かいます!」

そうして持っていた鑓や刀、脇差しを抜き捨て静かに歩み寄り、「御本陣に通させたまえ」と言うと、
豊後勢は定めて秋月種実よりの使いであると考え、道を開いて通した。
芥田は大勢を押し分け、中務の前に来ると畏まり、

「種実より内證の事があって使いに参りました。先に、御近習の人々を遠ざけられ、御馬より降ろして
下さい。そうすれば、委細に申し上げます。」

中務これを見て、『未だ若年の者、その上無刀で来ており、仔細もないだろう。』と考え、
急ぎ馬から降り長刀を杖に突き「どういう使いであるか?」とさし俯いた。その時、

芥田は大力であったので、兜のシロコを掴んで引き伏せ、中務の脇差を奪いとるとたちまちその首を
掻き落とし、稲妻の影よりもなお素早く山の中に飛び入った。

大友の軍勢が、「すわ出し抜かれた!それを討ち取れ!」と追いかける所を、秋月勢が突撃し
四角八角に駆け破る。さすれば豊後勢は大将がいないため、色めき立って備はたちまち乱れ、
遂に敗軍した。

秋月種実は「危うき命が助かったこと、偏に芥田のはかりごとが当たったためである。」と
感状を与えた。この時種実は彼の名を、『芥田悪六兵衛』と、悪の字をつけて書いたそうである。

(大友記)



626 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2015/03/31(火) 02:29:19.31 ID:f/9KBo8C
三万もおって本陣はえらい前線なんだなw
しっかし大友は総大将が討たれすぎや

627 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2015/03/31(火) 10:13:40.15 ID:1vN+SZCT
悪や鬼って、いつからネガティブな意味で使われだしたのかな?

628 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2015/03/31(火) 17:11:13.28 ID:fArFlw1y
いやネガティブな意味でも使われてるでしょ

629 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2015/03/31(火) 18:23:53.09 ID:VdUR7WPh
鬼武蔵の鬼は鬼畜の鬼

鬼小島の鬼は鬼神の鬼

630 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2015/04/01(水) 02:28:09.37 ID:6Hr1uTM5
悪は本来人並み外れた強い人をさす
だがそのような人はスタンドプレーを好んで命令に従わない
こうした流れで悪がよくないものとして捉え出した


妻を手篭めにされた男の復讐

2013年06月11日 19:50

818 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/06/10(月) 21:00:34.92 ID:B+lr4YVI
妻を手篭めにされた男の復讐

筑前国・豊後国の境にある針目山(現在の福岡県朝倉市杷木)には
筑前国側に針目城があって、戦略的に重要な拠点だった。
この事件の起きた当時は秋月氏の支配下にあり、
初山九兵衛大山源左衛門の2人が交代で城番にあたっていた。

天正9年(1581年)正月、初山家の与力・高久保彦次郎は妻を伴って
上司の屋敷へ年始の挨拶に上がった。酔いがまわった初山九兵衛
常日頃から気になっていた彦次郎の妻の美貌に我慢できず、
その夜ついに、待ち伏せをして手篭めにしてしまった。
「亭主にばらすぞ」と脅された彦次郎の妻は誰にも言えず
その後も好きにされていたが、あるとき初山九兵衛の奥方にバレてしまう。

奥方は旦那を問い詰めるかと思いきや「夫を奪われた」と嫉妬に狂った。
ある日、与力の妻たち5人が奥方に食事の席に呼ばれた際、
他の妻たちには労いの言葉や土産物を与えたのに、彦次郎の妻は自分が呼んだのに完全無視。
彦次郎の妻は初山九兵衛との関係が奥方に気付かれてしまったことに気が付く。

819 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/06/10(月) 21:02:41.72 ID:B+lr4YVI
奥方の仕打ちに悩み、夫に上司との関係が知られてしまうのを恐れた妻は
悩んだ挙句に首を吊って自殺。驚いたのは高久保彦次郎である。
妻の死について調べていくうちに事件の真相を知った彦次郎は怒り狂った。
そして事の発端であり全ての元凶である上司の初山九兵衛へ復讐を誓ったのである。

城番を破滅させるにはどうするか…城を敵方に奪われてしまえばいいのだ。
そう思った彦次郎は大友側である長岩城主・問註所統景を頼った。
突然の来訪に統景は敵の城を難なく奪えるのならばと喜び、
針目城奪取の計画を念入りに練り、チャンスを待った。

ある日、城番のもう一方である大山源左衛門が秋月本城に所用で出かけた。
好機と見た彦次郎は城が手薄になっていることを統景に伝え、問註所軍が急襲。
初山九兵衛は少ない味方で防戦したが多勢に無勢、
さらには高久保彦次郎が混乱に乗じて初山九兵衛を殺害。
針目城は問註所軍に奪われてしまった。
復讐を果たした高久保彦次郎は逐電。その後、彦次郎の姿を見た者はいないという。




820 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/06/10(月) 22:22:42.92 ID:B1b1xfXe
陰湿な復讐だなあと思ったら普通に殺してた
生かしたまま追い込みかけるのかとw

休松の戦い

2012年08月23日 02:37

169 名前:名無しさん@お腹いっぱい[sage] 投稿日:2012/08/22(水) 00:09:40.15 ID:P4yn8byU
休松の戦い(秋月種実VS戸次道雪・吉弘鑑理・臼杵鑑速)

時は1567年9月3日
大友傘下の武将である古処山城主・秋月種実(当時20歳頃)は高橋鑑種に同調し大友氏に対して謀反を起こした。
当然怒った大友宗麟は戸次道雪・吉弘鑑理・臼杵鑑速の所謂「豊後三老」に秋月討伐を命じた。
大友勢は邑城・休松城を落とし本拠・古処山城に迫った。古処山城の守りは堅く名将・戸次道雪を以てしても
容易に落とせず膠着状態が続いた。折りしも秋月氏の盟友・毛利氏(種実は亡き毛利隆元と義兄弟の約を結んでいた)が
九州に迫るとの報を受けると大友傘下の国人衆は動揺し自領に引き上げてしまった。この状態を知った宗麟は一時撤退を命じる。

大友軍の撤退を見るや秋月種実は父・文種や長兄・晴種の仇を討つべく戸次勢に攻撃を加える。
これに対し道雪も異母弟・鑑方ら一族や由布雪下・小野和泉らと迎撃する。
戸次勢の猛攻に秋月勢は逆にに蹴散らされ多くの死者・負傷者を出して撤退。

翌日4日
秋月種実は夜半風雨の強い中夜襲を決行し再度大友勢を襲った。
臼杵・吉弘・戸次陣は秋月勢の夜襲によって大混乱に陥り臼杵勢や吉弘勢は崩れ立つ。
ここでも戸次道雪は冷静に対処し臼杵勢や吉弘勢を収容し撤退には成功したものの、
秋月勢に筑後山隈城まで追撃され多くの将兵を討たれてしまう。

この戦いでも道雪の奮戦は目立った反面、戸次一族や家臣の犠牲は甚大だった。
戸次一族は異母弟・鑑方を始め鎮比・親繁・親宗・親久が
家臣団では十時惟忠・ 小野鑑幸・ 由布惟清・ 綿貫吉廉が討死した。

ちなみに道雪に娘・誾千代が生まれたのはこの2年後である。




170 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/08/22(水) 00:38:54.24 ID:NVVah7I9
秋月さんはマジ雑草魂の名将なんやで
最近はのぶやぼでも大名として使えなくてアレなんだけどさ…

171 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/08/22(水) 00:50:50.16 ID:kOKlR8Wv
何気に隆元すげえw

172 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/08/22(水) 01:17:13.90 ID:oCwprfAj
秋月さん頑張ったから「いいね!」て話?

173 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/08/22(水) 07:52:00.11 ID:ouAaLxFO
秋月さんは確実に相手が悪かった

古処山城、どのぐらいの要害か

2012年04月02日 21:29

532 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/04/02(月) 09:51:08.81 ID:wbOZ/ZBD
まとめの『秋月文種と小野九郎右衛門』にあるけど、内応によってあっけなく落ちた古処山城。
要害と書かれていたけど、どのぐらいの要害か皆さんご存知だろうか?
wikiの古処山城には書かれてないけど、古処山の方に記述がある。

ttp://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8F%A4%E5%87%A6%E5%B1%B1

鎌倉時代、この地を治めた秋月氏の祖原田種雄が本拠地として『頂上』に古処山城を築城(wikiより)
で、この山の標高って859.5 mだったりする。

そりゃ、内応で落とすしかないよなと納得した話。
なお、登山道も整備されていて、一時間半程度の道のりだそうな。




533 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/04/02(月) 12:44:43.96 ID:T6qtK1za
か…景勝地
そんな高い山に築城する一部始終をこの目で見てみたかった
ケガ人も出そうだし大変なんてもんじゃなかったろうに

534 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/04/02(月) 16:13:42.38 ID:gbxNgd65
標高差が重要とマジレス

535 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/04/02(月) 16:37:07.17 ID:b25i5gvc
俺の実家の近くにも山城があるんだけど
戦の時だけ山城にいて普段は平地の屋敷に暮らしてた。

その山城の石垣とかはすぐ近くの古墳を解体して再利用してたらしい。

536 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/04/02(月) 16:45:33.24 ID:mxjitE2D
>>533
最近の信長の野望で富士山山頂に築城出来たのがあったなw

537 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/04/02(月) 18:51:18.94 ID:bPaTqvM2
どう考えても流刑地

538 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/04/02(月) 18:58:26.59 ID:dsJsO2Z6
むしろ死亡確定

539 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/04/02(月) 19:15:27.65 ID:1qT7XhZs
実は標高1000メートル以上にある山城ってけっこう全国にあるんだよな。
ほとんどは住民の避難用だったらしいが。

540 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/04/02(月) 19:19:04.73 ID:7zOnnDhu
所謂、城=集会所寄合処ですな。観音寺城なんて諸説入り交じってワケワカメですし

541 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/04/02(月) 22:47:18.80 ID:0yvmRTSM
平野に唯一ポツンとある丘こそが最重要拠点だ
小牧山、茶臼山

542 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/04/03(火) 00:07:49.77 ID:xNjPnlaO
戦国より遥か昔の時代でも、
鬼ノ城みたいに結構急峻な山に城作ってたりするからな。

543 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/04/03(火) 00:15:20.50 ID:rXkSUB3Z
古い神社が山の上にあるのは、古代には拠点に神を祀ったからだとか。
拠点がなくなって神だけが残って神社になると。

544 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/04/03(火) 00:32:42.34 ID:moON/Nkb
山そのものが信仰の対象でもあるし

546 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/04/03(火) 17:26:58.39 ID:xSWOqCfm
>>541
小牧山に登ると木曽川まで見えるからその重要性がよく分かる

549 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/04/04(水) 09:49:43.61 ID:kM3xNST2
松倉は一番標高の高い城らしい
実際には裏切りで秀綱は逃げ出したわけだけど、万全の態勢で籠城できていたらどうなっていたかな


553 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/04/04(水) 18:16:11.10 ID:08A3RUcL
>>536
そんな所に城造っても佐々さんくらいしか城主になれる人おまへんがな

秋月文種の御供衆任官運動

2011年08月13日 23:00

401 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/08/13(土) 16:13:52.86 ID:NlIHsOTA
天文9年(1540)のこと。筑前の秋月文種は将軍足利義晴の『御供衆』に任じられることを欲していた。
しかしこの頃、秋月氏が属していた大内義隆は、なかなかその事を幕府に推挙してくれない。
そこで、である。
秋月文種はついに、大内氏に黙って内々に、幕府への運動を始めたのだ。
しかも将軍家に求めたのは、後で大内氏との関係がこじれ無いよう

『あくまで将軍が秋月文種の忠義に喜び、自発的に御供衆の地位を授与した形にしてください』

というものであった。

「こんな都合のいい話が認められるか」
と将軍が思ったかどうか。結局、運動空しく秋月文種は御供衆の座を手にすることは出来なかった。

そして翌天文10年、秋月文種は驚愕する

自分と同じ筑前の国人で、同じく大内氏に属する麻生氏が、大内義隆の推挙により御供衆の座を授与されたのだ。

秋月文種は慌てて大内義隆に「自分も御供衆に推挙していただきたい!」と懇願した。
ところが義隆

「麻生氏はもともと、将軍直臣の家柄なので御供衆に推挙したんだが、秋月はそういう家ではないから
御供衆に推挙することはできないね。しかし五番衆なら推挙して差し上げられるのだが…」

五番衆は御供衆より格下なのである。同じ筑前の国人として、麻生氏より下だとされてはたまったものではない
ではないか!
どうも大内義隆、秋月文種が自分を通さず独自に幕府に接触したことを知り、そこでこのような目に合わせた節がある。

この後も秋月文種は大内義隆に、御供衆への推挙を懸命に働きかけたが、それを得ることはついに出来なかったという。

まさに藪をつついて蛇を出す結果となった、秋月文種の御供衆任官運動の顛末である
(常興日記)




402 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/08/13(土) 17:27:00.02 ID:uAix8GJx
御供衆になると何かメリットがあるの?

403 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/08/13(土) 17:46:29.38 ID:NlIHsOTA
>>402
一番簡単なメリットを言えば公的な「信用」が違ってくる。
例えば今の社会でいえば、同じ事業をするにしても、公的な肩書きが何も無い人と、
元国会議員とか元高級官僚とか、そう言った肩書きを持っている人とではやはり後者の方が
広く信用され有利に成るでしょ。多くの人はその肩書きの後ろにある経験や人脈を見るから。

あと戦国時代で言えば、実力で圧倒していれば肩書きの影響は少ないが、実力で拮抗していれば
一般的にやはり肩書きのランクの高い人間の方に人は集まるんだよ。
これも現代も一緒だと思う。

もっといろんな意味や理由があるけど、とりあえず一番直接的なメリットはそういったところだな。

404 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/08/13(土) 18:52:14.95 ID:VHD2YWD7
高い官位や役職は、そのための付け届けに必要な財力の証明であったり、
仲立ちをしてくれる人との親密さのアピールであったりするんだよ。

405 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/08/13(土) 19:09:57.92 ID:Gl8YjL7n
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BE%A1%E4%BE%9B%E8%A1%86#.E7.BE.A9.E6.99.B4.E6.9C.9F

ここに秋月種方って文種の別名が載ってるけど、どういうことなん?


406 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/08/14(日) 14:36:15.94 ID:2ddWbF0U
さーっと見てみると、番衆あるいは供衆になったと書いてる所があるから、なんらかの役職に就いたんじゃないの
ただ中央の記録に残ってないからよくわからないとかだったりしてw

秋月文種と小野九郎右衛門

2011年03月10日 00:00

秋月文種と小野九郎右衛門

筑前は秋月氏の居城・古処山城は天然の要塞であった。豊臣秀吉の九州遠征において当初徹底抗戦の
構えを見せたのもこの古処山城の要害があったからで、それほど自信ある秋月氏最後の砦だった。初代の鎌倉時代から
十七代当主種長の時代に日向へ転封されるまで古処山城とともに秋月の地に代々住み続けた秋月氏であったが
一時期滅亡寸前にまでなり、秋月の地からも離れていた時期があった。弘治3年(1557年)の秋月の戦いである。

概要としては、「大友二階崩れの変」による大友氏の動揺、陶晴賢謀反などによる大内氏衰退と毛利氏の台頭などで
筑前の豪族たちの周辺も慌しくなってきていた折、毛利元就お得意の謀略が筑前に伸びてきた。
当時筑前の二大巨頭であった筑紫惟門と秋月文種に「一緒に大友討とうぜ!」というお話である。
ホイホイ乗ってしまった二人は密議を交わしていたが、この悪巧みが新当主になったばかりの大友義鎮にバレてしまい
義鎮は大激怒、戸次鑑錬・高橋鑑種・臼杵鑑速らに命じて討伐に向かわせた。その数2万。秋月の軍勢は千数百で
あったため篭城するも5日ほどで落城。後に筑紫惟門も敗れ毛利氏の元に逃走した。しかしいくらこれだけの
戦力差があったとはいえ秋月自慢の古処山城がたった5日で、惟門のように逃げ切れもせず討ち取られたのか。
そこには秋月方から裏切り者が出たからだと言われている。

秋月文種の近習に小野九郎右衛門という侍がいた。彼の従弟は後に立花双璧として並び賞される小野和泉。
まだ若い頃の小野和泉は大友家臣として仕えていた。彼は要害・古処山城をただ攻めるだけでは自軍への被害も
甚大になると考え、ある策を思いついた。開戦前、ひそかに九右郎衛門に会い、主君義鎮自筆の書を取り出して見せた。
「今度の合戦に内通して大友の兵を城内に手引きしてもらえるならば、恩賞として豊後上田二千貫(約二万石)を与え
その上、義鎮公ご寵愛の美女を賜る」というような内容だった。この美女とは元々は豊前田川郡の農家の娘で、
その頃に九右郎衛門と深い約束を交わした仲だったが、義鎮の側女として連れて行かれたのだった。
そのことを知っていた小野和泉はこの策を考えたのだった。親戚の言うことでもあり、九右郎衛門はまんまと乗った。

こうして九右郎衛門は前もって大友の忍者をに城中の地理、人数の配置、水の手などの詳細を渡し、
さらに大友の兵を手引きして城内に引き入れたため、要害を誇った古処山城はあっけなく攻め落とされた。
城主文種は側近に守られて山伝いに落ちのびようとしていたが、途中で後をつけていた九右郎衛門に不意に襲われ
首を取られてしまった。大友の陣営に首を差し出した九右郎衛門は、約束どおり内通しただけでなく、
文種の首まで獲ってきたのだから、大層な褒美を貰えるだろうと喜んだ。しかし小野和泉は怒っていた。
「手引きのことは頼んだが、主人の首までとは言わなかったはず。いかに欲心からとはいえ、恩ある主人を殺し
その首を敵に売るとは、あさましき所業である。」和泉は数名の兵に命じ、夜盗のように装わせて
九右郎衛門を待ち伏せし襲わせた。やがてなぶり殺しにされた彼の惨死体が発見されたが、
これを見た秋月の人々はみな「天罰が下ったのだ」と言ってあざけって通ったという。
小野和泉もいくら従弟とはいえ「こんな奴が味方になったらいつ裏切るか分からん」と思ったのか、
それとも最初から殺すつもりだったのか。ある意味戦国時代らしい「悪い話」だと思う。

こうして一度滅亡し(かけ)た秋月氏だったが、毛利氏の元に逃げ落ちていた文種の子種実が
旧臣・深江氏の働きと毛利氏の援助により、永禄二年(1559年)正月に秋月の地に復帰した。
種実は九右郎衛門の所業を恨み、秋月に戻ってすぐ彼の一家眷属を探し出して皆殺しにしてしまった。
そのため一時秋月では小野氏受難の時代が続き、同姓の者はみな名を変えて、身を潜めていたという。




176 名前:人間七七四年[] 投稿日:2011/03/09(水) 22:13:34.22 ID:dpNlltL2
なんか「悪い話」のお手本のような話だなw後日談含めて
三国志にも同じような裏切り話たくさんあるし

177 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/03/09(水) 22:28:33.93 ID:F74B19ax
まあ、戦国の世ですからね
何でもアリですよw

178 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/03/09(水) 22:29:06.87 ID:LUD80ioS
種実「待ちに待った時が来たのだ!
   多くの英霊が無駄死にで無かったことの証の為に・・・
   再び秋月の理想を掲げる為に! 星の屑成就のために!
   古処山よ!私は帰ってきた!! 」



179 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/03/09(水) 22:35:38.44 ID:cAU9SFVs
そして居城に核撃つんかいw

180 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/03/09(水) 22:37:58.81 ID:EQNsbaZG
ついでに地元住民も皆殺しにして星の屑成就か

高橋元種失敗する

2010年06月17日 00:01

407 名前:sage[] 投稿日:2010/06/15(火) 22:12:27 ID:wro4E+7x
高橋元種失敗する

三田井を滅ぼし高千穂を手に入れた高橋元種が次に狙ったのは隣接する米良領地だった
豊臣政権のもと天下統一されたことなんてお構いなしだ
文禄5年(1596)朝鮮出兵のドサクサに紛れて高橋元種が米良領に侵攻する
怒った米良は奉行の石田三成に訴えた
三成「では公平を期すために双方から言い分を聞こう」ということになった
米良は領地所有の正当性の証として名門・菊池家から続く家系図を抱いて必死の思いで自ら大坂へ向かった

そして裁定の日
高橋元種側からは誰も来なかった
さすがに言い訳が思いつかなかったのだろう。本人はもちろん家臣も来なかった。
米良は秀吉の前で系図を出し自らの正当性を訴え秀吉もこれを了承し、裁定は米良側の勝利となった
名門・菊池家の血統であることを認めた秀吉は改めて米良を別室へ招き丁重にもてなし
さらに手ずから槍を与えたと言われている

裁定をバックれた高橋元種だが何故か何の処分も受けていない
石田三成は翌年の慶長2年には今度は相良さんの御家騒動の裁定があったりで忙しく
さらに朝鮮の役のバタバタで、うやむやになったのだろう
失敗しつつも生き残る。それが秋月一族のクオリティ




408 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/06/15(火) 22:25:06 ID:k3dbRotS
高橋元種は延岡周辺の開発で地元ではそこそこ知名度があるらしいな

「槍飛」

2010年05月25日 00:02

>>849(まとめのhttp://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-4164.html)を読んで、
以前宮崎に行った際に読んだ逸話がこの関係の話だったと気がついた。

「槍飛」
高千穂を流れる五ヶ瀬川に、「槍飛」と呼ばれる幅2~3mほどの場所がある。
天正十九年の三田井城落城の際、城を脱出した家臣たちがここまで逃げてきたが、
この場所には橋がない。
何人かは棒高跳びの要領で槍の柄を手前の岸について飛び渡ることができたが、
槍を向こう岸についてしまった者は川の中に転落したと伝えられている。



962 名前:sage[] 投稿日:2010/05/23(日) 22:03:44 ID:oiv3Ue/c
>>961さん>>849を投稿した者です

その話は知らなかったので秋月好きの自分には凄い嬉しいです
ありがとうございました

九州成敗と高橋元種

2010年05月20日 00:00

849 名前:sage[] 投稿日:2010/05/19(水) 18:27:22 ID:2/Qq4dl2
地元を紹介しているブログより引用
そこには元ソースは宮崎県史とあったが違うとがあったらすいません

ラスボス・秀吉の九州征伐が終り降伏した秋月氏も何とか大名として存続することができた。
種実の次男、高橋元種も縣5万石で存続を認められた
めでたしめでたし・・・にはならないトンデモ無いミスが起きたのだ
高橋元種の領地宛行状に高千穂が入っていなかったのだ
これに希望を持ったのが高千穂嫡流の三田井氏だ
島津に味方したために取り潰しになるはずが領地の高千穂はミスで統治者不在の空白地帯になってしまった
三田井は島津ですら存続できたのだ自分たちだって残っていいはずだと思ったが
いかんせん、それを訴えるための人脈が無い
そんな三田井に高橋元種が親切顔で接近した

元種「自分も三田井殿の存続は認められてしかるべきと存じます。よろしければ参勤の折に関白殿下に取成ししましょう」
三田井、不安に思いつつも他に当ても無い「よろしくお願いします」と頭を下げた

そして元種がラスボス秀吉と拝謁した時、三田井のことを訴えた
元種「三田井は殿下の仕置きを不服として叛意を抱いております!」
ラスボス「なにぃ!そんな奴は成敗せよ!」
ラスボスにとって土着の勢力なんて目障りでしかない。
元種の言い分だけを取り上げ滅ぼすことを命じた

天正19年(1591年)9月、大義名分を得た高橋元種は三田井氏を滅ぼした
三田井の筆頭家老、甲斐宗摂(宗運庶子)を篭絡し城内に手引きさせたのだ
ただ、一族全員が殺されたわけではなく三田井の遺児は元種に仕えたのだが
例の親戚の狂騒男のせいで改易になった後は行方不明になったそうです

秋月種実の息子だなぁ
と、思わせる高橋元種の三田井氏を滅亡させた手口でした

850 名前:sage[] 投稿日:2010/05/19(水) 18:28:40 ID:2/Qq4dl2
>>849
書き漏らした
主君を裏切った甲斐宗摂は後日、元種によって粛清されたそうです




851 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/05/19(水) 19:24:43 ID:TxJYTm83
そこが秋月親子の魅力
秀吉に田んぼで踊れ唄えって言われて恥をかいたのも
いまじゃよい思い出w

854 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/05/19(水) 22:43:42 ID:O1Q/r297
九州や東国では、各地で豊臣の知行宛てがいをめぐる血みどろの惨劇が起こるんだよな

855 名前:人間七七四年[] 投稿日:2010/05/19(水) 22:53:16 ID:s7kRpLkB
うむ。

856 名前:人間七七四年[] 投稿日:2010/05/19(水) 23:01:31 ID:WAhQKC6t
>>854
秀吉にとって誰が正統な領主とか土地をめぐる経緯とか、
心底どうでもいいんだろうな。
自分に服するなら誰でもいいって感じ。

九州の一夜城

2010年01月12日 00:14

924 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/01/11(月) 01:20:01 ID:xZ6uOCVJ
九州の一夜城

 益富城は秋月街道と日田街道が交差する交通の要衝「大隈」の街近くにあった城である。
当時の「大隈」は長崎街道ができ「飯塚」が栄えるまでは筑豊地区一の街であり、
益富城は大内・大友・毛利と領有権が移り、ラスボスの九州征伐時は島津方
秋月種実の城であった。

 羽柴秀勝率いる九州征伐軍はまず手始めにとばかりに秋月氏の支城のひとつ岩石城を
いとも簡単に攻略した。
そのあまりの猛攻ぶりに秋月勢は支城を捨て、拠城の古処山城に篭城する作戦をとった。
当然、益富城も放棄したのである。

 放棄翌日の夜、九州征伐軍が「大隈」の街に到着。そしてしばらく経つと「大隈」の街は
炎に包まれた。
その炎は益富城から5キロ以上離れた古処山城からも良く見え、「大隈」の街は
火の海の様に見受けられた。
さすがラスボスやってくれるぜ・・・と思われた翌朝だが「大隈」の街は
何事も無かったかの様にそこに存在した。
しかも益富城が一夜にして白壁の立派な城に変身していたのである。
この事態に秋月種実は戦意を喪失し、その後ラスボスに降伏することになる。

 秋月氏を降伏に追い込んだ「大隈炎上」と「益富城変身」、この仕掛けは簡単なものであった。
「大隈炎上」はただ街人に一斉にかがり火を焚かせたものであり、
「益富城変身」は街人から徴収した戸板・障子などを集め紙を貼ったただのハリボテだったのだ。
このような策を弄したのはおそらくは秀勝の副将蒲生氏郷だと思われる。

その後の益富城は黒田氏の筑前六端城のひとつとして後藤又兵衛→母里太兵衛と城主を変える。
一国一城令により廃城となるまで対豊前(細川領)への備えとして活躍したのである。




929 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/01/11(月) 05:34:07 ID:pwZKH5UW
秋月さんも重臣の意見を受け入れて早期に豊臣に降伏していればなぁ
それまで大友、龍造寺、島津と渡りあうくらい政治感覚は優れてたのに

932 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/01/11(月) 09:43:53 ID:V8d2U/9J
>>929
秋月と同族の筑前原田家は、所領没収だよ。
俺の先祖は、そこの家老。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8E%9F%E7%94%B0%E4%BF%A1%E7%A8%AE

937 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/01/11(月) 12:10:51 ID:qQg2CDvV
>>929
でも家はちゃんと残って、後には上杉鷹山を輩出したから、結果オーライでしょ。

復活のどもり弾正

2009年11月22日 00:02

451 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/11/21(土) 18:24:06 ID:gxeVIk5p
復活のどもり弾正

例のどもり声のせいで、間違って家来に刺殺された木山どもり弾正惟久。
彼の戦死後も加藤勢・小西勢それに有馬や大村らの軍勢は進撃を続け、
一揆側の拠点である天草氏の本戸城を攻囲した。
清正や行長らが総戦力で本戸城を攻め立てること五日間――――。
よく粘ったが、本戸城は守備兵討たれ、門も突破され、落城は避けられない仕儀と相成った。

清正:我に続け。

とっさの機転で弾正惟久を死に追いやった稀代の策士・加藤清正も、門をくぐって城内へ突入する。
清正が入ったその時、城の奥から30人前後の武者達が現れ、清正を襲った。

惟久:加藤主計頭、見参!
清正:何者か。
惟久:我こそ仏木坂にて貴様に討たれた、木山弾正よ!
清正:なに?!

弾正が蘇ったと、清正は驚いた。

惟久:死ねやああああ!
清正:ム……。

そして清正は、さらに驚くべき事態に直面する。

惟久:い、いやぁっ! な、や、やめぇッ!

惟久、梅の木の枝に頭に被った兜を引っ掛けて、身動きが取れなくなってしまったのだ。

清正:…………。

どのような心境だったのだろうか、清正、とりあえずこの惟久を難なく討ち取ってみせた。

後になって分かった事だが、弾正を名乗って清正を襲ったのは、弾正の妻の京の方だったという。
そして、彼女と共に清正を襲撃した30人の兵士達も、皆武装(男装?)した女子だったという。




452 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/11/21(土) 18:49:51 ID:Bg7CUt/F
そのあとはおいしくいただかれました

453 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/11/21(土) 18:51:07 ID:RCW+cGrD
どもりの夫と、おっちょこちょいの妻……
木山弾正と妻の日常が気になって仕方ないw

454 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/11/21(土) 21:08:01 ID:rN/y1UD3
死んでも死にきれねええええええ

455 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/11/21(土) 21:10:34 ID:kgiw7Isc
木に引っ掛からなくても勝ち目ないだろうから、憎い加藤を脅したかっただけじゃね。
敵の手を借りた自害。自作自演。





参照
「どもり弾正」
http://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-2608.html

「どもり弾正」

2009年08月11日 03:41

256 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/08/09(日) 22:01:59 ID:twWMiJYW
「どもり弾正」

ttp://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-category-69.html

ここにもう出てるけどこの事は書いてなかったので。

この木山弾正剛勇の士として名を馳せていたが、
彼にはどもり癖(吃音症)があったので、「どもり弾正」とも呼ばれていた。

そして天正17年 まとめに載っているように加藤清正との一騎打ちになる。
弾正は最初清正を組み敷き、後一歩のところまで追い詰めたものの、主君に加勢しようと駆けつけた
自分の家臣に「殿は下か上か」と訪ねられ、先述した「どもり癖」のせいで、うまく言葉が出ず
清正が「下だ!」と先に叫んだ為に、誤った家臣の槍にかかり死亡してしまったという。






秋月種実家臣、恵利暢尭、腹切岩・悪い話?

2008年12月01日 00:03

816 名前:人間七七四年[] 投稿日:2008/11/29(土) 23:04:59 ID:wLiGhTck
腹切岩

筑前国に秋月氏と言う豪族がいた。秋月氏は機を見て毛利、
大友、竜造寺、島津と恭順を重ね、自領を保っていた。
戦国の末、豊臣秀吉は九州制覇を志し、大軍を率いて西下していた。
この時、秋月家当主、秋月種実の命を受け家臣、恵利暢尭は、敵情
視察のため広島まで出向いたのであったが、秀吉軍の装備の素晴らしさ
を目の当たりにして大いに驚き、急ぎ帰って和睦の賢なることを勧めた。
だが秀吉軍の力を侮った種実は「さても暢尭、臆病な事よ。はや秀吉の
家臣となったか。」と嘲り、他の重臣達も暢尭を笑い飛ばした。
己の言が受け入れられぬと悟った暢尭は、妻と子供を城の側にある大岩に
集め、「もはや秋月もこれまで」と妻子を刺殺し、自らも切腹。諌死した
のである。享年三十八歳の若さであった。
ほどなくして秋月種実は、秀吉にひざを屈する。待っていたのは、必死に
守り抜いてきた先祖伝来の地、筑前秋月より日向財部への転封であった。
転封が決まり、その地を離れる事になった種実は、恵利暢尭一家が諌死した
大岩の前で下馬し、落涙しつつ手を合わせて去っていったと言う。

後年、筑前黒田藩藩主、黒田長與は恵利暢尭の忠節を称え、大岩の近くに
鳴渡観音建立した。今も大岩は「腹切岩」と呼ばれ、秋月城の側にひっそり
と佇んでいる。



817 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/11/29(土) 23:08:37 ID:Lg06I3sC
>>816
うーむ、良い話・・・のような気もするな

818 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/11/29(土) 23:19:22 ID:9LeTvMWu
>>816
部下の進言を聞かない、悪い上司の顛末って事か。

819 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/11/30(日) 00:06:41 ID:USPqsPIG
いい話の匂いがするぜぇ

820 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/11/30(日) 00:09:43 ID:TgJ0zPdG
書き方次第でいい話にも悪い話にも。
恵利切腹→秋月転封で筆を下ろしてれば文句無しに悪い話。
最後まで書いたのは>>816の人の良さ

821 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/11/30(日) 00:15:20 ID:JhZGIOWw
でも秋月もがんばった方だよな
中国地方と九州地方が入り乱れる北九州で
しっかりと生き残り、勢力を地道に拡大している

九州征伐時の判断ミスが悔やまれる

822 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/11/30(日) 00:19:58 ID:USPqsPIG
>>821
うん
あの位置で残ったのは普通に凄い
しかも江戸も最期まで家名存続してる

823 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/11/30(日) 00:20:13 ID:WjKPijrF
やっぱり先祖代々の地って意識すると、どうしても愛着がわくよなあ

824 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/11/30(日) 00:32:43 ID:TasmC73r
秋月は後に江戸時代最高峰の人物を輩出してるしな
そんな彼が偉人足り得たのは秋月家で受けた教育が大きかった

825 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/11/30(日) 00:36:17 ID:AT92ERyD
逆に立地は恵まれてたのに滅んだ北条、三好はアホだな

826 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/11/30(日) 00:41:32 ID:nqrYyq6/
>>816
一応訂正、黒田長興は筑前秋月藩(本家黒田藩の支藩)の藩主です。
…もしかして黒田だから黒田藩でいいのかも?そうだったらすみません。
黒田長政の息子で、忠之の弟ですね。
黒田長政は亡くなる時、この長興と、その弟高政にそれぞれ五万石と四万石を 分けて与えました。

一説によると長政は嫡男忠之の放埓な性格を危惧していて、本藩が万が一
改易ということになっても家が残るように支藩を作ったということです。
この長興は遊び好きで怒りっぽかった忠之と違い温厚で沈勇の人だったと
言われ、長政は忠之を廃嫡して長興にあとを継がせたかったらしいのですが、
家臣の反対もあって実現しませんでした。
こういった経緯もあって長興を警戒していた忠之は、父の遺命に背いて
長興を家臣並の立場に留めたく思い、独立した藩主として将軍に直接
お目見えするのを阻止しようとしました。
五万石を十万石にしてやるなどの甘言も用いたのですが、長興とその
家臣団は承知しませんでした。
そこで忠之は自身が江戸に参勤する際、長興をなんとしても秋月に留めるよう
自分の家臣たちに命じて国を出たのですが、長興は正月で見張りの気が緩んだ
隙をついて少数の家臣だけを連れて小舟で国を脱出。
江戸にたどりついて一年間の雌伏の後ついに将軍家光に拝謁を果たし、晴れて
本家から独立性の強い支藩の藩主としての立場を確立します。
黒田忠之の往生際が悪い話。


827 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/11/30(日) 00:41:56 ID:jmeNcU6s
この流れは宇都宮家滅亡と黒田官兵衛・長政親子の話をだせ!・・・ということか

と思ったが、既出だっけ・・・

828 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/11/30(日) 00:44:20 ID:0FqizbSX
>>824
上杉鷹山のことか

831 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/11/30(日) 00:56:52 ID:TasmC73r
>>828
ンだす

豪勇の木山弾正、外戚の天草伊豆守に恩返し・いい話?

2008年10月16日 10:41

606 名前:人間七七四年[] 投稿日:2008/07/30(水) 18:41:47 ID:COKc/+Xw
豪勇の木山弾正、外戚の天草伊豆守に恩返し     いい話だ!


肥後赤井の城主木山弾正は豪勇をもって聞こえた武将であったが、島津の北上によって城を失い、
外戚の故をもって天草伊豆守に迎えられ、客将として本戸城にこもった。

天正17年、たまたま宇土築城の加勢をめぐって、天草の諸将は小西行長と対立し、ついに行長の天草攻めとなった。
行長は豊臣秀吉に上訴し、加藤清正の応援を得て、まず志岐城を攻めた。弾正は兵500を率いて志岐へ向かい、仏木坂に清正を迎えた。
単騎敵将清正を求めて、敵中深く突入し一騎打ちをいどみ、清正を組み敷き、まさに首級を挙げんとした時、
主君危うしと駆けつけた自分の家来の誤った槍にかかり、豪勇並ぶ者もない弾正も遂に戦場の露と消えたのである。
http://www.geocities.jp/amakusa_tanken/kiyamadanzyou.htm