赤星統家と龍造寺隆信、意地の張り合い

2010年08月17日 00:00

483 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/08/16(月) 18:36:32 ID:eM53ERyo

九州のマイナー武将というリクエストなので、赤星さんのお話でも。

耳川の戦いの後、それまで大友に従っていた筑後の諸将は今後、龍造寺、島津、大友
のどこに従うべきか、二股、三股をかけて様子を見守っていた。
それが気に入らなかったのか、龍造寺隆信、蒲池鎮漣を誅し、田尻氏を攻撃した。

肥後の国人達も筑後同様、九州三強の間で揺れ動いていたのだが、この田尻攻めの際
には龍造寺軍として参加した国人が多かったようだ。

しかし、そんな中で一人、赤星統家のみが参陣しない。
一応、赤星家と龍造寺家は同盟関係(実質主従関係)にあり、息子が隆信の許へ人質
に出されている。
それにも係わらず、出陣命令を無視しているのだ。

隆信はしきりに参陣するよう、統家に催促するのだが、何度使者が訪れても、
「今出かけてま~す!」
という返事だけで、面会すら出来ない。

頭に来た隆信、もう一度だけ使者を出した。
が、やっぱり返ってくる返事は
「統家様は今、留守中でして。また今度ね!」
という人を馬鹿にしたようなモノ。

「ふむ、統家殿の都合が悪くて来られないというのであれば、代理の者でも構わない
ぞ。おぉ、そういえば赤星家には御息女がおられたな。それでは御息女に代理として
隆信公にお目通りいただこう!」
使者は隆信の命令通り、屋敷に踏み込んで八歳になる統家の娘を召し取って、佐賀に
連行した。

こうなればもう意地の張り合い。
統家は息子や娘の身を案じて隆信に従うどころか、積極的に島津に通じ、反龍造寺の
姿勢を鮮明にした。

激怒した隆信は人質の息子と連行した娘を肥後に連れ帰り、赤星領の目の前で磔にし
たという。


普通同盟結んだ時に子供を二人、人質として差し出した。と言われてるようですが、
この話に従うと、娘の方は後から拉致した、というコトのようです。

鬼武蔵と言い、軍神様と言い、クマーと言い、子供を拉致って人質にするの、皆好き
だねぇ。
でも、結局殺しちゃったの、クマーだけか?

ふむ、赤星さんの話と言いながらクマーの話になってしまった気がしないでもない。




484 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/08/16(月) 19:00:15 ID:b9cNFHD6
殺一警百だったか、蒲池氏に対する非道は衰退を早めただけのものとばかり思っていたけど、
実際肥後国人に影響あったのね、マイナスだけではなかったのか
ただの凄烈な熊じゃなかったんだ
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赤星統家の顛末

2009年12月11日 00:16

925 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/12/10(木) 00:54:05 ID:vj95kYP0
阪神赤星の引退のニュースをみて、多分その御先祖方面に当たる人の事を
思い出したので書いてみる。


肥後隈府城主、赤星統家と、同国の隈部城主、隈部親永は、元々は同じ菊池氏であったものの、
肥後の名族菊池氏の正統を争い、両者の関係は非常に悪かった。

西九州の戦乱も、島津、龍造寺の二家の争いに収束しようとしていた頃、
赤星統家は龍造寺隆信の肥後侵攻の際に彼に服属。隈府城を引渡し、
嫡男と娘を人質に出した。

しかし龍造寺隆信は、肥後において前より服属していた隈部親永を露骨に重視し、
この後ろ盾により肥後での赤星家の勢力は日に日に圧迫されていた。

統家はこれを不快とし、佐賀への参勤を渋った。
これを見た隈部親永は、『赤星は龍造寺殿と敵対している島津と密かにつながっている。
彼が参勤しないのはそのためだ』と言う噂を流した。
隆信は怒り、赤星の弁明を待つことなく、天正11年(1583)、人質であった赤星の幼い子二人を、
山門郡竹井原にて磔にかけた。
嫡男の新六郎14才、娘は8才であったと言う。

赤星はこれに激しく憤り、龍造寺を離脱、有馬氏を介して、島津氏に服属した。

翌天正12年、赤星統家は、有馬・島津連合軍の一員として、赤装束に縄襷(なわだすき)という
出で立ちで、50人の兵とともに沖田畷の戦いに参加。先鋒として大いに活躍。
そしてご存知のようにこの戦いで隆信は敗亡、赤星統家は、子の恨みを晴らしたのだ。


…が、このとき島津に接近しすぎたのが仇となり、天正14年(1586)、豊臣秀吉の九州征伐がおこり
島津が敗れると、赤星家再興の望みはついに絶たれ、その居城隈府城に帰る事は、二度と無かった。

ちなみに、赤星統家と争った隈部親永も、天正15年(1587)の肥後国人一気に参加し、
敗れた後、切腹。
古代より肥後の大族として知られ、南北朝でも南朝方として天下に名を成した肥後菊池氏の勢力は、
ここに潰え去ったのである。

そんな、名族菊池氏の、最末期のお話。



926 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/12/10(木) 01:01:56 ID:W4FjVivc
>>925
隈部は菊池ではなく大和源氏の出
阿蘇の重臣、甲斐の方が菊池一族

927 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/12/10(木) 01:29:03 ID:vj95kYP0
>>926
隈部って途中で菊池の血が入ってなかったっけ?
勘違いしたかな?

928 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/12/10(木) 02:04:20 ID:vj95kYP0
隈部は出自はともかく、何代にも渡って菊池氏と血縁関係を結んでて、
一応一族扱いされてたってことでいいみたい。