土器割の天狗

2015年02月28日 18:12

675 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2015/02/28(土) 16:47:51.02 ID:XVBZi5ie
江上武種の家人に光安刑部允という者があり、城原に居住していた。
天性不敵な剛の者で、まだ忠三郎と名乗っていた年若き頃、勢福寺の城番をしていた夜に
敵300が攻め入らんとしてきたのを、僅か10人ほどで防ぎ、難なく追い払って高名をなした者である。

この刑部、普段は山狩りを好み、猪や猿の類いを捕ることが得手であった。
或る夜のこと、刑部は犬を連れ勢福寺大明神の上にある菩提寺山の頂き土器割(かわらけわり)という高山に猪を捕りに登った。
この山は九州において、豊前の彦岳、豊後の右田岳、日向の法華岳、肥後の阿蘇岳と並ぶ隠れなき天狗の住処であった。

不意に、連れていた犬が猛々しく吠えて騒ぐ。
「不思議である、何であろうか」と刑部が窺い寄って見てみれば、それは鹿や猪の類ではない。
月明かりでよくよく見てみれば、柑子を割ったような黒っぽい石が道の脇にあると判った。
刑部は取って帰って明るくなってからよく見てみようと、徐らこれを懐に入れ峰筋の細道を下ったのであるが、
やがて懐が少し大きくなって重くなったように感じた。
探ってみると石は天目ほどに大きく、また重たくなっていた。
刑部は怪しみつつも尚も坂を下り、四、五町を過ぎた頃、石は鞠ほどの大きさになって重いこと際限なしであった。
しかし、刑部は少しも騒がず「よぉし、どうにでもなれ。汝には負けぬぞ」と尚も下っていたが、
遂には大磐石の如くに大きくなり刑部も動けなくなってしまった。

もはや為す術がなく、脇の谷へと落としてみれば、その音は雷のように鳴り響き夥しいというばかりであった。
暫くして、向いの尾崎に数千人の笑い声が山も崩れんばかりに聞こえだした。
刑部は刀の柄を砕けんほどに握り締め四方を睨んだが、眼に映るものは何もない。

刑部は力及ばず我が家に帰り、このことを主に語れば
「ただただ大きくなる稀代の珍物であったのに、持ち帰れず残念であったな」と笑った。
(北肥戦誌)



676 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2015/02/28(土) 17:26:27.85 ID:0laOtPvF
七条さんがアップを始めたようです

677 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2015/02/28(土) 23:06:21.73 ID:ggr4z1XJ
     )、._人_人__,.イ.、._人_人_人
   <´ 天狗じゃ、天狗の仕業じゃ! >
    ⌒ v'⌒ヽr -、_  ,r v'⌒ヽr ' ⌒
// // ///:: <   _,ノ`' 、ヽ、_ ノ  ;;;ヽ  //
///// /::::   (y○')`ヽ) ( ´(y○')    ;;|  /
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少弐兄弟の再興のやり方

2014年11月20日 17:51

220 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/11/19(水) 22:31:03.02 ID:kV3ZtmYj
少弐兄弟の再興のやり方

1559年、少弐冬尚が勢福寺城で斃れた。
同じく冬尚の長弟・千葉胤頼も自害して果てた。

この時冬尚には3人の弟がいた。
相神浦松浦家の養子となっていた松浦鎮(生年不詳だが資元の三男とも)
次弟も三弟ともされる少弐政興(資元の三男とも四男とも)
末弟の少弐元盛(資元の四男とも五男とも)

鎮は養父・親に廃嫡され幽閉されてしまった。
そのあとの鎮は知らない。
残るは政興と元盛の2人である。

政興は『武』で、元盛は『政』で少弐家再興を企んだ。
政興は肥前中野城主・馬場鑑周(頼周の孫)に匿われた。
元盛は今泉朝覚を使者とし、元盛を当主として再興を訴えた。

まず元盛のほうは再興は叶わなかったが、朝廷の綸旨により龍造寺隆信は元盛の命を保障することとなり、元盛はのちに高野山にのぼった。
子供たち4人は隆信に味方することとなる。

一方政興は大友宗麟の同盟を結び、1563年に有馬晴純などの有馬家一門を中心とした西肥前諸勢力と共に隆信に対して挙兵した。
しかし頼みの一角であった有馬家らは早々に敗れてしまい、擁立した馬場鑑周も1565年に肥前中野城にて隆信に降伏してしまった。

進退窮した政興に見えたが、大友宗麟からの後援はいまだあり(毛利家の動向に影響はしているが)、綾部城(少弐山城のことか)にて健在であった。
またこの時は隆信も思うように勢力を拡大できていなかった。

1568年、隆信の娘婿になっていた旧臣・小田鎮光(政光の子)が政興を許してほしいと願い出るが、隆信はこれを許可せずまもなく鎮光は龍造寺家から離反した。
1570年、今山の戦いで大友軍を奇襲で破り勢いづいた隆信は少弐政興討伐をするが、政興は
1572年、筑紫氏や横岳氏の擁立で再びの抗戦するも、綾部城は落城した。(別の城ともいう)
(1571年にも綾部城落城とあるが、こちらは宮山城のことであるという。<少弐氏滅亡という。>)

約10年にもわたり隆信に抗戦した政興であったが、隆信は政興を助命し出家したという。
のちに政興は九州を去ったという。

これにより少弐氏の再興は失敗と終わり、肥前は龍造寺隆信の時代となった。

隆信が冬尚の弟たちを助命した話


(北肥戦誌や福岡県みやま市の史料などを参考)




春日山若武者先に落されて

2013年05月23日 22:08

690 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/05/23(木) 18:27:56.12 ID:06GvmBN2
同じ地名と言えば佐嘉の北、現在の脊振山地一帯である山内の入り口にある城は春日山城といって、謙信の居城と同名だな。


弘治3(1557)年に龍造寺勢はこの城を占拠して、小河信安に普請を命じ、仇敵神代勝利攻略の拠点としようとした。
城の守備は小河の一族が担当したが、九月勝利はこれを攻めて小河一族に多くの死者を出した。

十月十五月信安はこの仇を取らんと手勢を率いて山内に攻め込んで、隆信も軍を率いてその後を追ったが、
勝利もこの動きを察知して兵を招集して迎え撃った。
翌十六日、信安、勝利ともに敵軍の布陣を物見しようとしたところ、薄明かりの中でお互いばったりと遭遇した。
狭い地形でお互いの従者も加勢ができず、一騎討ちしかできないような場所であった。
信安は一族の仇とばかりに勝利の腹を槍で突いて傷をつけたが、勝利は槍を返し信安を突き、
勝利の従者が駆け寄って信安の首を刎ね討ち取った。
勝利も手負いであったが、龍造寺の先陣大将を討ち取ったことにより神代勢も勢いを増し、
ついに鉄布(かなしき)峠で龍造寺勢を大いに破った。

この頃一首の狂歌が与止日女神社に張り出されたという。
春日山若武者先に落されて また清恥をかくぞ鉄布(かなしき)

少弐政資といえば至って悪の人であり

2012年09月29日 20:29

610 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/09/29(土) 14:36:21.07 ID:v/n0K/kk
少弐政資といえば至って悪の人であり、どんな事にも非義の行いが多かった。

ある時の事、宗像の大宮司より政資に、印子金(良質の金)で作った獅子の像一匹を増進された。
その姿は後ろを向く形であったため、政資は、対となるもう一匹があるはずだと思い、それも合わせて
自分に渡すようにと、所望の使いを、数度にわたって大宮司へと遣わした。

しかしその獅子像は元来1匹しか無かったため、大宮司はその旨を伝えその要求を断ったのであるが、
政資はこれを信じず、

「私に渡さないため深く秘蔵するとは!なんと憎いことか!」

と大いに怒り、ついに大宮寺を自害させた。大宮司は自害に及んで、このような辞世の句を詠んだ

『根をたてば 末は枯葉の藤原や 何せうにとて打捨にけり』(藤の原と、藤原氏である少弐氏を懸けている)

後に大内義興によって追討された、少弐政資についての逸話である
(陰徳太平記)





611 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/09/29(土) 18:49:47.03 ID:XbXJhMnF
狛犬じゃないんだから・・・

612 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/09/29(土) 20:23:06.65 ID:cKk1FnPP
ウッ獅ッ子、倍率ドン、更に倍!

613 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/09/29(土) 20:33:54.95 ID:LkCWWSBB
長安・・・。

614 名前:人間七七四年[] 投稿日:2012/09/30(日) 00:49:44.53 ID:hTyMeY/d
>>610
ttp://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-3815.html
こっちだと獅子の像が猫の像になってたりするけど同じ話っぽいよね

615 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/09/30(日) 08:01:26.61 ID:XwnLgV5F
道灌「猫と聞いてはだまっておれぬ」

616 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/09/30(日) 10:57:38.72 ID:fCyEyFS1
三楽斎「犬のほうがいいのう」
・・・少弐さんというといつ討ち死にするんだろうって聞いてしまう

少弐殿の先祖の武藤検仗頼氏は

2012年04月09日 21:29

558 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/04/09(月) 12:19:55.42 ID:gLthjQOJ
山本常朝
『寄懸目結の紋は、武藤少弐殿の紋だ。
少弐殿の先祖の武藤検仗頼氏は、
むかし、八幡太郎義家公の奥州征伐時に、朝廷から検仗として派遣された。
その合戦で、頼氏は一番に敵方の大木戸を打ち破る戦功を立てた。
義家公がそれを賞し、打ち破った木戸の形を子々孫々まで長く家紋とせよとおおせになった。
それ以来、武藤少弐殿の家紋となったという。
このことは少弐系図の言い伝えである』




559 名前:人間七七四年[] 投稿日:2012/04/09(月) 17:28:08.60 ID:O9lQZdmR
明治以前の苗字や家紋の付け方は自由で面白いよね
明治以降は戸籍やら徴兵制の概念が生まれてそういう自由はなくなった、
まあ近代文明の恩恵もあるし、
一概にどちらが自由とは言えないけど

560 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/04/09(月) 18:55:14.38 ID:gzzjlJ5D
家紋とか戒名とか、自分の名前ですら昔の人のが自由に作って使ってるよな

少弐政資の辞世が好き

2012年02月10日 21:54

861 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/02/10(金) 00:56:32.02 ID:xO0XYn2s
少弐政資の辞世が好き

花ぞ散る 思えば風のとがならず
時至りぬる 春の夕暮れ

花の散り様にもいろんな捉え方がある




862 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/02/10(金) 01:14:25.83 ID:N/8HrRSC
確かにいい句だな・・・さわやかだよ

863 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/02/10(金) 11:06:30.08 ID:did6RLua
少弐は戦死の家系だよなあ

864 名前:人間七七四年[] 投稿日:2012/02/10(金) 20:07:57.08 ID:xO0XYn2s
少弐家は戦になれば当主が魁するような家風だったんだろう。
そうとしか思えない当主の戦死率。
爽やかなまでに無常を受け入れる辞世と言い、
鎌倉以来の武家の名門の武士的な上品さがある

865 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/02/10(金) 20:34:56.44 ID:WTZ3zLJg
ライバルの菊池が勤皇の誉れ高いぶんその割を食らった評価受けてきた感じ
菊池が没落した後に台頭してきたライバルが大内というのもまた

866 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/02/10(金) 21:29:41.09 ID:415rCOFC
少弐家当主「私が死んでも代わりはいるもの」

867 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/02/10(金) 21:32:16.18 ID:U17yYi2S
まあ少弐氏の場合、当主古人云々よりその官位である大宰少弐の方が
本質だった節は確かにあるw

868 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/02/11(土) 01:31:42.04 ID:Q8NC4alX
>>867
だからこそ大内義隆は上官の大宰大弐への任官を望んだわけだw

神代勝利、龍の夢

2010年03月29日 00:08

714 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/03/28(日) 10:52:25 ID:u8tBh6o2
>>696 http://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-3909.html
小河信安といえば、http://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-771.htmlの逸話があるが、
その中に登場する神代勝利の逸話である。

龍の夢


勝利は父の代に没落していたが、あるとき「 足に水を浸していると龍になった 」という夢を買い取った。
神代家の家運はそこから隆盛を迎え、居城を回復し少弐家の重臣として活躍した。
しかし、同じ少弐家中の龍造寺氏の台頭は目覚ましく、馬場頼周と勝利は龍造寺排斥を企ていったんは
成功するも、龍造寺隆信の登場により主家滅亡の憂き目にあう結果となった。

勝利にとっては隆信は主君の敵、隆信にとっては勝利は一族の敵であり、両者は不倶戴天の仇敵となった。
勝利は少弐家滅亡後も隆信と互角の戦いを続け、1555年に一旦和睦することとなった。
勝利を排除したい隆信は和睦の宴席で彼を毒殺することにしたが、未然にその陰謀を察知した勝利は巧みに
毒物を避けつつたらふく馳走を受け、呆然とする隆信を尻目に彼の愛馬を奪って悠然と引き返したという。

以降両軍は何度も干戈を交え、神出鬼没の勝利にほとほと手を焼いた隆信は縁組を交わして和睦するこ
ととなった。
和睦後は息子の長良に家督をゆずり隠居したが、嘉瀬川ダム発掘調査によると勝利の隠居所の規模は
かなり広壮だったと推測され、隠居所で見果てぬ龍の夢を追い求めていたのかも知れない。




716 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/03/28(日) 11:40:53 ID:oVOies6i
肥前のクマーとクマー代勝利がライバルだったわけだ

719 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/03/28(日) 13:03:27 ID:aHvwDqWg
夢を買うって…
なんかそんな話がまんが日本昔ばなしであったな

東の小田氏も相当弱いが

2010年02月07日 00:06

304 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/02/06(土) 10:12:37 ID:dPvcSpTD
東の小田氏も相当弱いが西の少弐氏もいい勝負だと思う。弱さが。



305 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/02/06(土) 10:46:11 ID:+FX4dSAG
少弐も弱さとしぶとさは相当なものだが
小田氏と違って当主がしょっちゅう戦死するからなぁ

306 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/02/06(土) 11:08:14 ID:Imz094Dq
少弐に仕えてた肥前小田って常陸小田の傍流なんだよね

307 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/02/06(土) 11:23:14 ID:dPvcSpTD
初代  武藤資頼
二代  少弐資能 (戦死)
三代  少弐経資
四代  少弐盛経
五代  少弐貞経 (戦死)
六代  少弐頼尚 (菊池に敗北、勢力減衰)
七代  少弐直資 (戦死)
八代  少弐冬資 (今川貞世に消される)
九代  少弐頼澄 (敗戦→亡命→死亡)
十代  少弐貞頼 (英主。勢力復活)
十一代 少弐満貞 (戦死)
十二代 少弐資嗣 (戦死)
十三代 少弐嘉頼 (戦死)
十四代 少弐教頼 (戦死)
十五代 少弐政資 (敗戦→自害)
十六代 少弐高経 (政資から家督を継いだ3日後に戦死)
十七代 少弐資元 (自害)
十八代 少弐冬尚 (龍造寺一族抹殺で熊を目覚めさせる。最期は自害。)

308 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/02/06(土) 11:25:26 ID:yPgz3mr9
>>307
すごい一族だな・・・
そんなに当主が戦死してるのに、よく滅びずに何百年も続いたね

309 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/02/06(土) 12:35:41 ID:O8MFrwZa
当主の戦死は多いが精子も多かったという事か

310 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/02/06(土) 13:07:40 ID:ABQ9+zGw
今川も結構、当主や跡取りが戦死や夭折と思っていたけどこれには勝てない。

311 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/02/06(土) 13:11:22 ID:MSxPQd3w
菊池も悲惨

312 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/02/06(土) 13:11:56 ID:ZW1WUNOW
>>307
補足すると、少弐景資も兄経資との家督争いに敗れて討たれてる