戸次道雪勢の宗像攻め

2018年05月24日 20:01

946 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2018/05/24(木) 19:58:03.65 ID:TakCX18k
筑前国糟屋郡立花の城主は、大友宗麟の股肱の臣、戸次入道道雪であった。
この道雪は、智仁勇の三徳を兼ねた人であるので、筑前に召し置かれ、原田、秋月、千葉、
千手、筑紫、高橋らを攻めて豊後の屋形の幕下となし、肥前の龍造寺隆信をも攻め従え、
薩摩の島津との九州支配をかけた争いの時に備えた。

しかし宗像の大宮司は、大内殿の頃より山口に参勤して幕下となり、陶晴賢が亡びた後は
毛利元就に属して大友に従わなかった。

これについて道雪は考えた。
『先ず、宗像を攻め従えれば、龍ヶ岡の城主・杉十郎貫並も、烟ノ城主・香月七郎経孝も、
山鹿城、花尾城、剣嶽城までも、残らず手に入れることができる。

幸いにも近年宗像氏貞は、城普請に財を費やし。家中に十分の一の役料をかけ、民百姓にも
課役をかけて、領内衰微し粮も乏しい。
その上、名のある老臣、武勇の士は山田の怨霊によって取り殺され、氏貞自身も博多津の
聖福禅寺の玄蘇和尚を招き、禅法を学び詩歌ばかり成し、家中もその風に靡いて武事を
怠っているという。

この虚に乗じて、宗像を攻め滅ぼすべし!』

こうして、大山対馬守、小野和泉守、由布美作守、薦野三河守、安部、十時、森、原田、吉弘
を始めとして軍勢を集め、永禄十年九月に立花を出立して飯盛山に陣を取った。

宗像氏貞はこれを聞いて、急ぎ飯盛打ち越して追い払うべしと、吉田伯耆守重致、許斐安芸守氏鏡、
占部右馬之助氏時、石松但馬守、米多比修理進貞兼、畔口伊予守益勝、吉田左近貞延を始めとして
都合二百余騎の軍勢にて飯盛山に押し寄せた。

その頃、敵は先ず許斐の城を攻めてその後維ヶ嶽に攻め寄せんと支度をし、飯盛山にて諸卒兵粮を
つかわしめんと、野陣をしたばかりであったため、この宗像勢の急襲に慌てふためいた。

宗像勢より黒糸縅の鎧を着て栗毛の馬に銀幅輪の鞍を置いて打ち乗った武者、一騎駆け出して
「吉田勘解由左衛門致晴である!」と名乗り真っ直ぐに進んで

「日頃、立花の人々は、『宗像大宮司の長袖烏帽子のヘロヘロ矢、何程の事があろうか。』
などと嘲弄されていると承る。神職の者の射る矢が立つか立たぬか受けてみよ!これ神通の
鏑矢なり!」

そう弓を引き絞って射放った。その矢は、正面に居た立花方、原田源五郎の胸板を貫き、
その後ろに控えていた、原田源助の草摺の端まで射通した。

これを合戦の始まりとして、互いに揉み合って戦ったが、既に日暮れに及び、この立花勢を
率いていた小野和泉守は
「日が暮れて他領に陣する事は不覚である。急ぎ引き取れ!」
と撤退を指示し、莚内新原方面に退き、立花城に帰城した。この時宗像勢の討ち取った首
百七十三は、のちに立花に送り届けられた。

この後、立花勢と宗像勢は小規模な衝突を繰り返したが、元亀元年、両家の家臣たちの計らいにより、
宗像氏貞の妹を立花に嫁がせ、双方講和を結んだ。

(宗像軍記)

宗像と戸次道雪との合戦についての逸話。合戦のきっかけが「怨霊で弱ってるからチャンス」というのも珍しい


山田の怨霊


947 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2018/05/24(木) 20:32:06.26 ID:4Xit32je
ヘロヘロ矢
こう言う擬音使うんだね
なんか和むわ

948 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2018/05/24(木) 23:17:08.94 ID:JBrXXdXb
怨霊などと苦しい言い訳だな

949 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2018/05/24(木) 23:21:14.32 ID:3MSEcnfi
まあ、後継者問題で家中がゆれてたんだろうな。その隙を狙われたけど、撃退に成功したわけだ。
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山田の怨霊

2018年05月23日 18:01

940 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2018/05/23(水) 15:33:48.62 ID:9bph0DTt
天文二十三年三月二十四日、前日の二十三日に故宗像氏男の後室と娘を殺した吉田飛騨守と峰玄蕃は、
家老である石松和泉守の宅へ行き、
「陶全羨(晴賢)の命により昨夜後室、姫君を殺し申したり。この旨を大将である宗像氏貞様へ
言上いたしたく、これについて、和泉守殿も同道して頂きたい。」と申し入れると、和泉守も
「尤もである」と同じて、3人で御前に罷り出て申し上げた

「全羨より仰せ付けられた趣を以て、氏男の後室姫君を殺しました。これも大将の御為の忠義と
存ずる故であります。」

実は氏男の後室は氏貞の腹違いの姉であり、彼はこの事を非常に嘆き悲しんだが、全羨入道の
指図ということであればどうにも出来なかった。

後室、姫君の遺骸は石松、許斐、占部、吉田といった家臣たちにより、増福禅寺に葬られた。
後室を栄林院妙周、姫君を心源院妙安と号した。
作法通りに法事が執行され、墓を築いて翌朝これを見ると、母娘の二つの墓は、四つに破れていた。

これを知った吉田飛騨守は大いに驚き、鎮国寺の僧侶である法念という者を招いてこの事を告げ、
祈念するよう求めた所、法念は「我に秘法あり、怨霊をして畜生道に堕在させれば祟をなすこと
できなくなります。」と、巨大な釜を鋳させて墓を覆い、その上に糞土を覆いかけ、邪術を
行った。ところが、その術がいまだ終わらぬ前に、身の丈ほどの髪をうち靡かでた女性が現れ、
覆っていた釜はたちまち砕き割れ、法念はこの破片に当たり即死した。彼の胸のあたりには、
3つの穴が空いていた。

その夜、吉田飛騨守も法念と同じ頃に、胸に穴ができ心身悩乱して
「今我山田の怨霊のために突き殺される!たすけよ!たすけよ!」と絶叫して死んだ。
飛騨守の妻も狂乱し「胸痛や!」と叫び苦しんでいたが、そのうちに

『我は氏男の後室であるが、汝が男に胸を刺された苦しみ、今思い知らせよう!』

そう罵り叫び、心身悩乱し、十余日過ぎてこれも胸に穴出来て狂い死にをした。その他吉田の一族、
峰氏の一類、同じ日に十七人まで胸痛に悩乱して死んだ。

弘治元年正月二十三日、山田の怨霊は野中勘解由に祟った。野中は「私は吉田飛騨守と断金の
友である故に、後室姫君を殺せと談じた罪逃れがたい!今、我が生命が召し取られる!
ああ、胸が苦しい!」
そう叫んで忽ち死んだ。

同年十月二十三日の夜、陶全羨の夢に、婦人が幼女を連れ、侍女四人を従え全羨の枕元に立った。
『我は宗像氏男の妻である。我に何の罪があったか。讒者の実否をも正さず殺害した、その怨み
深い。汝を殺してその家を滅ぼすべし。』

果たして十一月朔日、毛利元就に攻められ陶全羨は自害した。

弘治二年三月二十三日、宗像氏貞の十五歳になる妹が俄に狂病に罹り群臣に向かって罵り叫んだ
『大逆非道の者共かな!我が胸を見よ、この苦しみ氏貞へと思えども、大神宮の神職なれば
力なし。怨むる所は家臣共に有り!』
そう喚いて二十三日の夜半に忽ち死んだ。氏貞は大いに驚き、弘治三年の春、「妙周妙安の
御霊を祭るべし」と田島の坤ノ山に一宇の社を建立して氏八幡と号して神事をなし、
かつ毎月二十三日かた二十四日までは増福禅寺の本尊地蔵菩薩の御前にて衆僧を集め法華経を
読誦させた。

幸いにも、殺害されたのは二十三日の五更(午前三~五時)であった事より、月待の二十三夜の三夜供養にあわせ、
妙周妙安が地蔵菩薩の化身であると、様々な事を成して怨霊を宥めた事で、亡魂もそれなりに嬉しく思ったのか、
氏八幡の巫女に宣託し
『今は氏八幡として祭られ、本地は地蔵菩薩となりぬること嬉けれ。荒れる霊も治まるべし。』
と聞こえたという。
末世とはいえ、不思議なる事共である。

(宗像軍記)


山田事件



941 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2018/05/23(水) 15:41:13.82 ID:L8aloBMb
>>940
怖い話になっとるw

>この苦しみ氏貞へと思えども、大神宮の神職なれば力なし。
妙にリアルだな(´・ω・`)

942 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2018/05/23(水) 15:56:16.03 ID:VkStT/Ab
怨霊を鎮めるのではなくて地獄に堕とすとか駄目なやつだよね

943 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2018/05/23(水) 19:01:51.36 ID:tYfyA9ZY
20人以上呪い殺すとか、歴史に残るレベルの怨霊じゃね・・・

944 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2018/05/23(水) 20:32:18.64 ID:vVQTpGDO
>>940
全然いい話じゃない orz

945 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2018/05/24(木) 03:17:46.36 ID:kjZ5Tp+r
早良親王「なにそれ怖い」

山田事件

2018年05月22日 21:21

785 名前:1/2[sage] 投稿日:2018/05/22(火) 00:07:01.30 ID:yNjh7yJS
天文23年2月下旬、宗像家の家臣の中に、陶全羨(晴賢)き媚びへつらうものあり、
周防国に使いを立て讒言を行った
宗像氏男の後室は山田の邑に有り、旧好の臣達に密かに命じて、息女を豊後大友の方へ
遣わし、宗麟の子息のうち何れなりとも婿として宗像の家督を譲り、全羨様より遣わされた
氏貞様を攻め殺そうと議されております。ご油断なきように。』

これに全羨は大いに怒り、
「後室息女は先だって、男子を殺した時藍島に流すべしと申し渡したはずなのに、山田の邑に
召し置いているとは心得がたい!そういう事なら、宗像家の男子を殺したというのも偽りであろう。
この男子成人の上は彼に家を継がせるつもりなのだ。今は天下争乱の時であるから、この入道の
威を借りて暫くは当家に従う色を見せ、氏貞は私が宗像に遣わしたから、已むを得ず仮の主君として
頂いているのだろう。

急ぎ氏男の後室および二人の子供を殺し、その首を持ってくること無ければ、大軍で押し渡り
白山城を攻め破り、一人残らず妻子共に串刺しにすべし!」

そう、江良源左衛門賢盛を使いとして宗像家中に命じた。
これを受けて宗像の群臣は、石松和泉守の宿所に集まり詮議を行った。意見はまちまちであったが、
許斐氏鏡、占部貞安進み出て
「これはおそらく、家中に讒者があり全羨に悪しく申したものと考えます。あのように申せば
全羨が立腹するのも当然でしょう。ですが、後室息女共に何も知らず、明け暮れ山田の草庵にて
氏男様の菩提を弔い、また殺害された男児国丸様が、今も吉田飛騨守の元で養育されていると信じ、
毎日法華経を読誦し、その無事を祈られています。そのような方々を無下に殺すなど出来るでしょうか!?
遠賀の高倉に移し隠し置いて、全羨には事の仔細をありのままに申しましょう。
男子は先だって殺したことは事実です。また後室の陰謀ばるものは跡形もない虚言ですと申せば、
女子の事ですから、何事が有るでしょうか。ただ、後室母娘を高倉に遣わすべきです!」

そう申した所、吉田飛騨守が進み出た
「私は国丸様を預かりますと後室に嘘を言って殺害しました。しかし陶全羨は私が助け置いていると
疑われ、山口に召喚して殺すとの事です。またこの事が後室のお耳び入れば、私が今まで後室を
騙し奉り、3年前に国丸様を殺した罪は逃れがたいものとなります。
あなた方はいか様にも道を立てられよ。この飛騨においては、全羨の命に従い氏貞様を主君と
奉る上は別の主君など持ちません。後室息女を殺し全羨に首を見せ、3年前に国丸様を手に掛けた
ことも正直に申せば、我が身の科を免れ、また宗像社務七十九代の後栄ともなるでしょう。」
そう、言葉荒く申し、辺りを払うがごとく見えた。

占部日向守が進み出て「この上は誰に憚ることもない。氏貞様は年若いが我らの大将である。
明日、この事を申し上げて、氏貞様のお計らい次第に従うとしよう。」と申すと、各々も
最もであると同意し、この日、三月二十三日の評定はこれにて終了し、それぞれ宿所へと
帰った。

しかし吉田飛騨守は妻の弟である峰玄蕃を呼び
「今日の石松和泉守宿所での詮議では、占部、許斐の一族は道理を立てるような者が多く、老臣である
石松和泉守の言葉も出ぬ前から何かと申し立てたこと心得難い。あれでは明日氏貞様へどのように申す
だろうか。そうなれば我らの身の上にも大事となるだろう。
そこで、今夜の内に山田の邑に行き、後室息女を殺すのだ。お前も来い。」

玄蕃は驚き止めた
「これは大事の思い立ちです。しかしやはり、明日の御詮議次第とすべきではないでしょうか。」

786 名前:2/2[sage] 投稿日:2018/05/22(火) 00:07:35.16 ID:yNjh7yJS
ところが彼の姉である飛騨守の妻が説得した
「既に歳五十となる飛騨守の申される事に従わないとは何という若輩者でしょう。私達はあなたの
行く末を思えばこそ、代々の主君の妻子を殺すと申しているのです。飛騨殿のお供をして山田へ行き、
殺してくるよう、偏に頼み申します。」

そして飛騨守は
「ならば、私の存分ばかり聞いた所で納得しないだろう。中山勘解由左衛門は私の知古の友であり、
また石松和泉守は此の家の大老でも有る。この二人に相談いたせ」という。

玄蕃は先ず野中に相談すると、似るを以て友というが、彼もまた大悪人であり飛騨の意見が
尤もであると同意した。その足にて石松和泉守と談じたが、彼は既に七十あまりの年齢で、
老いぼれとなり人の言うことに従うだけで、もはや善悪の判断もできなくなっていたため、
「いかにも飛騨の申されること理り至極」と言うばかりであった。

そうして飛騨守は「今はこれまでぞ、明日まで引き伸ばせば何が起こるか解らない。」と、
玄蕃を同道して山田の邑に参り、後室の侍女に申し上げた

「実は俄に藍島に朝鮮よりの流船が来たため、我らはその見聞に遣わされる事となり、
その御暇乞いのためまかり出ました。」

これに対応した花見の少将と申す女房は
「今夜は二十三夜の御月待のため、今御行水をされております。暫くお待ち下さい。この事を
申し上げてきます。」
と申し、暫く待っていた所、後室は浴室より出て、姫君と共に窓前に座した。
少将が「吉田飛騨守、峰玄蕃が明日藍島への御用にて渡海すると、先刻より御暇乞のためとして
罷り出、お待ちされております。」と報告すると、後室は
「ならば待ちかねているだろう。ここへ」と飛騨を召され、玄蕃もそれに相従った。

飛騨守に向かって後室は言った
「この頃、うち続いて夢見が悪く、気にかかることが多いのです。どうでしょう、国丸殿には
何事も無いでしょうか?久しく見ることもなく、懐かしさだけが募ります。どうか良く良く、
養育をして下さい。」

そう言い終わらぬ内に、飛騨守は後室の御前に駆け寄り懐中より氷の如き短剣を抜き胸のあたりを
刺し貫いた。彼女は「あっ…」との言葉だけを最期に、そのまま空しくなった。
同時に峰玄蕃は姫君を刺殺した。
侍女である小少将、花見の少将、小萩、月白の四人は混乱し、「これはいかなる事か!?」と
両人に取り付いたが、彼らは二刀づつ刺し通し、四人共に斃れた。あはれと言うも愚かである。

(宗像軍記)

宗像家における「山田事件」についての記述である。


宗像氏男跡目の事

山田の怨霊



787 名前:人間七七四年[] 投稿日:2018/05/22(火) 07:48:43.97 ID:m1d/dBwZ
うーむ、えぐい。

788 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2018/05/22(火) 14:54:20.06 ID:hFRPbsPL
>>786
>うち続いて夢見が悪く
カーチャン…

789 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2018/05/22(火) 15:10:48.60 ID:fU0KShZ6
国丸って氏隆のことか?96まで生きてたよな

宗像氏男跡目の事

2018年05月21日 17:17

781 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2018/05/21(月) 10:14:49.21 ID:14KKaOvu
宗像大宮司氏男が長門国にて大寧寺の変に巻き込まれ自害したことが告げられると、
筑前国白山の城に残っていた家臣の石松加賀守、吉田飛騨守、占部貞安、許斐氏鏡といった
重臣たちは、氏男の先々代の大宮司である宗像氏続入道良喜(氏男の叔父、もしくは大叔父)を
呼び相談した。
「氏男様には七歳の女子、そして今年三歳になる男子がおられます。宗像の家督はまだ、
どちらも継げる状況ではありません。二人の君達が御成長されるまで、良喜様が再び白山に
入られ、大内の御下知を承って宗像の家督に付いていただけないでしょうか。」

しかし良喜は
「私はもう齢70であり、そんな明日をも知れぬ身で大勢の人を扶持しこの乱世に幼い子供の
後見をするなど無理である。その上神宮の祭事なども誰が勤めるべきか。
ここは陶入道全羨(晴賢)の元に使いを出し、大内殿の末葉の人を申し請け、女子に娶らせ
宗像の家督と定めるべきであろう。」

そう申され、家臣団もこれに同意して、占部越後守賢安、大和治部丞秀政を両使として山口に
派遣し、全羨に訴えた所

「その事なら宗像の家に縁のあるものを差し遣わす。ここに黒川形部少輔隆像の子に、鍋寿丸という
十五歳の男子が有る。彼は宗像氏男の妻の、腹違いの弟である。また私にとっては姪の産んだ
子でも有れば、いよいよ鍋寿丸に過ぎたる者はない。彼を元服させ、左衛門尉氏貞と名乗らせ
これを宗像の家督とし大宮司職に任じよう」

と有り、これに良喜入道も家臣団も同意し、「ならば迎えを遣わすべし」と決定した。

ところが、この左衛門尉氏貞がまさに筑前に向かおうとした時、いかなる野心の者がいたのか、
陶全羨にこのように告げた

「宗像の家臣の中には、氏貞を主君とするのは不道であり、幼いながらも氏男の男児があり
これを守り立てようという者たちが多く、この方針に決定し、氏貞を呼び寄せ鴆毒を薦め
殺そうと、相謀っているのだと取り沙汰されています。」

これを聞いて全羨は激怒し、宗像家中に対して使いを出して命じた
『急ぎ、氏男の後室、および女子は藍島に流すべし。三歳の男子は刺し殺すべし。
この義に背くならば白山の城を攻め破り家臣残らず討ち殺す。』
これを再三に渡り伝えられたため、宗像の家臣たちは全羨の威を恐れこの義に従い、
しかし後室、女子を藍島に流すまではないと、山田の邑に隠し置くべきとして、城を追い出し
侍女3,4人を付けて、小さな草庵を結いここに入れ置いた。

三歳の男子は吉田飛騨守が預かって養育するという事になったが、飛騨守は彼の領地である
鞍手郡吉川にこの男子を置き奉ると欺き、乳母に抱かせてそこに向かう途中の山口という場所で
これを刺殺した。
乳母はこの時、慌てふためいて刀に取り付き抵抗したため、彼女も共に刺殺した。
この飛騨守の不道を憎まぬものは居なかった。その後、この男子、乳母の怨霊が祟をなしたため、
一宇の社を建て山口の今宮と号して祭り奉った。

(宗像軍記)


宗像大宮司より見た大寧寺の変

山田事件



782 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2018/05/21(月) 14:09:08.85 ID:YPbJw9WL
陶さんは、そうやって周囲のうらみを買っていったんですな・・・

783 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2018/05/21(月) 14:15:11.11 ID:/F7cGq/K
文治派憎しで公家殺しまくるというわけわかなことやらかしたしなぁ。アホだよ、陶晴賢は。

毛利云々は置いといても、大寧寺の変の直接的な結果として、北九州はまんま大友にくれてやっちゃうことになるし。

784 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2018/05/21(月) 20:18:50.18 ID:b2R4vdiQ
いやいや北九州を捨てて大友と結んだのは良い選択だと思うよ
後顧の憂いを無くすのは常道でしょ

宗像大宮司より見た大寧寺の変

2018年05月20日 17:51

780 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2018/05/20(日) 17:45:33.12 ID:YeJdzbDA
天文20年8月6日、宗像大宮司氏男と香月次郎左衛門隆光は、宗像を出立して同9日、
山口へと参着した。そして相良遠江守武任を通して、大内義隆に参勤の御礼を申し上げたい旨を
申し入れると、同11日、両人供に築山の御所に召され、義隆より直々に「遠国よりの参勤
神妙なり」との言葉をいただき、また大友や島津の軍謀の事なども聞かれ、九国(九州)の
太平の事を祝し、ご機嫌殊に麗しかった。

そして「両人供に路次の労を休められよ」との仰せにて、宗像氏男香月隆光は自分の旅館に戻った。


このような所、同月26日に、大内義隆の家老である陶尾張守隆房は、主君義隆へ恨みを持つ
事があって、逆心を企て山口を攻めようと若山の城を出陣した、との情報が聞こえた。
宗像氏男香月隆光大内義隆に命ぜられ、五百騎あまりを付けられ千把ヶ嶽に差し向けられたが、
陶方の宮川甲斐守、江良丹後守率いる二千騎と戦いもみ合っている所に、黒川形部より使いが来て、
『山口の搦手が敵に破られ陶勢が乱入し、築山の御所にも火がかけられ、大内義隆は行方も知れず
落ち行かれた』と伝えられた。

宗像、香月は「今は是迄」と打ち揃って長門国へと落ちていくと、付き従う軍勢はみな散り散りとなった。
そんな中、深川の大寧寺に義隆が居るとの情報を聞き、ここを尋ねていったものの、早くも昨日
御自害されたと言われ、両人供に力を失い

「大内殿の家の滅亡は此の時に究った。本来そうする必要のない公卿殿上人までみな討ち死にし、
或いは自害されたという。我ら武門に生まれ、生きて帰って誰に面を向けるべきだろうか。」

そう考え、両人ともに腹を掻っ切って死んだ。あわれという言葉もない。

(宗像軍記)

宗像大宮司より見た大寧寺の変


宗像氏男跡目の事


上和白の戦い

2014年09月11日 18:50

196 名前:人間七七四年[] 投稿日:2014/09/11(木) 15:56:00.86 ID:Fh9Jk2yU
上和白の戦い

1560年代の筑前国は毛利家と大友家の覇権を賭けた時期である。
筑前には博多という商業都市があり、毛利も大友も博多の富の利権を得るために争っていた。

1567年、毛利元就は岩屋・宝満山城督である高橋鑑種を調略により寝返らせた。
これに呼応としたのが宗像一帯に勢力圏を形成していた宗像氏貞であった。

彼は1度大友家を裏切っていたが、毛利家と大友家の講和をきっかけで大友家と講和した。

しかし今回も前回同様に秋月家(1回目・文種、2回目・種実)の離反に同調した形で大友家に牙を剥いた。

宗像氏貞は大友に味方する城主を攻撃することにした。
ターゲットになったのは立花山城主・立花鑑載である。

彼も過去に1度大友家に叛旗を翻していたが、今回は行動を起こさなかったために9月にこれを攻めた。


宗像方の作戦はこうだ。
陸と海からの挟み撃ちである。

陸からは宗像家の一門格の大将・許斐左馬大夫氏備(このみ・うじつら)を派遣、海からは宗像家自慢の海軍で立花山城を陥れようとした。

しかし、これを察知した立花方は立花山のすぐ近くにある白岳(糟屋郡新宮町)にいた怒留湯融泉直方(ぬるゆ・なおかた<号・ゆうせん>)に連絡をとった。
融泉は和白(福岡市東区)に宗像の軍勢が押し寄せていることを知ると手勢を率いてこれを襲った。

許斐氏備「この軍勢は、融泉か!!
あいつは代官とかばかりしていたから油断してしまった!」

海軍を待っていて不意を衝かれながらもこれに応戦していた氏備もこれに耐え切れずに50~100程度の死傷者を出して退却していった。

和白は立花山城の麓にある農村で、神功皇后の三韓征伐では日本最初の議会が開かれた場所と名を残している。

197 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/09/11(木) 15:56:28.80 ID:Fh9Jk2yU
一方、陸で氏備が敗れたことを知らない水軍が新宮に上陸した。
そのころになると立花方も陣容を整えており、宗像勢を撃退せんとしていた。

氏備が退却した今、不利を悟った水軍は村に火を放ち宗像へと退却していった。

立花勢は逃げる宗像勢を追い、体勢を立て直した宗像勢も飯盛山城(福津市)でこれを迎え撃ち今度は立花勢が撃退された。

なお、立花鑑載が大友宗麟に再び叛旗を翻すのはこれからわずか半年後のことである。
そして両者が大友家に屈するのもまもなくのことであった。

大友家を離反したことにより結果論では損をし、城を攻めたら落とせずに撃退された立花勢と宗像勢のちょっと悪い話。


※なお、出身小学校の120周年誌を参考に書きました。
誌では毛利方ではなく大内方と書かれていました。

出典元がわからないのですみません。




198 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/09/11(木) 16:07:55.01 ID:jEMdqkoa
>怒留湯融泉
なんだこの名前は

200 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/09/11(木) 16:19:10.25 ID:+1ZMa2Fb
怒留湯さんて今でもチラホラ見かけるんよね

201 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/09/11(木) 17:30:40.78 ID:DAvsj1i8
>怒留湯融泉
すげーなw新種の温泉かと思った。

202 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/09/11(木) 17:58:29.21 ID:rMq1L97L
男塾で雷電が解説してくれそうな名前だ怒留湯融泉w

203 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/09/11(木) 20:04:10.59 ID:a5hpG1ii
無さそうで実際にある名前として融泉さんはそこそこ知られているような気がした

206 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/09/11(木) 22:24:59.18 ID:y/aOHgB1
>>203
ぐぐったら「?沙融泉??ホテル」出てきたんだけど、
海の向こう側の中国かよ

207 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/09/12(金) 01:23:40.69 ID:LCoEhvFV
号の方の話ではないだろ

宗像家処分顛末

2012年06月02日 21:01

680 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/06/01(金) 21:47:54.43 ID:BZtU1hCa
九州北部の「海の守り神」宗像大社の宮司などを務める戦国大名宗像家。
戦国末期の宗像家は転生天正14年に頭首氏貞が死去するがあえてその死を公表せず吉田重致占部賢安など
重臣による合議で領内経営にあたっていた。

そんな中での秀吉の九州征伐、元々毛利家(特に小早川家)との親交の深い宗像家は下関まで
関白歓迎の使者を出すなどぬかりなく行動していた。
特に吉田・占部の両重臣は下関で関白秀吉に目通りしており、また豊前方面での戦功により
本来ならば大名家として取り立てられても良いはずであった。

九州征伐から帰路につく関白秀吉は早くから秀吉方に味方した宗像家の赤間城に宿泊する。
そしてなぜか秀吉は翌日の赤間城からの出立にあたり
「明春早々にこの城を破却すべし」
と指示し出立するのであった。そして最終的には吉田・占部の功績に対し2千石の所領が宗像家に与えられ、
旧領(4~5万石ほど)のほとんどが小早川隆景に与えられたのである。

秀吉からすれば唐入りを控え頭首死去を隠すような宗像家に所領を残す必要を認めなかったのであろう。
氏貞の3人の娘に婿養子をとっていればと悔やまれる事件である。





681 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/06/01(金) 21:49:57.11 ID:HcCfmW67
>転生14年

伝奇物がはじまるのかとw

682 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/06/01(金) 21:56:52.47 ID:WTPpl2D2
>>680
赤間城に泊まった時に妙齢の美女を差し出さなかったのが敗因だな

683 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/06/01(金) 22:01:44.88 ID:yVJCW++W
弱小勢力は何してもバッドエンディングな気がする(´・ω・`)

684 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/06/01(金) 22:02:00.55 ID:ldqa7Dsw
宇喜多や喜連川を見ると冗談とも言い切れんw

685 名前:人間七七四年[] 投稿日:2012/06/01(金) 22:05:13.38 ID:51IrrW/B
確か阿蘇神社の宮司も2千石だっけ?
寺社には2千石与えるような空気でもあるんだろうか…

686 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/06/01(金) 22:36:09.15 ID:i4noITb2
大和あたりの寺社領はどうなのかしらん?

687 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/06/01(金) 22:39:23.73 ID:5MgfCBeG
二千石もありゃ十分じゃねえの?
様は戦国大名止めて宗教施設だけ運営してろと

688 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/06/01(金) 22:41:20.70 ID:6lmRnTgF
伊勢神宮「(おいらの百万石はまだかなぁ…)」

689 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/06/01(金) 22:53:37.95 ID:i4noITb2
九州あたりには教会領ってのはないのかしらん?

690 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/06/01(金) 23:05:30.17 ID:nsbiUcgi
長崎がまさにそれ

691 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/06/02(土) 00:05:57.48 ID:oWEfQEG1
>>680
宗像氏って山田事件やら色姫の事やらで悲劇のイメージが強いよね

確か改易後も中川家に仕え石垣原の戦いで討死だったっけ?

692 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/06/02(土) 00:28:22.33 ID:lOC5ivq3
>>685
たしか宇佐神社も同じような扱いだった気が
軒並み没落してますな

ていうか九州と東北のラスボス仕置きはそんなのばっか…

693 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/06/02(土) 00:36:53.36 ID:l7NsGopG
宇佐八幡の巫女「ラスボスこそが帝位につくべし」
とやってたら、ラスボスのおぼえめでたくなったんだろうか

694 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/06/02(土) 02:07:48.79 ID:+400689x
関白「誰が巨根だと!?」

695 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/06/02(土) 04:52:22.37 ID:hOv13Rg4
>>691
石垣原で戦死した宗像鎮続は大友家の家臣だったらしいんだけど
この宗像氏と関わりがあるのかは謎なんだよな

宗像氏の金の猫の像

2010年03月13日 00:02

197 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/03/11(木) 23:58:10 ID:8JqC9HVJ
じゃあ俺は最近多い九州の話を。

対馬宗氏の来援を受け念願の大宰府回復に成功した少弐政資は宿敵大内氏を周防灘の向こうに追い落とすために、
周辺の豪族たちに過剰な軍役や貢納を課し始めた。

さてこのころ、宗像大宮司の宗像氏佐のもとには家宝として金の猫の像があった。
政資は親大内路線の宗像氏に含むものがあったのか、この家宝を強硬に所望し、氏佐はとうとう拒めず献上した。
ところが政資は、氏佐に感謝するどころか
「猫の金像は一対あると聞いた。物惜しみなどせず、いまひとつも献上せよ」と言いがかりをつけたのである。
これを聞いた氏佐は激怒し
「猫の像は1つしかない。あるものはもうすでに渡した。
ないものを請い、古代より続く宗像の名を辱めるとは無礼千万。
この恨みは、少弐を七代のうちに滅亡させることで必ず晴らして見せよう。」
と叫ぶと、小指を噛み切り、滴る血で壁に少弐への恨みを書き綴り切腹して果てた。

しかし話はここで終わらない。

氏佐の後を継いだ興氏は政資に逆らうこともならず日を送っていたが、
やがて政資が有智山城へ出陣する動きを察知した。
恨みを晴らすはこの時とばかりに興氏は山口の大内氏に通報、
大内氏は筑前の杉興政へ出陣指示を与えるとともに周防からも増援を派遣する。
一方、腹背に敵を受けることになった小弐資元はまず杉興政を撃破することで事態の打開を図る。
資元は杉軍が炊飯中に奇襲を敢行し、見事成功。少弐家は危機を乗り切るかに見えた。
しかし勝ち誇り杉軍を追撃する少弐軍は頑強に抵抗する一隊により足止めされ、
体勢を立て直した杉軍に反撃されついには打ち破られてしまう。
そして、この反撃のきっかけになった部隊こそ、猫の像を奪われたうえに当主まで殺された恨みに燃える宗像軍であった。

政資は肥前に逃げるも竜造寺など有力な豪族の離反を受けついには自刃。
少弐氏自体もこの痛手から立ち直れず政資の孫の少弐冬尚を最後に滅亡する。

こうして氏佐の恨みを晴らした宗像氏も、人を恨めば穴二つの言葉通り、やがて怨霊騒ぎの中で滅亡する。
この辺りは既出なのでまとめブログ(ttp://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-2383.html)でお楽しみください。

あと猫の像が宗像家に戻ったかどうかは記録にない。




198 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/03/12(金) 00:23:39 ID:Q6r3NCpv
怨霊話見たけど、なんだか血縁関係がわかりづらいなあ
正氏と氏続が兄弟で、
氏続の子が先代当主の氏男、
氏男の妻が菊姫(正氏の娘)、

んで正氏の正妻が山田の局で菊姫の母、
側室(氏貞の母・事件の犯人)の子が氏貞とお色

でいいんだよね?

199 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/03/12(金) 01:19:27 ID:3k0adpfb
九州わりと化物とか怨念話多いな。
あくまでイメージだけど、南国ってカラっとしてそうなんで意外。
逆にドロドロしてそうな東北なんかはせいぜい狐とか河童とか・・
自分は地元東北だが、怪奇好きなんでちょっと無念w

200 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/03/12(金) 01:20:38 ID:ZqQUBa0Y
まぁ別にそこまで気候とか劇的に変わるわけでもないしね

201 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/03/12(金) 01:33:16 ID:QUI2XwMv
九州も北の方は東海地方あたりとあまり変わらないし
大陸との関係で元になった話が入りやすいんじゃない?

202 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/03/12(金) 01:36:28 ID:Z1tQNtci
鹿児島までいくとはっきり南国テイストだけどね

203 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/03/12(金) 01:40:02 ID:Dkv8uoiT
東北は大飢饉による餓死で、村と一緒に滅んだ伝承も多いのではなかろうか。
合掌……

207 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/03/12(金) 09:14:15 ID:owgcJ/qP
>>199
確かに九州は怨念話が多いね。
ほかにも鍋島の猫騒動とかもあるし。

東国だと動物が出てくるいい話が多いのに。

208 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/03/12(金) 09:34:35 ID:nZh5x9ds
九州にはな…おんねん

209 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/03/12(金) 10:51:53 ID:aHf0lKSt
【審議中】
    |∧∧|       (( ) )   (( ) )  ((⌒ )
 __(;゚Д゚)___   (( ) )   (( ⌒ )  (( ) )
 | ⊂l     l⊃|    ノ火.,、   ノ人., 、  ノ人.,、
  ̄ ̄|.|.  .|| ̄ ̄   γノ)::)  γノ)::)   γノ)::) 
    |.|=.=.||       ゝ人ノ  ゝ火ノ   ゝ人ノ
    |∪∪|        ||∧,,∧ ||∧,,∧  ||  ボォオ
    |    |      ∧ (´・ω・) (・ω・`) ∧∧
    |    |      ( ´・ω) U) ( つと ノ(ω・` )
   ~~~~~~~~     | U (  ´・) (・`  ). .と ノ
              u-u (    ) (   ノ u-u
                  `u-u'. `u-u'

212 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/03/12(金) 13:44:27 ID:nTyYy7FT
しかし東北は怨念だの怪異だのではなく、リアルに人間同士のドロドロの暗殺合戦とかが超怖いイメージ
蠣崎さんちなんか兄弟はおろか姉妹までが入り乱れて殺しあってるし

宗像氏貞と六人女の怨霊

2009年07月07日 00:03

79 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/07/06(月) 17:48:14 ID:oaJDN6ZY
宗像氏貞と六人女の怨霊(1/2)
天文二十年のことである。
筑前の名門宗像氏の当主、宗像氏男が大寧寺の乱で大内義隆の自害に殉じ、
宗像氏は跡目相続問題で揉めに揉めていた。
家督を継いでからまだ四年しかたっていない若い当主は、
先先代当主で叔父の宗像正氏の娘、菊姫を正妻としていたが、二人の間にはまだ子がいない。
そんな中屋形の死に騒然とする宗像家中に一人の少年が陶晴賢より送り込まれてきた。
少年は亡き氏男の叔父で、正氏の側室(陶晴賢の妹)の息子であった。

そんな子どもが居るなど寝耳に水だった国許は憤懣やるかたない。
特に夫の隠し子の存在を知った正氏の正妻山田の局の怒りは生半可なものではなく、
どうにかしてこの少年を長州に追い返そうと、入国しようとする一行に武装した一団を差し向けた。
しかし陶晴賢の肝いりでやってくる一行はなかなかにやり手であり、
向かってくる刺客を迎え討ち、行きがけの駄賃で敵対勢力の城を落とし、
ついに国入りして白山城に入ってしまった。
そして反対勢力を力ずくでねじ伏せ、軒並み撫で斬りにすると、
少年は宗像氏貞として家督を継ぎ、大宮司の地位を得た。

しかし事態が収束してもまだ、懸念材料は領内にあった。
山田の局と、菊姫のことである。
この二人は主城である白山城から追われて後、そこからあまり遠くはない山田村というところで、数人の侍女と共に暮らしていた。
元々側室である氏貞の母はこの二人が憎らしく、
また再び氏貞の地位をおびやかすのではないかと毎日気が気ではなかった。
そこである日、譜代の御家人衆に命じて、この母娘を殺害させた。
この時屋敷に居た侍女を含む六人の女を、御家人達は惨殺すると、
遺体を人の通る宇原の辻に運び出し、穴を掘って放り込み埋めて、その痕跡が残らないよう踏み固めた。
またこの時、氏男の父氏続とその妻と三歳の子も田楽刺しにして殺し、
見事に氏貞以外の宗像の血を絶やしたのであった。


80 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/07/06(月) 17:51:43 ID:oaJDN6ZY
そんな血なまぐさい事件から数年が経ち、氏貞が十五になった年のことである。
氏貞の母が自分の娘、つまり氏貞の妹のお色の方に喉を食い破られ重傷を負った。
楽しそうに双六をしていたお色の方が突然顔をひきつらせ、
奇声を発するや否や母に飛びつき喉を食い破ったのだという。
そして口から血をしたたらせ

「我は山田の局が怨霊なるぞ!われのみならず娘をも殺したる報い、思い知らせてくれようぞ!」

と叫んだというのだ。
家督相続時の血なまぐさい事件については家中でタブーとなっており、
当時まだ幼い氏貞やお色の方は、山田の局の無残な死のことを知らないはずであった。
荒れ狂うお色の方は、男たちが数人係で抑えつけることでようやく意識を失い大人しくなったが、
以降ずっと錯乱と鎮静を繰り返した。
娘に喉を食い破られた母もかろうじて一命を取り留めたものの寝たきりになった。

氏貞は家臣達から話を聞き、早速慰霊のため墓所を整備し法会を行ったが、
その途端に大友方の豪族の来週があり、領内の大部分が大友に占領されてしまった。
また疫病が流行し、井戸が枯れ、土砂崩れが頻発した。
領民は山田の局の怨霊の仕業だと口々に噂した。

氏貞は比叡山から日祐上人という高僧を招いて調伏を頼んだ。
日祐はあらましを聞くと

「それは尋常な祈祷では無理ですな。
大釜を三個作り、その釜に怨霊を封じ込めましょう」

と言った。
氏貞は言われた通り釜を三つ作らせ、日祐と共に調伏祈祷を催した。
ところが一刻ほど祈祷を続けると、徐々に天候が荒れ始め、豪雨が降り雷鳴が轟いた。
そして一瞬閃光がきらめいたかと思うと、凄まじい轟音と衝撃が氏貞たちを襲った。
雷が落ち、釜が木っ端微塵に吹き飛んだのである。
日祐は直撃を受けて死んだ。



81 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/07/06(月) 17:54:23 ID:oaJDN6ZY
続き(番号入れ間違えた)
以降氏貞は生涯慰霊に努めたが、宗像の家運は傾き続けた。
あるものは病で、あるものは討ち死にで、またあるものは発狂し、
宗像家譜代の重臣の家は全て氏貞の代のうちに絶えた。
妹のお色は大友の名将戸次道雪に嫁いだが、この縁組みも幸福なものとは言い難く、
色々な騒動の末に子もなく死んでいる。
氏貞には嫡男が無く彼の死後、秀吉の九州入りと同時に、
六百七十年七十九代続いた宗像氏は断絶した。
しかし以降も怨霊は氏貞の後家を悩ましたため、後家は増福院という寺に六体の地蔵を寄進した。
今もその地蔵は増福院の本尊として残っているが、これもあまり効果は無かったようだ。
後家が後に行った大法会の後、それに参加した山伏三十名が盗賊に惨殺されている。
これも宗像氏を恨む怨霊の仕業であると、人々はそう噂したのであった。





82 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/07/06(月) 18:21:27 ID:f64YCn8L
女の争いこわー(((゚Д゚;)))
しかし

> それに参加した山伏三十名が盗賊に惨殺されている。
何故かヨハネスのガイドラインを思い出したw

83 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/07/06(月) 19:59:32 ID:Y/FMZYfQ
>>81
> 続き(番号入れ間違えた)

それも怨霊のしわざか!!


宗像、山田事件・悪い話

2009年01月08日 00:05

64 名前:人間七七四年[] 投稿日:2009/01/07(水) 03:04:25 ID:SDTr4753
宗像地方に伝わる悪い話。

山田事件

1551年、宗像氏貞は宗像正氏の正室の山田局と宗像氏男の正室菊姫を
家臣の石松氏に謀殺させる。
だかこれには黒幕がいた。
それは主君大内義隆に謀叛をおこした陶晴賢である。
彼は氏貞の親戚で、山田事件の背景は宗像地方に影響を持つため自身に邪魔な
正氏を消す為であった。
その後氏貞は山田局と菊姫の祟りを恐れ、地蔵尊を増福院に安置させた。




107 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/01/08(木) 12:16:21 ID:km9fRUdj
亀だけど。
>>64
黒幕が居なくて、1545年生まれの宗像氏貞の意思だったら
それはそれで、悪い(どころじゃない)幼児の話だわな。

宗像氏の色姫・悪い話

2009年01月06日 00:01

色姫   
986 名前:人間七七四年[] 投稿日:2009/01/05(月) 13:19:00 ID:UPlBf2CE
北九州はムゴイの多いなぁ。なので北九州の宗像氏に関する話を。

宗像氏80代宗像氏貞は1569年大友氏に降伏。
彼は宗麟の養女を妻にしたり家臣の殺害要求をのんだりしたりして大友氏と関係を深めていった。
立花道雪が立花山城の城主になった時氏貞は妹の色姫を道雪の側室にした。
ただしこれは人質的側面があった。
この時、氏貞が化粧料として、色姫につけた西郷庄300町の土地が思わぬ争いの火種となる。
それは大友氏が耳川の戦いに敗れた後の事、鷹鳥山城の飢饉を救う為米を輸送した時に起きた。
若宮郷士による戸次米輸送隊への襲撃に端を発する「小金原の戦い」である。
襲撃をしたメンバーは旧西郷庄の郷士であったが、色姫が道雪の側室になる時土地を追われた。
そのため道雪に深い恨みをもっていた。
この戦いは熾烈をきわめ秋月勢らも駆け付けた。
宗像氏の裏切りに怒りを覚えた道雪は宗像氏討伐を決行した。
この時道雪と宗像氏の対立に心を痛めた色姫は天正12年に自害した。



987 名前:人間七七四年[] 投稿日:2009/01/05(月) 16:16:22 ID:2yk0bT16

>>986
せっかく友好の為側室になったのに、切ない話やな~(ノД`)

989 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/01/05(月) 16:31:26 ID:IBQWrGTi
>>986
中東とか東欧あたりで今でも普通にありそうで切ねえ話だな…

990 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/01/05(月) 16:35:05 ID:9OcRZZf7
       ____
     / TERU \
   /  _ノ  ヽ、_  \    むごい話だお…
  /  o゚⌒   ⌒゚o  \  側室という体裁を整えて化粧料なんかださければ
  |     (__人__)    |  こんなことにならなかったはず…
  \     ` ⌒´     /  人質は人質としてあつかえばいいんだお…

       ____
     / TERU \
   /( ●)  (●)\
  /::::::⌒(__人__)⌒::::: \   だから側室は家臣の妻奪うのが正しいんだお!
  |     |r┬-|     |
  \      `ー'´     /


991 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/01/05(月) 16:38:31 ID:qxv4owyd
>>990
大友宗麟「だよな」

992 名前:人間七七四年[] 投稿日:2009/01/05(月) 16:51:48 ID:UPlBf2CE
>>990
>>991
おまいらwww

993 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/01/05(月) 16:56:03 ID:7gMoQ3Hz
>>990
お前の親父と叔父さん達、お祖父さんに会わせてやりたい

994 名前:人間七七四年[] 投稿日:2009/01/05(月) 17:06:10 ID:2yk0bT16
輝元にコレだけ明確なキャラ付けがされているのは、世間広しとはいえ
いい悪いスレだけだろうなw

しかしやる夫に置き換えてこれほど違和感のない戦国武将もちょっといないなw