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忍城開城顛末

2019年12月03日 17:57

637 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2019/12/03(火) 06:19:31.82 ID:RCYAL5ym
小田原の役の折

この頃豊臣秀吉公の右筆に、山中山城守長俊という人物が居た。彼は元々、近江源氏
佐々木承禎(六角義賢)に仕えていたが、牢人と成った後久しく殿下に仕え。その文筆によって
優遇を受けた。また彼は連歌を好くし、彼の時々の秀歌は人口に膾炙していた。

忍城の成田氏長兄弟もまた以前より連歌を嗜み、臨江斎(里村)紹巴の元に時々、百韻の批評を
求めてはるばる京まで送るなどしていたため、山中山城守とは面識はないが、風雅の友として
長く文通しており、また了意という連歌の道の達人を上方より招いて扶持を与えていたが、
先年故郷に帰った折に、里村紹巴に誘われて殿下に謁見した時、秀吉公は成田の噂を聞かれて
「関東筋に必要なことがあれば、その時は手引を頼むと、内々に伝えるように。」
と伝えた。

このような事があったので、秀吉公は山中山城守を呼び出して言った
「忍城が未だ落ちていない。汝は成田と旧知であるから、彼に書簡を送って我が方に
帰降するよう勧めてみよ。」
と宣われたため、山城守は直ぐに一書を認め六月二十日、夜に紛れて成田氏長の陣所に遣わした所、
氏長より「一段同心」の返事が送られた。これに殿下は大いに喜ばれ、
「これにて事は成った。敵城の没落ほど、敵を討つための策の基はあるだろうか!」
そう言って徳川家康公へ成田よりの返書をご披見に入れられ、これを北条氏直に見せ、

「関八州の諸将はこのように我が方に服従している。籠城に全く利はない。早く講和すべきである。」

そう調義を入れるようにとし、家康公より小田原城中に向けてこの調略を入れると、城内は色めき立ち
雑説紛々たる状況になった。
北条氏直成田氏長に「議したいことが有るので急ぎ片曲輪に出席するように」と使いを三度まで
出したが、すべて病気と称して出ようとしなかった。そこで医師である田村安栖を彼の持ち口に
遣わし、「そなたに二心の風説が有る。その実否を糺したい。」と言い送った。
これを聞いた氏長は

「敵は大軍を以て忍城を侵し攻め、士卒足軽等に至るまで皆殺しになるかと思うと情けなく、
思うに堪えず、山中山城守を通して降伏を乞いました。虚報ではありません。」
と答えた。これに氏直は怒り、成田の陣所の四面に柵を設置させ、山上郷右衛門の組の侍八十余人に
よってこれを警護させた。

その後、秀吉公より石田治部少輔の元に墨付が送られ、成田氏長が帰降する事を城中へも
知らせるようにと有り、石田より諸将に通達し、龍淵寺の僧を使いとしてこれを城中に伝達
すると、城兵たちもどうすることも出来ず、同月二十七日、浅野左京大夫幸長に対し城を
明け渡した。

(関八州古戦録)

忍城開城の顛末。

前編
彼らを謀ったのである


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「朝霜や まだ解けやらぬ 縄手道」

2014年10月01日 19:01

917 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/10/01(水) 01:07:41.85 ID:DQrcN7M6
島田弾正(利正)が町奉行だった時のこと。徳川家康の時代、博奕は諸悪の根元
ということで厳しく吟味された。そんな折に博奕の訴人が出たので、同心たちを
差し遣わし、60人を召し捕らえた。

その中に50歳ほどの坊主が1人いた。弾正はその者に向かって「其の方は頭を
丸めた身であるから、とりわけ不届きである。もともとは医者か? 出家か?
何者なのだ」と、尋ねた。坊主が言うには、

「私の親は、武州忍の城主・成田殿のもとで、連歌の執筆を勤めていました。
そんな折に成田殿の身の上は果てられ、その後、親も浪人のまま相果てました。

それ故、私は浪人となりまして、渡世のやりようがないので、博奕仲間へ入り、
灯心を掻き出し、湯茶を持ち運ぶのを役目に致して食事を貰い、世を送りました。
博奕というものを、どのように行うのかは存じません」

とのことだった。そこで、博奕仲間たちに尋ねると、坊主の言う通りだった。
弾正は坊主に「其の方は連歌師の子か。確かならば、そこで一句仕りなさい」
と言った。坊主は「朝霜や まだ解けやらぬ 縄手道」と詠んだ。

弾正はこれを聞き、この句に応じて縄を解いて許し、「これからは博奕の座での
交わりを止めて、食物なくば町年寄たちのところへ回って、何なりと貰うように
しなさい」と、申し渡した。それ故、坊主は彼方此方と徘徊し、心安く渡世した
ということである。

――『責而者草(君臣言行録)』




919 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/10/01(水) 11:41:59.76 ID:c6gbH1Y1
ホームレスになったのに物をもらって心安く渡世したっていんちき坊主じゃねえか

920 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/10/01(水) 11:48:22.38 ID:bRhnWkEj
正しい意味での乞食坊主

忍城開城

2012年04月09日 21:29

561 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/04/09(月) 19:30:14.43 ID:dB0xKlZ3
小田原征伐の続いていた天正18年(1590)6月下旬のこと。本陣に戦況を報告しに訪れた徳川家康に、豊臣秀吉
このように尋ねた

「徳川殿、お主も聞いているだろうが、忍城のことだ。
石田三成や真田親子らをしても、未だ落城に至っていない。なにか良い手段はないものだろうか?」

家康はこれを聞くと

「忍城は要害の地であり、沼や湿地に囲まれ城も堅固。たとえ力攻めで城を落としたとしても、
こちらにも大きな損害が出るでしょう。
ここは小田原城に籠っている成田氏長に対し、彼の親しい友人から開城を促すのが最善と考えます。」

「それは尤もである」

秀吉はこれに納得し、成田氏長が山中長俊と、連歌の友として非常に親しいと聞くとこれを呼び寄せ、
忍城の開城工作を行うよう命じた。
これに山中長俊は、忍びを使って小田原城内の長氏に密書を送る。
長氏はこれを見ると弟の泰親と相談し、忍城に書状を送った。

7月のある日、忍城に残っていた成田氏長の妻のもとに氏長からの書状が届く。
そこにはこうあった

『連歌の友である山中山城守長俊の取りなしで、秀吉と和を結び降服することに成った。
よって忍城も開城するように。』
その開城条件は、城の城兵には咎めなし、私財もそのまま持ち帰って良い。料金達の財産も安堵する、
と非常に寛大なものだった。

ここに忍城は30日あまりの籠城を終わり、開城に至ったのである。
(行田昔話)





成田氏長、寝返って候

2010年03月29日 00:06

722 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/03/28(日) 13:30:17 ID:kYxkrcoo
まとめサイトのコメ欄でちょろっと紹介されていたが、確か独立したエピとしては未だ出ていなかったと思うので……

ラスボス秀吉の関東仕置き。
北条氏側では支城は捨て、小田原防衛のみに専心するという戦略を立て、各地の城主達を小田原に呼び寄せ、
篭城させていた。

そのせいで関東各地の城は面白いホド良く落ちたが、小田原は流石に落ちない。
しかしもう一つ、落ちない城があった。
武蔵国忍城である。忍城攻めの主将、石田三成からの経過報告を受けた秀吉、ちょっとゆさぶりをかけてみる。

「山中ぁ、お主、確か忍城の成田とは知り合いだったな? 寝返らせろ」

忍城主の成田氏長は元々上方とのパイプを何本も持っており、秀吉の書記官、山中山城守長俊との友誼も
そういったパイプの一つであった。

しかしまぁ、主君と共に篭城中の武将をお手紙一本で寝返らそうとは何と安直な。
そしてホントに寝返ってしまう氏長サンはまた、それ以上に安直な男である。w

そして氏長からの寝返り了解のお返事が山中を通じて秀吉の許に届く。

「あ、この手紙な、小田原城に届けろ」
「……は?」
「小田原城の北条父子に使者を送り、この手紙を届けろ」
「い、いや、それでは折角寝返らせた者が……」
「いーから早よせいっ!」

と、言うわけで小田原城内騒然となりまして候。

問答無用で成田討つべし、と主張する者。
秀吉の計略に違いないから黙殺した方が良いだろ、と言う者。
いや、でもあの成田だしなぁ……と頭を抱える者。
こんなトコでも相変わらずの小田原評定。

とりあえず成田が守備する陣地に使者を送り、本丸に来て申し開きをせよ、と伝えると。
「いや、今ちょっと病気を患ってましてな、HAHAHA!」
との返事。
んじゃ医者をつけてやるわい、と再びの使者+お医者様。
重ねての使者に、氏長も観念したのか、本丸に出頭するのは拒否したモノの、使者には面会した。

「成田殿が裏切ったという風説が流れていますが、ホントなのですか?
この通り、裏切りの書状まであるのですが……」
「うん、ホント」

あっさり認めた。

「だって、忍城攻められちゃってるし。別に北条が憎いワケじゃないんだケドね。オレらのコトが憎いって言うなら、
首を刎ねに来いや」

こう強気に出られると腰が引ける小田原勢。兵をそろえたモノの成田の陣を遠巻きにして包囲するに留めた。

上方勢の包囲する中、篭城している小田原勢。
小田原勢の包囲する中、さらに篭城している成田勢。

なんとも不思議な構図である。

あ、ちなみにそもそもの発端となった忍城。
「氏長が内応したから開城するべし」
という使者に対して、
「あ? バカじゃね? だったら氏長の開城命令書でも持って来いよ。手ぶらで来てそんなコト言われて、
ハイそーですかなんて言うと思ってんの?」
一蹴されたようですwwww
結局小田原開城後、ホントに氏長の開城命令が伝えられるまで粘りきったのは有名な話。




754 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/03/28(日) 23:53:03 ID:YSdzqgkb
>>722
のぼう読んだ直後だけに、その逸話有難いわぁ
しかし、読んでて思ったんだが、宗主(最高司令官)と切り離された城って凄い脆いよね
そんななか、忍城が何で耐えたかも分からんのだが
お前の主君裏切ったぜ?って言われた時、家臣らはあんなに踏ん張れるものなのかね?


756 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/03/29(月) 00:20:04 ID:pYMKijw0
>>754
ちゃんとした家臣ならそうする
関ケ原の時も増田長盛の居城、大和郡山で留守番してた渡辺勘兵衛は主君の手紙持ってこいって言ってたし
謀略で城を盗られることが日常的にあった時代だから、用心するのは当然



関連
成田氏長さんと相越同盟
http://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-3667.html

成田長泰・氏長親子への恨み

2010年03月05日 00:01

947 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/03/04(木) 13:46:09 ID:QE3s5wfI

武州忍城主、成田長泰。彼の次男が成田泰親(名前には異説有り)なのだが、元々彼は他家に養子に入り、
小田泰親を名乗っていた。
やがて小田領が成田家に吸収合併されると、本家成田氏に復帰した泰親なのだが、実は兄、氏長には男の子がなく、
氏長&泰親の末弟が養子となっていた。その弟が夭折してしまったのだ。
泰親の成田家復帰は、亡き弟に代わって氏長の養子になる為だったとも言われている。
氏長の家督相続後は、氏長が嫡子時代に名乗っていた「左馬助」を名乗っている(ちなみに「下総守」の
名乗りを許されるまでは成田家当主が「左馬助」を名乗っていた)事もあり、成田家中では泰親の家督相続は
規定路線だったのだろう。
そしてその規定路線通り、氏長の死後、泰親は成田家当主として烏山城を継いだのだ。

……が、しかし。
「成田系図」という家系図がある。代々の当主の名前に並んで、その事跡を細かく記したモノだ。
それによると
「成田家に跡継ぎが居なかったところ、氏長の娘、甲斐姫が秀吉公の妾になっていたから、甲斐姫が頼み込んで
特別に泰親が継がせてもらった」
とある。

他にも、
「氏長は父長泰に弓を引き、不孝甚だしい」
「長泰は妾に夢中で、いい歳になった氏長に家督を譲らず、慈しみの心がない」
「氏長は小田原陣の際、とっとと北条を見捨て秀吉に寝返った」
「長泰の荒淫、氏長の不孝不信が子孫を断絶させてしまったのである」
とにかく長泰&氏長親子の事はボロクソであり、「成田家は氏長の代で滅んだ!」という態度で一貫している。
上記の様に北条家臣だった頃から泰親の家督相続は規定路線だったと思われる。
だが、「成田系図」の著作者に取っては「氏長が滅ぼした家を、甲斐姫の尽力で何とか継がせてもらった」という
事になるらしい。

この、「成田系図」の著作者とは……尾張成田家の人。
そう、関東仕置き後、氏長にあらぬ疑いをかけられて烏山を追い出された、成田長親の孫だったのです。(>>443参照)
……なんつーか、よっぽど嫌いだったんだね。そんなに許せなかった? 一応相手は非を認めて謝ってんのにさぁ。w




948 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/03/04(木) 14:23:52 ID:rm/i/xGF
あのあたりで小田というともしやあの血統ではと思ってしまうな

949 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/03/04(木) 14:26:02 ID:VHphUKIX
苦労に苦労を重ねて城を守り抜いたと思ったら冤罪で追放されたでござる、で
謝られたからって許せる大度量の持ち主はそうはおらんだろ

950 名前:人間七七四年[] 投稿日:2010/03/04(木) 16:11:52 ID:6OzF+KGd
忍城での不手際で三成には戦下手の評判が付いて回る様になる訳だけど、浅野さんには
そういう話は聞かないよね。三成が嫌われ者だったからなのか?

951 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/03/04(木) 16:29:34 ID:yj8uKQcE
浅野さんは親子でその後下総をなで斬りしましたので。
既出の悲しい仕打ち受けてるけどさw

軍功上げまくりな息子さんもおるしねぇ。

952 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/03/04(木) 16:34:30 ID:4iHkyNok
あいつは軍功もねー親だからすぐ褒められていーよなー!
俺なんかよー

とどこかの若殿がクダ巻いてましたよ?

953 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/03/04(木) 17:29:43 ID:PDiWa44U
>>950
浅野は援軍だからじゃないか?
三成みたく最初から苦戦してた訳じゃないので

954 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/03/04(木) 18:12:33 ID:WXkFt7+O
浅野は息子の方は武人だけど親父はね…つう言い方はされてたとか聞くね

955 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/03/04(木) 21:01:31 ID:byStucs1
元から評価されてなかったからかな>浅野父
三成はなんだかんだで軍功あったわけだし

958 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/03/04(木) 22:49:27 ID:CMofNxEJ
>>947
のぼうさんの孫かw

成田氏長さんと相越同盟

2010年02月17日 00:06

596 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/02/16(火) 14:34:31 ID:Owi7sF1D

武田信玄が今川氏との同盟を反故にして駿河に攻め込んだ時の事。
北条氏康は三国同盟を破った信玄に怒り、今川救援の兵を駿河に派遣した。

武州忍城主、成田氏長の配下である飯塚要人という若者が伊勢忠貞の陣の前を通りかかった。
……と、伊勢の兵達がこちらを見てクスクスと笑っている。
あからさまに侮蔑の表情で笑っている彼等に不快感は感じたモノの、今は主君のお使い途中だ。グッと堪えてその場を立ち去った。

そして無事、主命を果たし終えると、友人の長島大次郎にこの顛末を話し、
「やっぱヤツらの態度は我慢出来ねぇ! ちょっと今から行って来る」
と伊勢の陣に向かってしまった。
長島は慌てて成田氏の重臣、田山豊後にこの事を報告し、友人が心配だからと後を追って伊勢の陣に向かった。

一方伊勢の陣の前では、
「オイ、お前らさっきオレを見て笑ってたろ」
「あぁん? なんだお前、戻ってきたの?」
「やっぱ近くで見てもピッカピカの鎧じゃ~ん?」
飯塚要人が伊勢の兵数人と押し問答をしている。

「武田との戦いでみんな泥まみれの鎧を着てるってのに、お前の鎧は下ろしたてみたいにキレーじゃねぇか」
「そーそー、だからこないだの戦いでも、汚れる前に真っ先に逃げ出したんじゃねぇのって言ってたの! おわかり? ピカピカちゃ~ん?」
「んだとぉ、テメェら!」
激昂した飯塚は、遅れて駆けつけた長島と共に刀を抜いて味方の筈の伊勢軍に切り込んで行った。
勿論、多勢に無勢。二人はあっという間に討ち取られてしまったが、田山豊後を筆頭に成田軍が兵を率いて二人の救出に駆けつけて来た為、
北条軍の陣では大騒動となった。
ある者は伊勢に、ある者は成田に味方し、北条軍同士の戦争が始まろうかと言う寸前であった。

報告を聞いた北条家の重臣、板部岡江雪斎は慌てた。
「こ、こんな面倒な時に、なおさらややこしくなる様な騒動、起こさないで!」
自ら両軍の間に割って入り、全面衝突となるのを未然に防いだ。
この後、成田氏長は臍を曲げたのか、それとも遺恨を残したまま伊勢と同陣させられないから上州方面を警戒してね、
という上層部の判断なのか、駿河から撤退し、領地の忍城に帰還してしまった。

江雪斎が頭を抱えた「こんな面倒な時」……そう、武田と手切れになった為、上杉謙信と同盟を組もうという、「越相同盟」の交渉が難航中だったのだ。
そして問題の一つが氏長の忍城の帰属。

案の定、帰国した氏長から書状が届いた。
氏康「……あの、謙信さん? 成田がね、『忍が上杉領になったらオレは殺される』って騒いでるんですよ?」
謙信「え? 何で? 怨まれてる自覚、アイツにあったの?」
氏康「いや、謙信さんとの過去の経緯もそうなんですケド、こないだウチの方でも一悶着ありまして……」
謙信「この際、武田に寝返っちゃおうって?」
氏康「えぇ、そーゆー事です。んで、成田だけじゃなくて松山城の上田とか、周辺の連中まで一緒に騒ぎ始めちゃって……」
謙信「……」
氏康「『今度は武田に寝返っちゃおっかな~』なんて事をワザとコチラの耳に入るように言って来るもんですからね、その……申し訳ないんですが、『殺さないよ』『追い出さないよ』って、神様に誓ってあげてくれません?」
謙信「ヤダ、メンドクサイ!」
氏康「えぇ~っ!? でも、太田三楽斎も、佐竹も、里見も武田に付いちゃったんですよ? 西上野だけじゃなくて北武蔵まで武田領になっちゃうんですよっ?」
謙信「うん、だから、忍も松山もいらない。ヤツラ、オレがヤダって駄々こねてるんでしょ? じゃ、そっちで面倒見りゃいいじゃん」
氏康「こっちだってメンドクサイんですケドねぇ……」


領地割譲を値切った北条と見れば良いのか、悩みの種を押し付けられた北条、と見れば良いのか……
くすぶる遺恨を楯に寝返りをチラつかせながら、無茶な要求をゴリ押しした成田さんの一人勝ちな越相同盟のお話でした。

氏長「若いモンの首二つで領地と命が安堵されるんだから、安いモンだよなっ!」




597 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/02/16(火) 18:54:12 ID:3FkuhlaT
成田氏長って花の慶次のエピソードが強烈に印象に残ってるわw

長い滞陣でダレ気味のラスボス
なんかおしゃれなソファーに妙なポーズで鎮座

部下「成田氏長から内応の書状が届いています」
秀吉「あ~ん?それを小田原城に届けよ」
部下「そ、それでは成田が氏政に殺されます」

秀吉「 か ま わ ん 」


まあ、これは漫画だけどさw

598 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/02/16(火) 18:56:04 ID:a2w14OwC
娘を側室にしたくせに~



関連
成田氏長、寝返って候
http://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-3920.html

成田氏長、石田三成と浅野長政に

2010年02月12日 00:09

443 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/02/11(木) 14:37:14 ID:uLWJhwMp

毎度成田関係ばかりで申し訳ない。

関東仕置きから早数年、蒲生再生工場を経て烏山城二万石の大名に復帰した成田氏長。京都に行った時の出来事。

(・∀・)「おっ、あっちから来るのは石田殿だぜっ!」
(・_・)「一緒に居るのは浅野殿じゃねぇか」

ご存知、石田三成&浅野長政。この両将は去る忍城攻略の際、天下に失態を晒している。
辺りを行きかうギャラリー、興味津々でこの遭遇を見つめていた。

(´Д`)「まぁでも、三人とも良い大人だし、無難に『良い家臣をお持ちで~』とか『見事な采配でござった~』とか、
    そんなトコなんじゃねぇの?」


三成「ちょぉぉっと待ちなさいっ! 一回勝ったくらいでいい気になってんじゃないわよっ! アタシが本気出してたら、
   忍城なんてアッと言う間に落ちてたんだからねっ!!」

(;゚Д゚)「!?」

……三成ちゃんてばいきなりキレた。

長政「そ、そうよっ! アンタの一族の……えぇと何て言ったかしら?……とにかく、アンタの重臣だって、
   アタシ達の方が良いって内応を約束してたんだからっ!」

(´Д`)「…………」

………長政ちゃんまでノッちゃった。

三成「あらあら、寝返りの約束なんて、良い家臣をお持ちデスコトっ!
   まぁでも、小田原を裏切って勝手に和睦した成田さんちのコなんだもの、家臣もそーゆー躾を受けてるんじゃないの?」
長政「まったく、アタシ達の家中じゃ考えられないわよねぇ! 後十日もあれば、ナ・デ・ギ・リ、してあげられたのに~」

氏長クンに何を言わせる暇も与えず、言いたい事だけ言ってヲホホホホッとワザとらしい高笑いで立ち去る三成ちゃんと長政ちゃん。

(゚Д゚)「……なにあれ?」
(゚Д゚)「……ま、まぁ、ある意味分かりやすい負け惜しみでいいんじゃね?
     成田殿もあんな遠吠えチックな捨て台詞、相手にするホド馬鹿じゃぁ…………」

氏長「……内応、だと……? 一族の人間が……!?」

(;゚Д゚)(;゚Д゚) 「「バカだったぁーーーーーっ??」」

氏長「おのれ長親っ! さては裏切ったのはあ奴かっ!」

(;゚Д゚)(;゚Д゚)「「しかもそれ一番の功労者ーーーっ! つかその人が裏切ってたらその瞬間城落ちてるーーーーっ!!」」


その後、烏山に帰った氏長クン、速攻で従兄弟の長親クンを家から叩き出したとか。

(´・ω・`)「……オレ……頑張ったよね? ……酷くね?」

長親クン、トボトボと下野を去り、故郷の忍で徳川さんちの忠吉ぼっちゃんにお仕えしましたとさ。


氏長「……え? 裏切ったのって泰徳叔父貴? 長親ぢゃないの? マヂで……?」

いや、気付くの遅すぎないか、氏長クン?
大人気ない三人のせいで、忍城を守り抜いた名将が気の毒なコトになっちゃった、関東仕置きの後日譚。




444 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/02/11(木) 15:34:16 ID:ueBpwNW8
こりゃひでぇや

445 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/02/11(木) 15:38:20 ID:qELLon4a
これは悪い。もはや笑う事でなにかの供養になるまいかと思ってしまうほど悪い。

446 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/02/11(木) 15:43:37 ID:913HtK5s
ちょっとどころじゃない悪い話、いただきました

447 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/02/11(木) 15:47:15 ID:CDmsDzj1
過ちに気付いた氏長は長親に詫び状を書いて
戻って来てくれるよう頼むんだけど
断られるんだよな

448 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/02/11(木) 15:57:10 ID:9y+7iYEH
そりゃあ頑張ったのに相手の負け惜しみに端を発する一方的な勘違いで追い出されたらなあ。

449 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/02/11(木) 16:21:34 ID:C1eGNjUF
元から含むとこがあったとしか思えん

450 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/02/11(木) 16:28:08 ID:3FQ/zO0a
頭の悪い話

451 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/02/11(木) 16:55:40 ID:QjClByCb
よほどの人徳者でも断るレベルw

483 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/02/12(金) 12:29:15 ID:C2wU6b4I
>>443
「のぼうの城」の余韻が台無しになる逸話だなw
あの小説は爽やかな風が吹きすぎててウンザリしたもんだが、この逸話はリアルだねぇ