『小笠原牡丹』

2012年01月16日 21:59

479 名前:1/2[sage] 投稿日:2012/01/16(月) 17:59:25.82 ID:nEbxNjIs
信濃守護職・小笠原長時は草花、特に牡丹の花を愛した。
天文19年(1550)7月、塩尻峠で武田晴信に敗れて以来、衰退著しい長時は、祈願寺である兎川寺の住職を訪ねた。

「和尚と会うのも、これが最後となろう。」
「やはり、いけませぬか。」
「うむ。無念だが、武田には勝てぬ。信濃を落ち延び、上方で助力を請う。・・・和尚に頼みがある。」
「承りましょう。」

住職の了承を受けた長時は、一株の見事な牡丹を持って来た。

「わしは、花が好きじゃ。この地を落ちるは、当家存続のため仕方ないとしても、わしが手塩にかけた花を
武田の奴輩に踏みにじられるのは、我慢ならん。
そこで、わしが特に気に入りの白牡丹、この寺で育ててはもらえまいか?」

住職は申し出を快く引き受け、長時は居城を焼き払い、山中を隠れ行き、上方目指して去った。

長時の残した白牡丹は住職が大切に育て、住職亡き後も、牡丹の話を住職から聞いた兎川寺檀家の久根下氏が
『殿様の白牡丹』と呼んで、密やかに守り続けた。

480 名前:2/2[sage] 投稿日:2012/01/16(月) 18:00:10.48 ID:nEbxNjIs
旧伯爵・小笠原忠統は戦後、文化活動に熱心に取り組んだ。
昭和32年(1957)、小笠原氏本貫の地・松本市の市立図書館長に就任した忠統を、一人の青年が訪ねて来た。

「“殿様”、よくぞお戻りになられました。今こそ、これをお返しいたします。」
「これは・・・?」

青年の名は、久根下栄一。『殿様の白牡丹』を守り続けた、久根下氏の末裔であった。

栄一は、小笠原氏も一時居城とした松本城に、この牡丹を株分けする事を提案し、忠統もこれを快諾、
牡丹は松本城本丸庭園に移植され、『小笠原牡丹』と呼ばれるようになった。


戦国乱世の兵火を逃れ、400年の時を越えた『小笠原牡丹』は、今も松本城で美しい花を咲かせている。

ttp://www.shinmai.co.jp/flower/200005/00052302.htm
ttp://www.oshiro-m.org/quiz/g1_4.pdf (PDF注意)





481 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/01/16(月) 18:24:20.42 ID:kVgPYhsu
いい話だが、小笠原氏は大名に復帰しているのになぜ戦後まで待ったのかな?

482 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/01/16(月) 18:40:24.10 ID:LqaT6squ
牡丹を手放すのがもったいなかったとか

483 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/01/16(月) 19:47:39.60 ID:8oExZufN
>>482
好意的に考えれば、江戸期の松本領主、その後継たる華族家を憚ったのかな。悪意的なのはいわぬ。


484 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/01/17(火) 00:57:33.45 ID:WAh17nbX
うわ、すげえでけえ、綺麗ー!
こんな見事なの、よくぞ守ってくれたねえ。
小笠原長時も久根下さんもいい仕事をなさったわ

485 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/01/17(火) 10:07:32.88 ID:zEzPJ5T9
>>483
旧主の小笠原家に託されてずっと貴方達の目に触れないように
守ってきた牡丹を株分けに行きますとは時代的に言えなそうですよね。
後で知られても面倒になりそうだし。

486 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/01/17(火) 12:16:20.88 ID:y5jQAZXY
初代松本城主の石川氏と小笠原氏の関係は気になる。

487 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/01/17(火) 19:53:27.42 ID:frhW3aho
>>483-485
でも、逸話の中にもあるように、小笠原長時の息子、小笠原貞慶は
1583年からの2年間、松本の領主だったこともあるわけで。
さらにその息子、小笠原秀政も1613年から松本の領主だし。

なぜその時ではなく明治維新まで待ったのか、激しく疑問。
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お祭りVS戦国大名

2010年08月22日 00:01

585 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/08/21(土) 12:01:53 ID:VRdSgtR6
お祭りVS戦国大名

順調に信濃進攻を進めていた信玄は天文十六年の上田原の戦いで大敗。、
大損害の上、多くの重臣を失ない、さらに占領下の反武田勢力も息を吹き返し、
一転窮地に陥った
武田家と敵対していた信濃守護小笠原長時もこれを好機として諏訪領に乱入した。
おりしも六年に一度の諏訪大社御柱大祭の年で、
この乱入の為にお祭りの参加者が少なく
御柱祭を大々的に後援していた、武田家は大いに面目を失ったとある。
これに気を良くした長時は、6月に行われるお祭りの後半にも乱入したが、
ブチギレたのは、2度までもお祭りの邪魔をされた氏子たちであった。

長時「ヒャッハー、お祭りなんてぐちょんぐちょんにしてやんぜーw」
氏子「ブチッ」
長時「あれ、え、ちょっとwww」

六月十日、小笠原殿外宮打入、外宮計出相、馬廻下侍十七騎、雑兵百騎、討取候。
小笠原殿、二箇所手おはれ候。宮移之御罰と風聞候。(諏訪神使御頭之日記)

超意訳(地下人達が相手してやったら、侍17人、足軽100人余り討取っられた挙句に、
長時自身も2ヶ所も傷を負って惨めに逃げ帰っていったぜー。まさに天罰ブゲラw)

自分たちでやって天罰も何もないと思うが、六年に一度の神事に介入したばかりに、
諏訪大社の最重要神事記録に書かれ、後世までみっともない話が残った運の悪い話。
ちなみにこの一カ月後に塩尻峠の戦いで、武田に敗れ、衰退の一途をたどる、
小笠原長時だが、二記家記や溝口家記を見る限り、
おつむは弱いが猛将として書かれ、けっして弱いわけではない。
荒っぽいお祭りとして現在も有名な御柱祭が異常なんだと思う。たぶん。




586 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/08/21(土) 14:23:13 ID:tZUQdcf8
小笠原に喝だぁ!
諏訪神社氏子、天晴れ!

587 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/08/21(土) 16:13:17 ID:JmsTIei/
日頃の憂さ晴らしのためのお祭ではなく神事だからな
そりゃ邪魔されたらキレるわな

588 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/08/21(土) 17:13:32 ID:w4fs8jN9
仏の顔も三度というが
氏子たちは一度だったか

故郷に帰れない

2010年02月17日 00:09

585 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/02/16(火) 04:05:56 ID:Y+94BjQI
故郷に帰れない


『信濃守護職』小笠原長時。

彼は天文17年(1548)の、塩尻峠の戦いで武田信玄に大敗し、天文20年(1550)には村上義清の元に
逃げ込み、旧領回復運動を繰り広げつつ、その後越後、さらには同族である京の三好長慶の元にまで
亡命し、老年には会津、蘆名盛氏の元に寄寓していた。

さて、そんな長時の三男、貞慶はなかなかの武将であり、織田信長に仕え活躍。
天正10年(1582)3月に武田が滅びると、信州に領地をあてがわれた。
一部とはいえ小笠原氏が、ついに信濃に戻ってきたのだ。
が、武田滅亡の3ヶ月後、本能寺の変が起こるのである。信濃も、大きな混乱に陥った。

小笠原貞慶はこれをチャンスと見た。徳川家康の後援の元、今は木曾義昌が領する、
かつての信州小笠原家の所領、松本の奪還を狙ったのだ。

彼は家来の溝口美作一人だけを召し連れ、密かに塩尻に潜入。地元の人々を煽動すると、
高井手、熊野井、青柳、瀬黒と言った村々が一斉に蜂起。木曾義昌はこれにはたまらず、
ついに貞慶に松本を明け渡すことを約束した。

この時小笠原貞慶は、木曾義昌が無事に落ちることを保証するため、百束掃部と言う者を
人質として付けたのだが、その人質すら瀬黒の正徳寺の住職に率いられた一揆勢に奪い返されるなど、
もう散々であった。

鬼武蔵の件といい、本能寺の後の木曾義昌は踏んだり蹴ったりである。


さてさて、会津の小笠原長時である。

彼は息子の貞慶より、旧領の復帰の報告と、早く長時を迎えたいとの連絡を受けた。
ついに信州小笠原家が復興したのだ。
長時は大喜びで帰国の準備をしていた。

ところがその最中、長時の従者の一人が彼に遺恨を持ち、にわかに斬りかかった。
長時はこれにより、あれほど焦がれた故郷の地を踏むこと無く、会津にてその生涯を閉じた。

最後の最後で運の無かった、そんな男のお話。




586 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/02/16(火) 07:58:45 ID:BTWHDLU+
運だけの問題じゃないのでは……。

どういう恨みをかってたのかは知らないが、従者に殺されるって相当じゃないの?
「故郷の地は踏まさん! この腐れ外道が。冥途に行けや!」
ってことでしょう。
運というより信望のない話な気がする。

587 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/02/16(火) 08:36:21 ID:JupJtSMK
>>585
小笠原貞慶は石川数正と一緒に秀吉に寝返ったり
息子・小笠原秀政&孫・忠脩は無断参戦した大坂で寡兵相手に親子仲良く討ち死にしたり
裏目に出る大失態を何度も演じているのに徳川家康の恩顧でことごとく助けられて
潰れるどころか領土を増やしている点が小田家と違う点だな。

それなのに
子孫・小笠原長行は老中として討伐に赴いた長州征伐で致命的ミスを連発して江戸幕府をつぶしてしまった

徳川家康が特別に譜代として引き立てて九州の監視役として期待していた小笠原氏と奥平氏が揃って
幕末に全く役に立たなかったのが誤算だったね。

588 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/02/16(火) 09:44:07 ID:CSJiis/F
それを言い出したら井伊とか藤堂とか(ry

589 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/02/16(火) 10:58:10 ID:SirUNl+d
いや、小笠原家の末裔としては至極順当な戦果じゃないかw


590 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/02/16(火) 11:03:08 ID:4sU1Rnd1
勘違いされる事が多いけど、小笠原長時ってのは、もの凄い勇者だったらしいよ
個人的武勇はそれはそれは凄まじいものがあったとか
反面、もの凄い高慢で人使いが荒く、下のものには非常につらく当たったらしい

591 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/02/16(火) 11:06:18 ID:tuDSZwuM
>>590
部下に殺される武将のテンプレみたいだな

594 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/02/16(火) 13:05:57 ID:9Bj/S1Yv
全くの余談だが、>>410の小笠原吉次は小笠原長時の長男である小笠原長隆の
長男だから本来は小笠原家の家督を継ぐはずだった人なんだよな。

まあ再興を成し遂げた貞慶が宗家になるのが自然と言えば自然。