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渋川城大爆発

2021年08月07日 17:40

904 名前:人間七七四年[] 投稿日:2021/08/06(金) 22:26:39.90 ID:+JGuVzIn
渋川城大爆発

有名な逸話だけど、どうやらスレでの紹介自体はまだされてなかったぽいので…

伊達政宗の股肱の臣である伊達成実の右手は指の肉同士がくっついて不自由であったと言う。

生まれつきそうだった訳ではなく、ある一つの事件が原因であった。

天正13年(1585年)、佐竹をはじめとする連合軍と伊達家による人取橋の合戦から一月ほど経った12月11日夜のこと、成実はこの時前線地帯にある渋川城にて、敵勢力に備えていた。

夜も更けてきた頃(20時から22時頃とか)、灯りを持ち城内を隈なく油断なく巡回する者があった。

https://i.imgur.com/0HX6Gz2.jpg
0HX6Gz2.jpg

この日の夜間警備を担当するこの男は鼠1匹見逃すまいぞ!と全ての部屋を鋭い目付きでチェックして回っていた。

そして男はある部屋に差し掛かった。武具弾薬を収めた倉庫(成実の部屋とも)である。
最も重要なこの部屋に怪しい者は居らぬか?おかしな物は無いか?男はここでも油断なく、隅から隅をチェックした。

すると何やら見覚えのない箱がある。これは怪しいぞ、と睨んだ男は箱を開いて灯りを近づけた。

箱の中にあったのは鉄砲用の口薬(ないし玉薬=火薬)であった。

なんだ、怪しいものではないでないか、紛らわしい… 男がホッと一息ついた次の瞬間…

https://i.imgur.com/ooaTDHD.jpg
ooaTDHD.jpg

男は手に持っていた灯りをうっかり箱の中に落としてしまった…

刹那、大音声と共に武器庫は弾け飛び、城は業火に包まれた。
成実もこの時、右手に大きな火傷を負う羽目となり治癒後にその右手の指は癒着してしまい、野口英世の少年時代の様な不自由な右手になってしまったと言う。

しかし、成実はその後も数々の戦いで指揮官として武功を上げ、一時は伊達家を出奔するものの他家からも高く評価される武将となるのである。

政宗記』『新奥羽永慶軍記』より




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そして19人目に、

2017年08月04日 09:29

34 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2017/08/04(金) 09:19:48.91 ID:im8VIwth
伊達政宗が、小田原に出馬した豊臣秀吉に謁するため向かった間、会津の留守は伊達成実に任された。
この留守の間、二、三夜ほど会津が以ての外に騒動した。『会津の内に心変りの者があって、越後の人衆を
引き入れる』との噂が広まったのである。この事を実尺という山伏が成実も告げたが、成実は
「一体何者がこれを言っているのか」と尋ねた。実尺は「世上隠れなき噂ですので誰とは特定できません。」
と答えたが、成実

「ともかく一人づつ名指ししろ。さもなくば汝を罪科に問う。」

このため山伏は、そう言っていた人間を一人づつ語り、成実は順次これを改めていった。
そして19人目に、伊藤七郎という者の屋敷に仕える下女にたどり着いた。

伊藤七郎は政宗の小田原行きに従っていた。そしてその屋敷の門の脇の長屋に、なにがしと言う若党が居たが、
彼が槍を持って広間から出てきたのを、かの下女が見て「さては何事かあったのか!?」と、この事を
出入りの魚売りに語ったというのだ。この話が広まり、そこに尾ひれがついて会津中の騒動になったと
考えられた。

これによって、成実はかの下女を成敗し、当面の戒めとした。

(士談)



35 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2017/08/04(金) 09:27:51.57 ID:pSJEYCRn
成敗しちゃったの!

36 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2017/08/04(金) 09:33:34.04 ID:YjmFAJXA
おおごとにならないうちにな

37 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2017/08/04(金) 10:45:29.34 ID:wElgxufl
性売!

伊達成実の、毛虫の前立て兜

2013年03月09日 19:52

868 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/03/09(土) 18:56:29.02 ID:3e+1wSdj
最上義光に悪いことしたよね・・といわれてしまう伊達成実だが


成実といえば毛虫の前立て兜。
決して後退しないことを表したものとして有名だが、毛虫だったり百足といわれていたりする。

実は、成実の名跡を継いだ亘理伊達家の伝承では、毛虫であって百足ではない。

そもそも伊達政宗自体がNHK「独眼竜政宗」で全国的な知名度を得たわけだが・・・
この作品での甲冑のモデルは、宮城県亘理町の甲冑をまとった成実木像。
たしかにあの前立てを見ると百足っぽい。棒状の胴体の左右に細い毛が無数に生えていて、
ぱっと見は百足に見える。
だが、よく見るとわかるのだが、胴体の腹側と背中側にも同じように毛が生えていて、胴体を
真上から見ると十字状に毛が生えていることがわかる。
つまり全身に毛を生やした毛虫なんですね。

現在北海道伊達市にある甲冑も、宮城県の木像も、どちらも毛虫。


一応NHKの名誉のためにいっておくと、作中では毛虫とは言っているが百足とは一言も無い(はず)。
どうもテレビでのイメージが膨らんで後からそういうことになってしまったらしい。
まあ宮城県民でも百足説の方をを信じてる人が多いしw


アニメ化された4コマ漫画とかアニメ化されたラノベとかじゃ百足なんだよなあ




869 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/03/09(土) 19:09:06.61 ID:SACV+UOR
其れがし、具足を誂える際は「ニャッキ」の前立にしとう御座る

901 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/03/11(月) 18:41:11.55 ID:ZjMDm8tB
>>868
ちなみに仙台市の観光客向け「おもてなし武将隊」の伊達武将隊には、伊達成実役が
いるわけだが、その紹介文では百足の兜や香車の陣羽織が堂々と説明されている。

自治体の資金で運営されてるわけだから、つまりは宮城県と仙台市が公認でこの話を
広めてるということなのだったw


伊達成実、詫びに来た白根沢を

2010年03月20日 00:03

887 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/03/19(金) 18:23:58 ID:9apt51Mc
成実の話か


成実が出奔した後、金須・石川・内ヶ崎・白根沢らは成実のもとを去り、伊達本家に仕えた。
一説によると、出奔後も羽田右馬助にのみたびたび書状が届き彼らにはないこと、
またそれをかさにきた羽田が専横を恣にするのに腹を立て、羽田を討つことを企てたのだという。
抵抗した羽田と羽田に同心する者30人ほどは悉く討ち取られ、角田は屋代景頼によって接収された。
この羽田討伐と角田接収に、前述の4人は積極的に関わっていたという。

さて、時は流れて伊達家は二代忠宗の世となった。
成実は隊将として白根沢を忠宗に推挙した。
忠宗は成実が昔のことにこだわりを見せないことに感じ入ったという。

その白根沢、かつて自分のしたことに恥じ入り、詫びるべく成実を訪ねた。
すると成実は薙刀を下げて出てくると、こう言ったという。
「お前を部将として殿に薦めたのは、公のことを考えてのものであって、
 私としてお前を許したわけではない。二度と来るな」
そう叱りつけ、白根沢を追い返したという。


公私の区別はきっちり付けるタイプの、伊達の従兄弟殿のお話。




891 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/03/19(金) 20:51:07 ID:GHk7/0Bw
>>887
刀じゃなく薙刀ってあたりに本気度を感じた

伊達成実、政宗の窮地を救う

2010年03月19日 00:00

796 名前:人間七七四年[] 投稿日:2010/03/17(水) 17:18:31 ID:HSjE5U1o
話をぶった切ってスマンが誰か伊達成実の逸話とかって知らない?
地元で資料探したがあんまなくって…できればまとめにないもを

797 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/03/17(水) 19:43:20 ID:Y/+YVTfV
右手に大火傷して一生指がくっついたままだったとか、
従妹の駒姫が処刑されてさすがの政宗もしょげている時に
「最上ざまあ(www」とpgrったとか、そういうネタ?

833 名前:人間七七四年[] 投稿日:2010/03/18(木) 08:50:49 ID:krRZQRuE
>>797
そこら辺は手元の資料とまとめにも載ってるから知ってるんだが
後は家紋の話と家臣の萱場元時くらいしか知らくて、他にある
かと思いまして。




837 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/03/18(木) 15:36:30 ID:uM/IXCNe
じゃあ成実のちょっといい話。


伊達家の存亡をかける戦となった、人取り橋の戦。
政宗自身も直接敵と刃を交えるほどの激戦となり、
一時は自害も決意したほどだった。

そんな戦の最中、政宗の乗っていた馬があまりに何度も駆けさせたために
息切れし、足元もよろよろしてきた。
そこで、川に乗り入れて口を洗わせ、水を飲ませようとしたときの事。
政宗は騎乗したまま馬に水を飲ませるところだったが、
それを狙って敵が銃撃を仕掛けてきた。
馬の口取りが撃たれ、髪をつかんで川から引き上げたが、死んでしまう。

そこへ来合わせたのが、成実である。
成実は二・三十人の者と共に政宗の馬の側に立ちはだかり、
「大将が馬を立てるところ、武運は尽きるか!」
と叫ぶや、政宗の馬の尻を団扇で叩いて川から追い上げ、窮地を救ったのだった。

一方を任せるには頼もしい、良い大将だ、と政宗は後に成実を評した。
(●∀`)「馬を助けるためかと思ったぞ」
(´・ω・`)「何言ってんですか。矢も鉄砲も篠を束ねて落すかって勢いなんですから、
流れ矢とかに当たんないでくださいよ?あの辺、ちょっと蹴散らしてきますから」
と、人取り橋の向こうの敵を追い散らしに向かった成実。
その日の働きに対し、政宗は感状を与えて労ったのだった。




注。会話の部分(だけで無しに)、こういう古文?あんまり読みつけないので、
解釈間違ってる可能性が莫大にあります。詳しい人フォローよろ。

原文
一方を頼むには良き大将なりと頼もしく思い、
「馬を助けん為ぞ誤たり」と云ければ
「物をな仰せられそ、矢鉄砲は篠を束ねて降る如くなれば流れ矢に当たり給ふな。
仕掛けたる軍場を引き醒まして参りたり」とて
両方へ馬を乗り分け人取橋の向かへの敵を追い散らし勝鬨を取り行いたり。




838 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/03/18(木) 16:00:14 ID:Nh2xrp42
>>837
> 「馬を助けん為ぞ誤たり」と云ければ
> 「物をな仰せられそ、矢鉄砲は篠を束ねて降る如くなれば流れ矢に当たり給ふな。
> 仕掛けたる軍場を引き醒まして参りたり」とて
> 両方へ馬を乗り分け人取橋の向かへの敵を追い散らし勝鬨を取り行いたり。

政宗「馬を助けようとした為にこんな失敗しちゃったよ」
成実「無茶なことを言うなあ、、こんなに大粒で隙間ない雨が降るように
    矢弾が降り注いでいる場所でそんな事をするなんて。
    流れ矢なんかに当たらないように気をつけてくださいよ、ちょっとこの辺の敵の攻勢を
    大人しくさせてきますから。」

そう言って戦場の真ん中を馬で切り分けるように突っ切って人取橋に向かい、敵を追い散らして
勝鬨を上げたとのこと。


こんな感じかな?

839 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/03/18(木) 16:29:55 ID:uM/IXCNe
>>838
おお、ありがとう。
微妙に読み間違ってたw
翻訳こんにゃくが欲しいのぅ・・

842 名前:人間七七四年[] 投稿日:2010/03/18(木) 21:26:05 ID:krRZQRuE
>>837
あーそういうのです、ありがとうございます
政宗のちょっとかっこ悪いでもありますね。

843 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/03/18(木) 22:01:02 ID:H8BvX2Eb
DQN四天王になぜまともな家老クラスの老臣が

846 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/03/18(木) 22:16:02 ID:kX+l2qrE
>>843
あやまれ!松井佐渡と伊勢兵部と林長兵衛にあやまれ!

847 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/03/18(木) 22:59:16 ID:szcPMhGI
DQNをフォローする良心がいたからこそ家が残って逸話が残るわけで
DQNしかいない家はさっさと潰れて記録にも残らんと思う

848 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/03/18(木) 23:05:06 ID:NwIXMwbN
主従共に良心揃いでも潰される家は潰される戦国時代

849 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/03/18(木) 23:21:06 ID:BK39uhpr
>>847
鬼武蔵をフォローする良心って誰だよw

と思ったが、信長がいたな…
良心かどうかは別として。

850 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/03/18(木) 23:43:36 ID:jvqyM10P
>>849
犠牲者の遺体を片づけた人たちがいたじゃないか…

851 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/03/18(木) 23:45:24 ID:YUN1OBfO
簀巻きにして橋から放り投げただけじゃないかw

852 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/03/18(木) 23:50:25 ID:g9w7rbrU
通行の妨げになる関所も壊したしな!
全く森長可さんは慈愛の心に満ち溢れとるでえ!
[ 続きを読む ]

流石イトコ殿は容赦がなかった

2010年02月17日 00:11

584 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/02/16(火) 01:18:00 ID:Rc4C/LDU
ある北国の武士の回想

「天正十四年十月の田村清顕どのの死後、三春は未亡人と一門四人の合議制になった。
だが、その頃ウチの殿は奥方(愛姫)と仲が悪かったので、母の田村夫人は恨みに思って相馬と結び、
田村家は伊達派と相馬派に割れた。」

「天正十七年正月末日、殿が落馬して足の骨を折った。幸い、治療が成功して骨はうまくくっついたが、
あんまり痛がって出兵なんて出来そうもなく、片平助右衛門の寝返りが延期になった。」
(伊達成実著・『伊達日記』より)


流石イトコ殿は容赦がなかった




595 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/02/16(火) 13:25:35 ID:1r6n8bR3
>>584
さすが従弟殿そこに痺れる憧れるゥ
成実の著書は全体的に軽妙で読み物としても面白いよね

伊達政宗と伊達成実・悪い話

2008年10月16日 12:14

197 名前:人間七七四年[] 投稿日:2008/09/10(水) 13:05:16 ID:kHledHWt
政宗の猜疑心と成実
(悪い話といい話)

成美といえば人取橋合戦、二本松城攻略戦、郡山合戦、などに大功があり、
伊達家きっての猛将として知られている。
朝鮮にも出兵するが帰国後、石川義宗や留守政景が重用されているのを見て、
政宗に無断で高野山へと籠ってしまった。
呼び戻しの使者が訪れた時には行方不明となっており、
もしも成実が上杉と手を組めば事は重大と危惧した政宗は、屋代勘解由に成実妻子と家人の殺害を命じた。
妻子・家人30人は奮闘の末、自害した。
家康が100人扶持で成実を召しだそうとしているのを聞くと申し出て破談にするという執拗さだった。
ところが成実は上杉からの5万石での誘いを断っているのである。これはすぐ政宗の知るところとなる。

関が原直前、上杉の白石城攻略戦でのこと、
崩れそうな伊達軍に逆行して突如一騎の黒武者が敵陣に突撃し、これにより形勢は逆転、
この黒武者こそ成実であった。彼は帰参し亘理城主となる。
この後、政宗は自分が成実妻子殺害を命じた屋代勘解由を追放するが、
遺恨もっとも深いと思われる成実は、勘解由と妻子を手厚く保護しているのである。
感状のブレの激しい政宗に対する無言の批判であったかどうかは、不明である。