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すると、家老の小野和泉は

2013年11月15日 19:00

622 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/11/15(金) 17:43:40.21 ID:YA14mP7p
立花宗茂が十三歳の時、年始のある日のこと。

宗茂が山中を歩いていると、道には栗の毬が満ちていた。
宗茂はこれを取り去るように命じた。

すると、家老の小野和泉(鎮幸)は毬を取って掌にのせ、

「こんなものがどうして人を傷つけられようか」

と言うと、毬を揉み潰してしまった。

――『日本智嚢』




623 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/11/15(金) 18:12:10.10 ID:dcDjy/Zu
宗茂「痛くない?痛くない?ほんとーに痛くない?」

624 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/11/15(金) 18:12:47.26 ID:6yixRfa6
宗茂の進路栗で妨害されすぎだろ

625 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/11/15(金) 20:20:49.32 ID:usTYfZpR
破傷風の原因になったりするから栗の毬はナメない方がよい

626 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/11/15(金) 20:26:42.92 ID:XmguWrso
現代人には考えられないけど昔の人って手が象のような硬い皮膚だったのかな。

627 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/11/15(金) 20:51:37.14 ID:Ocf306ef
最上の最中は最上の味

629 名前:人間七七四年[] 投稿日:2013/11/15(金) 22:12:14.23 ID:O8dUpduQ
>>622
日本智嚢
もうそろそろ智の逸話もお願いします

630 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/11/15(金) 23:09:44.96 ID:usTYfZpR
>>629
『智』はチカラのちー

631 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/11/15(金) 23:48:53.34 ID:NfGSYPNg
ごり押しもまた立派な戦術、よって智に相違なし!

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小野鎮幸、六十一にていろはを学ぶ

2013年08月10日 20:37

848 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/08/09(金) 22:40:58.26 ID:/FMh7SlT
ある時、加藤清正が、立花宗茂の重臣である小野和泉(鎮幸)と歓談していたとき、
和泉にこんなことを尋ねた

「和泉殿、あなたは書状の往復に困却することは無いか?
私の如きは、幼少より戦場にのみ臨んで、更に読書習字をする暇が無かったために、
今日に至るまで書状の往復には常に困難を感じることが多いのだ。」

和泉はこれを聞くと
「私は61歳までいろはのいの字も知らなかったのです。ですが、かつて高麗在陣の時に、
毛利甲州殿よりの書状が至りました。

その時、私は賊の首実検をしていたのですが、この書状を読もうと思ったものの、それが出来ず、
立花の家老とも称され、60にもなろうという者が書状を読むことさえ出来ないとは、
この和泉一人の恥辱にとどまらないと、冷や汗を流しました。
この時は幸いに、内田玄恕がたまたまこちらに来たので、書状を見せて彼に返書を書かせました。

しかしこの事は深く私の心に刺さった出来事でした。そのため、帰国してから妻にいろはを書かせ、
習字を練習しました。これによって幸いに、今日においてはにじり書きだけは良く出来るようになったのです。」
そう笑いながら語った。

清正は、和泉が謙遜してそんなことを言っているのだと思ったが、他日立花の諸士に聞くと、
果たして小野和泉の言に違いはなかった。

清正は感嘆して、
「古より偽りがないのが武士であるとは聞いているが、和泉ほど偽りのないものは
稀である。小野和泉こそ、真の武士の典型である。」
と語ったそうである。
(古雄逸談)




849 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/08/10(土) 04:01:32.87 ID:QE5deDv1
男子三日会わざれば刮目して見よ、ですね

850 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/08/10(土) 07:16:45.39 ID:7Q+T9pPf
信長の時代には農民を含めて識字率かなり高かったようだね
出典忘れたけど「この国の人たちはほとんどが読み書きできる」という書状が残ってる
武士で文字が読めない人は珍しかっただろうな

851 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/08/10(土) 09:04:54.28 ID:4seFcnCN
江戸じゃなくて戦国時代も農民の識字率高いの?

852 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/08/10(土) 09:59:48.46 ID:RdqJDEZb
毎年年貢交渉しなくちゃあいけないし
他の村と同盟結ぶ時も文書交わさなきゃいけなかったから
ある程度の人数、読み書きできる人はいただろうね

853 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/08/10(土) 10:05:07.11 ID:TgO+iliV
ザビエルやフロイスは庶民や売り子や女性ですら字が読めると驚いてる
他の宣教師や朝鮮人も一様に驚いてるから高かったことは確か
江戸時代と違って率までは推測できないが

854 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/08/10(土) 10:57:15.93 ID:rf1ru16Q
平仮名なら読めてたかもな。漢字だと、明治の頃でも自分の名前と住所しか書けない人も多かったみたいだし

855 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/08/10(土) 11:00:19.62 ID:TgO+iliV
一口に識字といっても日本だと3段階あるからな

856 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/08/10(土) 11:15:24.69 ID:oYPyEHVI
西欧人の字が読めるレベル設定と日本のそれは違うからなあ。
一概に識字率高かったとは言えないんじゃない?
もちろんそれでも普通の国よりは高かったってことだろうが。

857 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/08/10(土) 11:22:06.71 ID:TgO+iliV
ヨーロッパでも公文書を書けるのはそれを仕事にしてる者くらい
比率はともかく字が読めるレベルとやらに差は無い

862 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/08/10(土) 18:57:48.97 ID:HIS5h/KI
http://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-7499.html
万松院殿(足利義晴)の御治世の前後では、京においてすら文字を書けるものは千人に一人も無かった。
しかし書を成すと云われる程の人は、後の世にも見られないほど見事な書を書かれた。
(義殘後覺)

864 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/08/11(日) 01:43:13.72 ID:wg9i2krs
>>848
既出
http://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-2309.html

小野鎮幸、60の手習い

2009年06月26日 00:07

735 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/06/24(水) 23:20:23 ID:rj2QQT/X
立花家家臣小野鎮幸が加藤清正の家臣になっていたときのこと
清正と鎮幸が談笑していたが次第に清正が自虐トークを展開し出した

「ガキの頃から戦ばっかで読み書きなんてやる暇無かったよ。
おかげでいつも書状のやりとりが大変で大変で…
書状のやりとりに難が無い和泉(鎮幸)がうらやましいよ(´・ω・`)」

当時、叩き上げの武将が文盲なのは珍しくなかったが
清正のような大身にもなると書状のやりとりも多くなる
その上読み書き出来ない奴は畜生以下と見られる風潮も存在していたため劣等感もあったのだろう
若い頃やっておけば良かったというのはいつの時代も変わらぬ嘆きである

これを聞いた鎮幸は笑って
「いやいや、実は私も61歳までいろはのいの字も読めなかったんですよw
昔、朝鮮の陣の時に毛利から書状が来たんですがこれが全然読めない(笑)
60歳近い、それも立花家の家老とあろう者が読み書き出来ないなんて
他所に知れたら私の恥だけじゃ済みませんからね。
冷や汗ものでしたよw背中なんてビチョビチョでしたからねw
運良くちょうどその時内田玄恕が通りましてね。彼に返書を書かせて事なきを得たんです。
こんな事があったんで一念発起しましてね。
帰国してからウチの女房に読み書き習いましたw
最近やっとにじり書き出来るようになったんですよ~。」

なんと鎮幸、60の手習いに挑戦しているという
しかし清正は自虐モードに入っていたのか

(´・ω・`).oO(どうせ謙遜してる嘘を付いているんだろう)

と思って間に受けなかった

後日、旧立花家家臣にこの事を聞いてみた
しかし帰ってきた答えは予想に反して「鎮幸の言っているこ事は本当である」との事だった

清正は感嘆して
「昔から偽りなきを武士とはいうが和泉(鎮幸)のような者は稀である
和泉こそは真の武士の典型だろう」
と言い、鎮幸を重用したと言う

小野鎮幸は62歳でその生涯を終えた


生涯勉強!
学問を始めるのに年齢は関係ない!
君も「ああすれば良かった」、「こうすれば良かった」と終わった過去を嘆かずに
今から挑戦してみよう!m9(`・ω・´)




736 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/06/24(水) 23:25:33 ID:7RsdLwSV
ぎゃー耳にいてええ!w

737 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/06/24(水) 23:26:59 ID:tF5aaT40
>>735
イイハナシダナー
感動してしまった。

738 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/06/24(水) 23:32:32 ID:C0LKQ7MV
>>735
仕事が忙しくて…
いや、余暇が全くない訳じゃないけど…
…言い訳ですねorz

739 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/06/24(水) 23:36:33 ID:h7BuQHZx
>>735
年老いてなお勉強する姿勢にも頭が下がるが、
なによりその正直さに痺れた。
格好つけないのがムチャクチャ格好いい

745 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/06/25(木) 00:52:59 ID:c++a7/0l
>>735
>清正は感嘆して
自分も猛勉強を始めたって続くのかと思った。
それにしても清正公がへうげものの具志堅清正で脳内再生されて困る。

747 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/06/25(木) 01:11:48 ID:MfIYcuM3
清正は仕事を部下に任せず自分でほとんどやっちまったっていうから
その後自分も読み書き習ったかもしれんね。
文盲のままじゃほとんど自分でやるのは流石に無理だろう。

748 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/06/25(木) 01:15:18 ID:iszQnAcw
清正って土木とか築城に関しては天才というか、取りあえず才能大だよね
文字読めなくて、ああいう設計とかの仕切りが出来るものなんだろうか

750 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/06/25(木) 03:11:12 ID:EsTvaXRh
>748地形や空間把握の能力が抜群に優れていた、てことなのかもね。

三国志の艾[トウガイ]なんかがそんな人だったていうな。

751 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/06/25(木) 03:23:50 ID:Mo9Amtpf
スレ違いだけど、王平も読み書きできないから人に読んで貰って
書物の内容を把握していたって正史に記載があったよね。

757 名前:人間七七四年[] 投稿日:2009/06/25(木) 11:22:23 ID:Nlyzy/G5
>>748
同じく築城名人の高虎も漢字の読み書きは不得手で
署名の際にも「さと(佐渡守)」「いつみ(和泉守)」て書いてたんだよな。
指が欠損してたから書くのも不自由だったんだろうが。

760 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/06/25(木) 14:07:12 ID:s9G3LJzz
歴史趣味が嵩じてくると市販されてる小説や書籍だけだは
満足出来なくなってきて現代語の史料・文書を漁り始める

すると次には古文書・旧記の類に触手を伸ばし始める…
が、ここで古文漢文の解読が避けて通れなくなるんだよな

日々是勉強、生涯学習しようぜおまいら

769 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/06/25(木) 20:53:43 ID:D6HmFS/S
>>760
とうの昔に捨てた古文・漢文の教科書が惜しくなるんだよなぁ
学生の頃は歴史に興味なかったのに。人生なにに興味を持つか分からんね

771 名前:人間七七四年[] 投稿日:2009/06/25(木) 21:00:17 ID:RFFzdRCo
俺は剣道の胴をあげたことを悔やんでる
あれさえあれば足軽の具足ならすぐに作れるのに…


立花家改易と小野和泉・いい話

2008年10月16日 11:16

709 名前:人間七七四年[] 投稿日:2008/08/21(木) 17:24:23 ID:63KWg4k+
小野和泉2
立花家改易になり加藤清正預かりになった宗茂と家臣団
清正家臣団に馬鹿にされ憤りを感じ宗茂は浪人となりこれに従う雪下と家臣団
雪下たちとは違い残る和泉、宗茂へ路銀を渡す、家臣団達からは非難の声も多々
残った和泉は、清正家臣団から馬鹿にされる毎日、自分を馬鹿にされても気にならない
和泉であったが、宗茂を馬鹿にするものが出てきた。
ある日宗茂と清正の比較話が出た時、和泉は無数に傷がある体を宴で見せ一つ一つ説明した。
傷の説明と約70枚の感状を見せると清正家臣団は問う「あなた程の人は家臣団に何人いる?」
和泉は「私程度は家臣団の中では、はいて捨てるほどおります」と言うと清正家臣団は驚いたと言う。
清正家臣団は2度と宗茂を馬鹿にしなかったと言う。
また、浪人となり食うにも困った宗茂に仕送りをしていた程、我が身を捨てて忠を貫いた。
和泉は立花家再興を見ずに没する(悲)

714 名前:人間七七四年[] 投稿日:2008/08/22(金) 13:22:14 ID:PYV53LA1
小野和泉補足
宗茂を馬鹿にされたところを簡単にしてしまったので伝わらないかも
和泉は、清正家臣団から「我が主は戦場で相手方の首級を幾つもあげてるし一番槍もあるが
和泉殿の主は如何だったのか?」(山路や木山打ちの話)との問いに

和泉は体にある67(だったかな?)のうち上半身の40箇所近い傷跡を見せた(鉄砲傷5箇所、致命傷傷あり)
その瞬間に宴の席が凍りついた。そこに傷の説明をする清正家臣団が「もういい夜が明けてしまう」と
口を開いたところに和泉の問いが...
和泉は「我が主を戦場で奮わせることがないように努めたがそなた達は主が奮戦してる時に
何処にいた!」(よく覚えてない)と問うと清正家臣団は黙ったままだったと言う。

和泉の奮戦話で驚いたのは、両足に鉄砲を受け野に伏したまま采を振るった
しかもその戦いに勝ってしまう←こんな武将は聞いたことないかも凄い

また、この和泉を誘ったのが上の方に書かれてた雪下こと由布惟信
惟信は自分の石高を切り分けてまで和泉の採用を道雪へ懇願した目を持つ名将



小野和泉の財政立て直し・いい話

2008年10月16日 10:58

707 名前:人間七七四年[] 投稿日:2008/08/21(木) 16:35:23 ID:63KWg4k+
立花道雪、宗茂の家臣団、由布惟信(雪下)の話が上の方にあったので小野和泉出しちゃう。
守銭奴と呼ばれ周りからも煙たがられ更に家臣からも嫌われ賄賂を貰いまくる和泉

度重なる戦にて立花家に財政難がやがて訪れる、2度目の朝鮮出兵時立花家には戦に参加
出来る戦費などない、戦に参加できないことは当然御家の危機でありまた恥である。
そんな時小野和泉は守銭奴と呼ばれながらも貯蓄していた全ての財を立花家のために提供
和泉は周りから何を言われようと立花家のため悪役を買っていた、これを知った家臣達
は小野和泉こそ誠の忠臣と崇めたと言う。




711 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/08/21(木) 19:30:58 ID:YIAHXffg
>>707
吉村貫一郎みたいでかっこいい

715 名前:人間七七四年[] 投稿日:2008/08/22(金) 22:56:18 ID:aOuId1Tw
>>707の話だけみると岡左内みたいだね。



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岡左内の賛否両論・いい話?
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