45 名前:人間七七四年[] 投稿日:2012/05/06(日) 17:56:27.37 ID:cTDmFpmn
会津蘆名の臣、金上遠江守盛備は「蘆名の執権」と称され
家中の政事、軍事を取り仕切った重臣であったが、
弓馬の道だけでなく会津出身の僧・岌州を通じて
細川幽斎と和歌のやりとりをする等、
一流の教養人としても知られていた。
盛備は生涯三度に渡り、主の名代として上洛しているが、
今回の逸話は天正十六(1588)年、三度目の上洛の時の事。
会津訛りを嘲った都人をその教養で逆にやりこめた話は
このスレでもすでにでも紹介されているが、
(ttp://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-3677.html)
この逸話を聞いた後か、その前か、盛備と引見した関白秀吉
「その方、鄙にも稀な風雅の人と聞いているが…どうだ、この句に上句を接いでみよ。」
「女も鎧を 着るとこそ聞け」
と下の句を詠んだ。盛備は寸刻思案すると恐れ入りながら
「姫百合か とも草摺りに 花散りて」
と詠み上げた。
「女も鎧を~」というのは、源義経の郎党・佐藤兄弟が戦死した後、
嘆き暮らしていたその母を慰めるため、兄弟の妻が二人の形見の甲冑を
身に着け、その雄姿を演じてみせたという故事に取材している。
盛備の郷里である陸奥国の英雄二人の逸話を秀吉は題材に取ったわけである。
(ただ佐藤兄弟の出身地信夫郡は(●Д・)の故地近くだったりするけど気にしないw)
草摺りは鎧の腰周りから膝上にかけてを守る、スカート状の部分であり、
野をゆき、足に摺った姫百合の花が散る様子と、二人の姫君がともに
草摺りを身に着けて舞う様子をかけたわけである。
このみごとな返歌に秀吉は天晴であると賞賛し、盛備に
帰国時の人夫伝馬の便宜はかる朱印状を下賜したという。
また盛備が上洛途中、近江の国で詠んだ一首が残っている。
「雪ならば いくたび袖を払はまし しぐれを如何に 志賀の山越え」
(雪ならば何度でも袖を払い落とせるが、袖に染み着く時雨は
この志賀の山を越えるのにいったいどうやってしのごうか)
当時の蘆名家は伊達家の侵攻に加え、家臣団の対立により四分五裂しており、
外敵(雪)の侵攻ならば自分が何度でも追い払って見せようが、
払う事が出来ぬ家中の内紛(しぐれ)どう収めるべきかという、
盛備の苦衷を詠んだ歌と言われる。
蘆名家が摺上原の合戦で滅亡し、盛備がそれと運命を共にするはこの翌年の事である。
そんな金上さんのノブヤボでの教養値
ttp://hima.que.ne.jp/nobu/bushou/fuundata.cgi?keys2=%8B%E0%8F%E3&index=&IDn001=AND&sort=&IDn002=key&IDv002=%81%9B&print=25
ttp://hima.que.ne.jp/tenkasousei/tensoudata.cgi?up1=0&keys3%2C6=%8B%E0%8F%E3&index=&IDn001=AND&sort=&print=20
・・・。
46 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/05/06(日) 18:03:47.27 ID:sJJIdEjv
あの訛りの逸話好きだったな
生き延びて豊臣政権でも活躍してくれればどっかの大名もホームシックにならずに済んだかも
47 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/05/06(日) 18:48:43.75 ID:cH/2mGpz
>>46
「(前略)同じ奥羽の者でも、会津の金上入道などは、
都人の意地悪も当意即妙に切り返して、陪臣なのにリア充しちゃってます。
それに比べ、私なんて気の利いた返事すらできません。
ああ、はやく帰りたい・・・」
冗談はさておき、金上さんと北の爺様って似てる印象
同世代だし、御家騒動豪腕で収拾して、若い主君のかわりに年取っても骨折って・・・。
ただこっちは最後は滅亡しちゃったから、ノブヤボでの能力も、このスレでの知名度も差が開いちゃってるけど。
48 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/05/06(日) 18:55:41.25 ID:gP7h//ue
個人的には運の無い直江兼続って印象だ>金上さん
50 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/05/06(日) 19:05:55.68 ID:O2BIk1Yn
>>47
北信愛も教養人だったそうだしね
51 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/05/06(日) 19:05:58.92 ID:cH/2mGpz
>>48
確かに頑張れば頑張るほど
「あいつでしゃばり過ぎ、死ね」
となる当たりはそっくりだな
52 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/05/06(日) 19:10:28.06 ID:cTDmFpmn
>>47>>48
主導した佐竹との養子縁組が結果論だけど
最後のトドメになっちゃったのは痛いと思う
まぁ、マーくんも信頼できんけどw
会津蘆名の臣、金上遠江守盛備は「蘆名の執権」と称され
家中の政事、軍事を取り仕切った重臣であったが、
弓馬の道だけでなく会津出身の僧・岌州を通じて
細川幽斎と和歌のやりとりをする等、
一流の教養人としても知られていた。
盛備は生涯三度に渡り、主の名代として上洛しているが、
今回の逸話は天正十六(1588)年、三度目の上洛の時の事。
会津訛りを嘲った都人をその教養で逆にやりこめた話は
このスレでもすでにでも紹介されているが、
(ttp://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-3677.html)
この逸話を聞いた後か、その前か、盛備と引見した関白秀吉
「その方、鄙にも稀な風雅の人と聞いているが…どうだ、この句に上句を接いでみよ。」
「女も鎧を 着るとこそ聞け」
と下の句を詠んだ。盛備は寸刻思案すると恐れ入りながら
「姫百合か とも草摺りに 花散りて」
と詠み上げた。
「女も鎧を~」というのは、源義経の郎党・佐藤兄弟が戦死した後、
嘆き暮らしていたその母を慰めるため、兄弟の妻が二人の形見の甲冑を
身に着け、その雄姿を演じてみせたという故事に取材している。
盛備の郷里である陸奥国の英雄二人の逸話を秀吉は題材に取ったわけである。
(ただ佐藤兄弟の出身地信夫郡は(●Д・)の故地近くだったりするけど気にしないw)
草摺りは鎧の腰周りから膝上にかけてを守る、スカート状の部分であり、
野をゆき、足に摺った姫百合の花が散る様子と、二人の姫君がともに
草摺りを身に着けて舞う様子をかけたわけである。
このみごとな返歌に秀吉は天晴であると賞賛し、盛備に
帰国時の人夫伝馬の便宜はかる朱印状を下賜したという。
また盛備が上洛途中、近江の国で詠んだ一首が残っている。
「雪ならば いくたび袖を払はまし しぐれを如何に 志賀の山越え」
(雪ならば何度でも袖を払い落とせるが、袖に染み着く時雨は
この志賀の山を越えるのにいったいどうやってしのごうか)
当時の蘆名家は伊達家の侵攻に加え、家臣団の対立により四分五裂しており、
外敵(雪)の侵攻ならば自分が何度でも追い払って見せようが、
払う事が出来ぬ家中の内紛(しぐれ)どう収めるべきかという、
盛備の苦衷を詠んだ歌と言われる。
蘆名家が摺上原の合戦で滅亡し、盛備がそれと運命を共にするはこの翌年の事である。
そんな金上さんのノブヤボでの教養値
ttp://hima.que.ne.jp/nobu/bushou/fuundata.cgi?keys2=%8B%E0%8F%E3&index=&IDn001=AND&sort=&IDn002=key&IDv002=%81%9B&print=25
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・・・。
46 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/05/06(日) 18:03:47.27 ID:sJJIdEjv
あの訛りの逸話好きだったな
生き延びて豊臣政権でも活躍してくれればどっかの大名もホームシックにならずに済んだかも
47 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/05/06(日) 18:48:43.75 ID:cH/2mGpz
>>46
「(前略)同じ奥羽の者でも、会津の金上入道などは、
都人の意地悪も当意即妙に切り返して、陪臣なのにリア充しちゃってます。
それに比べ、私なんて気の利いた返事すらできません。
ああ、はやく帰りたい・・・」
冗談はさておき、金上さんと北の爺様って似てる印象
同世代だし、御家騒動豪腕で収拾して、若い主君のかわりに年取っても骨折って・・・。
ただこっちは最後は滅亡しちゃったから、ノブヤボでの能力も、このスレでの知名度も差が開いちゃってるけど。
48 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/05/06(日) 18:55:41.25 ID:gP7h//ue
個人的には運の無い直江兼続って印象だ>金上さん
50 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/05/06(日) 19:05:55.68 ID:O2BIk1Yn
>>47
北信愛も教養人だったそうだしね
51 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/05/06(日) 19:05:58.92 ID:cH/2mGpz
>>48
確かに頑張れば頑張るほど
「あいつでしゃばり過ぎ、死ね」
となる当たりはそっくりだな
52 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/05/06(日) 19:10:28.06 ID:cTDmFpmn
>>47>>48
主導した佐竹との養子縁組が結果論だけど
最後のトドメになっちゃったのは痛いと思う
まぁ、マーくんも信頼できんけどw
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