脇坂治兵衛と老母

2010年02月19日 00:10

9 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/02/18(木) 17:50:56 ID:q0c5TuRT

伊達政宗の家臣に、脇坂治兵衛という者がいた。
大阪夏の陣の際には彼も政宗に同行し上方へ上った。

その途中、彼は信州に住む老母に会いに行った。
「もしこたびの戦で討死することがあったら、今生の別れとなります。
 ですので会いに参りました」

しかし老母は治兵衛にこう言った。

「お前は伊達様に取り立てていただいて、伊達様へのご恩は本当に大きい。
 こたびの戦で、必ず伊達様のお役に立って討死しなさい。
 『もし討死することがあったら』などと
 言うような息子に、母は会いません」

老母の叱咤にはげまされた治兵衛は、見事大阪で討死を遂げた。
戦国の終わりの日、主のために死を喜ぶ戦国武士もまた逝った、というお話。




10 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/02/18(木) 18:11:04 ID:08J2PReu
>>9
息子についていって仙台で暮らせばいいのに・・・と思うが、
信州に住み続けたことと併せ、頑固な老婆の姿が目に浮かぶなぁ。

11 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/02/18(木) 19:17:24 ID:8m2roH63
戦死したってヴァルハラに逝くわけでもないのになんなんだろね、この「討ち死にしろ」な人たちはw
仏教の信仰でもないし、護国靖国があったわけじゃなし。

12 名前:人間七七四年[] 投稿日:2010/02/18(木) 19:19:51 ID:BYxih2Ah
死の先を逝く者達か

13 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/02/18(木) 19:23:17 ID:3M960msE
死んで名誉が得られるという点において一致している
ただ生きていても世の中には自分の証は何も残らないからな
命を引きかえにした最後の自己主張なんだろうよ

もしくは若いころに活躍しても老いれば社会の役に立たず除け者にされる
そのような晩年を過ごすぐらいなら活躍できるうちに死ぬ道をとしてるのかもしれん
美しいままで死にたいからって火口に身を投げた人も明治大正にいたし

14 名前:人間七七四年[] 投稿日:2010/02/18(木) 19:32:24 ID:kROOS8Qz
西方浄土で会おう

15 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/02/18(木) 19:36:49 ID:pCNP5yqe
討ち死にしたら、その分家族や一族がいい待遇を受けられる

16 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/02/18(木) 19:43:30 ID:26Gac7g2
>>11
個人の名誉と、遺族の補償。

宣教師たちも武士はやたら死にたがるとか書いていたな、そういえば。

17 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/02/18(木) 19:53:28 ID:OJjnB+kZ
その時代の人の感覚はよくわからんな。
討ち死によりも生きて手柄上げた方が良さそうだけど。

18 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/02/18(木) 19:57:29 ID:VTzAUr8f
この時代は個人ではなく「家」と言う単位で考えないと。
討死を多く出した家は「名誉の家」とされ、主君からも丁重に扱われた。
個人はあくまで家に付属する存在であり、だからこそ「家の名誉」である討死を
忌避するような者は「家の構成員」として不届きであるのだ。

19 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/02/18(木) 20:10:12 ID:26Gac7g2
>>17
二位じゃダメなんですか、とは昨今の言葉だけれども、
敵は命を捨てる覚悟で襲ってくる、味方も命を捨てる覚悟で敵を迎え討つ、
そんな状況で「いのちだいじに」とか腰が引けた態度で手柄を立てられる訳ないだろ。

20 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/02/18(木) 20:13:23 ID:QN0ruk5L
殉死とかでも、損得勘定で殉死する家臣もいたようだね

21 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/02/18(木) 20:22:28 ID:pD3ZNAsZ
死に対してある種の美学みたいなものがあるんだろうね。
「立派」に死ぬとか、「名誉」の死とか。

22 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/02/18(木) 20:22:48 ID:jCaOeI47
立派な死というのは立派に生きたということと同義語だからだろう。
何より恥ずかしい死を恐れたし、そのために死にたがる。
権現様がすぐ取り乱して切腹すると喚くのもそう。

24 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/02/18(木) 20:59:51 ID:08J2PReu
>>18が一番大きいだろうな。
日本は少し前まで、個人なんてものが何の意味も持たない社会だった。
極端な話、誰かが死んでも、また子供作れば代わりになるし。

武勇も父から子へ遺伝するのが当然とされていた。
死んで勇気を見せなかったら、勇敢なご先祖様に申し訳が立たないもんなぁ。
先祖が祟るかもっていうのは、当時の人には非常にリアルな恐怖だった:

"武勇"という獲得形質を子孫に遺伝させようとしてたという言い方もできるかもしれん。
誰かが臆病な行為をしたら、子孫まで臆病な気質が伝わってしまい、
将来的には家が滅びてしまうと。
もちろん当時の人が理屈でこんなこと考えていたわけではないが、感覚としてはあったかと。

25 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/02/18(木) 21:08:32 ID:V4L9cyhI
>>18
森さんちのことですね。

26 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/02/18(木) 21:24:23 ID:4rBblq9m
武士とか人を殺すのが仕事なんだからビジネスとして割りきれたのかもね(戦以外でもコロコロひとが死んでた時代だし

27 名前:人間七七四年[] 投稿日:2010/02/18(木) 21:32:53 ID:E6lQJRGf
鎌倉時代の話なんだけど、元の九州来襲の際には、
爺達が死兵となって元軍に突入した。元兵は自殺に等しい
老武士の行為を気味悪く思ったらしいが、
武士にしてみれば、討ち死にで恩賞が期待出来ることと
口が減るという一石二鳥だった。

28 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/02/18(木) 21:41:48 ID:3M960msE
対馬の宗氏も寡兵で元軍に突撃して全滅してるな
逃げるという選択肢はなかったんだろうか?

29 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/02/18(木) 21:44:32 ID:fTYe84D1
一所懸命にござれば

30 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/02/18(木) 21:46:41 ID:wVPwGzPO
>>28
そんな事したら
その他鎌倉武士の皆さん「m9^Д^)m9^Д^)m9^Д^)ジェットストリームプギャー」
ってなるじゃない。

31 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/02/18(木) 21:47:30 ID:gp/JfDAI
討死に定評のある少弐家は元寇でも少弐資時が貫禄の討死

32 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/02/18(木) 22:06:43 ID:3M960msE
>>30
戦略的撤退位はさすがに認めるだろ
踏みとどまったところで援軍が来て防衛線にしてくれるかも微妙だし寡兵で何が出来るんだ


…とか思ったけど応永の外寇では敵を退けてるな

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