この男の場合は並ではなかった

2010年02月20日 00:19

675 名前:人間七七四年[] 投稿日:2010/02/19(金) 20:37:59 ID:O0YQ1NCi
江戸時代の大名は、最低一人は立派な先祖がいるものだが、この男の場合は並ではなかった。
その男の名は池田綱政、岡山藩2代藩主である。

彼の父、池田光政は、自身が江戸初期の3名君の一人であったが、父方の祖父はイチモツさまこと
西国宰相池田輝政であり、母方の祖父は徳川四天王が一人、榊原康政であった。
一方、母、勝子は本多忠刻と千姫の子である。千姫は江戸幕府2代将軍秀忠とお江の間の娘であり、
お江を通じて、北近江の戦国大名浅井長政やお市の方とも血がつながっている。
また、本多忠刻の父方の祖父は、言わずと知れた戦国最強の男、57戦無傷の徳川四天王、本多忠勝であり、
母方の祖父は悲劇の長男、松平信康、曽祖父は戦国の3傑の2人、織田信長と徳川家康である。
さらに、松平信康の母、築山殿を通じて、戦国時代の代表的な分国法『今川仮名目録』を定めた駿河・遠江の戦国大名、
今川氏親や南北朝時代の名将、今川了俊の血もひいている。

このようなそうそうたる先祖のDNAを受け継いだ池田綱政は、岡山藩の財政を再建したり、日本3大庭園のひとつ、
後楽園を造るなど後世の評判はよいが、
当時の記録である土芥寇讎記(各大名家の内情を記した古文書)によると、「生まれつき馬鹿」「愚か者で分別がない」
などとけちょんけちょんであり、
「特に色を好むことには限度はなく、手当たり次第に女に手を出した結果、70人以上の子供を作った」が、
「寛政重修諸家譜」には14人となっており、幕府には少なめに届けたようである。




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