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伊奈(イナ)忠次の話

2020年02月09日 15:16

631 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2020/02/08(土) 19:43:41.88 ID:ezwVO2sv
「イナバウアーがイナ→荒川→羽生」と継承された、ていう記事を読んで、
羽生で始まり荒川西遷が行われた、利根川東遷事業を思い浮かべたので伊奈(イナ)忠次の話を

小田原城落城の際、城内の蔵に貯蔵されている米穀の数量調査を家康に命じられた忠次だったが、
膨大な量であるにも関わらず数日のうちに家康に報告した。
家康から「なぜそのように早くできたのか?」と聞かれた忠次は
「不正を防ぐために、すべての蔵に封印をし、村長に命じて北条に納めた租税の量を書き上げさせました」
と答えた。
もし蔵ごとに確かめていたら時間がかかる上に、ちょろまかす人間も出たと思われる。
そのため家康はその機敏さを褒めた。

甲州の地で家康が鷹狩りをしていると、近くの村で騒ぎが起きた。
忠次が家来を連れて見に行ったところ、野盗が荒らした後だった。
そこで忠次は野党の首領の住処を探し出し、大蔵という首領を一刀のもとに斬り殺した。
これを聞いた家康は「勇敢ではあるが自ら討ち取るとは血気盛んすぎる」と諭した。
しかし賊を斬った刀に大蔵と名付け、家宝とするように告げた。
(「世界 人物逸話大事典」の「伊奈忠次」の項から、本間清利「関東郡代」の孫引き)



632 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2020/02/08(土) 20:48:59.18 ID:oWA1ySTR
あだ名がわかりやすいのは権現様のセンスなのか

633 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2020/02/08(土) 21:59:06.93 ID:V6+QV004
>>631
賊のお頭の名前の家宝の太刀ってやだなぁw

634 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2020/02/08(土) 22:00:43.60 ID:POWo705j
大蔵切なんちゃらって名前ならまだワンチャン
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この者達の忠孝を認めぬと言うのなら

2019年09月20日 15:25

198 名前:人間七七四年[] 投稿日:2019/09/19(木) 19:18:26.41 ID:/7Fim3py
「それは、長束大蔵大輔の仕掛けた事だ。」の後日談

関ヶ原の戦いで斬首された長束正家
当主が死んで路頭に迷った長束家の家臣達を召抱えたのは他ならぬ伊奈忠次であった

家康は「逆賊として斬首された者の家臣を召し抱えるなど、他の者に不興を買う。おぬしの為にならぬぞ。」とたしなめた

しかし忠次はこう反論した
「確かに長束正家は逆賊かもしれませぬ。ですがその家臣は正家に最後まで尽くして逃げ出さなかった忠臣であります。
この者達の忠孝を認めぬと言うのなら
私は腹を斬ってこの者達に報いねばなりますまい。」
と家康に詰め寄りこれを認めさせた

こうして長束正家の家臣とその家族達は伊奈忠次に救われ
かろうじて生き残った長束の子孫はやがて徳川家光と手紙のやり取りをする程の関係にまで快復するのであった



199 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2019/09/19(木) 21:08:41.28 ID:bQC3nvG5
旧豊臣の奉行衆には実務的な優秀な部下も多かったろうからなぁ

200 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2019/09/22(日) 12:33:41.67 ID:gTVfXKay
武田の旧臣を幕下に加えてたくせによく言う

201 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2019/09/22(日) 20:44:34.93 ID:7bj0T1un
武田の部下は俺のもの
長束の部下も俺のもの

202 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2019/09/22(日) 21:13:09.23 ID:5Wnbhz7y
北条の家臣も多く召し抱えとる

203 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2019/09/23(月) 01:26:19.01 ID:Jl+ho/kN
北条は別に秀吉から召し抱えるなとか言われてないだろ?

204 名前:人間七七四年[] 投稿日:2019/09/23(月) 08:09:57.82 ID:2hnkMw8k
>>198
伊奈忠次「うちの父親も殿に弓引いた逆賊なんすけどね。信康様の件で私も再び出て行きましたけど」

伊奈忠次エピソード三話

2010年02月21日 00:11

99 名前:人間七七四年[] 投稿日:2010/02/20(土) 21:35:45 ID:IfcGeX18
徳川家康は、関東に移封された際、代官に伊奈忠次を抜擢した。

この伊奈忠次というひと、徳川家の家臣だったが、三河一向一揆の際に一揆方に組して出奔。長篠の戦で
功を挙げて復帰し、信康の側近となったが、信康切腹により再び出奔。
堺に蟄居していたとき本能寺の変が起こり、ちょうどそのとき堺にいた家康の伊賀越えを助けて再び
帰参が許されるという出入りの激しい人だったが、なかなかに有能であり、機知に飛んだエピソードがいろいろ残っている。

その一

秀吉の小田原攻めの際、伊奈忠次は徳川家の兵站の責任者であった。
家康に命じられて大井川と富士川に舟橋を掛けることになったが、迅速というかせっかちというか、予定より早く
秀吉と主力軍が着いてしまう。当然橋はまだできていない。
せっかちなラスボスは風雨の中強行渡河を決行しようとする。
ここで忠次が、強行渡河で数騎が流されて溺れれば、うわさは拡大して広がり、数十騎が溺死したということになり、
敵の士気を高め、味方の士気をくじくから3日待ちなさいと諌め、
ラスボスもしぶしぶ従ったという。

その2

関東移封の際、秀吉は家康に移転経費として10万石の米を与えた。
とはいえ、ほんとに10万石あるかわからなかったので、家康が忠次に早速計量して来いと命じると、
すぐ戻ってきて終わりましたと答える。
家康がびっくりして、ほんとに数えたのかと尋ねると、
忠次は、少ないからといって秀吉にもっとくれといえるわけもないし、多かったからといって返す必要もないから、
とりあえず封印をしましたので、後でおいおい数えますと答えた。

その3

小田原攻めの際、忠次は兵糧を現地に送る準備を整えていたが、現地に視察に訪れると、これだけの
大軍が集結しているのに米麦の価格が上がっていない。
びっくりした忠次が家康に尋ねると、家康は、秀吉の部下に補給の名人増田長盛がいるからであろうと答える。
それならばと忠次は兵糧を現地調達に切り替え、移送費を浮かしたという。

忠次は関東代官として、関東を中心に各地で検地、新田開発、利根川や荒川などの河川改修を行った。
また、武士や町民たちはもとより、農民に炭焼き、養蚕、製塩などをすすめ、桑、麻、楮などの栽培方法を伝えて
広めたため、農民たちからも神仏のように敬われていたという。




100 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/02/20(土) 22:21:04 ID:rtL4OBQH
本田平八郎みたいな戦功がめだつ人だけじゃなくて
こういう優秀な縁の下の力持ちがいたから徳川が天下取れたんだよね

101 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/02/20(土) 22:26:59 ID:8ZsovsaP
徳川家に伊奈みたいな内政のスペシャリストは貴重だね
彼は三成みたいに武官に疎まれたりはしなかったのかな

102 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/02/20(土) 22:39:26 ID:iJBmFhEx
幕府が開かれるまでこういう官僚派は徳川家ではかなり立場弱かったし知行も
少なかったからあんまり問題にはならなかったんじゃないか

本田佐渡が恨みを買ってくれてたから陰に隠れてたりw
政権運営するようになってようやく官僚連中が立場逆転してたけどそうなってから武断派の
連中が愚痴を垂れ流すようになったわけでw

103 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/02/20(土) 22:54:32 ID:uPh3l3EV
関東地方には「伊奈」が付く地名が多いよね
うちの近くにも「伊奈平」があるし