伊奈忠次エピソード三話

2010年02月21日 00:11

99 名前:人間七七四年[] 投稿日:2010/02/20(土) 21:35:45 ID:IfcGeX18
徳川家康は、関東に移封された際、代官に伊奈忠次を抜擢した。

この伊奈忠次というひと、徳川家の家臣だったが、三河一向一揆の際に一揆方に組して出奔。長篠の戦で
功を挙げて復帰し、信康の側近となったが、信康切腹により再び出奔。
堺に蟄居していたとき本能寺の変が起こり、ちょうどそのとき堺にいた家康の伊賀越えを助けて再び
帰参が許されるという出入りの激しい人だったが、なかなかに有能であり、機知に飛んだエピソードがいろいろ残っている。

その一

秀吉の小田原攻めの際、伊奈忠次は徳川家の兵站の責任者であった。
家康に命じられて大井川と富士川に舟橋を掛けることになったが、迅速というかせっかちというか、予定より早く
秀吉と主力軍が着いてしまう。当然橋はまだできていない。
せっかちなラスボスは風雨の中強行渡河を決行しようとする。
ここで忠次が、強行渡河で数騎が流されて溺れれば、うわさは拡大して広がり、数十騎が溺死したということになり、
敵の士気を高め、味方の士気をくじくから3日待ちなさいと諌め、
ラスボスもしぶしぶ従ったという。

その2

関東移封の際、秀吉は家康に移転経費として10万石の米を与えた。
とはいえ、ほんとに10万石あるかわからなかったので、家康が忠次に早速計量して来いと命じると、
すぐ戻ってきて終わりましたと答える。
家康がびっくりして、ほんとに数えたのかと尋ねると、
忠次は、少ないからといって秀吉にもっとくれといえるわけもないし、多かったからといって返す必要もないから、
とりあえず封印をしましたので、後でおいおい数えますと答えた。

その3

小田原攻めの際、忠次は兵糧を現地に送る準備を整えていたが、現地に視察に訪れると、これだけの
大軍が集結しているのに米麦の価格が上がっていない。
びっくりした忠次が家康に尋ねると、家康は、秀吉の部下に補給の名人増田長盛がいるからであろうと答える。
それならばと忠次は兵糧を現地調達に切り替え、移送費を浮かしたという。

忠次は関東代官として、関東を中心に各地で検地、新田開発、利根川や荒川などの河川改修を行った。
また、武士や町民たちはもとより、農民に炭焼き、養蚕、製塩などをすすめ、桑、麻、楮などの栽培方法を伝えて
広めたため、農民たちからも神仏のように敬われていたという。




100 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/02/20(土) 22:21:04 ID:rtL4OBQH
本田平八郎みたいな戦功がめだつ人だけじゃなくて
こういう優秀な縁の下の力持ちがいたから徳川が天下取れたんだよね

101 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/02/20(土) 22:26:59 ID:8ZsovsaP
徳川家に伊奈みたいな内政のスペシャリストは貴重だね
彼は三成みたいに武官に疎まれたりはしなかったのかな

102 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/02/20(土) 22:39:26 ID:iJBmFhEx
幕府が開かれるまでこういう官僚派は徳川家ではかなり立場弱かったし知行も
少なかったからあんまり問題にはならなかったんじゃないか

本田佐渡が恨みを買ってくれてたから陰に隠れてたりw
政権運営するようになってようやく官僚連中が立場逆転してたけどそうなってから武断派の
連中が愚痴を垂れ流すようになったわけでw

103 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/02/20(土) 22:54:32 ID:uPh3l3EV
関東地方には「伊奈」が付く地名が多いよね
うちの近くにも「伊奈平」があるし

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