思えばそれが永遠の別れだった

2016年08月15日 19:33

千宗旦   
995 名前:人間七七四年[] 投稿日:2016/08/15(月) 16:59:24.22 ID:h0oOoPki
宗易(千利休)が太閤の命に背く頃、予(千宗旦)が大徳寺から京へ出る
時に、山門の前で利休が乗り物に乗って内へ入るところに出会った。

利休は乗り物のすだれを上げて挨拶なさった。思えばそれが永遠の別れ
だったのである。

――『茶話指月集』




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遅れて千宗旦家にやって来た清巌宗渭を出迎えたのは、

2010年02月26日 00:03

千宗旦   
809 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/02/25(木) 18:15:01 ID:Erwxtxr1
>>776
遅レスだし悪い話かは微妙だが、逆に宗タソが怒られる話。

ある日、千宗旦は禅の師・清巌宗渭を茶席に招いたが、清巌は所要が出来てしまった。
遅れて千家にやって来た清巌を出迎えたのは、
「あいにく、主人は出かけました。明日、またお越し下さいとの事です。」という宗旦の使用人のみだった。

「明日って…それでも茶の湯の宗匠かい。」
大徳寺170世住持という禅宗の頂点に立ち、茶の湯を細川三斎に学んだ清巌に、そんな言い訳は
通用しない。清巌は紙と筆を所望すると、宗旦あてに書置きを置いて去った。

懈怠比丘不期明日
(懈怠の比丘、明日を期せず=わし、遅刻するようなナマケ坊主じゃけぇ、明日の約束なんて知らんわ。
『今日』約束したら、『今日』茶席を開くために全力尽くすのが、茶の湯の心と違うんかい?)


これを見た宗旦、感じるところがあり、一句詠んで大徳寺に駆けつけ、清巌に不心得を詫びた。

今日今日と 言ひてその日を 暮らしぬる 明日の命は 兎にも角にも


現在、裏千家最高の格式を誇る茶室、『今日庵』の名は、この話に由来するという。




810 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/02/25(木) 21:00:51 ID:GRSHGU9Z
遅刻されたほうにこんな事書かれたら溜まらんな

811 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/02/25(木) 21:18:48 ID:RQqhpF1v
ちょうど姉妹スレのほうも坊さんの話が来てたな
坊主めんどくせぇw

812 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/02/25(木) 22:31:03 ID:D1De4RBe
坊主と三河武士の共通点はそこか!

それで一向一揆があんなに・・・

千宗旦、永井尚政に茶会に招かれて

2010年02月24日 00:05

千宗旦   
776 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/02/23(火) 19:57:22 ID:Kez4iEgy
千宗旦と言えば千利休の孫であり、祖父の侘び茶をさらに突き詰めた清貧な茶風で
「乞食宗旦」とまで呼ばれた人であった。

さてそんな宗旦を、幕府重臣、永井尚政が茶に招いたことがあった。
初入の後、懐石となる。

永井尚政と言えば当時淀城十万石を領する譜代の大大名であり、そのような大名の行う大名茶での
懐石といえば通常、豪華な膳が並べられるものなのだ。


出て来たのは一汁二菜の、いくら粗飯といってもほどがある、というほどの粗飯であった。
まさに侘び。大侘びである。尚政は乞食宗旦とまで呼ばれるその侘び茶に敬意を表し、
このような膳を出したのだ。これに宗旦…


激怒した


「私のような一回の侘び茶人が粗飯を出すならいざ知らず、十万石の大名が一汁二菜の懐石とは、
懐石の意味を取り違えているのではないか!?分に応ずることが茶にとって大切な事なのだ!」

高名な侘び茶人にあわせて気を使ったことが、かえって相手の心に「かないたがる」という、余計な
心の働きになってしまった、と言うわけなのである。

まあ単純に、豪華な懐石を期待してきたのに粗食を出されて頭に来ただけかも知れないがw
侘び茶も色々難しいのだ、と言うお話。




777 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/02/23(火) 20:04:30 ID:3daMQjnz
宗易が切腹になってから財産没収とかされたんかな
天下の茶頭だったし名うての商人だったし相当財産あった筈だよな

そんな奴が後者の理由で激怒するだろうか

778 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/02/23(火) 20:19:11 ID:5oDsR1mX
形見分けしているから、財産没収は無かっただろう。
古田織部は族滅されたから、全て没収された。

779 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/02/23(火) 20:21:29 ID:evp9fJ0B
宗旦って松永久秀の孫って説もあるんだっけ?

780 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/02/23(火) 20:28:30 ID:Kez4iEgy
>>777
宗旦は結果的に現在の茶道の主流である三千家(表千家・裏千家・武者小路千家)の祖となったが、
千家の中では傍流で士官もしていなかったため、流石に乞食と呼ばれるほどには
困窮していないにせよ、裕福だったと言うわけでもない。

782 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/02/24(水) 00:47:06 ID:h6Ys9ffF
>>778
織部から取り上げた利休の茶杓「泪」は、現在徳川美術館に・・・


>>779
千少庵が宮王三郎じゃなくて松永久秀の子供って説があるからね
しかし、松永さんはいろいろとやってて楽しい人生だなw