837 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/02/27(土) 04:11:53 ID:wHinKBLb
伊南の河原田盛次と言えば、摺上原の戦いのあと会津盆地を制圧し、さらに勢力を拡大させる伊達政宗に対し、
会津蘆名氏の家中において一人頑強に抵抗を続けた、硬骨の勇者であった。
天正十八年(1590)、伊達政宗は小田原の豊臣秀吉の元に参陣、事実上の降伏をした。ここ東北の戦闘は停止され
盛次は危機を脱した。
秀吉が小田原から東北へと動座すると言う事を聞いた盛次は、早速お目見えすべく宇都宮へと罷り越した。
すると石田三成より、「本日中にお目見えをいたしますので、風呂に入ってくるように。」と指図を受けた。
ところでそのころ豊臣軍は戦時体制を解いておらず、誰もが半袴などの軽装でいたが、盛次は
故実を大切にしたため、脇差に長袴と言う姿でお目見えに望もうとしていた。
その姿は酷く場違いで、手ぬるいように見られた。
そして石田三成も、河原田盛次が天下の奉行である自分と同じ治部少輔を考えも無く名乗っていることが
奇怪だと思った。
そのような事のせいか、その日は色々と手違いも有りお目見えすることはならず、その後は
お目見えについて何の知らせも無かった。そのうちに三成より
「今は色々と忙しいので、取り合えす会津に帰った方がよろしかろう。その後こちらから良いように計らいましょう。」
と言われ、仕方なく会津に帰り、しかし程なく死んでしまった。
ところで、盛次には亀丸と言う一子があった。河原田家の郎党達は、会津に新たな領主として蒲生氏郷が
入ってくることを聞くと
「この上はせめて亀丸君に氏郷様に仕えていただき、所領を安堵してもらおう。」
と言う事になり、氏郷の家来の侍を頼んだ。
ところがこの亀丸は美少年であり、この氏郷の家来は亀丸にすっかり心を奪われ、離れがたさに
仕官の話を何かと引き伸ばしにした。これには亀丸も腹をたて、越後へと出奔したが、そのまま漂泊の身となり
死んでしまったそうである。
蘆名などとともに「会津四家」と呼ばれ、長く会津の地で栄えた河原田家の、その不運な最後である。
838 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/02/27(土) 04:21:45 ID:1YWh0T7N
この時代男で美貌だとロクな事ないな・・
839 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/02/27(土) 04:31:17 ID:+epjpdsS
この後河原田家の中には佐竹さんとこに流れた人もいたみたいね
840 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/02/27(土) 10:09:07 ID:kE1yd8hB
>>838
美形だととりあえず出仕は保障されるよ
そのあとの仕事内容がアレなだけで・・・
美形だと噂される鬼武蔵は信長の(グシャッ
841 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/02/27(土) 11:05:32 ID:1YWh0T7N
>>840
君主のお気に入りの肉尻便器でも屈強な家臣に横恋慕されて
襲われたりするんだぜ?
どんだけ危険なんだよ・・アメリカの刑務所よりケツが寒いぜ
842 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/02/27(土) 11:35:08 ID:FPyrd2c2
俺は現代に生まれて良かったんだなあ
843 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/02/27(土) 12:04:24 ID:HrP5YEkJ
すると>>842は沖田総司バリのぽっちゃり系(笑い)なんですねわかります
844 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/02/27(土) 12:09:39 ID:Azu0pyoL
しがない橋守として生きるでござる
846 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/02/27(土) 12:46:13 ID:qqUJtOeW
清十郎、名古屋山三郎、亀丸と蒲生氏郷は美少年に縁があるんだなあ
848 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/02/27(土) 14:19:00 ID:7fEXyOrX
>>840
ご主人様のお手つきを心待ちしていたところ
とうとう暗がりに連れ込まれてドキドキワクワクしていたら
「ぬし、姉か妹はおらぬか?」
とのご下問を受けたでござるの巻
850 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/02/27(土) 18:19:48 ID:m0zawFBG
お手付き心待ちどころか、そっちに目覚めさせる任務のはずが姉妹聞かれてズコーって話だろ
851 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/02/27(土) 19:26:27 ID:1YWh0T7N
>>846
美少年好きなところまで信長そっくりだよな
伊南の河原田盛次と言えば、摺上原の戦いのあと会津盆地を制圧し、さらに勢力を拡大させる伊達政宗に対し、
会津蘆名氏の家中において一人頑強に抵抗を続けた、硬骨の勇者であった。
天正十八年(1590)、伊達政宗は小田原の豊臣秀吉の元に参陣、事実上の降伏をした。ここ東北の戦闘は停止され
盛次は危機を脱した。
秀吉が小田原から東北へと動座すると言う事を聞いた盛次は、早速お目見えすべく宇都宮へと罷り越した。
すると石田三成より、「本日中にお目見えをいたしますので、風呂に入ってくるように。」と指図を受けた。
ところでそのころ豊臣軍は戦時体制を解いておらず、誰もが半袴などの軽装でいたが、盛次は
故実を大切にしたため、脇差に長袴と言う姿でお目見えに望もうとしていた。
その姿は酷く場違いで、手ぬるいように見られた。
そして石田三成も、河原田盛次が天下の奉行である自分と同じ治部少輔を考えも無く名乗っていることが
奇怪だと思った。
そのような事のせいか、その日は色々と手違いも有りお目見えすることはならず、その後は
お目見えについて何の知らせも無かった。そのうちに三成より
「今は色々と忙しいので、取り合えす会津に帰った方がよろしかろう。その後こちらから良いように計らいましょう。」
と言われ、仕方なく会津に帰り、しかし程なく死んでしまった。
ところで、盛次には亀丸と言う一子があった。河原田家の郎党達は、会津に新たな領主として蒲生氏郷が
入ってくることを聞くと
「この上はせめて亀丸君に氏郷様に仕えていただき、所領を安堵してもらおう。」
と言う事になり、氏郷の家来の侍を頼んだ。
ところがこの亀丸は美少年であり、この氏郷の家来は亀丸にすっかり心を奪われ、離れがたさに
仕官の話を何かと引き伸ばしにした。これには亀丸も腹をたて、越後へと出奔したが、そのまま漂泊の身となり
死んでしまったそうである。
蘆名などとともに「会津四家」と呼ばれ、長く会津の地で栄えた河原田家の、その不運な最後である。
838 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/02/27(土) 04:21:45 ID:1YWh0T7N
この時代男で美貌だとロクな事ないな・・
839 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/02/27(土) 04:31:17 ID:+epjpdsS
この後河原田家の中には佐竹さんとこに流れた人もいたみたいね
840 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/02/27(土) 10:09:07 ID:kE1yd8hB
>>838
美形だととりあえず出仕は保障されるよ
そのあとの仕事内容がアレなだけで・・・
美形だと噂される鬼武蔵は信長の(グシャッ
841 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/02/27(土) 11:05:32 ID:1YWh0T7N
>>840
君主のお気に入りの肉尻便器でも屈強な家臣に横恋慕されて
襲われたりするんだぜ?
どんだけ危険なんだよ・・アメリカの刑務所よりケツが寒いぜ
842 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/02/27(土) 11:35:08 ID:FPyrd2c2
俺は現代に生まれて良かったんだなあ
843 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/02/27(土) 12:04:24 ID:HrP5YEkJ
すると>>842は沖田総司バリのぽっちゃり系(笑い)なんですねわかります
844 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/02/27(土) 12:09:39 ID:Azu0pyoL
しがない橋守として生きるでござる
846 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/02/27(土) 12:46:13 ID:qqUJtOeW
清十郎、名古屋山三郎、亀丸と蒲生氏郷は美少年に縁があるんだなあ
848 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/02/27(土) 14:19:00 ID:7fEXyOrX
>>840
ご主人様のお手つきを心待ちしていたところ
とうとう暗がりに連れ込まれてドキドキワクワクしていたら
「ぬし、姉か妹はおらぬか?」
とのご下問を受けたでござるの巻
850 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/02/27(土) 18:19:48 ID:m0zawFBG
お手付き心待ちどころか、そっちに目覚めさせる任務のはずが姉妹聞かれてズコーって話だろ
851 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/02/27(土) 19:26:27 ID:1YWh0T7N
>>846
美少年好きなところまで信長そっくりだよな
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