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石川丈山年老て勇気の事

2016年12月04日 10:32

377 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2016/12/04(日) 04:40:36.19 ID:1w5NDrXD
石川丈山年老て勇気の事

 石川丈山は、隠棲の翁となっても雄武の姿はあったという。
彼が隠棲していたあたりは山水幽閑の所であった。
翁は常に小流に出て自ら米を研いでいたが、
そのあたりの少年がそれを窺い上流に小便をしてしまった。
翁はかの少年に
「小便したかったら、米を研いでいるので下流でやれ」
と三回も同じ事を言ったが、少年は聞き入れなかった。
また研いだときにわざと上流で小便をした。
そのとき翁は手に槍を持って来て、かの少年を一刺しにした。
人はこれを見て、「あっぱれ勇士の末よ」と
その後は里人はますます賞嘆して畏敬したという。

(甲子夜話続編)



379 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2016/12/04(日) 14:20:16.48 ID:MB43rgnB
>>377
近所でも嫌われ者の悪童だったのだろうか。
丈山晩年ってとっぷり江戸時代だけど、時代的におとがめは
大丈夫だったのかな。1600年代中ごろ、詩仙堂辺りの出来事だよね。
殺すまでは至らなかったとか、すばしっこいのに一刺しが見事で、とかもあり得るか。

380 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2016/12/04(日) 15:01:57.58 ID:KpmEbH5r
無礼討ちの範疇やろ

381 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2016/12/04(日) 15:15:03.40 ID:VcRAbWcy
丈山みたいな大物ならそれで十分済んだか。
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問題は彼が後につけた諱である

2014年09月30日 18:51

413 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/09/29(月) 23:18:39.75 ID:2lzu0029
徳川家の家臣に石川重之という武将がいた。
秀吉が死去した1598年から家康の近侍として仕え、寵臣として過ごす予定であった。
しかし、1615年の大坂夏の陣で軍令違反を起こし、軍功をあげたにも関わらず賞されなかった。

その後牢人となり、林羅山の勧めで藤原惺窩に師事し、儒学を学んだ。
江戸初期における漢詩の代表的人物となり、儒学・書道・茶道・庭園設計にも精通した。
丈山と号し、『石川丈山』としてJR東海のCMにも紹介されるほど歴史に名を残した。


と、俺が言いたいのはこれではない。
問題は彼が重之の後につけた諱である。

それは『凹』である。
あちこち調べてもサッパリわからない。
他のところで質問しても回答一切なし。
フリガナも出てこない。
「くぼむ」なのか、「へこむ」なのか、なんなのかわからない。
とりあえず渡辺氏方式(一字漢字に三字読み、同系統の松浦氏も該当)と見てるけど、正式の読み名がわからない。

わかる人いない?




414 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/09/29(月) 23:29:44.93 ID:BYTve94f
絶対に仕官しないんだから~の人か

415 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/09/29(月) 23:52:30.80 ID:KnEs6cQg
どこぞの本にはオウとルビ振ってあったが
諱だし漢語読みのわけないよなあ

416 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/09/30(火) 00:34:45.22 ID:Ix//vwzK
凹凸・ (おうとつか)の主だからオウでいいんじゃねーの

417 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/09/30(火) 01:27:57.57 ID:viD8lcOd
凸ちゃんは「でこちゃん」だから
凹ちゃんは「ぼこちゃん」でいいんじゃない

めんどくさい三河武士の話。仕官なんてしないんだから・いい話?

2009年03月07日 00:18

589 名前:人間七七四年[] 投稿日:2009/03/06(金) 02:18:42 ID:ov6DwtuE
 
めんどくさい三河武士の話。仕官なんてしないんだから。

彼は家康の譜代の家に生まれた。
三河武士らしくめんどく・・・一途で頑固な性格で、
一生懸命武芸に励み、その後家康の近習に取り立てられて関ヶ原でも活躍。
大坂夏の陣では頑張って一番乗りも果たしちゃったが、
残念なことに先陣争い禁止だった為、家康にあえなく妙心寺に蟄居させられた。

そこでわずか30歳で剃髪、一気に武士をやめてしまった。

その後暇になったのか、お友達の林羅山のすすめで学問を始める。
文武両道と評判になりあちこちから仕官の誘いが来たが、
一度やめた武士になる気なんてさらさらなかった。

しかし母親が病気になったため、安芸の浅野さんちに学者として仕えることになる。
10年以上たったころ、母親が亡くなったので、彼は隠居を願い出た。
しかしMOTTAINAI人材だといって隠居を許してもらえない。

奴は、強引に隠居した。

こっそり京都に戻って山荘を建てて、自分好みの庭を作り、大好きな漢詩を楽しむ。
幕府に仕官の推薦も何度もされたが、あくまで固辞。
御水尾上皇にも召されたが、これも固辞。
その後も、仕官なんてもう二度としないと諸侯の誘いを最後まで断り続け、
優雅な隠遁生活を30年以上も続けて、90歳でこの世を去った。

彼の名は石川丈山、鹿脅しの考案者であるもといわれ、
彼の隠居所は現在は詩仙堂と呼ばれて親しまれている。

最後までつらぬいた三河武士のお話でした。
 



590 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/03/06(金) 07:40:26 ID:kBavnkvF
庵(後の詩仙堂)を建てようとしたけど金が足りない。
蔵書を全部売ってみたけどやっぱり足りない

困ってたら浅野の殿様がお金を送ってくれた




浅野「録を送ってあげただけよ かんちがいしないでよね
あんたが勝手に辞めたの、認めてなんてあげないんだから~!」


後々も 折りにふれ世話をやいてた浅野さん




591 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/03/06(金) 07:57:08 ID:SJhsWnUl
>590
浅野本家のツンデレ...