侍の恨みについて・悪い話

2009年01月09日 00:20

126 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/01/08(木) 21:18:59 ID:GWRIoP2T
孕石元泰「家康くんは降伏した拙者を許してくれませんでした、ひどいです><」
家康「お前だけは死ぬべき。」



127 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/01/08(木) 21:38:26 ID:rcXnxjYo
>>126
他の孕石一族はそれなりの扱いをされているからな…
徳川家に召し抱えられることこそなかったけど。



128 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/01/08(木) 21:40:02 ID:zx7zh/8V
>>126
まあ、いったん受けた恨みはいつか必ず返すってのがこの時代の武士ですからw

応仁元年(1467)
応仁の大乱が巻き起こる中、将軍、足利義政の後継者とされた足利義視は、
西軍優位の政治情勢に伊勢に出奔、亡命を余儀なくされた。

ところが、この伊勢に落ちる途中、近江国石山において、田上荘(たなかみのしょう)という
荘園の領民から、落ち武者狩りを受けた。

進退窮まった義視はしかたなく、自ら身に着けていた刀剣を荘民に与え、
どうにか窮地を脱することができた。


さて、翌応仁二年(1468)
またもや政治状況は変化し、義視は伊勢より、騎馬500騎、歩兵1万数千という大軍勢を率いて
再び上洛の途についた。

で、上洛の途中、この軍勢を率いてわざわざ田上荘に立ち寄った。

「あの時は世話になったな」

田中荘、完膚なきまでに焼き討ちを受ける。



129 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/01/08(木) 21:40:06 ID:zXeZDGG/
魔人ブウと逆でいい奴が生まれ変わって悪くなったみたい

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