兼松正吉の見切り

2015年10月13日 18:29

828 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2015/10/13(火) 15:56:41.07 ID:B+gnmwUR
兼松正吉の見切り

織田秀信の岐阜城に諸将が攻め寄せた時、一柳監物直盛の兵が一人先駆けして川を渡って敵に切り込もうとした。直盛の目付兼松又四郎は堤防の上からこれを見て、
「剛の者だ。老武者か若武者のどっちかな」と直盛に聞き、直盛は「あれなるは安井新九郎という者で22か3の者です」と答えた。
「俺なら功名をあげられたけど、若武者なら無理だろうなぁ」と兼松が言い終わらないうちに、安井は対岸で待ち受けていた敵兵によって討ち取られてしまった。
直盛はこれを見て対岸まで駆け入ろうとしたが、兼松に制止された。兼松が今だと川に馬を乗り入れると直盛もこれに続いて敵へ向かっていった。
その後、敵が逃げ去るのを追撃しようとした味方を兼松が押しとどめた。
直盛が理由を尋ねると「敵はもう陣を整えており、追いかけても逆撃で味方が崩れるだけです。敵の百々や木造は歴戦の将ですので、踏みとどまっても地の利がないと判断し、今にも引いていくに違いありません」と言い、
銃弾が飛んでくる中を兼松は落ち着いて敵に向かい合っていたが、しばらくして織田軍は引揚げていった。

岐阜城を包囲した際、直盛が町口で床几に座って「敵が討って出てくればもう一戦だ」と言ったが、兼松は「敵はもう(東軍と戦を交えるという)一面目を果たしたので、もう討ってこないでしょう」といった。
結局戦は生じず、岐阜城は降伏した。

戦後、直盛が兼松を饗応し「今度の戦は悉く兼松殿の言われる通りでした。ところで安井が討ち死ぬとどうして思ったのですか?」と尋ねた。
兼松、「川を渡って先陣する場合、対岸まで二十、三十間手前で敵を横さまに後に続く味方へ大声で名乗りをあげるべきでしょう。
それもしないで敵中に切り込んでいくのは、無駄死をするだけです。『時や地の利によって進退の仕方も変わる』とはよく言ったものです」と返すと
一柳も「六十になってもまだ武功を挙げられるんですなぁ」と語ったそうな

歴戦の勇士ならではの話
『常山紀談』




829 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2015/10/13(火) 16:53:38.28 ID:w488rpKL
ためになりますね

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偽らず飾らず・兼松正吉

2012年10月04日 20:30

702 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/10/03(水) 22:34:04.44 ID:OU5HqG9m
将軍徳川秀忠が上洛の途中、尾張熱田において多くの国衆の出迎えを受けた。
その中に兼松又四郎(正吉)という老人の名が見え、これは古兵の聞こえた者であったので、その夜、土井大炊頭利勝が
秀忠の使いとして兼松の自宅に赴き、3つの質問をした。

「公方様よりお尋ねになったのはこの3つでござる。

第一の質問は、織田信長公と今川義元公との合戦、いわゆる桶狭間のおりの貴殿の手柄はどういったものであったか。
第二の質問は、刀根山の合戦において信長公より足半(踵の無い短い草履)を賜った誉のことについて。
第三の質問は、貴殿と猪子内匠(一時:信長の赤母衣衆。本能寺後秀吉に仕え、のちに秀忠のお伽衆に)のどちらが
年長か、ということである。公方様は猪子の方が年長だとおっしゃっておられた。

これらについて、いかがであろうか?」

これに又四郎
「仰せの趣、畏まって候。
先ず信長公と今川殿との戦の時には、朋輩7,8人と寄り合って打ち立ったのですが、私は2度までも
馬を乗り損じてしまい、変なことだと思ってよくよく見てみると、私は鎧を逆さまに付けていたのです。
それで、どうも不吉に思ったのでその日は合戦に出ませんでした。

それに対して朋輩達は皆手柄高名をいたして帰ってきたのに、私一人そのような始末であったので、
見苦しいことだと皆よってたかって私を馬鹿にしつつ、彼らがそれぞれ取ってきた首の血を私の具足に塗り、
仕舞いには泥を草摺に塗られ辱められました。
その上彼ら高名した者達と一緒に、心恥ずかしくも信長公にお目見えいたしました。
ですがその時信長公は、義元の首を三方に乗せられ御前に置かれ、たいへん機嫌の良い所でしたので、
手柄を立てた朋輩とともにお暇を賜って帰宅したのでした。

それから刀根山の時のことですが、宵に御触れがあったのですが私は全く油断していておりました。
ところが信長公が早くも御出馬との事を聞き、私は大慌てで、草履を履く暇もなく裸足にて駆けつけ、
なんとか高名を仕った所を信長公がご覧になり、御太刀の鞘に掛けられていた足半を下されたのです。
別に骨折りというほどのことではなかったのです。」

なんともガッカリな真実ばかりである。
ここで土井利勝は言葉をはさみ
「さて、貴殿と猪子内匠との御年齢は、確かに猪子のほうが年上であると上様の御記憶であるが、その通りで
ありますな?」

しかしここで又四郎
「いいえ、それは上様の御記憶違いです。猪子内匠は私よりも年若です。」

土井利勝、これに困った顔で
「兼松殿、上様は御記憶が良いのが自慢なのです。これは大して意味のある話でもありませんし、
ここは貴殿のほうが年若と申し上げておくほうが、何かとよろしいと思うのですが…」

が、又四郎
「ええ、あなたのおっしゃることは解ります。実は私も、ここは自分が年若だと申し上げたほうが何かと
都合も良いとも考えました。

ですが、あなたがお尋ねになった3つの質問の内、2つまで武勇についてのことでした。であればそこに、
偽りを申し上げるわけには行きません!」

土井利勝はこれを聞いて感動し、なんと貴い心がけであろうかと、そのまま秀忠に報告した。
秀忠も兼松又四郎の直良な心に感じ入り、

「偽らず飾らず、さすが武道の達人である。」

そう言って時服、黄金に御内書を添えて又四郎に下された。
これを伝え聞いた人たちはみな、兼松の名にし負う正直さを褒めぬものはいなかったという。
(武士道美譚)


参考
”足半”兼松正吉の桶狭間・いい話
http://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-1377.html


703 名前:人間七七四年[] 投稿日:2012/10/03(水) 22:45:08.34 ID:nG2FKNl/
兼松さんは伊達政宗殴ったりしてるし普通に剛の者だよ

704 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/10/03(水) 22:53:11.70 ID:zk6jy1m9
http://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-3209.html
これかw

705 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/10/04(木) 09:38:09.16 ID:EabxPmNO
政宗はよく殴られるなぁ

706 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/10/04(木) 10:00:45.36 ID:DUMiaWQG
その3倍くらい殴ってたり、きっちり落とし前はつけてるイメージ

707 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/10/04(木) 10:42:14.22 ID:yz9GYuKe
http://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-1377.html

>それで私の同僚たちが取った首の血を兜に塗ったり、草摺(股を守るもの)
>に泥を塗ったりして、さも奮闘したかのように偽装してくれました。
>そして信長様の前に出たのですが、今川義元の首を見て喜んでおられたので
>まったくお気づきにはなりませんでした。」

既に載ってたけど、こっちのが朋輩の人がよくていい話だな

”足半”兼松正吉の桶狭間・いい話

2009年02月17日 00:53

857 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/02/16(月) 00:19:47 ID:dmGh0JBT
江戸時代初期のお話。徳川秀忠は上洛の途上、尾張熱田に立ち寄った。
秀忠公がいるということで尾張藩士たちが挨拶に来たのだが、その中に
信長から足半を貰ったことで有名な兼松正吉がいた。
(参照http://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-426.html

織田家の勇者正吉がいるということで、秀忠は正吉の武勇伝を尋ねた。
「お前は桶狭間の戦いで武功を立てたそうだな。」

すると正吉は
「ああ、その時のことですか。実はその日、私は馬にうまく乗れず、
妙だなと思ったら鐙(足を踏みかけるもの)が逆にかかっていたのです。
これは不吉だと思った私は戦いに臆病になってしまいまして、
たいして手柄を立てられませんでしたが、手柄を立てた者が私を見て、
『首を持っていないのでは見栄えが悪いな。』と言いました。
それで私の同僚たちが取った首の血を兜に塗ったり、草摺(股を守るもの)
に泥を塗ったりして、さも奮闘したかのように偽装してくれました。
そして信長様の前に出たのですが、今川義元の首を見て喜んでおられたので
まったくお気づきにはなりませんでした。」
と包み隠さずに話したという。




863 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/02/16(月) 02:25:15 ID:NFeyfWrK
>857
朝倉攻めより前の話かー
まぁ偽首持って行ったわけじゃないし、泥や血糊を付けるのは割とポピュラーだったのかしらね