右馬允の意見

2017年07月26日 23:00

15 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2017/07/25(火) 23:39:11.79 ID:4l9ckoea
小田原征伐において山中城が陥落した時、こぼれ者共(牢人たちか)は多く松平周防守(康重)の手に
加わっており、彼らは頸百四、五十を得た。彼らはこれらの頸を道にかけて通ろうと思い、周防守はこれを
牧野右馬允(康成)に相談した。しかし牧野は

「はかばかしい頸を取ったわけでもない。雑人に頸をかけ置くなどというのは要らぬことだ。
結果的に見苦しくもなるだろう。ただ頸の数だけど書き付けて披露するのが良いだろう。」

周防守はこの意見に従った。

ところが、後で周防守の家来たちは
「右馬允にだしぬかれた!頸を一つづつ道にかけておけば、太閤秀吉が通った折、大いに御感にも
あっただろうし、諸軍勢の勇にもなっただろう。全く要らぬことを意見しおって!」
そう、牧野の意見を批判したという。

しかし牧野は彼らを偽ったわけではない。ただその時の状況の判断が薄かったので、
このような批判を受けたのであろう。

(士談)


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先んずれば人を制す、という事です

2017年06月01日 12:25

972 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2017/06/01(木) 10:13:09.16 ID:mK/jFESw
牧野右馬允(康成)の所に、伊賀甲賀のあぶれ者たちが武者修行と号して高國寺に滞在していたが、
織田信長生害の沙汰(本能寺の変)の事聞こえ、この者たちもこれを囁き色めく体であった。

これを稲垣平左衛門見て、右馬允に申した
「彼らの残らず、暇を与えるべきです。」

「現在の情勢は、一人でも人が多いことが求められるのに、どうしてそうするのか?」

「先んずれば人を制す、という事です。彼らの風情には見届けがたいものがあります。
こちらから先に暇を与え、『妻子たちも心もとないであろうから、早々に在所に帰るように』と言えば、
彼らも快く受け入れるでしょう。」

これを聞いて牧野は暇をとらせ、帰りの路銀まで与えた。そしていずれにも
『今度の儀であるから、本来なら先途をも見届けるべきであるが、たって暇を取らせる。
その上で家康公の御帰国に遭遇した時は、一層の忠節を仕るべし』
との誓詞をさせて帰した。

まことに要らぬ者を留めては、却って諸人の機をもうしない、惑いも産んでしまう。
この処置は早く機を知る故と言うべきであろう。

(士談)


973 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2017/06/01(木) 12:37:41.93 ID:79OXoLCr
絶対戻ってこなさそうだが大丈夫か

974 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2017/06/01(木) 14:25:28.77 ID:FaGXxtNv
>>973
戻ってきたら困るだろ

975 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2017/06/01(木) 18:58:01.67 ID:dghqAmSn
家康公のご帰国に遭遇したのかな
伊賀越え成功した以上、こいつらは手出ししなかったんだろな

牧野康成の下に刀を売ろうする商人がやって来た

2012年05月29日 21:00

590 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/05/29(火) 01:13:55.22 ID:7rmc/ymV
↑で牧野さんの話が出てたのでコッチに投下



ある日、牧野康成の下に刀を売ろうする商人がやって来た。

康成はじっくり観察すると
「素晴らしい。これは良く切れそうな刀だ」
どうやらその刀は業物であったため、これを購入した。

その後、家康が家中の名刀の切れ味を試すために試し切りを行った。
康成も件の刀で試し切りに参加することになった。

そして刀を購入した経緯を説明し、いよいよ試し切りを行うことになった。
自らの眼で業物と判断しただけに、もしここで切れなければ恥をかくことになる。

緊張の余り康成はしばし目を閉じた。

「私の目利きの通りに切れてくれよ」
と念じ、刀を下ろした。

果たして試し切りは成功した。土壇まで切入り、斜めの様子でもない。
康成の喜ぶ様子を見た家康は大いに笑い、その刀を「目眠刀」と名付けるよう命じた。
康成が目を閉じた姿が眠っているように見えたためであろう。
この刀は代々家宝とされた。

なお、この刀は保昌五郎貞吉の作である。





593 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/05/29(火) 06:37:17.17 ID:8MV6Ap8A
>>590
相変わらず権現様のネーミングセンスは(ry

594 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/05/29(火) 09:31:40.08 ID:5Kr5mr72
もうそれなら「目民 刀」でええですやん

595 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/05/29(火) 12:45:19.29 ID:v5zuIKCW
ニッカリ青江のネーミングセンスの良さに脱帽

596 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/05/29(火) 14:12:11.18 ID:5Kr5mr72
「歌仙とかどうよ、歌仙とか?」

597 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/05/29(火) 14:14:51.09 ID:xLzD3Eot
「人間無骨だろ、ヒャッハー」

598 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/05/29(火) 16:16:41.96 ID:PF9fZ59I
「(`●∀・)<燭台切忘れんな」

599 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/05/29(火) 19:29:20.15 ID:eUQVcFC6
人間無骨って鬼武蔵が命名したん?

600 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/05/29(火) 19:48:17.68 ID:alqFc2Lx
長宗我部って苗字もネーミングセンスがねーなー

601 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/05/29(火) 20:43:30.89 ID:rZk28FRG
>>594
「自民 刀」にみえた

602 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/05/29(火) 21:15:52.31 ID:njCxX0oL
どれも圧切よりはマシだと思う

603 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/05/29(火) 21:38:39.06 ID:PF9fZ59I
なんでどいつもこいつも家臣手打ちにした刀に銘付けたがるんだろう…

604 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/05/29(火) 22:26:49.75 ID:34eWGKwa
思い出作り・・・かな?

606 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/05/29(火) 22:37:15.77 ID:xLzD3Eot
>>604
クソッ、こんなんでwww
[ 続きを読む ]

「科銭の壷」異説

2012年05月28日 20:59

577 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/05/28(月) 17:57:19.50 ID:ZwBFD524
ttp://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-138.html
↑と似てるんだけどちょっと違う話。

牧野康成がとある高価な茶壷を買ったという話が太閤秀吉の耳に入った。

「半右衛門の身分でこのような重器を欲しがる必要はない。罰金だせ、罰金」

こうして金一枚を上納したというので主君の家康は笑った。
後に牧野家ではその壷を『科銭の壷』と名付けて珍蔵したという。




578 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/05/28(月) 18:03:08.03 ID:ZZteM4Vd
>>577
前の話は「はてなの茶碗」みたいだと思ったけど、どっちが本当なんだろ。

579 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/05/28(月) 18:07:12.61 ID:hPwzDujF
どっちにしても秀吉の遊び心みたいなのがよく出てる逸話だなw

579 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/05/28(月) 18:07:12.61 ID:hPwzDujF
どっちにしても秀吉の遊び心みたいなのがよく出てる逸話だなw

580 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/05/28(月) 18:28:25.56 ID:a8BeXYQt
ほんとに皆で茶器を愛したんですね。今で言うとAKBグッズを
集める感覚なのかな

581 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/05/28(月) 18:43:18.61 ID:d92vQIDx
小学生の頃クラスで流行った牛乳瓶のフタ通貨みたいなもんだろ

582 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/05/28(月) 20:31:49.15 ID:aRqkqxJd
AKBグッズや牛乳ビンの蓋で生き死にの戦いはしないけどな

583 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/05/28(月) 20:33:20.20 ID:ZZteM4Vd
タイのスンコロク行ってきたよ。
本当にどってことない雑器なんだけど、あれが博物館のガラスケースに入っていると良く見える。

584 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/05/28(月) 21:44:48.02 ID:gIdwCbCa
趣味に生きるって大変なんだよ

585 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/05/28(月) 22:29:24.08 ID:guyIHvgq
茶湯御政道で名物所有がステータスになったから趣味とは些かかけ離れた物かもしれない。
政府公認AKBグッズが数十億とかで取引されるようになったら命も掛かるかもしれん

ところでAKBてAkimotoがKamoからBottakuruの略でいいのか?

586 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/05/28(月) 22:35:33.43 ID:lOowyNTa
名物はもってればステータスになるし、有事の際は売り払って資金に出来るから
余裕があったら1つくらいは……って気になるのかもな

587 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/05/28(月) 23:16:13.66 ID:fmCf3JMv
三斎さまがご親戚とともに名物を拝見したいと来意を告げられております、歓迎しますか?

ニアはい
  だい

豊臣秀吉と牧野康成「科銭の壷」・いい話

2008年10月16日 11:37

974 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/09/10(水) 15:24:45 ID:q4JQeDWc
徳川家康の有力な家臣である牧野康成の元に、商人が茶壷を売り込みに来た。
商人曰く、これは大変に貴重な茶壷だという。茶のことを良くわからぬ牧野、これに大金を払って買い取った。
が、後にこれは真っ赤な贋物と判明。牧野はやすやすと大金を巻き上げられたのだ。

それを聞いた太閤秀吉。牧野をその茶壷とともに呼び寄せた。

「こんな贋物をつかまされたのか!わしが見ても贋物だとわかるわ!おぬしも馬鹿じゃのう。」

「はあ、まったく。馬鹿でございますなあ…。」

あまりにがっかりしている牧野を気の毒に思ったのか秀吉、

「よいよい。お主ほどの侍がこんなことで損をするのは、この太閤が許さない。」と、茶壷の代金に加え、
黄金一枚を添えて、牧野に下したのだ。
これを主君家康に報告すると、家康も面白がって、「なんと、贋の茶壷が金を産んだわ」

そしてこの茶壷は、「科銭の壷」と呼ばれ、天下に喧伝され、牧野家の家宝とされた。

贋物が、本当の銘物になってしまったお話。


参考
「科銭の壷」異説
http://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-6452.html


976 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/09/10(水) 21:21:58 ID:QWpZHWNv
>>974
その人、長岡藩主の家系の牧野康成と別人なんだよな
なんだって同世代(6歳違い)で牧野姓で康成が2人いるんだ(読みや仮名は違うが)

977 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/09/10(水) 22:02:10 ID:CE8wvKZJ
まあその頃は諱で呼ぶことはほとんどなかったしな