971 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2022/01/21(金) 16:27:07.07 ID:i+8pRNNV
関白豊臣秀次が二十八歳の時、文禄四年七月十五日、高野山の青巌寺に於いて御切腹された。
これにより秀次の柄臣寵臣も所々にて自殺する中に、木村常陸介(重茲)は検使である松田勝右衛門に
向かって言った
「今度関白が聚楽を出て伏見に赴かれることに決まった時、私は秀次公に
『太閤(秀吉)に御対面さえあれば、至親の御仲ですから、讒間の事も明らかになるでしょう。
しかし対面もされず、中途に於いて僻地遠島に追放されるか、甲斐なく御身を白刃に割らせられるか、
必ずこの二つのどちらかになるでしょう。
ですので、太閤の使者を斬って棄て、諸大名の妻子で聚楽に在る者達を人質とし、罪が無いという事を
糺させ給えば、和となっても固く定まり、また戦となっても勇を遺します。であるのにどうして、
巣穴を離れて猟人の箭鏃にかかろうとなさるのですか!』
そう、二度にわたって諌め申し上げたが、秀次公は『私がどうして太閤に敵するだろうか』と、
終に御承引無かった。然れば、関白に於いて太閤に対する異心が全く無かった事を推測されるべし。
願わくばこの旨を台聴に達して頂ければ、その恩は泉下に至っても忘れない。」
このように言ったのを、松田は折を見て太閤に語った。太閤はその志を愍んで、妻子に米百石を
賜った。妻子たちは京都誓願寺の近所に居住していた。
(志士清談)
関白豊臣秀次が二十八歳の時、文禄四年七月十五日、高野山の青巌寺に於いて御切腹された。
これにより秀次の柄臣寵臣も所々にて自殺する中に、木村常陸介(重茲)は検使である松田勝右衛門に
向かって言った
「今度関白が聚楽を出て伏見に赴かれることに決まった時、私は秀次公に
『太閤(秀吉)に御対面さえあれば、至親の御仲ですから、讒間の事も明らかになるでしょう。
しかし対面もされず、中途に於いて僻地遠島に追放されるか、甲斐なく御身を白刃に割らせられるか、
必ずこの二つのどちらかになるでしょう。
ですので、太閤の使者を斬って棄て、諸大名の妻子で聚楽に在る者達を人質とし、罪が無いという事を
糺させ給えば、和となっても固く定まり、また戦となっても勇を遺します。であるのにどうして、
巣穴を離れて猟人の箭鏃にかかろうとなさるのですか!』
そう、二度にわたって諌め申し上げたが、秀次公は『私がどうして太閤に敵するだろうか』と、
終に御承引無かった。然れば、関白に於いて太閤に対する異心が全く無かった事を推測されるべし。
願わくばこの旨を台聴に達して頂ければ、その恩は泉下に至っても忘れない。」
このように言ったのを、松田は折を見て太閤に語った。太閤はその志を愍んで、妻子に米百石を
賜った。妻子たちは京都誓願寺の近所に居住していた。
(志士清談)
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