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据物斬り由来

2015年05月19日 17:26

谷大膳   
794 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2015/05/18(月) 21:05:40.04 ID:9xqyieu+
刀剣の利鈍を試すために、据物(罪人の死骸)でためすと言うことは、そもそも後世になって始まったことで、
昔は罪人の首を斬ってその切れ味を見て足りるとしていたそうだ。

織田信長の時に、谷大膳亮(衛好)が鷹狩に出て、死人が田の間にあるのを見つけ、ふと気が付き、
死体を田のあぜ道に据え置いて差していた刀を試してみた。
この事から、土段(土壇)据物という事が起こったという。

(明良洪範)



795 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2015/05/18(月) 21:15:55.48 ID:tlRo1MFZ
腹に据えかねた家臣で試してみた

796 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2015/05/19(火) 09:55:25.65 ID:Om1TKgEB
しかも三十六人も

797 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2015/05/19(火) 15:08:53.27 ID:De3nPYMt
百姓でいいじゃん
幾らでも代わりがいるだろ

798 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2015/05/19(火) 16:21:41.74 ID:tibU7t1E
…そう言っていた彼が落武者狩りで首級を取られたのはそのすぐ後でした

799 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2015/05/19(火) 17:07:43.95 ID:MSqhc5Vn
お百姓さん「ウチの田んぼのあぜ道にバラバラ死体が遺棄されてた・・・しにたい」

800 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2015/05/19(火) 17:25:03.97 ID:dccwnytO
真面目な話すると戦国時代の百姓は個人ではなく、「惣村」という軍事力を持った法人のメンバーだから、
武士がうかつにそれを殺したら、即座に惣村単位での一揆や逃散で、報復や領主への圧力をかける。

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谷大膳と秀吉・悪い話

2009年04月09日 00:11

谷大膳   
490 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/04/08(水) 00:17:20 ID:I53Te73z
織田信長の配下に、谷大膳という武勇の士があった。彼は、信長の軍議にも参加を許されるほどの
信頼を得た家臣であった。

天正六年、秀吉の播州三木城攻めの時の事。秀吉はこの谷大膳を、自分の寄騎にしてほしいと
望んだが、信長はそれを許さず、加勢として送った。

その日大膳は既に、敵三騎と馬上にて槍を合わせ、ことごとく討ち取った。
そこで秀吉、今度は三木城の出丸である、”かさの丸”を攻めてほしいと頼んだ。これに大膳は、
「あの出丸は堅固であり、容易に攻め取れるものではない」と答える。

すると秀吉「日ごろ勇名高い大膳も、小城一つ攻め敗れぬのか?」と言い出し、その言葉に大膳は激怒、
これに秀吉も刀の柄に手をかけ一触即発の空気となる。が、そこに竹中半兵衛割って入り
「戦場の勝負こそ力を尽くすべきであろう!これは一体いかなる事ですか!?」
そうして蜂須賀小六も現れ、秀吉を抑えて引き下がらせた。

その夜、大膳の陣屋に秀吉、酒肴を持って現れた。「大膳殿、今日の武功は抜群でありましたぞ。
先ほどの事は全て私の過ちであり、大変後悔している。」秀吉はこのように謝罪した。
翌日、大膳は手勢を率いて、”かさの丸”を攻めた。

城の者たちもここを大事と防ぎ、激戦となる。
士五十騎、歩兵二百で城戸口を押し破りにかかるが、手負い死人、数知れずという状況となった。
そして終にこの城戸を押し破るが、大膳自身も数箇所に傷を負って跪いていた。
それを発見した三木方の、猩々皮の羽織を着た法師武者が引き返し大膳に向かう。すると大膳、

「私はもう疲れた。近寄って首を取れ。」

と呟いた。それを聞くとこの法師武者、走りかかって一太刀打つ。が、この時大膳、まだ諦めてはいない。
敵の草摺を取って引き寄せ、脇差を抜いて刺し貫いた。するとさらに三木方の者が引き返し
大膳を斬りつける。そこに当時十七歳の大膳の嫡子、出羽守が走り寄り、三木方の者たちを
打ち据えたが、その時大膳既に、息を引き取っていた。

秀吉は大膳が討ち死にした事を聞き、せめて屍骸であっても対面したいと陣屋を訪れ、
惜しい人を亡くしたと、涙に暮れたのだとか。

そんな、色々と考えさせられるお話。