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養生というのは毎日の食事と性交によって決まります

2021年03月02日 16:04

951 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2021/03/01(月) 23:26:03.62 ID:0InPvIGA
曲直瀬道三松永久秀にあげた「黄素妙論」冒頭
黄帝「昔の聖人の寿命は千歳を超えているのに、現在は数十年。
それに現在は不健康なものが多い。これはどういうことか?」
素女「父親、母親の体質もありますが、一番は養生の問題です。
養生というのは毎日の食事と性交によって決まります。
少年や血気盛んな壮年の時に飲食を慎み、性行為もほどほどにしておけば病気になりません」
(このあと正しい性行為がどのようなものかについての詳述)

これを読んで鈴虫の餌を減らしたのだろうか
カロリー制限でショウジョウバエ含めいろいろな生物の寿命が延びるのは判明しているけど



952 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2021/03/02(火) 11:57:03.84 ID:vrOhN7/u
このおじさん多趣味すぎるだろ

953 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2021/03/02(火) 15:37:00.50 ID:qnjftz2d
道教によると幼女の淫水を飲めば不老長寿が望めるそうだ
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曲直瀬道三の治療記録

2020年08月24日 18:03

461 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2020/08/23(日) 22:46:24.30 ID:xUNySztR
医学天正記』より
戦国最高の医師、曲直瀬道三の治療記録を抜粋。順番は「史籍集覧」そのまま

天正11年
片桐且元(40余歳)、酒を飲み過ぎて吐き、風邪の症状。右の手が張って脈はやや速かった
徳川秀忠(30歳)、風邪の症状で頭痛、声はかれて咳と痰が出る
豊臣秀吉、大坂において風邪の症状、涙が流れて声はかれて乾き、喉に痛み
慶長7年
浅野幸長(30余歳)、寒気を覚え、その後に左の腹に痛みを覚える。下痢
織田有楽斎の女中の老母(70余歳)、寒気があって汗が多く出る。脈は少し速い
天正(16日)
誠仁親王、撹乱し、前日の飲酒が過ぎていた。早朝に吐いて悶絶した。半井通仙軒が脈を診た。
半井はひきつけと診て、心臓と肝臓が弱っていると伝えた。諸臣は納得せず下がった。
また、盛方院浄勝は熱射病と診断し、葯(よろいぐさ?)を献じた。一日一夜献じたが、吐いて苦しむことは変わりなかった。
私(曲直瀬)が診たところ、熱射病だけではなく、肧と腎を悪くしていて、その上に飲酒が過ぎたので撹乱した。酒の毒を消す葯でなければ効果はないと診察したところ、諸臣は納得した。
葯を処方すると、翌日症状は治まった。私は法眼の号をたまわって再三辞退したのだが、堅く宣案をいただいたので頂戴した。
天正15年春
毛利輝元(35歳)、秀吉の命令で島津討伐に出陣し、豊前小倉にいたとき、下痢と下血が止まらず、心臓の下が堅くなっていた(?)。
左足のすねは腫れ、骨は痛んで歩けず、私は秀吉の命令で小倉に赴き、これを治療すること十数日。
輝元の足の痛みはほぼなくなり、馬に乗って豊後をへて日向に入り、私はこれに従ってさらに治療した。
島津征伐の後に軍を引き、輝元は安芸吉田に帰り、秋には回復。そのため私は京に帰った。
大野治長(30余歳)、長年の下痢が再発、大便のあとに血が出た
慶長5年
小早川秀秋(18、9歳)、酒を飲んで嘔吐。胸が苦しくまったく食事をせず。尿は赤く舌は黒く乾き、脈は細い
勧修寺晴豊(50余歳)、酒食が過ぎ、小腹が痛く吐き気がする、大便はできず不通、脈は少し速い。薬を飲んだ後、二時間後に吐いて大便が出て腹痛が止まった。
文禄2年
豊臣秀次、長らく上顎を痛めている。熱があり、顔は赤くむくんでいる
豊臣秀次、気が滅入る感じがあって、熱海に湯治。はじめの6、7日はかなり食事も進んで気力が改善した。
ところが入浴が過ぎたために気が逆に上って胸を塞ぎ、痰とぜんそくが現れて寝ることもできなくなった。
その後に私を召して脈を診るに、血管は緊張しており、脈はうつろだった。足は冷えて膝にいたり、心臓の上に気があって、その下は虚弱。
ぜんそくの声は四方に聞こえ、薬を与えると少し止まり、もう一薬で回復した
慶長3年10月2日
淀殿(30余歳)、気鬱して食事が進まずめまいを覚える
11月1日
淀殿、気鬱で胃が痛み、食べることができずに頭痛がしていた
近衛前久、気鬱、恐れおののき、酒が過ぎる。胸が熱くてもだえる。脈は少し速い

医学天正記坤』
太田牛一(80歳)、風邪の症状で発熱、汗が多く喉が渇いて水を飲みたがる。人事不省に。脈拍は多く力なし
山名禅高、常に酒を過ぎる。たんが胸に滞る
「松平陸奥守殿」(伊達政宗)、常日頃から酒が過ぎ、咳と声がれが長く続く
加藤清正、酒が過ぎ、「黄水」を吐く
黒田長政、酒が過ぎ、胸が熱く、しばしば痛む
豊臣秀頼、ぜんそくを煩い、吸引のときにうずく。食事は進まず腹は硬く腫れる
片桐且元、背中にこぶができ、頭痛がして食は少なく、味は苦く感じる
佐竹義宣、左の脇の下が赤く腫れる、痛くもかゆくもない

このほか正親町天皇や蜂屋頼隆、蒲生氏郷(まとめ過去記事にあり)ら、そうそうたるメンツや庶民も出てきます



462 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2020/08/23(日) 23:17:50.98 ID:My3xLEfl
病人多すぎ

463 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2020/08/24(月) 00:14:31.02 ID:LeK7E6P0
酒毒怖すぎる

464 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2020/08/24(月) 08:34:57.75 ID:KAicSMY6
豊臣家は呼吸器が弱いのかな?

465 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2020/08/24(月) 13:47:36.86 ID:3DJQ4Clv
つっこむのも野暮かもしれんが
片桐・秀忠・秀吉の症例は天正11年の話じゃないぞ
医学天正記』は「症例別」に道三本人が後年に編集したものなので、他の年号も同様の可能性が高い

かかる神脈は誠に神仙ともいうべきや

2019年08月04日 15:52

130 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2019/08/04(日) 13:23:44.02 ID:WVdZ04nY
これはある医者の語ったことであるが、かつて曲直瀬道三が諸国遍歴の時、ある浦方を廻っていた所、
一人の漁師の男が、その血色甚だ衰えているのを見つけ、道三はその家に立ち寄り家内の者を見た所、
何れも血色枯衰しており、このため脈を見た所、何れも死脈であった。漁師の一家は大いに驚き

「このように数人も一度に死脈など有るはずがない。浦方であるから、津波などの恐れがあるのではないか。
早々にここを立ち去って山方の方なりとも引き越すべし!」

そういって漁師は家内を進めて連れて引き退いたが、はたしてその夜津波が起こり、この浦の家々は
流れ失せ、多く溺死するものもあったとか。

診察をしても病のことでさえ知り難いのに、かかる神脈は誠に神仙ともいうべきや、と語った。

(耳嚢)



道三はその時すでに耳が遠く

2019年05月21日 14:16

932 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2019/05/20(月) 21:02:18.44 ID:0sKb7zBq
老人(江村専斎)が幼い時、延寿院玄朔(曲直瀬玄朔)はすでに壮年で、故道三(曲直瀬道三)の
世嗣として、洛中医師の上首であった。人々は玄朔を敬慕した。故道三はその時すでに耳が遠く、
療治も絶え絶えとなり隠居した故である。

玄朔の療治は盛んに流行って方々から招待された。その時は肩輿という物もなくて、大きな朱傘を
差し掛けさせて高木履で杖をつき、何処へも歩いて行った。人々が羨むことであったという。

――『老人雑話』



今大路家掛物の事

2016年08月13日 17:27

73 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2016/08/13(土) 06:57:55.72 ID:zBOsfvjT
今大路家掛物の事

官医今大路家では、先祖曲直瀬道三の教歌墨跡を掛物として神農会の時に床に掛けるそうだ。
これは道三の自筆で

『長生きは粗食正食ひゆたらり 勝手次第に御屁めされよ』

との歌が書いてある。

当主も門人も、この歌の内の"ひゆたらり"という事は何の事であるのか知らない。
相応の説をつけて申し伝えていたが、ある時信州辺り出生の人が来て、

「これはいかなる事か?」

と尋ねると、今大路の門人たちは答えに当惑し、申し伝えてきた事のみを何となく話した。

かの信州の翁は

「我らがある日山深い田舎に行き着いたときに、百歳余りの者がおった。
長生きの術でもあるのかと尋ねると、
『物知らぬ田舎人なので、その術は知らない。
このような山奥なので明け暮れ食べる物は粗食で、
もとより何の望みもなければ心に労する事もなく、このように長寿をなしている。』
と言った。
『しかしどうして長寿の益が何かあるものであろう』
とひたむきに尋ねると
『熱い湯を用いず飲まず、火の暑さに寄らないことであろうか。』
と言ったが、"ひゆたらり"というのはこの事であろう。
道三先生はこれを知って、かく詠み置かれたのであろう。」

と言ったので、今大路家の者たちは初めてこの歌の心を知ることができたという。
(耳袋)




74 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2016/08/13(土) 16:56:27.48 ID:oQUKlw7S
白湯は健康にいいのに!

道三神脈の事

2016年08月07日 13:36

49 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2016/08/07(日) 10:15:40.36 ID:IHBHVhCU
道三神脈の事

ある医者の語ったことである。
曲直瀬道三が諸国遍歴していた時、ある漁村を廻ったところ一人の漁家の男の血気がはなはな衰えていた。
そこで彼の家に立ち寄り、家内の者を見るといずれも血色枯衰していた。
脈を取って見るといずれも死脈であったので、自分の脈も取って見ると、また死脈であった。
道三は大いに驚いて、

「このように数多くの人が死脈であるはずがない。
漁村ならば津浪などの愁いがあるだろう。
早々にここを立ち去って山方へなりとも引っ越しなさい。」

と漁夫の一家に勧めて連れ退いた。
はたして、その夜に津浪がきて浦の家々が流れ失せ、多くの者が溺死したという。

「病でさえ分かりがたいのに、このような神脈はまことに神仙ともいうべきであろうか。」

とその医者は語った。

(耳袋)

天災と脈って関係あるんですかね



50 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2016/08/07(日) 10:36:41.45 ID:N0R4quLk
面相見が国中の人に死相が出ているのに気付いて、
果たして大災害によってその国は滅んだ、という話を見た覚えが

51 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2016/08/07(日) 15:48:26.47 ID:IbWqzhts
まんが日本むかしばなしで「夜中のおとむらい」という作品は夏の怪談として
ちょうどいいね。「吉作落とし」でもいいけど。
http://urban-legend.tsuvasa.com/yonakano-otomurai

52 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2016/08/07(日) 15:53:54.75 ID:ja/RODJo
なぜかサザエさんで易者が手相を見るとみんな水難の相が出ていて
すぐ雨が降ったという話を思い出した
相を見る能力は同じくらいあってもこっちはただのギャグという

「瀉する(下痢)か、結する(便秘)か」

2016年07月11日 13:25

926 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2016/07/11(月) 12:14:28.94 ID:Lvznrp/O
折々柳原の曲直瀬道三のもとに出入りしている人がいた。
道三は病人に向かって
「瀉する(下痢)か、結する(便秘)か」

と問診するのを聞いて、あるときその子細を尋ねた。

「瀉するとはくだること、結するとはくだらぬことだ」

これは気取った言い方だと思っていたとき、親類の中に商人が来て
「明朝芸州へ下りますが、御用の事はありませんか。」
と言うと

「なんと芸州へ瀉するか、やがて結せよ」

(醒睡笑)




「このコウロンはいくら?」

2016年05月23日 17:19

648 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2016/05/22(日) 23:20:34.97 ID:xreISi2k
古道三(初代曲直瀬道三)が洛中を歩いていたとき、
ある棚の傍らに青磁の香呂と思わしきものが合った。
立ち寄ってそれを見るとなかなか良さそうである。

そこでうつけのふりをして
「このコウロンはいくら?」
と問われると、中から
「なんと跳ねても銀子二枚」
とのことであった。
(醒睡笑)

跳ねる発音をすることで間抜けのふりしても、マケねーよ




曲直瀬道三、脈を診て

2014年11月13日 18:57

194 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/11/13(木) 16:59:32.04 ID:7Gf/O+oJ
毛利元就が病中の時、京都より翠竹庵(曲直瀬)道三を呼び下して、その治療を受けたことがあった。
道三は遠征していた元就に付き従い出雲に在ったが、ここで元就より付け置かれた用立ての侍と、
酒を飲みながらこのような私語を交わした

「元就公は、今のお脈から見るに、4,5年は問題ないでしょう。
5,6年過ぎましたら、夏の季節を特にご用心あって然るべきです。」

そう申したが、果たしてその年より6年経った元亀2年(1571)6月に、終に逝去された。

道三が脈を診て、6,7年経ての先兆を予め考え知った事は、まさに稀代の名医であると、
後にこの事を聞き及んだ者達は、皆そう言い合った。

道三はこの出雲滞在中、暇があったので、百八ヶ条の薬方を編録して、『雲州夜話』と題号して、
家の秘伝小切紙の中に入れ置いたと言われている。

(芸侯三家誌)

曲直瀬道三、脈を診て毛利元就の寿命を見て取るというお話。




195 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/11/13(木) 17:09:37.44 ID:QYA9CvVG
確かに暦の上では夏だ
当たってるな、すごい

196 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/11/13(木) 17:15:23.05 ID:M+/gGpcI
1570年の9月に体調を崩したらしい

197 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/11/13(木) 17:32:35.17 ID:fcbkMHGs
>>194
願わくば花の下にて我死なんこの如月の望月の頃
と詠んでその通りに死んだ西行さんも名医だったのでは?

198 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/11/13(木) 18:26:37.16 ID:3eZYSDA8
人骨を拾い集めて反魂の術で黄泉帰らせちゃうくらい名医です

200 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/11/13(木) 19:30:00.89 ID:MTdP+xM/
>>197
熊谷直実さんが往生予告したけどその日に死ねなかった話が好き
ハズレたけど『これも阿弥陀様のはからいだ』と言ってまったく動じなかったってやつ
他力本願を体現するエピソード

201 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/11/13(木) 20:29:51.94 ID:9qA/URX8
死期を予知したんなら如水さんもだね
時刻まで当ててるし

「どうさん湯」

2014年08月20日 18:54

568 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/08/19(火) 23:18:10.60 ID:OXAmeywB
戦国と言っていいか微妙だが
「信州のお年寄りが語る生活の知恵三六五日」という本に
「どうさん湯」という、古くから「どうさんころばし医者泣かせ」と呼ばれていた風邪の治療薬について書かれていた。
(味噌大さじ1杯、きざみねぎ大さじ2分の1、のりまたは生姜か柚子少々。これに沸騰したお湯をカップ三杯入れて、
熱いところを飲むと風邪の初期に効果あり)

この「どうさん」というのが、隣国美濃の斎藤道三か、はたまた医者の曲直瀬道三かと思って調べたら、
三田村鳶魚「未完随筆百種 第三」享和雑記述巻2 17「道三湯の事」に
食後に湯を飲む時、味噌汁を混ぜて飲むのを世の中の人は「道三湯」と言っている。
(曲直瀬)道三は太閤秀吉公の名医で、病気に対して薬を投与したところ、効果が必ずあったということで、
食後の湯に味噌汁を加えれば薬となること、曲直瀬道三の薬と同様に効果があるというので
このような名前がついたのだろう。

と書かれていた。戦国時代の名医の名が広く知れ渡っていたということで書いとく。




569 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/08/20(水) 04:03:32.05 ID:vePvP3rc
甲斐のトクホンみたいな?

570 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/08/20(水) 23:44:21.69 ID:cmpaBT7h
>>568
う、うまそう
これと玄米のにぎりめしが喰いたい

571 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/08/20(水) 23:49:43.10 ID:SIND0Luf
味噌ってワード出てきたせいで
ウンコ食べてる姿しか想像出来ないや

572 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/08/21(木) 00:43:50.99 ID:b74Q9C16
おみおつけではないんか?

573 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/08/21(木) 05:22:39.73 ID:chxQT8CQ
そうでしょうな
当時としては味噌なんて従軍時以外にはそうそうに手に入るもんではないのでは

574 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/08/21(木) 09:39:21.02 ID:xqAfmiYk
>>571
あんた毒されすぎや
そんなこと言ってたら普通の味噌料理食べれねぇぞ

575 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/08/21(木) 09:45:31.91 ID:WIa9Dm61
味噌煮込みうどんはアウトだが、ドテ丼はいけるわけやな。

576 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/08/21(木) 11:38:13.88 ID:25n7FkmV
>>573
味噌なんて自家製するもの
誰でもやってるよ

578 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/08/21(木) 11:55:09.07 ID:o0z3FI3y
>>576
しかしながら現在のように一般に普及したのは江戸期からとも言われてるみたいだよ

579 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/08/21(木) 12:39:40.11 ID:OmKO2R2B
>>574
こ、この板に来た時だけだから大丈夫だし(震え糞)

控えめな言葉でもって

2014年04月18日 18:27

5 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2014/04/17(木) 19:59:00.48 ID:2j5e6fX2
天正12年(1584)、曲直瀬道三がキリシタンに改宗したとの知らせは、日本全国の最高の国王である
天皇の耳に達した。その件は、デウスの教えの敵である異教徒たちによって、天皇の許では悪意に
解釈されたので、天皇はそのことで一人の使者を道三の所に遣わし、
『キリシタンの教えは道三を弟子とするに相応しくない。それは日本の神々の敵であり、神々を悪魔呼ばわりし、
まさしくそのお怒りを招く教えである。』と述べた。

道三はこれに対し、思慮深く次のように答えた。
「私はつい先日キリシタンになったばかりですから、デウスの教えが日本の神々を悪魔呼ばわりするのを
聞いたことがありません。と申しますのは、伴天連の方は、日本の神々とは人間であって、ずっと昔の
皇族や、日本の貴族の出の主要人物であることを熟知しているはずだからでございます。
むしろキリシタン宗門は、徳を説き、全てにおいて公正なことを教えるものであると承知しております。」

そして道三は、この使者が来たことを直ちに教会に通報した。そして説教役を務めている日本人修道士に、
注意するようにと、使者をして次のように忠告させた。

「もしも今までに日本の神々を、そのように悪魔と呼んでいたのであれば、今後、それらに対して
基本的な教理を説くにあたっては、天皇並びに日本の貴族に対する尊敬の念から、そのような呼び方は
せぬ方が良いであろう。それはキリシタン達に対して、天皇や異教徒の貴人が怒りを発せぬように
するためである。

それよりも御身らは、日本の神々について語る時は、それらは死すべき人間と同様のものであると言い、
その力や功徳は人間を救い得ず、また現世の事に対してもなんら利用する所はないものだ、と説明するが良い。
しかもそうする事によって異教徒たちが衝撃を受けないようにするため、控えめな言葉でもってするように。」

ルイス・フロイス『日本史』)

曲直瀬道三、キリシタン改宗を天皇から叱られてとっさに色々取り繕うというお話。





曲直瀬道三・二話

2011年12月16日 22:00

386 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/12/16(金) 18:23:04.34 ID:HtopNvdw
「戯言養気集」にあった曲直瀬道三の話を二つほど
(まとめサイトでも一つしか確認できなかったから、かぶってないはず)

曲直瀬道三の医学の講義を、毎朝百人ほどが聴講していた。
十代後半の人が多いのを里村紹巴が見て、涙ぐんだ。
↓その後の道三と紹巴の対話
紹巴「やれやれ、そなたの門弟には二十にもならないものが多い。なんと嘆かわしい」
道三「何を言われる、近頃の若い者が優秀である証拠ではないか」
紹巴「いや、そうではない。あんなに若いものが何人の人間を薬を盛って殺すかと考えてみると
おそろしくて泣けてくる」
道三「ふーん、そう言われると連歌師は羨ましい。
そなたのような達人でも、連歌で人は殺した話は聞かんからな」

387 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/12/16(金) 18:25:46.25 ID:HtopNvdw
曲直瀬道三のもとに、顔色の悪い人が来た。
「すみません、精力の落ちる薬をたくさんくださいませんか」
と言ってきたので、道三は
「はて、見た目とは逆なことを言いますな」
とおっしゃったところ、男は
「いいえ、女房たちに食わせます」
と答えたそうだ

ただしこの話は同時代の「きのふはけふの物語」では竹田法眼の話になっていて、
「醒睡笑」その他にも曲直瀬道三の名こそ出てないが、収録されている話しらしい




388 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/12/16(金) 18:38:58.89 ID:8hQi/I4Z
なんか、ブラックジョークというか、落語と言うかそんな感じだね
あと紹巴さん深読みしすぎじゃね? こういう人だったっけ

389 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/12/16(金) 18:41:29.32 ID:HtopNvdw
御伽衆の話していた笑話集なんで、落語の原型の一つかと
(他にも信長関連、秀吉関連あるが、いいとか悪いとか判断できないものが多い)
あと、紹巴さんは単に嫌味をいっただけだと

390 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/12/16(金) 19:24:34.03 ID:2SRqDEQu
  . ∩___∩ ;
  ; | ノ|||||||  ヽ `
 , / ●   ● |
 ;, | \( _●_) / ミ
; 彡、 | |∪|  |、\ ,    すみません、精力の落ちる薬をたくさんくださいませんか
./    ヽノ/´> ) :
(_ニニ>  / (/ ;
; |     | ;
' \ ヽ/ / :
, / /\\ .
; し’ ' `| | ;
      ⌒

393 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/12/16(金) 23:30:46.40 ID:8hQi/I4Z
>>390
『葵徳川三代』で、家康が側室達に
「私達にもお種をくださいませ~」って迫られてるシーン思い出した

400 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/12/17(土) 20:16:29.26 ID:ST1/3qCL
戦国時代で一番絶倫そうなのは奥州のタネ宗さん?

402 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/12/17(土) 21:12:41.34 ID:xnDSckZN
>>400
蓮如

403 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/12/17(土) 21:39:14.81 ID:3DFjjHzu
この場合は、子沢山なのか、置いてもなお盛んなのか

毛利元就と曲直瀬道三・いい話

2008年10月21日 00:15

627 名前:人間七七四年[] 投稿日:2008/10/20(月) 09:57:42 ID:5G6XLKih
こういうこともいいのかな?

永禄三年の話。
毛利元就が体調を崩していた。
当時は尼子攻め真っ最中。大変な時期である。
そんな元就を気遣ってか、将軍・足利義輝が医師を派遣してくれた。
名医とうたわれる曲直瀬道三である。

曲直瀬の治療の甲斐あってか、元就は無事体調を治し、元気に子供を作りましたとさ。
おしまい。



629 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/10/20(月) 10:07:59 ID:atgcrood
>>627
曲直瀬派遣の理由は元就が幕府や朝廷に多大な献金をしたこと。そしてこの時、曲直瀬が
幼い頃の輝元に出会っていること。毛利家はこのときの治療に感謝し続け、書状や進物での
交流を続け、秀吉の天下統一後、上洛した輝元が曲直瀬の屋敷に出向き、あらためて感謝を
述べた事、などのエピソードも入れると話が膨らむね。

633 名前:人間七七四年[] 投稿日:2008/10/20(月) 14:40:56 ID:IYotd4oZ
>>627>>628
何て読むの?>曲直瀬
くせなおせ?

634 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/10/20(月) 14:50:29 ID:5JEdKZQK
>>633
まなせ だろ?

635 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/10/20(月) 14:55:45 ID:ezr2Zgfz
まなせ じゃなかったかな