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拙者の人数はいよいよ繰り越しで

2022年12月18日 16:21

662 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2022/12/18(日) 10:10:32.74 ID:ZivHAIKe
関ヶ原の後(色々あって)、九州では立花左近(宗茂)殿の御城は肥後守殿(加藤清正)が接収した。

これに出兵していた黒田如水も、この扱いによって事済んだのだが、その夜に入ると同時に、立花に対した陣を
引き払うと薩摩へと取り掛かり、肥後の先、佐賀関という場所に陣を替えた所で、島津殿は居城へと入った。

この事について、如水の分別によって、金吾殿(小早川秀秋)の御国である筑前の仕置を申し付け、
三千石の金吾殿の御蔵米を借り受けたのだが、それは薩摩陣への用意であると言われた。

三千石の兵糧は早くも佐賀関に到着した。案の定、(徳川家康より)薩摩陣と仰せ出された所で、
肥後守は如水へこのように断りを入れた

「薩摩への入り口は肥後国です。如水の御国は後方ですから。先手は私が仕るべきでしょう。」

これに対して如水の返事は
「我々は(薩摩との国境に)既に到着しております。そちらがこちらに着けば、拙者の人数は
いよいよ繰り越しで先に出陣すべきでしょう。」

この返事について肥後守殿の分別は
「御所様(家康)が現状の御分別を変更し、突然扱い(和平)となる可能性もあるのに、如水は
指し争い早くも薩摩に入ろうとしている。これは指示を受ける下の立場の者が事を破るにも似ている。」

そのように考え様子を見ていた所、案の定、島津陣は来年の春と仰せ出になったために、如水も国へ引き取った。

川角太閤記



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是式の事は中々不苦候

2022年11月23日 19:11

484 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2022/11/22(火) 20:54:01.75 ID:NkZpqg5g
天正十四年十二月二十日時分に、豊後国より早打ちの飛脚が到来した。その内容は、
豊後国船井という場所の近辺にある、高田川という場所があり、この川を隔てて
仙石越前守(秀久)、長宗我部父子(元親、信親)が陣を取っていたが、川向かいに
薩摩衆が相陣を張った。島津方の大将は、島津中書(家久)と言った。

十二月十七、八日の頃、仙石越前、長宗我部父子はこの川を超えて合戦を仕掛けた。
朝方、戦は味方の両大将の勝ちとなり、頸数五百余りを討ち取った。しかし昼時分より、
豊後国の地の者、尽く一揆を起こし、薩摩方と一つに成って上方勢を中に取り籠め、
裏切りを仕った故に、長宗我部の惣領(信親)も討ち死にした。
それより両大将は敗軍したと、豊前に在った黒田官兵衛の所に報告されたのである。

これを知った官兵衛の分別には
「豊後では敗北したが、これしきのことは問題ない(是式の事は中々不苦候)。
この事を秘密にすれば、帰って陣中は騒ぐだろう。ただ有りの儘に毛利殿陣中に報告するのだ。
仙石越前、長宗我部程度の者が五人三人相果てようと、上様(秀吉)は自身の弱みと成ったとは
思わない。(仙石越前、長宗我部程成者五人三人相果候と申共、上様御弱みと被思召間敷)
定めて上方勢にすぐに命じて、九州へとお下りになるだろう。」

川角太閤記

川角太閤記に見える戸次川の戦いとその敗戦についての黒田官兵衛の反応。



近国の野郎の種を断つことが

2022年11月22日 19:14

642 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2022/11/21(月) 22:56:41.53 ID:kbOd9V3r
戌の年(天正十四年)は天下の御普請があり、国々の大小名が洛中に満ち満ちて伺候した。
その時までに九州は(秀吉に)属しておらず、そのため毛利(輝元)殿を豊前へ渡海するよう
仰せ付けられ、御横目として黒田官兵衛。豊後へは千石越前(秀久)、長宗我部父子が派遣された。

(中略)

右の陣所より四里隔たった宇留津という城があったが、ただしこれも高橋(元種)に従っていた。
この城主は”かく”と申し、都合三千計りで立て籠もっていた。

この”かく”は野郎大将であり、その国の所々の案内をよく存じていた。そして毛利陣のはしばしへ、
毎夜夜討、強盗を隙き無く仕った故に、以ての外に陣中も騒然と成った。

この時、黒田官兵衛殿の分別には
「薩摩よりこの地の悪党ばらが、この城に立て籠もっていると聞いた。これを残らず
討ち果たせば、近国の野郎の種を断つことが出来る。」
そのように主張し、討ち果たすことに議定した。

十一月六日、毛利殿臣下の吉川、小早川、宍戸、この三人に官兵衛殿同道して小舟に乗り、
城廻りを押し回って視察した。この城は海より十間十二、三町も隔たっており、よくよく
見聞に及んでその日の内に各陣屋へ帰り、談合の次第に、その日の夜半の頃より人数を繰り出し、
明日七日の五ツ時分(午前八時頃)、この城を取り巻いた。

大手口は黒田官兵衛の寄せ口であったが、即時に大手より攻め破った。
毛利陣の者たちはこれを見て攻め掛かり、その日の七ツさがり(午後四時過ぎ頃)には、
一人も残らず撫で斬りにして討ち果たし、頸数二千あまりであった。

その頃の首実検は天下様より派遣した横目付が担当するものであったので、官兵衛殿が
これを行うようにとの挨拶があった。しかし官兵衛殿からは「ただ毛利殿が御実検されるように」と
互いに相手に対しての挨拶が果てなく続いた。
結局、毛利殿より官兵衛殿へたっての御断りがあり、これらの頸は黒田官兵衛殿が御実検された。

また、彼らの妻子どもも翌日八日に、千ばかりも浜の方で磔にされた。

川角太閤記

秀吉の九州征伐の序盤、豊前方面の様子。



この湯に浴しただけでも傷が癒えた

2021年12月06日 19:01

220 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2021/12/06(月) 15:48:26.53 ID:cTQQ2Jd/
秦桐若は黒田孝高に従い度々勇名を得、首三十一を取った。播州の近国の者達は、彼の、長さ一間半ある
唐団扇の指物を見知っており、戦場で近づくことがなかった。秦が指物を隠して敵に近づき、俄にそれを出すと
それだけで敵勢は忽ち敗走したという。

天正十年の山崎合戦の折、彼は重い傷を負い、治療して過半癒えたが、未だ十分に回復していなかったことで、
翌年摂州有馬温泉で湯治をした所、不日に平癒した。この時秦は

「この湯に浴しただけでも傷が癒えた、これを飲めばその効能はいよいよ速やかであろう。」

と、三勺飲むと、腹痛暴泄し程なく傷口が再び破裂して忽ち死んだ。

志士清談

有馬温泉の湯を飲んだばかりに急死した黒田家の勇士のお話。




221 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2021/12/06(月) 18:23:16.75 ID:DoAv82So
当時は湯も不衛生だったのだろうな

222 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2021/12/06(月) 18:55:09.70 ID:OH6D94Dy
いや、当時の衛生観念とか考えて妥当の判断だとは思うんだけどね?
どうしてもバカにつける薬飲んだって話思い出しちゃうなこれ

223 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2021/12/07(火) 03:02:12.04 ID:iiyy02JR
温泉は湧き続けてたり殺菌効果があれば泉質は保たれるし
山崎合戦の時代なら現代ほど人で賑わう訳でもないだろうから
湯の衛性さには問題は無かったんじゃないか?
この場合むしろ問題だったのは泉質なんじゃないか?
飲める温泉も多いけど含有成分によっては飲んで体調悪化するものもあるだろう

秀吉との起請文

2020年11月30日 17:35

736 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2020/11/30(月) 15:26:11.84 ID:gfdmzC+B
黒田如水は、元来秀吉と無二の盟友であった上に、互いに片方の身代が良くなっても、片方を
必ず見捨てないという起請を取り交わしていた。

そして秀吉が天下を取られた時、如水には所領として□石を遣わしたが、彼はこれを不足に思い、
諸事やる気の無い体であった。

竹中半兵衛は又、如水と良き知音であった。ある夜、彼は如水のところへ行き、よもやまの話をしていたが、
この時如水が、かの起請の事を言い出した。半兵衛が「それを一度見たい」と言ったため、取り出して
一覧する体で眺めた。この時、火に当たっていたのだが、半兵衛はこの起請を引き裂き、火に入れて燃やした。

如水は驚いて、「これは何とするのか」と申すと、半兵衛は
「この起請があるから、秀吉に対しても不足が出来、諸事心に叶わぬことのみとなるのだ。
これがなければそのような事も無いだろう。」
と、申した。

その後は如水も仕合わせ良く、大名になったという。

勢州記事

黒田如水に、政宗の百万石のお墨付きみたいな話があったのですね。



官兵衛さんもやっていた旗指し物案件

2019年12月01日 15:40

391 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2019/12/01(日) 11:19:45.27 ID:+TBKw16C
薩摩の島津に対し秀吉公が上洛を命じた所、それを拒否したとのことで島津征伐となり(九州の役)、
毛利家にその御先手を頼まれ、検使として黒田官兵衛が差し下された。
先ず吉川元春小早川隆景が九州に渡海し、翌日毛利輝元公が渡海され小倉城に入られた。

宇留津の城には賀久孫兵衛という者が入っていたが、彼の親類である東堂(引退した禅宗の住職)を
通して、降伏して城を明け渡すよう説得したが、孫兵衛は

「親である宇留津専慶が薩摩方であり、現在香原岡に居るのを捨てることが出来ない。
御公儀に対し奉り御敵仕るのは九牛の一毛(比較に成らないほど小さい)ではありますが、
攻めかかって来ればこれを引き受け、戦った上で切腹仕りましょう。」

そのように降伏を拒絶したため、暮方より城への攻撃が始まった。双方に手負い、死者が多く出た。

この時、城の尾首の高見にあった黒田官兵衛は、攻め口より自分の指物を城の中に投げ入れた。
敵方はこれを取ると、(分捕品という事か)城内にて振り回した。

ところが寄せ手の諸人はこれを見て「はやくも官兵衛は城に乗り込んだか!」と思い、
これに負けじと惣陣より一度に城に乗り込んだ。これは未明より取り掛かり、その日の七つ過ぎ
(午前四時頃)に落城した。城主の孫兵衛を始めとして城方は討ち果たされた。

(老翁物語)

官兵衛さんもやっていた旗指し物案件。



黒田如水入道は茶の湯を嫌っていた

2018年11月29日 21:03

481 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2018/11/28(水) 19:23:41.98 ID:k9WRVOTA
黒田如水入道は茶の湯を嫌っていた。「武士の道に非ず。なんぞや刀小脇差まで外に捨て置き、
丸腰にて其の会あらんこと、沙汰の限りである。」と言っていた。

ある時、豊臣秀吉が如水を招き、数寄屋にて茶の会があった。如水としても君命辞し難く、その命に
応じた。ここで秀吉は、如水一人を客として、数寄屋にて密事を談じた。これは関白秀次生害の事であったと言われる。
他者が知ること無く、詳細に話し合いをし、終わって退出した。如水はこの時大いに茶の会に大利あることを感じ、
以後数寄の道を趣味としたという。

(士談)



482 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2018/11/28(水) 23:07:36.70 ID:n4LZlX5q
随分晩年の話だな
それまでに茶の湯に付き合わなきゃならない事なんて山とありそうだが

483 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2018/11/29(木) 09:44:07.54 ID:smPpcYRC
これが

黒田官兵衛と茶の湯

の出典か

484 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2018/11/29(木) 09:47:31.06 ID:smPpcYRC
名将言行録出典だと話はおもしろいけど名将言行録だから…となるけど
山鹿素行先生はどうなんだろ

島津のこと、それがしに征伐を命じられれば

2017年06月28日 18:59

915 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2017/06/28(水) 18:13:45.68 ID:c8upfVr0
関ヶ原の時、島津は西軍に味方し、しかも国元まで引き上げた。そのため「島津征伐を行うべきではないか」
との議論があったが、この時黒田如水が言った

「島津のこと、それがしに征伐を命じられれば、島津領国を占領すること、上下の別なく心やすく思うであろう。
何故ならば、薩摩口は鍋島が先陣を仕る事になっているので、鍋島に先陣を仕るよう命じても、それを迷惑だ
などとは言わないであろう。必ず、先手を仕るだろう。

彼らの領国である肥前は大国であり、鍋島の軍勢は大軍であるから、必ず島津との間で開戦するだろう。


だが、彼らは弓矢の作法を知らず、戦の有り様に不案内な者達なので、島津と戦って必ず敗北するだろう。
これは証拠もないことを言っているのではない。かつて高麗において軍勢を動かしかね、致しようもなく
我が方へ頼みに来たため、蝶之介という我が方の足軽大将を遣わして、ようやく立ち直らせたほどなのだ。
鍋島の兵は至って弱兵であると理解すべきだ。

そしてそのあとを、加藤清正に任せる。清正は格別の器量の者であるから、島津が勝ち誇って来る所へ
一文字に掛かれば。何の仔細もなく必ず勝利するだろう。

その後に我々の備は、袴をつけたまま薩摩に入国するであろう。

(士談)



916 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2017/06/28(水) 18:20:56.68 ID:AGoXx4dW
これが出典なのか

917 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2017/06/28(水) 18:33:33.43 ID:JTWyAlyF
チョウノスケが気になる

918 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2017/06/28(水) 18:41:58.01 ID:biNEgbmZ
こえれは鍋島を餌にした誘引戦術

919 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2017/06/28(水) 19:57:31.67 ID:ZsT2vZR/
同じ役のことで清正が鍋島さんちを戦しやすくてよかったって褒めてんのはなんなんだろね

黒田如水の大名論

2017年05月18日 21:16

910 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2017/05/18(木) 19:04:15.33 ID:/lkqHOXo
黒田如水の大名論

 今時の若い大名たちに、笑止千万な欠陥がある。
 それは、礼儀をやかましく法令を厳重に守らせようとするあまり猜疑心が強くなり、家臣たちにだまされまいなめられまいとして年寄りどもの言う事を聞かず、やたらに改革を好み新参の迎合者を近づける。
 老臣の功を忘れて遠ざける一方、新参の家老や奉行をつくるので、諸臣一般は納得しない。
 新参の迎合者は、邪欲が深いので、先輩を陥れようとする。
 徳の高い者が陥れられるので、諸臣の憎しみは主君の一身に集まる。
 大身の大名も小身の大名も、家の仇となるのはこのような新参者である。
 かつての功臣で部下の信望を集めている者を近づけその意見を尊重してやれば、家中は睦まじく諸士は安心して出仕する事ができる。
 このことは大名の心得として最も大切なことなので、いくら強調しても足りるということはない。

(古郷物語)

 なおこういう話を残した家で発生したお家騒動が三大御家騒動の一つに数えられる黒田騒動である。



911 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2017/05/18(木) 19:06:05.10 ID:kCwotbhR
栗山大膳に同情的だったのかな

914 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2017/05/19(金) 05:50:51.35 ID:1HPoejV7
>>910
秀吉を隠喩したのかもしれないw

915 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2017/05/19(金) 11:29:49.72 ID:3r0AizNy
いや愚息のことだろう

黒田如水公式設定

2016年10月29日 12:31

256 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2016/10/28(金) 22:25:21.46 ID:hT+bzspg
黒田勘解由次官孝高は、黒田職隆の嫡子である。母は明石氏、天文15年孝高を播州姫路に産んだ。
この時雪が降って、その家を覆った、これは英雄の生まれる奇瑞であった。また家門繁栄の
前兆でもあったのだろう。

孝高は天性聡明、鋭敏にして才知たくましく、武芸も人に優れていた、彼ほど勇猛、英武な事も、
また世に少なかった。古の和漢の良将といえども、彼を越えることはないだろう。
まさしく天が下した英材であり、本朝においてこの右に立てる人は殆ど居ないと言える。

秀吉が播州に初めて来た時から、これを助け、遂に天下を平らげたのも、ひとえに孝高の功である。
黒田孝高を知る人は、孝高はよく秀吉を助け、天下を平らげたと思っている。
黒田孝高を知らない人は、秀吉が孝高を取り立てたと思っている。
例えれば、漢の張良が高祖を助け、明の劉基が太祖を補佐した事に似ているが、その功は
それらを越えているのだ。

(黒田家譜)

これが黒田家譜の、黒田如水公式設定である。



257 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2016/10/28(金) 22:50:02.34 ID:a0vwWu8v
黒田家譜だししゃーない

258 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2016/10/28(金) 23:03:20.81 ID:JnJrWcR6
作者はキリシタンなんだろうな

259 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2016/10/28(金) 23:15:53.53 ID:0wqTwghO
貝原益軒はキリシタンだったのかφ(..)メモメモ

260 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2016/10/29(土) 00:31:26.90 ID:qpXB4M5+
中国の王朝開祖のテンプレートみたい

吝い上に汚いこと、世に稀である

2015年10月12日 18:34

451 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2015/10/11(日) 21:08:13.67 ID:O9Fntjyb
黒田如水に関して、瓜や茄子の皮を捨てずに漬物にするという話よりも、なお可笑しき事がある。

歳末の時期、折紙、箱、葛籠、革籠、百重張といったものを、細工人には申し付けず、
大小姓、児小姓、馬廻り、何者であっても、細工らしく張らせた。
そしてその時出た反古を食いさき、口の中にたまったものを、板に吹き付けさせ、
坊主どもに申し付けこれを念入りに乾かして、少しも散らさぬように取り集め、
白土のすさ(壁土にまぜて、ひび割れを防ぐつなぎとする材料)にさせていた。

如水は何であっても捨てることを嫌われ、普通は何とも思わないような細かなことに、
吝い上に汚いこと、世に稀であると思わせてくれる人であった。

(古郷物語)



456 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2015/10/11(日) 22:15:57.56 ID:a59pr6qI
>>451
如水ももしもの時の為にとっておくタイプなのか

伊藤次郎兵衛への手形

2015年10月11日 19:24

818 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2015/10/10(土) 19:37:58.31 ID:BHa9ax9z
黒田家家臣の伊藤次郎兵衛と言う人は、若いころ新参の無足人であったが、根強く奉公を心がけ、
日夜油断なく勤めていたのを黒田如水に認められ、3年目に知行二百石が与えられた。
もとより人に越えた気根の強い若者であったので、知行を与えられたことを忝なく思い、
その後も前にもまして少しもたゆまず働いた。

ある時、この伊藤がお目見え仕った時、如水はこんなことを聞いた
「次郎兵衛、お前は気分でも悪いのではないか?」

「いや、そんな事は有りませんが…」
伊藤はすぐにそれを否定し、如水の御伽衆たちも

「彼は殊の外、無病と聞こえています。この御家に参ってはや25年となりましたが、一時も
心の重いということは有りませんでした。」

実は黒田如水は、家中の者達が、気分が悪い、喉が痛む、物が食われぬなど、病がましいことを言うのを
常に嫌っていたため、御伽衆の者達も、ことさらに無病であることを申し上げたのである。
しかし如水

「あいつは段々疲れが見えて見苦しくなっている。さては食米が不足して、ひだるさに疲れているのだろう。
よし、食米を取らせる!」

そう言うと自筆で手形を書き、

「これにて飯を炊かせ、食いたいほど食うが良い」

と、伊藤の方に投げた。罷り出て戴き、次の間でその手形を見ると、なんとそれが五十石加増の手形であった。
実は伊藤はこう思っていた。
『如水様が食米と言っている以上、せいぜい五俵から十俵程の手形であろう。しかし何ほどであっても、
いままで奉公に精を入れていた所を見ていて下さっていたのだ。』
そう嬉しく思っていたのだが、五十石の手形を見て、肝をつぶしたという事である。

(古郷物語)



819 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2015/10/10(土) 23:18:15.57 ID:JIT+3Gex
社長表彰の副賞が寸志程度だと思ってたら、とんでもない額だったみたいなオチか

820 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2015/10/11(日) 09:00:52.38 ID:QYWKA/Qj
一石で成人一人が一年間に食べる量だっけ?
どんだけ食わせる気だw

821 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2015/10/11(日) 09:20:45.27 ID:mQLzoH1z
最近思うんだけど、人間、頑張っても他人の倍までが仕事できる限界だよね。
3人分は回んないわ。

黒田如水「人を殺すというのが、どれほど重大なことか」

2015年10月10日 18:39

800 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2015/10/09(金) 18:51:44.43 ID:sZtCnp/b
ある時、黒田如水が作事奉行に、「木くずや用に立たない木の切れ端を、念を入れて取り集め、
風呂屋に渡すように」と申し付けた。ところが

「木くずは、大工が回収したもの以外は長屋の者が皆盗みましたので、少しもありません。」

これを聞いた如水は怒った
「木くずを盗んだ者たちを捕り搦めよ!首を斬るべし!!」
そう厳しく申し付けた。

これを聞いた作事奉行は思った。「如水様は慈悲深く物事に柔らかであるから、このような法度も
徹底しないのだ。これは法度の徹底のために、かえって幸いのことである。」

そう思い注意して作事場を監視し、その夜には早くも木くずを盗んでいるものを見つけ搦め捕らえてみると、
それは草履取りだった。その者の主人は彼が捕らえられたことを迷惑に思い、人を頼んで色々と
詫び言したが、奉行は「固く申し付けられた事であり、許すことは出来ない!」と申し付けた。

奉行は盗人を捕らえたことを手柄立てに如水に申し上げた。如水は内心「たわけたやり方だ」と
思ったが、「よくやった。後で首を斬ろう。」と申し付けた。
奉行は斬首が今日か明日かと思っていたが、4,5日延びた。
如水としては「きっと詫び言が出るだろうから、その時、いかにも厳しく恐れるように言った上で
許すのだ。」と思い、詫び言があるのが遅いと待っていた。

そんな時、留守居の者が作事奉行を同行して罷り出た。作事奉行は聞いた
「木くず盗人は、今夜首を斬るべきでしょうか?長々と縛りおいていると、日夜
その番に人も入ります。」

この言葉に如水は激怒した
「大たわけめ!物をよく聞け!その木くずを盗んだものの首を斬り、盗んだ木くずに、
彼の着物を着せて使ってみろ?それが人間の役をすることはない!
人を殺すというのが、どれほど重大なことか解っているのか!?それをおまえは何とも思っていないようだ。
彼を急ぎ赦せ!」

そう申し付けたため。奉行はかえって叱られ、面目もなく盗人の縄を解いた。

「厳しく仰せ付けられたから、見つけ次第に縛ると宣言し、盗人たちに『本来首を斬るべき罪なのだ。
今後構えて盗んではならない。大変なことに成ってしまうぞ。』としたたかに脅し、盗まれぬように
することこそ奉行をする者のやり方なのに、どうして黙って盗ませ、捕らえて、急ぎ首を斬れなどと
申してくるとは。全くもって、主の為にならぬ覚悟である!
己の役をさえ勤め、良きように仕事をすれば、人の迷惑も、主の為も構わぬと考えているのだ。」

如水はそう思ったのであろう、その作事が終わると、この奉行には重ねて役を申し付けること無く、
遠ざけた。このことは、如水が後日語ったものである。

(古郷物語)



801 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2015/10/09(金) 19:14:08.54 ID:E2zbjZW+
主の言うことを真面目に聞くと馬鹿をみる

802 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2015/10/09(金) 20:12:33.79 ID:P6yRHuhm
こういう家風だと愚直な三河者みたいなのはやってられないな

803 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2015/10/09(金) 20:27:54.77 ID:K/raKVWt
あほな上司で奉行がかわいそうやなw

804 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2015/10/09(金) 21:15:10.14 ID:L5gHh0gn
市松みたいに酒飲んでて命令した内容忘れちゃったのかな

805 名前:人間七七四年[] 投稿日:2015/10/09(金) 21:25:07.25 ID:Rf5ZWUVV
跡継ぐ長政のために家臣に嫌われようとしていた時期の話かな?

806 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2015/10/09(金) 22:06:57.62 ID:Ym1a6QgQ
悪い話で盗みを重ねた中間を追っ払えと怒鳴り散らした逸話のあとにこれか
やるなあw

807 名前:人間七七四年[] 投稿日:2015/10/09(金) 22:15:40.15 ID:CbrSMVmd
>>800
これのどこがいい話なのか?

808 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2015/10/09(金) 23:23:45.88 ID:b/HxYO8G
首を斬られる罪人が命長らえた良い話

809 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2015/10/09(金) 23:53:06.57 ID:WE0alqGT
金正日の車を検問で停めた兵士が、最初はちゃんと仕事してると褒められたが
2回目に車停めたら、何で車を覚えていないんだとキレられて処刑された
話を思い出したw

上に立つ人間が法を守らないで気分次第のとこは危険

810 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2015/10/10(土) 00:40:51.80 ID:7Z1ooVW6
それでも貝原益軒なら、貝原益軒ならちゃんと官兵衛アゲアゲ話にしてくれるはず!!

811 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2015/10/10(土) 01:43:30.83 ID:sJpBltH4
>>809
あまり関係ないけど、ダイエー創業者の中内氏は自社の店舗を視察する時も率先して、出入管理簿に自分で記入してたってね、店のルールで決まっているから

結局は戦国に例えると敗北して他家に占領されたような形になったけれど

黒田如水「首を切るのは要らざる事ぞ」

2015年10月09日 12:26

422 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2015/10/08(木) 23:13:41.06 ID:dcYCBE5X
黒田如水の中間に、盗みをした者が出て、組頭たちが如水に申し上げた
「彼はこれこれの盗みをいたしましたので、捕らえて搦めおきました。
ご成敗されて然るべきでしょう。」

しかし如水はこれを聞いて「首を切るのは要らざる事ぞ、早々追い出せ」と命じた。

「いや、彼が盗みをするのた度々のことです。是非とも首を斬るべきです!」
組頭たちは再びそう申し上げた。しかし如水

「それこそ上々の事である。度々盗みをするというのは、よくよく盗人に産まれついた者なのだろう。
急いで追放せよ。追い出された先でもきっと盗みをするだろう。彼はそこの領主に斬らせれば良い。

だいたいお前たちのやり方は何だ?度々盗みをしているのを知っているのなら、どうして今まで
そのまま置いておいた?1度やっただけでも合点のあるべきだ!」
そう、したたかに叱りつけた。

(古郷物語)



423 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2015/10/08(木) 23:36:12.59 ID:Yl5kjjlJ
改心させようとか命には使い道がとかいう綺麗事が無くてよいと思います(小並

424 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2015/10/08(木) 23:56:18.15 ID:XL8unw7h
ガチで性格悪い人の対応だな

425 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2015/10/09(金) 10:06:19.69 ID:69L6ypXj
きっと追放先は細川領だな?

426 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2015/10/09(金) 11:10:35.47 ID:zqR3s8Bq
なんだかんだ言って助けちゃう官兵衛のいい話だろ

427 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2015/10/09(金) 11:13:36.93 ID:6K4fuHS1
跡継ぐ長政のために家臣に嫌われようとしていた云々の時期ではないよな

如水の兵士応募に参加した人々

2015年09月27日 13:57

750 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2015/09/27(日) 09:46:44.86 ID:xn1Ub7CY
関ヶ原の役が起こると、中津に在った黒田如水は、兵を集めるためこうお触れを出した
『諸浪人、親掛かりの者をはじめ、歳寄って隠居した者、百姓、町人、諸職人によらず、
望み次第何者であっても罷り出でるように。』

これに人々、我も我もと罷り出た。もちろん武具一式を持たない者達多かったので、黒田家では
普段出入りの業者より古い捨て道具などを乞い集め、鞍骨を一緒に乞い、切付、肌付を片方ずつあてがい、
轡、片鐙は縄で、具足の無い者には紙羽織の後口に朱にて紋をつけ、兜のない者には竹の皮笠の周りに
四手を付け、痩せた馬に乗り、中間一人に馬を引かせて槍を持たせるような者も多かった。
しまいには、知人の陣屋に飛び入り、これに馬人養われて陣を務めるような者もあった。

その者が言った、「このような見苦しい体では出陣すべきでないと思われるかもしれませんが、
私も若い時は侍の真似をしていました。しかしこの国が京から来た人(黒田家)の物となり、
私は本領を離れ、詮方無く百姓をしていましたが、慣れぬ業ですから、口を過ぐる事も出来かね、
餓死にも及ぼうかという有り様を口惜しく思いながら、自害することも出来ず遺恨に思っていた折、
思いもよらず乱が起こり、先祖の家業を継ぎ、もう一度侍の真似を仕り、討ち死にできることの嬉しさよ!」

また、職人にもこのたぐいの参加者が多かった。

笠冠をかぶった百姓の中の、樋田山城守・小城源兵衛という者は、昔の代には一城の主であり、
人をも引き回し、度々手柄を仕った者達であった。

また職人たちが俄に侍になった事について、日頃より関係の在った裕福な町人たちがこんな意見を言った
「親が何であったとしても、入らざる武士立てである。今の分で、鉄などを吹いていたほうが良い。
きっと炭や地金の代金がなくて、それを惜しんで参加したのだろう。」
そう言って笑った

この時笑われた職人たちは、戦後正式の武士となり知行を取ったものも多かった。
金は失せやすいものであり、笑っていた金持ち達は、程なく財産を失い、乞食となり、
笑われた者の知行の内に行き小さな屋敷に乞い、鉢を開き、終には餓死したものもあった。

こういった者達がもし思い立っていれば、その頃裕福だったのだから、一廉綺麗に支度も
あい調ったであろう。元来侍の果てでもあったのだから、武士として取り立てられ知行取りに
成ったこと疑いないのに、その気性が甲斐ないために、そういう将来を捨て去ってしまったのだ

とにかく侍というものは、とりわけ気概を持たない者は、何の役にも立ち難いと見えたり。

(古郷物語)

関ヶ原の折、黒田如水の兵士の応募に参加した人々についてに記事である。



751 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2015/09/27(日) 17:31:12.93 ID:vOxey6zv
これって結局どっちにしてもおちぶれるんじゃね?
気概のない者は選択の余地なしってことだよね

大村由己が申し上げた通り、吉野の花も今が盛り

2015年08月25日 12:17

598 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2015/08/24(月) 18:30:55.00 ID:SwsAnAYe
本能寺の変の報を聞いた羽柴秀吉が、いわゆる中国大返しから姫路城に入ると、大村由己がこのように
挨拶を申し上げた

「今の世間の様子を物に例えれば、名花の桜、ただいま花の盛りと見えます。
お花見されることがご尤もと存じ奉ります。」

この大村由己は下天第一と呼ばれるほど歌道に深い造詣を持つ人物であった。
その場の人々は「由己には流石に、似合いたる挨拶である。」と感じ言った。

ここで、黒田官兵衛が突然大村由己に向かって言った

「あなたは申し上げにくいことを申したなと、人々言い合っていると承りました。
殿様(秀吉)はおおいに嘆いているかのように見えていますが、その底意を推量すれば、
実に目出度いことが起き、博奕をも遊ばされます。大村由己が申し上げた通り、
吉野の花も今が盛りです。

桜の花というものは寒のうちに見たいと思っても、時が来なければ見ることは出来ない花です。
春の雨風の陽気をうけて、おのがままに咲き出るものですから、見る者の心には任せる事は
出来ません。

この上は明智光秀との天下分け目の御合戦、御尤もに候。目出度いことだ、お花見初めと
覚え申候。」

そう戯れに申し上げた。

秀吉は官兵衛の発言を聞いて、心のうちでは「我が心中と同じだ」と思ったのだろう。
その場でただ、にこりと笑ったという。

(川角太閤記)



599 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2015/08/24(月) 23:34:44.22 ID:UwNEzgok
山崎はよいけや

602 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2015/08/25(火) 10:21:51.35 ID:sibtuP1o
>>598
>目出度い事
ちょっちょっと官兵衛さん!
ラスボスも顔はにっこりでも....。

603 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2015/08/25(火) 13:04:53.06 ID:oVT5umCk
夏場に桜のたとえてのはなんとも…

605 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2015/08/25(火) 17:35:57.91 ID:W6OO8im/
ラスボス化以前とは言えなんか「にこり」がすごく怖いんですけど、毒されてるかなぁ

『夏の火鉢、日照りの傘』

2015年08月18日 13:52

574 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2015/08/18(火) 08:55:58.62 ID:NBpl909+
黒田如水が隠居した頃、嫡男長政にこのようなことを語った

「武士を使うのに一つの伝授がある。これは私も、ようやく30歳を越えて合点したものだ。
小さな家中であっても、必ず心得あるべきものである。

『夏の火鉢、日照りの傘』

この言葉をよく味わい、堪忍を守らなければ、家臣は心服しないものである。」

そう、教え諭した。

(明良洪範)


どういう意味なんでしょうね?




575 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2015/08/18(火) 09:03:11.66 ID:FKrYwSyZ
必ず使う時が来る?

576 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2015/08/18(火) 09:31:18.24 ID:4JvV4sSu
単純に考えれば、夏の火鉢も日照りの傘も(日除けという意味ではなく雨を防ぐ傘として)無用の長物だけど、
持っていれば、万が一の時には役に立つこともあるってことだと思う

いわゆる、古代中国の食客ってやつだな

577 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2015/08/18(火) 13:15:32.83 ID:f7a13/2H
鶏鳴狗盗的な?

578 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2015/08/18(火) 13:33:53.42 ID:arYbfGFK
使えない物はあっても邪魔になるだけだから、
どんどん捨てろって言いたかったりして・・・

579 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2015/08/18(火) 14:20:11.18 ID:7o0KyfLQ
いやいや、冬には火鉢が必要になるし、雨が降れば傘もいる
万が一と言うより、今は必要なくともいずれ必要になるときが来る
だから、堪忍して人は使えということだろ

581 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2015/08/18(火) 14:59:06.61 ID:/vWoNJNT
のび太が「壊れた扇風機は暑くない時に必要
壊れた電気スタンドは停電の時に必要」
とか言ってたなそういや

582 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2015/08/18(火) 15:02:52.16 ID:qoulYF5T
有事にだけ非常に役に立つ系の人材に埃かぶせるなって事か

583 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2015/08/18(火) 17:13:57.33 ID:YmcjVABZ
麦わら帽子は冬に買え
商人の心得を説いている

584 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2015/08/18(火) 20:46:15.20 ID:vM79DdxU
ちょっと弓片付けて犬煮てくるわ

軍の道を存じた私を遣わされれば、

2015年08月08日 13:03

507 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2015/08/07(金) 20:33:07.77 ID:vtwNp2Jb
黒田如水は、石田三成の讒言により太閤秀吉の御前より疎くなった。
ただ折々に、連中に出仕はしても、久しく対面を許されることがなかった。

ある時、秀吉が諸大老と朝鮮での戦略を評議しているのを、如水は壁越しに聞いて、秀吉の耳に入るよう
大声で語りだした

「去年、大軍を朝鮮に遣わした時、徳川家康か前田利家のどちらか一人を総大将として遣わされ、
万事一人の下知より出していたなら、軍法はよく行われ滞りは無かったでしょう。
もしまたこの両将の使わされる事が出来ないのなら、軍の道を存じた私を遣わされれば、
軍法定まって上手く行ったでしょう!

その上で和を以って人を懐かせ、朝鮮人が安堵して日本人に帰服すれば大明を征伐することも
安かるべし!

しかし、加藤清正、小西行長らは若き大将ですから、血気の勇のみにて軍の道を知らず、
その上両人は仲悪しく、清正の仕置を行長は破り、行長の法令を清正用いず、仕置一様ではありません。
それ故に、朝鮮の人民は日本の下知法度を信用せず、頼みなく思って、山林に逃げ隠れて
安堵することがありません。

日本より朝鮮への路遠く、兵糧武具等、日本より持続的に輸送するのは難しいことです。
朝鮮の民を懐け、耕作を元の通りにさせ、兵糧を敵であった彼らから徴収する事こそ然るべきなのに、
仕置き悪しく、日本人が通った朝鮮の三道は、人民散逸し、荒れ野となって五穀なく、
このように朝鮮は将に亡国となってしまいましたから、大明に入るべき基礎ができていません。

朝鮮の人民散逸し、日本からの運送もまた、持続がなり難いのですから、今後、味方の大軍は
兵糧が尽き、異国の在陣は不自由でありますから、士卒の苦労は耐え難いほどになり、
殿下が思し召された大功は、絶対に成就することは出来ません!」

そう高らかに言うと、これを壁越しに聞いた秀吉も、たしかにそのとおりだと思い
「来年、異国を討つときは私自ら朝鮮に入るか、そうでなければ私は上洛し、秀次を名代として
朝鮮に遣わすであろう。」
と語ったという。

(黒田家譜)



508 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2015/08/07(金) 20:45:15.46 ID:q0lUqLcp
何も理解してない秀吉w

509 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2015/08/07(金) 21:04:35.47 ID:08oRjCCl
子飼いは温存しておいて
油断ならない徳川、伊達を朝鮮で消耗させれば一石二鳥なのに
逆だからな

510 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2015/08/08(土) 08:25:33.61 ID:nIQNXiUD
むしろ失敗したという歴史を知ってて、あとから好き勝手に書いてるのが黒田家譜
秀吉自身は当初から渡海する気満々だったし

511 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2015/08/08(土) 19:28:50.41 ID:xYPPspqx
うーん黒田家譜がソースかぁ。

512 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2015/08/08(土) 19:40:15.56 ID:vFyxtPXh
ラスボスの計算では前哨戦で子飼いを使い、
明との本戦で東国の大名を投入する予定だったのに
前哨戦で躓いたのかね

513 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2015/08/09(日) 11:34:32.58 ID:WlkuYOw/
子飼い関係無く西国大名が先鋒なだけだろ
子飼いの多い近畿東海道軍は秀吉親征のために温存したままだ。

514 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2015/08/09(日) 13:21:44.49 ID:6YzWbgGD
戦場に近い大名が先陣するのが豊臣政権のセオリーだもんな

515 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2015/08/09(日) 16:24:11.68 ID:DBc4ZSEo
>>514
となると徳川家の転封先を九州にしておけばよかったのか

516 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2015/08/09(日) 16:50:13.85 ID:WlkuYOw/
小田原征伐の時に関東を与えることによって徳川を当事者にして他大名より大兵力の提出させ
軍事力的空白地となった徳川領の防衛治安維持の名目で豊臣の兵を入れて
全ての主要城を一時的にしろ明け渡せたことによって徳川の完全服従を内外に示したという
プロセスが無くなるという事は、徳川は独立性を保ったままより厄介な勢力になる訳で、下策やね

517 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2015/08/09(日) 18:46:38.12 ID:6YzWbgGD
>>515
旧北条領並の石高となると九州全域になるから、小田原征伐の時点だと
九州の大名、国衆を転封させる手間がかかりすぎじゃないかな

そもそも関東に徳川クラスの大勢力がいないと奥州仕置のあとの一連の
一揆がとめどなく広がって大変なことになってた可能性も…

孝高・弾正、碁を打って三奉行に対面せず

2015年08月07日 12:59

162 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2015/08/06(木) 19:37:45.27 ID:6LDCYi5a
朝鮮の王城に在陣していた日本の諸勢、尽く撤退したが、宇喜多秀家が先ず最初に退いた。
この秀家の元に黒田孝高、浅野弾正(長政)が出向いて対面し、太閤秀吉より仰せ越された
趣を述べて、晋州の城攻めについて評定した。その日はそこで宿し、帰陣してくる者たちを待った。

その後、三奉行(石田三成、増田長盛、大谷吉継)が都より引き戻り、黒田孝高の宿所に来て
対面することを請うた。その時孝高は、浅野長政と共に奥の間で碁を打っていたが、
三奉行、特に石田三成が平生権勢に誇ることを憎み、表座敷に待たせて、対局の途中であった碁を、
打ち終わり石を収めた後、「対面するのでこちらに来るように」と伝えさせたが、三奉行は
孝高と浅野長政が碁をしている声を漏れ聞き、彼らが早く出てこないことを怒って、この時すでに
立ち帰っていた。

その後、孝高・浅野両人は三奉行に使いを出して追いかけさせ、『こちらに帰ってきていただきたい』と
伝えたが、三奉行は憤って帰らなかった。これに対し孝高と浅野長政は『我らは既に、総大将である
宇喜多秀家に遭って軍のことをしばしば評議した。太閤の命により軍評定をしようと使いを遣わしたのに、
帰ってこないのは彼らの誤りである。』そう言って再び使いを出すこともしなかった。

その後、三奉行はこのことを恨み、「孝高・弾正は囲碁におぼれ我ら3人が来たことにも気が付かなかった。」
等と言って、人に会えばこのことを語り謗った。更に後には、太閤秀吉にこれを訴えでた。


*貝原益軒の注釈
(この時、孝高・弾正が碁を打って三奉行に対面しなかったのは右に記す通りである。
ただし、太閤記に書かれているのは、伝える者の誤りを信じて、知らずに虚説を記している。
孝高・弾正はこれより先2月に既に渡海しており、この時に渡海したのではない。
軍評定のため宇喜多秀家が都より先に帰った所を対面し、また三奉行をも待っていたのである。
太閤記には、この時弾正・如水日本より使いとして渡海し、太閤の命を告げんとて三奉行を
待っていたと書かれているが、これは虚説である。2月26日太閤より黒田長政に送られた書状にも、
『浅野弾正、黒田勘解由、都在陣衆令相談、見計陣所可相定』とある。
また5月1日太閤より朝鮮に在する弾正、勘解由、三奉行に与えられた書状がある。
2月より既に渡海していたことは、これを以って知るべきである。
その上、黒田孝高はこの時まだ剃髪しておらず、太閤記で如水と称しているのも誤りである。)

(黒田家譜)




西国にて第一の弓取りは、黒田勘解由である

2015年07月14日 13:04

402 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2015/07/13(月) 23:31:14.33 ID:SiPwLPjQ
小田原の役、秀吉の軍勢は小田原城を囲み日々これを攻めたが、これを落城させることが出来ず、
無為に日々を多く送ったため、諸軍の士卒も長陣に飽きてきた様子が見えた。

ここで秀吉は尾張清州城に置いていた小早川隆景を呼び、この状況を打開する策はないかと聞いた。
隆景は答えて曰く

「この度の長陣は、秀吉公のたやすき勝利の基本となるものですから、ご心配も然るべきものです。
ですので、先ず城攻めを止め、弓鉄砲も止められ、その代わり仕寄等に念を入れ、敵の夜討などが
入らぬようにし、用心堅固に仰せ付けられ、若き輩には音楽をさせ、下々には小唄を歌わせ踊りを踊らせ、
味方の気をくつろがせ。長陣の覚悟をさせ、敵の気の屈するようにするのが、然るべきでしょう。」

秀吉はその旨に従って軍勢に下知したため、味方の諸軍は戦を止め、あちこちの陣所で謳い、舞、
囃子の音、踊りの声がしきりに聞こえるように成った。これにより味方は長陣の窮屈を忘れ、
敵方はこれを聞いて気を屈し力も弱まった。

その後、黒田孝高(官兵衛)、小早川隆景は敵の気が屈した時節を考え、秀吉に申し上げた
「今や良き時分です。徳川家康は東国の案内者であり、特に北条とは縁者ですから、秀吉公は
家康とご相談なさって、和議を持ちかけるべきでしょう。
現在、小田原城中は追い詰められていますから、必ずこれに同心するでしょう。」

秀吉も尤もだと思った。北条氏直は家康の婿であったのである。
秀吉より、北条を降参させるようにと家康に相談するため、黒田孝高がその使いとして度々家康の元に
派遣された。
ある時、使いの孝高が家康の御前を下がった後に、家康は孝高をこう絶賛した

「西国にて第一の弓取りは、黒田勘解由である。」

この頃、黒田孝高は秀吉の御用が無いときも、しばしば家康の元に行って物語などした。
これによって孝高は、いよいよ家康に君徳があることを知り、かねて志を属したのだという。

(黒田家譜)




403 名前:人間七七四年[] 投稿日:2015/07/14(火) 05:26:29.50 ID:x6VFdDis
あれ?この話前に出ていませんでした?

404 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2015/07/14(火) 06:36:03.79 ID:Cop9a00z
孝高「今日は内府に馳走になってのう…内府自らわしの手を取り案内をしてくれたわ」
長政「それはどちらの手ですか」
孝高「右手じゃ」
長政「その時、父上の左の手はどうしていたのです」

405 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2015/07/14(火) 12:51:01.58 ID:k4FcCftr
あいにく手元に村正がなくてのぉ