654 名前:傾!!武辺塾 第弐話[sage] 投稿日:2009/01/23(金) 22:52:43 ID:Ipw2FxlP
慶長3年(1598)11月、唐入りの諸将は太閤秀吉の死去に伴い、撤退を開始したが、
順天城に閉じ込められた小西行長を救うべく、島津義弘を中心とした救出隊が組まれた。
包囲軍が救出隊の迎撃に回ったため順天城の封鎖はゆるみ、行長は脱出に成功したが、
救出隊は帰路に露梁津で、李舜臣率いる大規模な水軍と交戦する事態に陥った。
必死に防戦するも、朝鮮随一の海将の前に、続々と味方の船が座礁する、不利な戦況。
そんな時、折悪しくも義弘の船は潮に流されて、敵の船へと近づいて行った。
もはや敵船は乗員の顔が分かるほど近づき、甲板にはこちらを確実に拿捕すべく、
引っ掛けるための鎖鎌を振り回している者までいる。
樺山久高「くそぉー!『鬼石曼子』とまで恐れられたワシらが、海の藻屑と消えるんかー!」
「要は、敵を近づけなければ良いだけのこと。 ここは私の出番ですね。」
久高「お、お前はーっ!種子島久時!!」
義弘「鉄砲伝来の家ってのは、名前だけじゃねえ・・・味方ながら、恐ろしい男だぜ。」
久時は愛用の鉄砲を構えると、船の揺れにもかまわず、敵船に向けて次々に撃ち放った。
弾はことごとく鎖鎌を振り回していた者のみに当たり、ひるんだ敵船は離れて行った。
島津軍の帰国後、太閤検地で薩摩・知覧へ所替えを命じられていた久時は、功績により
先祖伝来の地・種子島を取り戻すことができた。
(征韓録より)
慶長3年(1598)11月、唐入りの諸将は太閤秀吉の死去に伴い、撤退を開始したが、
順天城に閉じ込められた小西行長を救うべく、島津義弘を中心とした救出隊が組まれた。
包囲軍が救出隊の迎撃に回ったため順天城の封鎖はゆるみ、行長は脱出に成功したが、
救出隊は帰路に露梁津で、李舜臣率いる大規模な水軍と交戦する事態に陥った。
必死に防戦するも、朝鮮随一の海将の前に、続々と味方の船が座礁する、不利な戦況。
そんな時、折悪しくも義弘の船は潮に流されて、敵の船へと近づいて行った。
もはや敵船は乗員の顔が分かるほど近づき、甲板にはこちらを確実に拿捕すべく、
引っ掛けるための鎖鎌を振り回している者までいる。
樺山久高「くそぉー!『鬼石曼子』とまで恐れられたワシらが、海の藻屑と消えるんかー!」
「要は、敵を近づけなければ良いだけのこと。 ここは私の出番ですね。」
久高「お、お前はーっ!種子島久時!!」
義弘「鉄砲伝来の家ってのは、名前だけじゃねえ・・・味方ながら、恐ろしい男だぜ。」
久時は愛用の鉄砲を構えると、船の揺れにもかまわず、敵船に向けて次々に撃ち放った。
弾はことごとく鎖鎌を振り回していた者のみに当たり、ひるんだ敵船は離れて行った。
島津軍の帰国後、太閤検地で薩摩・知覧へ所替えを命じられていた久時は、功績により
先祖伝来の地・種子島を取り戻すことができた。
(征韓録より)
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