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薩摩のスナイパー1・柏木源藤

2013年08月10日 20:36

145 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2013/08/10(土) 16:53:54.39 ID:19FRjk6Q
薩摩のスナイパー1

関ヶ原の戦いで島津軍はいわゆる「島津に退き口」で撤退した。
その際、追撃する井伊直政を狙撃したのが柏木源藤である。
この源藤、直政を狙撃落馬させたときに名乗りを上げるも思わず主人の名を出し
「川上四朗兵衛、討ち取ったり」
と名乗った。郎党の悲しさか自分の名を名乗らなかったのである。
ときに源藤22歳の頃であった。

その後、主君義弘には功を認められ、源藤は義弘の隠居所である加治木で暮す。
しかし『本藩人物史』によれば源藤は困窮し町人になり、子孫は断絶したとある。
どうやら出家し諸国放浪の旅に出たようであり、
一世一代の場面に自分の名を出せなかった鬱屈した感情があったのかもしれない。





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考えをまとめた源藤は大声で叫んだ

2012年06月18日 21:02

933 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/06/17(日) 21:42:27.73 ID:JSQOw38f
井伊直政と柏木源藤の話が出ていたので。

関ヶ原にていよいよ勝敗は決し、西軍の島津勢もいよいよ退却を余儀なくされた。
このとき徳川家中随一の猛将、井伊直政は「我こそ義弘を討ち取り家康公の命に沿わん」と
赤備えを率いて猛然と追撃を開始した。
島津の槍衾を払い除けていよいよ義弘に肉薄せん、と言うときに彼を狙撃し落馬せしめたのは
島津家中の柏木源藤なるものであった。

『わが殿を落馬せしめるとはいったい何者だ!』
彼の名乗りを待つ井伊勢であったが源藤は沈黙したままであった。

彼は島津家重臣(川上四郎兵衛)の郎党であり、
直接名を名乗るのは憚られる身だったのである。

だが、敵方の大将を打ち倒しておいて名乗らないわけにも行かない。
そこで源藤、必死に考えた。
(いきなり「我こそは柏木源藤!」と名乗ったのでは主家に憚りがある…
 あ、そうか、自分が仕える主人の名前を明らかにした上で俺の名を名乗れば問題は無いな。
 「我こそは川上四郎兵衛が家臣、柏木源籐」よし、これでいこう!)

考えをまとめた源藤は大声で叫んだ
「我こそは川上シロンペロン家臣、柏木源トツ!」

…噛んじゃった。

残念ながら訂正は認められず、彼は復讐に燃える井伊勢から追いまくられ
先に槍衾を作っていた仲間たちと合流して戦場を落ち延びた。

その後、義弘の供をして薩摩まで無事に帰還した彼だが
徳川四天王の一人を落馬せしめる、と言う武功とともに
先の名乗りを噛んじゃった件も薩摩に広まり、今日まで郷土資料に記されているのである。
(ホントに書かれてます)




934 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/06/17(日) 21:48:43.70 ID:mL/q+3ri
そら出家するわ

936 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/06/17(日) 21:57:50.79 ID:LTcchILE
薩摩まで逃げ帰ったのってホントのとこは50数名と聞いたが

956 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/06/18(月) 12:52:11.75 ID:fzPe/Sjj
>>933
やばい
川上シロンペロンがツボに入りすぎて笑いが止まらない

989 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/06/19(火) 10:52:11.99 ID:O9emiSuV
>>933のシロンペロンの逸話と似たような導入で、その場で主から賜った名を名乗って
敵味方から讃えられたっていう話がありませんでしたっけ?
まとめを検索しようにも人物名がわからなくて…よろしければ誰のエピソードだったか
教えていただけませんでしょうか?

991 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/06/19(火) 17:39:29.32 ID:oziJlSVj
>>989
これかな
http://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-3980.html

井伊直政狙撃、もう一つの説

2012年06月17日 21:07

908 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/06/16(土) 22:54:19.35 ID:F7hrRrZD
学研新書『関ヶ原島津退き口』より感慨深かった話。

関ヶ原。島津が与した西軍敗退が決し、島津ステガマリが決行された。

騎乗した島津義弘を真ん中に2百人ばかりが退いているのを井伊直政が見かけ
「兵庫頭(義弘)と組み候はん」と、退却している義弘主従に猛然と攻め入ったところ、
約9メートル離れた所から島津家重臣の郎党だった柏木源藤に右腕を狙撃された(慶長記)

直政狙撃に関するもう一つの説(帖佐彦左衛門宗辰覚書)

石田三成が敗走して島津の陣所が東軍に囲まれた中で義弘の本陣60人が一所に集まり
一合戦しようと決めている時に
直政が騎乗して押し寄せて来た。
敵の大将、井伊侍従殿が黒馬に大総を掛け、白糸威に小銀杏前立を付けた甲を着けて
長刀を抱えて片手を手綱にかけ、義弘様の御前近くまで迫り大声で
「どうして手間取っているっ!兵庫を打て!」と叫んだところ、源藤が進み出て来て狙撃した。

弾は鎧の右脇に当たったが頑丈だった為はね返り右腕に当たり苦痛のため落馬した。

―その後日談―

島津は直政を頼り、直政は戦後、家康と島津の和睦交渉に奔走する。
翌年3月には義久の上京を促し、
「何のお気遣い無用、秘密の約束や隠し事もありません」と自分が島津家の為に働く事を伝えている。
そして直政自身が島津の退き口を絶賛している。

そして直政を負傷させ前途を阻んでいた井伊勢が崩れたために義弘主従の窮地を救う大手柄を立てた
柏木源藤、当時22歳の若武者のその後…

大手柄の影響か義弘の隠居所である加治木に住み、義弘の直臣となって出仕したが
しかしその後は何故か不遇で町人になり子孫も断絶した。
関ヶ原から2年後、自らが狙撃した直政の死去を知ると悲嘆した。
鹿児島市内の南林寺に江戸中期に建立された源藤の供養塔があるが、その由緒書には
「弔死の志をもって黒染の法衣を身にまとい、廻国修行に郷関を出しが、また帰らず、
その終焉の地、果たして何処なるか、勇士の末路、憐れにもまた遺憾なり」とある。




910 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/06/16(土) 23:30:40.83 ID:UuZIJ+MT
>>908
戦では命を奪い合い戦が終われば敵も味方も関係無しか
それにしても直政は男振りがいいな

911 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/06/17(日) 07:37:37.91 ID:2O2EnOAv
「平八、>>910を討て」

912 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/06/17(日) 07:56:54.00 ID:b9q6evXc
島津は領国の地理的に運がよかったのもあるな
丹波くらい近ければ普通に攻められただろうし

913 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/06/17(日) 08:15:19.50 ID:H2CS2rcg
戦場で打った当時の敵が死んだことにより24歳で出家とは
しかも関ヶ原から2年経ってる

914 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/06/17(日) 10:10:39.56 ID:I7L15ooP
至近距離から撃たれた鉄砲の弾を跳ね返す直政の鎧すごいな

915 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/06/17(日) 11:07:31.55 ID:KBSkTb8t
平八郎は生身で跳ね返してたんでしょ?

916 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/06/17(日) 13:04:57.04 ID:s0hhGPlQ
平八郎「当たらなければどうということはない」

917 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/06/17(日) 13:13:56.28 ID:N/6T/trU
東郷ターンをしたのはそのためか

918 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/06/17(日) 13:40:12.55 ID:ga2o/mTL
>>913
それだけ島津の中で和睦交渉に尽力してくれた
ひこにゃんパパの存在が大きくなってたということだろな

柏木源藤のその後

2008年12月31日 00:03

834 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/12/30(火) 04:42:15 ID:y9Ryoh03
柏木源藤のその後

直政の負傷で井伊軍は追撃を停止、義弘主従は九死に一生を得た
井伊軍の追撃を断念させたのは柏木源藤の殊勲と言っても良い
戦後、源藤は義弘の隠居地でもある加治木に主の川上氏と共に移り住んで
子宝にも恵まれ平穏無事に暮らしましたとさ

……とは行かず、『本藩人物誌』によれば
「逼迫して町人にまかりなり、子孫断絶いたし候」とある
源藤は何故ここまで落ちぶれたのか?

『旧南林寺由緒墓志』では、こう書かれている。
「弔死の志をもって墨染の法衣を身にまとい、廻国修行に郷関を出しが、また帰らず、
その終焉の地、果して何処なるか、勇士の末路、憐れにもまた遺憾なり」

勇壮で知られた井伊直政が自分があの時放った銃撃の負傷が癒えずに
一年半後に亡くなったことを知り、悔いたのか哀れんだのかは分からないが
世の無常を感じその後入道となり各地を放浪したと言う


いい話なのか悪い話なのか良く分からないとある郎党の話



835 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/12/30(火) 08:43:32 ID:Rm2cQLco
熊谷次郎直実みたいなお人だな~