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気合の入った殉死者山路後藤兵衛種清・いい話

2009年04月13日 00:09

682 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/04/12(日) 14:02:12 ID:tfFpp4ID
気合の入った殉死者の話

山路後藤兵衛種清は幼少の頃から島津義弘の供を勤めあげた剛の者である。
単なる武辺者というだけでなく、義弘に対する忠誠も一方ならず
他の仲間達と『死ぬも生きるも殿とともに!』と誓い合っていた。

義弘85歳を迎えた頃、後藤兵衛の地元である帖佐にも義弘の体調に関してうわさが聞こえてきた。
主君の体調の回復が難しいと知った彼は、かねての誓いどおり
仲間とともに殉死の覚悟を固め、殉死の場所まで申し合わせた上で準備に入った。

生前に菩提寺から戒名をもらい、家族にも形見分けを行った。
主君の不幸を前提とした上での行動であり、
殉死自体がご法度になっていた頃であったから、もちろんこれら一連の行動は内密に行われた。

いよいよ義弘の逝去後、後藤兵衛は示し合わせた通りに殉死を決行することにした。
法を犯して殉死したとなれば、家禄は召し上げられ家族は路頭に迷うかも知れぬ。
せめて飢えて困ることはないようにと、家の畑を耕して種をまいておいた。
畑仕事が終わったところで親戚一同がやってきたので、急いで足を洗い、
座敷へ通して別れの杯を交わした。
いよいよ刻限も迫ってきたので、付き添いの者を連れて
仲間達と示し合わせておいた加治木の実窓寺へ向かった。

ここまで周到に準備しておいた後藤だが不運なことに
大雨に見舞われて回り道をすることになってしまった。
急いで仲間の元へ向かうが、向かう途中で仲間の家人と行き会い
仲間達は既に切腹して果てたことを知らされた。

このことを後藤はたいそう悔しがり、
『無念だ!俺はここで腹を切る!』
さらに道端の大石を指差して
『あの石に俺の戒名を刻み、墓石としてくれ。
 仲間や殿様に追いつく事が出来たら、
 あの石を3つに割ってお前達に知らせるから。』
とその場で切腹して果ててしまった。

遺族はその言いつけどおりに、大石に戒名を刻んで墓石とした。
後日、墓に詣でてみると果たして墓石は3つに割れていたという。

生前はもちろん死後も気合の入った忠誠振りを示した人の話。




683 名前:人間七七四年[] 投稿日:2009/04/12(日) 18:56:21 ID:/zHeB52I
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