有吉四郎右衛門立行の名乗り

2010年02月22日 00:05

718 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/02/20(土) 23:09:05 ID:O8OYzXDM
忠興と城井の名前がでたところで


関ヶ原の戦いの後、細川忠興は家老の有吉四郎右衛門立行を呼び出した。

「大友義統から豊後杵築城を、よく守り抜いてくれた。礼を言う。褒美として、三千石を加増し、
オレ製作の具足をやろう。」
「ははーっ!ありがたき幸せ!」
「それと、ウチの次席家老のおまえがいつまでもただの"四郎右衛門"じゃヨソへの聞こえも悪い。
これを機会に、官名を名乗るがいい。」
「はあ。」
「そうだな・・・黒田のトコの後藤又兵衛でさえ、城井谷の戦いじゃ目立つ猩々緋の陣羽織を
脱ぎ捨てて逃げたそうだが、おまえは一度も戦場で逃げたことがない。立派なものだ。
よって、" 武蔵守 "を名乗ることを許す!!」
「いやです。」



とは主君に言えず、以後細川家・有吉家の記録は「有吉武蔵」「武蔵守殿」と記す。
しかし、松井佐渡守康之の子は「長岡佐渡」を名乗るが、有吉家の子孫は「四郎右衛門」を通字と
しているので・・・お察し下さい。

三歳様は、あのひとをリスペクトしてたんだろか。お舅さんをリスペクトしてた(謀反自体はともかく)
らしいのはガラシャ死後に息子へ出した手紙の中で「日向守"殿"」って書いてるからわかるんだが。




719 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/02/20(土) 23:13:24 ID:Xrd9B4M8
>>718
どの「武蔵守」が浮かんだんだろうか……w
いや、言わなくてもアレか?
戸田勝成とかも武蔵守だけどさw

720 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/02/20(土) 23:14:47 ID:5aslT1YL
細川で武蔵守と言ったら、勝元様じゃないの?

721 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/02/20(土) 23:17:28 ID:Xrd9B4M8
いや、まあこのスレ的に言えば長可さんだから、つい……

722 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/02/21(日) 00:58:58 ID:XjQzbgg3
まぁ、解ってはいるだろうけど、江戸期の百官名で武蔵守名乗らないのは江戸城があるから遠慮してだからね

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四天王名臣録、細川忠興編・いい話

2009年01月11日 00:06

37 名前:四天王名臣録 2/4[sage] 投稿日:2009/01/10(土) 21:29:45 ID:afOtHKON
細川藤孝(幽斎)の家臣の子に、有吉四郎右衛門立行という若者がいた。
『鈍き生れつきと諸人存知候 』と「細川家記」に書かれるようなパッとしない若者だった。
「まあ、何かの時に盾ぐらいにはなるだろう。」藤孝は、彼を嫡男の与一郎に付けた。

今日も今日とて、与一郎は四郎右衛門の肩車で、遊びに出かけた。
四郎「若様、このまま行くと、大きな川がありますが・・・」
与一郎「かまわん、まっすぐすすむのじゃー!」

四郎右衛門は、バカ正直に川の中へ進んだ。意外に深く、頭までズッポリ水に浸かった。
与一郎「だ、だいじょうぶかー!しろうえもーん!」 答えは返ってこなかった。

ついに向こう岸に渡り着いた四郎右衛門、与一郎を下ろすとバッタリ倒れて動かなくなった。
「し、しぬなーしろうえもん!しんではならぬ!!」
与一郎は他の家臣を呼び、四郎右衛門の腹を踏ませ(・・・)、たまった水を吐き出させた。

なんとか蘇生した四郎右衛門、酸素欠乏症にでもかかったか、この後にめざましい働きを
するようになり、関ヶ原の戦いの際には、与一郎忠興の命で筆頭家老・松井康之と並び
豊後杵築城代になり、黒田如水と連携して大友軍を撃退している。

関ヶ原の後、天下が静まってくると各家で武功の文書化が流行り、四郎右衛門のもとにも
嫡男・康以らが記録に残そうと武辺話を聞きに来た。四郎右衛門は鼻で笑って言った。

「そんなことは外様や新参者がやることだ。オレの働きは、殿がよーーく存じておられるわ。
よって、細川家臣にオレの名字が残れば、それが武功だ。くだらん事をするヒマがあるなら、
当家の血が絶えぬ工夫でもせい!!!」




49 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/01/11(日) 00:31:41 ID:Qt8S3xBp
>>37
冴えない男が酸欠で大覚醒かw

あと幼き日の忠興のセリフに和んだ。