関ヶ原直後、近衛前久が子の信尹に送った手紙

2010年03月12日 00:10

545 名前:人間七七四年[] 投稿日:2010/03/10(水) 20:46:41 ID:2bnwTzRy
昨朝御見廻申候ヘバ、早天ニ大津ヘ御越之由候間、大助ニ申置帰山申候。主水ヲモ遣シ候ヘ共、未内府ハ大軍ニ付、路つかへ、江州守山辺ニ居陣之由申、
昨日主水も従((二)中途(一)帰申候。御仕合如何候哉
一一昨夕彼陣床ヨリ拙者ヘ参候者、直ニ語候趣、為ニ御心得一申候。内府ハ当月朔日ニ国本ヲ出馬候テ、十四日ニ大ガキ表ヘ被(二)押寄(一)候ヲ、
 大ガキノ軍勢石治少・島兵入・小西ナド見候而、山ヘ取上リ候。内府ハ五万程ニテ、手人数各別ニ備ラレ居陣候
一先手之人数ハ、福島一番・長岡越中二番・金森法印三番・田中兵部其外上方之人数四万計、面々ニ備、青野カ原ニテノ合戦ニテ候。即時ニ切立得(二)大利(一)候。
 番ヒニ金吾手ヲカヘサレ候。其太刀場ニテ、大谷刑部討死候テ、其マヽキリ崩候。上方ヨリ出陣ノ人数五万計候。四五千モ討死候ト申候
一十九日ニ沢山ヘ取カケラル、則落居候テ、石治少子・杢ナド討果候由候
一石治少・島兵入ハ山ツタイニ引退候ト相見、行方不レ知候。越州ヘノキ候ハンカト申候。生捕ニ仕候トノ沙汰ハ、ウソニテ候ト申候
一キヅ川ハ輝元被レ取候。知行分悉給置候者家康ヘ味方ニ可レ参候トノ(アツカイ)ニテ候ヘドモソレハ余之□之由候テ、半分ノ契約ニテ、一味申候トノ事候。
安国寺ハ乗物ニテノキ候ヲ、キヅ川者共追懸候ヘ共、行方シラス見失候。生捕之沙汰不(レ)存候ト申候
一備前宰相ハ討死トノ事雑説候。無(ニ)異儀(一)之由申候。是以味方ニハ不(レ)成被(レ)申
一長尾景勝トノ和睦ハ無レ之候。其手当ニ結城三河守・政宗ナド被(レ)残候ト申候。政宗ハ一筋ニ家康ヘ一味之由候。白石ト哉ラン申候城、景勝抱候ヲ此方ヘ被(レ)取、政宗入城之由候。
此城前々政宗城由候
一佐竹ハ景勝・石治少ナドヘ一味之由申候而隔心ト相聞候ト申候
一信州サナダハ敵ニ成候テ、中納言忠秀・榊原式部少輔ナドハ、彼国ヘサシムケラレ候ト申候。是モ手間不(レ)可(レ)入候間、一途被(二)申付(一)、上洛トノ事ニテ候ト申候
一ナツカ大蔵ハ、ミナクチノ城ニ居候。ソレヘモ人数サシコサレ、可(二)討果(一)之由ト申候
 三奉行ハ可(レ)有(二)成敗(一)之由ニテ候ト申候
一昨日ヨリ風聞ハ、ナツカ大蔵ハ内府ヘカケ入候ト申候。内府被レ申候ハ、ヨクトモ悪クトモノ事候由候ト申候。此儀ハ昨日ヨリ承候、事実ハ不(レ)存候。
右之趣ハ水不(レ)入慥之事候、彼虎口ヨリ直二当所ヘ参候モノニテ候。直ニ承候間、為(二)御心得(一)ニ申候。以上
  九月廿日     東入
猶々如レ此処ニ、津小平かたより書状くれ候て、内府今日大津へ被(レ)越候由、由来候間、主水をも又さし遣し候。今日又御越候哉、定可(レ)有(二)御聞(一)候へ共、令レ申候。
書中御らんじ候ハヾ火中々々


近衛前久が子の信尹に送った手紙なのだが…何、この状況把握の正確さ
これこそが本当の情報戦というものなんだろうな
それにしても信尹、親父に読んだら燃やせと書いてあるのに何故残す。こういう所が駄目なんだろうなと思うわけで



546 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/03/10(水) 20:54:05 ID:wNODDkV7
大助とか主水って誰だろ

547 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/03/10(水) 21:02:57 ID:2bnwTzRy
>>546
近衛家の家臣でしょうな

548 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/03/10(水) 21:15:00 ID:wNODDkV7
いやそれは解るんだがw
名も無き中間みたいなモンかな

549 名前:人間七七四年[] 投稿日:2010/03/10(水) 21:22:43 ID:2ceSwBpA
黒田孝高はカコイイ!

550 名前:人間七七四年[] 投稿日:2010/03/10(水) 21:33:13 ID:c0TrDTqW
>>543-544
昌幸は4兄弟、信之と信繁で二人兄弟だと思ってる人も多いんだろうな


551 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/03/10(水) 22:33:46 ID:m201krkJ
>>545
佐竹、政宗なんかの言及はあるけど九州方面は記述がないんだな
しかし読みなれてないから候文は読みづらいわw



552 名前:2/2[sage] 投稿日:2010/03/10(水) 22:35:08 ID:3W7heOj6
>>545
訳してみた。色々意訳したので、間違いなどあったら許して欲しい。



昨朝お訪ねしたところ、早朝に大津へ行かれたとのこと、大助に申し置いて帰ったのですが、主水も
念のため遣わしました。ですが、内府(家康)の軍は大軍であるため、道は渋滞し、近江守も山辺を動けないようです。
昨日主水も諦めて途中で帰ってきました。こんな状況です。

・一昨日の夕方、戦場より私のところに参ったものが直に語ったことです。そういう重大な情報なので良く心得て
 読んでください。
 内府は今月1日に国元を出て14日に大垣表に到着しました。大垣の石田三成、島左近、小西行長などの軍勢は
 これを見て山に上がり陣をはったとのこと。内府の軍勢は5万ほどで、手人数別に備えを敷いた布陣であったそうです。

・東軍の先手は、福島正則が1番、細川忠興が2番、金森長近が3番、そのあと田中吉政など、計4万ばかり。
 それぞれに備を作っていた。
 青野ヶ原での合戦ですぐに敵を斬りたて大いに手柄を立てたとのこと。そのうちに小早川秀秋が手を返し、
 その攻撃により大谷吉継が討死し、大谷の陣はそのまま斬り崩されたとのこと。
 上方より出陣した(西軍の)人数は5万ほどだったそうですが、そのうち4,5千も討死したということです。

・19日に佐和山城を攻撃し、落城、石田三成の子や石田正澄(木工頭)など討ち果たされたとのこと。

・石田三成、島左近は山伝いに引き退いたようで、現在行方不明です。越後へと逃亡したのではないかと言う噂です。
 生け捕りになったと言う噂もありますが、それは嘘だと言うことです。

・吉川広家は毛利輝元の命で家康と交渉し、領地はすべてそのままと言う条件で家康の味方になる、との
 扱いになったが、それはあくまで表向きの発表で、実際には領土半減の条件で、家康に降参したとの話である。
 安国寺は乗り物に乗って逃亡した。吉川の手の者たちが追いかけたが見失い、行方が知れない。
 捕縛されたとの情報も無い。

・宇喜多秀家は討死したとの噂です。これを否定する話も聞きません。秀家が東軍に降伏し、命乞いを
 するようなことも無いでしょう。

・上杉景勝との和睦はありえないとのこと。家康は景勝に対処するため結城秀康、伊達政宗らを残しておいたのだと
 言うことです。政宗がこの様に信頼されたのは、政宗が一途に家康に一味しているためであったからだそうです。
 白石城と言う景勝方の城を政宗が取り、ここに入城したとのこと。この城は元々政宗の城だったとのことです。

・佐竹は上杉景勝、石田三成などと一味していたので、家康との間は心隔たる関係であると聞き及んでおります。

・信州の真田は東軍の敵になり、徳川秀忠、榊原康政などが信州に差し向けられたと言うことです。
 これも手間の掛ることです。上洛のことなど申し付けているようです。

・長束正家は水口の城にいたようですが、そこにも東軍の軍勢が派遣され討ち果たされるだろうとのこと。
 三奉行はみな成敗されるであろうと言うことです。

・昨日聞いた噂によると、長束正家が家康の元に駆け込んできたとのこと。これに家康は
「良いことでも有り、悪いことでも有る」と言ったそうです。この事は昨日聞いたのですが、真偽は不明です。

右のことは私と親しい関係の者が、あの戦場より直に私のところに来て、それを私が直に聞いたものです。
これをよくよく心得てください。以上

九月二十日 東入

P.S. 今、津小平から書状が来て、家康は今日大津に行かれるそうです。そういう事なので主水もまた差し遣わします。
今日家康が大津に来られると言う事、ご当地にいるあなたも聞いていらっしゃるとは思いますが、一応
ここに書いて置きます。

この書状を見たら、火の中に火の中に。




553 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/03/10(水) 22:40:20 ID:m201krkJ
>>552
乙、大分読みやすくなった
ってか燃やす必要あったのかなこれ?

554 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/03/10(水) 22:47:45 ID:2bnwTzRy
家康の周辺にこれだけの情報を入手できる者がスパイとしている事になる

556 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/03/10(水) 23:02:08 ID:zsWXBu5D
やっぱ一番情報をもっていたのは豊臣政権の中枢だったナイフなんだな
他とは力量が違いすぎる感じがする

557 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/03/10(水) 23:08:06 ID:yCcBCKHJ
あれ?内府は”だいふ”って読むんじゃ…?



564 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/03/10(水) 23:55:52 ID:5hMlbjkK
>>552
だいたいあってると思うけど気がついたところだけ


>近江守も山辺を動けないようです。
ここは
>江州(、)守山(ノ)辺ニ居陣之由 
と区切って近江国守山(現滋賀県守山市。東海道を琵琶湖東岸沿いに彦根から京都に向かう途中にある)
に陣を敷いた、という意味かと。

>手人数
は、各自の手のものの軍勢、とするとより現代語っぽいかな?

>一長尾景勝トノ和睦ハ無レ之候。其手当ニ結城三河守・政宗ナド被(レ)残候ト申候。政宗ハ一筋ニ家康ヘ一味之由候。
上杉景勝との和睦はなされていません。なので警戒のため秀康、政宗などを向こうに残してこられた人のことです。
政宗はこれまで一途に家康に味方してきた、ということです。
くらいではないかと。「無之」をあり得ない、はやや言い過ぎに感じたのと「政宗が信頼された」と読める文章ではないと思うので。

>信州の真田は東軍の敵になり、徳川秀忠、榊原康政などが信州に差し向けられたと言うことです。
 これも手間の掛ることです。上洛のことなど申し付けているようです。

>是モ手間不(レ)可(レ)入候間、一途被(二)申付(一)、上洛トノ事ニテ候ト申候
とあるので、
手間もかからないハズだろうことなので、集中して取り組むよう(家康が秀忠に)申し付けなされ、
としたほうがよいかと。

以上差し出がましいとは思いましたが私見を加えさせて頂きました。



565 名前:552 [sage] 投稿日:2010/03/11(木) 00:11:04 ID:5K9XAPPc
>>564
おお、ありがとうございます。大感謝。
浅学を恥じるばかりです。

567 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/03/11(木) 08:06:05 ID:XR85dJq8
>>557
自分も「だいふ」だって前思ってたんだけど、「ないふ」って読むことも多いよね
どっちでしょうか…どっちもあり?

579 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/03/11(木) 10:51:18 ID:SvOuxvEW
なんだっけ武家と公家で官位の読み方が違ったりするんだっけ?
内府はダイフだよとか、いやナイフでもいいんだよとか特にややこしかった覚えが…。
ダイフって読んでた人もいたのは間違いないと思うけど…前読んだ昔の本で大府って書かれてたw

580 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/03/11(木) 10:57:04 ID:shfHi6O1
千のナイフが胸を刺す!

581 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/03/11(木) 10:58:10 ID:GNJ7x+7z
>>546
遅レスだが。
この時代の大輔や主水って、階位のことじゃないの?
「大輔」が、省庁の事務次官、つまり機関のトップ的位置。

650 名前:バロン曽志崎[sage] 投稿日:2010/03/13(土) 11:41:45 ID:nDXLIuwe
>>552
島兵入=島津兵庫頭入道=義弘だよ。

津小平は多分、津田小平次=秀政。

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