その後のアイキャンフライ

2012年02月27日 21:52

81 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/02/27(月) 18:03:12.55 ID:Sf4h6eeA
その後のアイキャンフライ

真田家臣の赤沢“I Can Fly”嘉兵衛は、武田崩れ直後に度胸試しで断崖から飛び降り生還したが、真田昌幸に
「大事の時に、命を粗末にするヤツは要らん」と勘当され、第一次上田合戦で首二つを上げ、やっと許された。
http://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-1280.html

月日は流れ、無謀な若者に過ぎなかった男は二十余の首を上げ、歴戦の勇士として知られるようになり、
嫁を迎え、息子が生まれ、息子も出仕するようになったある日、その息子・助左衛門が「改めて話がある」
と言ってやって来た。

「父上、私もいよいよ嫁を迎えることになりました。」
「おお、そうか!それはめでたい。して、お前の嫁になってくれるのは、どこの娘さんじゃな?」
「はい、右京どのの姪御にございます。」
「なんだと?!」

右京、すなわち右京局とは小松殿の死後、真田信之の奥向きの世話をしている女性、平たくいえば愛人である。
(幕府をはばかってか小松が忘れられなかったのか、側室にはしていない)要は助左衛門、コネで妻を選んだのだ。

「たわけがっ!それでは加増されても『女房のおかげで立身した』などと言われるわ!お前はそれで良かろうが、
子孫まで面が汚れるわい。侍とは大身も小身もなく、ただ志の良き悪しきをもって評価されるものぞ!

よかろう、わしが槍一本で稼ぎし百六十石、お前のような者には過ぎたる知行よ。これ以上増やすまい。」

それからというもの、嘉兵衛の勤めはサボりがちになり、ときに目を見張る働きを遂げ、少しでも信之から
褒められようものなら、とたんに翌日から病と称して出仕しなくなる有様だった。

嘉兵衛の死後、奉行職まで出世した助左衛門に信之は
「わしは嘉兵衛ほどの男、もっと加増してやりたかったが、あやつめ、見事な奉公ぶりを見せたかと思えば
引っ込んでしまう。加増するスキが無かったわい・・・」と、漏らしたという。

意地と誇りを貫いて知行百六十石で生涯を終えた赤沢嘉兵衛だが、その態度は「真田武士の鑑よ」と称えられ、
その人物像は『真田家御事跡稿』に記され、顕彰されている。




82 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/02/27(月) 18:07:58.61 ID:0/D8bAFo
真田にもめんどくさいのがいるんだなw

83 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/02/27(月) 18:41:45.66 ID:MZCWtW+o
あーこれは面白いw
女のコネを潔しとしないということかなw

84 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/02/27(月) 19:05:09.35 ID:qcNx0GYu
確かに言動が三河者っぽいなw

85 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/02/27(月) 19:05:22.36 ID:c9xG1UEP
めんどくさいけど嫌いじゃ無いなこういう人

86 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/02/27(月) 20:00:37.83 ID:p29GpW1l
傍から見る分にはいいけど、
実際同僚として付き合うのは嫌だなあ

87 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/02/28(火) 01:03:53.09 ID:5xSetJbK
徳川家の話と言われても信じてしまうレベルの、いいめんどくさっぷりw

97 名前:人間七七四年[] 投稿日:2012/02/28(火) 15:03:50.94 ID:W2HynZFD
>侍とは大身も小身もなく、ただ志の良き悪しきをもって評価されるものぞ!

結局書物にまで名が残った嘉兵衛の方が武士としては正しいかったと言う事か
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I can fry その後

2010年03月13日 00:03

196 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/03/11(木) 23:40:20 ID:DayNg+E2
ここんとこ真田の話が多いついでに怪異シリーズ 「 I can fry その後 」

信州真田家で葬儀があったが、野辺送りの際、にわかに辺りが暗くなって雷光が走り、棺が宙に浮いた。
なおも上昇する棺に、栃原武助という侍があわてて飛びついて止めたが、棺の上に立つ男がいた。
「何者じゃ!?」
「武助か、わしじゃ、嘉兵衛じゃ!」
「おお、嘉兵衛か!われら両人がおれば、もはや怖いものは無いわ!」

そう、真田が誇るアイキャンフライ侍・赤沢嘉兵衛(http://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-1280.html
が葬儀に参列しており、いち早く怪異に対応、棺の上にアイキャンフライして押さえ込んでいたのだ。

嘉兵衛が懸命に棺を踏みつけ、武助が必死に棺を引っ張っていると、やがて元のように晴天となり、
怪異は収まった。
逃げ散っていた葬儀の参列者もやがて戻って来て、野辺送りの再開を申し出たが、
「他人にも見られていただろうから、このまま埋葬すれば、「遺体を取られた」と噂されよう。
いったん戻って、あえて遺体を人々に見せ、改めて埋葬しよう。」
と言う嘉兵衛と武助の言葉に従った。

真田家中の岩崎家には、この時に嘉兵衛が妖怪「火車」を突いたとされる手槍が伝わっていたという。




204 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/03/12(金) 04:54:19 ID:GDORJT1i
>>196
fry(自)①いため[揚げ]られる ②≪略式≫猛烈に暑い;ひどく日焼けする ③≪俗≫電気椅子で処刑される
揚げ足とる気は無いんだけど③にびっくりしたのでつい

手槍はある(あった?)のに話の方には火車をぶっ刺すくだりは無いんだね、残念
戦国って火車に遭遇した話が割と多い気がするけど猫飼うのが流行ったとかあったんかな