天正十四年五月の沼田城攻め

2011年01月20日 00:00

299 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/01/19(水) 16:36:51 ID:qraloXDL

>>http://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-5046.html
で徳川との同時侵攻も撃退されてしまった北条氏直
こうなったらどうにかして沼田城を落とさなくては面目が立たない。
翌天正十四年五月に、再び沼田城へと押し寄せた。
今回は前回から更に動員数を増やし、実に七万もの兵で上野の片田舎の小城に攻め
寄せたのである。


と、そんな矢先に沼田城の矢沢頼綱から先鋒の北条氏邦宛てにお手紙が届く。

「去年勝てなかったからって、関東中の大名を引き連れてご苦労なこったね。ここ
数年、色々やってたみたいだけど、あいにく俺達はピンピンしてるよ?折角当主が
出馬してるんだし、さっさと攻めて来いよ。相手してやんぜ? 滋野頼綱より」

それに対して氏邦から頼綱へのレス。

「お手紙読んだよ。だって仕方ないじゃん。沼田って山の中で戦いづらいんだもん。
『攻めて来い』ってのは判るけど、俺達もこーゆード田舎って珍しくてさ。まずは
何日か、鷹狩りでもしてゆっくり骨休めしてから行くよ。その間に降参するって言
うなら、いつでも受け付けるよ?まずは落ち着いて考えてね。 平氏邦より」


しかしこんな和やかな文通をしている間に天候が急変、なんと三日三晩に渡って雨
と雷とが激しく続いた。
北条軍は本隊と連絡が途絶えるのを恐れ、沼田城を囲んでいた先鋒部隊を片品川の
南側へと引き上げさせる。
そしてその恐れは的中し、増水した河川は氾濫。北条軍がかけた橋を悉く押し流し
てしまったのである。


「先鋒を引き上げさせたのは正解だったな。まさかこんな事になるとは……」
雨が上がって現れたのは、利根川と片品川の氾濫による惨状。
雨がやんでも尚、濁流は渦巻き、渡河する事も橋をかける事も、到底出来そうにな
かった。

そんな北条軍の目の前。片品川を挟んだ対岸に真田兵が大勢、繰り出してきた。
攻撃か!? どうやって川を渡るつもりだ!?
緊張が走る北条軍を尻目に、彼等はのんびりと鳥を撃ったと手を叩き、鹿を撃った
と大喜びをして狩りを楽しんでいた。



300 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/01/19(水) 16:37:38 ID:qraloXDL


そして数日後、ようやく川の水も治まってきた頃、沼田城から矢文が届く。

「片品川を渡りたいなら自由にどうぞ。邪魔はしないよ。こっちは待ち草臥れて退
屈してるんだ。早く来てくれ」


「ぬぐぐぐぐぐぐ……」
これほど圧倒的な兵力を持っているというのに、ここまで虚仮にされる屈辱。
橋を掛けなおす手間も惜しいと北条軍は川を押し渡り、沼田城に攻め寄せた。
「一気に攻め落とせ!!我等を虚仮にした報いだ。目にものを見せてやれ!!」
怒り狂った北条軍の勢いは凄まじく、防御側が堀にかかる橋を落す暇もなく大手門
を制圧、城内へと押し寄せる。
続いて三の丸へもこの勢いで押し寄せようという時……

ドォォォォン!!

「な、何事だ!?」
背後で起こった轟音に、皆の足が止まる。
「た、大変です!大手門にかかる橋が落とされました!!……真田軍の忍びによって!!」
「なんだとっ!?」
「わ、我々は退路を絶たれ、城内に閉じ込められましたっ!!」

北条軍に動揺が走る中、三の丸からは弓矢、鉄砲、石飛礫までが雨霰と打ち込まれ
る。
更には三の丸の門が開き、七千の真田兵&民兵が北条軍に止めを刺すべく雪崩を打
って走り出す。
パニックを起こした北条軍は阿鼻叫喚の中、抵抗も出来ずに真田軍に討ち取られて
行った。


そして城外。
堀を挟んで繰り広げられる惨劇を、なす術もなく眺めているだけの彼等にとっても、
これは他人事ではなかった。
「かかれぇ!!」
別の城門から出撃した矢沢頼綱の率いる一千が、目の前の大虐殺を呆然と眺める北
条軍に襲い掛かったのだ。

沼田城に突入した先鋒の部隊は壊滅。
それに続く第二陣も頼綱に追い立てられ、討死にする者、川に流される者は数限り
がない、という状態であった。


散々挑発を重ねられた挙句の惨敗という結果に激怒した氏直は、沼田城を皆殺しに
してやる、と息巻いていたのだが、再び降り始めた雨はまたも周辺の川を氾濫させ
た。
参陣した諸豪族の間に漂う厭戦気分を感じた氏直は、歯噛みをしながらも兵を退か
ざるを得ず、小田原に引き返して行ったという。


なんつーか、挑発の手紙に付き合うなよ、北条さんちもさぁ。(^^;
雑兵には口合戦を禁止してなかったっけ?自分たちでやってどうすんのさ。





301 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/01/19(水) 16:59:13 ID:Noof9hdA
まさしくこれ↓だなw

ねぇねぇ、また負けちゃったけど
今どんな気持ち?
        ∩___∩                     ∩___∩
    ♪   | ノ ⌒  ⌒ヽハッ    __ _,, -ー ,,    ハッ   / ⌒  ⌒ 丶|
        /  (●)  (●)  ハッ   (/   "つ`..,:  ハッ (●)  (●) 丶     今、どんな気持ち?
       |     ( _●_) ミ    :/       :::::i:.   ミ (_●_ )    |        ねぇ、どんな気持ち?
 ___ 彡     |∪| ミ    :i        ─::!,,    ミ、 |∪|    、彡____
 ヽ___       ヽノ、`\     ヽ.....:::::::::  ::::ij(_::●   / ヽノ     ___/
       /       /ヽ <   r "     .r ミノ~.    〉 /\    丶
      /      /    ̄   :|::|    ::::| :::i ゚。     ̄♪   \    丶
     /     /    ♪    :|::|    ::::| :::|:            \   丶
     (_ ⌒丶...        :` |    ::::| :::|_:           /⌒_)
      | /ヽ }.          :.,'    ::(  :::}            } ヘ /
        し  )).         ::i      `.-‐"             J´((
          ソ  トントン                             ソ  トントン


302 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/01/19(水) 17:18:21 ID:zZj+aTex
小田さんの不屈の精神が足りない

303 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/01/19(水) 17:27:12 ID:/Cs2bbU3
まあここまで来ると嘘臭さが強すぎだけどなw

304 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/01/19(水) 17:33:03 ID:WdQexWzJ
洗練された挑発だな

305 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/01/19(水) 17:35:40 ID:rzcxgPVr
どうせ江戸時代の創作だろ
真田が徳川を翻弄したのと話を釣り合わせる
ために北条をボコボコにしたって事にしてるだけ

306 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/01/19(水) 18:03:18 ID:eMU9QMk0
そこまで負けていれば北条の支配体制にだってゆらぎがあるはずだし、
なにより、動員数万なら、上田合戦よりもはるかに規模が大きいのに
大して知られていないというのがねい。

307 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/01/19(水) 18:14:14 ID:QnRA4Zjr
かませ犬にするには便利な北条家であった

308 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/01/19(水) 18:18:07 ID:p0NUjSzr
本家は事実上滅んじゃった北条はどんな事書いてもクレームにはならない

309 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/01/19(水) 18:20:40 ID:nhzlIoLa
まあ軍記物だから仕方が無いが、天正12年に北条が佐竹義重、宇都宮国綱、由良国繁、長尾顕長
などの連合軍と戦い、北関東での北条優位を確立した沼尻の戦いですら北条の動員は多くても
1~2万なので、真田だけを相手に数万の動員とかありえないわなw

310 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/01/19(水) 18:22:41 ID:EsQpA7G8
小田原役後のどさくさに紛れて猪俣一族を闇に葬るとか
汚いなさすが真田汚い

311 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/01/19(水) 18:26:39 ID:2LZG+p4J
実際は壊滅した先鋒ってのも上野衆ばかりなんだろうね
八百長八百長

312 名前:人間七七四年[] 投稿日:2011/01/19(水) 20:28:13 ID:53N6X4ll
大東建託CMの殿様って誰の設定と思う?

313 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/01/19(水) 21:26:00 ID:OzGs+Brm
加沢記は戦国から100年後の家譜やからねぇ。
島津の朝鮮記とかもだがこの時代の脚色は半端内からしょうがない。
やる夫とか同様物語として楽しめば委員ジャマイカ

314 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/01/19(水) 21:39:58 ID:cMMPyNjZ
死人に口はないのだ

315 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/01/19(水) 21:52:47 ID:Uwayo8Mu
氏邦さんちは藩が存続してたのに・・・

316 名前:299[sage] 投稿日:2011/01/20(木) 00:59:34 ID:+O6WGFJQ
兵数七万ってのもたいがいですが、「関東の兵全てを率いてきた」と記録されており、
参陣した中には宇都宮氏の名前まで入ってます(笑)

あくまで逸話として投下しているので、真偽については私を責めないでね?
でも、家譜ってどれもこんなもんじゃね?(^^;

317 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/01/20(木) 12:01:36 ID:NPM39iI6
どこも似たようなものだ。
ただ続けて無双ばかりだから、みんな胸焼けしてるってとこやね

318 名前:299[sage] 投稿日:2011/01/20(木) 14:27:24 ID:+O6WGFJQ
>>317
あ~うん……無双無双としつこいかな、とは自分でも思ってました。
『加沢平次左衛門覚書』を読んで、投下出来そうな逸話はこれが最後かな、と思った
ので、間を空けずに投下しちゃいましたが。
やはり書いた本人が感じてたくらいだから、皆それは感じてたか。

申し訳ありませんでした。とりあえずこれで私の手持ちの真田関連ネタは終了ですの
でご安心を。

319 名前:人間七七四年[] 投稿日:2011/01/20(木) 14:39:33 ID:l/lm738M
>>318
いやいや、おもしろかったです。乙でした。

320 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/01/20(木) 14:41:10 ID:/jDHX1KO
>>318


321 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/01/20(木) 14:44:41 ID:Zepgz4bb
>>318
胸焼けどころかとても面白かったよ
乙でした

322 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/01/20(木) 15:17:25 ID:xnTztkBy
真田が北条大嫌いなのがとてもよくわかる逸話でよかったよ

323 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/01/20(木) 15:39:08 ID:nDaZk2mr
>>318
や、逸話は面白かったですよ
ノリでツッコミ入れたがるのはここの住民の性分というか・・・いやスマンカッタ
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天正十年真田vs北条の最終章

2011年01月09日 00:00

154 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/01/08(土) 03:53:27 ID:vmGhrQlv

天正十年六月、
>>http://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-4987.html

天正十年九月、
>>http://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-5016.html

天正十年十月、
>>http://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-5019.html

まで書いたんだから、最後まで書かなきゃ落ち着かない。
と言う事で天正十年真田vs北条の最終章。


阿曽、鎌田の両城を落とし、後は片品川を渡ればそこは沼田城、という所まで漕ぎ
着けた北条軍。
真田軍に立て直す暇も与えずに五千の兵が進軍を始めたのは十月二十八日。

沼田からも千三百の兵を出したというから、まさしく総力戦であろう戦いが沼田城
外、田北原にて行われる。
が、この戦いは互いに兵力をすり減らすだけの消耗戦となってしまう。
敵兵二百を討ち取ったとは言え、味方も百五十が討たれたという報告を聞くと、
矢沢頼綱はあっさりと引き上げの下知を下す。

全軍が沼田城に籠もり、堅く守って敵を寄せ付けない。
三日三晩、攻めに攻め続けても尚、崩れる気配さえ見えない沼田城に、北条軍は一
旦阿曾城まで退いて建て直しと兵の休息を図る。

しかし、阿曾城は元々、沼田城から片品川を挟んだ対岸の河岸段丘上に築かれた城。
沼田を攻める為に渡河を試みる敵軍を背後から牽制する為の城なのだ。
当然、大軍を収容する為の設備などあろう筈もない。
五千の北条軍の殆どは阿曾城と片品川に挟まれた丘陵地帯に野営せざるを得なかった。


「さて、頃は良し……と言った所か」
北条軍が包囲を解いたその晩、真田家随一の猛将が動き始める。
「皆、三日三晩も城に引き篭もって、さぞや退屈しただろう。今夜は思う存分暴れ
るがいい!」
頼綱自らが大将として、塚本肥前守金子美濃守渡辺左近丞と言った沼田の主力
メンバー計七百騎が、揃いの装束に身を包んで秘かに出撃する。


阿曽城外……この三日、夜通しで戦い続け、体力気力共に使い果たした兵士達が、
ぐっすりと眠りこけている。
当然見張りも立ててはいるが、兵力差による慢心と、野営続きによる疲労が彼等の
集中力を削いでいた。

「うむ、この分なら勝利は動かんな。……総勢、かかれぇいっ!!」
ドンッ!ドンッ!ドン……ッ!
真夜中の片品川に響く太鼓の音。
それを契機に一気に北条軍へと雪崩れかかる真田軍。
山国の晩秋の寒さの中、野営と戦闘による疲労に蝕まれた北条軍兵士達の反応は鈍
い。
彼方此方であるいは真田兵に討たれ、あるいは同士討ちを始め、あるいは片品川に
落ちて流されるという混乱状態に陥る。


155 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/01/08(土) 03:55:22 ID:vmGhrQlv

が、数に劣る真田軍は深追いはしなかった。
「落ち着け! 敵は少数だ! 備えを立て直して包み込めば簡単に殲滅出来る!!」
将官クラスの名のある者共は流石に反応も早い。
完全武装の姿を兵士に見せ、当たり前ではあるが簡潔で的確な指示を飛ばすと、徐
々に兵士達の動揺も収まってくる。
しかしその時には既に、真田の夜襲部隊は戦場を離脱し、闇の中に消えていた。

「ぬぅ、逃げられたか。……いや、待て!あそこだ!沼須方面に夜襲の軍が逃げて
行くのが見えるぞ!」
引き上げの時にはもう、姿を隠す必要はないという事だろうか、松明を掲げて退却
する兵士の一団を発見したのは猪俣能登守。
「追え!今からならまだ追いつける!奴等を殲滅して沼田城の連中に見せつけてや
るのだ!」


「釣れたのは猪か」
「懲りるって事を知らないんでしょうかねぇ」
「金子、猪俣も貴様に言われたくはないだろうよ」
闇の中に消えた真田軍の陣中、矢沢頼綱金子美濃守がほくそ笑む。
そう、皆さんご想像の通り、松明を掲げた一団、これは矢沢頼綱の計略であった。
金子美濃守の手勢から五十人を裂いて、わざと明かりを灯して北条軍の目の前に姿
を見せたのである。

「皆、判っているな。合言葉は『天』『気』だ。揃いの服を着て、合言葉を口にす
る者は斬るな。合言葉を知らん奴は服が揃いだろうと斬り捨てて良し! ……かか
れぇっ!!」

逃げて行く真田軍と思しき一団を追跡して突出した猪俣勢。
その腹背に喰らい付いたのは沼田城の中でも精鋭中の精鋭、矢沢頼綱率いる五百の
兵であった。
先の夜襲には素早く対応し、すぐさま立て直した猪俣も、二度目の奇襲には狼狽え
るばかり。あっと言う間に散り散りになって逃げて行ったという。

しかし……
「こっちにも居るぞ!」
「私もちょっとは働かないとね!」
逃げ惑う猪俣勢の逃げ道には、更に渡辺左近丞金子美濃守の手勢が立ち塞がる。
こうなれば最早殲滅戦である。
矢沢勢によって二百、渡辺&金子勢によって百人を討たれた猪俣は、身一つで命か
らがら逃げ延びて行ったという。


この夜の真田軍の死者は僅かに十人。負傷者が五十人という大勝利であった。
北条軍は猪俣勢の死者のみでも三百。ましてや猪俣は数日前にも三百を討たれる大
敗北を喫している。
二千居た猪俣勢の内、六百がこの沼田で命を落したのである。
北条氏邦にとっても、自分の目の前で副将格の猪俣の惨憺たる有様を見せつけられ
たのは大きかったのかも知れない。
十月二十九日には信州で徳川家と和睦を結び、天正壬午の乱も終結している。
ここが引き際と、氏邦は遂に沼田を諦めて北条全軍を厩橋城に撤退させたのである。
これ以降、北条氏は武力ではなく、徳川家を相手取っての政治交渉で沼田を落そう
と方針を転換させる事になる。


二千の内六百を討ち取られるって、それ壊滅ですよね?(^^;
そりゃ猪俣さん、沼田に拘るだろうし、真田を恨むよね。
つか、金子さんが働いてる!?




156 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/01/08(土) 07:42:53 ID:Jkxdo6Gr
えーと、金子美濃守って実は二人いた・・・んでしたっけ?w

158 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/01/08(土) 14:42:18 ID:Vesf48T6
金子美濃守~と言った沼田の主力メンバー云々…

ダウト!

真田vs北条の第三幕

2011年01月07日 00:00

296 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/01/06(木) 15:22:27 ID:0f7pTQ+Q

天正十年六月、
>>http://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-4987.html

天正十年九月、
>>http://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-5016.html

という経過を辿った天正壬午の乱の裏番組。
局地戦では一勝一負という結果ではあるが、全体的に見てみれば、城持ちの有力国
人数人を討たれ、動揺した国人衆の離反が続くなど、真田家にとってはジリ貧の状
態であった。

北条家としてみれば、イケイケで押し切りたい所である。ましてや対徳川家の状況
があまり芳しくない事を考えれば、上州~北信濃をしっかり押さえるのは死活問題
でもあったのだ。


十月上旬、今度は沼田方面に北条軍が侵入を始める。
長井城の恩田越前守が一旦は北条軍を押し返す健闘を見せるが、北条氏邦自らの出
陣によってあえなく落城。恩田は命からがら沼田へと落ち延びた。

続いて囲まれたのが阿曾城と鎌田城。
この両城を奪われたら沼田城までは一直線、という重要拠点である。
北条は阿曾を上泉主水等三千、鎌田を猪俣能登守等の二千で囲み、その背後に氏邦
が一千の兵で控えるという布陣であった。


沼田城の矢沢頼綱はこれを見て出陣。鎌田城から川を挟んだ地点に陣を取る。
とはいえ、兵力はたったの五百。
「頼綱め、余程鎌田城を取られたくないと見える。だが、奴の首さえとってしまえ
ば、この戦は終わりだ! 鎌田城よりも頼綱の首を優先するぞ!」
猪俣は鎌田城の押さえとして五百を置き、千五百の兵に渡河を命じた。

両軍は片品川の川原で正面から激突。
そう、矢沢頼綱、何の策も弄さず、真正面から三倍の敵に突っ込んだのである。
しかも加勢を買って出た根津幸直に予備兵力として後ろに控えておくように命じる、
という余裕まで見せている。

……半刻程の戦いの後、戦場に並んでいたのは猪俣勢の首、三百。
しかも猪俣の側近が十七名まで討たれるという惨憺たる結果であった。


十月二十二日になって鎌田城の攻め手が猪俣から須賀加賀守に交代すると、須賀は
猪俣の轍は踏むまいと城攻めに集中する。
沼田城内には「もう一度援軍を」と言う声もあったのだが、頼綱も二匹目の泥鰌は
いないとわかっていたのか、この時は鎌田城を見殺しにしている。
無事、鎌田城を落した北条軍では、「このまま一気に沼田城まで進軍するべし」と
の評定があったという。


297 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2011/01/06(木) 15:23:41 ID:0f7pTQ+Q


そして二十三日の夜。
こちらも包囲されたままの阿曾城。隣りの鎌田城が落城し、次は自分達かと戦々恐
々としていた……わけではないようだ。

「戦乱の世だからといって、我々は神仏をないがしろにし、戦の計略のみを考えて
日々を過ごしてばかりだ。丁度今夜は二十三夜だし、神仏を祭って平和を祈ろうで
はないか!」
現在では廃れてしまったが、かつては月齢二十三夜の日には二十三夜講と言って皆
が集まり、神仏を祭る集会があったのである。
ともあれ城主の提案によって、篭城する五百の城兵達は祭りを始めてしまう。
城主の名前を、金子美濃守……数ヶ月前にやらかしたばかりの「あの人」である。

三千の敵兵に包囲されたこの状況で、厳粛な祭祀ならともかく、酒を振舞っての飲
めや騒げやの宴を始めてしまった。
その度胸は褒めてあげてもいいかもしれない。


そんな宴会の真っ最中、
「敵襲だ!北条軍の夜襲が来たぞ!」
見張りに立っていた兵が宴会場へと駆け込んでくる。

三千の北条軍。しかも先頭に立っているのは鎌田城攻略から外された猪俣能登守。
雪辱に燃える大軍を前に、五百人の酔っ払いでは相手にならない。
一つの鎧を数人で取り合い、太刀や長刀も奪い合い。奪い合いの結果、相手を殺し
て鎧や刀を身につけるという連中が続出した。
挙句の果てには厩に繋いだままの馬にまたがり、走らせようと躍起になる者までい
たというのだから、もうベロベロの泥酔状態だったのだろうか。

金子美濃守は防御の指揮を取る事もなく、さっさと逃げ出す。
酔っ払った足で、なんとか岩伝いに城を脱出すると、沼須郷の海應山金剛院に逃げ
込んだ。
北条方でも金子の追跡をしており、夜が明けると金剛院を取り囲み、寺内の捜索を
始める。
しかし、どこへ消えたのか遂に金子の身柄を捕捉する事は出来ず、美濃守は無事、
沼田城へと落ち延びて行ったのだという。

金子美濃守は若い頃から信仰が厚く、田北原という地に愛宕社を建立したのだが、
沼田氏が没落して以来、兵乱によって社は荒れ放題になってしまった。
美濃守はこれを憂い、愛宕の御神体を金剛院に保管してもらっていたのである。
この時、美濃守が助かったのは、愛宕の御加護によるものだと、もっぱらの噂であ
った。


真田vs北条の第三幕。
前半の矢沢さんの無双っぷりと後半の金子さんの無能っぷりの対比を楽しんでいた
だければ……(笑)
しかし金子さんってば、湯殿山参詣に拘ったり、愛宕神社を大事にしたり、戦中に
二十三夜講を開いてみたり……まじで出家した方が良くないか?

前半と後半に落差がありすぎて、いい話と悪い話のどっちに投稿するか迷っちゃう
な。w




信濃の国の鬼神退治

2010年06月27日 00:00

949 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/06/26(土) 08:33:49 ID:WadOYW56
信濃の国の鬼神退治

昔々信濃の国の虎空蔵山という所にに鬼神が住んでいて人民を悩ませていたそうな。
ある男がその鬼神を討伐に向かったのだが、とても人間が太刀打ちできるものではない。
そこで男は水内八幡宮で願いたてをすると槍を授かった。
その槍は不思議な事に夜になると松明に変わり、その槍で鬼神を退治する事ができたそうな。

やがて時が流れ、その男の息子が13歳の時に合戦に初めて参加する事となった。
男は息子に「まだまだ若いのに初陣なのだからこの槍を与えよう」とこの槍を授けた。

息子は長じて名将となりこの槍を持ち主を最後まで支え続けた。
その槍の名は小松明、息子の名は矢沢頼綱という。

小松明の由来のお話。




950 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/06/26(土) 08:44:12 ID:0DfDK7C8
こまつ あきら?

951 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/06/26(土) 08:46:20 ID:Z78R8Xrm
鬼と見て武蔵か!と思って読んでました・・・
すいませんでした;;

952 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/06/26(土) 08:56:10 ID:v1iw5Pkl
俺も鬼武蔵が退治されるのかと思った。

953 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/06/26(土) 09:02:28 ID:WadOYW56
一度でいいから見てみたい人間無骨を持った鬼武蔵と小松明を持った矢沢頼綱の合戦。

954 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/06/26(土) 09:05:34 ID:C9MLQUdA
小松明のいんちき能力を前にしては、人間無骨はただの切れ味のいい槍でしかないなw

955 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/06/26(土) 10:17:28 ID:/g19A0mp
夜は槍として使えないのか

956 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/06/26(土) 10:30:03 ID:0DfDK7C8
夜襲に使えないな。
こちらの位置が丸わかりだ。

957 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/06/26(土) 10:59:33 ID:55XHXEAE
>>950
小松明(こたいまつ)

958 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/06/26(土) 11:01:03 ID:OMG0jZhh
なんか気の強い奥方のような名前ですねw

960 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/06/26(土) 13:54:27 ID:dVXxZFcv
>>956
しかし頼綱はフツーに夜襲しているという……
ttp://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-3842.html

961 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/06/26(土) 15:41:32 ID:aF+hBYFB
虎空蔵山って多田満頼も妖怪退治してなかったっけか

965 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/06/27(日) 10:42:02 ID:+SDBbP42
>>949

こういう鬼退治の逸話が作られるってことは
真田頼昌はよっぽど武勇に優れてたってことか。

しかし幸隆には小松明を与えなかったってことだよねコレw
無くても大丈夫だろうと思ったのか、
持っててもしょうがないと思ったのか。

ラノベ槍、その効果

2010年03月17日 00:07

326 名前:1/2[sage] 投稿日:2010/03/16(火) 07:23:25 ID:JGImTILm
>>296ラノベ槍、その効果

天正10年(1582)10月、北条氏の重臣・猪俣能登守は、天正壬午の乱のドサクサで奪われた沼田領を
奪還すべく、二千の兵をもって矢沢頼綱率いる五百の兵と沼須ヶ原で対峙した。

>よりつな は こたいまつ を つかった!

大将みずから先陣を切る頼綱隊は三百の首を挙げて猪俣を敗走させ、頼綱自身も十七の首を獲った。
その後、猪俣は頼綱配下の油断を突いて阿曽城を奪い、ここを拠点に五千の兵を集めて沼田を攻める
が、三日かけても沼田城を落とせず、体勢を整えるべく阿曽城に引き上げた。

>よりつな は こたいまつ を つかった!

逆に頼綱は七百を率いて阿曽城に夜襲をかけ、北条軍に大打撃を与えた。その間に、真田昌幸に
補給線を絶たれた猪俣は、本国へ撤退した。

天正13年(1585)9月、北条氏は上田合戦のスキを突いて当主・氏直が三万を率いて、沼田を攻めた。
これに対し、頼綱はなぜか一千の兵で沼田を出陣した。「矢沢来る」の報に、北条軍は猪俣能登守が
三千の兵で立ち向かったが、頼綱の伏兵により挟撃を受け、二百人を討ち取られた。
業を煮やした氏直は、兵を本隊二万と叔父・氏照の分隊一万に分け、本隊で沼田城を、分隊で支城を
攻め、一気に沼田勢を殲滅せんとした。

>よりつな は こたいまつ を つかった!

北条本隊が沼田城の門を潜ったとたん、真っ赤に焼けた炭が降ってきた。城門にも引火して、動揺する
ところに、頼綱が愛槍を振りかざし、襲って来た。二万の軍は潰走した。

327 名前:2/2[sage] 投稿日:2010/03/16(火) 07:24:37 ID:JGImTILm
天正14年(1586)4月、北条氏直は満を持して七万の兵を沼田に送り込んだ。が、途中の片品川で豪雨に
より橋が全て流されてしまい、泳いで渡河するも、沼田に着いた時は5月になっていた。
疲労し、士気落ちる北条軍に、矢沢頼綱から矢文が送られてきた。

「(前略)貴方御案内の為、此の山中に御出張、誠に以って御苦労の至りに候。
数年御心掛の処、我等命存へ今年に至り対陣を遂げ、大なる悦び之に過ぎるべからず候。
此表、不肖の族に候へども、早々の御出馬待ち居る処に候。此の旨、宜しく仰せ被る所に候。」

(意訳:遠い所、ご苦労さん。…なんて言うと思った?遅せーよ。早くかかって来いやオラァ!)

「くっ、山猿ふぜいが……!」氏直の叔父、北条氏邦が矢文を返した。

「(前略)書状の趣、大途に御披露に及び候処に神妙の至りに思し召し候。山中珍しく覚ゆるに付き、
一両日鷹狩り等仰せ付け被り候条、静かに寄り鬱憤蒙り候。
(中略)降参せしむは所領望みに任せ、一族並びに籠城衆、安堵なるべく候。猶一戦の節、期して候。」

(意訳:うるせーな、ド田舎が珍しいから遊びながら来たんだよ。さっさと降参すれば許してやんよ。)

5月25日、北条軍の先鋒が沼田城に攻撃を開始した。

>よりつな は こたいまつ を つかった!

突然、城門の前にかかる橋が落ちた。いや、頼綱の手の者に落とされた。すでに城内に入っていた隊は
頼綱に殲滅され、後の隊も押されて片品川に落ちて溺死する者が続出した。
緒戦で痛手を受けた北条軍は、またしても益なくして沼田を去った。時に頼綱、69歳であったという。

このおっかないじーさんの子孫は、今もまだ松代にいるのです……




328 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/03/16(火) 09:00:55 ID:joOsK0wO
李さん一家乙

しかしこれをみると上田城防衛戦がかわいらしく見えてくるな。