オランダ人とイギリス人、なぜこうなったか?

2010年08月08日 00:05

357 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/08/07(土) 19:10:00 ID:iyFubEl5
ウィリアム・アダムスはこのような手紙で(ttp://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-4414.html
母国イギリスがオランダ人のいる平戸ではなく徳川家の直轄地である東国へ来ることを勧めている。
が、1613年にやってきた英国船は平戸に入港
アダムスが駆け付けた時には商館設置の準備は完了しており、動かすことはできなかった。

なぜこうなったか?というと理由はごく単純なものである。
当時のイギリス東インド会社はオランダ商館がある場所に片っ端から進出していたのだ。
英国から見て海外進出の先達であるオランダが進出している場所は市場としてそれなりであるはずだからである。

これをオランダ側からみるとあまり愉快なことではなかった。
英国の進出は競合相手の出現であり、その分利益は低下する。
オランダ東インド会社は英国東インド会社のことを指して「馬アブのようだ」といったという。

が、欧州においてはまた情勢は違った。
当時のオランダはスペインからの独立戦争である八十年戦争の真っ最中であり
やはりスペインと対立する英国は重要な同盟国であった。

海外における競合と欧州における協力
この状況から当時のオランダ東インド会社社員の手紙では英国を指してこう言っている。
「偽りの友人」と。




358 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/08/07(土) 20:27:00 ID:jC4iXNPF
「国家に真の友人はいない」
 -キッシンジャー

「隣国を援助する国は滅びる」
 -マキャべリ

「我が国以外は全て仮想敵国である」
 -チャーチル

359 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/08/07(土) 21:07:23 ID:VAGDVM3I
鎖国って対外交流を禁止したんじゃなくて、結果的に対外交流できる国がヨーロッパではオランダしか残らなかったって話だよね。
スペイン・ポルトガルはキリスト教禁止で断交。
イギリスは対オランダで日本撤退。
その他の国で東アジアまで船を出せる国力を持ってるところが当時はない。

360 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/08/07(土) 22:12:55 ID:ZPg0F4Ik
>>357
ダッチワイフとかw
英国人がオランダ人を馬鹿にする伝統もひどいよね。
似たもの同士なのにw

>>359
朝鮮と清もいるよ。
鎖国っていう言葉自体、誤訳を重ねる中で生まれた言葉で、江戸時代の実態を反映していないという研究者の声も強いね。

366 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/08/08(日) 18:35:26 ID:1CaPVSFt
>>360
だから、>>359の1行目に「ヨーロッパでは」と書いてるよ。
周辺アジアとの交流は続いている前提で、ヨーロッパの国でという括り。
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ウィリアム・アダムスのお仕事

2010年07月16日 00:00

175 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/07/14(水) 23:13:05 ID:tlJf5afE
徳川家康に仕えたイギリス人、三浦按針ことウィリアムアダムスはどんな仕事をしていたのか?
彼の、イギリス商館長への書簡から、それを見てみよう。

『日本の東部、北緯35度10分、ここに国王陛下の城(駿府城)があります。

もし我が国(イギリス)の船がオランダ人のいる平戸に来れば、そこは幕府から230リーグ
(1リーグ・4.8キロ)も離れており、その間の道は退屈で不潔です。

江戸の町は北緯36度にあり、この地の東側はいくつかの最良の港があります。沿岸は開けていて、
本土から2分の1マイル沖まで浅瀬や岩は一切ありません。

もし船が東のほうの海岸に来れば、私を訪ねてきてください。
私は日本語で按針様と呼ばれております。

この名前で、私は沿岸の全ての人々に知られております。本土に近付いても心配は全くありません。
なぜならあなた方を、どこでも好きな場所につれていってくれる水先案内の小帆船がありますから。
船がここに来たとき、あなた方の会社の働く人々と混じって、私も皆様の満足のいくよう
お仕えできることを切望しております』

関ヶ原後天下をとった家康は、駿河の清水港や関東にまで、ヨーロッパの船が
直接乗りつけることを望んでいたらしい。
そのための港湾整備と共に、安針たちをつかっての積極的なセールスを行っていたのだ。
あたかも現在の各国によるハブ港湾、ハブ空港の売り込みのようである。
実際に清水港まで、巨大なガレオン船が入港していた記録も残っている。

徳川家康による、貿易拡大計画の一端が見えてくる書簡である。




176 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/07/15(木) 00:02:17 ID:n6GWeFfa
>>175
http://teda.iza.ne.jp/blog/entry/204224/
シーボルト

178 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/07/15(木) 09:59:25 ID:ppQDmowu
按針と家康の時代は鎖国してないから、シーボルトとは違うと思う。

ウィリアム・アダムズの望郷の念

2009年10月09日 00:17

213 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/10/07(水) 22:16:27 ID:bM27IXo7
三浦按針ことウィリアム・アダムズは徳川家康に仕えたのだが
祖国イギリスを想わない日はなかった。
しかしアダムズが
「妻や娘に会いたいのです。どうか帰国をお許し下さい」
と頼んでも家康はムッとして願いを退けた。
彼は家康に気に入られて命を救われたが、気に入られすぎて
帰れなくなったのである。
それでもめげずにアダムズが帰国を願うからだろうか。
家康はこれまでの働きを賞してアダムズにたいへんな贈り物をした。
三浦半島に広い領地を与えた上に将軍の直臣、旗本にしたのだ。
これが上手くいったのかアダムズは着物を着たり、お雪という女性と結婚
もしたが祖国に戻りたい気持ちは変わらなかった。

その後、家康がイギリス人のセーリスにジェームズ1世宛ての返書を
渡したとき、家康が上機嫌なのを見たアダムズは再び帰国の許可を求めた。
アダムズは日本のならわしに従って朱印状を家康の前に置いて
これまでの恩を感謝した。
家康は黙っていたが、やがて口を開いた。
「お前、そんなに帰りたいのか」
「もう15年も戻っていません。ぜひ家族や友人に会いたいのです」
「…わかった。今、お前を止めたらこれまでの働きを無下にしてしまうからな」
なんと何年も願いを拒否してきた家康があっさりと帰国を許したのである。
アダムズはこの思いがけない幸運を神に感謝したという。

ここまではいい話なのだが、一緒に帰るセーリスと折り合いが悪いことや、
蓄えがないためにアダムズは帰国を断念することになる。





214 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/10/07(水) 23:44:27 ID:40CrtiVF
アダムズは誠実な人物だったらしく、寵臣として家康から随分と可愛がられたみたい。
三浦半島の逸見に領地、wikiには250石とあるが、生活ぶりからは実際にはもっと
多かったような印象もってしまう、どうなんでしょう?


215 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/10/08(木) 00:00:24 ID:XnQl3HZe
>>213

        __
       ヽ|・∀・|/ ズコー!!
      \[\ ]ノ
    、ハ,,、


ウィリアム=アダムズとオランダ

2009年10月07日 00:03

199 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/10/05(月) 22:46:21 ID:2C3v7p99
徳川家康に仕えたウィリアム=アダムズは破格の待遇を受けながらも
祖国への思いを胸にしていた。妻や娘に自分が日本で生きていること
だけでも伝えたい。しかし、手紙をイギリスに送るにはオランダ人の商船
を頼らざるをえなかった。

だがオランダ商人たちはアダムズの手紙を揉み消した。イギリスに日本の
情報が渡ることを快く思わなかったのだ。しかも彼らはイギリスがジャワ島に
商館を設置したことまで隠したのである。こうしてアダムズは10年近くも
オランダ商人に騙された。のちにアダムズはオランダ商人に対する恨みを
友人に吐露している。





213 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/10/06(火) 21:54:38 ID:f4wnjmlk
>>199

Giles Miltonの有名な「さむらいアダムズ」を以前読んだが、今手元にない。
イギリスとオランダとは、アダムズ来航当時は良好であった。
現にアダムズは、当初、旗本であると同時に平戸オランダ商館の
エージェントとしてオランダからも報酬を得ていた。

友人のオランダ人を介して、当てずっぽうに極東での孤独な境遇を、何処かにいるはずの
イギリス人に手紙を書いて託したらその手紙が、インドネシアかどこかの
イギリス総督の手に入った。
同朋アダムズの存在に驚いたイギリスは、若い士官セーリスに率いさせ軍艦を平戸に派遣し、
イギリス商館の開設にいたった。

その後、英蘭、スパイス戦争となり、両国険悪となるも、アダムズの遺書遺産は
何とかイギリス本国に達し、未亡人と遺児の手に遺産、金銭が渡っている。
その時、強欲な東インド会社はなかなか未亡人に支払いをせず、裁判沙汰になたとか。

三浦安針と伊東

2009年09月27日 00:50

810 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/09/26(土) 11:11:24 ID:gKTVgodM
ではイギリスに関係あるいい話

徳川家康に仕え、その外交、貿易政策に助言、活躍した、三浦安針こと、
英国人ウィリアム・アダムス。
彼は現在の静岡県伊東市において、日本初の洋式帆船を建造しました。

この伊東市、この縁から今でもアダムスのことを大切に扱い、
夏には、彼を記念した『按針祭』というお祭りを行っています。
(今年で63回目。花火大会が有名です)

そしてそのお祭りのために、『按針音頭』と言うものまでつくりました。

「伊豆の湯けむり伊東にあつめ ぱっと花火は海に咲く 
見たか聞いたか按針祭は いでゆ伊東の夏げしき

船をつくった按針さんは 青い目をしたサムライよ 
見たか聞いたか按針祭は いでゆ伊東の夏げしき」

そして伊東市はアダムスの出身地である、イギリス、 メドウェイ市と友好都市の提携をしています。

過酷な航海の後、関ヶ原の年に豊後臼杵に漂着し、徳川家康に助けられ、徳川の旗本として活躍し
異国の地で侍として死んだ英国人は今も、日本とイギリスの友好の一助として、
存在をしているのです。




811 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/09/26(土) 11:28:09 ID:YDQlyL6m

>>810
ヤン・ヨーステンの方はどうなんだろう。
八重洲のあのあたりはビジネス街だからやりようもないか。


旗本、ウイリアム・アダムス・悪い話と良い話

2009年03月13日 00:16

807 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/03/12(木) 21:28:40 ID:YhxT62VW
家康の旗本、三浦按人ことウイリアム・アダムスは、
1609年平戸にやってきて家康の朱印状のもとに商館を開いた
オランダと契約し、何かと商取引の便宜を図った。

少し遅れてやってきた母国イギリスとも仲介業の契約を結ぶも、
オランダよりも格段にイギリスはケチであった。
そして商館長のヒックスも遊び好きの無能な男であった。

この当時平戸には、この2国のほかにも中国、インドシナとの交易船が
やってくる国際貿易港であった。
街には様々な商店以外に遊郭も盛業であり、松浦法院隆信は、色仕掛けでも何でも
何かと彼らを惹き付けようと躍起であったし、オランダ人、イギリス人とも
によく遊び、金を落としてくれた。

ある日イギリスの軍艦がやってきた。が、三浦按人は司令官セーリスと
不仲であっただけでなく、その他の士官、水兵らと一緒に街を歩くことを
顔色を変えて嫌がり、絶対に同道しなかった。

というのも、彼らが当時の日本人から見て余りに下品であったからである。
道の真ん中でつばを吐く、昼間から酒に酔い大声で叫びまくる、服装は乱れまくり
風呂に入らず汚い、女性を誰彼かまわずからかう。
とにかく旗本の彼にとっては、同国人の風体は恥ずかしくて
たまらなかったのである。

おまけにはオランダとイギリスは胡椒をめぐって戦争状態となり、
平戸にオランダ軍艦が捕獲したイギリス船が曳航されてくる始末であった。

そのイギリス人船員らを、松浦家の助力を得て解放したのもアダムズであった。
家康死後、秀忠からは相手にされず暇になったアダムズは、ベトナムに何度か
渡航し、小金を蓄財した。死後その金をイギリスに残した妻や娘に送金した。

サツマイモを琉球から、日本本土の平戸に持ってきたのもアダムズだそうな。

悪い話と良い話。




811 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/03/13(金) 03:38:21 ID:1gAMpB7s
>>807
時代的に軍隊なんだか海賊なんだかって感じなんだろうか・・
パイレーツオブカリビアンとか同じくらいの時代だよな。
この時代の平戸の光景とかさぞ面白いだろうな、
映画とかドラマで見てみたい。

宣教師、プロテスタントとカトリック・悪い話

2008年10月16日 12:40

466 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/10/04(土) 08:14:04 ID:Ma7kKQZI
 関が原の戦いが起きる少し前、オランダ人のウィリアム・アダムスの船が
日本に漂着した。家康に気に入られたアダムスがその側近となると、それを聞いた
ポルトガル人やスペイン人の宣教師たちは危機感をつのらせた。プロテスタントの
オランダ人が優遇されると、近い将来、カトリック教徒は日本から追い出されるのでは
ないかと不安になったからだ。
 宣教師たちはアダムスを解雇するよう家康にお願いしたが、家康は聞き入れない。
そこで宣教師たちはアダムスをカトリックに改宗させれば何とかなると思って
アダムス本人の説得に取り掛かったが、これも効果が無かった。
 あせった宣教師の一人がアダムスを呼び出して水の上を歩く奇跡を見せて改宗させようと
こころみた。ところがその宣教師は無様に失敗し、あやうく溺れ死にそうになった。
それを見ていたアダムスが「だから、やめろと忠告したのに」と言うと、その溺れた宣教師は
「お前が改宗しないからこんなひどい目にあったのだ」と、答えた。




467 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/10/04(土) 08:33:36 ID:aYXq7aWq
>>466
アホスw

468 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/10/04(土) 08:57:33 ID:McLNQjX/
「信仰の薄い者よ、なぜ疑ったのか」と言ってやればよかったのにw

469 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/10/04(土) 09:13:44 ID:i5/csjXg
>>468
つ座布団