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高麗僧、松雲大師の来日

2012年05月02日 21:02

惟政   
985 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/05/02(水) 19:31:06.07 ID:C0MK48jL
慶長9年(1604)11月、高麗より松雲大師と申す僧と、金考瞬と申す唐人二人が来日し、京都に到着した。
これは先年、彼の国に大明国より番手(駐留軍)が置かれたが、その軍勢の、朝鮮民衆への
狼藉があまりにひどいので、高麗王はこれを甚だ迷惑と思い、大明の軍勢が残らず帰国するよう、
日本からも明国に対し意見してもらえないか、という事を願うために渡海したのだという。

この時この松雲大師に、大聖庵の圓耳が会いに来て、仏法についての議論を、互いに筆談で
行ったそうである。
(慶長見聞録案紙)

朝鮮の役のあと、朝鮮が今度は明を牽制するために日本を利用しようとした、
こんな裏外交みたいなものがあったらしい、というお話。




986 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/05/02(水) 19:38:47.17 ID:7r4En9Ft
助けに来たはずの明軍の略奪すごかったらしいしな
属国哀れナリ、か

987 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/05/02(水) 19:43:54.14 ID:2ZsWMv3/
本当に朝鮮涙目だな。TERUが書状で書いてる通り、日本軍も略奪しまくり殺しまくり、だし。
地政学的に半島は酷い目に合い易いそうだが……。

988 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/05/02(水) 19:49:34.27 ID:B+E52SwJ
侵略した側が苦しむのは自業自得だが、被害者のほうがやっぱり酷い目にあうのが戦争。
因果応報論なんて嘘だよ……。

989 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/05/02(水) 20:00:02.66 ID:8rs3p5QN
>>986
実は属州扱いだったりする

>>988
侵略されなくてもあそこの民衆は酷い扱いうけてるからなあ
日本軍を解放軍と思ってたみたいだし

991 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/05/02(水) 20:16:53.06 ID:7r4En9Ft
>>989
あ、国ですらなかったんですか・・・

にしても不思議なのは、この時点で当初日本軍を解放軍とすら思ってしまうほどに
腐ってた王朝がこの後さらに300年続くことだよね・・・

994 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/05/02(水) 21:22:28.45 ID:MA3tAncb
>>991
正規軍がダメでも義兵を率いて立ち上がる人々はいたわけだから
そういう人たちがなんとかしたんだろう。>300年

995 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/05/02(水) 22:02:53.24 ID:aH8kcMmz
>>994
そういう人達は平和になったらどんどん追いやられて
また元の腐敗政治に

997 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/05/02(水) 22:13:58.41 ID:0FsTp7/5
李舜臣は日本軍との戦で散って本当に良かったよな
生き残ってたらきっとろくなことになってない
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朝鮮の江原道金剛郡金剛山、表訓寺の僧、惟政

2009年08月23日 00:18

惟政   
650 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/08/21(金) 22:57:07 ID:BCZDZNYU
文禄の役の事
朝鮮の江原道金剛郡金剛山は表訓寺に惟政という僧がいた。
日本軍がこの地にまで侵攻した際、寺の僧たちは皆逃げ出したが惟政は動じなかった。
これを見た日本軍は惟政を脅すような事はせず、中には合掌して敬意を表すものもいた。

やがて宮廷は僧達にも抗日戦への参加が命じ各地に公文を発した。
これを受け取った惟政は仏卓の上に広げて仲間の僧を呼び集め、これを読み上げながら涙を流した。
やがて惟政を中心に僧軍が起こされ、勤王の為に西へと赴いた。
日本軍占領下にあった平壌に到着するころには千余人の軍勢となり、平壌回復の戦いで活躍する。

全国の「義僧兵」達の司令官に任ぜられたのは惟政の師である西山大師であった。
当時73歳であった西山大師を理由に惟政を代理に任命
正式に義僧兵の総司令官となった惟政は官軍の南進と共に南下を続け、ついに朝鮮南東部の宣寧まで進撃した。


惟政の活躍は戦場のみだけではない。
惟政は3度にわたって敵将加藤清正の陣地に乗り込んだのだ。
これによって明・朝鮮の真意が秀吉の下に届けられ、小西行長と沈惟敬間で行われていた
早期講和交渉は破綻する。

戦後朝鮮は日本との国交回復を画策した際も惟政は活躍した。
しかし朝鮮から先に講和使節を送る事を躊躇した宮廷は、民間の僧であり日本側にも名が知られていた惟政を起用する。
「探賊使」として日本入りした惟政は慶長11年に伏見城で徳川家康と会見
この会見によって日朝間は大きく進展し、数千人の朝鮮人捕虜の帰国も決定される。

日朝間で活躍した名僧惟政は慶長15年に遷化した。享年66歳
尊称は「松雲大師」である。




653 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/08/22(土) 00:13:58 ID:FfsfmqEd
>>650
聖職者って稀に凄い人がいるよな
当時の朝鮮の仏教界はどの程度腐敗してたんだろう?
>>651
島津は動物に愛される家系だな…
ってか政宗より早いから日本初の洋馬輸入か?

654 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/08/22(土) 00:29:30 ID:qSMumW+C
>>653
腐敗するほど栄えてもいないんじゃないか?>朝鮮の仏教界
李朝では国教の儒教が大勢力になっているから仏教は弱小勢力。
というか弾圧対象だった時期さえある。
日本のように俗界の事に介入するほどの力もない。

657 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/08/22(土) 02:40:32 ID:dECKZIEJ
まぁ坊さんって盲僧含めて戦国時代に限らず昔から
外交や折衝役だけじゃなく率先してスパイ活動を担ってきたからな
使い勝手と役割の幅が広過ぎw