朝鮮の江原道金剛郡金剛山、表訓寺の僧、惟政

2009年08月23日 00:18

惟政   
650 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/08/21(金) 22:57:07 ID:BCZDZNYU
文禄の役の事
朝鮮の江原道金剛郡金剛山は表訓寺に惟政という僧がいた。
日本軍がこの地にまで侵攻した際、寺の僧たちは皆逃げ出したが惟政は動じなかった。
これを見た日本軍は惟政を脅すような事はせず、中には合掌して敬意を表すものもいた。

やがて宮廷は僧達にも抗日戦への参加が命じ各地に公文を発した。
これを受け取った惟政は仏卓の上に広げて仲間の僧を呼び集め、これを読み上げながら涙を流した。
やがて惟政を中心に僧軍が起こされ、勤王の為に西へと赴いた。
日本軍占領下にあった平壌に到着するころには千余人の軍勢となり、平壌回復の戦いで活躍する。

全国の「義僧兵」達の司令官に任ぜられたのは惟政の師である西山大師であった。
当時73歳であった西山大師を理由に惟政を代理に任命
正式に義僧兵の総司令官となった惟政は官軍の南進と共に南下を続け、ついに朝鮮南東部の宣寧まで進撃した。


惟政の活躍は戦場のみだけではない。
惟政は3度にわたって敵将加藤清正の陣地に乗り込んだのだ。
これによって明・朝鮮の真意が秀吉の下に届けられ、小西行長と沈惟敬間で行われていた
早期講和交渉は破綻する。

戦後朝鮮は日本との国交回復を画策した際も惟政は活躍した。
しかし朝鮮から先に講和使節を送る事を躊躇した宮廷は、民間の僧であり日本側にも名が知られていた惟政を起用する。
「探賊使」として日本入りした惟政は慶長11年に伏見城で徳川家康と会見
この会見によって日朝間は大きく進展し、数千人の朝鮮人捕虜の帰国も決定される。

日朝間で活躍した名僧惟政は慶長15年に遷化した。享年66歳
尊称は「松雲大師」である。




653 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/08/22(土) 00:13:58 ID:FfsfmqEd
>>650
聖職者って稀に凄い人がいるよな
当時の朝鮮の仏教界はどの程度腐敗してたんだろう?
>>651
島津は動物に愛される家系だな…
ってか政宗より早いから日本初の洋馬輸入か?

654 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/08/22(土) 00:29:30 ID:qSMumW+C
>>653
腐敗するほど栄えてもいないんじゃないか?>朝鮮の仏教界
李朝では国教の儒教が大勢力になっているから仏教は弱小勢力。
というか弾圧対象だった時期さえある。
日本のように俗界の事に介入するほどの力もない。

657 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/08/22(土) 02:40:32 ID:dECKZIEJ
まぁ坊さんって盲僧含めて戦国時代に限らず昔から
外交や折衝役だけじゃなく率先してスパイ活動を担ってきたからな
使い勝手と役割の幅が広過ぎw


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