赤井照光と狐と館林築城・いい話

2008年10月16日 11:41

988 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/09/12(金) 01:30:15 ID:gXeMNN/I
昔々、正確に言うと享禄元年(1528年)、上州に大袋城主、赤井照光という
お侍がおった。

お正月、甥の舞木城主、俵秀賢に年始のあいさつに向かう途中、近藤林で子供に
いじめられる子狐を見た。子狐をあわれに思った照光は、子供たちに

「可哀想な事をしてはいけない。ほら、これを上げるからその子狐を私に譲りなさい。」

と、小銭を与え、子狐を、「もう、捕まるんじゃないぞ?」と、野に放してあげた。

さて、その日の夜。甥のところで御馳走になった照光、いい気分で帰っていると
目の前に、身なりのいい一人の老人が現れた。

「わたくしはは大袋の守護稲荷、稲荷新左衛門であります。我が眷属の子狐を
助けてくれた御恩をお返ししたく参りました。実は殿様、沼の北岸に要害の地があり、
ここに城を築けば、必ずや名城になるでしょう。」

こう言うと、その老人はたちまち消えてしまった。
その時は照光、「少し酔いすぎた」かと思っていたが、なんとなく気になり、
老人の言った沼の北岸を調べさせてみた。なるほど、天然の要害である。
たしかにここに城を築けば難攻不落は間違いない。しかし、いかにも縄張りが難しい
土地でもあった。

どうしたものかと悶々とした日々をすごしていると、七夕の夜、今度は屋敷に、
かの稲荷新左衛門が現れた

「縄張りはこのようにするのが良いでしょう」

と言うと、尻尾で地面に図面を書き始め、たちまちのうちに、文句の付けようのない
立派な縄張りが完成した。
「城が完成いたしましたら、私の主人である稲荷神が、その城を守護すると
申しております。どうか一角に、稲荷社を建立しますよう。」
そう言うとまた、たちまち消えてしまった。

照光はすぐさま、狐の縄張りどおりに築城を始めた。狐の図面に間違いは一つも無く。
立派な城が完成した。この城の名を館林城。あるいは狐が尾で図面を引いたことから、
尾曳城と呼ばれた。

戦国の世は、狐すら高度な軍事技術で恩返しをした、と言うお話。




989 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/09/12(金) 01:39:22 ID:czP081DE
近くにはぶんぶく茶釜の伝説があるし文字通り狐狸のすみかだったわけね



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狐の城再び
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