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碧蹄館の戦い、国富源右衛門と豪華な鎧の明兵・悪い話

2009年04月05日 00:07

402 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/04/04(土) 00:48:25 ID:HorkhVF0
文禄2年(1593)1月、碧蹄館の戦いの時のこと。

宇喜多秀家の家臣、国富源右衛門は手柄になりそうな敵を物色していたが、
ついに豪華な鎧を着た明兵に遭遇した。

源右衛門は太刀で三度まで明兵に斬りつけたが、相手の鎧が硬いのか、
それとも源右衛門の腕が悪いのか、三度とも弾き返されてしまった。
「よろしい、ならば格闘だ。」
あきらめた源右衛門、太刀を投げ捨てると素手で飛びかかり、組打ちを挑んだ。

・・・功夫の国の人に。
明兵「私は一向に構わんッッ!!」

たちまち源右衛門は押さえ込まれ、マウントポジションを取られた。
必死ではね返そうとするも、岩にのしかかられたようで、ビクともしない。
なんとか脇差を抜いて突いたが、これも鎧にはね返された。

結局、源右衛門は状況に気づいた味方の手で、やっと救われたという。
何がしたかったんだ、源右衛門。

というか、この後に数十人がかりでようやく討ち取った、マヂで某海なんとかいう名前
だったであろう明兵のスゴイ話かも知れない。




417 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/04/04(土) 11:36:56 ID:QlGJsGE2
>>402
そんなに強いなら討ち取られる前に逃げろよ明兵w

421 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/04/04(土) 11:54:15 ID:rPUVrXaz
どんだけ凄くても討たれたら恥とかなのかな

444 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/04/05(日) 09:35:22 ID:qPcE2jEL
>>402
戦衣の裏に鋲や鉄札を張った銃兵や弓兵はともかく、
明の重歩兵の山字甲や騎兵の環鎖鎧は爪先まで装甲で覆い、防刃機能に極めて優れているよ。
朝鮮に渡った宣教師も、優れていたと思われていた日本刀や槍が明の鎧には通用しないと
書いている。

446 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/04/05(日) 13:03:25 ID:yXU7MOpe
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