朝鮮役、相手側の臆病者・悪い話

2009年03月07日 00:13

李宗誠   
614 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/03/06(金) 00:57:48 ID:ZYmGbFLr

朝鮮侵攻において「日本一の臆病者」と言われたのは大友宗麟の息子である大友義統
そして相手側にはどのような臆病者がいたかというと…

李宗誠は明の建国の功臣李文忠の後裔という名門の子弟であった。
文禄の役の後の和平交渉において明の上使となり1595年11月に副使柳方亭と共に日本軍占領下の釜山までやってきた。
この後以前から交渉を進めていた明の武将沈惟敬のみが渡海し、李宗誠らは長く留め置かれた。

ここである人が李宗誠に言った。
「倭酋(豊臣秀吉)は誠に封を受ける意思などなく、あなた方を誘い出して拘留し苦しめ辱めようとしているのだ。」
当時の状況からすればこのような考えが浮かぶ事は不思議ではないのだが問題はこの後の李宗誠の行動である。

なんと李宗誠は逃げ出したのだ。副使柳方亭や随従の者達、さらには輜重や信任状まで置いたままで。
1596年4月初めのことである。
夜半に服装を変えて軍営を抜け出した李宗誠は大道を避けて山中に潜んだ。
日本軍が李宗誠の脱出に気がついたのは翌朝の事、すぐに探索を始めたがついに見つからなかったという。
李宗誠の逃走は見事成功したのだ。

こうなると気の毒なのは置いていかれた副使柳方亭である。
ただ一人軍営に残された彼はこの事を宮廷に報告し、上使となるように命ぜられ
6月15日に渡海し無事にその任を果たしている。




615 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/03/06(金) 01:01:07 ID:fIYu3ICb
ヘタレの宗誠のその後はどうなったの?
ヘタレの吉統のその後は散々だったが。

616 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/03/06(金) 01:02:59 ID:LixUx5z3
>>614
朝鮮役は日本側も明の側も、勿論朝鮮も、ギャグかと思うほどコミニュケーション不全だよね。
お互いが全くかみ合わない。意思の疎通が出来ない。

良く講和できたもんだw

617 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/03/06(金) 01:39:58 ID:vol1/OrH
>>616
結局、全面的に引き上げた後での講和だからなぁ。宗義智の偽国書のおかげ。

618 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/03/06(金) 01:53:07 ID:b88VO1Yk
だって日本にしてみりゃ数百年振りの外征だしなぁ。
言葉が通じないし、考え方も違うから相当苦労したかと。 安国寺恵瓊は子供にいろはを教えたりしたそうだけど、助けにきた筈の明は懸賞目当てに撫で切り…!
戦でも此処まで考えが違うと収拾がつかんよ。

624 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/03/06(金) 02:50:25 ID:OWKaOXZH
李宗誠は臆病者というよりはむしろ賢明かな
沈惟敬と小西行長が散々お互いの主君に「敵国は降伏する気満々です」なんて調子の良いこと言って、
それを信じて講和交渉進めてたのに、実際に段取りが決まってその使節になってみたら
沈惟敬から「あれ全部嘘だから(笑)適当に話し合わせてちょ」とか言われてもさぞ困っただろう
後に沈惟敬は欺瞞外交がばれて処刑されてるし、小西行長や宗義智も
西笑承兌のとりなしが無ければその場で秀吉に斬られてた可能性が高かった

本当にこの茶番で可愛そうな目にあったのは朝鮮なんだな
1596年の和議の際朝鮮代表として黄慎を日本に派遣したが、秀吉に
「お前ら約束の人質連れてないじゃん、つうか属国はお呼びでないよ」
なんて言われて門前払いくって会議に参加できず城の外で待ちぼうけ、
で和議が破綻したら小西に「講和が上手くいかなかったのは朝鮮人の所為なんすよ」なんて言われたせいで
秀吉の恨みを買って慶長の役では朝鮮人撫で斬り指令出されてる
朝鮮人はあんまり好きじゃないが、大国の間に挟まれて無視され、
挙句いつも貧乏籤ひかされてるのは少し気の毒になる(まあ笑えるけど)

627 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/03/06(金) 09:26:23 ID:Vp6mmLax
李宗誠は満州でとっ捕まり、北京に送られた。
が、あまりの臆病ぶりを不憫に思った慈悲深き皇帝陛下のご英断で
金三万両の罰金で御赦免となった。

沈惟敬は、称号と異なり武将じゃなくって、市井のおっさん。
倭軍の侵攻で「めんどくセエなあ、対策、誰かいい知恵無い?」という
明政府の怠惰な政策コンクールで選ばれたおっちゃん。

戦いたくなかった小西行長、宗義智とはうまが合い、というか口がうまく
互いに知恵をひねって各々の主君を騙しあった。
外交なんて、今も昔も同じゃないかい。

628 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/03/06(金) 12:05:34 ID:+QLXObws
小西と宗が中心になってやった背信行為は
よく処刑されなかったなってレベル
命賭けてまで秀吉騙すなんてよーやるわ

そいや島津家にいた明の帰化人家臣も不穏な動きしてたって話だな
名護屋じゃ島津が秀吉暗殺狙ってるとか噂流れたんだっけ

647 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/03/06(金) 23:59:18 ID:HTBIg0dG
>>628
小西と宗ってどういう交渉したの?
よく処刑されなかったなってレベルって・・・

648 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/03/07(土) 00:01:55 ID:5Ucs4Ket
どうも秀吉は実は戦況を把握してたらしい

650 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/03/07(土) 00:49:11 ID:DQEIk7RZ
>>647
>>624がチラッと触れてるが

唐入り前は宗が朝鮮との交渉役だったが、
秀吉には「もうすぐ朝鮮から朝貢の使者が来ます!」
朝鮮には「なんでもいいから適当に使者を送って下さい。」

で、本当に適当な『日本平定祝賀の使者』が来て、直接秀吉と対話してウソがバレる
秀吉キレて文禄の役開始

で、停戦後、外交交渉にあたったのが小西 これがまた
秀吉には「日本に有利な条件で講和ができます!この戦、勝利です!」
明国には「日本は明に朝貢したかったんです!でも朝鮮がジャマしたんです!」

で、明帝から秀吉に手紙が来たんだけど
『日本国王として認めてやんよ』とだけ(ホントにこれだけ)なんでこれまたウソがバレる
秀吉キレて慶長の役開始

と、ウソにウソを重ねるのに公文書偽造までやってんだから処刑されない方が不思議
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