天正遣欧使節、ラモン司祭の告発・悪い話

2009年02月27日 00:17

370 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/02/25(水) 22:54:10 ID:n65l6Sjy
1582年2月20日長崎を出港した天正遣欧使節、有名な4人の少年らは
訪問したポルトガル、スペイン、特にカトリック総本山のあるイタリアでは
極東から遥々やってきたキリスト教徒の貴公子として、いく先々で大歓迎を
受けた。ローマではローマ教皇のシスと5世の戴冠式の際、新法王のすぐ
横に列席させられる程の栄誉であった。反プロテスタントのプロパガンダ、東洋からやってきた
東方三博士に擬せられて利用されたのである。

ところが彼らがまだ帰国の途中のゴアに滞在中の1587年、
彼らを告発するスキャンダルが生じた。
少年らを教育していたラモン司祭が、「彼らの真の氏素性は、とても王子、貴顕には
値しない、単なる田舎のハナタレ餓鬼である。」とイエズス会本部に当てて
お手紙をしたためたのである。

伊東マンショは、日向の屋形伊東義佑の娘の息子、大友宗麟の
遠い縁者であったが、伊東家は当時島津に追われ、豊後で
食うや食わずの落ちぶれ中。彼自身も豊後府内では乞食同様の身の上であった。

原マルチノ、千々石ミゲル、中浦ジュリアンも、せいぜい国人の息子であり
とても王子、プリンスといえる身分、ふさわしい財力を持たぬ身であった。

何故、当時平戸にいたラモン司祭が告発したか、その真意は不明である。
おそらくイエズス会内部での坊主同士のつまらぬ喧嘩、出世争い、などであったろう。




371 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/02/25(水) 23:10:34 ID:Uwn9Nt5I
ヴァリニャーノが日本の布教方針に色々介入してたのが気に入らなかったんじゃねぇの?
ラモンが既に追放されたカブラル派だったとか
本国でヴァリニャーノが挫かれればカブラルが帰ってくるかもしれんし
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