イエズス会、駿府・江戸の旅

2012年08月29日 20:50

206 名前:1/2[sage] 投稿日:2012/08/28(火) 22:36:13.04 ID:P8mOuui5
慶長12年(1607)、秀忠に将軍職を譲り駿府に隠居した徳川家康は、長崎に居たイエズス会員に
謁見を許した。その時の模様をキリシタンの側の記録より見てみよう

『…京都の知事(板倉勝重か)は京都より駿河に至る沿道の、公方(家康)の諸役人をして
師父に便宜を与えるため、彼らに宛てた回状をパエス師に授けました。プロバンシャルは京都の学院長
モレジョン師と、彼に常に従う師父一人と、日本人の法兄弟3人を伴い、8日後、駿府から5里ほど
離れた場所に到着し、そこで幕府よりの沙汰を待ちました。そして3日後、招きを受け駿府に入りました。

上野殿(本多正純)は人を遣わして我々が無事に到着したことを喜び、将軍の寵厚きソトサブロー殿
(後藤庄三郎か)は自ら我等のところに来て、我々のために周旋する旨を申し出されました。

翌日、謁見の儀式がありました。長崎の街に関係ある、とある大事件の為数日前に到着された
ジャン・ロドリゲス師もこの式に列席されました。上野殿は取次の役を勤められ、公方(家康)は
親切なる数語を述べられました。これは正式の謁見においては著しい名誉です。
かの国君はその謁見室から退かれたあと、近臣に向かい、謁見者の日本・支那に在る、同宗の人々に対する
権威が大なる事と、年々彼が命じた事について、そのまま従っていることに付いて長く語っておられたとのことです。

ここに摂理が密かに我等に幸いした一例として、特に語るべきことがあります。
それは謁見式の当日、公方の長子にも関わらず、正妻の子でなかったために位を継ぐことの出来なかった
越前公(結城秀康)薨去という凶報が駿府まで達したのですが、上野殿は、公方が若しこのことを知れば
謁見の式は延期され接待も厚く出来ないことを察知し、国君が謁見の前にこの報に接しないよう
全力をなし、越前より来る書状は全てこれを押さえ、その上謁見の時刻を早めにされました。
これは非常なる親切であり、大いに、我ら宣教師の利益となりました。

世の人々はこれにより、君主の意志の発表を待たずして我々が再びこの国内に滞在することを
許されたと考えて良い、と言います。日本の法によれば、追放令を発した人が、追放令を受けたものを
面前に出ることを許せば、この者は再び君寵を得たと理解されるためだからです。

我々は公方の子にて後継者たる人(秀忠)に敬意を表するため、江戸に向かいました。これにも上野殿は、
その父であり将軍の最も信頼されている顧問である本多佐渡殿(正信)宛の書状をプロバンシャルに与えました。


207 名前:2/2[sage] 投稿日:2012/08/28(火) 22:37:19.82 ID:P8mOuui5
江戸は駿府より東方へ4日ほどの所にあり、途中には有名な山があります(富士山)。
この山は高く美しいため、日本の文士、美術家によって常に賞賛されています。
道は駿河より伊豆を経て相模に入ると、ここに日本の旧都にして、公方又は将軍の居所である
鎌倉があります。元は人家の数20万に上ったそうですが、この時は減じて、5千に満たないほどでした。
師父は2日間この地に滞在し古跡を見て回りましたが、中でも特に注意を引いたのは、
青銅の巨大な偶像が、田園の中に捨て置かれ、野鳥の休憩所となっていたと言うものでした。(鎌倉の大仏)

江戸に到着する2里前で、師父は江戸の信徒たちの出迎えを受けました。彼らは果物や食品などの
贈り物を携え我等を歓迎しました。

若き将軍(秀忠)は元来とても親切な方で、特に師父を厚遇されました。
城の最も奥の溜りの間には、帝国内で最も名高い僧が二人居ました。
一人はタイチャウラウ(大長老)、もう一人はガチャウ(学校か)と称され、彼らも将軍に
謁見するためここに訪れていたのです。京都の寺院の長老である僧侶数名もまた同室にありました。
ところがこの君(秀忠)は先に来た僧侶たちとの面会を後にし、先ずパエス師を召されたのです。

謁見式の後、本多佐渡殿、および相模殿(大久保忠隣)は師父を送って最後から一つ前の部屋に至ると、
宮中を案内するようにと命じました。この宮殿(江戸城)は壮麗であること公方の宮殿に劣らず、
装飾は黄金と最も名高い画家の手による絵画を以ってなされています。

師父が主な保護者である相模殿及び本多佐渡殿に暇乞いに行き、親切にて寛大である佐渡殿に、
日本の教会の利益を保護することを依頼し、布教の自由を求め、宣教師の説く聖法は日本の施政にも、
臣下の君主に対する服従にも、反対するところは些かも無く、全く道理に合い君主及び人民に、
むしろその義務を教えるものであることを言い添え、またこの教えは現世のために大いなる効用があり
来世のためにも更に必要なものであることを説き、佐渡殿より将軍に請うて、将軍の父君のごとく
庶民のみならず、諸侯及び貴族にも教会に入る自由を与えられることを懇請しました。

師父はこの様に好成績を得て駿河に向かって帰路につき、5ヶ月の愉快なる旅行の後、再び長崎に帰られました。』
(パジェー日本耶蘇教史)





208 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/08/28(火) 23:06:56.77 ID:I+akEOZd
悪い話なのか
読解力ないからどのあたりがどう悪いのか頼むわ

209 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/08/28(火) 23:12:55.70 ID:P8mOuui5
簡単に言うと、5年後にこの宣教師たちが信頼した本多親子がらみで岡本大八事件がおきてキリスト教禁教に。

210 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/08/28(火) 23:32:40.11 ID:tbpJN4Bp
オチを書かないのはどうなんだろう

211 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/08/28(火) 23:43:57.43 ID:I+akEOZd
わかった
結局は禁教になるからキリスト教の伝来も悪い話な

212 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/08/29(水) 13:23:10.05 ID:3kFQk1eY
努力が必ず報われるとは限らないって話しだな
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イエズス会と日本人奴隷貿易・悪い話

2009年02月09日 04:43

680 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/02/08(日) 18:50:31 ID:FEWbUksu
1598年、イエズス会が奴隷貿易者を破門する議決所を作った。
その中にはこうある

「…ただし、日本で少年少女を購入し、日本国外に輸出する者に対し、イエズス会は
その輸出業者のための労務契約に相互に署名し、認可を与える。」

日本人奴隷の貿易が、イエズス会公認のものだったと言う証拠だったりする。




683 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/02/08(日) 19:18:49 ID:SJ5DmSJu
>>680
イエズス会が直接破門する権限を持っているわけではなく、
あくまで該当管轄下の司教の権限、ローマカトリックのそれによる破門、という
文脈じゃまいか。
東洋の場合は、インドのゴアの大司教か誰かだろうから、結局
フランシスコ、ベネデイクト会なんかが割り込んでくるまでは
イエズス会の独占状況ではあったが。

イエズス会がポルトガル商人の日本人奴隷売買を黙認していたことは事実だが、
徳富蘇峰が描いたような10万人なんてのは、物理的には無理っぽい。

イエズス会とスペインの本音・悪い話

2008年10月16日 12:30

378 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/09/26(金) 16:43:20 ID:tfyYMlnq
イエズス会日本管区、準管区長ガスパル・コエリョからフェリペ二世への手紙


「日本を植民地化しカトリックに改宗させてしまえば、我々は大量の、好戦的で怜悧な兵を
得る事ができ、これによって、中国征服も可能になるでしょう。」


スペインの本音。




380 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/09/26(金) 17:23:09 ID:tfyYMlnq
もう一個スペイン話

秀吉のキリスト教禁教政策への転換に、決定的な影響を与えたサン・フェリーペ号事件。
この時秀吉は、サン・フェリーペ号の乗員および宣教師を処刑し、積荷を没収した。
この事件に対しての、スペインのフィリピン総督からの抗議書


「船の乗組員や宣教師は皆処刑されたそうですが、考えてみれば、これで彼らは神のいる天国に
召されたわけだから、まあそれはいい。

そんな事よりも、ともかく積荷を返してください。」



381 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/09/26(金) 18:07:46 ID:mrnvUjWj
総督ナイス!

イエズス会の医療行為とは・悪い話

2008年10月16日 12:26

288 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/09/18(木) 22:51:59 ID:c1LMZO2f
日本にキリスト教が広まった時、その原因の一つとされた、宣教師による医療行為。

実はその医療行為の内容のほとんどは、聖水をのませたり祈祷をしたり、といったもの。
「西洋医学で患者を治し信頼を得た」というのは、嘘。



293 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/09/19(金) 12:18:05 ID:0bCN2BLk
>>288
イタリア人に「おまえはイエズス会だね」
というと殺されるよ。
イエズス会=イタリア語で詐欺師。



294 名前:人間七七四年[] 投稿日:2008/09/19(金) 12:36:49 ID:0bCN2BLk
ついでにこれも。
金儲けのためにキリスト教信者になった有馬晴信の非道。

有馬晴信は布教よりも、イエズス会を通して得られる海外交易の利益のほうが重要であった。
交易を維持するためイエズス会の申し出により、少年少女を進物として提供し、
家臣もこれに従い、家来のみならず、庶民の子供をさらい売ったり贈与したりしていた。
人々はこの難から逃れるため、子供を隠したり、他の家に預けたりした。

宣教師の書簡に書かれた「有馬の全土が苦悩に覆われた」というのはこのこと。



295 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/09/19(金) 12:47:12 ID:wWPP4gHi
てめえでガキを貢げといっておいて何言ってんだ

296 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/09/19(金) 13:02:11 ID:0bCN2BLk
アジア植民地化の先鋒部隊として位置づけられたイエズス会にも、
布教第一の真面目な人もいた、ということか。


297 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/09/19(金) 13:33:26 ID:e55tlg1l
トーレスさんとかな

298 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/09/19(金) 14:36:33 ID:WaljNpTb
九州の切支丹大名は貿易の実利が関わってるから生臭い大名が多い

299 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/09/19(金) 14:51:51 ID:tknkDcpp
戦国~江戸初期の肥前っていいイメージが無いなあ

300 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/09/19(金) 18:45:04 ID:swyDt6+r
カエサルがいたらしいじゃん
純粋に信仰第一にしてたのって高山と大友ぐらいか?

301 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/09/19(金) 23:55:38 ID:Vc9StHnT
内藤如安を忘れちゃいかんぜ。

何だかんだで追放後に日本人街とか作ったりしながら
マニラで12年生活した後に天寿を全うして逝った。

イエズス会の罪の償い・悪い話

2008年10月16日 12:04

92 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/09/05(金) 00:08:37 ID:pkMeJIpz
イエズス会の宣教師が、信者に向かって言った、とある説教。

「我々は、罪深き仔羊です。四旬節ごとに、罪の償いをしましょう。
一番良い罪の償いは、通りすがりに寺院を見かけたら、それに放火することです。
神もお喜びになるでしょう。」


キリスト教徒が、未だに殉教などと言って被害者面しているのが不思議でしょうがない逸話。




93 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/09/05(金) 00:34:49 ID:zSM7KckT
>>92
被害者面するあるいは被害妄想的な発想をするのは開祖のジーザス・クライスト以来の伝統かもね。
あと、キリシタン大名の大友宗麟が、日向遠征の際、寺院仏閣に放火してまわったという伝承もあるよ。

96 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/09/05(金) 02:16:06 ID:xqPbWGcD
イエズス会は当時からヨーロッパでもキチガイ集団視する人多くなかったっけ

97 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/09/05(金) 02:24:42 ID:pkMeJIpz
>>96
あまりにキチガイなので、ヨーロッパでもイエズス会を領地から追い出した国も多かった