『おあむ物語』服装編

2010年01月22日 00:04

おあむ   
879 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/01/20(水) 23:06:38 ID:Al3S1n+g
ここで紹介された『おあむ物語』
http://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-3396.html

さて、この「おあむ」は、石田三成の元、300石を知行した武士の娘なのだが、
自分の少女時代を、こんなふうに語っている

「私の着物は13歳から17歳まで、麻の帷子一枚だけでした。そのため最後の方は
着物の裾から膝が出てしまい、大変難儀したものです。」

19万石の石田家中において300石といえば、堂々の中堅家臣である。
江戸期の軍役で言えば、乗馬の当主に侍、槍持、馬の口取、甲冑持、小荷駄、草履取りの
六人がつく身分である。その娘であってすら、当時はこの様な生活であったのだ。

べ、別にぱっつんぱっつんでミニスカ状態の着物の裾から出る17歳の生ひざ小僧萌えとか
そういう事ではないぞ。間違えないように!




880 名前:奇矯屋onぷらっと ◆SRGKIKYOUM [sage] 投稿日:2010/01/20(水) 23:12:08 ID:5qPwzSlA
おいしい話かよ。

881 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/01/20(水) 23:24:57 ID:UbxDvaEO
戦国ちょっとエロい話だな。もっと頼む。

882 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/01/20(水) 23:37:54 ID:qjjpWJF1
男子は大事にされても、娘は大事にされないって家もあるんだよ。
現代でもたまに。

883 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/01/21(木) 00:07:08 ID:7jV7hz1v
中世では、女の方が大事にされたようだ。
人身売買でも、女の奴隷の方が値段が高かったし。
人口も、正確な統計はないが、当時の人の実感として、女性の方が多かったとか・・・

884 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/01/21(木) 00:16:08 ID:exfCY26t
あずみはどうなる。。。

885 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/01/21(木) 00:48:38 ID:AcDmdIcF
子供を生むとまた立ち位置変わってくるしな
海の物とも山の物ともつかない娘じゃ扱いは軽いよな

>>879
6人つくというより身分上つけなければならない
だから侍ってまれに従者より貧乏なことがある

886 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/01/21(木) 00:57:56 ID:5vF8nonj
>>885
侍ってホントに大変だったらしいね。
江戸期でも、主人よりそこで雇っている下人の方が裕福だったって話が
いくらでもあったんだとか。

887 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/01/21(木) 01:57:20 ID:Tt4fCfz9
>>885
欧州の貴族王族もそうだったらしいぞ
ただこちらは事情が違って貴族の矜持として下働きを雇う事は貴族としての格が上がる、
また給金も支払われた
ただ給金を支払われても(食住は保障されてるので)使い道が無くわりと豪勢な品を身に付ける一方、
主人は先祖代々の品を新調せずに着続けてしまうという

888 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2010/01/21(木) 02:09:07 ID:5hVd3Gav
うちも俺より飼ってる猫のがいいもん食ってるわ・・・

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おあむ物語

2009年12月28日 01:17

おあむ   
380 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/12/26(土) 22:10:28 ID:a2uNevY3
「おあん様おあん様、昔話してくれろ。」「はいはい。」
…おらが親父は山田去暦と言って、石田治部少輔様に仕えて近江の彦根におったが、
関ヶ原の戦の時は、美濃大垣城に篭もることになり、家族みんなで篭城した。

城中では不思議なことがあってなぁ。真夜中になると、どこからともなく男とも女ともつかぬ
三十人ばかりの声で、『田中兵部どの…田中兵部どのぉぉ……』とわめき、その後わッと
泣き出すので、夜な夜な恐ろしゅうておぞましゅうてならんかった。
しばらくして後、徳川様の攻め手が大勢、城へやって来て昼も夜もなく戦となったが、
攻め手の大将は、なんと田中兵部大輔吉政というお人じゃった。

石火矢(大砲)を撃つ時は、城の近所にその旨、触れが出たものじゃった。
なぜかと言うと、石火矢を撃てば櫓も動き、地も裂けるほどに凄まじい音がするもんで、
気の弱い女衆は、すぐ目を回して難儀するんで、前もって知らせたんじゃ。
初めのうちは触れがあれば生きた心地もせず、ただ恐ろしや怖やと言うばかりじゃったが、
後には慣れて何とも思わんようになった。

普段は、おらも母者も、その他家中の内儀・娘も、皆々天守で鉄砲の弾を作ってのぅ。
またある日、味方が取った首を天守に集めて、それぞれ名札をつけて分かるようにしたが、
その首にお歯黒を付けにゃならんかった。
昔は身分の高い者はお歯黒を付けたもんで、首を取った者から首の価値を上げるためと
頼まれたのじゃ。
なに、生首なんぞ怖いもんではない、おら達はその首の血生臭い中で寝たもんじゃ。

さて、そうしていると、ある日攻め手より激しく鉄砲が撃ち放たれ、もはや落城じゃ、と
噂が流れ城中、事の外騒がしゅうなった。
そこへ侍頭が来て、『敵影は無くなった、去ったのだ。もう騒がれるな、静まれ。』
と言っているところへ、また鉄砲が撃ちかけられ、おらの十四歳になる弟に弾が当たって、
そのままヒクヒクと痙攣して死んでしもうた。むごいものを見てしもうた……


この後、おあん一家は徳川家で手習い師匠をやった父のコネで脱出を許されて土佐に逃れ、
おあんは土地の侍と結婚し、六十余歳で亡くなったという。
上記は、おあんが語った原文も口語体で記された、落城悲話である。




382 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/12/27(日) 00:40:58 ID:W1PGHEo+
>>380
助かった人間でもこんな体験してるわけで、実際には悲惨な目にあった人が大勢いたんだろうな…