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大阪城からの脱出体験記

2016年07月26日 17:55

おきく   
920 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2016/07/25(月) 17:53:34.18 ID:yFDPg3Ct
大阪城の夏の陣にて真田の兵も壊滅して、あとは城内へいよいよ押し寄せてくるばかりになった。
そのときいた「おきく」は、危機感にも気付かず、そばを食べようとして下女に調理を命じた。
下女は台所に行ったところ、城内のあちこちが燃え出しているのをみてびっくり。おきく
ようやく事態のヤバさを知り、脱出することになった。
出ようとしたら黒い鎧に身を固めた武田(竹田)永翁がいた。出てはいけない、と言ってたが
おきくたちは無視した。武田(竹田)永翁はこのあと2時間以内に自害して死ぬことになる。
建物から出たおきくたちは、豊臣家の立派なひょうたんが、地面に投げ捨てられているのを
発見。敵にとられたら恥ずかしいので、ひょうたんをバラバラに打ち壊した。
回りは味方の武将も敵兵もおらず、シーンとしていた。(本能寺の本城惣右衛門覚書のよう)
そのとき銃弾除けの竹柵のかげから、敵兵がひょっこりと顔を出し、サビだらけの刀を突きつけて
カネを出せといった。金塊(70万円相当)を2つ持っていたので、一個あげて、藤堂の陣まで
連れて行ってくれるよう頼んで、着いたらもう一枚あげると言ったら、その兵は道案内して
くれることになった。地獄の沙汰もカネ次第、とはまさにこのことである。
道案内されて歩いていたら、淀君の妹の常高院を発見!。大阪城が落城するというまさにそのとき
脱出をしていた最中であった。淀君らは別の建物に退避していって翌朝、発見されて死ぬ。
おきくは常高院らに付いていくことにした。サビ刀の兵にカネを払ったかどうかは知らない。
常高院は兵士におんぶされていた。別の兵士が常高院の足を抑えていたというが、当時は着物
なので、常高院の足が剥き出しになるのを防ぐため、足をかかえて隠していたのかもしれない。
高貴な身分の人なので。常高院一行は教われることもなく、家康の軍勢の方にて保護された。
処刑される恐れもあったので覚悟を決めるよう言われたが、家康から自由を保証されたので
助かった。以上、大阪城からの脱出体験記でした。カネは必要で6文銭では全然足りない。



921 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2016/07/25(月) 19:42:19.90 ID:T9VmpO8Z
>>920
面白かったけど読みにくい、改行してくれると助かる。

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おきく物語

2009年12月28日 01:14

おきく   
389 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/12/27(日) 12:36:32 ID:7RAvVMLX
が、こういう女性もいる。

その日、大坂城で淀殿に仕えるおきくは小腹が減って、「ソバ粉の焼き菓子を作れ。」と
下女に命じ、台所に向かわせた。
あわてて戻って来た下女が「玉造口が燃えています!」と言うので、おきくが千畳敷の間の
縁側へ出て見ると、すでに他の方面からも火の手が上がっていた。

時に元和元年(1615)5月、大坂落城である。

急いで自室に戻ったおきくは、着物を三枚ほど袋に詰め、秀頼から拝領した手鏡を懐にして
逃げ出すことにした。
部屋を出ると、物頭の竹田永翁らが黒具足に身を固め、「お女中方、出てはなりませぬ!」
と叫んでいたが、構わず外に出た。

城外は竹束があちこちに立っていたが人の気配はなく、先を急いだ所、急に竹束の陰から
錆び刀を持った男が現れた。
「金目の物を出せ。」と言うので、隠し持った金塊を一つ差し出し、「藤堂殿の陣はどこじゃ。」
(おきくの祖父が、浅井家時代の高虎の上司)と聞くと、「松原口だ。」と答えたので、
連れて行けばもう一つ金塊を渡す約束で案内させた。

途中、常高院(京極高次妻、淀殿妹)が降伏勧告の使者に来ていて逃げ遅れていたのに
出くわし、「お供いたします。」と言って一行に加わり、無事に城外へ逃げることが出来た。


この後、おきくは常高院の縁で京極家出身の元秀吉側室・松の丸殿に仕え、のちに
備前池田家の医師・田中意徳に嫁ぎ83歳まで生きたという、たくましい戦国OLの話。




390 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/12/27(日) 17:16:29 ID:BzWH+HOH

>>389
雑兵とのやりとりなんか、手馴れたもんだなw
地獄の沙汰も金次第とはこのことか

391 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/12/27(日) 17:32:55 ID:yCWykjXL
予め金塊用意かぃw
冬の陣が終わった時点で逃げゃ金塊渡さずにすんだのにw

392 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/12/27(日) 17:40:06 ID:MYouKdxA
落城寸前まで菓子食いたいとかかなり肝の据わった人だな。
しかもその後の手際の良さといい、淀殿に殉じようとは一瞬たりとも思わなかったようだし。

393 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/12/27(日) 17:40:40 ID:h8gvQDPs
夏の陣じゃないと金塊もちだせなかったりして

394 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/12/27(日) 19:24:54 ID:hdW1Vj35
というか降伏勧告の使者送ったタイミングで強襲掛けたのか

395 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/12/27(日) 22:26:35 ID:h8gvQDPs
降伏勧告をうけた後で攻めるのはいくらなんでもまずいからなぁ

396 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/12/28(月) 00:00:47 ID:oQ7vuB03
>>389
「おきく物語」って残ってるんだよね。
http://www.konan-wu.ac.jp/~kikuchi/nihon/okiku.htm

397 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/12/28(月) 00:02:42 ID:AHuxj+lS
講談社だったかの戦国クロニクルに、おあんもおきくも載ってたなあ