「朝野雑載」から近衛応山(近衛信尋)と本阿弥某
近衛応山のところに本阿弥某という刀剣の目利き師が出入りしていた。
ある日、応山のところに仙洞(後水尾天皇、近衛信尋の兄)が御幸された時、本阿弥の幼子を召して猿楽を舞わせた。
翌日、本阿弥が来て「昨日、我が子を御前で舞わせていただきありがとうございます」と謝すと
応山は「汝の子であるが、昨日の舞は普段よりも不出来であった」と答えた。
本阿弥が「あなた様は猿楽をなさらないのになぜ不出来とわかるのです?」と尋ねると
応山「確かにそうだ。ところで汝に頼みたいことがある。
汝に、われにあった刀を一振り作ってもらいたい。」
本阿弥「われらは刀の目利きこそしますが、刀を自分で作ることはできません。」
応山「おやおや汝が刀の目利きが上手なのは自分で作るからだと思っていた。
刀を作らないで目利きをすると言うのなら、われが猿楽を舞わずとも、猿楽のよしあしがわかってもおかしくないだろう」
本阿弥はとうとう閉口したそうだ。
ついでに過去に出ていた「寛永の三筆」の近衛信尹(近衛信尋の養父)と本阿弥光悦の話
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664 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2022/12/21(水) 10:44:47.40 ID:WROiu9Wo
サッカーの本並さんとは関係ないのだな
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