近衛信尹「輝元も政宗も殿下も…」

2012年12月11日 20:11







714 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/12/10(月) 20:30:38.25 ID:GYalCcg6
先ず最初に身体の欠損が悪い話ではありません

近衛信尹の日記には修正部分が多いが、その中の透けて解読できる部分、天正19年3月の部分に
毛利輝元は片目である、伊達政宗も片目である、殿下は(以前)小者だか今は勿論殿上人で彼も片目である」
と記されている
この殿下は秀吉に相違なく、ここでは輝元と秀吉が片目だったとしている

信尹の日記は他にも欠損部分が多く、例えば関ヶ原合戦前後は丸々無くなっている
日記も正直に書きすぎると抹消されてしまうのである




722 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/12/11(火) 01:35:00.24 ID:PpWtN/9B
>>714
独眼竜TERU
やだカッコイイ

723 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/12/11(火) 01:45:30.97 ID:GjqladoG
独眼竜の父親もTERUなわけで
将軍からの偏諱だからかぶるのは当たり前だが

727 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/12/11(火) 12:49:38.82 ID:hyrqZ8PA
>>714
TERUが隻眼なんて初めて知ったわ
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近衛信尹「おのれは、おのれは、おのれは……」

2012年04月12日 21:31

580 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/04/12(木) 06:13:46.85 ID:0424ybbj
 関白近衛信尹本阿弥光悦、男山の滝本坊の松花堂昭乗といえば寛永の三筆として知られる
書の達人であった。ある時、近衛信尹本阿弥光悦に「三筆の中で優劣をつけるとしたら
どんな順序になるか」と問うてみた。
 それに対し、光悦は「まず……、次は信尹様、その次は松花堂ですな」と答えた。信尹が
「まず……、というのは誰のことか」と尋ねると、光悦は「おそれながら私のことで
ございます」と答えた。

そんなある日、光悦が信尹のもとへ伺候すると、信尹が恐い顔で光悦の手をつかみ、
「おのれは、おのれは、おのれは……」と繰り返した。何やら怒っているようだが、
光悦には怒られる覚えがないので困惑していると、信尹は「なぜそううまく書くのか」
と言って笑いだした。




581 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/04/12(木) 10:05:13.13 ID:9oDbLyax
絡みづらい関白様だね

582 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/04/12(木) 20:18:15.42 ID:UN3D05Xw
ラスボスが絡み易いとな!?

583 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/04/12(木) 21:09:27.46 ID:dlfvWhCc
じゃれあえるくらい仲良しなのかw

584 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/04/12(木) 22:17:57.25 ID:iGZ6aYLI
こいつらかわいいなw

585 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/04/12(木) 23:02:42.31 ID:AeAcTy4/
(#´д`)ノノ「おにょれは~おにょれは~おにょれは~…なぜそううまく書くのでおじゃる~ぅ」
(^ω^;;)「ギブギブ」

近衛信尹の遺書

2012年02月26日 21:51

180 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/02/26(日) 15:57:12.83 ID:wv3l+KzH
近衛信尹の遺書


近衛信尹は、武家との交流が盛んであった公家である。
さて、いよいよ病が重くなったある日、信尹は愛する家族にあてて遺言をしたため、形見分け等を指示するが、
その中に、交流のあった諸大名の名が見える。曰く、

「左衛門大夫(福島正則)・政宗・島津(義弘)にも、似合いの品を、それぞれ遣わしてください」
(原文:左衛門大夫・政宗・島津などへも、似合い候物ども遣り候べく候)(※前後略)

書面上のことではあるが、信尹卿も、政宗は呼び捨てなのであった。




181 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/02/26(日) 15:58:41.62 ID:LS1qUkbb
さすが政宗、いつでもどこでも誰にでも政宗呼ばわり

184 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/02/26(日) 16:46:49.17 ID:w7BONCpA
なんかもう政宗の諱呼びだけで本書けそうだな

185 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/02/26(日) 17:23:50.23 ID:td1lJUKw
ひょっとして誰からも尊敬されてなかっただけじゃないのか政宗って

186 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/02/26(日) 17:29:31.61 ID:uVwx2JSz
礼儀の問題だから本人の評価はあまり関係ない

187 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/02/26(日) 17:58:39.48 ID:s9se1jXv
あの家光からは普通に尊敬されてたしね

188 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/02/26(日) 18:11:02.54 ID:rQ9VtRx7
まあ端的に言えば

・政宗は生涯改名していないので諱が一番個人特定しやすい
・政宗の目には直接触れない書状である
・諱を使っても政治的問題になりにくかった

などがあったのでしょうな。あと政宗自身がどうも、「政宗」と呼ばれることを
気に入っていたフシがあるw

192 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/02/26(日) 20:44:09.93 ID:S1Mvc11t
>>187
尊敬というのとはまた違くね?

201 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/02/27(月) 21:14:53.87 ID:E70EFSK8
近衛信尹ってどこか憎めないな

202 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2012/02/27(月) 22:03:44.11 ID:tTV2b3R5
その辺、やっぱり公家の元締めって感じだよなぁ・・・

近衛信尹「漢字もやまと言葉も、理の無いものなどありません」・いい話

2009年06月12日 00:11

393 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/06/11(木) 22:39:19 ID:s19tcVXa
>>383 国風で思い出した、ちょっとトリビア(?)

近衛信尹は、秀吉に関白の位を奪われたり、奔放な行動から薩摩に配流になったりと、
信長や謙信と親交を結んだ父・前久と違い、政治的才能は無かったが、
本阿弥光悦らと並んで「寛永の三筆」と呼ばれ、一流の教養人として知られた。

ある日、信尹に和歌を習っていた武士が、質問した。
「賢人を訓読みで『かしこきひと』というのは分かります。しかし、なぜ聖人を訓読みで
『ひじり』というのですか?」

信尹は答えた。
「聖人は、是 『非』 を 『知り』 尽くしているからです。漢字もやまと言葉も、理の無いもの
などありません。

例えば、東は日が昇るので『日頭(ひがしら)』から、南は全ての者から日が見えるので
『皆見(みなみ)』から、西は『いにしえ』、日が落ち過去のものになる、というところから、
北は日差しを待ちわびた所に『来たる』という意味。

そして、昼は『干る(ひる)』、日照りで乾くという意味、夜は『寄る』、日光の無い心細さで
集まるという意味なのです。」


しょせん逸話なんで真偽は分かりませんが、我々がいつも使っている言葉にも
変化を重ねた長い歴史がある、というお話。




394 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/06/11(木) 23:09:21 ID:Lrg8+nDy
>>393
「ひじり」の意味に感動した。
是非をわきまえる人間が尊敬されてきたわけだ。

395 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/06/11(木) 23:10:08 ID:M/LjrgMY
そういう言葉遊びというか語源雑学好きだw

396 名前:人間七七四年[] 投稿日:2009/06/11(木) 23:17:39 ID:h5bZf3fS
オレは日(暦)を知るからと聞いたんだが、色々と説があるんだな。


397 名前:国士焼肉ぷらす ◆JUU/.JUU/. [sage] 投稿日:2009/06/11(木) 23:30:42 ID:QNJF6DJh
>是 『非』 を 『知り』

是を切るのは不自然だなあ。

398 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/06/11(木) 23:44:27 ID:w7Aon14D
「是非(ぜひ)」じゃなくて「是(これ)」だろ・・・