宮中乱交事件・悪い話

2008年12月14日 00:00

328 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/12/13(土) 23:04:56 ID:fUmmzpze
宮中乱交事件

かの山科家の一門で、公家の中を美貌に関しては彼の右に出る者は居ないと謳われる左近衛少将・猪熊教利。
その彼の髪型や服装の帯の締め方は独特で、京都の民からは「猪熊模様」という流行語が生まれるほど評判だったとか。
しかし、一方で猪熊教利は女癖が大変悪く、「公家衆乱行随一」とも称されていた。

慶長12年(1607年)の2月。
調子に乗って当時の帝である後陽成天皇の寵愛を受ける女官と密通を通じていたのがバレてしまい、
猪熊教利は後陽成天皇の勘気に照らされ、京都を追放されてしまった。
これで、宮中も静かになろう。
誰もがそう思っていたら、そして気付いたら、猪熊教利は京都に戻ってきていた。
しかも、戻ってきてからがタチが悪い。
たまたま左近衛権少将・花山院忠長が帝の寵愛を受ける広橋局と逢瀬を繰り返しているのを聞いた、猪熊教利
とてもいいことを思いついてしまった。

「赤信号、皆で渡れば恐くない」

と、いうことで……
仲の良い公家や女官を手引きして、乱交を繰り返し始めたのだ。

慶長14年の7月。
無論、そんな大人数の乱交がバレないわけなく、このことをふと耳にした後陽成天皇はお怒りに。
犯人・共犯者全てを死罪に命じたのを一度取り消した後、幕府に事件の全てを一任して、ここで帝は一旦フェードアウト。
幕府側は京都所司代・板倉勝重らに宮中の調査を命令。
板倉勝重らの宮中調査の結果、乱交に関わっていたのは猪熊を除いた所を挙げれば、烏丸光広・大炊御門頼国
花山院忠長・中御門宗信・徳大寺実久・飛鳥井雅賢・難波宗勝・水無瀬・唐橋局・広橋局・中院局・讃岐などなど。
それらの公家衆と女官のそれぞれを幕府は適当な土地に流したが、
この乱交事件の原因である猪熊教利と下手人一人は常禅寺と川原にて死罪に処せられた。

賢き宮中での一大スキャンダルは、猪熊教利の死後も微妙に後を引きずっていた。
然るに、幕府の公家衆への処罰内容が乱交パーティ出席者の皆殺しを主張していた後陽成天皇の意に沿わないことから、
何もかもの権限が幕府へ吸い取られていく状況に憂鬱になり天皇が「朕、譲位しちゃおうかな」なんて本気で口にしたり。



333 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/12/14(日) 04:17:46 ID:MuFqdrv/
>>328
猪熊さんマジパネェっす!
猪熊さんと松永さんが手を組めばエロ方面じゃ怖いものなしっす!
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