大谷吉継と島左近とその息子・いい話

2008年10月31日 00:10

6 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/10/30(木) 12:30:45 ID:QmQn6cwM
大谷吉継と島左近の間のちょっといい話。

関ヶ原の戦いにおいて、大谷吉継の隊に島左近の息子、新吉信勝(一説には嫡子)が配されている。

小早川の裏切りを察し、それを迎え撃つべく布陣するまさに死地中の死地である大谷隊に、
なぜ大事な嫡男である新吉を預ける事にしたのか、父・左近の胸中はわからない。

がしかし、お互い立場は違えど三成を思いやる間柄だった吉継と左近。
自分と同じく三成の為に命を差し出してくれた、主の親友への左近なりの義だったのではないだろうか。

ちなみに新吉は藤堂高虎の従兄弟、藤堂玄蕃を一騎打ちで打ち取り、大谷隊の士気を上げるなど
多いに貢献、健闘したという。
その後、新吉は玄蕃の従者高木平三郎に討ち取られ己が役目を全うした。



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信長と草履のシンデレラ・いい話

2008年10月31日 00:09

7 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/10/30(木) 12:52:20 ID:91RvCOW5
信長のシンデレラ

織田信長は合戦に出かける度に、一足の足半草履を太刀の帯取りに結び付けていた。
その訳は誰も知らなかった。

天正元年八月、信長は越前に攻め入り、朝倉軍と開戦した。
このとき兼松又四郎正吉は諸兵に先んじて進み、一番首の功名を上げた。

首実検の折、信長が一番首を褒めていると、正吉が裸足であることに気がついた。
信長は腰から草履を外し

「わしは多年、この草履を腰につけ、そなたのような勇者の現れるのを待っていた。
ようやく今日、この草履の主を見つけることが出来た。」

そういって与えた。

この粗末な草履は、「天下一の草履」と、皆の羨望の的となった。



8 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/10/30(木) 13:19:12 ID:nOeEEH+X
信長細かい気配りだな
それがなんで最期に森一族みたいな(ry

めんどうくさい小栗又一さんの関ヶ原・いい話

2008年10月31日 00:08

14 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/10/30(木) 18:02:07 ID:91RvCOW5
めんどうくさい三河武士、小栗又一さんの関ヶ原

関ヶ原合戦の時、家康の四男、松平忠吉が、敵の首を取ってきた。
家康は大いにこれを褒め、戦勝の祝いに集まっていた大名達も大いに賞賛した。

その場にいた又一さん

「上様、逃げ回る敵の手足を押さえて首を取ったくらいの事を、そんなにお褒めになられては、
忠吉様が、敵はいつも弱いものだと勘違いなさいますぞ?」

その場ドン引き。

家康、苦笑しながら「だからお前は出世出来ないのだ」
しかし家康はそんな又一さんを、生涯そばで使っていた。



15 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/10/30(木) 18:04:46 ID:eMH2E2dN
又一さんって、ボクは良いことを言ってるんだ的な雰囲気がプンプンしてくるなw

16 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/10/30(木) 18:09:57 ID:06+wu+AH
なんだろう又一そのうち「そんなの関係ねぇ!」とか言い出しそうな希ガス

17 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/10/30(木) 18:24:27 ID:vGjhASWh
又一と政宗が話していたら面白そうだ

18 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/10/30(木) 18:41:25 ID:hLgdgFC2
小栗又一、もう名前憶えそうw
本当にめんどくせえ野郎だなぁ、大好きだw

19 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/10/30(木) 20:07:21 ID:u6Dm/1Qf
家康と又一のアッー!い信頼関係あってこそだよな
又市が墓穴掘って家康が突っ込み入れる二人で一つみたいな

20 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/10/30(木) 20:16:46 ID:XFtmO6FW
又一と森ブラザーズの絡みが見てみたい

21 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/10/30(木) 20:20:47 ID:1tV2tKRk
>>20
ガチの斬り合いになるだろうなw
そしてその現場を目撃した忠興さんがry

22 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/10/30(木) 20:21:58 ID:vGjhASWh
>>20
又一「しかしそこらこれこれかくかくしかじ

鬼武蔵、面倒なのを動物的本能で悟り即座にバッサリ

23 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/10/30(木) 20:22:38 ID:byHj0/8T
幕末の上野介の先祖ですよな?
また一番だから又一(家康が与えた名前)

24 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/10/30(木) 20:40:27 ID:91RvCOW5
そう。又一さんこんなひねくれた人だけど、徳川家を代表する勇者の一人なんですよ。
家康が呆れるほど一番槍、一番首を取ってきた人です。

面倒くさい本多作左衛門と瓜畑・いい話

2008年10月31日 00:07

24 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/10/30(木) 20:40:27 ID:91RvCOW5

面倒くさい三河武士のキング、本多作左衛門のおはなし

ある時作左衛門が領内の検分をしていると、池鯉鮒(ちりふ)という所に瓜畑があり、
見事な瓜が作られていた。
それを見て作左衛門、「これは、誰の畑だ?」と尋ねたところ、その畑の番をしていた者が

「殿様の瓜畑です。」

それを聞いた作左衛門、怒ったの何の

「なんということだ!三河、駿河、遠江、三ヶ国の太守は、よりにもよって瓜作りになられたのか!?
お前たち、よーく聞け!武士と言うものは知行を頂きこれを管理はするが、百姓のいたす事を
真似はしないものだ!」

そう言うと畑に馬を乗り入れ、瓜を全部踏み潰してしまった。

畑の番人は慌てて家康の元に向かい、家康がどれほど怒るかとビクビクしながら
報告すると、家康、

「いかにも作左衛門だ」

と、大笑いしたと言う。



25 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/10/30(木) 21:05:27 ID:WFQjD/7E
最近植えつけられたイメージ

三河武士=めんどくさい
森一族  =DQNのデパート


26 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/10/30(木) 21:33:55 ID:u6SmTWgo
馬に乗ってぐちゃぐちゃにするってハッスルしすぎだろw

27 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/10/30(木) 21:35:04 ID:ZpeSTpFX
まもらねば、さくさがしかる

28 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/10/30(木) 21:36:42 ID:kcn5gb/8
馬に乗って破壊するもの

三河武士=瓜
森兄貴  =人間

29 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/10/30(木) 21:39:07 ID:KTzUPbUN
瓜畑の番人マジ涙目

30 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/10/30(木) 22:55:15 ID:vKcjBvD9
家康もこんな面倒くさい人間ども使って、よくぞ天下取ったなw

31 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/10/30(木) 23:03:03 ID:kcn5gb/8
家康はそんなツンデレな三河武士に萌えていたんです。

33 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/10/30(木) 23:32:06 ID:eU9V/4h7
家康が人質だった頃は農耕してたくせにw

35 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/10/31(金) 00:00:17 ID:FlnZby9C
>>33
だからこそなんだと思う

板倉勝重と大阪の米・悪い話?

2008年10月31日 00:06

256 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/10/30(木) 19:44:38 ID:91RvCOW5
大阪の陣が、始まろうと言う時

豊臣家は大阪にある各大名の蔵から、米を兵糧として次々と接収していた。
徳川家も二万石の米が大阪にあり、接収の危機が迫っていた。しかしそれを防ぐだけの
軍勢は無い。

この時、京都所司代、板倉勝重は、豊臣家の大野治長にこの様な書状を出した

『当家の米はどうぞ、今回の篭城に使ってください。』

これを見た治長は「何か裏が…」と怪しみ、ついに徳川家の米に手を出すことが無かった。


疑心暗鬼はこうやって利用するものだ、と言うお話。



257 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/10/30(木) 19:45:49 ID:sr+oJpmG
うまいもんだ

260 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/10/30(木) 22:53:07 ID:ZN5/MWKI
>>256
事故米か、俵の中に兵士が篭っていたかどちらかだな。

261 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/10/31(金) 00:04:32 ID:Vyw5mJi0
三笠フーズより仕入れし兵糧米にて御座候

戦国鬼談義

2008年10月31日 00:05

246 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/10/30(木) 12:50:58 ID:VkF15BjW
薩摩の鬼武蔵と呼ばれた新納忠元も
ホンマモンの鬼武蔵の森長可にゃ全然敵わないな

247 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/10/30(木) 12:56:33 ID:nOeEEH+X
新納忠元の「鬼」→強いという意味
森長可の「鬼」→ウルトラスーパーDQNという意味

248 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/10/30(木) 12:58:05 ID:pK3E/c9X
普通の「鬼」:戦場で敵として出会ったら死を覚悟せよ
鬼武蔵の「鬼」:何時いかなる時も出会ったら死を覚悟せよ

249 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/10/30(木) 13:20:32 ID:nOeEEH+X
それじゃ新納”鬼武蔵”忠元もウルトラスーパーDQNになっちゃうよw

250 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/10/30(木) 14:08:58 ID:B5gvSfQp
戦場かつ敵なら首はねられても別にDQNではないだろ

1000get!

2008年10月31日 00:04

999 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/10/30(木) 13:06:15 ID:X8F60q46
↓締めに一言

1000 名前:人間七七四年[] 投稿日:2008/10/30(木) 13:09:47 ID:Vsd5Aq36
ドドインドインドイーンwwwwwwwwwwwww



8 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/10/30(木) 13:19:12 ID:nOeEEH+X

さて前スレ
---------------------
999 名前: 人間七七四年 [sage] 投稿日: 2008/10/30(木) 13:06:15 ID:X8F60q46
↓締めに一言
1000 名前: 人間七七四年 投稿日: 2008/10/30(木) 13:09:47 ID:Vsd5Aq36
ドドインドインドイーンwwwwwwwwwwwww
---------------------
orz

9 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/10/30(木) 13:25:28 ID:MD76LBn2
前スレ1000は何をしたかったwww

10 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/10/30(木) 13:30:05 ID:X8F60q46
>>1乙です

>>8
なんぞこれ…orz

11 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/10/30(木) 14:39:58 ID:gxuM2hgq
>>8
土井利勝ヲタの犯行に違いない

12 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/10/30(木) 14:49:22 ID:0FuHTx9Y
>>11
板的に、土居宗珊、の方だろ

森可成と出陣の門出・いい話

2008年10月31日 00:03

森可成   
984 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/10/30(木) 05:54:11 ID:byHj0/8T
悪い話のほうに出ていたんだけど
森可成が朝からお汁粉だすお父さんと
「いくらなんでも朝からこれはないでしょう。
しかも食前ですよ?せめて食後にしてよ」とケンカする話があるらしのだが
詳細知ってる人いませんか?
気になって仕方ありません



989 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/10/30(木) 09:45:37 ID:E1TchvIz
>>984
可成が浅井・朝倉戦に備えて出発するときに、
老父の越後守可行が門出の朝ご飯をご馳走しようとお知らせの使者を遣わしてきた。
可成は「親父は自分の好物だからっておしるこ餅をだして、後からご飯をだすので食べられないんだよね。
先にご飯をだしてから、おしるこ餅にしてくんない?料理も夕食にしてほしい。」
との使者を遣わした。使者はお礼かたがたその事を可行に申しつたえた。
可行は「具足の威し初めの母衣幕の仕立初めには先ず鏡餅をそなえて、小豆雑煮にて祝うのだ!
武士は”血をつけたい”ということで小豆の赤にあやかるのだ!
諺にも”吉日の夕祝いより悪日の朝祝い”というので朝食なのだ。
餅が食いたくなければ食べなくていい。」と言う事だった。
可成は翌月20日に討ち死にしたので、これが祝宴納めになった。

だそうな。


991 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/10/30(木) 10:02:26 ID:orPrk18H
>>989
じーちゃんは一家言持った常識人だったのに
オヤジがあの時代に好き嫌いするようなヤツだから息子たちが…

石田三成の勤勉・いい話

2008年10月31日 00:02

983 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/10/30(木) 01:01:09 ID:91RvCOW5
では埋めついでに、

三成の勤勉

石田三成は休みの日であっても、暴風雨の日などは、深夜に警戒のため、破損箇所などを見てまわり、
翌朝秀吉が起床するとすぐにこれを報告した。秀吉は大いにこれを褒め称えた。

が、それは本来担当している普請奉行の報告の提出よりも早く、又詳しかったため
彼らが秀吉から叱責されることがたびたびあった。

普請奉行は三成のこの様な勤勉さに、甚だ迷惑したと言う。



985 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/10/30(木) 07:25:07 ID:hLgdgFC2
>>983
いい(迷惑な)話だな

986 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/10/30(木) 07:39:40 ID:rL2om7Gs
>>983
いい話ではあるんだが、そこでさり気なく普請奉行に教えて顔を立ててやるくらいの気配りがみっちゃんには欲しかったぜw

987 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/10/30(木) 08:43:29 ID:gxuM2hgq
その気配りが出来る人間なら武断派に襲われたりしなかったろうな

988 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/10/30(木) 08:49:06 ID:06+wu+AH
幼友達的な清正や長政には気配りしとけばなぁ・・・
だが、正則には気配りしたくないな。バカだし

戦国生徒会

2008年10月31日 00:01

976 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/10/30(木) 00:29:49 ID:sSJWzWNv
悪い話スレではDQNをたとえる話題があるよね。
非DQN人もたとえてみたりはしない? うめたてついでに。

やっぱり家康とか毛利元就は委員長とか生徒会長タイプの優等生か?


990 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/10/30(木) 09:57:31 ID:VT9F91A8
>>976
生徒会長  徳川家康
副会長    立花道雪
風紀委員長 立花宗茂
風紀委員  蒲生氏郷
風紀委員  本多作左衛門

こんな感じ?


992 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/10/30(木) 10:03:52 ID:BdTxBR1m
風紀委員長は口うるさくて融通が利かずに周りに嫌われるって点で三成のイメージな希ガス。

993 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/10/30(木) 11:12:34 ID:91RvCOW5
戦国時代だとこっちの方がいいかな?

戦国生徒会

生徒会長 立花道雪 貫禄と大度のリーダーだ。たまに天然なのもご愛嬌。
副会長 徳川家康 常にトップを狙う野心家。だけど人の話をちゃんと聞くよ。
副会長 小早川隆景 キレ者だが思慮深さを併せ持つ。大切なのは父親の遺訓。
書記 浅野長政 諫言も辞さない硬骨派。DQNや石田君の矢面になりやすいぞ。
書記 石田三成 徳川副会長をライバル視。有能なんだけど人の話を聞かないことも。
風紀委員 北条氏康 服装の乱れは心の乱れ!装束の北条だ。


994 名前:人間七七四年[] 投稿日:2008/10/30(木) 11:35:23 ID:mDIfe+pC
番長 龍造寺隆信 聞く耳持たず、極悪非道。最後は呆気なく打ち首。

995 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/10/30(木) 11:39:46 ID:YTqNUrX0
生徒会長 立花道雪
ガラじゃねw

996 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/10/30(木) 12:01:30 ID:gL2gy28N
確かにベッキーの柄じゃないなw

997 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/10/30(木) 12:04:25 ID:XUqtuO60
風紀委員w
ぴったりだ

998 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/10/30(木) 12:29:06 ID:cRD6nxxx
マジうるさいからな、北条家の軍装はww

長船綱直(宇喜田家家老)・悪い話

2008年10月31日 00:00

234 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/10/30(木) 02:08:32 ID:htexb1Gt
>>212>>225
家康が宇喜田を見くびっていたのは理由がある。
というわけで、長船綱直(宇喜田家家老)の悪い話。

秀吉の朝鮮出兵当時、宇喜田家でも戸川達安、岡家利、花房職秀などの武断派の武将が参陣している。
中でも戸川達安、岡家利は、幼くまた大阪城に釘付けにされ国許に帰れない秀家に代わって国政を担っていた。
しかし戸川達安等の出兵中、長船綱直の伏見城普請の采配ぶりが秀吉の目に止まり、秀吉の声がかりで
出兵中の戸川達安等に代わって国政を担うようになる。さらには伏見城の働きの褒美に戸川達安の領地の一部を
長船綱直の領地にしてしまう。
秀吉が死んで朝鮮から引き上げてきた武断派の武将達はこのことを知り激怒する。
しかし秀家は長船綱直を信任してかばっていたため、宇喜田家家中は秀家&長船綱直vs武断派に二分される。
また豪姫がキリシタンであったため、秀家が家臣にキリシタン改宗命令を出したことも対立に拍車をかける。
そんな中、長船綱直が急死してしまい、これが戸川達による毒殺と見た秀家は戸川の暗殺を企てる。
ここに至って戸川等武断派武将達は武装して大阪の自邸に閉じこもり、大阪城下であわや市街戦の
一触即発の事態となる。ここで家康が仲裁に入り、武断派連中を家康が引き取るという形で決着させる。
この結果、宇喜田家には有能な武将が激減し、関が原では客将格の明石全登に指揮を任せざるをえない自体に陥る。
一方武断派連中は関が原に東軍方として参加し、一説によると戸川達安が島左近を討ち取る程の活躍をしている。

戸川達が宇喜田家に残っていたとしても関が原の結果が変わったのか怪しいものだが、
自家の主戦力を敵に追いやってしまった宇喜田家が滅亡したのは、当然のことと言えるだろう。



236 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/10/30(木) 03:28:23 ID:FRSN0Opp
西軍で本気で奮戦してくれたのってどんくらいだろ

237 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/10/30(木) 05:06:53 ID:De9sfNhU
俺は結構本気だったけど、駄目だったな

238 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/10/30(木) 07:36:15 ID:rL2om7Gs

>>237
だれだよw

239 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/10/30(木) 07:52:40 ID:PCCIjP0a
弁当食ったくらいなんだよなぁ
思い出しても

240 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/10/30(木) 08:04:08 ID:v9DC4iAA
>>237
小西と見た

241 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/10/30(木) 08:46:42 ID:gxuM2hgq
>>237
大谷刑部さんですか

242 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/10/30(木) 08:51:32 ID:06+wu+AH
>>237
大岩祐夢先生じゃないですか
何やってんですかこんなところで
寺子屋で子供たちが待ってますよ

243 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/10/30(木) 08:55:21 ID:rL2om7Gs
>>242
。・゚・(ノД`)・゚・。

244 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/10/30(木) 10:11:33 ID:WBS6Ovur
大谷刑部は金吾の造反を予期しかなり奮戦してると思うが
まさかその裏切り対策用に配置した連中にまで裏切られてはなあ・・・

245 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/10/30(木) 12:09:15 ID:B5gvSfQp
>>237いいから渋柿くえよ


253 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/10/30(木) 19:04:25 ID:WxPTxsJU
>>234
このお家騒動の処置を見ても秀家は人は良いかもしれないが
頭悪いよな家臣にキリシタン改宗命令とかありえないんじゃないかと思う
>>212の家康になめられてる発言をされてるのも仕方ない
石田も宇喜多も人心掌握ができて無くてさ

254 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/10/30(木) 19:28:02 ID:byHj0/8T
>>236
よくいわれてるのは石田、宇喜多、大谷(平塚、戸田)
小西もかなり必死で頑張ってるが大谷がやられて小早川が突っ込んできて崩壊
それなりに頑張ってたのが糟谷(七本槍唯一の西軍改易→息子が夏の陣で豊臣方として戦死断絶。弟系は残る)
撤退戦で異常に頑張ったのが長束
毛利、島津、長曾我部、安国寺他動かず(島津は動いても人数的に大勢に影響なさそうだが)
長曾我部って周囲に敵も味方もいないんだが・・・なにしにきたんだ?

本戦はともかく伏見攻城戦では結構頑張ってたのはいる
鳥居元忠討ちとった雑賀孫一(鈴木重朝)とか
お家再興に必死だった河野(嘉明にやられた)とか
むしろ大津戦や田辺戦や伊勢方面軍の連中のほうが戦意高いよね
大垣の連中はあれだが
秀秋に従わなかった松野隊と
完全中立で妹警護に徹した木下家定はある意味度胸あり
五島とかも本国でスルーしたけど

258 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/10/30(木) 19:57:55 ID:1tV2tKRk
>>254
ttp://image.blog.livedoor.jp/mansaku21/imgs/1/2/1265f5d1.PNG
長宗我部が動けなかったのはしょうがないよ。
吉川・毛利秀元・安国寺ら毛利勢が全く動こうとしなかったんだから長宗我部は身動き取りようがない。
合戦が開始して佳境に入っても動かないのでは毛利勢が西軍を裏切ったのでは?日和見してるのでは?
と勘ぐるのは当然で、旗幟を鮮明にしない毛利勢の大軍の横を通過なんてとても出来ないよ。
長束も長宗我部同様に身動きが取れない状態だね。

吉川広家の待遇・悪い話

2008年10月30日 01:32

221 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/10/29(水) 22:20:22 ID:Rxd0sbES

ってわけで吉川広家の(待遇が)悪い話

戦後毛利は家康との密約を反故にされ長門・周防に減封された
この辺は有名なんで割愛するが吉川広家は毛利宗家が改易されぬように働き続けた上での減封処分となった

が、毛利家は大幅な減封を吉川広家のせいにして岩国藩初代藩主と言ってもいい広家を
毛利家家臣で岩国領初代当主。正式な大名でなく、あくまで毛利家の家老という陪臣という立場に押し留め
幕末までその恨みを消すことは無かった



223 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/10/29(水) 22:33:00 ID:H31Aixsz
>>221
広家は関ヶ原のあとも毛利家の中枢で働いてるし、毛利家の中で重要なポジションを
しめ続けているから、恨み云々は違うと思うよ。

本家との関係が悪くなったのは関ヶ原よりむしろ、輝元のあとの秀就の時代に、
長府藩の毛利秀元が独立騒動を起こして、それに岩国藩も巻き込まれたことが大きい。

渡辺作左衛門と腕の治療・いい話

2008年10月30日 00:06

966 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/10/29(水) 14:24:45 ID:H31Aixsz

藤堂高虎の家来で、有名な渡辺勘兵衛の甥に、作左衛門という者がいた。

彼は大阪冬の陣の折、戦闘の際、脈のところから手を斬りおとされた。
医師がこれを見て

「これは場所が悪くて治療が難しい。いっそのこと二の腕か肘であれば簡単なのだが…」

と、つぶやくと、作左衛門はたちまち脇差を抜いて、肘のまがきより打ち落とした。

「これで治療できるだろう。すまんが先ず、血を止めてくれないか?」

平然と言う作左衛門に医師は驚き呆れたが、これならば気遣いありません、と治療をした。
高虎は後でこれを聞き、理屈ではそのとおりだがとても出切る事では無いと、
作左衛門に二百石を加増した。



967 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/10/29(水) 14:27:26 ID:Rxd0sbES
これは・・・関羽の骨の手術も聞いてて痛そうな話だが負けてないな

968 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/10/29(水) 14:27:57 ID:Ii4uavnG
>>966
すさまじい武勇伝だな。
高虎の話通りなら、当時の武士でもさすがに自分の腕を切り落とすなんて自傷行為はさすがに
そうそう出来るもんではないという事か…

969 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/10/29(水) 14:40:16 ID:qI2xRrhU
腹は切れても肘切れぬとはこれ烏賊に

970 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/10/29(水) 16:11:24 ID:jQYY1yuP
その状態で冷静に狙い通りに切れる胆力がすげぇ。

971 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/10/29(水) 16:44:29 ID:df5qnN99
手首の動脈は皮膚近くまで出てるから脈を取ったりするのに便利なだけで
肘の付近にも動脈はしっかり通ってたはずだが

972 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/10/29(水) 16:59:10 ID:1qKERXvU
切られ方が悪くて止血しにくかったとかじゃね

973 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/10/29(水) 17:02:42 ID:SjBnZi5e
>>966
「いい話」というより「怖い話」だな
敢えて言えば「度胸のいい話」

974 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/10/29(水) 22:44:39 ID:L7Tnb6CI
>>966
>これならば気遣いありません

これならば気違いありませんと斜め上読みしてしまった

百姓の訴えと福島正則・悪い話

2008年10月30日 00:04

188 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/10/29(水) 16:35:42 ID:H31Aixsz
いい話として伝えられた逸話なんだけど、なんだかなあ、というお話

ある時、福島正則の代官が夫銀を取りすぎていると、彼の領地広島の百姓6人が江戸まで出てきて。
正則に訴状を持って訴えた。

正則はそれを聞くと、「わざわざ遠方より来たことだから、充分に馳走せよ」と、
台所役人を呼び百姓らを懇ろにもてなした。これに百姓らは喜び、逆に、夫銀を
多く取っていた家臣たちは覚悟を決めて沙汰を待った。

4,5日した頃、正則は百姓達を白洲に呼び出し、こういった

「わしが、わずか銀五百目や六百目の事で、わしに忠義を誓っている家臣たちに迷惑を
かけるなどと考えたか!さても憎い百姓達だ!」

そうして6人の百姓はことごとく首をはねられた。
これを聞いた家臣たちは皆感涙し、正則への忠義を新たにした、とか。



189 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/10/29(水) 16:40:01 ID:UqpKcKCn
>>188
本当に、なんだかなぁって感じだなぁ。

191 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/10/29(水) 17:08:21 ID:iWbHe3uY
これは家臣に気を使った話なんだろうけどなぁ。正則のポケットに入る金じゃないだろうし。
政治的思惑が見えてくるな。逸話って大抵話半分に聞いてるけど、これだけは妙にリアルw

192 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/10/29(水) 17:20:09 ID:lVvd3LiN
しかし市松ってこんな身内びいきの話だのカミさんとか家臣とか
よその武将とかにやり込められる話だのばっかで、まともな事言ってる話って

虎之助が「こないだ蓼の漬け物で飯を食ったらうまかった」
って言ったのに
「蓼はゼイタクだ」とか返した話だけ?

193 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/10/29(水) 17:23:54 ID:HoYbKOWb
市松だからしょうがない

194 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/10/29(水) 17:30:06 ID:ol2cE0DC
そりゃ秀忠に改易されるわな

195 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/10/29(水) 17:33:48 ID:WoYdUDN3
まあ市松だしな

196 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/10/29(水) 17:37:15 ID:Rxd0sbES
のび太だし仕方ないよ

197 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/10/29(水) 17:37:28 ID:p1Yba5wI
市松さんも梵天丸さんについで殿堂入りだな

198 名前:人間七七四年[] 投稿日:2008/10/29(水) 17:38:22 ID:wC6GkE8b
なんか切なくなってきた

205 名前:人間七七四年[] 投稿日:2008/10/29(水) 19:39:50 ID:LkMjdr8o
>>188
百姓にとってはわずかじゃなかろうにな。

217 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/10/29(水) 21:50:24 ID:CYSNjRRb
>>188
この時代に広島から江戸まで殿様に訴え出るなんて
そうとうな覚悟がないと出来ないだろうに・・。

福島正則武士事始・悪い話

2008年10月30日 00:04

199 名前:人間七七四年[] 投稿日:2008/10/29(水) 18:48:01 ID:pVXmM9MO
市松の(何かが)悪い話。

市松が秀吉に仕える前の十幾つのガキの時分、所用で橋の上を歩いていると、反対側からどこかの足軽が歩いてきた。
ふとした拍子に両者はぶつかってしまい、足軽は市松を怒鳴りつけた。市松は怒って足軽に殴りかかった。
両者もつれる中、市松は足軽の脇刺しを抜いて足軽に突き刺した。
普通はえらいことをしたと真っ青になるところだが、そこは市松、発想が常人とは違う、
人を殺すのがこんなに簡単なら漏れは大出世出来るに違いない!!ピコーン(AA略
と開眼し、つてを頼って秀吉に仕えるようになる。

これが後に大大名になる福島正則の武士人生の第一歩である。



200 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/10/29(水) 18:57:11 ID:0xt+I93Q
なんか悪いって言うより
頭のネジが少し…

201 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/10/29(水) 18:59:56 ID:XHWZzSs4
でも当時こういう発想は巷に溢れてたんじゃないかと
嫌な時代だ・・・
戦国時代に生まれなくて本当に良かった

202 名前:人間七七四年[] 投稿日:2008/10/29(水) 19:00:12 ID:YymSOrJb
正統派DQNだな。身内は大事にするし

203 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/10/29(水) 19:02:55 ID:IjlGWXpn
立派なモンペになりそうだなw

204 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/10/29(水) 19:03:08 ID:ol2cE0DC
大坂の陣で散っていれば後世で格好良く描かれ続けたのに

206 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/10/29(水) 19:40:06 ID:jg6K/F2s
>>202
正統派じゃないDQNてのはつまり細川さんとか森さんですか。

207 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/10/29(水) 20:47:13 ID:WoYdUDN3
忠興とか政宗はDQNに間違いないんだけど、軽くやくざ入ってる感じする

208 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/10/29(水) 20:57:10 ID:YymSOrJb
秀吉=劉備、竹中=孔明、清正=関羽、正則=張飛
って恣意的なあてつけが感じられるんだけどな。
清正と正則は世代的に二世な訳だけど・・・

実際はそんなDQNじゃなかったのかも。

戦国DQN分類

2008年10月30日 00:03

209 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/10/29(水) 21:03:00 ID:pf77K+GP
教養のあるDQN 忠興、政宗
地下丸出しのDQN 正則
狂気のDQN 森ブラザーズ



222 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/10/29(水) 22:26:09 ID:SjBnZi5e
>>209
九州が誇る島津のDQNが入ってない件w

224 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/10/29(水) 22:41:43 ID:A+GdKGtB
>>209
インテリヤクザな忠興・政宗と鉄砲玉っぽい森ブラザーズ
正則はなんだろ?

226 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/10/29(水) 22:45:16 ID:qW6mx0mI
雨の日に捨て犬拾ってる不良

227 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/10/29(水) 23:10:04 ID:jg6K/F2s
>>226
急に市松さんがかわいく思えてきた

228 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/10/29(水) 23:14:55 ID:RIsywCw/
忠興=シン(狂気のストーカー)
正宗=ラオウ(好き勝手やって我が人生に一片の悔い無し!)
鬼武蔵=火炎放射器のモヒカン(ヒャッハー汚物は消毒だー!)
正則=ジャギ(立場の割に漂う小物臭)


230 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/10/29(水) 23:18:02 ID:MlbWjwDi
>>228
森兄貴がサウザーで森弟が汚物消毒かな、オレ的には

231 名前:奇矯屋onぷらっと ◆SRGKIKYOUM [sage] 投稿日:2008/10/29(水) 23:34:05 ID:syg126jh
別にラオウ長可・トキ乱丸・ジャギ適当・ケンシロウ忠政でええやん。

杉原長房の森長可評価・悪い話

2008年10月30日 00:01

森長可   
210 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/10/29(水) 21:08:42 ID:e/0yHZFi
じゃあ、その邪道な人の一般的評価

森長可が所要で上京する際、北政所ねねの従弟・杉原長房の一行と出くわし、
何が原因か喧嘩になり、ヒドイ言い争いになった。
見かねた周囲にいた人々の仲裁でひとまず収まったが、長房は

「オレはイイッスけどね。今日は森クン、また一段とDQNですけど何コワレてんでちゅかね~?」
(手前は苦しからず。一段の物狂いなれば、勝蔵(長可)何に狂い有るべき)

と言い捨てた。(多聞院日記)


長久手の戦の後、流行った童唄

♪今の浮世は結構づくし 森の武蔵に池田が無くば 諸国諸大名は長袴
(森家先代実録)


そうか・・・一般常識だったのかDQN武蔵・・・
そして実兄をディスる唄を当人の記録に載せる忠政・・・



211 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/10/29(水) 21:12:19 ID:Ii4uavnG
>>210
兄貴の評価を貶めることで相対的に自分の評価をあげるつもりだったのかもな…

212 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/10/29(水) 21:12:30 ID:H31Aixsz
家康が関ヶ原の前に言った言葉

「石田や宇喜多が束になってかかってきても、森武蔵に比べたらちっとも怖く無ないだろ?」


213 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/10/29(水) 21:25:17 ID:lVvd3LiN
リアル鬼扱いじゃねーかwww

214 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/10/29(水) 21:26:06 ID:mpWX483Q
「げぇっ!武蔵!…なんだ宮本か」

215 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/10/29(水) 21:41:00 ID:ol2cE0DC
宇喜多軍はともかく石田軍は強かったらしいね
戦前準備は駄目駄目だったが

216 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/10/29(水) 21:43:11 ID:Ii4uavnG
>>215
宇喜多も西軍の主力としてかなり健闘してるっしょ。

218 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/10/29(水) 22:14:41 ID:MlbWjwDi
いい話スレと悪い話スレで、株をあげた奴と下げた奴がいるよなあ…
正則はまさしく後者だなあw

219 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/10/29(水) 22:17:28 ID:2V49RhG8
正則はこんなイメージだから今更マイナスにはならないけど森のは引いたな

220 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/10/29(水) 22:19:47 ID:H31Aixsz
>>219
信長が死ななかったら、日本の政策中枢のど真ん中は森一族で占められてたんだぜw

ほらなんとなく、光秀に感謝したくなってきませんか?

221 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/10/29(水) 22:20:22 ID:Rxd0sbES
>>215
三成の戦前準備のどのへんがダメダメだったのか教えてもらおうか
家康相手にあの陣容を整えられる無位無官の武将が他にいたとは思えん
素直に家康の調略に感心するところだろう

机上の戦前準備なら圧倒的に三成が勝ってたじゃまいか
鶴の翼さえ閉じていれば評価は逆だった

吉川広家と小早川秀秋さえ動けば・・・無念じゃああああああああああああ

225 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/10/29(水) 22:44:52 ID:2dXOcSAe
味方の秀吉が
「なに!?森武蔵守が討ち死にした!?本当か!?
…よかったああああああああああ」

そん時敵だった家康が後に
「石田や宇喜多が束になってかかってきても、森武蔵に比べたらちっとも怖くないだろ?」

とかなんという恐れられ方w

229 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/10/29(水) 23:15:39 ID:Q4yY1z06
>>212
想像もつかないことして来そうで恐ろしいわ。

高橋紹運とその許婚・いい話

2008年10月29日 00:11

925 名前:人間七七四年[] 投稿日:2008/10/28(火) 13:41:55 ID:+VptbYyu

岩屋城で家臣7百余人と玉砕した高橋紹運のエピソード

紹運がまだ若かった頃、兄鎮理が紹運のために、斎藤鎮実の妹を嫁にと約束していた。
ところがその後合戦続きで、紹運の婚礼の儀もままならなかった。
そこで紹運は鎮実に対面したとき、時期を失していることを詫び、近く結婚する旨を告げた。
すると鎮実が、紹運のその申し出に首を振ったのだ。
「たしかに貴殿の兄上とそのような約束をしたが、妹はその後天然痘を患いふた目とみられぬ
醜女となった。とても貴殿の妻女というわけにはまいらぬ」
聞くなり紹運は顔色を変えて鎮実に詰め寄った。
「思いも及ばぬことを聞くものです。斎藤家といえば、代々武勇の誉れの高い武人の流れで
あればこそ、兄者が拙者の嫁にと望んだのです。拙者と致しましても、色好みの浮いた気持ちで
嫁にと望んでいるのではござらぬ」

それから間もなくその女性を妻に迎えた。
そして二人の間に儲けたのが勇将立花宗茂である。

宗茂は父紹運とおなじく義を重んじ、太閤の恩に報いるために秀頼に加勢し13万石を失った。
しかし秀忠は宗茂を惜しみ、のち同城で11万石を与えた。



932 名前:人間七七四年[] 投稿日:2008/10/28(火) 19:40:48 ID:LtagAx9O
>>925
宗茂が西軍についたのは主家である大友が西軍だったからじゃない
そうでないなら主家である大友が改易しているのに特になにもせず
自分はちゃかり13万石もらっている宗茂は義を重んじてるとは思えない

935 名前:人間七七四年[] 投稿日:2008/10/28(火) 19:51:51 ID:8WmR3aAx
>>925
吉川元春と熊谷信直の話に似てるな

938 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/10/28(火) 20:38:35 ID:6oqEJ7da
>>932
とっくの昔に独立大名だし戦国時代はそんなもんだと思うが。
あと宗茂は当初大友は東軍だと思ってたんじゃないかな。

藤堂高虎、情けは人のためならず・いい話

2008年10月29日 00:10

937 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/10/28(火) 20:31:25 ID:j+Fdfr9L
情けは人のためならず

藤堂高虎は常日頃家臣たちに

「自分が嫌になったら、他に仕えても良い。そしてそこが嫌になったら、又戻って来い。
元の禄で召抱えてやる。」

と言っていた。
そして戻ってきた家臣には、本当にそうした。
それを不思議だと思う者たちが高虎に、なぜこんなことをするのかと訊ねると、彼はこう言った

「家来を使うのに、禄だけでは人は信服しない。仕えている以上、禄をもらうのは当然だ、
そう思っているからだ。
人には、情けをかけて接しないといけない。そうしてはじめて意気に感じ、命を捨てて
恩に報いようとするものだ。

どんなに高名な家臣を抱えても、情けをもって接しなければ、禄を無駄に捨てているようなものだ。」

なんとなく、彼のかつての主君、豊臣秀長の薫育を感じさせるお話。


吉弘加兵衛の忠義・いい話

2008年10月29日 00:09

938 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/10/28(火) 20:38:35 ID:6oqEJ7da

というわけでちょっといい話
大友家が改易された後、大友家臣吉弘加兵衛はいとこである立花宗茂の元に身を寄せていた。
しかし上方で乱起こるの報を聞き、加兵衛は今こそ御家再興の時と勇み立った。
というのも、加兵衛はこの戦に勝つのは家康と踏んでいたのだが、大友義統嫡子義延はその頃
当の家康の元に預けられていたのだ。
この義延を盛りたてて手柄をあげ、大友家を再興しようという考えだった。
そこで加兵衛は数年間世話になった宗茂に暇乞いする。
宗茂はこころよくこれを許し、その上道中の足しにと多額の金子を贈った。
加兵衛は感激し、先祖伝来の太刀を宗茂に差し出した。
宗茂も加兵衛を非常に信頼しており、引き留めたいが義のために命をかける覚悟とあっては
力の及ばぬところであると言って涙を流しながら常に肌身離さず携行していた自分の脇差しを
加兵衛に渡した。
これには加兵衛も涙を禁じえなかったという。

その後加兵衛は東を目指したわけだが、大坂まで上ったところで大友義統が中国から上ってきて
今は泉州境にいるという話を聞いて急いで義統に会ってみると、義統は西軍につくと言う。
加兵衛はなんとか義統が我が子とともに東軍につくよう説得しようとするが失敗。
一度は袂をわかってそのまま関東に上ろうと宿に帰った加兵衛だったが、滅亡しようとする主君を
捨ててこれから世に出る義延に仕えるのは不義であると思い直して船に乗り義統一行に追いついた。
その後も加兵衛は義統に諫言するが、結局義統は当初の意思を通すことになる。
そして石垣原の合戦、加兵衛は義統に自分はこの戦で討ち死にするのでこれでお会いするのは
最後ですと宣言してうって出、黒田家の家老井上九郎右衛門と一騎打ちの末に倒れる。
加兵衛を慕って馳せ集まった多くの士卒もまた、一歩も引かずに討ち死にし、加兵衛主従の
見事な最後を賞賛しない者は敵にも味方にもいなかったという。
後に里人が加兵衛の墓を立てたが、志ある士は墓の前を通る時には馬から下りて礼をしたとか。


池田輝政シャウト!・いい話

2008年10月29日 00:08

939 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/10/28(火) 20:40:15 ID:vRiPCdmM
ある日、池田輝政の部屋から「アアアァァァァ━━━━━━(゚∀゚)━━━━━━!!!!!」
と、ものすごいシャウトが轟いた。

驚いて近臣が部屋に部屋に駆けつけると笑って輝政が答えた。
「いやなに、軍法について考えてたら、名案が浮かんだのだ。それだけ。
…なんでもないのだ。……ナンデモナイデスヨ?( ・ω・ )」



その後、池田家中の諸将に部隊間の合図としてニワトリの鳴きまねを使うよう命が下った。
敵に気づかれること無く、味方のみで暗号として使えるからだという。(武将言行録)

鶏だ。ゴルァ!
    M
   (Θ∋
   ((゚Д゚)
〃"""(ノ"""i)
`ヾ""  〃
  ゙"∪"∪



940 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/10/28(火) 21:31:00 ID:RtYDz8LR
>>938のすごくいい話の直後になんというあほな話かwww

941 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/10/28(火) 21:36:29 ID:LNLYCK66
>>939
コケコッコー!(鉄砲構え!)
コケ~(撃て!)
コケコッコー(弓構え!)
コケ~(放て!)
コケコッコ~!(槍構え!)
コケ~(突撃!)



942 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/10/28(火) 21:42:18 ID:X3FKD1na
>>941
くそ、こんなので笑っちまったw

943 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/10/28(火) 21:52:59 ID:d/vlkHu0
鶏様・・・

めんどうくさい三河武士、小栗又一さんの大阪の陣・悪い話

2008年10月29日 00:06

159 名前:人間七七四年[] 投稿日:2008/10/28(火) 11:38:49 ID:j+Fdfr9L
めんどうくさい三河武士、小栗又一さんの大阪の陣

・冬の陣の時、徳川方によって大阪城に続く橋が、次々と焼き払われた。
が、船場の橋を焼くかどうかの判断に迷った。そこで徳川軍、小栗又一を偵察に派遣。
又一さんは城内から矢や鉄砲がどんどん撃ちかけられてくるのを気にもせず偵察完了。
帰るころには豊臣方も呆れて、矢や鉄砲を撃つのをやめ彼の勇気を称えたとか。

そうして彼の報告の結果、船場の橋も焼いて兵糧攻めがいい、との結論に至った。
そこで兵が橋を焼くのを使蕃に見届けさせようと言う事になったが、又一さん、家康の前で

「使番の連中なんてみんな臆病なんだから、近づいたら返って鉄砲の弾に当たっちゃいますよ。
あいつらは、遠くから見届けさせるのがいい。」と言い去った

さすがの家康も
「あいつが同僚と仲が悪いのも、あれじゃあしょうがないな」
と笑ったとか。



・徳川家康の陣所に、御使役の佐久間政盛と山本頼資という者がいた。
そこにやってきた小栗又一、山本に向かって

「今度御使役になったものの中に大臆病者がいるらしいな!諸大名の陣にお使いに行っても
竹束の外に出ないようにしているので、笑われているらしい。あれでは幕府も面目ない、などとも
言われているそうだ。
この前、佐竹義宣の陣に行った時にお前はいかなかったようだが、そういう話になっているらしいぞ」
と言った。

山本が「誰が命など惜しみ臆病に振舞うものか」と、苦々しく言うと

又一
「お前の事じゃ無い。臆病者の噂があるって言うだけだ。
まあ、心当たりのある人間は、聞き逃せないのだろうな~」

山本、激怒。
物凄い口論が始まり一触即発の事態。同僚の佐久間にいたっては見て見ぬ振りだ。

そこに現れたのはさっきまで家康と打ち合わせをしてきた本多正純。
武功の古強者二人のただならぬ雰囲気を察した正純、二人に向かって

「なんだか良くわからないけど、おいしい物でも一緒に食べませんか?ご馳走します。」

と、食事や酒を振舞うと、口論も収まった。

皆は正純の知恵を高く称えたとか。



160 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/10/28(火) 11:55:49 ID:Y0vDAWtj
>>159
> 「なんだかよくわからないけど、おいしいものでも…」

本多さんの優しさにホッコリしたwww

161 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/10/28(火) 11:56:34 ID:m0w+7iVm
>>159
小栗喧嘩売りまくりだなw
ちょっと(性格の)悪い話

中馬大蔵の関ヶ原の思い出・いい話

2008年10月29日 00:05

162 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/10/28(火) 12:28:44 ID:g/Al61t/
中馬大蔵の逸話は鹿児島では有名だよ
上記の話の続きには最後に大事な話がある
以下コピペ


江戸時代はじめのことである。鹿児島城下の二才(にせ)たちが25里(約100キロ)の道を歩いて、
出水の中馬大蔵(ちゅうまんおおくら)(1564-1635年、大蔵允〔おおくらのじょう〕重方(しげかた))を訪ねた。
慶長5(1600)年の関ケ原合戦からすでに2、30年たっていた。中馬もすでに還暦を越えていただろうが、
合戦従軍者のなかの数少ない生き残りだった。

二才たちは城下の咄合中(はなしあいじゅう)(のちの郷中教育の前身)に属し、関ケ原の合戦談を
中馬からじかに聞くために、はるばるやってきたのだ。
応対した大蔵は二才たちが麻上下の盛装をしているのを見て、自分も盛装し、威儀を正して二才たちと対座した。
二才たちが「後学のために、ぜひに関ケ原での武勇談をお伺いしたい」と頼んだ。
二才たちは中馬の口から出てくる言葉を一言も聞き漏らすまいと真剣なまなざしを向けている。

ところが、話を切り出そうとした中馬だったが、意外な成り行きになった。
「(中馬は)麻上下で床を背にして坐(すわ)り、『関ケ原と申すは…』と言い出したものの、
みるみるうちに感涙があふれ出て、それから先、一言も語ることができなかった。
二才衆も同様で、しばらく呆然(ぼうぜん)とするしかなかった。
二才たちは帰路の道すがら、関ケ原の話はこれまで何度も承ったが、
そのどれよりも優れていたと語り合い、言葉にできないほどの難儀を思いやったという」(「薩藩士風沿革」)

中馬の朴訥(ぼくとつ)で涙もろい性格が察せられる逸話である。
中馬は義弘のお気に入りの家来だったらしく、
「中馬大蔵殿は惟新(いしん)公(義弘)別して御秘蔵の人」といわれている(「薩藩旧伝集」)。


作家の桐野作人氏が地元紙に逸話を寄稿しています。ついでに中馬重方でwikipediaにも載ってる
ttp://373news.com/_bunka/jikokushi/37.php



163 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/10/28(火) 12:56:40 ID:XfmiMr3M
さすが島津奔るの主人公なだけあるな

164 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/10/28(火) 14:38:57 ID:mILF7veu
ただそれはどっちかつうといい話だな

165 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/10/28(火) 19:34:00 ID:TlpN2Qu+
このくだりを読むたびに、釣られてないてしまう

166 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/10/28(火) 19:37:37 ID:QIy/caP/
>二才たちは帰路の道すがら、関ケ原の話はこれまで何度も承ったが、
>そのどれよりも優れていたと語り合い、言葉にできないほどの難儀を思いやったという
二才達もできた人物だな。
普通凡人ならあの爺さん泣いてやんのwとか馬鹿にしそうなシチュエーションだけど
今までに聞いたどの関が原の話よりも優れていたと感じれるのは普通に凄いな。

167 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/10/28(火) 19:50:56 ID:vb0yKRQc
>>164
確かに。

しかし、義弘の飯強奪とか、他人様の鎧強奪の話が伝わっているところを見ると
年を取る前には涙腺もゆるんでなくて
いろんな話を二才連中にしゃべってたんだろうな、と推測。

168 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/10/28(火) 21:51:08 ID:uH1rNRa1
幕末薩長は好きじゃないけど、この手の話を訊くと
さすがに維新回天の主役を担った連中の先祖だけはあるなと賞賛したくなる。

秀吉の普請・悪い話

2008年10月29日 00:04

169 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/10/28(火) 21:51:08 ID:j+Fdfr9L
慶長二年(1597)、伏見城の普請について

「ここのところの普請人夫の、労働環境の劣悪さは目に余るものがある。
あまりに激しく働かせるので、栄養失調で、夜になると目の見えなくなるもの、
工事中の事故で負傷する者、病気になるものが続出しているのに、そう言う者には
工事に出てこないからと飯米を与えないから、食えない人夫たちは乞食になって、
京の町にあふれている。

太閤秀吉公は日本の大きさには不似合いなほどの大人物であるのに、どうしてこの、
人々の苦しみをわからないのか。

西国では大名が又、朝鮮に動員される。」

「当代記」より。



174 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/10/29(水) 00:15:18 ID:TRV6SWhf
まあ大陸の専制君主なんてそんなのばかりだし。

175 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/10/29(水) 00:39:56 ID:EyQrNmux
仕事に出れなきゃ収入が無くなるのは今の土建屋も同じだな

176 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/10/29(水) 00:42:16 ID:kmhh2mYJ
秀吉の事業ってブラック企業みたいだったんだな…

177 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/10/29(水) 03:26:09 ID:p1Yba5wI
勝ち組と負け組の差が異様にはっきりしてたのが豊臣政権の特徴だもんな
大規模な外征や天下普請で景気は良いし文化も発達したけど、
下層民はその分重い搾取に苦しんでた
「太閤記」の作者である小瀬甫庵は基本的に秀吉贔屓で、
色々と彼に有利な話を捏造したりしてるけどさすがにここんとこは非難してた


178 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/10/29(水) 07:59:33 ID:Q4jCKFIH
秀吉自身が勝ち組の頂点だしねぇ。
もはやそのときの秀吉の目には「負け組」という存在なんて映ってなかったのかも。

179 名前:人間七七四年[] 投稿日:2008/10/29(水) 08:50:10 ID:0xt+I93Q
努力したらどんな奴でも勝ち組になれるってのを自分自身が体現してるからなぁ
秀吉に関しては文句は言えんよ

180 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/10/29(水) 09:58:45 ID:18lR76sO
秀吉は努力というより才能じゃね

181 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/10/29(水) 10:13:45 ID:cQoICHP0
でも身分統制令で自分の後に続く奴が出ないように
百姓や町人が武士となり勝ち組になる目をしっかり摘んでるよね

182 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/10/29(水) 12:09:05 ID:Rxd0sbES
>>180
努力だよ
信長に男惚れして必死で働いた
そのときどきに何が出来るかを見極めたのは才覚だけど良い家臣に恵まれた面も大きい
特に秀長が凄すぎる
良い意味でのチートって言葉は秀長のためにある

183 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/10/29(水) 12:12:41 ID:iWbHe3uY
男惚れwww

184 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/10/29(水) 12:23:24 ID:H31Aixsz
秀吉は信長に対しても、さほど従順とは言え無いと思う。

あと秀長は過剰評価されすぎてる。四国や九州征伐の時も、秀吉は明らかに、秀長の指揮に
不満を持っているし、確かにさほど戦争が上手いようにも見えない。
温厚で篤実な性格で、他の大名から信頼されていたのは確かだとおもうけど、あくまで
秀吉あっての秀長、それ以上のものではない。

185 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/10/29(水) 13:01:28 ID:BD2ul7xr
男惚れはともかく
人の何倍も働いてたのは確かなようだ
短期間に前線から信長の所、領国経営と飛び回っていたからな。

186 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/10/29(水) 16:16:18 ID:bBUOmkwL
領国経営は難しい土地でも問題なし
蓄財するけど必要な時は惜しみなく使う
家臣団への睨みが利く
外様から信頼される
私心なし

こんな弟いねぇぞw
戦は特に素晴らしくはないがそつなくこなすんだし。
普通は分弁えずに殺し合いだ。

187 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/10/29(水) 16:19:19 ID:IjlGWXpn
つか成功者をなんでも才能と片付けるのに辟易するんだが。
それだと努力する奴は成功者になれないって言ってるようなものだろ。
極端だけれども。

福島正則と富島玄蕃の舞・悪い話

2008年10月28日 00:11

142 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/10/27(月) 16:25:29 ID:cvKcfSlh
福島正則が、生駒親正の屋敷に遊びに行ったときのお話。

生駒家の家臣、富島玄蕃といえば、舞の上手として有名であった。そこで正則は
玄蕃に一刺し、舞を所望した。玄蕃が辞退しようとすると

「オレは昔から口に出した事を引っ込めたことが無い!所望した上はなんとしても舞え!」

玄蕃もしかたがなく、ひとさし舞ったが、正則といえば寝転がり、腹鼓を打ちながら
それを見物していた。

玄蕃は舞い終わると、今度は正則に舞を所望した。

「わしはかつて舞などやったことが無い」

と、断ろうとしたが、玄蕃も「それがしも、あなたがさっき言ったように、一言申し上げた以上
引き下がった事はございません!是非お舞いくだされ!」

これに困った正則、仕方なく、見よう見まねの舞をやってみると、今度は玄蕃がふんぞり返り、
腹鼓を打ちながら現物した。これに正則が怒り、何のつもりだと詰め寄ると

「それがしは下郎でございまして、舞の見方を存じません。最前、福島様が
この様にして私の舞をご覧なされていたので、さては、あのように見物するものかと、このように
したわけでございますが、それがなにか?」



143 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/10/27(月) 16:51:06 ID:JrrF5CdC
また市松が負ける話ですかそうですか(;_;)

144 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/10/27(月) 17:32:46 ID:GJXruuV4
>>136
小説じゃ槍やら路銀も奪い「俺はこの村の中馬大蔵だ。お前は俺の家に行き、俺の道具をもってつづけ」って言い捨てて走り去ってた

145 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/10/27(月) 17:40:48 ID:lQIzl2Dy
>>143
そこで切り捨てる突き抜けたDQNさが足りない

146 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/10/27(月) 17:43:44 ID:Av3AM/yL
わざわざ「ちょっとどころじゃなく悪い話」にしなくてもいいってw

147 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/10/27(月) 17:47:39 ID:cvKcfSlh
福島正則の逸話は、どれを見ても凄い粗暴なんだけど、でもどれも、最後のところで
腰砕けになるというか、弱気になるんだよね。

どうも無理して粗暴を装ってた感じがする。

148 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/10/27(月) 18:20:25 ID:wJqWXHxJ
よくもわるくもジャイアン的でなかなか可愛いやつかもしれない。

149 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/10/27(月) 19:16:33 ID:qwGwF5QM
何というか、基本意趣返しを食らう側だなw
まあ家臣思いではあったみたいだから、こういうちょっと頼りないところがある殿様は逆に支え甲斐があったのかもしれん。

150 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/10/27(月) 20:57:14 ID:Zl+pQn/d
正則改易の時なんで家康は政宗景勝義宣の東北組を呼んだんかね?
後ろ二人はともかく政宗はろくな事言わなさそうなイメージが。

151 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/10/27(月) 21:39:13 ID:cvKcfSlh
>>150
家康死んでます。

152 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/10/27(月) 21:56:08 ID:Zl+pQn/d
あ、福島正則改易の時呼んだのは秀忠か。
なんで正則改易にその三人?と思った事しか覚えてなかった。

153 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/10/27(月) 22:05:51 ID:qdfIRp48
一応最上義光の孫、義俊もいたんだぜ、福島改易んときは。
子供なのによくやった、と秀忠から刀もらったとか。
ただのバカ孫でもなかったかもしれんね。

154 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/10/27(月) 22:46:27 ID:9EI0tCqt
腐っても奥州の有力者だし。
それに、政宗も忠興も基本的には出来る男だしね。

155 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/10/28(火) 00:14:32 ID:qMN2pUif
人間の才能と性格は比例するとは限らない見本だからなw

156 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/10/28(火) 04:32:32 ID:Al4L6Y3b
黒田節も他家の家臣に無理な要求を出して正則がしっぺ返しを食らう話だよな
どちらの逸話が先か知らんが、失敗しても懲りない男なんだなw
酒癖が悪かったらしいから単に覚えてないだけなのかもしれないけど

157 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/10/28(火) 09:36:13 ID:qMN2pUif
酒癖悪すぎて、酔った勢いで家臣を惨殺して、
翌朝素面に帰って号泣するような奴だからな。

158 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/10/28(火) 09:51:09 ID:sYyGYMpM
正則はDQNってよりただのバカだからな

上杉景勝と武田家・いい話

2008年10月28日 00:10

891 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/10/27(月) 03:40:40 ID:gGsyLK79
武田家と上杉家の話。

武田信玄の七男に信清という人物がいた。
武田家が滅びた際、彼は高野山へ脱出した後、姉・菊姫が
嫁いでいた上杉家を頼り、上杉景勝の家臣として仕える
ことになる。ここまでは結構有名な話。
そして、菊姫が病に伏した際には景勝は、洛中の名医を招いたり
祈祷を行わせ、一方の信清は姉を見舞うべく急遽上洛をしたり
している。

さて後年、大久保長安事件というのが発生し、
これに武田の一族も巻き込まれていくことになってしまう。
信清の舅・甲斐長延寺の実了や信玄の次男・海野竜芳の
子息も連座したとして流刑になり、信清のもとにまで嫌疑が。

そこで景勝は家康の側近・本多正信に書状をしたため、
さらに景勝の家老直江兼続は江戸にいた子息平八とつなぎをとり、
情報収集に努める。この甲斐あってか、信清は連座を免れたという。

かつて川中島で死闘を繰り広げた両雄の子孫たちが、縁戚となり、
その危機に際してこういう動向を示しているというのも興味深いと思う。



892 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/10/27(月) 04:38:40 ID:mwChLqtc
昨日の敵は今日の友。
イイハナシダナー

893 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/10/27(月) 15:16:45 ID:Zl+pQn/d
元武田家臣の長安が竜芳や松姫の面倒見てたってんで嫌疑掛けられたんで
上杉家に仕えてた信清にとっちゃ長安が何してたかなんて知らねって話だしなあ。
本多正信に直江がパイプ繋いでたのもよかったな。

徳川家康の伊達政宗と豊臣秀吉評・いい話

2008年10月28日 00:08

894 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/10/27(月) 16:13:07 ID:cvKcfSlh
黄金の磔柱、花押のセキレイの目、などで有名な政宗の奥州仕置きの、秀吉への弁明。
このことについて、後日、井伊直政が徳川家康に尋ねた。

「昨年の冬、私は奥州に参りましたが、政宗の異心は歴然たるものでありました。
秀吉公はそれを承知の上で、許されたのだと思いますが、それは何故なのでしょうか?」

それに対して家康は、

「秀吉公はあのような性格だ。
一つは、死を覚悟して上洛してきた政宗の勇気に免じて。
もう一つは、自書の檄文を偽書と言ってのける不適さと度胸に免じて。
政宗に大将の器量を感じたのだろう。

そして何より、自分の方が政宗より何倍も器量が上だと知っているからだ。」



895 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/10/27(月) 18:00:05 ID:2Ho5fI1B
家康が井伊に語ったいい話ですね。

896 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/10/27(月) 18:21:26 ID:wJqWXHxJ
そう、井伊に語ったいい話です。

897 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/10/27(月) 18:23:31 ID:gGei1klY
いい加減なことを言うな!

898 名前:人間七七四年[] 投稿日:2008/10/27(月) 18:25:25 ID:V0pSnwy4
いいよそういうの

899 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/10/27(月) 18:55:23 ID:pu3WutyS
>>894
秀吉は才覚やら度胸のある若武者が好きだからなぁ。
まあ、本当に好きなのは立花宗茂みたいタイプなんだろうけれど。
あと、意識して器の大きい人間に見せようとしていたので、五十過ぎの自分が二十そこらの小僧と張りあうわけにはいかなかったとか、
本来ならその位の年の子供がいても不思議じゃないから、子供の才能を愛するように可愛がったのか、色々考えられる。

901 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/10/27(月) 19:33:02 ID:ILOKKRCm
>>894
まだ奥州仕置きの頃でよかった
晩年に発覚しようもんなら…

秀吉と中村五郎忠滋・いい話

2008年10月28日 00:07

900 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/10/27(月) 19:02:40 ID:Wyfq8oe/
信長の部将だった秀吉が播州の三木城を攻めていた時、秀吉は城主の別所長長治の家来である
中村五郎忠滋と内通した。中村五郎忠滋は城攻めの際には裏切って味方するとの約束し、その証として
自分の娘を人質として送ってきた。
 その約束を信じた秀吉が千人の兵を三木城へ突入させると、中村五郎忠滋はその約束を破って
秀吉側の兵士を壊滅させた。だまされたことに怒った秀吉は人質である忠滋の娘を磔にして処刑した。
その後、秀吉の兵糧攻めにより三木城は陥落し、中村五郎忠滋は捕虜となった。秀吉は
「俺をだまして千人もの兵を殺したのは許しがたいが、おのれの主君のために自分の娘を犠牲にした
忠義に免じて命だけは許す」と言って、忠滋を助け、後に三千石の待遇で家臣の一人に加えた。


最上義光ワンポイントちしき・いい話

2008年10月28日 00:06

902 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/10/27(月) 20:14:56 ID:QhsrDn7D
最上義光ワンポイントちしき

義光はよしあきと読みますが、近年まで「よしてる」などと誤読されていました。
では何故よしあきと確定したのでしょうか?










妹宛の手紙に「よしあき」とひらがなで署名していたから

おまけ:義光シスコン語録
「兄ちゃんの手紙のほうが、政宗よりいいよね? だって兄ちゃん嘘つかないし!」
「早くお義にあいたいよ~! あったらいーっぱいお話ししたいよね」
「こっそり伊達の手紙見せてくれてありがとう。今度は政宗の見せてくれないかな? なーんて」
「ちょっと今日の手紙長かった? 読み飽きちゃうよね、もうやめとくね」
(書いた当時兄妹ともに四十過ぎだと思うとキモイ…)



903 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/10/27(月) 20:28:14 ID:fberzryI
>>902
十代の兄妹ならかわいいが…

904 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/10/27(月) 21:23:55 ID:SF7Yb7Bd
いくら息子と兄とはいえこっそり手紙
見せちゃ駄目だよ義姫…w

905 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/10/27(月) 21:49:06 ID:6CUfqSLf
>>902
キモいのはお前の訳し方だw

906 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/10/27(月) 21:59:50 ID:Zl+pQn/d
女性宛や親しい人宛の手紙にひらがなを多く使うのは
よくあることなんじゃなかったっけ。

908 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/10/27(月) 22:06:34 ID:qdfIRp48
>>906
よくある。普通のこと。
ただし名前が残ったのはいいが、シスコンぶりも残ったのは痛し痒しというかw

909 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/10/27(月) 22:11:28 ID:Wk6NnGdX
多分、政宗が何かの拍子に見つけて義光をネタにするために取っといたんだろうな

とか思えるようになってきた
政宗のDQN度がどれほどのものか知らんがやりそうで

910 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/10/27(月) 22:33:15 ID:9EI0tCqt
アッー!な手紙も後生大事に取って置かれた戦国だもの。
シスコン全開の手紙くらいどうってこと・・・あるなやっぱりw

912 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/10/27(月) 23:00:59 ID:Iomv68bE
>>906
秀吉の直筆はほとんどひらがなだったとか。

盆踊り大会の古市胤栄・いい話

2008年10月28日 00:05

907 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/10/27(月) 22:02:56 ID:MUOZtzZK
応仁の乱真っ只中の頃のお話

大和国興福寺門前にて衆徒や村人が集い盛大に盆踊り大会が開催されていた
参加者はそれぞれ趣向を凝らした衣装や振り付けで踊りに踊り大層盛り上がっていた

そこへ颯爽と現れたのが大和国古市城城主の古市胤栄さん
大黒天のコスプレで登場した胤栄さん、自らアレンジしたイケてるダンスを披露
BGMには家中の笛の上手な者を投入する手の込みよう

このパフォーマンスに周囲はやんややんやの大喝采
何度もアンコールがかかって夜通し朝まで踊り倒すサマーフェス状態

古市さんの領民は、おらが領主こそ風流の達人だと鼻高々だったとか



911 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/10/27(月) 22:51:54 ID:MSXHZCI2
>>907
なんというか、楽しくなる話だなw

913 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/10/27(月) 23:11:26 ID:jyK4le4Y
>>907
これ大乗院寺社雑事記に載ってるやつかな
領主がコスプレして踊りに来るってほのぼのし過ぎだろw

914 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/10/27(月) 23:13:06 ID:qdfIRp48
暗い世相に明るい話題ってかんじだなw いいわw

915 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/10/27(月) 23:22:58 ID:i4OkAs6e
その手の話なら、津島の祭りで天女に扮装して踊る織田信長というのもあったな。

916 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/10/27(月) 23:56:44 ID:G1yawlow
見てる男衆が、ビンビンになってるんだな

917 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/10/27(月) 23:57:11 ID:JHTvQ3N7
>>915
ウホッ!いい話w

918 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/10/28(火) 01:23:30 ID:JoMWCLMs
さすが尾張のうつけw

919 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/10/28(火) 01:52:30 ID:DbO9dnsu
>>907

やべぇ古市胤栄が俺の脳内で三波春夫に変換されて
まじやべぇwww

920 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/10/28(火) 03:37:24 ID:jHYdBesT
>>907
楽しそう!
俺も踊り明かしたいZE!

921 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/10/28(火) 05:41:14 ID:ZzI+QPJg
>>907
領主というより自治会長だなw
>>918
むしろ尾張のウケwww